第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

チャンスというか運というか、そういう話

2005-03-30 21:24:00 | Weblog
こういう話はよく聞く。
運の女神というのがいて、
前髪だけやたらロンゲで、後ろ髪は全く無くってつるつるのスキンヘッド。
そんなのが女神なのかどうか、という議論はおいといて。
その女神さんが近づいてくる時は、髪が長いからつかみやすい。
でもその女神をつかみ損ねて、そっぽを向かれて、自分から遠ざかっていく時は
いくらつかもうとしたって、つるつるだからつかめない。

ようは運は、ちゃんとつかもうね、運は逃しちゃうともう戻らないんだから、という、寓話。

さて、ここで関係あるか分からないけど、チャンスの話。
さっき考え付いた。ここからがメイン。

「今のはビッグチャンスだったですね~。勿体無い。」とかスポーツの試合を見ていると解説者が言ったりする。

しかし、ビッグチャンスって言うからには大きいわけで、つかまえにくいんじゃないかな?
「勿体無い。」なんていうほど簡単なものじゃないのよ。

昔ソフトボール投げなるものを体力測定でやったけど、自分はいつもボールが手よりも大きくてつかめなかった。ハンドボール・バスケットボールもしかり。片手でつかんでうまく操れている人は凄いと思ったものだった。

そういうイメージを頭において今、話をしている。

つまり、チャンスも大きすぎると、そりゃぁつかめたら凄く良いこと起こるだろうけど、つかむのはとても難儀なのじゃないかな?って思うのですよ。

なぜこんなことを思いついたかというと、
明日から自分が将来働きたいなぁ~みたいなところをたずねて、
お話をしに行く。

就職活動ではないけど、そう思ってもらってもこの文章を読む上で支障は無いから、そう思って。

その場で働くことは今の自分の能力からすると、不可能。

つまり超高望み。

なので、行ってお話しても寧ろ自分の悪い印象を植えつけてしまうだけなのではないか、など不安にもなっている。

でも行くことにした。

ペリクリーズ

2005-03-28 16:50:37 | 演劇
カレンダーを見てみると毎月一回は観劇に赴いていることに気付く。
別に「毎月一回は芸術に触れて心に潤いを!」なんて大袈裟なことを考えてるわけではなくて、観たい劇のチケットをとっていたら自然とそうなっていた。

どの劇を観に行くかを決める基準はひとつ。
蜷川幸雄さんが演出していること。
蜷川さんは、最近大忙しで、毎月一本ぐらいの勢いで、劇を作っている。
かれこれ、かなりの作品を観させて頂いた。

その中でも、一番最初に観たもの。これは凄かった。「ペリクリーズ」という作品。
シェイクスピア原作、時は紀元前300年ごろ、つまり大昔。場所はフェニキアとかシリアとか。要するに、地中海の東の方の、世界史で習ったあの辺。
この作品で衝撃を受けたわたくしはそれ以後、ずーっと蜷川さん演出の作品は欠かさず観るようにしているわけ。

舞台の上で生身の人間が劇をしているのだから、その素晴らしさをここで、文字の力で表現することは困難極まりないのだけれど、ほかに書くこともないので、挑戦してみようと思う。

話の内容は、まぁ、なんか悲劇的な目にあった主人公がいて、その後、長く辛い旅にでる。紆余曲折あって、結局ハッピーエンド。という内容。内容についてはここで述べる話の主題ではないからこのぐらいで省略。

衝撃を受けたのはその表現の仕方。

原作・場所ともに西洋でありながら、
役者の服装は武士を髣髴させる日本的な鎧を模したもの。
途中途中で登場する語り手(小説でいうとト書きの部分。市村正親様と白石加代子様がやってた)は琵琶を持っていて、ベンベンしながら不気味な語り口。
その語りの最中は、日本の伝統芸能である、文楽の人形のようなものが出てきたりして。
日本人にしかできない舞台で、それはそれは衝撃を与えてくれたのであった。

船のシーンに入る時は、舞台の上から、帆がバサッと降ってきたりと、
舞台の細かいところまで、気がきいていて、いちいち感動させられたものだった。
しかも全体にメリハリがピシッと利いていて、長い上演時間がすごくあっという間だったの。

その「ペリクリーズ」なる作品はその後、多くの賞を獲得し、海外でも非常に高い評価を得たそうです。こういう作品を通じて始めて演劇に触れることができて、本当によかった。

言いたいことは和洋折衷。
異質なものが接することで、さらに深みを持つ文化が生まれるのではないかと思う。

五人五色

2005-03-27 21:08:38 | Weblog
今回の要領次第合宿では五人の要領健児が集まった。
いつもよりも多くの刺激を受けたなぁ、と思う。いや、ほんとに。

