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第43代紫組要領次第

開成高校第43代紫組要領次第係のホームページ。

目標のこと

2013-01-17 22:15:36 | Weblog
「目標」というタイトルにしようとも思ったが、どうもドヤ感が否めなく気持ち悪いので、のこと、という言葉を付けてなんとなく柔らかくしてみることにした。それはさておき、閑話休題、これは何が正しい使いかたなのかさっぱりわからないけれど、とにもかくにも目標が無い。

目標をもってそれに向かってまっすぐ進むみたいなことはよく言われるし、意識が高い少年少女たちはそれを強く信じて厳しい世界に突き進むなどして遣り甲斐などを感じているようであるが、周りをみていると、厳しい世界に突き進んで一生懸命頑張らなくても、というか頑張らない方が楽はできるし、楽しくストレスフリーな生活ができるし、となんでも思いのまま(ってほどでもないけど)みたいな生活が送れるかもしれないのではないかと思うようになってきている。一文が長い。

少し考えてみると分かることな気もしてきたが、一生懸命勉強しようみたいな感じって意外とレアな生き方で、そういうことせずに生きてる人の方がめちゃんこ多いわけで、じゃあそれをそのままのペースで今後も続けていこうかどうしようかということはたまに考える。というかめんどくさい競争社会というのは本当にめんどくさく、めんどくさい割に得るものもなく、ええと眠い。

おやすみなさい。

どうも最近文章が下手になった。とは言え昔はうまかったというわけではないのだけれど、もう少し昔は読んでる人がすっと読めるような、内容は意味不明でも、とりあえず最後まで読み通すことができるようなものがかけていたはずなような気がする。そして最近物忘れが多い。人の名前、簡単な連立方程式の説き方、ちょっとした工夫や思い出しのとっかかりがつかめなくなってきている。知力体力気力、すべてがディクライン!

いつか見た空

2012-10-11 21:29:09 | Weblog
この前駅から家に帰るときに空がきれいだったので撮影したもの。
駅前の歯医者さんの受付の人とかも、

ほらほら空がすごい色だよ、

みたいな様子で医院から出て空を見上げていた、そんな夕焼けでした。

写真は別に今日撮ったものじゃありません。
適当にストックから思い付きで選んできただけです。

今日は体調が悪いです。
37.9度のお熱です。先週は一週間下痢で体重の1割弱減少しましたし、
今週は発熱にのどの痛み、
日に日に身体が弱っていきます。

まったく加齢とともに回復力というのが低下しているようで、うんざりします。
それなりに自己管理のコツを身につけないといけませんね。

もう少し年を取ると、
寝るのが遅いだけで体調を崩しそうなので、
夕方以降は家に留まるような生活になりそうです。


ではそれだけでした。空を見上げられる街に住み続けたいものです。
都心に毎日通ってはおりますが、都心だとこうは広い空を眺める機会はあまりありませんね。

GX1買ったよ

2012-10-10 22:04:28 | Weblog
GX1を購入した。
レンズはちょっと奮発して12-35㎜ F2.8。

夏の間は仕事が忙しくあまり写真を撮る時間もなかったのだが、仕事の行き帰りとか道を歩いているとき自転車に乗っているときちょっとした花を見かけたときは撮影することにした。
この写真はどこで撮影したか覚えていないがたぶん住んでいる町で駅への行きの途中で撮影したものだろう。

何の気なしに撮ったものだが、ここには私が常に感じているとても大切なメッセージが含まれているように感じる。
それは、

「光が当たっていない部分にも細かい表情がある」

ということだ。

この写真は下から撮影している。日差しは花の上側に燦燦と降り注いでいるが、裏面(なんて表現したらいいんだ?)には直接は降り注いでいない。しかし、それでも、表情があるし、きれいだし、この角度から見た自然とか景色というのは確かに存在している。

最近よく思うのは、子供の時から同じような境遇で育つ人が増えてきたということだ。
そういう人たちは、自分たちと違う社会があることを想像しにくい。
想像できないのに、力(お金、とも言える)を持っている人がいる。
不必要に値段が高い料理を食べながら甲高い声を上げてゲラゲラ笑っている人たちがいる。

