曖昧模糊
このところ「忖度」も一段落。
支持率が更に落ちるかと思いきや、ここでも忖度が働いているのかも。
米中韓朝のカヤの外に置かれた日本・・・忖度の行き場がないか。
9億の国有地が1億で売られた。
そこに政治家や役人が関わったことが記された文書が改ざんされた。
誰の指示でそういうことになったのか、今のところ不明。
調べる側も「忖度」の網をかいくぐらないといけないのでタイヘン。
しかも、仕事というのは、阿吽の呼吸で進めるのが日本の文化。
政治家ともなれば、腹と腹で会話できるというから、人間ワザではない。
現役の頃を思い出すと、仕事の1つ1つを指図された記憶、指図した記憶は殆ど無い。
やるべきことはわかっているよな・・・で、たいがいの仕事は進んでゆく。
もともと命令や指示が曖昧・・・だから、忖度が働いてしまうところがあるのだろう。
忖度は、意外と日本の歴史や文化のキーワードなのかも。
する側、される側・・・どちらも同じ空気の中にいるわけだ。
空気を読む、読まない、というのも忖度の別の形かもしれない。
ともかく証人喚問も曖昧模糊としたものだった。
もっと論戦を期待したいのだけれど、確固とした論理に欠ける文化では無理か。
とはいえ、曖昧さが嵩じると、世の中ますます住みづらくなるだけ。