(この物語はフィクションであり、実在の個人・団体・地域・時代とは一切関係なく、現実の制度・法律・科学的事象とは異なります。)
【ここまでのあらすじ】未知のウイルスとその感染症の研究施設が事故で全焼し、唯一の生存者カルマ・クラモチ博士がウイルスとワクチンを他国に売ろうとした容疑で起訴されるが精神鑑定の結果から無罪に。ウイルスの抗体を獲得していた博士は身柄を拘束されるが自害。博士と二人の娘は世間から非難される。父の所為で全ての友人を失ったと嘆く妹のエシラに対し姉のセリアはあくまでも父個人の問題であり無実であろうがなかろうが事実は変わらないと冷めた言葉を返した。
(3) 憂国のテロリスト
(カタカタカタカタ…カチャッ…)
パソコンのキーボードを叩く音がする。ディスプレイに表示されている真っ黒な画面にはおどろおどろしい真っ赤な文字が並ぶ。
コンピューターウイルスに感染してしまったのか、知らぬ間にハッキングされているのか、見覚えのないサイトが表示されている。
『讃えよ、マイ・ロード。憂国の若人よ来たれ。理想の国家を築くべく選ばれし者たちよ、ここに集え。』
カルト集団への勧誘かとも思えるようなサイトだ。
何らかの手段によって突然強制的に接続されてしまうようだが、手口が巧妙なのかなかなか尻尾が掴めない。
血文字のようなその文面には現在の国家政府に対する批判の言葉が連なり、選ばれし優秀な若者たちによって政府を打倒し「ロード」と呼ばれる指導者の元で理想の国家を築こうという主旨が言葉巧みに述べられている。
その文章を綴ったのはきっと恐ろしく頭のいい人間なのであろう。或いは極めて人心掌握術に長けた者なのか、それを読んだいわゆるエリートの若者たちはあたかもマインドコントロールされているかのようにロードに心酔し学校や職場を捨てて集結し始めた。
彼ら若きエリートたちは口々に言っていた。
「愚民どもを一掃して選ばれし者のみによる理想の国家を築く。
革命のためには多少の犠牲はやむを得ない。」
そんなある日全TV局の放送が突然中断され、真っ黒な画面に真っ赤な文字が浮かんだ。
機械を通して変えられた無機質な声が語り掛けてくる。
「我が名はロード。来たるべき新世界の礎となる者。
この愚かで滑稽で狂った世界を滅し、選ばれし優秀な者のみによる理想の国家が築かれる日は近い。
これは故障でも悪戯でもない。腐った政府国家への宣戦布告のメッセージだ。
自らの保身のために民を欺く政府など信用に値しない。
愚かなる権力の亡者どもの卑劣な嘘の数々にはもううんざりだ。
政府が最高機密としてひた隠しにして来たCDウイルスとその治療薬は今我々の手中にある。
更に我々は既にある町を占拠しその住民を捕虜とした。
彼ら住民はこの国が理想の国家に生まれかわるための尊い人柱となって貰う。
例え9割の民が犠牲となって来たるべき新世界のために生命(いのち)を落とすことになったとしても、1割の選ばれし者が理想の国家を築くことが出来れば革命は成功と言える。
諸君。騙されてはいけない。君たちは操られている。
政府の与えたまやかしの情報を鵜呑みにし続けて来たために真実を見抜く目を失ってしまっているのだ。
メディアを通じて目にするもの耳にするもの全てが嘘で塗り固められている。
それは己の地位や権力にしか興味のない愚かで強欲な輩が自らの都合の良いようにこの国を動かそうとしているからだ。
真実を歪め、罪なき人を陥れ、人命は大切だなどと口では綺麗事ばかりを並べ立てながらその実一般の人民の生命など虫けらほどにも思ってはいない。
それは君たちが政府国家を疑って来なかった所為でもある。
自分の頭でものを考えるのを止め、投げ与えられる餌に満足する家畜の如く、垂れ流される操作された作り物の情報に一喜一憂してきた。
この国はそんな愚民の集合体のままであって良いのか。
否。
我々憂国の志を持つ選ばれし者たちが今一度この国を生まれ変わらせる。
愚民どもよ、その腐った眼球で我々の断罪をしかと見届けるが良い。」
そのメッセージはインターネット上の動画サイトでも配信された。すぐに当局が手を回して削除してもすぐに又別のルートから再び現れる。ロードの元には凄腕のハッカーがついているらしく、まさにいたちごっこだった。
そのメッセージが悪戯ではない証拠に、その時既にロードの言葉通りある小さな田舎が占拠されていた。
遥か昔の修行僧のようなローブを着て深いフードをかぶった者たちが集団で現れて全住民を捕虜にしようとしたのである。
そこは深い森と切り立った断崖絶壁の山々に囲まれ外部との交通手段が一本の道路しかない陸の孤島のような静かな田舎町。
その町は山裾の斜面に雛壇上に小さな民家が肩を寄せ合うようにしてひしめき合っていて、細い急な坂道や石段を上らねばならなかった。
