第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

立ち上がれ 全埼玉県民よ

2011-06-30 16:40:12 | Weblog
<Saitama, the hottest spot of Japan>

Stand up! All brave Saitama citizens!
Win the hottest record of July!

...
...
...


以下のリンクの月別の歴代最高気温のデータを見てほしい。
気象庁 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rankall.php

画面上の月のボタンを押せば、
月ごとの歴代最高気温の順位が表示される。

なんと歴代最高気温を月別に見ていると、
5月・6月・8月・9月はすでに埼玉が獲得しているのだ。

あとは7月を奪えば、「日本で一番アツいのは埼玉。」と地位が確定する。
完全勝利を目指すのだ。

『明日からの一か月が勝負だよ!みんな!』

(なお、データは以下を参照した)気象庁 http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/rankall.php



<問題意識>
そもそも埼玉県民の県民意識というかidentity的なものってどんなものがあるんだろうか。
小学校の塾からずーと東京に通学してきた自分は、
「埼玉の特徴?んーーー東京に近い、かな。」ぐらいしかなくって。
埼玉にずっと住んでる人ですら、
「東京に近い」ぐらいしかないんじゃないだろうか。

郷土愛ってそんなのでいいのだろうか。
そんな問題意識をもって、
埼玉のidentityのためになにかを呼びかけたくなった。
そこでたまたま見つけた月別歴代最高気温。
5~9月という、春後半~秋の入り口まで
ほとんどの月で最高気温は埼玉が一位。(ありがとう、熊谷・秩父・鳩山。越谷も次は期待してるよ!)
あとは7月を山形から奪取すれば完全勝利。

これをきっかけに、
「東京に近いから便利」
程度の県民意識が一つにまとまって、
なんかおもしろいムーブメントが起きちゃったりして、
イベントがたくさん開催されたりして、
埼玉の魅力がアップしたらいいかなあなんて思っているのだ。

現時点で「暑いぞ!熊谷!」というスローガンが熊谷市が掲げていて、
なんか、こう、嫌気がさしていながらも、誰にも文句を言うことができず、
そんな中で、口からつい出てきてしまうような、
ちょっぴりひょうきんな感じの面白い標語に仕上がっている。
でもでも、なかなかおもしろいイベントとかにつながっていない。
標語として面白いんだから、
これをもっと埼玉レベルで流行らせて、
イベントもじゃんじゃんやってほしい。。。

んだけど、アイデアが浮かばない。
自分ができるのはたぶんこうやって、
データを提供するぐらい。
あと掛け声。

ハンドメイドの Oh!寿司ケーキ!

2011-06-29 21:30:07 | Weblog
一青窈の「どんでん返し」の歌詞に
「お寿司ケーキ」という言葉があった。
んなもん知らんなあ、と思って検索したら、
なかなか素敵な映像が出てきたので、
はてこれは吾輩も作らねばならぬ、と思って、
作ってみた。

全体的にこんな感じ。



横から見るとこんな感じ。一応、側面の上半分は大葉がくっついて、下半分は卵がくっついている。二色にして派手にしたかったんだが、はて、インパクトやいかに。ないとさびしいよなあ。



上に乗ってる生ハムで作ったハムのズーム。花のようにしたつもりなんだけど、やっぱりネットに出てるプロみたいなひとが作っているかの如くきれいに作れないね。修行課題。



取り分けるとこんな感じ。ケーキっぽいナイフを使った。 次回からはしゃもじを使おうと思いました。



あ、ちなみに、「お寿司ケーキ」は下記の一青窈ライブ動画の
1分45秒のところに出てきます。
http://youtu.be/hEAunE6K9i0

歌詞はこっち→http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND58286/index.html

甘いものが嫌いな意中の「彼」の誕生日のために
なにを作るか悩む女子が、結局
「海の近くで生まれたって彼、のママの得意料理 / 
そうだ!ハンドメイドのお寿司ケーキ」
という歌詞。