そういうきらきらしたところで生きている人は、それが当たり前だと思っている。
いや、当たり前とは思っていないか。
自分が今そこにいるのは自分で努力してそこにたどり着いたと思っている。
でも実際はそういうのってラッキーだからそこにいるだけなんだよね。

しかし、世の中、世の中は広すぎて私はよく知らない、私の身の回り、と表現しよう、私の身の回り、特に仕事をしながら出会う人たちは必ずしもそういうきらきらした人たちばかりではない。
もちろん懸命に生きていて話しも合うし掛け替えのない人たちなのだが、
チャンスがはなっから与えられておらず、仕方なくその環境で生きている人たちというのがたくさんいるのだ。
病気もしかり、生まれつきの経済状況しかり。周囲の教育への投資意欲しかり。

今夜は風邪が酷い。
この辺で書くのを止めよう。

要するに何が言いたかったかというと、
花の表側だけじゃなく、
光の当たらない裏側にも細かい表情があって、
それを忘れてはいけないよ、
ということを私は力のある人たちに訴えたいのです。

私自身、そうした見えないものがあるということをなんとなく想像しながら、
少しでも世の中の役に立ちたいなんて思っているわけですが、
そういう気持ちを保ち続けるのもなかなか大変ですよね。

さて、もう少し今夜もがんばりますか。

(最近更新しなさすぎたので更新しました。実はそれだけのための更新です。ではでは。また。読んでくれてる人ありがとう。)

戦前のシルクの日傘

2012-02-29 22:08:15 | Weblog
(眠いから雑。できれば後で書き直したい。とりあえず生の感覚を残しておきたいから今日のうちに書く。)

今日は雪が降っていた。

祖母が死んだのは夏の暑い日だった。死んでからあっという間に季節が巡って冬。寒い毎日が続く。
母がひと月に一回、月命日(25日)のあたりに祖母の家に行きたいというのであるので、今日は僕の運転で行くことにした。

お線香をあげること以外にも今日は一つやることがあった。
それは、祖母が持っていたといわれている日傘を探すことであった。

というのも、母の従姉、すなわち祖母の兄のむすめ、やっぱり、母の従姉の方が分かりやすいか、母の従姉が、
「昔、おかぁちゃん(訳あってこれは祖母のこと)が、ヒロシさん(祖母の兄)からもらったっていう日傘を見せてくれたのよぉ。シルクの日傘なんだけど、まだ整理されずに残っているかしらねぇ。ヒロシさんの形見としてもらいたいわ。」

と言っていたのである。
ヒロシさんという人は、僕と同じ医師で、戦前に信濃町の医学校を卒業して、
戦地に赴き戦死した方である。
その奥さんが戦地に行く直前に妊娠したそうであるから、
母の従姉、とは一度も顔を合わせないまま亡くなってしまった。

義理人情に篤い僕の母であるから、
そりゃあ探さなくっちゃいかん、
今日は祖母の家の家探しをするぞ、
ってな具合で探しにやってきたのである。


そうして。見つかった。
シルクの日傘。レース柄の表面に、裏地にシルク。
色は、クリーム色とオレンジ色の中間みたいな、ちょっと色あせた感じの色。
傘の内側にはタグが付いていて、小さなタグには「伊」という字。
長めのタグには「Isetan」という文字が書かれていた。

伊勢丹の傘である。
すでに書いたようにヒロシさんが日本にいたのは戦前だけである。
すなわち、戦前の伊勢丹である。おそらく学生時代に信濃町の医学校から新宿に行って買ってきたんだろう。

埼玉北部の妹にちょっとおしゃれなものを買ってやろうという、
純粋な兄の優しさで買っていったのかもしれない。
それとも、東京のハイカラなものを買って行って自慢してやろう、とか
見栄みたいな気持ちで買っていったのかもしれない。