背後の山側から町に侵入するのは容易ではなく、唯一の出入り口である道路さえ封鎖してしまえば瞬く間に町は孤立してしまう。
町を取り囲む深い森は、不慣れな者が入り込んで迷ったら二度と戻って来れない危険な場所だった。
それでもその町は高台から国全体を見渡せるその絶景、特に夜景の美しさ故にかつては貴族の別荘地として栄え、今は廃れて打ち捨てられた豪奢な洋館がたくさん残されている。
夜の闇に紛れて怪しげな集団が町に忍び込むと、首領・ロードの企て通り一夜にして全住民がCDウイルスに感染した。
夜明け前、まだ殆どの住民が目覚めぬうちにその集団は住民を襲い、大多数の住民が捕虜にされた。
「フ―テッド・ピープル」とメディアが名付けたその怪しげな集団は空き家となっていたいくつかの洋館に集結してそれぞれが捕虜たちを監禁し見張っていた。
町で一番大きい洋館には首領のロードが居るはずだが、ごく一部の幹部クラス以上の者以外は直接ロードに会ったことすらなかった。
指令はいつも彼らの端末に直接送られてくるので直接会う必要がなかったのである。
フ―テッド・ピープルの構成員の大半は二十歳前後から三十代のいわゆる若きエリートであるが、幹部の中には国内でもトップクラスの科学者も居るらしかった。
政府の特務機関は、クラモチ博士の研究資料を元にして開発した抗CDウイルス剤はtime-bomb病から感染者の生命を救うだけではなくその肉体や能力を強化するが感染者がモンスター化してしまうと知り、故意に兵士にCDウイルスを感染させた上で抗ウイルス剤を投与して超人的な戦闘員とする目的で研究を重ねていたが、当初のワクチン同様人の心・理性を失わせる副作用だけは完全に克服することが出来なかった。
それでもその対策としてリミッターと呼ばれるチョーカー状の装置で頸椎神経に直接アクセスしてシグナルを送ることにより脳波をコントロールしてある程度制御することは出来るようになっていた。
ロードとフ―テッド・ピープル幹部はハッキングにより収集した政府の極秘データからそのことを知っていたし、ウイルスと治療薬だけでなくリミッターまでも手に入れ、それらを複製して量産することさえも可能になっていた。
彼らは捕虜の中から身体能力の優れた者を選び出しモンスター化して捕虜の威嚇や外敵からの警護をさせようとした。
捕虜たちの中には、テロリストには決して協力するものか、などと最初は拒んでいても、モザイク状の痣が徐々に消えて行くに従い死の恐怖に取り憑かれて途端に命乞いをする者も居た。
「助けてくれ!お願いだ!死にたくない!」
そう懇願する捕虜は首領と幹部の居る館に集められた。
屋敷で一番大きな部屋に通されると、擦り硝子の嵌め込まれた衝立の向こう側の薄暗がりの中から機械を通して変えられた声が問いかける。
「…生きたいか?
このままだと貴様はもうすぐ確実に死ぬだろう。
しかし我々は貴様が望めば生命を救うことが出来る。
但しその代償として貴様には我々の下僕(しもべ)となって働いてもらう。
…選ばせてやろう。
今の自分として、人間(ひと)として死を待つか、それとも…異形の姿となってまでも生き延びたいか?」
「薬があるんだろう?
それがあれば死なないで済むんだろう?
頼む。何でもする。何でも言うことを聞くから助けてくれ。
…生きたい。
お願いだ。薬をくれ!」
命乞いをした捕虜はたいていそう答えた。
「…わかった。
それが着様の答えなのだな。
いいだろう。
薬をやれ。」
ロードが命じると幹部の一人が彼を別室へ連れて行った。
「副作用をコントロールするもの」と説明されてリミッターを装着させられた捕虜は抗CDウイルス剤を投与されると徐々に体が人に非ざる姿へと変化して行った。
そして完全にモンスター化が終了した時には、人間だった頃の記憶も思考も感情も封じ込まれ、ドーベルマンのように凶暴でありながらもフ―テッド・ピープルの忠実な犬となってしまうのである。
いや、寧ろ命じられれば親でも殺す生ける殺人兵器とでも言うべきか。
他の捕虜たちはまさかその首輪の付いた怪物が自分達と同じ捕虜だった者の変わり果てた姿だなどとは知る由もなく、まして自分の家族や友人知人、恋人だったかもしれないだなどと想像できるはずもなかった。
しかし、その町の全住民が捕虜になった訳ではなかった。
フ―テッド・ピープルの襲撃を受けたあの朝、難を逃れた者も僅かながら存在した。
一旦は逃げても追手に捕らえられたり、或いは抵抗して殺されたりする者も多い中、生き延びて町を出ることに成功した者も居たのだ。
彼ら幼少時から森を遊び場にして成長した若者たちが当時の記憶を頼りに森に逃げ込み、かつて秘密基地と呼んでいた人目につかない場所に潜んで、捕虜となったそれぞれの大切な人の無事を信じ、その人を探して取り戻すためにフ―テッド・ピープルと戦うことを固く誓っていた。
(つづく)