第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

怖い

2005-01-31 21:50:35 | Weblog
閲覧数が突然増えた。
変な内容書いたからかな。
怖いな。

学校(「大学」の意)の知り合いが見てたら恥ずかしいっていう
まぁ、大したことの無い怖さと、
何か恐ろしい事件に巻き込まれるのではないかという
本当の怖さ。
両方感じる。

なんかあったら消そっと。

成傷器ー地球

2005-01-30 10:24:28 | Weblog
こんなことを書くとアブナイ系の人に間違えられるかも知れないから手短に済ませるけど。

法医学のテストが明日あって
試験対策プリントなるものを読んでいる。

その中に死因別に、特徴がまとめてあるのがあって、
例えば、死因が「銃創」(銃で殺される)の項目を見ると
「成傷器は銃」「傷の形状は、、、云々」って書いてあるわけ。
成傷器ってのはいわゆる凶器だね。

で、
ここからが面白い発見なんだけど、
死因が「転落」(要は「飛び降り」だぁね)の項目に
「成傷器は地球」って書いてある。
確かに授業でも先生がそう言っていた。

でも「地球」ってねぇ。
なんかおかしいよなぁ、と思う。
地球持ってきてガツンって攻撃するんじゃないんだから。
もっと良い言い方あるんじゃない?
と思いながら試験勉強。
身が入らん。

繰り返すけどあんまり書くとアブナイ系の人に間違えられるから
この辺で終わり。

競走馬の話

2005-01-18 11:07:49 | Weblog
「競走馬」と言うと堅いかな。
ようするに競馬の馬のこと。
「速さ」こそが唯一要求される能力で、
速ければ速い方が良いとされている。
でも速すぎるとどうなるのか。
そんな話。

「走る」というのは脚に負担をかけること。
人間で考えるとイメージしやすいけど、
すり足で歩くのと、一生懸命ダッシュするのでは
脚にかかる負担が違うことは容易に想像できる。

「速ければ速いほど脚に負担がかかる。」

この辺は物理の運動量だとかエネルギーだとかで説明できると思う。
自分はできないけど。

たしか馬は走る時、脚に何トンとかいう力が加わるんじゃなかったかな。
だから、馬は速すぎると脚がその物凄いエネルギーに耐え切れず、脚が折れる。
脚が一本折れて使えなくなると、
あの重い体(500キロぐらい)を残りの細い3本の脚で支えることになる。
脚というけど、馬って、人間で言うとつま先の部分で立っているんだよね。
それはとても大変。
大変すぎてその3本の脚は腐っていくらしい。
そうすると生きていけない。
苦しい。
だからそうなる前に安楽死させられる。
脚を折ったらまず安楽死させられる、、、らしい。あんま詳しくないけど。

以前とても速い馬がいた。
圧倒的な差をつけるレースをいつもしていた。
でもある大きなレースの途中、
脚が折れた。
大きく開いていた後続との差がみるみる縮まって
レースを離脱した。
その場で身罷った。

人間ではどうか。
能力が高すぎるとどうなるのだろう。

まぁ、そういう人は、何でも乗り越えられるんだろう。

けしからない?

2005-01-10 15:36:13 | Weblog
「けしからん」という言葉がある。怒ったときとかに使う言葉。使うのは主に中年以上の男性だぁね。

でまぁ、テレビ見ながら危ないニュース(殺人など)とかあった時に、ふざけて自分も「けしからん!」って独り言つわけだけど、つい最近、口から出たこの言葉に突然、違和感を覚えた。
「これってどういう意味だ?」と思ったわけで、少し考えた。

―――けしからんの「ん」は打消しだろうな。
―――じゃぁ「けしかる」ていう形容動詞があるのかな。

そこで「けしかる」を辞書で調べてみたが、そんなのない。
では、と、おもむろに「けしからん」と調べると「けしからぬ」が出てくる。そこから「けしからず」にジャンプした。(電子辞書です)
「怪しからず」という漢字がふられていて、「怪し(ケシ)」に打ち消しの「ず」がついたものと書いてある。その後に色々解釈が書いてあるけどどうも胡散。

だって「怪し」ってさ、「普通と違っていて異様」という意味でしょ。この辞書にもそう書いてある。つまり「マイナスの意味」である。

「けしからん」を「怪し」の否定と解釈すると「けしからん」はプラスの意味、若しくはマイナスの否定、になって、兎も角マイナスの意味では使われないことになる。よって矛盾。だから「けしからん」は「怪し」の否定ではないと私は考えるのである。

前置きが長くなった。こっからが自分の主張。つまり、迂闊に信じないでね。

結論:「けしからん」は「気色あり(ケシキアリ)」の否定形である。

「気色(ケシキ)」というのは古文で「情趣」という意味があって、
「気色あらず」って言うと「よくない!」て言う意味がストレートに分かるじゃない。

前置きと結論の分量の比があまりにもセンス悪いけど言いたいことはこれだけ。

意見があったら書いて。(「コメント」って所クリックすれば書けるので)
自分の論点の弱点を指摘してくれればもっと深く考察できるかもしれないから。

SPLENDID ISOLATION(続き)

2005-01-06 12:12:00 | Weblog
自分以外の他人ってのは自分とは全く違う経験を積んできている。
それまでに出合った人物も違うし、それまで過ごしてきた環境だって違う。
だから決して他人のことなんて理解できない。
それでisolation、って単語を使った。

でも
そういう風に他人のことは理解できないから
コミュニケーションが必要になる。
自分はそれは、とっても楽しくて刺激的なことだと思ってる。
だって違う人の違う考えとかに触れるんだから。
だからsplendidなの。

isolationしてなかったら、決してこのsplendidは生まれないの。

ま、そういう訳でこういう題名にしたんだと思う、当時。
たまたま歴史の教科書で見つけた単語だったんだけどね。

前回のじゃ、いまいち題名と内容の繋がりが見えてこないから補足してみた。

―――
そういうわけで多文化・多国籍の職場とかって憧れちゃうんだよね。
「小さな日本の中で埋もれないで国際的に云々、、、」みたいな発想じゃなくってさ。(だって日本結構大きいよ。)
全然違う環境で育った人と一緒に何かしてみたら楽しそう!っていう単純な発想。
同じ国の人でも違う人はいっぱいいて、それは十分楽しいんだけど
もっと違う人ってどんなんだろう。
そういう好奇心。
刺激を求める気持ち。

―――
不快体験も織り交ぜつつ書こうと思ったけど
それはなんか見場が良くないからやめた。
でもその分とりとめが無くなっちゃったな。

終わり。