<反省とtips>
生ハムの花、見た目はまあまあだが、
味がまずかった。
次回はサーモンで花を作ってみたい。

酢飯は床に座り込んで器を持ち、
扇風機上から直撃させると比較的早く冷めるし、
うちわでばたばたやって疲れることもない。

周囲を二色にしたかったので、
卵と大葉をくっつけた。
型にはめる段階で、それらを挿入して、
米で圧力をかけることでくっつける、という理系的な(?)作戦をとったが、
形が出来上がってから後からくっつけるというやり方の方が楽そう。
でもそれだとくっつくかどうか微妙。
なにか簡単で且つ確実にくっつく方法はないかしら。
まあそもそも、周囲を二色にする、ということ自体必要なかったかな。
でも何も色がついていないとさびしいしなあ。

錦糸卵のためのクレープ状の卵シートを作った際に、
一番長い部分をがっつり切り抜いて、
周囲に張るためにつかった。
残った部分を錦糸にすればよい。

全体的なチラシはミツカンさんにお世話になりました。
フランス留学中に日本人女子と組んでジャパンナイトで外人にふるまった味。
ミツカン万歳。
そこの味付けまでを手作りにしたらすごいんだけど、
そこまではまだ手が回りませんです。

次回は宝石の如くイクラをちりばめたりしたい。
おいしいイクラは北海道に行かないとないんだけどね。
次回は、歌詞のような気持ちで作る。



お世話になったサイト。
ありがとうございました!
こういう「魅せる料理」ってのは普段しないので、
結構疲れました。
次回はもっとちゃっちゃと作れるようにしたい。

全体的な構想。
http://blogs.yahoo.co.jp/nonnonpx/48610296.html
具体的な作り方。
http://blogs.yahoo.co.jp/nonnonpx/29978199.html
ハムで花を作るやり方。
http://www.daiei.co.jp/food/dictionary/niku_ham_rose.html


ありがとうございました!

ねいちゃー&ねいちゃー

2011-06-28 22:28:44 | Weblog
たまたまぼやんと点けたテレビでレディガガが出ていた。
NHKのインタビューで。
ラッキーそのもの。

いろいろしゃべっていたけど、
印象に残ったものの一つについてまとめておく。
それは、natureという言葉の使い方。

原発の質問をされた後の答えで、
natureがどうのこうの、って話なんだけど、
...nature, not just environment, human nature...
みたいな話をしていた。

そのほか、いじめの話になった時も、
outsideを気にせずにinsideを見つめればいい、
という話をしていた。

environmentって
environ(「取り囲む」)という言葉のイメージだと思うんだけど、
ようするに、environmentって「周囲」というイメージなんだろうなあと。

そこで、
nature, well,,, not just environments, human NATURE

きたわけだ。

そう。
natureって、日本語で言うところの
自然、つまり自分の周りを取り囲んでいる森とか木とか鳥とかだけじゃなくって、
人間の心、自分の内面、
って意味もあるんだなあ、
natureにそういう意味を込められるんだろうなあ。
と。

この辺は、日本人の自分には決して思いつかないセンスだろうなあと。
ってことに気付いたnatureでした。

素直にストレートに自分の心を表現することが
natureな人間なんだなあ、と。
ガガを見ているとそんなことを思ったのです。
ガガラブ。
なんだか彼女から救いを得られるような気がする。

---

コズミックフロント見てたら、星が死ぬという話をしていた。
すべての元素は、星から生まれる。
我々は皆、星から生まれた。
という学者の言葉が印象的だった。
我々は、星の子である。

みんな自然に生きればいいのだ。





追記。
Lady gaga。内田の一押しは、The edge of gloryかな。
gloryってところも懐かしの名曲に似ていていいし(笑)歌詞もいい。
"I am on the edge of glory, and hanging on a moment of truth." (Lady Gaga)
生が一瞬の栄光であると読めて萌えた。
しかもその一瞬こそが真実であるという捉え方が好き。

Born this wayの
"I am on the right track. I was born to brave." (Lady Gaga) 自分は正しい。勇気をもって。と読めて元気が出た。
仕事辞めるのも、新しい道に突き進むのも、
「自分は正しい」と思うことが大切なんですね。
勇気をもらいましたありがとう。

ガガに恋しちゃったかも。I have just fallen in love with Gaga, my darling.

