きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

A bunch of fives 五人は仲間 ーカテーナ・ヒストリア外伝ー第3部

2024-01-08 22:32:57 | 小説
(第2部からのつづき)
§召喚魔法詠唱―霊獣顕現―§
 「大旋風(エアロ)!」「大竜巻(トルネド)!」
巨大な岩石が宙に浮き、ぐるぐると回転しては落下する。玄武(げんぶ)の国は白虎(びゃっこ)の魔術師(マギア)軍団の風魔法により甚大な被害に見舞われていた。
「大地震(クエイコ)!」
白虎の魔術師たちに向けて玄武の魔術師たちが反撃のため、地魔法で地面をうねらせて揺さぶるも、
「大浮遊(フロート)!」
白虎の魔術師たちは空中高く浮遊する魔法を使って攻撃を躱す。
「全体浮遊(ザフロータ)!」
更に、白虎の魔術師たち全員が空中に浮遊し、地魔法の攻撃は全て避けられてしまう。地魔法しか攻撃手段を持たない玄武の魔術師たちはまさにお手上げ状態となり、白虎の魔術師たちの攻撃に対して反撃する術を失い、せめて民と国土の被害を少しでも軽減するために、防御に専念するしかなかった。
 ついに玄武の国の最高指揮官である将軍から呼び出され、、ミハイルに命令が下される。
「召喚師(ヴェシュベラ)ミハイル、時は来た。極悪非道の風の民(ヴィントロイテ)に罰を下す時が。地の精霊の化身、霊獣(スピリティア)・玄武を召喚せよ。」
ミハイルは躊躇した。自分の生命(いのち)が惜しいのではない。ミハイルが霊獣・玄武を召喚すれば、間違いなく霊獣・白虎が召喚され、霊獣同士の戦闘となるだろう。カシムとは戦いたくない。だが、そんな迷いを断ち切るように将軍は言った。
「どうした、ミハイル。召喚師となったからには、もう後には退けんぞ。覚悟を見せろ。」
はっと我に返り、ミハイルは覚悟を決めた。心の中で
(すまん、カシム。許せよ。)
と詫びながら、召喚魔法の詠唱を始めた。
「大地の主(あるじ)、霊峰タイタンの守護者、霊獣・玄武よ、来たれ。我が身に地の精霊の御加護のあらんことを。」
大地からゆらゆらと立ち昇る碧翠(あおみどり)色の光の粒子がミハイルの身体(からだ)に吸い込まれて行き、その身体は巨大化して蛇を巻き付けた黒い亀の如き姿、霊獣・玄武へと変態して行った。ミハイルの姿ばかりではなく、その魂も徐々に玄武の魂へと塗り替えられて行き、ミハイルの意識は魂の奥底へと深く深く沈められて行った。玄武はずしんずしんと地響きを立てて歩み、その巨体に巻き付いた蛇が鎌首を持ち上げると、空中に浮遊していた白虎の魔術師たちに向かって伸びて行き、二股に分かれた長い舌を伸ばして魔術師の身体に巻き付けては、次々と地面に叩き落とし始めた。
 玄武が召喚されると、白虎の指揮官はカシムを呼び、召喚魔法の発動を迫った。
「カシム、召喚だ。今すぐ白虎を召喚しろ。敵が玄武を召喚し、友軍に被害が出ている。」
(ミハイル、ついに召喚しちまったのか…。)
心の中でそう呟きながら、カシムはがっくりと頭(こうべ)を垂れた。
「わかりました。」
跪いていたカシムは立ち上がり、召喚魔法の詠唱を始めた。
「砂漠の主、白く鋭き牙、霊獣・白虎よ、来たれ。我が身に風の精霊の御加護のあらんことを。」
砂を巻き上げ、竜巻のように舞う砂嵐の間隙を縫うように碧翠色の光の粒子が集まり、カシムの身体に吸い込まれて行くと、その身体は巨大化して白き虎の如き獣の霊獣・白虎へと変態して行った。白虎の姿が顕現すると、同時に白虎の魂がカシムの魂を凌駕して、カシムの意識は深く深く魂の奥底へと沈み、大地を揺るがすような咆哮を轟かせ、二本の長い牙と鋭い爪、射るような二つの瞳を持つ白虎が、触手のような二本の長い尾を鞭のようにしならせながら、背中に生えた二枚の大きな翼で飛び立った。その遥か前方にずしんずしんと歩む玄武の姿を捉えると、白虎は玄武の眼前へと舞い降り、二体の霊獣はついに相まみえたのであった。

 玄武・白虎の二国の開戦とほぼ同時に勃発した青龍(せいりゅう)対朱雀(すざく)の闘いは双方の魔術師軍団の属性魔法を中心とした攻防で、一進一退の膠着状態に陥りつつあった。
「大火炎(ファイオ)!」
と朱雀の魔術師が火魔法を放つと、
「大水流(ウォート)!」
と青龍の魔術師が水魔法で炎を消し、押し寄せる波は炎柱を並べた障壁でせき止められた。業を煮やした両国がそれぞれの召喚師に霊獣召喚を命ずるには殆ど時間を要しなかった。

 朱雀の国立魔術指導院の院長がメリッサを呼んで命じた。
「さあ、時は満ちました。メリッサ、今こそ霊獣・朱雀を召喚すべき時です。あなたはこの時のために生まれ、選ばれて、今まで勝ち抜いて来て、ついに頂点に立ったのですよ。」
刹那、メリッサの脳内にサクヤの面影が過った。朱雀を召喚して戦う相手は、他ならぬサクヤに違いないのだ。しかし、メリッサにとって「召喚師でない自分には何の価値もない」という切迫した思いは、サクヤの面影を振り払い、かき消してでも貫き通さねばならないものだった。
「勿論ですわ、院長先生。私は召喚師メリッサ。私が選ばれたことが正しい選択であったと、必ずや勝って証明して御覧に入れます。」
そう言うと、メリッサは一度深呼吸してから詠唱を始めた。
「湿原の主、燃え盛る紅の翼、霊獣・朱雀よ、来たれ。我が身に火の精霊の御加護のあらんことを。」
うねりながら宙を舞う碧翠色の髪帯(リボン)のような光の粒子の集合体がメリッサの身体に吸い込まれて行くと、その身体は巨大化して全身が炎に包まれた赤い鳥の如き姿、霊獣・朱雀へと変態して行った。それと同時に朱雀の魂がメリッサの魂を駆逐するように、メリッサの意識は深く深く魂の奥底へと沈められて行った。朱雀は巨大な一対の翼で羽ばたき青龍軍の魔術師たちの方へと飛び去って行った。

 青龍政府の最高指導者の命により、政務執行官からサクヤに呼び出しがかかった。
「召喚師サクヤ。これより霊獣・青龍を召喚し、朱雀軍の魔術師たちと霊獣・朱雀を殲滅してください。これは長官よりの命令です。」
サクヤははっとして固まった。霊獣・朱雀とはメリッサのことだ。命令が下りた以上は従うよりないのだが、折角得られた仲間たちと、彼らとの間に芽生えた友愛の情を失わねばならないのか、と思うとやりきれない思いがした。
(何故あたしはいつだって手にしたものをすぐに失わねばならないのだろう。喜びも、幸せも、何もかもが手にした途端に指の間から零れ落ちて行く。あたしには何も残らない。今までだって数え切れないくらいたくさんのものを諦めて来た。望んだものを失うのは悲しいから、望まないようにした。どうせあたしは何も得られはしないのだから。「もしかして今度こそ」なんて期待する度裏切られた。もう何も望まないし、何も要らない。そう思っていたのに、光の民の国で出会ったミハイル、カシム、メリッサ、リヒトが仲間になって初めて、あたしにも友達が出来た。なのに、その友達の一人のメリッサと殺し合うことになるなんて…。やっぱりあたしには何も得られないし、何も残らないんだ…。)
しかし、サクヤにとって、どんなに残酷であっても、それ以外に選択肢はなかった。サクヤは召喚師になるべくして生まれ、そのために生きて来たのだし、召喚師として死ぬ覚悟はとうの昔に出来ている。今更他のものにはなれないし、他の生き方も出来はしないのだ。
「承りました。これより召喚師サクヤ、霊獣・青龍を召喚いたします。」
サクヤはそう言うと、召喚魔法の詠唱を始めた。
「海神(わだつみ)の主、蒼きの鱗の龍、霊獣・青龍よ、来たれ。我が身に水の精霊の御加護のあらんことを。」
海中より鋭い槍が突き出したように、碧翠色の光の粒子が渦巻きながらサクヤの身体に突き刺さり、吸収されて行くと、その身体は巨大化して青き翼を持つ龍の如き霊獣・青龍へと変態して行った。青龍が顕現するに従って、青龍の魂がサクヤの魂を上書きするように、サクヤの意識は深く深く魂の奥底へと沈められて行った。青龍は翼を広げ、朱雀の魔術師たちの方へ向かって飛び去った。

