第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

希望のマルチ

2010-09-29 17:04:00 | Weblog
今日の一言。


「希望のマルチ商法。」


マルチ商法、
の代わりに、
ネズミ講、
でも可。


家族をもって、子どもをもって、子供に、またはそのまた子孫に、希望をなんとなく見い出して、希望を未来に投影しつづける、という生き方を一言でまとめてみました。


一人の人生で社会における大成功を起こすなんて超まれだし、
家族笑顔で過ごし続けられさえすれば、それこそ大成功なのではないかな。


と思うのであります。


ということで


「希望のマルチ商法」


自分で創った思い付きな言葉だけど、
なかなか気にいっております。

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ありがとう。M君。一人でもコメントをつけてくれる人がいると僕はうれしい。一見胡散臭くみえる今日の「今日の一言」だけど、すごく夢があって、いい表現だと思うんだよな。最近の個人主義で、仕事こそすべて!みたいな時代にはあまり受けないと思うからどこからもリアクションがないと思っていたよ。本当にありがとう。今の時代ってのは、すこし昔にの家族第一主義とか国家第一主義が、その反動で、個人第一主義とか仕事第一主義に、振り子が振れるように、振れているだけで、所詮そんな価値観は a couple of decadesのうちに古臭いものになると思うんだ。ありがとう、M君。感謝しているよ。僕は自分にとってなにがvaluableなのか、そしてなにがright thing to do なのか、出来るだけ自分の頭で考えながら生きて生きたい。人間はその時代の思想の奴隷だと思うから、すこしでもその制約を乗り越えるために古典に当たってみるともいいと思うんだ。そんなことを考えている秋だよ。お互いがんばろう。内田


(友人のコメントに対応して)
「最早、今の自分にはそんな防御は必要ない。」この言葉には衝撃を受けたな。かっこいい。素直にそう思う。防御の必要が無いほど強くなったってことなんだろうなあ、って思うよ。僕も強くなりたい。その強くなった方法を教えて欲しい。強くて柔らく、よく しなるハガネのように生きていこう。ちなみに、自分の自由を奪う考え方を徹底的にたたくという考え方は、自分に生まれながら権利があって、それを守ることこそが大切、というリバタリアニズムという考え方の典型だとおもう。僕も今まで、自覚的には、その考え方に属していたな。いろいろな思想についていままで勉強してこなかったからすこし思想について勉強してみたいと思う。内田

最近惹かれている考え方

2010-09-28 18:01:34 | Weblog
本紹介

1.稲盛和夫の哲学
2.What is the right thing to do. まだ本は読んでないけど、授業を見た感じ期待大。

なにをすべきか。
って意識は大切。
社会をどうしたいか。
なにが理想か、について考えること。

仕事していると、
どうしたらうまくいくか、
っていうわりと短期的なところに意識がいきがち。

でも、長期的に、どうすべきか、って意識を持ち続けることは人生において大切だと思う。


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オバマ夫人がオバマを評して
「持つべきものがなすべきことがあるという意識をもっている」
って言っていたけど(すまん、今手元に原文/出典がない)、
そういう高い意識を持つべき人たちって層はいると思う。
自分は違うけど。

とにかく、そういう人達が意識すべきことを考える上で
上記の二点の本は参考になると思う。


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稲盛氏の本では、(自分が昔から考えていることなんだけど、まあ、それを自分の意見として書くよりも、なんかこんなかんじで有名な人の本を出したら説得力有るんじゃないかというあまりにも安易な考えで紹介しているだけなんだけど。つまり、自分の意見に自信が持てていないという無意識の発露なんだけど)

人生は人格を高めることにのみ価値が有る。

と書かれていた。

サンデル(の授業)では、
給料の多い少ないについて、
どういった基準で公正を考えるべきか、
についてレクチャーされていた。

個人的には、美徳を追究するという、アリストテレス、だったかな?
の考え方に惹かれた。
昔は、権利を追及するlibertarianistだったけどね。

サンデルも個人主義とか資本主義がいきすぎているんじゃないか、
という意識からこういう授業をしているらしい。
Right thing to do.について考えること。
秋の夜長にいかがでしょ?