なんにせよ、ヒロシさんが祖母に持っていったシルクの傘である。

それを発掘し、今日はヒロシさんのむすめに渡すことができた。

知らない人から見たら、ただの古い傘である。
ほつれていて、傘を開くと布がちょっとずり落ちたりしてしまう古びた傘である。

でも、そこには妹を思う兄の気持ちが入っていた。いや、今も入っている。
祖母も死んだ。

今日の僕らの行動を見ながら、あの世で二人で何を話しているだろう。

ありがとうございます。
皆さんのおかげで僕は今日も生きています。

南天とヒヨドリとアタシ

2012-02-07 10:37:58 | Weblog
僕の家の南側には掃き出し窓がある。掃き出し窓、とは耳慣れない言葉である。いや、少なくとも僕は今日まで知らなかった。
足元まで窓があって、それを開ければ下につっかけが置いてあって、ようするに「そこから出入りできるような窓」である。今までそこここに文章を書くときに「窓」と書いていたのであるが、それではどうも雰囲気が出ないから、今日適切な単語を調べてみたら、「住宅建築専門用語辞典」なる大層なサイトに出くわして、そこでようやく「掃き出し窓」という正式メーショーを体得したというわけである。はい。

さて、折角だから、その定義はなんなのか、その住宅建築ほんにゃほんにゃという長いタイトルのサイトから引用させていただこう。曰く、コホン、「掃き出し窓とは、一般的には外部に人が出入りできる大型の窓で、窓の下枠は室内の床の高さと差がない窓。」だっそーだ。うーん、この表現は僕には思い浮かばなかった。さっき書いた、「そこから出入りできるような窓」が精いっぱいの説明である。しかし、そこから出入りできる、だけでは、泥棒さんにとっては「どの窓も出入りできますよん」ってなってしまうし、やはり、「窓の下枠は~~」という説明じゃないと不十分みたいですね、ふむ。「下枠」、、「かわく」って読むのか「したわく」って読むのかわからないけどね。

さて、タイトルと違う話になってしまった。今日はのんびりと家に居る。というかいつものんびりと家に居る。外出する気が湧かないほどここんとこ二か月は寒いから家に居る。寒さで常にこわばっているから筋肉痛で背中が痛い。座り仕事ではあるけれど、屋外の仕事が多いですのでね、いつも寒いんです。そのせいで全身筋肉痛なのですよ。そうして休みの日はこうやってぼんやりとヒーターのついたリビングと称する部屋の大きなテーブルでぼんやりとしているのである。ぼんやりついでに、掃き出し窓、(そうここで掃き出し窓を使いたかったのだ!)、から見える南天を眺めている。窓から1メートルぐらいの距離にあるので南天はよく見える。

毎年この季節になると、南天にヒヨドリがやってくる。やってくる、と言っても、そこに住むわけではなくて、ちょいちょいやってきて、南天の真っ赤な身をついばんで、立ち去る。それだけである。掃き出し窓からは家の中がよく見えるし、窓の中ではアタシやら両親やらたまに兄弟やらがのしのし動き回っている。家族全員それほど大きい体格ではないが、鳥からみたら巨大な動物であるから「のしのし」が適切な表現だろう。鳥は南天の細枝に止まっても枝が折れないのだから、そりゃあ鳥は小さくて軽い。窓の中で巨大な動物が動き回っていたら、そりゃあ怖いに違いない。なので、ヒヨドリはいつも、きょろきょろ見回しながら一粒か二粒程度食べるだけで、すぐ立ち去ってしまう。そのくせ、すぐ帰ってくる。それを繰り返す。お忙しいようで。

南天の真っ赤な実は、まさしくたわわに実っている。ふさふさだ。正直おいしそうで以前あたしも口にしたことがある。大層まずかった。全く大人になってそんな実験をするもんじゃないと思った。にもかかわらず鳥はやってくる。味覚がどうかしているか、よほど他に食べるものがないんだろう。寒いもんね。お疲れ様。