 麒麟の国ではリヒトが大公の前へ呼ばれていた。
「リヒト。国内外の情勢は把握しておろう。ついに周囲四ヶ国の霊獣が顕現したようだ。白虎と玄武、朱雀と青龍がまもなく直接対決すると思われる。どちらが勝つにせよ、敗れるにせよ、我が国だけが被害を免れることは有り得まい。実際に国境付近では周囲の国々から敵が侵入し始めているという。召喚師として霊獣・麒麟を召喚し、この国を守ってくれ。」
「仰せのままに。」
リヒトは跪いて深々と一礼した後退室し、召喚魔法の詠唱を始めた。仲間達への想いが溢れそうになるのを堪え、心を閉ざし、何も考えないようにした。
この国を、この世界を救うためにこの身を捧げると誓ったのなら、果たすべき自らの役割に殉ぜねばならない。きっと仲間たちも同じ気持ちだろう。国を、民を、世界を救うには、戦いを終わらせなければならない。そのために存在するのが霊獣であり、霊獣の依り代たる召喚師の役割だ。自分にそう言い聞かせるしかなかった。
「平原の主、雷(いかづち)呼びて黄金に輝く角、霊獣・麒麟よ、来たれ。我が身に雷の精霊の御加護のあらんことを。」
天空から流星群のように碧翠色の光の粒子が降り注ぎ、リヒトの身体に吸収されて行くと、その身体は巨大化して黄金の体毛に覆われた一角獣の如き霊獣・麒麟へと変態して行った。麒麟が顕現するに伴い、麒麟の魂はリヒトの魂を超越し、リヒトの意識は深く深く魂の奥底へと沈められて行った。麒麟は一声高く嘶(いなな)き、蹄を踏み鳴らして、空を蹴り、天へと駆け上った。

 各国の霊獣が出揃い、五体の霊獣が入り乱れて、後の世に『霊獣大戦』と伝えられることになる五つ巴の壮絶な大戦争となった。
 獣型の風の霊獣・白虎が地を蹴り、大きく飛躍して空中を舞う鳥型の火の霊獣・朱雀に鋭い牙と尾の鞭で攻撃すると、朱雀は火の粉を撒き散らし、火の粉を被った亀型の土の霊獣・玄武が地震を起こし、揺さぶられた一角獣型の雷の霊獣・麒麟が多数の雷を落とし、落雷で痺れた龍型の水の霊獣・青龍が大量の水を一直線に噴き出して、射貫かれたように白虎が吹き飛ばされる。そんな五つ巴の戦闘が続き、最早何処の国が仕掛けたとか仕掛けられたではなく、それぞれが国と民の存亡を賭けて、決して負けられない死闘を繰り広げていた。属性による相性の良し悪しはあれど、戦力はほぼ互角の五霊獣は、誰にも戦況の予測すら立たぬまま、それぞれが疲弊し、膠着状態に陥っていき、霊獣大戦は霊獣たちの莫大な魔力が枯渇するまで、いつ終わるとも知れない長期間に亘って続いたのであった。

 光の民(リヒトロイテ)から派生した非術師(マギナ)である無の民(ニヒツロイテ)の中から、突然変異により、先祖返りのような形で「魔法耐性(マアイク)」を有する特異体質を持つ者が出現していたが、当人は全く無自覚であるために、その異変に気づいていなかった。霊獣大戦の最中に、彼らは突如として覚醒し、神託によって選ばれて、秘匿されて来た『神獣(ディヴィスティア)』と契約することにより、代償は伴うものの、神獣の魂をその肉体に宿し、神獣の姿となって顕現し、同時に神獣の魔力を利用して魔法の使用が可能となった。無の民の中から神獣によって選ばれた三名の者が神獣の契約者、即ち『器(ヴェセル)』となったのだった。その神託を受け取った光の民の新しい巫女は、今は五霊獣へと姿を変えてしまった五人の召喚師と所縁(ゆかり)の深いソフィアであり、器に選ばれた三名うちの一人はソフィアの従者・ザイオンであった。

 光と闇と聖の三神獣の器として選ばれし三人の無の民は、光の神殿に集められ祝福を受けた。その儀式を通して彼らは神獣を身に宿し、器となるのである。神官(プリスタ)ニコラスと巫女(メティア)マリアの娘として生まれたソフィアは、突然神の神託を受けて巫女として覚醒し、彼らが器として選ばれることを知ったのである。巫女である母マリアを尊敬し、憧れて来たソフィアは、自らも巫女として覚醒するに至り、その使命を果たすべく覚悟は決めていたが、まさか兄妹のように育ったザイオンも器として選ばれるとは想像だにしなかった。無の民である彼には魔法は無縁だと思っていたし、彼が魔法耐性を持つ特異体質であることも信じられない気持ちだった。その身に神獣の魂を宿すことは想像を絶する負担を強いられることであり、使命のために生命を捧げる『宿命(フェイト)』を背負うことでもあった。これが全て悪い夢で、目覚めたらまたザイオンが笑顔でお茶を淹れてくれていたりはしないかと思いたかったが、それは儚い幻でしかなかった。
「ソフィア様、お嘆きにならないでください。私はこの光の民の国で、この家で、生まれてから今までずっと幸せに暮らして来ました。他国で家畜や奴隷として虐げられている同族とは天と地ほども違う、とても有難いことです。ソフィア様に従者としてお仕えしながらも、ニコラス様とマリア様は我が子同然に慈しんで育ててくださいました。あなたを、この家を、この国を守るのは、ご一家に対する私のご恩返しです。召喚師の皆さまと戦うことは哀しいことですが、この世界を救うことが私に与えられた宿命です。そのためなら私の生命を捧げることに何の躊躇いがありましょうか。」
ザイオンは寂しそうに微笑んで言った。
(もうあなたと会えなくなる。あなたの姿を見ることも、声を聞くことも、差し出された手に触れて口づけることも、もう二度とできなくなる。)
心の中ではそう呟きながら、涙をこらえて気丈に微笑んで見せたつもりのザイオンだったが、その笑顔はぎこちなく、少し歪に見えた。
「ザイオン…。」
ソフィアはそれ以上言葉にならなかった。物心ついた時からずっと傍らに居て、陰になり日向になり支え続けてくれた彼は、いつしかもうただの「兄のような存在」ではなくなっていた。「いつかザイオンと結ばれて、両親のように暖かい家庭を築けたら」と年頃の少女らしい夢を見ていたのに、それぞれが巫女と器となった今、それは決して叶わぬ願いとなってしまったのであった。
「思い出すわね。あの方たちと過ごした時間を。最初は無の民であるあなたに対して、どう扱っていいのかわからず、腫れ物に触るようだったのに、試練を終えて、お別れの宴を催した時には、あなたともすっかり馴染んでいたわ。被験者同士だけでなく、わたしとあなたも、彼らの友達になれたと思っていたのに。魔術師でも非術師でも関係ない。全ての者が互いにわかり合い、友情で結ばれることが出来るって、そう思っていたのに、哀しいし、悔しいし、とても残念だわ。」
「ソフィア様、私も同じ気持ちです。」
その夜はソフィアに乞われてザイオンはソフィアの隣で手を繋いで眠った。明日になれば戦場へ赴く彼に、「最後のわがままを聞いてほしい」とソフィアが懇願したからである。年頃の、夫婦でもない男女二人が床を共にするなど、あってはならないことではあるが、ニコラスとマリアはそれを許した。
「妹の一生のお願いを聞かぬ兄など居ないでしょう。」
とマリアが微笑んで言うと、ニコラスも
「ザイオン、今夜はソフィアと一緒にゆっくりおやすみ。」
とザイオンの肩に手を置いて言った。
ソフィアの願い通り、ザイオンは手を繋いで添い寝をしたまま朝を迎えた。契りを結ぶことはおろか、唇さえ重ねることのないまま眠り、目覚めたザイオンはソフィアの髪を撫で、いつも通り手の甲にそっと口づけて部屋を出て行った。ソフィアの閉じられた両瞼から、涙が滲み出て頬を伝い枕を濡らし続けた。

 戦場では昼夜を問わず、ぼろぼろになりながらも五霊獣の戦闘が続いていて、無尽蔵と思われた精霊の魔力も枯渇し始め、霊獣の中で深く沈められていた五人の意識が少しづつ浮上を始めていた。
 三神獣が戦場に降臨した時、五人の召喚師の魂が共鳴した。三神獣ののうちの一体の中から幽かにザイオンの意識を感じたからである。同時にザイオンもまた、今までは本能に従い戦っていたかのような霊獣の中に、彼ら五人の存在を感じ取ったのである。ザイオンと五人の召喚師の脳内に、試練を終えた後の宴の記憶が流れ出す。

 「長かったようで、短かったようで、でも、もうこれで終わりだなんて気がしないよ。」
とリヒトが言った。
「何かもう帰りたくねえな。国に帰ったら贅沢三昧させてもらえるとしても。」
とカシムが笑った。
「じゃあ、ずっと居るか?」
ミハイルがからかうと、カシムはお道化て答えた。
「そうは問屋が卸さんぞ、って言われるね。きっと。首に縄をつけて引きずってでも連れ戻されるんじゃないか?」
「バッカじゃないの?召喚師は国防の要なのよ。認定されるのを待ってくれてるだけ。いつまでも油売ってたらダメに決まってるじゃない。」
メリッサがそう言うと
「だからこそ、帰りたくないんだよね。ここの居心地が良すぎて、もう現実には戻りたくないんでしょ。」
とサクヤが言った。相変わらず、笑っているのか真顔なのかわからない。
「仕方ねえだろ。ここは天国みたいなもんなんだから。なあ、ザイオン。」
カシムが傍らで給仕していたザイオンに言うと、突然話しかけられたザイオンは微笑みを浮かべて
「そうですね。皆さんのお話を伺っているだけで、私も楽しいです。」
と答えた。するとカシムは急に真顔になって言った。
「オレたち異国の民は、無の民を蔑ろにしている。差別とか偏見に慣れてしまってて、それを何とも思わずにいた。でもよ、ここでザイオンと出会ってわかった。ザイオンはオレたちの友達だ。オレたち五人の仲間と、ソフィアとザイオンと、ここの人たち皆も。」
「ありがとうございます。私も皆さんの友達に加えて頂いて光栄です。」
「堅苦しいのはやめよう?友達なんだからさ、もっと力抜いて良いんだよ。」
ザイオンに向かってサクヤが声を掛けた。
「それぞれ国に帰ってしまったら、もう叶えるのは難しいだろうけど、いつかまたこうして皆で集まりたいよね。ここでは訓練と試練の繰り返しばっかりだったしさ。それぞれの国に旅して、名所を案内してもらって、名物料理を食べて、全部の国を回るの。その時はソフィアとザイオンも一緒に来てね。」
サクヤの語る夢物語が実現する可能性なんて殆ど有り得ないことを知りながら、皆が想像を膨らませた。
「そんなこと、無理に決まってるじゃない。…けど、出来たらいいなとは思うわよ。」
メリッサがぼそぼそと呟くと、
「いいじゃねえか。妄想はタダだよ。」
とカシムが笑った。
「起きて見る夢も良いもんだ。」
とミハイルが言った。
「今は夢物語かも知れないけど、いつかそれが現実になるように、皆が頑張って少しずつ国や民を変えて行こう。諦めたらそこで終わりだ。」
リヒトが言うと、一同は(リヒトらしいな)と思った。
そんな宴を終えて、それぞれが旅立つ前、互いに抱擁や握手を交わし合う中に、五人の仲間とその友達となったソフィアとザイオンも居た。立場や境遇は違えど、若者たちは固い友情の絆で結ばれたのだった。