「マルサワさんと母と小学生と猫」

2011-06-28 15:39:01 | Weblog
どうも勉強の気分が乗らない。先週二週間働きすぎた。疲れると結構後を引くのが自分の欠点。疲れていないときの頭の回転たるや我ながら神がかっていると思うんだけどいかんせん疲れやすい。本当にできる人はこういうムラがなくてコンスタントに高クオリティを維持できるんだろうなあと思うと一生敵わない気がするけど、敵おうとも思わないからそんなことはどーでもいい。

さて、気分が乗らないなら思う存分キーボードをバチバチ叩いてストレス解消しようとでも思うのでありますヨ。そうして時間を無為に過ごすことで自責の念に駆られて午後あたりにはやる気が回復してくるはずであって、ただぼんやりと院試対策の本を開いて心ここに非ず的な状態にしている折は長期的に---ここでは長期的に、をたった一日のスパンを語るうえで使っているわけですから、まあいかに自分が刹那的に生きているかどうかってことがよく分かりますね---長期的な効用最大化が図れるんじゃないかった思っているのですヨ。

自分が体験した話ではないんだけれど、ずいぶん面白い話があったので紹介しておく。ようは若いってすごいなということがいいたいんだけれど。

猫の話。先日母がごみを捨てに行くとき、「行く」などと使ったが家の門をでて向かいの家の塀のふもとがごみ捨て場なので、行くというか、なんていうか、そんな大仰な動詞を使わないでいいのだけれどね。

ああ、話がそれた。そこで、朝だったので、小学生、括弧女子、が歩いてきたらしい。伝聞だから「らしい」と書いているがなんだかまどろっこしいので以下では伝聞を表す語尾は使わないかもしれない。その、きっと低学年であろう女子は、我が家の前を通り過ぎて、その先の小さな道の合流点でほかの小学生と集まって登校するのである。要するに登校班の待ち合わせ場所にむかって少女は歩いていたのである。

しかし、少女は猫をぶら下げていた。彼女は片腕で猫の首をひっかけており、というとまるで死刑執行しているみたいだが、どうも猫はそれでも大丈夫なようであり、だらー、とぶらさがっていたらしい。だらー、よりは、だるー、かもしれない。猫としてはきっと大迷惑なんだろうけど、そこはむやみやたらに抵抗しないところがガンジー張りの寛容の精神であってさすが猫、と思わざるを得ない。いや、僕は猫は嫌いですけど。さてさて、せめて両腕で抱いてやれよと思ってみたものの、いかんせん、自分は伝聞で聞いているのであり、少女に突っ込むことなどできることもなく。ただただ、ぶらさがる猫は微動だにせず、というか、首を基点にした振り子のように、慣性に身を任せてゆらゆらしているのでした。

母は「あら猫ちゃんを連れて行くの?」と声をかけた。そのとき、向かいの家のマルサワさんも外に出ており、猫はその二人の中年女性によって目撃されていた。

これに対する少女の受け答えたるやなかなかのものであって、「(猫は)見送ってくれるのぉっ!」ってなもんであったみたいでして。そうして母とマルサワさんは、「でも猫ちゃんは自分で帰れるの?」という心配を表しつつ、少女にもう一声かけてみたのだが、「うん。猫はちゃんと自分で帰れるの」ってなもんで。

マルサワさんと母は、「猫って犬と違って、家に戻れないんじゃないだろうか。」と思ったみたいであるが、まあ、それは他人様のことでありますし、そもそもこの界隈ではあるけれど、どの家の猫かもわかりませんし、まあしばしお手並み拝見といった具体で見ていたようで。

するってーと、まあこの辺の詳細な描写はあたくし内田ギョオが自分で見ているわけではございませんので、あまり細かくは書けませんですが、登校班の集合場所で、その少女は猫を放置し、そのまま少女はすたすたと登校していってしまいました。

そうして猫はといえば、少女が歩いてきた道をゆったりと、または駆け出すように帰る、となればそれこそ大団円で、我が家でもステーキにグラタンでも作って、デザートにはショートケーキぐらいつくって、しゃんしゃんとお祝いしてやってみたいところだったわけですが、なんだか近くのよく分からない茂み的なところに入り込んで、ただただ、みゃーみゃー鳴いていたのでした。その声を聴きながらマルサワさんとあたくしのお母様はそれぞれ家に戻って行ったのでした。