今はまだ半分以上実が残っているが、そうやって頻繁にやってきて食べている内に、一、二週間で無くなってしまうだろう。実がすべて無くなった南天の枝は、実をすべて食べ終えたブドウに似ている。なんとも間が抜けた感じになる。ブドウがテーブルに出てきたときはわぁい、と盛り上がるが、最後の方になると緑色の枝だけが無残に転がるような、あの見た目に似ている。南天がそんなさびしいいでたちになるそのころには、寒さの底を抜けた季節になる。ほんの少しだけ春の近づきを感じる。だから、南天の実がたくさんある今は、寒くて当然だ。

僕はただヒヨドリと南天のやり取りを眺めて、今年は寒いなあ、と思って、それ以上もそれ以下の感慨もなく、鳥のきょろきょろウォッチングをほんの少しおかしみをもって眺めて、そうして生きる意味について考える、、、訳がない。ではまた。実が無くなる前に南天の写真でも撮ってきます。掃き出し窓をがらりと開け、つっかけを履きながら。

気合いニューディール

2011-12-19 22:06:24 | Weblog
例えば、「言い訳Maybe」とか「大声ダイヤモンド」とか「涙サプライズ」とか、そういうタイトルの曲が流行るように、「日本語+カタカナ語」というのはなかなか勝手が良い。何をする上での勝手がいいのかよく分からないけれど兎に角勝手がいいのである。

そんな話を以前日記に書いた気がするし、そのうえで、友人の結婚式を踏まえて「結婚レイディエーション」とか、刻一刻と変わる夕焼けの色を「夕焼けグラデーション」とか書いて一人で悦に入っていた気がする。

さて、今回は「気合いニューディール」という言葉を思いついた。思いついたというか、ある人と話している内に自然と心に湧いた一つの決意、いや、決意というと格好良すぎる、自分で自分を頑張らせるために思いついた、苦悩の果てにやぶれかぶれに思いついたスローガンである。

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昨日、昨日と書くと忘れてしまう、ちゃんと2011年12月18日、と書いておこう、12月18日の仕事の合間に、看護婦さんと話していた。いつもの職場である。この看護婦さんは今の職場で唯一の20代で僕と歳が近いこととか、職場に入った時期がほぼ同じだったこととか、美人さんであることとか(笑)、まあそういうもろもろの理由で、親しくしていた。

親しくはしていたのだが、どうも彼氏ができてしまったようで、それ以降はあまり親しくはしていなかった。彼氏が厳しい人らしく、ほかの男と連絡を取ったりしていると、キレるらしいのだ。そのため、二人が付き合い始めてしまって以降、あまり男性と話さなくなった。当然僕とも話さなくなった。用事があって何度かメールしたことがあったのだが、その際は「そいつを殴りに職場まで行ってやるぜ!」などと同居している彼女にまじでいきり立ったことがあるらしく、それを彼女が必死でなだめるという、まあなんていうか、勢い満々の彼氏らしい。。。話がそれた。

さて、彼女は助産師である。助産師は女性しかなれないので、助産婦と書いたほうがイメージがつかみやすいかもしれない。

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大学院の研究テーマは何にするか決めているわけではないが、医師不足にどう取り組むべきか、といった研究をちょっとやってみたいと思っている。医師数を増やせばいい、とか、医師不足地域の手当を増すとか、医師が抜けていく診療科の報酬を増せばいい、みたいな、そういう、なんていうか、資源じゃぶじゃぶ使う系の政策じゃなくて、できれば誰もがハッピーになるような、すでにある資源を有効活用して、より効率的になるようなそんな手助けができればいいと考えている。

とはいえ、修士課程であるし、コアコースで高得点を取ることがその後のステップを切り開くために至上命題であるからにして、研究自体は「我が国の医療をどうすっぺか」みたいな大風呂敷なテーマにはしたくない。そういうのは中二に任せておけばよい。二年間でそこそこ面白くて、一通りまとまりそうで、うまくいったらどっかに売ることができそうなネタ、そんなことを考えたうえでの適度なバランスをとったテーマ設定がいいと思っている。