 (((((ザイオン?)))))
五人は自らが感知した彼の魂に動揺した。召喚師を目指し、認定を経て、今霊獣の姿と化した仲間たちと、互いに敵として戦闘を続けて来た彼らの前に、立ちはだかった新たな敵・三神獣の一体が、彼らと友の契りを交わしたザイオンであることに、彼らの認識が追い付かなかった。そして秘匿され続けて来た三神獣は五霊獣を全て倒すためにこの戦場に降り立った存在であると、霊獣の魂の知覚で感知はしたものの、到底理解は出来なかった。国と民を護り世界を救うために存在するはずの霊獣を、害悪として退治するかのような神獣が存在すること自体意味が不明であったし、その一体の中にザイオンの魂が内包されていることも謎でしかなかった。ただ、今この世界にとって、霊獣という存在が既に不要と神に認められたのなら、是非もない。

カシム(生まれる国も)
サクヤ(生まれる家も)
メリッサ(生き方すらも)
ミハイル(選べなかったが)
リヒト(今こそ選ぶんだ)
(((((自分の死に方と死に場所だけは!)))))
ザイオンの魂が五人の心の叫びを聞いた。今までは霊獣の魂に沈められていた彼らの意識が表へ出始めて、それぞれが霊獣ではなく彼ら自身として戦って死のうと覚悟を決めたのだ。彼らは自らの運命を知っている。それでもなお戦うより他に進むべき道はない。絶望的な状況だとしても、その道を貫き通す以外に選択肢は残されていない。最後の最後まで戦い続けることだけが彼らの出した答えだった。ならば、友としてザイオンがなすべきことは、彼らを正しく終わらせること。苦しませず、長引かせず、逝かせてやることだけだった。

 顕現した三体の神獣が五霊獣を圧倒し、それぞれの霊獣は死後、世界から吸収した生命エネルギーと魔力の凝縮した塊である巨大な「大魔石(クエレ)」と化した。魔法を使えないために、魔術師たちから見下され、虐げられて来た非術師の無の民は、屈辱的なその名称を不服として、自ら「新種族・アンスロポス」と名乗り、大魔石由来の魔力を利用することで、「疑似魔法(メギカ)」を手に入れることとなり、「大魔石」の欠片「魔石(ライストン)」を生活魔法に使用することで繁栄した一方で、大戦後霊獣を失い絶滅に瀕した五属性の民は、アンスロポスによって「蛮族(バルバリアン)」と呼ばれ、過去の歴史の報復とばかりに権利や尊厳を剥奪されて、「蛮族狩り」によって捕らえられ、奴隷商人に売られた蛮族は、奴隷や家畜として魔石の消費なしに使える「生得魔法(マギカ)」の使用を強要され、魔力が尽きるまで酷使された挙句、使い捨てられて死んでいった。魔力の源は魔術師自身の生命エネルギーであったから、魔法の過剰な使用はその生命を削ることに他ならなかったからである。

 霊獣大戦の後、アンスロポスにとっての救世主となった三神獣は世界の創生主たる『混沌(カオス)』即ち『星の命』から生まれ、光の神獣は光の世界、即ち生者の世界『現世(うつしよ)』の神アルブに属していたが、闇の神獣は闇の世界、即ち死者の世界『幽世(かくりよ)』の神アトルから、聖の神獣は混沌から借り受けたものであった。光の神獣は霊獣大戦の終了により現世に安寧が齎されたため、アルブの命により長く深い眠りに就いたが、アトルはアンスロポスの監視のために闇の神獣を眠らせなかった。アンスロポスの中から選ばれし器の身にその魂を宿らせたまま、魂の番人としてアンスロポスを監視する役割を担わせようとしたのである。現世とアンスロポスの行く末を見守り、光と闇の世界が反転すべき時が来たら、闇の器によって光の世界を破壊するために。そしてその時が来れば、アルブは光の神獣を目覚めさせ、光の器と闇の器との闘いの結果で世界の行く末を占おうとしたのである。闇が勝てば全ての魂は幽世へと送られ、再び世界は混沌の中から新たな創世『パリンジェネシス』を行うべく。一方でザイオンが器となった聖の神獣は混沌へと還り、『星の命』に溶け込んで世界を巡ることとなった。後の世で再び聖の神獣が必要とされる時が来れば、新たな器を得て復活することはあるだろうが、ザイオンの魂は『星の命』の一部となって永遠に生き続けることとなった。空にも、海にも、草原にも、岩山にも、砂漠にも、世界のあらゆる場所に『星の命』は生命エネルギーとなって循環し、見守り続ける。ザイオンの魂も他の多くの魂と共に、愛するソフィアが生きるこの世界を見守り続けるのだった。

終章 回顧録の続き
 古代種の末裔でもある、若き古代史研究者ベアトリクスが、初めて解読に成功した古文書、最後の純粋な古代種ソフィアによって綴られた回顧録には、未解読とされる数頁があったと言われている。「損傷が激しくて解読不能だった」と言われていたが、「実は既に解読されていたにもかかわらず、ベアトリクスの判断で未公開のままになった部分ではないか」という説もあった。

 『霊獣大戦で命を落とし、大魔石と化した五体の霊獣は、わたしとザイオンにとってかけがえのない友であった五人の若者たちである。最後の召喚師となったその五人の男女は、国のため、民のため、世界のために自らの命を捧げた英雄である。だが、召喚魔法によりその身に霊獣を顕現した彼らの魂は精霊ないし霊獣の魂によって抑制され、結果的に世界に甚大な被害を与えることとなった。世界の滅亡を防ぐために、神々によって召喚された三神獣によって五霊獣は倒され、三神獣もこの世界から姿を消したが、その一体の器となったのが、ザイオンであった。巫女であったわたしにはわかる。最期に霊獣となった五人の仲間の魂が、神獣の器となったザイオンの魂と共鳴したのであろうと。彼らの魂が自我を取り戻し、自らの宿命を悟った時、ザイオンは心を鬼にして友のために自分が出来る唯一の役割を果たそうと決心した。そしてザイオンは他の二体の神獣と共に五霊獣を殲滅した。かけがえのない友たちを、自らの手にかけて殺さねばならなかったザイオンの心情は察するに余りある。そして使命を全うしたザイオンの魂は『星の命』へと還った。彼はわたしたちと生きたこの世界を心から愛していた。一人遺されたわたしの生きる「この世界を護りたい」と彼は言った。その言葉通り、彼は今もなお『星の命』の一部となって遍くこの世界に存在し、見守り続けている。彼を失った哀しみは、今もわたしの心から消えることはないが、この世界に生きる限り、わたしはザイオンを感じることが出来るし、いつも彼と共に居られる。時が流れ、わたしは別の男性と結婚し子供も生まれた。その家庭や生活には何の不満もない。夫は優しくて真面目な人柄で、子供たちも素直で思いやりのある良い子に育った。わたしが憧れていた両親のような、温かい家庭を持てたことは、家族に感謝しかない。しかし、それとは別に、わたしは死ぬまで五人の仲間とザイオンのことは忘れない。今日(こんにち)のわたしの幸せな生活の礎となった彼らの犠牲を忘れてはならない。わたしの夫は正確には光の民ではなく他種族との混血のため、わたしの家族を含めて、光の民の血脈は途絶えてはいないが、純粋なる光の民はわたしが最後の一人となってしまった。時の流れは全てを押し流し、いつかは全てが忘却の彼方へと消えて行ってしまうだろう。しかし、わたしはこの回顧録を残し、霊獣大戦の陰に埋もれて消えて行ってしまう真実を後世に伝えようと思う。
 地の民・玄武の国のミハイル、風の民・白虎の国のカシム、火の民・朱雀の国のメリッサ、水の民・青龍の国のサクヤ、雷の民・麒麟の国のリヒト、そして光の民の国で生まれ育った無の民・ザイオンにこの書を捧ぐ。神々よ、『星の命』よ、彼らの魂に安らぎを与え給え。』
(『霊獣大戦前後の回顧録』著:最後の光の民純血種ソフィア/訳:古代史研究者ベアトリクス)
(おわり)

A bunch of fives 五人は仲間 ーカテーナ・ヒストリア外伝ー第2部

2024-01-08 22:30:59 | 小説
(第1部からのつづき)
 数日に一日の割合で戦闘が行われない休日が与えられ、五人の被験者は戦術や技能の情報交換だけでなく、共闘する時のために、互いについての理解を深めようと、修行中の苦労話に始まり、故郷や家族の思い出なども語り合うようになっていた。最初は文化や個性の違いから反発することもあったが、その背景や来歴を知ることで理解し合えるようになり、少しずつ互いが歩み寄って、五人は固い絆で結びついた仲間へと変わって行ったのである。