小学生ってすごい。発想がすごい。
おしまい。

隣のおじちゃんと一青窈

2011-06-28 15:36:48 | Weblog
アタクシ先日一青窈さんのライブに行ってきたわけでして。フランスに行くときにたった一枚の音楽CDを持っていくことにしまして、その際に一青窈様のCDを一枚だけ持って行って、向こうにいる間、小さなアパート(この小ささたるや、埼玉の田園地帯でゆったりした家に住んでいる自分としては、もうこの世を絶する狭さだったんですが、それはきっと私の実家と、フランスのアパート両方を訪ねたことがある、三人の友人、おっと、四人でした、にしかわからないでしょうから、ええーと、この括弧の中ではなにを書きたかったんだっけ。忘れたから続きに移る→)では、ずっとノートパソコンからはそのCDが流れ続けていたぐらいわたくし一青窈大好きであります。正確には聞きすぎて好きになったんですが。CDとか擦り切れるんじゃないかと思っているんですが、きっとレコードじゃないからそんなことにはならないんでしょう。つーか、iTunesとかに取り込めばCDなんて持っていかないでもよかったんじゃないかという疑惑は、はい、そこ突っ込まないの。PC信じていないから、ちゃんとハードでCDを持っていくことが重要だったんです。

フランス行く前は毎月演劇を見に行くぐらい演劇を見に行っていた私ですが、音楽のライブと言えば、カスカベにきた石川さゆりと、グッチ裕三、松健サンバ、ぐらいしか危機に行ったことがない、もとい聴きにいったことがない。だって、ライブとかって、ノったりしないといけないんじゃないか、そんなの恥ずかしがり屋でシャイなtypical Japaneseな私には無理よ、ってなもんで、ライブ、特に流行り歌を歌う歌手のライブなんていけなかったわけです。

が、まあ年齢を重ねて三十路まっしぐらな状態になってくると、んなもん関係あるか、周りがのっていても自分だけ座って聞いていればいいじゃないか、周りに合わせる必要なんてあるか、という気持ちが据わってくるわけで、好きなら見に行こう、うん決定、ってことで、ライブを見に行ったわけです。

前置きが多いけど、本題はおじさまのお話でして、そろそろその御主役に登場願いたい。カモォン! おじちゃんっ!!

はいやってきましたおじちゃん。やってきたというか、自分が会場に入った時にはすでに隣の席に鎮座していらっしゃったんですが、まあこれが作業着の上みたいのを着ていて、胸と腹の間ぐらいまで空いている作業着のジッパーのしたには、うすピンクのよれよれしたシャツ(シャツというと、自分みたいな非おしゃれ族には、TシャツとYシャツの区別すらないわけですが、世間一般では「シャツ」といういうと、Yシャツ的な形をしたものを指すらしく、ここではその慣習に従って正確におじさんはシャツを着ていたと、表現できるわけである)、でもってズボンも作業着、作業着っつーか事務所着って感じかな、と上着と同じ色のズボンを履いていたのである。

髪型は見事に刈り込まれている感じの短髪。かといって、角刈りってのではなくて、そう、清潔な、体育会系のサラリーマン、かっこ七三、みたいな髪型でした。ちょっぴり髪の毛が薄いかなあという、60ちょい前ぐらいの、そうして、顔だちは温和そのものやや垂れ目のおじさまだったわけです。娘が買ったチケットだけど、娘が急遽仕事で行けなくなってしまい、ちょっとおとおさんチケットがもったいないから行ってきて!と言われてしぶしぶ来ているようなそんなイメージを勝手に抱いたのでした。

一青窈のライブというと、てっきり若い人たちだらけと思っていたので、いきなりとなりにオジサンがいるから、面くらったんだけど、まあそんなのいちいち面喰っていては、当初「周りなんか気にするもんか」という意気込みで参戦してきた吾輩の大義に反するわけで、そこは気にしないそぶりをして、座り込んで、やおらオペラグラスなどを取り出してスタンバっていたのであります。←、ここの主語は内田ですよ。