そこで僕が思いついたのは助産師の有効活用を測るにはどうしたらいいかという研究である。医療のちょびっとマージナルなネタを扱ってみるあたり、医者なのに医者メインでやっていない僕にぴったりではないか。。。また話がそれた。

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そう。書きたいのは、気合ニューディール。

勤務の合間の立ち話であるが、彼女のお産に対する決意のようなものがよく伝わってきた。


彼女はいわゆる勉強ができる優秀な人ではない。話していても表現が洗練されているわけではない。よく就活とかでドヤ顔しているような立派なエピソードを語れるわけでもない。単純な言葉で単純なことを語るだけである。ただ、強烈な決意と想いが、あらゆるこぎれいなエピソードよりも、強く伝わってきた。全身から出る、(そうだ、この気合はこの前友人の結婚式で友人から放射状に延びる銀色の光線が見えたのであるが、そのレイディエーション現象に似ているな)、気合いが大いに刺激になった。

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「刺激」などと言えば格好いいのであるが、僕は刺激を受けるほど純粋ではなかった。正直ショックだった。彼我の差を、つまり、僕がここ半年間でただただ、入試の勉強をしたり、職場と自宅の往復をして生活費を稼いでいるだけで疲れてしまい、あまり自分の想いだとかそういうものを振り返ることもなく自転車操業をして生きたことがなんだかあほらしく思えたのだ。僕はそんな余裕のない人間だったのか、と。確かに頑張ってはきたが、そもそも、その程度の頑張りで疲れるような人間だったのかと。いや、こんなこと書くとキモイ体育会系の人のようで嫌だな。ちょっとこの段落は、この辺で切り上げる。

帰宅の電車内ではなんだか、茫然自失して、ああ僕の人生はいつからこうなったのか、いつから気合が失われて、前に進むことを諦めたのか、いつから「まあそこそこでいっかー」みたいなめんどくくさがり屋になってしまったのか、そうしてなによりもショックだったのは、そういう自分を振り返った時に「ああ、残念だ」とも思うことなく、「まーしっかたないよねー」とか本気で思ってしまい、深く考えることをめんどくさがるようになっていた。そこに何とも言えない、不思議な虚しさを覚えたのである。そして、同時に、あと5年もすればこのような虚しさも覚えないようになるだろうな、と人生の終わりを宣告されたような心持になったのである。いろいろに飽きてしまったのかもしれない。

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それを踏まえた「気合いニューディール」である。最初に述べたように、これは決意でもなんでもない。敢えて言うならやぶれかぶれのスローガン。言い換えるなら、怠惰に流れていく自分を叱咤するための「言い訳」のようなものだ。




追伸。
最後に一つだけ付け加えて今夜の日記を締めることにする。
僕の学部の6年間は消耗するだけで得るものがない不毛な戦いという風にまとめることができるのだが、たった一つだけ、思い出に残っていることがある。それは出産に幾度か立ち会った時のことである。これは涙が流れる感動的なものであった。最近は加齢によって涙腺が緩んだし、それなりに経験が増えたことによる共感力の増大から、感動もので涙を流すことが増えた。しかし、当時の僕は感動で涙を流すほど豊かな心を持っていなかった。にもかかわらず、分娩のシーンは動物としての自分のハートをぐいとわしづかみにして感動を呼び起こしたのである。あの不毛で辛い6年間で、美しい記憶として残っているのは分娩だけである。

彼女のような気合いの入った分娩サービス供給者をサポートするような、
分娩を需要する若い人が、医師不足だとかそういうことを気にせずに生みたい時に生みたい場所で埋めるような、
そういうことに近づく何かを修論では書いてみたい。

が、はて、このテーマでうまくいくだろうか。その辺は、研究手法とともに、ちゃんと検討したい。想いだけで突き進んで道が開けるほど、修士→海外留学、の審査の壁は低くないはずだ。