 「ちっきしょう!もう、お前一体何やってんだよ‼あそこは違うだろ‼」
「それはこっちの台詞だ!お前こそヘマしやがって!」
そんな初期の罵り合いも、今では殆ど聞かれなくなり、戦況や敗因を冷静に分析できるようになって来ていた。
ある休日の昼下がり、ソフィアが従者のザイオンを伴って五人の被験者の宿舎の居間へやって来た。
「皆さん、連日の戦闘、お疲れ様です。今日は少しでも皆さんの疲れを癒すため、心を落ち着かせる白花菊(カマイラ)茶をご準備しました。では、ザイオン。お茶をお淹れして。」
「かしこまりました。」
ほかほかと白い湯気を立てて、柔らかな花の香りが漂い始めると、まだ白花菊茶を口にしていないうちから、心がゆっくりとほぐれ、全身から無駄な力が抜けて、雲の上に横たわって空に浮かんでいるような穏やかで軽い気分で満たされていった。
 各自の前に予め湯で温められた器が置かれ、薄い黄緑色の透明な液体がゆっくりと注がれていった。白花菊茶で器が満たされると、各々が自然に
「ありがとう、ザイオン。」
と言葉を発した。全員の茶器を満たすと、ザイオンは深々と一礼してソフィアの後方に控えていた。
「お茶を飲みながら、皆さんのお話を聴かせてください。皆さんはわたしがお世話係を務めさせて頂いた最初の召喚師になられる方々です。後の参考に、何故召喚師を目指すのか教えてください。」
五人は茶器を持つ手を止めて、一度一斉に沈黙した後、互いの視線を探り合い、誰が一番に口を開くのか、様子を窺っていたように見えた。そして、毎回こういう沈黙を破るのは決まってサクヤだった。
「そうねえ。あたしの場合は、なりたいとか、目指すとか、そういうのじゃないから。真剣に召喚師に憧れて、召喚師を目指している人には申し訳ないんだけど、あたしの国・青龍では召喚師の家系で最初に生まれた子供は召喚師になるって決められてるのよ。生まれた時から決まってるから、他の何になりたいとかいうのもなくて、なるもんだと思ってた。勿論そのための修業は頑張ったよ。今更出来ないとは言えないしね。『もし他の国に生まれてたら、召喚師じゃなかったかもなあ』なんて考えたことはあったけど、考えてみたってどうにもならないし、こういうのを『宿命(フェイト)』って言うんだろうな、って今は思ってる。」
サクヤの話を聴き終えて、次に言葉を発したのはカシムだった。
「サクヤのことをどうこう言うつもりはこれっぽっちもないんだけどさあ、ある意味、オレも憧れとか、そういうんじゃないんだな。白虎の国はあんまり治安が良くなくてさ、野盗も多いし、自然環境も厳しくて、オレみたいに砂漠で両親が死んで孤児になる子供がいっぱいいる。手に職つけて働けなかったら、物乞いか野盗か、どのみちまともな暮らしは出来ないんだ。だからオレは召喚師になろうと思った。それなら一生食いっぱぐれがない。生きるため、ただそれだけのために、オレは修業を積んで来て、今ここにいる。」
カシムの壮絶な身の上話に、一同は俯いて暫し言葉を失った。意を決したように、沈黙を破ってゆっくりと口を開いたのはミハイルだった。
「そうだな。白虎ほどじゃないかもしれんが、玄武も貧しい国でな、ほんの一部の金持ちだけが良い暮らしをしてるんだ。玄武じゃ金持ちになりたきゃ召喚師になるのが一番の早道だ。召喚師になれば、一生楽に暮らせる。そのためなら修業の辛さなんてたいしたことじゃない。」
フンッと鼻を鳴らしてメリッサが言った。
「あなたたちの国って酷いのね。朱雀では召喚師は『選ばれし者』なのよ。生まれた時から、他のたくさんの魔術師を蹴落として、最も優秀な召喚師候補に上り詰めるために子供たちは皆死にもの狂いで努力するのよ。勿論朱雀でも召喚師になれば、地位も名誉も財産も全て手に入るわ。親もそのお零れに与れるから生まれてすぐに子供を差し出すの。親の顔も名前も知らず、私たちは必死に競い合う。でもそれは金持ちになるためじゃない。私が誰よりも優秀であるという自尊心のためよ。召喚師になれば、全てが与えられるけれど、なれなかった者には何も残らないの。生きる意味さえもね。召喚師になれなければ、私は、私が生きてて良いって思えない。召喚師じゃない私に、帰る場所なんかないのよ。」
そう言って顔を伏せ、すすり泣き初めたメリッサにかける言葉を誰もが見つけられずにいた中で、突然リヒトが語り始めた。
「他の国に比べたら、麒麟が如何に恵まれているか、良くわかるよ。麒麟には、それほど顕著な格差や貧富の差はないから、切羽詰まった気持ちで追い立てられるように召喚師を目指すってことはないと思う。寧ろ僕たちは『恵まれている者は、恵まれない者を助けるものだ』と教えられて育つんだ。だから、『才能を持って生まれた者はその才能を活かすべきだ』とね。そして自分自身や自分の家族、麒麟の国や民のことだけでなく、世界のために貢献するにはどうしたら良いだろうと考える。でも、僕たちは知らされていなかった。他国が困窮していたり、社会的な問題や矛盾を抱えていることなんて。日々の食事がなくて物乞いをしたり、犯罪に手を染める国があることも、一部の者だけが富を寡占している国があることも、子供の運命を家や親や国が勝手に決めてしまう国があることも。僕は何も知らなかった。それで世界を救うつもりでいたなんて、馬鹿げているよね。『井の中の蛙大海を知らず』とはよく言ったものだ。僕は正に無知だったよ。他国に直接干渉することは難しいかも知れないけど、どうにかして世界の不平等・不均衡を是正出来ないものか、僕たちは真剣に向き合わないといけないんだ。」
リヒトの言葉を聴いて、カシムは感極まって泣いていた。
「ありがとう。あんたの気持ち、とっても嬉しいよ、リヒト。最初はあんたのこと誤解してた。あんたみたいな育ちの良さそうな金持ちの坊ちゃんに何がわかるって思ってたんだ。ごめんよ、リヒト。」
すると、リヒトはカシムの肩に手を置いて言った。
「いや、それならお互い様だよ。僕だって君のことを、チンピラだ、ゴロツキだって思っていた。許してくれ、カシム。」
その傍らでミハイルは呟いた。
「俺は何てちっぽけな男だったんだ。世界のことまで考えてるリヒトに比べて、俺はただ金持ちを見返したいとか、良い思いがしたいとか、自分勝手なことしか考えてなかった。」
そんな男連中を横目にサクヤは自嘲的に笑った。
「運命なんてね、そんなに簡単に変えられやしないのよ。…でもね、何か馬鹿みたいに感動してるあなたたちを見てたら、もしかしたら、いつか世の中が変わる時が来るんじゃないか、なんて思えてきちゃう。あたしも馬鹿ね。」
メリッサも溜息をついて言った。
「サクヤまで何よ。あんたたち皆馬鹿なの?…でもね、私まで、突拍子もない夢物語だけど実現したら良いのに、って思っちゃったわよ。」
いつの間にか、生まれた国も、育った環境も、年齢も、性別も、何もかもが違う五人の被験者は、今やかけがえのない仲間としての絆で強く結ばれつつあった。

 そして全ての試練を終えた時、彼らは個人としての技量は勿論、誰と何人で共闘してもぴたりと息が合うようになっており、一人として欠けることなく五人全員揃って、晴れて召喚師として認定されたのである。
「皆様、見事一人も欠けることなく全員で召喚師となられ、おめでとうございます。今夜は宿舎にてささやかながら宴のご準備をしております。明日にはこの光の民の国を後にして、それぞれの国へ戻られることとなりましょう。今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。」
マリアとニコラスからの祝福を受けた五人は名残を惜しみ、宴は夜明け前まで続いた。五人は短い仮眠の後、支度を整え、互いに熱い抱擁や固い握手を交わしてから転送魔法で結界の外まで送り届けられ、それぞれの国に向かって帰路に就いた。