さてさて、ライブが始まりますと、おじさんが気になって気になって、というかその気になり方も「なんやそわそわ動いたりして五月蝿いなあ」というなぜかいきなり関西弁になってしまうような気になり方ではございませんで、きわめて静かなおじさん、音楽に合わせて、指が一本、よーく気にしてみるとリズムをとっているじゃん、みたいにのっているのである。もうちょっと激しく動いていると、視界の隅っこでちらちら指の動きが気になって、うっとうしかったんだろうけれど、そんなこともなく。

しかもかわいいのは、曲が終わるたびに一生懸命拍手をするのである。もうかわいいったらありゃしない。大好きなんだね。一青窈さんが。ということに、途中で気づきました。決して、娘がチケットを買ってしぶしぶ云々、という事情で来たわけじゃないと知りました。はい。

そんなおじちゃんですが、いかんせん落ち着いているわけで、みなさまが手拍子を始めてもすぐには一緒に始めないし、始めたと思ったら、なんだかオリジナルなリズムを刻んでるし、なんだかそうとにかくマイペースなのよ。といっても周りに迷惑をかけるマイペースではなくて、心から静かに楽しんでいるといった様相。おじちゃんの前の席は背が高いというか座高が高い男性だったので、おじちゃんあんまり見えないだろうなあと勝手に気にかけていたんだけれど、あまりおじさんは上半身を左右に振って見ようとしたりもせず、するときもなんだかほかの人の視線を妨げないようにという無意識が働いているような動き方でこれまた好感が持てるのでした。

そうこうしているうちにとある曲では、立ち上がる人が出てきまして。まあ、ファンクラブみたいな上流階級の人たちなんでしょうけど、立ち上がってしまうと後ろの人が見えない。それにつられて立ち上がる人がぱらぱら出てくる。歌手が舞台上にいればまだ見えるんだけど、しまいには歌手が通路に下りてきたりするもんだから、より一層見えなくなって立ち上がる人が加速度的に増える(このさい「加速度」が何か知らないけど使ってしまいますワ)。しまいには吾輩もしびれを切らして、すっくと立ち上がったのですが、その瞬間!!ぜったい立ち上がらないと思っていた隣のおじちゃんが立ち上がったんです!これはもうライブ2時間30分の中での最大のハイライト(内田にとって)でして、びっくりするやら、なぜかうれしいやら、血沸き肉躍るな瞬間だったわけです!!が、おじちゃん通路に下りた歌手を一目見ると満足したのかすぐさま席に腰をもどしてしまいました。

でもね。でもね。おじちゃん、やっぱり大好きなんだよ。いいよね。いいよね。うん。それだけだよ。

閉演後はそのおじさんに声をかけて、鴻巣の次念序にラーメンでも行こうと思ったが、さすがにそれはできず。あたくし、シャイですから。


その後、あのおじさんは実は、娘さんがいたんだけど、それが亡くなってしまって、でもその娘さんと一青窈がなんとなく似ていてそれで暖かく見守り続けているんじゃないか、などとくだらない三文ストーリーなどを考えてみたんだけど、んなわけあるかあほ。ってことでおしまい。

狂歌三首 トーキョー批判をしてみる

2011-06-28 15:36:06 | Weblog
【狂歌1】「停電どう?(*_*) キャンドルライトも素敵よね。(^_^)b」メールの友は トーキョーの人

【狂歌2】「がんばろう、ニッポン!」声張るアイドルは CM明けに銀座でケーキ

【狂歌3】コンビニのジュースが冷えていなくってグチグチグチの トーキョーの人

短歌三首 絵葉書人生

2011-06-28 15:35:20 | Weblog
●心地よき絵葉書のような人生は5枚600円で さあ、くれてやる (内田暁作)

【解説】先日までやっていた仕事をきちんと続けて、二年ぐらい我慢をしてみれば、安定した生活と、なんとなく幸せな人生になっていたかもしれませんが、そこをばっさりと切り落としてしまったあたくし。その仮想的な人生を「美しい絵葉書のような人生」と表現して、安定して得られた推定年収きっといっぱい万円を、600円と引き換えに叩き売りしたという短歌なんですが、あまりコメントもつかなかったのであまり理解してもらえなかったようです。自己満足の句ですね。


●「生まれつき。」「治せません。」と言う医師に 「治しません」じゃないの?と思う

【解説】親類に障害者がいて、昔から障害について考えてきたこと、例えば、「医者って治らない病気は扱えないよな」「つーか扱わないよなあ」「別にそれは仕方ないけどね。。」 という自分の思いを凝縮させたので、良くできたと思います。


●MDを歪んだ指で入れられてよろこぶ娘 麻痺でもハタチ!