カボチャババロア レシピ

2011-11-10 17:33:38 | Weblog
カボチャババロア三回目です。

疲れた。
カボチャくりぬきと裏ごしが鬼業務。。。

疲れたとはいえ、
二週間で三回も集中して作ることで
分量や作り方の詳細が確定した。

それでよかったとする。

来年のハロウィンまで、
もう作りません。
しんどいです。

内田 (27歳、医師、婚活中w)


カボチャ 240グラム
生クリーム 200ml
砂糖 100グラム
ゼラチン 13(+気持ち)グラム(こういう数字になったのは、なんていうか、計算の都合ですw)
水 65ml
卵 3個弱(これも、なんていうか、計算の都合です。大きめの卵一個+小さめの卵を二つでもいい。というかそうします。)
牛乳 265ml

今回使ったカボチャは、重さ1.85キロ。

カボチャの大きさによって、
いろいろ変わります。

下準備。(本作業をするときに、カボチャのケースが冷えていないと困るので、1~3.は早めにやっておく。。)

1.カボチャを電子レンジであっためる。
うちのレンジの場合、カボチャの頭を下にしてあっためた方がいい。(下にしたところの方が柔らかくなるっぽい。)
今回の大きさだと、頭を下にして7分。逆にして一分。600wで。

2.ふたを切り落とす。
ほじくる。
硬ければ、頭を下にして、1分ぐらい電子レンジで。

3.ほじくったものは、あとで使うから捨てちゃダメ。
種は捨ててください。

4.ゼラチンは水に溶いておく。

本作業。(基本的にLiving Cookingのレシピのまま)

1.裏ごしする。硬かったらさらにチンして柔らかくする。二回裏ごす。(めんどかったら、カットのカボチャを買ってきてガンガンにチンして、柔らかい部分だけぜいたくに使う。硬い部分と延々と苦闘するのは時間と体力の無駄。)

2.卵黄と砂糖をすり混ぜて、牛乳を加える。塩も少々。

3.2.火にかける。熱くなったら、ゼラチン投入。ゼラチン解けたらカボチャ投入。冷やす。

4.かぼちゃが溶けないだろうから、金網に通す。

5.冷えたら、生クリーム投入。
生クリームは、冷やしている間に、6-7分立てしておく。

6.かぼちゃに入れて冷やす冷やす。美しくね。

できあがり。




カボチャ本体の大きさやカボチャのやる気によって、
電子レンジの時間がガラッと変わります。
あまり柔らかくしすぎると、
底が抜けたりして、
それはそれは悲劇です。

人間の眼はなぜ黒い。

2011-09-21 22:10:57 | Weblog
眼をよく観察すると黒いです。
外人の眼は青いよ!って思うかもしれないけど、
それは虹彩の部分です。
眼を白目と黒めに分けるとするならば、
黒めはさらに二つにわからていて、
ドーナツ状の虹彩と、その真ん中のブラックホール的な瞳孔、に分かれます。
要するに黒眼のその真ん中の部分、これが黒いってことが言いたいのです。
これは全世界共通で真っ黒です。


で、なぜ黒いかと言えば、
それは光が返ってこないからです。
一般的に、人がモノの形やら色やらが分かるのは、
そのモノに光が当たって、
反射されるからです。
その反射を見て、あーあれは四角い、これは青い、などとわかるわけですね。

しかし、眼の中はそうはいきません。
だって、光を反射させてしまったら、
光を受け取れないから。
見るためには、そこで光をしっかりと受け取る必要があるのですね。
だから、眼の黒目のそのまた真ん中の瞳孔からは光が返っていきません。
そりゃあ、ものすごい光を与えれば返ってきますよ(フラッシュ撮影時の赤目とかそれだよね。あとは、眼底鏡の検査とか。)

というわけで、眼の黒目は光を逃がさない、
ブラックホールみたいな存在なんです。
すごいですね。

ということで、今日はF値のお話です。


先日カメラを買うことにしまして、
ちょっといい物を買おうなんて思ったわけです。
そうしてお店に行ってみると、
いわゆるマイクロ一眼(ミラーレス一眼)が流行っているみたいでして、
結構お安いものもあったりするわけです。
レンズと本体セットで、5万円ぐらいとかあるので、
へえそりゃあどんな代物なのだい?
と興味をひかれたのです。