まあ、どれか一つの考え方が正しいってわけじゃないけど、
若いうちは、一つの考え方に偏りがちなので、
違う考え方にも触れるという点で、
上記2点は良書だと思う。


パソコンから書いているけど、急いで書いているので構成がイマイチ。
でもいいや。

ではまた。

秋の寒さと服と洗剤。

2010-09-28 16:31:35 | Weblog
寒い。
寒いのはいやだ。

この前、パリから船便の箱が届いた。
冬用の服が詰まっていた。

最近寒かったから、
その箱から適当にあたたかい服を取り出して着た。

パリで使っていたコインランドリーの洗剤のにおいがした。


パリなんか二度と行くもんか、と思っていたけど

コインランドリー洗剤のにおいをかいだら

楽しかったこと、
より正確には
楽しかったことの総体が、なにか抽象的な形で
頭にどしんとやってきた。


うん。
たしかに、楽しいこともあった。
しみじみ。

遠い眼。

寒くて辛かったけど。


どんな環境でも、
気持ち次第で楽しいことは見つかる。

信頼 as the basis of competitions

2010-09-27 17:08:10 | Weblog
練って書かない悪い癖。練るまで書かないなんてもう言わない。書き散らすスタイルで日記復活であります。

サンデル先生の番組を見た。サンデル先生ってのは、最近流行っている人。知らないならべつにいいです。本筋には関係ないから。

リバタリアン、って言葉が番組で出てきた。

自分も、二年ぐらい前の若い時は、
自由競争っていいよね。
みたいなことを考えていたし、
当時の自分にこれから書くことを話しても
きっと反発されるだけで、
絶対同意されないと思うんだけど、
今の自分は当時の自分を、あー分かってねえな、って見返すことができるわけで、
その点、成長、というか少なくとも変化はしたと思う。(一文長っ。悪文の典型。)

競争でえられたお金だからもらって当然。
市場でやり取りされてるんだからその価格は当然。
どう使おうがとやかく言われたくないわ。

っていう語り口。

まあ、好きだよね。
自分も好きだったさ。
今でも好きさ。

でも。

競争の前提として、信頼があるはず。
市場の前提には、いんちきがないこと、あるはず。

そういうところを侵食するまで、
競争や市場原理主義が行き過ぎてしまうと、
本来競争や市場が持っていた美しい面が
汚されちゃう。
いや、ほんと競争とか市場原理って本来美しいと自分は信じてる。
切磋琢磨っていうぐらいで、玉をぴっかぴかに磨くんだからね。

でも、磨き過ぎるとなくなる。適度に。

若い時は、今も若いけど、競争とか"winner takes it all"みたいな(ABBAかよ!)そういう、格好いいものに惹かれがちだけど、
「競争が何のために有るのか」「なにを前提にして成り立っているのか=信頼だよね」

ってところまで考えないと窮屈になるし、
要はつまらないと思う。
つまんないのはいやだ。

この辺になってくると、どういう社会が望ましいかとかそういう好みの話になるんだけどね。

この前の日記で書いた言葉。
気取らずにすなおに書くならば、

Yes, competition is important, but trust in others is more important to form a society, the basis of THE competition. (Gyo,2010c)
(うまい韻を踏もうと思ったが挫折。んなら、日本語で書けって話ですね。)

二年で人は変わるもんだ。


自分でも変わる。二年前の自分に今書いたことは理解できないだろう。

だから、人の意見を聞く時は、その人がもしかすると、自分が将来辿り着くありがたい意見を言っているかもしれない可能性があるんだから、
なんだこの意見、と思わずに、なぜその人はそう思うのか、想像する余裕を持ち続けたい。


「想像力。」と「他信。」これがここ一年のテーマ。もしかすると人生のテーマになるかもな。

全力で泣くかっこよさ

2010-09-26 17:09:35 | Weblog
全力で泣くかっこよさ。

(別:全力で泣くあたたかさ。)




これは、仕事してる時に、

蜂に刺されて駆け込んで来た子(4歳ぐらいかなあ)の頭をなでてなだめた時に浮かんだ言葉。←まるでなだまらなかったけどな!