【解説】
歪んだ指でMD一つ入れられない我が子ですが、新しく買ったラジカセを自身のベッドに置いたところ、長い時間をかけて、あの硬直した歪んだ指で入れました。入れたら喜んでいました。小さな子供なら喜ぶけど、20歳になったら普通は喜びませんよね。でも、ハタチの彼女はうれしいんです。自分で何かができるということが。人に頼まずMDを入れて好きな曲を再生できたということが。麻痺していますが、知的な発達遅滞はありません。自分で自分のことをやる、それを幸せに思う、こんな些事でもそういう気持ちになれるんですね。「歪んだ」「麻痺」とネガティブな、人によっては怯んでしまうような言葉をできるだけ入れてみました。が、この一首の底を走っているものは、底抜けの明るさです。今後も社会進出など非常な困難が待っていると思います。私が死んだあとのむすめの行く末も心配です。いいことばかりではないでしょう。いいことは少ないでしょう。でも、明るさだけは失わずに生きていってもらいたいです。ハタチですし、自立させることにしました。がんばれ!


という気持ちの設定で詠みました。テレビのドキュメンタリーからinspireされました。自分も親類に障害者がいるけど、それは知的障害者の方で、知能は正常のまま身体の動きだけが圧倒的に制限されているケースは身近な例として知らないけれど、こんな感じの気持ちなのかなあ、と。

自己実現と苦悩

2011-06-28 15:34:56 | Weblog
自己実現について語るときには感情的にならない(し、むしろどっかのだれかの言葉をそのままリピート再生している程度のツルツル感で話している)のに、今抱えている悩みについて語るときは感情的になる。だったら、悩みの解決を最優先にすべきなのではないだろうか。感情に真実があるのであるとすると、幸せとか、人生の目的もそこ、正確には、そのあたり・その近辺、にあるはずだと思う。それとも、感情というのは醜いもので、自己実現とか、世間体とかそういう部分こそに、より高尚で素晴らしい世界が広がっているのだろうか。だとしたら私は口をつぐむだけである。内田。

けど、そんなことを働いている人に言うと(僕も働いていますよ。非正規だけどな。)、気違い扱いされるから僕は傾聴的な態度を持続するようにしている。

追記
逆に仕事とかで大成功して輝いている人たちって、仕事のことを感情的に、そう、訴える名調子で(よっ!日本一!って声をかけたくなってしまう勢いで)語ってくる。

全員がそう(仕事のことで無理矢理に感情的に)なる必要はなく、一人一人が自分の感情を注ぎ込める対象に素直にまっすぐに突っ込んでいけばいいのではないだろうか。

あ、ここでは、感情的ってのは、いい意味で使っています。経済学者のマーシャルの「cool heart warm head.」みたいな。あ、ごめん逆。ははは!

抜粋。

2011-06-28 15:34:38 | Weblog
さきほど長文を書いたがあまりにもカオスすぎたので、そこから一部分を取り出してきた。が、やはり、取り出す、という行為はその文章全体がもっていた勢いみたいなのを削いでしまうわけではなはだ不本意なんだけど、そのカオスな文章を公にするよりはよほどましな気がするので、抜粋しただけものをアップすることにする。
ええ明日も仕事です。今日だけ休みです。結構働いていますよ。あたくし。

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そうだな。カタカナ語を話す人がいる。まるでそれによって、おれできる、みたいなドヤ顔をしたりする。この前閉口したのは、「キャリアのベンチマークはなんですか?」と問われたこと。「えーっとべん ち まーく、ですか?」と聞きかえしたら、「いやマイルストーンですかね。」などとまたなんだか奇天烈な返事をしてくるもんだから、んなもんねーぜ、と心の中で思ったんだけど、まあ適当にそれっぽい、そういかにも国立大学を卒業したまじめっぽい感じの答えをしておいた。うん、成長したねおれ。