一方、デジカメと言えば、やっぱりコンパクトデジカメですよね。
これもまた、ピンからキリまで、
1万円程度のものから、5万円弱の製品まであるので、
ふーむ、いったい何が違うんだろう、
と、ま、こっちもお金を使うわけですから、
いろいろ違いを知りたくなるわけですね。

そこで学んだ一つのスペックが、
「F値」

これ、レンズの明るさ、を表しているらしく、
値が小さいほど、レンズが明るいらしいです。
そして、値が小さいほど、値段が高くなります。
つまり、値が小さいほど高性能(?とにかく、作るのが大変)らしいです。

さて、一体全体これはなんじゃらほい、と思うのですが、
どうも、さっきお話した、
眼のお話に似ているみたいでして。

F値というのは、やってきた光を、
どれだけ失うことなく、記録センサーまでもっていけるか、
を説明する値らしいです。
値が小さいほど、もとの光を、奥の記録センサーまでもっていけるので、
少ない光でも、写真をとることができます。

カメラのレンズってのは、まあレンズですから、
大体の光は内部に通すのですが、
そりゃあ100%通過させるってことができないらしく、
一部は反射してしまうみたいです。
しかもカメラの中って6枚とか8枚とかたくさんのレンズが入っているみたいで、
そのせいで、光がどんどん反射して、
失われてしまうらしいのです。

その損失が少ないカメラほど、
かなり暗い環境でもきれいな写真が取れたりするらしいです。
(今発売しているコンパクトデジカメだとF値が1.8というのが最小で、案の定、屋内の撮影に最適!夜景撮影にはこれ!飲み会でもくっきり写真が撮れる!という売り方をしています。)


僕が買ってきたのはF2.0なので
けっこう、損失が少ないらしいです。
たしかに、家の中で撮影しても、
以前のカメラに比べて、くっきりぶれずにうつるし、
シャッタースピードも速くなっているので、
とっても、シャープな映像になります。(コンパクトカメラだから全自動です。僕は何もしていません。)

ということで、F値の説明終わり。
最近では、光学10倍ズーム、とか、広角28㎜とか、
その程度の機能なら、2万円弱の安いカメラでも備わっているので
今後デジカメで差をつけるとすると、

Fの値、ダイナミックレンジの幅、記録センサーの感度、

この辺が今後のカメラ選びの見どころになってくると思います。
コンパクトカメラに関しては、だいぶスペックを読み込めるようになりましので、
カメラ購入で悩んでいる方はぜひ内田まで~。


<おまけ>
カメラをレンズの側から覗き込んで見てください。
レンズの向こうは真っ黒ですよね。
カメラのレンズをのぞいている
あなたの姿はあまり映らないはずです。
なぜなら、それがものすごくはっきり映っているようだったら、
光が、レンズに弾き返されている、ということを意味するので、
記録センサーに写らなくなってしまいます。(まあ、少しは映るけどね。普通の窓ガラスよりは映らないはず。)
(極端な話、レンズが鏡だったら、
鏡の向こうの記録用紙に、映像を焼けないわけ。)

SEIKOの電子辞書にお願いしたいこと。

2011-08-02 14:01:43 | Weblog
ずっと使っているSEIKOの電子辞書。
SR-M5000。
小型で、とっても便利。

2003年ぐらいに発表されたモデルなのです。
英語学習者として、いつまでたっても絶対に必要なOALDが入っていて、
しかも英和大辞典も入っている。
暇なときはコンサイスのシソーラスで、ほんの少しだけ楽しめる(ほんの少しだけ。やっぱりコンサイスバージョンでは学習効果がないと思う)。

その三個しか使わないけど、便利。

何気に、すごいんじゃないかと思っているのは、
その頑丈さ。


(あ、めっちゃほめてるけど、これは、この後に、
要望を書きたいから(!!)、とりあえず持ち上げまくっているだけです。
別に、宣伝しているわけじゃありません。)