子供が全力で泣くときは頭がぽかぽかするんだなあ、って思った。
生のダイレクトさを感じた。

蜂はスズメバチだった。そりゃ痛いわな。

自信と他信

2010-09-23 17:10:41 | Weblog
Yes, self-confidence is important, but trust in others is of vital importance.(Gyo,2010a)

Yes, self-confidence is important to live, but trust in others is of vital importance to form a society. (Gyo,2010b)


上記の文章は、最近のテーマの総括。


liveをsurviveにしようか悩みましたが、より一般的な言葉なほうが、いろいろ解釈できて、古の教えみたいな感じがしていいかなあなんて思って、liveを使ってみました。

幸せについて 作成中

2010-09-23 16:59:38 | Weblog
自己実現とか、そのためには社会に出ないといけない、んで仕事で成功して幸せ、これこそが、幸せなんだ、みたいな考え方。


なんかうさんくさい気がする。


うさんくさっ!


ここ10~20年のブームに過ぎず、10~20年したら、古くさい考え方になってるだろうなあ。
という予想。

内田暁予想。


自分がどう生きるべきかの指針について、
気付かない内に周りに流されて、

常にmalcontents(いがれいのプリント参照)

そんな人にはなりたくない。

地に足をつけた身近な幸せからがんばっていこう。



馴れ合いの何が悪いのだろうか?
馴れ合い万歳。
てゆうか、万人が馴れ合いしてる気がする。
なんだか、書きながら納得してきた。
うむ。



たしかに、携帯からだと、うまく書けないな。

偶成 繊維工場にて

2010-09-15 17:12:20 | Weblog
本日は繊維工場(こうじょう、ではなく、こうばと読んでほしい)でのバイトでした。

作業着を着た労働者達が無表情で作業場に向かう姿
を見て、
耳をふさぎたくなるほどのけたたましいブザーが告げるたった10分の休憩時間の始まりと終わりの間だけ、
休憩室のそこここに散らばる小さなテーブルにやってきて、
数人ずつ紙パックの飲み物を飲みながら、
一台のテレビをそこここからぼんやりと眺める彼女達
を見て。

そうして自分はといえば
ひびの入った汚らしい壁にかかった「ご教訓カレンダー」なる名前の
ようするに、だじゃれカレンダー
を見つけて。

そのカレンダーが三日ごとに新しくなるので、
三日おきにピリッと破る当番みたいなのがいるんだろうなあ、
と、今年すでに過ぎ去ってしまった8ヶ月分の分厚い切れ端を見ながら
想像して、

そこにかかれた上品でもない冗談、
たまには下品な冗談も混ざっていたけど、
それでも、それをみて、
けらけら笑ったり、
そんなもんだよなあ、と自嘲気味に笑ったり、
身をつまされて苦笑いを浮かべたり、
不愉快な想いを隠すためにとりあえず笑ってみせたり
するそんな彼女達の姿
を想像して、

幸せって、笑いの中にあるんじゃなかろうか、
と思ったのである。

田舎の人は、と一括りにするのはよくないし、
自分が今日行ったところだって、そんなに典型的な田舎ではないけれど、
それでも田舎の人ってのは幸せを、
なんていうか、ふわっと受け止めている気がする。
ふわっと受け止めて、それを自分でも意識することなくふわっと他の人に分ける。

東京で15年教育を受けて、
東京っぽくなった自分を振り返ってみると、
東京の人って、ふわっとではなくて、
がっつり幸せを獲りに行こう、
獲りに行かなければ周りに獲られて自分は不幸にされてしまう。
という強迫観念をもって、
常に疑いの目を周りに向けながら
せかせか動いているように見えるのである。


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「おまけ」

テレビを見ていても東京中心の発言が多い。
「赤坂の~~みたいだよね!」などと発言しているやつがいたが、
それを分かる人がどれぐらいいるのか、
テレビを見ている人の中に、
「なんだこいつ」
と思っている人がいるんじゃないか、
ということを想像する力すらない、
有名人達、
彼らは時にコメンテーターという名前で、「教養人代表」みたいな顔をしている。

別に全てを知れといっているわけではない。
ただ、
想像力ないこと。
これは、
知識の多寡にかかわらず、
絶望的な症状だ。