そもそも、マイルストーンでもベンチマークでもなんでもいいんだけど、人生のキャリアというかキャリアだけじゃなくて、プライベート込々のライフなんてものは、自分の思い通りになるわけでもなく、そこんところに思いが至らずに自分の行動や意識一つで人生が開けるなんていう前提を感じさせる会話が僕にはまったく合わない。あれを達成して、次にこれを獲得する、みたいなそういう考え方。そう、合わないだけで、別に否定はしないんだけど、やっぱり消費社会に慣れてしまっている人たち(の一部)は、自分が選べる、思う存分ある選択肢から自分が選び取っていく、勝ち取っていくことこそが自己実現というか人生なんだ、なんていうことを思っていたりする。

が、そんなことはなくて、大自然、とまではいかなくても小自然というか、要するに日常において、自分がコントロールできないことはそりゃあもうたくさんあるわけで、この前の地震なんてその典型だったりする。いきなり死ぬわけで、もうそれは悲しいったらありゃしない。兎に角大自然なんて怖いわけですよ。

二頭の鹿が立ち上がってボクシングを目の前で始めた瞬間、1メートルちょいぐらいのあらーかわいいーねーぐらいの餌をあげればほいほいついてくる生き物だと思っていた奴らが、立ちあがると、おお、そりゃあ3メントール以上の巨大な怪物になるわけで

---はい、みなさん想像してみましょう。3-4メートルの動物があなたの目の前にいます。はい目をつぶってください。あなたが首をすこし60度ぐらい傾けないと、動物の頭が見えないぐらいのそれほどに高い動物が、はい、ボクシングを始めました。カンガルーもびっくりなそのボクシングを見たあなたは恐怖を感じます。それが自然です。---

それを目の前にした友人は恐れおののいたし、距離をおいて見ていた自分も、ああ人間があんなに小さく見える、なんて思ったわけで、動物一匹ですら自然は怖いんだから、環境とか日常なんて、本来恐怖と不確実要因の連続なはずなんですね。

もちろん今を楽しみだけではそりゃあもうダメ人間になってしまうかも知れなくって、別にダメ人間でもいいんだけど、ある程度ロングタームでゴールについてコンシダーすることがクルーシャリーにインポータントなんだけれど、イングリッシュボキャブラリーがレラティブリーにソフィスティケイテッドなミーがカタカナラングエッジをエグザートし始めるとそれはもうケイオティックになるわけなんですが、そこはそれとして「すいません英語苦手なんで、、マイルストーンってなんですか、えへへ」とバカっぽい感じで切り返したりするわけである。あ、この段落は本来三つ前の段落に挿入すべきでしたね。

ああ書くのが疲れてきた。 終わり。ええ無責任ですよ。 知ってます。僕が責任を持っているのは、文章ではなくて僕の人生に対してだけです。あ、もし結婚したら相手の人生についても共同で責任を持って、いや、責任、という言葉はなんだか堅苦しくて夢がないから、そんなことは言わないでおく。

PS.富士フ○ルムの、写真を1.5GBまで保存してくれるストレージボックスは非常に便利である、そこから直接プリントできるし、家のパソコンのHDがいっぱいいっぱいのときはとっても助かる。非常によいサービスだと思う。あとは、縦横比一定のまま、トリミングして→プリント、というサービスも始めてくれたらよい。ということでその会社のお問い合わせコーナーにメールしてみよう。有料でもいいからやってほしい。

どうせ死ぬんだから全力をもう一度発動しよう。

2011-06-28 15:34:20 | Weblog
どうせ死ぬんだから全力をもう一度発動しよう。

もう一度狂人のごとく勉強しようと思う。

同窓会でスーパー頭のいい人達に再会して思ったけど、

普通にしていたら絶対に敵わないし、

夢も叶わない。

もう一度血を吐くまでまっすぐ突っ走ってみたら、

なんか新しいものが見えるはずだ。

人生を好きになって好きになりつくそうじゃないか。

片思いで結構。

あたしはこの世が大好きだ。

内田


とりあえずヒャダインのリンクも貼っておく。

http://youtu.be/osWXbe7MbGE