国道135号線の 一段上になる「旧道」を行くと
「ふくや旅館」があります。
↓その向かいの道を上がると 石橋山古戦場 に出るそうな。
↓東海道線のトンネルだ。
↓トンネルの上から海側を眺めたところ。
↓この辺は蜜柑畑が多い。
(この風景、ちょっとJ・R・R・トールキンが描いた「ホビット村」の絵に似ています♪)
↓今はみかんの花が咲いていて バイクに乗っていても
みかんの香りの風の中を走ってるようでした。
↓あら、分かれ道__
えっと 左に行くと「文三堂(ぶんぞうどう)」、
まっすぐ行くと「佐奈田霊社」ですって。
↓で、この一帯が 頼朝挙兵の地
「石橋山古戦場」なんですね?
ここで大庭氏率いる3000騎の軍と_ 頼朝側は頼みの三浦氏の到着が遅れ・・・ わずか300人で戦い 大敗してしまったのかー。
まずは「文三堂」の方を訪ねてみましょう。
↓途中にあった長い石段。
これを上がると佐奈田霊社の「与一塚」だそう。
↓その先の案内板によると
ここが頼朝から 大場兄弟を討て と命じられた佐奈田与一が討ち死にした場所で
与一が敵と 上になり下になりしたところから「ねじり畑」と呼ばれている、んだとか。
↓少し離れたところに 文三堂へ上がる石段がありました。
↓これが文三堂。
文三家安 は与一の家臣で、合戦の折 与一と一緒に命を落としています。
(お堂の中には 墓石らしきものと 文三家安を描いた絵 が見えました)
↓石段脇には何体もの石仏がありましたが
どれも素朴であたたかみがあり 和まされました。
この後はいよいよ(?)
佐奈田霊社を訪ねます。
(*「文三」はブンゾウ 或いは ブンザ と読むようです。勝手にブンサンかと思っていたので「へ~」でした。ブンサンじゃ東大みたいですね^^;)
「ふくや旅館」があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/ce/0437061bd72595d15a2a92f0991f4a4e.jpg)
↓その向かいの道を上がると 石橋山古戦場 に出るそうな。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/93/fbd597b88f78efa7dab5e1512619abcd.jpg)
↓東海道線のトンネルだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/a0/1b3c832dc4828f2929abb463c6f5406c.jpg)
↓トンネルの上から海側を眺めたところ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/66/1978f7f12a623faead0fb97e0184ff42.jpg)
↓この辺は蜜柑畑が多い。
(この風景、ちょっとJ・R・R・トールキンが描いた「ホビット村」の絵に似ています♪)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/a7/9eba729b2ce9aefa33906d3f9dd708e4.jpg)
↓今はみかんの花が咲いていて バイクに乗っていても
みかんの香りの風の中を走ってるようでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/f1/dc42f1975b3b2af2359cf9abeb24ce1f.jpg)
↓あら、分かれ道__
えっと 左に行くと「文三堂(ぶんぞうどう)」、
まっすぐ行くと「佐奈田霊社」ですって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/72/cad245c1e90e3bdc6a3489c4670f74bb.jpg)
↓で、この一帯が 頼朝挙兵の地
「石橋山古戦場」なんですね?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/5b/882cec68b63dafa0a396fa6f48ae23ac.jpg)
ここで大庭氏率いる3000騎の軍と_ 頼朝側は頼みの三浦氏の到着が遅れ・・・ わずか300人で戦い 大敗してしまったのかー。
まずは「文三堂」の方を訪ねてみましょう。
↓途中にあった長い石段。
これを上がると佐奈田霊社の「与一塚」だそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/df/fd6c7ba7e9fc79a2493ebab7d5b21caf.jpg)
↓その先の案内板によると
ここが頼朝から 大場兄弟を討て と命じられた佐奈田与一が討ち死にした場所で
与一が敵と 上になり下になりしたところから「ねじり畑」と呼ばれている、んだとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/cb/85da47d0131d39d1c9e70df39ca733c0.jpg)
↓少し離れたところに 文三堂へ上がる石段がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/1c/98ece06b6ba74f5e07272af1c0de168b.jpg)
↓これが文三堂。
文三家安 は与一の家臣で、合戦の折 与一と一緒に命を落としています。
(お堂の中には 墓石らしきものと 文三家安を描いた絵 が見えました)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/ea/3e1174038b8041b245e5f37ebfda5c49.jpg)
↓石段脇には何体もの石仏がありましたが
どれも素朴であたたかみがあり 和まされました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/72/e734d9811e7cde1bcb5d0bcb83ae1e27.jpg)
この後はいよいよ(?)
佐奈田霊社を訪ねます。
(*「文三」はブンゾウ 或いは ブンザ と読むようです。勝手にブンサンかと思っていたので「へ~」でした。ブンサンじゃ東大みたいですね^^;)