§霊獣大戦§
 カシムが召喚師の認定を取得して白虎の国へ戻った時、風の民の不平不満がついに爆発し、各地で暴動が起きて、既に国は荒れ放題だった。程なくして食料は不足し、治安は更に悪化して、数少ない緑地の水源も枯渇したり汚染されて、清潔な飲料水にも事欠く事態に至り、白虎の国としては、最早民を抑えるために隣国玄武を侵略するよりなかった。まずは水源の豊富な玄武を手中に収め、その後に麒麟、朱雀、果ては青龍までをも征服して、全世界を我が物とする。そんな無謀ともいえる戦争を始める以外、民の怒りの矛先を逸らす術はなかったのである。
 玄武にはミハイルが居る。戦争となれば、いつか彼と戦うことになるかもしれない。そんなカシムの不安をよそに、白虎は玄武への侵略を開始したのである。
 カシムは召喚師と認定されるのに必要な最後の試練のために光の民の国に滞在していた時のことを思い出していた。五人の被験者は次々と到着する度自己紹介を交わしたが、カシムにとってミハイルの第一印象はあまり良いとは言えなかった。「髭面の大男で、口数も少なく低い声でぼそぼそと喋るので『陰気なおっさん』だと思った。カシム自身とは正反対に感じられ、苦手だとさえ思えた。それ故彼と二人組で試練を受けることになった時はうまくいく気がしなかったが、それをクリアしなければ二人共召喚師にはなれない。連携を取って戦うには互いのことを知る必要があった。
「ミハイル、今度の試練の前に、ちょっと自主練でもしねえか?」
「ああ、そうだな。」
二人は被験者のために用意されている訓練場で、幻影魔法を利用した仮想の敵を相手に戦いつつ、最初はぶつかり合いながらも徐々に呼吸を合わせられるようになっていった。
「おっさん!今じゃねぇ!そこでもねぇ!空気読みやがれ!」
「お前こそ!」
そんな罵り合いから、いつしか無言でも互いの動きや思考が読めるようになり、風と地の魔法の合わせ技はどんどん上達していったのである。
 宿舎へ戻ってからも、反省会と称して膝を突き合わせ、その日の戦闘の課題などを話し合った。そしてその後は互いに光の民の国の酒を片手に、他愛のない話をしたりもした。
「カシム、お前、歳は幾つだ?」
ミハイルは普段は寡黙だが、酒が入ると少し饒舌になった。とはいえ、北国の玄武は寒いため、故郷の酒は火を近づけると燃え上がるほど強い酒なので、それに比べると光の民の国の酒は水のように薄い、とは言っていたが。
「オレか?オレは十八になったばっかだ。」
カシムは上機嫌でそう言った。
「何だ、そうか、十八か。」
そう言うとミハイルは笑った。カシムは怪訝な表情を浮かべて訊いた。
「何だよ?可笑しいか?」
ミハイルは手をひらひらさせて、まだ笑いながら答えた。
「俺は今年十八になるんだ。この前はお前に『おっさん』と呼ばれたがな。」
「え?」
カシムは一気に酔いが醒めたように青ざめた。
「本当かよ?どう見ても十は年上、いや、もっとおっさんだと思ってたぜ。」
「俺もお前はせいぜい十五、六、いや、もしかしたらもっと子供で、『小僧のくせにちゃらちゃらして生意気な奴だな』と思っていたんだから、お互い様だな。」
ミハイルがそう言うとカシムはミハイルの肩を抱いて、
「何だよ!同い年だったんじゃねえか、オレたち。よろしく頼むぜ、相棒。」
「こちらこそ、よろしくな。お前とならうまくやれる気がしてきたよ。」

 ミハイルも又カシム同様に、二人組で試練を受けた時のことを思い出していた。玄武では召喚師は地位や名誉、富を手に入れられ、生活を保障される一方で、その代償として最終兵器として扱われ、他国に対する抑止力であり続けられるうちは良いが、有事となれば一命を賭して戦わねばならない。それはあくまでも最後の手段ではあるが、他国が先に召喚魔法を使い、霊獣を召喚した時は、覚悟を決めねばならない。仲間として認め合ったカシムとは直接戦いたくない、いや、敵が他のどの国であったとしても、サクヤやメリッサ、リヒトの誰とも、出来ることなら戦いたくはなかった。しかし、玄武の国では召喚師は全軍人の頂点に立つ軍人の中の軍人という立場だけに、そんな本音は口が裂けても言えなかったし、気取られることすら許されなかった。

 一方で白虎の国における召喚師は、全ての子供や若者の夢であり、憧れの存在であった。誰もが召喚師となって地位や名誉や富を手にすることを望んでも、召喚師となるには生まれ持った類稀な才能と、その才能を120%引き出すための血の滲むような弛まぬ努力が必要とされた。才能に恵まれる者はそもそも魔術師の中でも極少数にしか過ぎなかったし、それを活かせるところまで研鑽を積める者はほんの一握りであり、夢を実現出来る者はさらにその中の極一部でしかない。広大な白虎の砂漠の中からたった一粒の砂金を探し当てるに等しかった。貧しさ故に夢を見ることすら許されない者、道半ばにして命を絶たれる者が大半を占める殺伐とした世の中で、数々の苦難を潜り抜けて夢を実現した勝ち組、それこそが召喚師である。そんな召喚師になれたカシムは子供たちの尊敬と若者たちの羨望を一身に受けて、決して負けることの出来ない闘いへと駆り出されることになった。ミハイルを始め、仲間たちの面影が脳内に蘇り、出来ることなら彼らの誰とも戦わずに済むことを祈りながら、同時にその祈りは決して聞き届けられないものであろうという絶望的な思いに胸を痛めていた。

 玄武・白虎の両国の開戦とほぼ時を同じくして、青龍の国も朱雀の国へと奇襲攻撃を開始した。海上の島々からなる青龍は古来より広大な領土への渇望から大陸進出の野望を秘めていたのである。玄武・白虎の開戦の兆しを察知した青龍の国は両国の開戦の機に乗じて、白虎に隣接する朱雀の国の混乱に付け入る隙ありと見たのである。宣戦布告もなく、隠密裏に進められていた作戦が成功し、青龍の特殊工作部隊は同時多発的に朱雀の主要な軍事拠点を攻撃し、一定の成果をあげた。当然のことながら、朱雀の国も反撃を開始し、青龍軍を迎え撃つための準備が進められた。

 青龍国内でも隠密作戦については極秘事項であり、一般国民は勿論のこと、関係者以外には緘口令が敷かれており、サクヤにとっても開戦の報は青天の霹靂であった。朱雀には共に試練を受けた仲間の一人、メリッサが居る。このまま戦争が激化すれば、召喚師も戦場に出ることになるだろう。そうなれば、メリッサと直接戦うことになるかもしれない。できればそれは避けたいところだが、両国の属性の相性からして、一方的に勝敗が決まるとは到底考えられない。両国の戦力が拮抗すれば、最後は召喚師同士の闘いになることは明白だった。サクヤの脳内に光の民の国でメリッサと共闘の訓練をすることになった時の記憶が蘇った。サクヤにとってメリッサの第一印象は、口にも態度にも出しはしなかったが、決して良いとは言えなかった。派手でけばけばしい印象の火の民は初見だったし、なにかとつっかかってきたり、急に激高したりと、情緒が不安定なメリッサはサクヤ自身とは真逆の気がして、メリッサからも嫌われている、というか、好印象を与えていない感じもひしひしと伝わってくるようだった。そんな彼女と二人で協力して試練に合格できるのだろうかと、一抹の不安を感じた。
「メリッサ、今度の試練のことなんだけど。」
サクヤが言うと、メリッサはふふん、と鼻で笑った。
「あなたは私の動きに合わせて支援してくれるだけでいいわ。私が敵を倒すから。」
「そう、それならそれでいいけど、訓練場で仮想の敵を相手に訓練はしておいた方がいいんじゃないかしら?実戦の動きをおさらいしておく方が試練本番で自然に動けるわよ。」
サクヤが言うと、やれやれ、というように呆れ顔をしてメリッサが答えた。
「そんなに言うなら付き合ってあげてもいいけど。別にぶっつけ本番でも私は全然大丈夫だけど、あなたはそうはいかないかもね。」
「じゃあ、そういうことで。早速訓練場に行きましょうか。」
サクヤはいつもの通りの微笑んでいるのかいないのかわからない表情のまま言った。
 仮想の敵は想像以上に強く、メリッサが主体の攻撃は思うように奏功せず、苦戦を強いられたが、サクヤの機転でメリッサは救われ、最後には二人の同時攻撃により見事に敵を撃破することに成功した。二人は訓練場から戻り、ソフィアの差し入れてくれたお茶とお菓子で反省会をすることになった。
「あなた、意外に強いのね。びっくりしたわ。普段から飄々としていて何を考えてるのかわからなかったから、あなたのこと、少しは見直したかも。ま、勿論私の方が強いのは変わらないけどね。今日はちょっと敵の能力を見誤ったのもあって、最初から調子が乗らなかっただけで。」
負け惜しみのようにメリッサが言うと、サクヤは少し笑った。
「うん、メリッサは強い。それはわかってる。ただ、もう少し相棒を信頼して任せてくれる方が動きやすいかな、お互いに。」
最初は息が合わなくて衝突したり、あわや同士討ちになりかけたことを言っているのはメリッサにもわかっていた。
「そうね。私は自分さえ強ければ、一人でどうにでもなると思ってた。それではうまく行かないこともある、ってわかったわ。あなたが居てくれて助かった。」
サクヤはメリッサがそんな風に素直に認めるとは思っていなかったので、少しの間ぽかんとしていた。
「メリッサがそんなことを言うとは思わなかった。訓練の最初の時は『間抜け!』とか『ちゃんと支援しなさいよ‼』とか怒ってばっかりだったから。でも、本当は怖かったんだよね。ただ、強がってたんだよね。てっきりメリッサは沸点の低い、ツンツンしてばかりの人だと思ってたよ。」
サクヤがそう言うと、メリッサも少し頬を赤らめて視線を落とし、ぼそぼそと答えた。
「私もあなたのこと、『胡散臭い、得体の知れない、何を考えてるかわからない奴』と思ってたわ。でも、ちゃんと状況を見てるし、聴いてるし、冷静に判断して的確な指示をくれた。しっかりした、頼りに出来る人なんだとわかったわ。」
「じゃあ、相棒として認めてくれたんだね。だったら、これからは『あなた』じゃなくて、『サクヤ』って呼んでよ。」
サクヤがそう言うと、メリッサも笑顔になり、右手を差し出して言った。
「これからもよろしくね。サクヤ。」
その手を握り返して、サクヤも答えた。
「勿論よ。メリッサ。」

