第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

歌舞伎座でのおばあちゃんと孫娘のことに関連して

2007-07-22 14:29:58 | 演劇
歌舞伎座での観客について
もう一つ思い出深いことといえば、


後ろに、そうですね、小学生4年生ぐらいの少女がおめかしして、如何にも人がよさそうなおばあちゃん(こちらもまた着物でしっかりした格好)と一緒に来ていたのですが、
この女の子、「ねぇまだ終わらないのぉ」とか「おもしろくないよぉ」とか「これで最後なの」とかふにふに苦情を無声音-つまり声帯を震わせない声-でしゃべってるわけです。
で、おばあちゃんは「ほらこの人とさっきの人は同じ人が演じているんだよ」とか、要するに今回の演目の勘所を熱心に教えているんですね。 こちらも声帯を震わせない声で。

まぁ、芝居中だから、そういう会話は気になるといえば気になる人もいるとは思うんですけど、
なんかほほえましかったですよ。

多分、おばあちゃんは、2006年の12夜を見ていたんだと思う。
でもって
「これなら孫娘のなになにちゃんも楽しめるに違いない、」
と思って、一緒に来たんだろう。
でも
そんなおばあちゃんの心遣いも、まったく気にしないなになにちゃんの様子とか、
そんな孫娘に対しても熱心に今回の芝居の楽しさを伝えようとするおばあちゃんとかみていると
なんとも言えず、それはそれで嬉しかったわけです。

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今日僕は夢を見た。
祖父が亡くなった時のことだ。

現実世界で祖父がなくなった当時は僕は中学3年生だったが、
今日の夢の中では、今ぐらいの年頃の設定だった。

僕は号泣していた。
ぐじゅぐじゅ鼻水が出て嗚咽を漏らしていた。

そうして心の中で誓っていた。
祖父の後を継いで小児科医になろうと。

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目が覚めた。
僕は医者にならない。
それは決めたつもりだった。
その路線は変えないだろう。

でも
もっと「医者になるとはどういうことなのか」を考えたほうがいいとは思った。

おじいちゃんがもっと元気で長生きしていてほしかったな。

十二夜-歌舞伎

2007-07-22 14:29:11 | 演劇
7月大歌舞伎 NINAGAWA十二夜

一昨日見てきました。

2006年歌舞伎座で行われたあの素晴らしい演目が再上演されたので、
当然見に行きました。
当然楽しかったです。

内容もさるものながら、
最も思い出深いのは観客が良かったことかな。

ここ数年間、道楽ニートと化している僕は
結構な頻度で芝居やら音楽会やらに行っているのですが、
芝居が楽しいものになるかどうかってのは
観客も結構重要なファクターなんです。

うわー今回の客ノリ悪くてつまんないな。
こんなんじゃ一緒にみていて肩凝るよ。
とか
今回は結構良かったな。
俺が面白いと思ったところでまわりも反応していたから、
居心地が良い。感動を共有できてる感じがする。
とか、
いろいろあるわけです。

今回は今までの観客の中でベストワンに入るといってよいでしょう。
うるさくもなく、しかし、要所要所でレスポンスがある。

今回でいうと、
例えば第一幕第一場。

サーーーと音を立てて舞台下手から上手に向けて幕が開いていく。
舞台の背景を占める巨大な鏡登場がその姿を現す。
その時
「おーー」という絶妙などよめきがわいた。観客席下手から順にじわじわとわいた。

これで思いましたね。
今回の観客、おれと同じ反応するわ。

別に、おれと同じだから良いとか悪いとかじゃないんですけど、
とにかく、居心地が良い。

他には、そうですね、
獅子丸が酒を飲むときに女役っぽい動きになってしまう、すごい微妙な動きの変化なんですけど、こういうところで笑いが起こったり、と、
一緒にみていて、感動を共有できてる実感を持てて
とてもよかったです。



関連日記を次に書く

旅行のこと

2007-07-16 14:07:37 | Weblog
旅行のこと。

僕は以前は計画通りに執り行われ、
自分の行きたいところに行くことのみを考えていたが、
今思い返すと、思い出に残っているのは、予期せぬ出来事ばかりである。

たとえば、台湾では、山の上のほうに行ったら、帰りのバスがなぜか一本も無く、
困った挙句、救いのバスに無銭乗車して下山したこと。
下山したら、台湾政治大学なる大学の、学生町に降り立ったが、
帰り方がやはり分からず、そこにいた可愛い学生にはまねくんと話しかけたこと。
などなどが思い起こされる。
個人行動で行った場所はあまり深い印象を脳裏に刻み込まなかったなぁと思える。

「人生とは旅行。旅行は人生の縮図」、などという、何か経験豊富で老成した人、みたいな発言をする気は無いし実際老成とは無縁な人間ですが、
人生も旅行も予期せぬ出来事こそ楽しいのであり、
それを友人たちとともに過ごす・乗り越えることが素晴らしい経験だと思うようになった。

そうしてそれこそが旅行の醍醐味なのだ思う。

3人で行った江ノ島旅行も、
ざくっとした予定でざくっと行ったけど、
かなり楽しかったし。

っつーことで一緒に旅行に行こう!行きたい!!

鄭和 インカ・マヤ

2007-07-16 12:45:18 | Weblog
他の雑感。
どれもテレビNHKを観て思ったことですが。

●鄭和のこと

明にさらわれて、挙句去勢されて宦官となったが、
永楽帝に謙譲されて以後
大航海に行くまでに出世する。
それは海の上では皇帝に次ぐ地位にあることになる。

人生分からんものだ。
人生とは予期せぬことが続く旅みたいなものだ。

書籍が残っていないらしく、評価されていないっぽいが、
バスコダガマやら、コロンブスよりも早いし、
そして、造船技術も高かったことから考えて、
もっとASIAは評価されて良いのである。
南宋時代から進んだ造船技術があったらしい。

そう言えば
3大発明(印刷、火薬、羅針盤)も中国だよな。(「紙」も含めて4大発明にする考えもあるらしい)

●インカ マヤのこと

インカやマヤは紀元前から比較的最近まで続いていた古代文明である。
前者は山岳地帯、後者は密林の中。
初期の文明は平地のみに誕生するっていう説も普遍的ではないようだ。
結構高度な文明だった。
インカは文字を持たなかったら記録が無いから、
詳しいことが分からない。一層神秘的。

今後研究が進んで、それらの中南米文明がかなり古代から存在したなんてことが分かったりしたら、
中国、メソポタミア、インダス、エジプトのみに古代文明が生まれたかのような印象を持たせる「4大

文明」という表現も消滅するのかな?

そうそう、「黄河文明」とは言わない。
長江流域にも文明があったらしく、黄河のみに文明があったという誤解を招きかねない「黄河文明」とい

う表記はなくなっているらしい。



●西洋の姿勢
ついでに批判しておく。
インカやマヤという貴重な文明をあっさり破壊した西洋人ってなんで批判されないんだ?
当時はその貴重さが分かっていなかったとしても、今から考えるとかなりひどいことやってるよな。
「賠償請求!」とか言い出す人がいないんですかね?

あと西洋は宗教対立をあおったり、民族対立をあおったり、
現代まで禍根を残すようなことやりすぎですよ。。。

てこというと、日本は日本で最近の戦争のことを批判されそう。
でも日本って海外を侵略したのは、
白村江の戦い、倭寇(これは非公式な賊だし)、秀吉の朝鮮出兵、ぐらいじゃない?あとは近現代の戦

争のみ。近現代の戦争は西洋もやってることだし。
結構良心的な国かも。。。