頑丈さの話を続ける。
学校の行きかえりとかに自転車のかごの中でがたがた揺られてもびくともしない。
日本クオリティなのか、SEIKOクオリティなのか、
他と比べていないからわからないけど、
田舎の自転車生活の自分には、何をしても壊れないこの強さは本当にありがたい。



さて、こっからが要望。
というかわがまま。


新しい電子辞書がほしい。
絶対条件は、本体サイズが小さいこと。

保守的な僕は今のサイズのまんまがいい。
変化は嫌い。
サイズついでにいろいろ書くと、
180度まで開くこの関節可動域の大きさも不可欠。
現行の商品だと、7001とかその辺の形ね。

ポケットに入る。
ようはこれが、絶対条件。

SEIKOの大きいバージョンの辞書も持ってるけど、
大きいと、まず持ち歩かけない。→使わない→もったいない。→Mottainai!


さらにさらに、
新しく買う上で、
欲しい機能がありますです。

どれも使ったことないけど、以下の機能がほしいと思っていますです。

1.実際の例文が引ける、センテンスディクショナリー。ノソネイティブとしては、こういう具体例を便利にひける辞書は学習効果が高いと思う。
これが入っているSEIKOのG10001にとってもひかれている。
ただしG10001は本体サイズが大きいから買わない。
2.また単語の微妙な違いが分かる(だろう)類語辞典の本格バージョンもほしい。
今持ってるコンサイスバージョンの類語辞典は、あまり使い勝手が良くない。コンサイスすぎる。
もうちょっと説明がほしい。
だから、本格的な類語辞典がほしい。その点、やはりG10001に入っている、類語辞典に惹かれている。
でも、本体のサイズが大きいから買わないけど。あ、しつこい?
3.一方所詮、日本育ちの英語学習者なので、OALDが入っていないときつい。
これもぜひ入れてほしい。G10001はこれが入っていないんだよね。
まあ入っていてもサイズが(ry
4.使ったことないけど、コロケーショソってのにも興味がある。ノソネイティブだから、言葉のつながりのイメージが全然わかない。そういうのも一度は勉強してみたい。

ということで、SEIKOさん。

●以上4つの辞書を、
●サイズの小さい電子辞書(G7001と同じサイズ)

に入れてください。

広辞苑とか、英和大辞典とかも入れてくれたもう最高です。
なんで最近の辞書はいっつも大辞泉なんですか?

って見てないよなあ。。。

ではでは。

ずっと作業していたら


おなか減った。


お昼ご飯食べなきゃ。

ゴブキリ ラプソディー 2

2011-07-30 11:50:06 | Weblog
先ほどの日記に続きまして、
ゴキブリ撲滅戦線黎明期のお話。

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三男「こちらサンナン。こちらサンナン。ソーフ、応答せよ。ソーフ応答せよ。」

祖父「こちらソーフ。なにがあった?」

三男「サンナン、納戸にてゴキブリを発見。すでに死んでいる模様。」

祖父「了解。すでに我が家に潜伏していたことは憂慮すべき事態である。戦闘機を配備する。コンバットを発動させよ。サンナンも至急馳せ参じよ。」

三男「了解。第一空挺師団、コンバット戦隊を発動させる。」

祖父「ブラックボディーの戦艦トラディッショナルコンバット。灰色ボディの小型コンバット。新型コンバットの三部隊を展開せよ。」

三男「了解した。至急配備する。二階の、チョーナンの部屋、ジナンの部屋、及び、死骸が発見された納戸を中心に配備するのでよいか。」

祖父「よい。検討を祈る。」

三男「ラジャー」


2025年、大人になったその少年は、チョーキン株式会社にて、画期的な兵器を開発することに成功した。一躍時代の寵児となったが、ゴキブリが数を急激に減らす中で、自然保護運動団体からは、自然破壊の象徴的人物として糾弾されるようになる。

そして、前回の2052年のニュースにつながるのだ。