 青龍の国では、召喚師は代々血統により継承されるものであり、かつては賞賛と尊敬を集めた歴史もあったが、今では大工の子が大工を継ぐが如く、単なる職能の一つである。青龍の国の政権を司る機関に勤務する他の魔術師と同様に、召喚師という部署に属する職員の一人に過ぎない。各々がその職能に従い、職責に殉ずるべしというだけで、召喚師を特別視することも、極端に優遇することもない。その命を賭するが故に多少の危険手当分を加算された給与が支給されるだけである。召喚師自身も必要とされる時が来たら粛々と任務を全うするだけのことだ。サクヤもそう思って来たし、そのことに何ら疑問を持つことも、不満を覚えることもなかった。しかし、光の民の国で、他国の被験者たち、即ち召喚師候補の仲間たちとの交流を持つことによって、召喚師に対する扱いは国毎に全く異なることを知った。今まさに戦争をしようとしている相手である朱雀の国では、召喚師は常に命がけ、それも召喚師自身だけの問題ではないことを知った。勿論サクヤ自身も我が身や祖国を護らねばならない気持ちはある。しかし、メリッサにとっての覚悟は、それとは全く違う事情によって、求められるものなのだ。メリッサとの闘いは出来ることなら避けたい、残酷で悲壮な運命でしかなかったのである。

 朱雀の国では、召喚師は国の命運を託されたと言っても過言ではない、非常に重要な存在である。朱雀の召喚師は世界一の強さを、それも圧倒的な強さを誇り、他国を凌駕するものでなくてはならない。そのために朱雀では国を挙げて召喚師を育成する体制を整え、幼少時から才能のある子どもを全国から集めて英才教育を施している。選ばれし子供たちは自身が栄誉を与えられるのみならず、両親や親族までもがその恩恵を受けるため、親の顔も名前も知らぬ状態で親元から離されて、過酷ともいえる修行に明け暮れる。召喚師となれば本人は勿論、両親や親族までもが特別視され、十二分な名誉と富を享受することが出来るが、召喚師が負けた場合は、召喚師自身の命が失われるだけでなく、その一族全員が死罪となるのである。召喚師の敗北はその一族の滅亡に直結する。決して召喚師一人だけの問題ではない。それ故、召喚師の抱える使命感には想像を絶する重圧が付与されているのである。決して負けることは許されない。メリッサもまた朱雀の召喚師として常勝を使命付けられていた。平時なら何事もないまま豊かで平穏な日々を過ごし、国民の尊敬や羨望を一身に受けて一生を終えられる召喚師も居ただろうが、青龍の国と戦闘が開始された今となっては、早晩召喚師が参戦せざるを得なくなることだろう。メリッサは光の民の国での試練を切欠に仲間としての絆で結ばれたサクヤやミハイル、カシム、リヒトの顔を思い浮かべた。楽しかった思い出は、まるで夢のようで、現実の出来事の記憶ではなかったかのようにさえ思えた。サクヤと戦いたくない。自分が勝ってサクヤを殺すことも、サクヤに負けて自分が命を失い、あまつさえ両親や一族全員が死罪となることも、どちらも絶対に起こって欲しくないことだった。しかし、そのどちらもを回避する方法は存在しない。メリッサは全てがただの悪夢であると思いたかったが、それはあり得ないことであると十分に承知していた。

 ほぼ同時期に北と西、東と南の四方の国々が戦闘状態となったことで、麒麟の国は動揺していた。軍事の専門家の分析によれば、交戦中の二国間の戦力には大差はなく、白虎の国の強大な風属性魔法で、氷雪に覆われた玄武の国の岩石が民や家屋の上空から落下させられたことにより甚大な被害を与えられたが、白虎の魔術師が風属性魔法の応用術式である空中浮遊や飛行魔法を得意とするだけに、地の民には相性が悪いため、程なく召喚魔法による決戦に移行するであろうし、朱雀の火属性魔法と青龍の水属性魔法は相反する作用を持つため、属性魔法による攻防では容易に埒が明かず、業を煮やした両国が共に霊獣を召喚するであろうことも時間の問題だということだった。その予測が現実となれば、中央に位置する麒麟の国は周囲四国が交戦状態に陥った今、自国防衛のためには即刻霊獣を召喚し、他国の霊獣の脅威に備えねばならないだろうというのが結論だった。

 そんな麒麟の国の召喚師であるリヒトは、光の民の国での試練で共闘した仲間たちに思いを馳せていた。試練では個人戦から仮想の敵に対する五人全員での共闘まで、あらゆる組み合わせの総当たりによる模擬戦闘の全てに勝利するまで、被験者が棄権しない限り、続けられた。自然と連携して戦えるようになるまで何度も自主訓練を繰り返し、戦闘前の作戦会議や戦闘後の反省会を行ううち、五人の被験者は互いを仲間と認識し、絆を深めたのだった。その中で第一印象とは違った、時には真逆と言っても良い相手の本質を見極め、心と心、魂と魂で結ばれた仲間と呼べる存在へと変わって行ったのである。

 リヒトの他の四人に対する第一印象はあまり良いものではなかった。それまで他国の民と接する機会がなかったからか、根拠のない先入観のせいか、外面の良さでごまかしてはいたが、好印象とは程遠かった。
 ミハイルは寡黙であったため、暗くて陰気で不愛想だと思ったが、実は歳の割に落ち着いていてしっかりしている男に他ならなかった。
 カシムは不良っぽくて下品な、チャラチャラと軽い男で、所謂チンピラとかゴロツキとかいう類なのではないかと思ったが、熱い心を持ち、真面目な努力家だった。
 メリッサはツンツンと偉そうで、お高く留まっている嫌味な女だと思っていたが、意外に可愛らしいところがあり、ただ照れ屋で負けず嫌いな、子供っぽいところがあるだけだとわかった。
 サクヤはつかみどころのない、腹の底の見えない感じがして、もしかしたら腹黒いのではと疑ったこともあったが、サバサバしているように見えて、本当は寂しがりやで、人生を諦めているような投げやりなところがあった。
 それぞれが、ただ不器用で表現するのが苦手だったり、「弱みを見せまい、馬鹿にされるまい」と虚勢を張ったり、本当の自分を知られたくなくて偽りの仮面を被ったように振舞って見せたりはしていても、素の姿が見透かせるようになると、理想の自分を演じようとしていつも背伸びしているリヒト自身と彼らとが、環境や背負っているもの、形や方法は違っても、同じように悩み、苦しみ、必死に藻掻き、足搔いて生きているのだと気づき、互いに仲間であると思えるようになったのだった。
 人間らしく生きるために、日々の糧を得るために、自分の居場所を求め、自分という存在を認め、生きていて良いと思えるために、それぞれが選んだ道だった。麒麟の国では、「恵まれた者が恵まれない者を、持てる者が持たざる者を救う」という精神を拠り所としているため、才能に恵まれ、召喚魔法という力を持つ召喚師は、いうなれば勇者であり、英雄である。その立場に相応しい覚悟が求められ、国を救うという使命を背負って戦わなければならない。それはリヒト自身に召喚師の素質が認められた時から繰り返し刷り込まれて来た価値観である。光の民の国で彼らと出会う前のリヒトならば、微塵も迷うことなく自らの『宿命』に従い、使命を全うしただろう。そのためなら命をかけて戦う覚悟は出来ていた。しかし今、リヒトが倒すべき敵は、ミハイル、カシム、メリッサ、サクヤという仲間たちなのだ。属性魔法による魔術師同士の戦闘が膠着状態となれば、各国はそれぞれ召喚師に対して霊獣召喚を命じる。そして霊獣をその身に顕現させ、五人の仲間たちは五体の霊獣と化して殺し合いをすることになる。召喚師と認定されたその時から逃れる術はない、一番訪れてほしくなかった未来が、今まさに現実となって五人の眼前に突き付けられたのである。
(第3部につづく)

A bunch of fives 五人は仲間 ーカテーナ・ヒストリア外伝ー第1部

2024-01-08 22:28:50 | 小説
序章 回顧録
 ロイテンドルフ共和国国立図書館の一角にある古文書の棚の片隅にひっそりと納められた一際旧い一冊。古代種(グリュンデル)の血脈が絶滅に瀕して久しく、古代文字で書き記されたその本の内容を解読出来た者は今まで存在しなかった。細々と受け継がれて来た、古代種の血脈を継承する、数少ない一人でもある、若き古代史研究者ベアトリクスが初めて解読に成功したその本は、霊獣大戦の時代を生き抜いた最後の純粋な古代種ソフィアによって記された回顧録であったらしい。そこには霊獣大戦以前に彼女が出会った五属性の民からなる若き召喚師(ヴェシュベラ)たちとの思い出などが綴られていた。

 『霊獣大戦が勃発するより約20年ほど前、当時はまだ各国は、少なくとも表面上は、平和に暮らしていた。五属性の民は皆魔術師(マギア)で、非術師(マギナ)として生まれた無の民(ニヒツロイテ)は奴隷として魔術師に使役されていた。そんな中でも、数としては僅かばかりの光の民(リヒトロイテ)(訳者注:後の古代種)だけは、使用人であっても、無の民も他属性の民と同様に分け隔てなく接し、家畜や奴隷のような扱いはしなかった。魔法が使えるか否かは単なる個性の違いのみであり、本来はどの民も同様に尊ぶべきであると考えていた。それ故わたしの両親は使用人の子ザイオンと兄妹のように育ててくれたが、表向きはあくまでもザイオンはわたしの従者であるかのように装わざるを得なかった。というのも、わたしの両親は、光の神アルブに使える神官(プリスタ)と巫女(メティア)であり、五属性それぞれの召喚師を目指す若者が、神の僕・精霊(ガイスト)の化身たる霊獣(スピリティア)を召喚するための最後の試練を見届け、一人前の召喚師として認定する役割を担っていたからである。各地から集められた被験者たちは、神殿の近くの屋敷を宿舎とし、試練の期間を共に過ごすことになっていた。霊獣大戦前の最後の被験者となった五人の男女のことは今も鮮明に記憶している。わたしとザイオンが彼らと共に過ごした長いようで短い滞在期間の思い出は、かけがえのない宝物であると同時に、思い出す度に「あの大戦さえなければ」と今も口惜しい思いで歯噛みするものでもある。』
(『霊獣大戦前後の回顧録』著:最後の光の民純血種ソフィア/訳:古代史研究者ベアトリクス)