みんなと楽器を吹いたりして、
要するに、無理やり皆を自分の趣味につき合わせてしまったんだけど、(ごめん!)
何人もの力をあわせたお蔭で、龍笛ってどうすれば一オクターブ高い音が吹けるの?とか、
篳篥(ひちりき)の音の調節法ってどうやるの?っていうことに詳しくなることができた。
ちなみに、1オクターブって振動数が2倍になるんだって。だからピアノとかの楽器の振動数って、高い音にしていくと、振動数が指数関数的に増えてるんだってさ。
し、知らなかった。ありがとう!たかはし!

さて一番興味深かったのは、みんなの専門の話。
当時はみな「理系」で、たいていの勉強の話は共通だったけど、今はもうみんな違う。
だから、ちょっと聞いただけではどういう内容の勉強しているのか分からないの。だからこそ面白いのだけど。

当時は何でも進路として選べる状況だった。でも裏を返せば、何者でもない自分だった。
それから、進んでいくにつれて、少しずつ選べる進路が狭まっていって、今に至るのだけど、
それは人間が言葉を習得していく過程に似てる。

赤ん坊の時は、どんな言語でも習得できる可能性を持っている。でも、何もしゃべれない。
成長によって少しずつ言葉をしゃべれるようになるのだけど、そのぶん他の言語を習得する可能性はなくなっていく。
今日本語を使っている。日本語が使えるから今こういうことが書けるけど、そのかわり、他の言語はなかなか習得できない。

ここまで書いて、話に収拾がつかなくなったことに気付く。題名との関連性も見えない。
よって終わり。やっぱテレビ見ながらじゃ、ダメだ。気分が向いたら書き直します。

PS.スコットランドヤード、はまねくんのファインプレーは眼からうろこの作戦でした。ありがとう~。

第8回要領合宿その弐

2005-03-25 23:50:53 | 要領合宿
ゲームの後、初めての試みとなる鍋に挑戦。もつ鍋とキムチ鍋を作ることにした。食材は「モツ、豚肉、手羽先、手羽元、にら、ねぎにら、白菜、ねぎ、シメジ、舞茸、春菊、ミズナ、ニンジン、たまねぎ、うどん、肉餃子、豆腐、油揚げ」である。初めてにしてはかなりの良い出来であり、非常に美味しかった。最初は食べきれるだろうか不安であったが、磯部、岸尾の両雄がいるのでほとんど平らげることが出来た

その後は岸尾は疲れたのかソファーで眠りこける。高橋と磯部は暁君指導の元で篳篥、竜笛を習う。両者の飲み込みはとても早く、高橋にいたっては「ふるさと」を篳篥で演奏出来るまでとなった。濱根は竜笛にトライしたものの音すら出せないので「ダンスダンスレボリューション」というゲームを練習し☆4つ位までのレベルは出来るようになった。要領合宿では必ず何かを学んで習得出来るので素晴らしい合宿である。

夜8時くらいに磯部・岸尾の2名、9時ごろに濱根、高橋の2名が帰宅する。今回も非常に楽しい合宿となった。

第8回要領合宿その壱

2005-03-25 23:35:13 | 要領合宿
2005年3月25日、10時に細田君以外のメンバーが春日部駅に集まり、数えて8回目となる要領合宿が開催された。3月下旬とはいえ寒い風が吹きすさぶ中、いつものようにバーベキューも良いが家で鍋というのはどうだろうか、という提案が出て満場一致で鍋案が採択された

ロビンソンで食材を買い込んだ後、暁君邸にて「スコットランドヤード」というゲームを行う。5人の探偵と1人の犯人に分かれてお互いの心を読みあうこのゲームは大いに盛り上がった。今回は岸尾が犯人となり残りのメンバーが彼を追跡した。岸尾は運悪く刑事のすぐ近くから出発するものの、刑事達の裏をかいた逃走により中盤までテクニカルに逃亡していく。しかし濱根が犯人を直接追うのではなく逃走経路を地道につぶすというファインプレーにでたのと、磯部、高橋が二人揃って犯人の裏を読んで行動したことが幸いし、犯人を逮捕することが出来たのだった。改めてこのゲームの面白さ、奥の深さを実感した。

その2に続く。

英語ずき

2005-03-18 10:58:08 | Weblog
英語がすき。

 なぜだろう?
 人間の思考の根幹を成す、言語というものに惹かれているから?外国語を学ぶということは、全く別の考え方を身に付ける、ということで、そこに魅力を感じているから?
 たぶん違う。