§地の章:ミハイル§

 
 玄武(げんぶ)の国は『霊峰タイタン』を筆頭に険しい岩山が国土の大半を占め、雪と氷に覆われた極寒の北国である。霊峰タイタンの地下深くの溶岩から発生する地熱エネルギーを利用してはいたが、極寒の地に育つ作物の種類や収穫量は少なく、霊峰タイタンの恵みで透明度の高い氷や清浄な天然水、湧き出る鉱泉水などの資源の対価として他国から食物を入手する交易に依存せざるを得ず、地の民(ボーデンロイテ)の生活は決して豊かとは言えなかった。その中でも一握りの上級魔術師や召喚師だけが富を寡占し、何不自由ない生活を約束されていた。有事に生命(いのち)を賭けるのは全ての魔術師が同じである筈なのに、強大魔法や召喚魔法が使えるというだけで、飢えや寒さから免れることが出来るという歪な社会構造であったが、誰一人その矛盾に対して異を唱えることが出来ないよう、一般の民は厳しく監視され、取り締まられていた。うっかり不平不満を漏らしたことを知られたら、密告により報酬を得られることを期待する隣人が嬉々として公安兵に直訴し、瞬く間に抹消されてしまう。その中にあって、貧しい庶民の子として生まれたミハイルは、物心ついた時から
(こんな貧乏暮しで一生を終わるなんて真っ平御免だ。俺はいつか召喚師になって暖かい広い家に住んで美味い飯をたらふく食える生活がしたいんだ。そのためならどんなに厳しい修行だって耐えてみせる。俺たちを見下して、ふんぞり返っている金持ちどもをいつか絶対見返してやる。)
と心に決めていた。

§風の章:カシム§

 白虎(びゃっこ)の国は国土の大半を広大な砂漠が占め、完全に止むことのない風が絶えず吹き続け、時に激しい砂嵐で往来もままならないことすらあった。風の民(ヴィントロイテ)は砂漠に点在する緑地に集落を作って暮らしていたが、カシムが幼い頃、行商人だった両親は砂漠の真ん中で砂嵐に巻き込まれ帰らぬ人となった。カシムのような身の上の孤児は珍しくもなく、首都の孤児院に集められて暮らすしかなかった。大きな風車を作って、砂漠の風を利用した風力エネルギーを得ることは出来たが、緑地以外に水分を保持できるような土壌はなく、よって乾燥した砂地でも生育可能な作物は限られ、砂漠の砂の中から僅かに採れる鉱物や金属を集めることで、他国との交易により食物を入手するしかなかった。風の民の生活は常に困窮しており、家族を養うのが精一杯の民が、孤児に手を差し伸べることなど有り得ないので、国が最小限の援助をすることでやっと孤児たちは命を繋いでいた。成長すればいつか孤児院を離れざるを得ない時が来るが、何らかの仕事にありついて自分の食い扶持だけは何とか賄えるようになるものは寧ろ稀であり、彼らの未来は路上の物乞いか、危険な砂漠で行商人などを襲う野盗か、最悪餓死することになるかも知れなかった。そんな中でカシムは考えた。
(何とかして独りで生きる術を身につけなければならない。幸いにも魔法の才能に関しては少々自信がある。最も安定した生活が保証される召喚師を目指そう。手に職を付けなければ生きて行けないこの国で、オレがなれそうなものといったらそれしかない。どんなに修行が大変でも、何も出来ずに死ぬことに比べたら、遥かにましだ。死なずに済むなら何だってできるし、やってやる。)

§火の章:メリッサ§

 朱雀(すざく)の国は湿地帯に覆われ、土地は肥沃で、高温多湿な土地柄に適する作物なら幾らでも採れた。野生の果物などもたわわに実り、毒さえなければ幾らでも収穫して食卓に供することが出来た。そして、魔法による強大な火力をエネルギーとして利用できるため、比較的豊かな国であった。ただ、天空の底が抜けたかと思われるような集中豪雨が突然始まったかと思えば暫くして止むという不順な天候が毎日のように続くこともあった。そんな地に暮らしていたのが火の民(フオイアロイテ)である。
 朱雀の国では、魔術師の中でも特殊な召喚魔法を使用可能な召喚師は特別な存在であり、生まれながらに才能を持っていると思われる子供は親元を離れて幼少期から国の専門機関によって英才教育され、常に研究を重ねて最新の効率的修行方法によって研鑽を重ね、その中でも最も優秀とされた者が召喚師候補として選ばれる。最終選別に残り、召喚師候補として選出されて、その結果、見事召喚師と認定された者は生涯に亘り国から多額の報酬や豪華な住居、その他生活の一切について優遇されることが決まっており、その両親や親族までもが恩恵に与(あずか)れることとなっていたため、親たちは「子供を奪われる」と嘆くこともなく、我が子に才能があると知れば、喜んで国へ差し出したのである。そんな優秀な召喚師候補生の中にメリッサは居た。親と離別したのは赤ん坊のころだったので、メリッサは親の顔も名前も知らない。物心ついた時には自分と同様に召喚師を目指すたくさんの候補生たちと競い、毎日発表される順位では常に上位に位置していたが、更に上を目指すべく日々鎬(しのぎ)を削っていた。脱落した者は親元へ送り返され、『期待外れ』と親に蔑まれながら、顧みられることもなくみじめな生活を送るか、或いは既に力尽きて命まで失い、亡骸となって帰郷することも珍しくはなかった。そんな中でメリッサは
(私は『選ばれし者』。常に最高位でなくてはならないの。私は絶対に誰にも負けない。召喚師になるのは私。他の誰でもない、私でなければならないの。そうでなければ、私には生きる価値がない。生きる資格がないのよ。でも、私なら出来るわ。きっと出来る筈。だって私は『選ばれし者』なんだから。)
と日々自らに言い聞かせていた。

§水の章:サクヤ§

 広大な海洋に点在する島々を束ねる最大の島を首都とする国が水の民(ヴァッサーロイテ)が暮らす青龍(せいりゅう)である。青龍では伝統的な価値観の下に血統が重んじられ、水属性魔法も細分化されて個々の家系によって受け継がれて来た。それ故召喚師も又、召喚師の家系に生まれた長子に継承されるものと決められており、長子が死去した場合は長子の長子へと受け継がれるのだが、子供がない場合は次子へ、子供が幼くてまだ継承できない場合は、その成長を待つ間に限り、暫定的に次子へと継承されるべく、厳格な規定が設けられていた。青龍の国は、海産物の資源が豊かで、波の力をエネルギーに利用している安定した国家であったが、嵐や津波などにより、甚大な被害を受けることもあり、大陸との交易のみに留まらず、「いつかは大陸に領地を拡大する」という悲願を達成すべく、虎視眈々と機会を窺っていた。有事となれば、最も重大な戦力として期待されるのが、霊獣を召喚できる召喚師であるため、全ての水の民の期待と信頼を背負う立場である召喚師の一族は、かつては崇め讃えられたが、各国の均衡が保たれて、表面上の平和が長期に亘り継続している現在では、召喚師は政権を司る機関における職能の一つでしかなかった。その召喚師一族に長子として生まれたのがサクヤだった。幸いサクヤは魔法の才能にも恵まれ、召喚師となるよう運命づけられた子供であり、誰もがそれを口にした。サクヤにとってはそれが必然であり、自分は同じ年頃の他の子供たちとは違う運命の下に生まれ落ちたのだと、成長に伴ってひしひしと感じられた。最初は親や親族たちの言う「サクヤは召喚師になるのだから」という言葉に何の疑問も抱くことはなかったが、他の子供たちがそれぞれの人生を歩む中、自分には他の選択肢が存在しないことに気づかざるを得なかった。別に召喚師になることが嫌な訳ではない。だが逆に、積極的に自分から召喚師になりたいと強く願った訳でもない。親たちが当然のように言うから、そのようなものだと無理にでも納得するしかなかった。
(もしこの家に生まれていなければ、あたしにも別の人生があったのかな。)
と考えてみたところで何も変わらないなら、他の可能性は諦めるよりない。そして開き直って
(召喚師になると決まっているなら、なるしかないでしょ。)
と一抹の寂しさを覚えつつも、心に決めるしかなかった。

§雷の章:リヒト§

 大陸中央部の温暖な平原に麒麟(きりん)の国はあった。国土の一部に結界に護られた聖なる森と光の神殿があり、その結界内だけは光の民の国であった。元々雷の民(ドンネルロイテ)は光の民から派生した亜種であったが、他民族との混血を繰り返す中で、純血種の光の民は激減し、今や絶滅寸前となっていた。一方で突然変異で発生した非術師・無の民は増加の一途を辿り、各国においては多少の扱いの違いはあれど、殆どが家畜や奴隷に等しい待遇の下に虐げられていた。麒麟の国は土地も広く、良質な土壌と、豊かな水源となる泉の恩恵を受けて多種多様な作物が豊穣で国は富み栄えていた。時折断続的に多発する落雷さえなければ、地上の楽園と言っても過言ではなかったが、雷の民はその落雷すらもエネルギーとして利用することに成功していた。雷の民は、アルブ神に仕える光の民の流れを汲む者として、自国のみならず全世界を視野に入れて、他国民を支え導く立場にあると自負していた。そんな雷の民として生まれたリヒトは「常に国や民を思い、世界に思いを馳せて行動すべき」と考えていた。力のある者が力のない者を、富める者が貧しき者を、それぞれ各自が自分に出来ることで精一杯力を尽くして、世のため人のために貢献する。それこそが使命だと確信していた。リヒト自身にとって、それは召喚師となり有事には霊獣を召喚して戦うことだと信じていたのである。