 初め好きになった時は、そんな、「思考の根幹」だとか「考え方」がどうこうなんて考えていなかったはず。
 たしか中学一年の時の英語の先生がすごく優しくて、授業も楽しくて、それで英語が好きになった、そんな単純な話だった。自分が二年生になる前、その先生が、「私は来年はあなた達の担当ではないですー」みたいなことを言ったときは、結構悲しかった。最後の授業で、bridge over troubled water を歌ってくれた。
 中二の時はクラスの担任の先生が英語の先生で、灰色頭髪のその先生は自分に大きな影響を与えた。六年に一度しかネクタイをしないというその先生の影響で、自分も出来るだけネクタイをしないようにしている。他にも色んな点で影響を受けているかもしない。自分では気付かないけど。
 教員室の端にあった、暗い部屋で、相談にのってくれたこともあった。中一の時の英語の先生とはカラーが全然違ったけど、それも素敵だった。
 こうして英語好きが醸成されていったのだけど、別に他の人にぬきんでて得意だったとかでは無くて、基本的に、できは悪かった。

 高校一年と二年の時には老紳士が英語の授業の担当だったんだけど、その先生の授業を熱心にマスターしたお蔭で、英語が少し得意になった。それまでは、下手の横好き、だっただけなんだけど。そこからいろんなことが変わった。

 学校の成績なんて大事なことじゃない、なんて中学・高校の時は思っていたけど、そんなことを思っていたってことは、無意識下では(subliminally)それなりに自分のできの悪さに引け目を感じてたんだろうなぁ、って今は思う。
 そういうしょうもない自分が変われたのはひとえに英語のお蔭で。

 英語のみならず、いろんな勉強に前向きに取り組めるようになったし、
 そうして、将来は英語を使う仕事に就きたいなんていう目標とかも作ったりして、頑張れるようにもなったし。

 高二・高三の頃勉強していたNHKの教材を今復習している。そうしたらなんか突然いろんなことが懐かしくなって、こんな拙文したためてみた。

 だから、どうしても将来は英語を使う仕事がしたいの。おわり。

凧と国旗

2005-03-12 15:01:33 | Weblog
小学生の時、凧を学校の授業で作ることと相成った。
今も昔も創造力の無い自分は、どこかからデザインを盗んでくることで、何とかその、多分図工かなんかの、時間を乗り切ろうとした。

選んだデザインはイラク国旗。これが格好いい、と言って自分で選んだ。
別に政治的なメッセージをこめようとか、そういう立派なことは全く考えていなかった。今から思えば周りの大人達は、少し変わった子だなぁ、と思って自分を眺めていたかもしれない。
その時はイラクが何か注目される時代だったのだと思う。小学生のいつごろの話か覚えていないけれど、多分、イラン・イラク戦争or湾岸戦争あたりが中東のほうで勃発していて、それで、ニュースでやたらとイラク国旗を眼にしていて、それで、これいいじゃんと軽い気持ちで選んだのだと思う。

イラク国旗に使う色のマジックを買ってきて、ペタペタ塗りつけた。横線3本のデザイン。上から順に、赤・白・黒。白の部分には緑の星が3つ。こうして完成。結構簡単だった。

今、2001年版の世界地図を見てみた。世界地図らしくはじめの方に、「世界の国旗」みたいなのがずらりと並んでいて、その中にイラク国旗も当然あって。でもその国旗、自分の記憶と少し違う。
星3つの間になにやらごちょごちょ書いてある。国旗の下の解説によると、アラビア文字で「神は偉大なり」と書いてあるんだって。

そんな文字を凧に書いた記憶無い。もし書いたとしたらアラビア文字なんて書けないから、すごく苦労しただろうし、苦労したら絶対記憶に残っているはず。それに、「知らない文字で書けないからから、書かないでいいや」なんて性格の子でもなかったし。
要は、そのときの国旗には、こんな字は存在しなったはず、ということが言いたい。

うろ覚えだけど、イラクの国旗のその字は、フセインさん関係で、字が付け加えられたり消されたりされてきたらしい。詳しいことはよく知らないからそれ以上は言わないけど。

それからその凧は飛ばなかった。自分の選んだ凧の材料(分厚いブラスチックのシート)が重すぎて、全く飛ばなかった。

――おまけ――
イラクは今大変なんだ、ということはニュースで沢山伝わってくる。けど、其処では子供が生まれたり結婚する人がいたり、そういう幸せもあるってこと。地獄絵図ばかりじゃないんだってこと。そういうことをこの前イラクの学生が日本に来て公演したらしい。行きたかったけど、行けなかったので、ちょっと残念。