§聖地巡礼§
 召喚師を目指すと言っても、召喚師になるためには、光の神殿で行われる最後の試練を経て、神託による認定を受けなければならなかった。各国において一度に参加できるのは一名のみ。各々が自国内で最も優秀な召喚師候補である被験者たち五人は、光の民の国に集められ、共に生活しながら精霊の試練に挑み、乗り越えられた者だけが神官と巫女を介しての神託により召喚師として認定されるのである。地の民・ミハイル、風の民・カシム、火の民・メリッサ、水の民・サクヤ、雷の民・リヒトはそれぞれの国から聖地・光の神殿を目指して旅立った。光の民の国がある聖なる森は結界によって守られているので、通常は許可なく侵入することは出来ない。被験者は事前に発行された身分証明書を所定の場所で提示することで、証明書に付与された空間魔法が発動し、神殿近くの集合場所に転送される仕組みとなっていた。それぞれの被験者は身分証明書と共に送付された案内に従って定刻までに全員が集合した。五人は今まで自国での修行に勤しんで来た者ばかりなので、他属性の民を実際に目にする機会は殆どなかったため、戸惑いながらも互いを観察していた。

 最初にやって来たのは、大柄で筋骨逞しい青年。顔色は青白く、輪郭は面長で、黒い髪と黒い瞳を持ち、獣の毛皮の帽子を被り、首元の詰まった袖丈の長い衣服を身に纏っている。余裕を持って早めに出発したのであろう。まだ定刻までは充分時間があったので、他には誰も来ていないことは予め想定していたのか、案内状を取り出すと説明を読み返していた。
 次にやって来たのは小柄で薄橙色の肌の丸顔の少女。糸のように細い目をしていて、直線的な筒袖の、袖も裾も丈の長い衣服を身に着けて、青色の真っ直ぐな長い髪の上に小さな帽子をちょこんと乗せている。集合場所に転送されて来ると、その傍らに居る青年の姿を見つけて声を掛けて来た。
「召喚師認定の被験者さん?」
青年が黙って頷くと、一人で心細かったところに、同じ被験者を見つけてほっとしたのか、細い目をもっと細めて笑顔になり、
「あたしもよ。あたしは水の民で、名前はサクヤ。よろしくね。」
と挨拶した。じろりと眼だけを向けた青年は、一呼吸おいて低い声で答えた。
「俺は地の民。名はミハイルだ。」
 その答えと同時に三人目の被験者がやって来た。灰色がかった浅黒い肌に、逆三角形の輪郭の顔の少年は、頭に布を巻いて、ゆったりとしただぶだぶの衣服を着ていたが、頭の布の下から少しだけ覗いている髪の色は灰白色で、、二重瞼の下の瞳は灰色だった。二人の姿を認めると、少年は彼らに歩み寄りながら声を掛けて来た。
「あんたたちも被験者か?オレは風の民のカシムだ。よろしく頼む。」
 ミハイルとサクヤがそれぞれ名乗ると、四人目の被験者が集合場所に到着した。大柄で肉付きの良い身体(からだ)を装飾と露出の多い衣服で包んだ女性は、赤ら顔に派手な目鼻立ちをして、赤髪に茶色の瞳だった。
「あら、もう皆来てるの?私はメリッサ。火の民よ。」
メリッサ以外の三人が名乗り終えた時、最後の被験者が現れた。現地には一番近いから、という計算通りだったのだろう。色白で彫りの深い顔立ちに金髪、緑色の瞳をして、比較的体系に沿う形の衣服を着て、肩から背中にかけて短めのマントを付けた長身の男性だった。
「お揃いのようだね。僕は雷の民のリヒト。よろしく。」

 最後の被験者リヒト以外の全員がそれぞれ名乗り終えると、丁度定刻となり、五人の前に姿を現したのは、光の民の男女だった。二人とも独特の尖った耳の形をしているので、一目でわかる。二人の瞳の赤い色と身に着けた装束から、神官(プリスタ)と巫女(メティア)であることは、被験者の誰もが理解できた。
「玄武のミハイル、青龍のサクヤ、白虎のカシム、朱雀のメリッサ、麒麟のリヒト。光の民の国へようこそ。わたしは巫女のマリア、そしてこちらは夫で神官のニコラスです。あなたがたはこれより右手に見える屋敷を宿舎とし、共同生活を送りながら、精霊の試練を受けることとなります。左手の屋敷はわたしたち家族の住まいで、一人娘のソフィアとその従者で無の民のザイオン他、数人の使用人が暮らしています。あなたがたの滞在中、わたしたちはあなたがたを家族と同様に受け入れますので、あなたがたも我が家だと思ってお寛ぎください。」
マリアがそう言うとニコラスが口を開いた。
「ただ、一つだけ心して頂きたいことがあります。あなたがたはそれぞれ母国の文化の下に生きて来られた。それは他国とは異なる部分もありましょう。お互いが自国流のやり方や考え方を貫けば、我々や他の被験者と衝突する原因ともなりかねません。『郷に入れば郷に従え』と申すように、滞在中は我が光の民の国の文化を基準として折り合って頂きたい。配慮すべき部分は可能な範囲で配慮しますが、お互いの文化の違いを知ることは、相互理解に繋がります。問題が起きた場合、事と次第によっては、試練を中断し、自国にお帰り頂くこともあるので、ご協力をよろしくお願い致します。」
 過去に問題を起こして退去を命じられた被験者があったことは皆伝え聞いていた。自国では常識の範疇であったとしても、他国では通用しない場合があり、それが「極めて非常識」と判断される可能性があり、仮に納得できなかったとしても、「両成敗として双方退去になっても意義を申し立てることは許されない」と規約に定められている。
「あなたがたのお世話は、娘のソフィアの指示の下に、主に使用人の無の民が行います。彼らは、我ら光の民にとっては家族に準ずる大切な存在であり、敬意と感謝の念を持って労うことを常としております。特にこの点についてはご留意くださいますように。」
ニコラスの発言に五人の被験者は動揺した。各々の自国では、程度の差こそあれ奴隷扱いである無の民を、自分たち魔術師と対等に見るなどと生まれてから一度も経験したことがなかった。しかし、この異文化を受け入れることを拒めば、退去を命じられて今までの修行に費やした時間と血の滲むような努力が水泡に帰すかもしれないと言うのなら、目を瞑って従うよりないのだろう。

 「では、皆さん。宿舎にご案内致します。」
背後からの声に振り返ると、そこにはマリアと瓜二つの少女の姿があった。
「申し遅れました。ソフィアと申します。滞在中の皆さんのお世話係を承っております。若輩ゆえ行き届かないこともございますが、よろしくお願い致します。」
丁寧に頭を下げるソフィアは、五人とは然程年齢差がないように見えた。
「あなたと同じくらいの年齢の相手にでも、そんなに堅苦しいのが光の民流なの?」
サクヤが言うと皆がサクヤに注目した。
「まさかそんな一言で退去にはなるまいが、あまりに不用意過ぎはしないか」と一同は驚いたのである。
「いいえ、そういうのではないけど…。まだ初対面だし、お世話係を任されたのも初めてなので。」
ソフィアが少し頬を赤らめて答えると、サクヤは、
「じゃあ、そういうのナシで。その上で、あたしたちがもしあなたたちからしてとんでもないことをやらかしそうになったら教えて。わからないだけで、わざとじゃないから。」
と言い、ソフィアは
「ええ、わかったわ。」
と答えた。
 五人は宿舎となる屋敷に入るとそれぞれに与えられた個室に案内され、後刻広間で会食がある旨伝えられた。
 会食ではソフィアの指示で使用人の無の民が給仕を行い、光の民の国の名物料理が振舞われた。使用人たちの、言葉遣いこそ丁寧ではあったが、主であるソフィアと家族や友人のように親しげに会話する様子は五人には違和感しかなかった。そもそも奴隷を部屋に入れることすらなかったり、奴隷が主に直接口を利くなどということはあり得なかったりという文化以外知らない彼らにとって、魔術師が無の民と談笑する場面など見るのも聞くのも初めてであり、戸惑っていた。会食の準備が整い、ソフィアと五人の被験者が着席すると、ソフィアが言った。
「本来ならお客様から先に給仕してもらうのだけど、皆さんは光の民の食事作法がわからないと思うので、今日はわたしから先にしてもらいます。皆さんはわたしを真似て、同じようにして召し上がってくださいね。」
ソフィアが女中に向かって、
「じゃあ、お願いね。」
と言うと、女中は
「かしこまりました。」
と頭を下げ、女中がソフィアの前に置かれた空の器に飲み物を注ぎ終わると、ソフィアは軽く会釈して
「ありがとう。」
と女中に声を掛けた。五人は居心地悪そうに着席していたが、サクヤの器が飲み物で満たされると、サクヤは恐る恐る、小さな声で女中に
「ありがと。」
と言い、それを聞いてソフィアは頷いた。次にリヒトの器に飲み物が注がれると、リヒトもぎこちない作り笑顔で
「ありがとう。」
と言った。メリッサは少し口ごもりながら、小さな声で
「あ、ありがとう。」
と言い、カシムは目をぎゅっと瞑り、一気に吐き出すように
「ありがとうっ。」
と言った。ミハイルはどうしても言葉が出せない様子だったが、ソフィアが「こほん」と小さく咳払いすると、大きな体に似合わない、蚊の鳴くような小さい震える声で、絞り出すように一音ずつ
「あ り が と う。」
と言った。特に無の民に対して家畜同然と刷り込まれている地の民のミハイルにとっては受け入れ難かったのだろう。同様に奴隷とは一線を画し、接点がほぼ皆無であった風の民のカシムも、頭では受け入れねばと理解していても、簡単に順応することは難しかったのかもしれない。
 光の民の国の料理は、木の実や茸を中心としたどれも美味なもので、遺伝的にも地理的にも近いリヒトや、順応性の高いサクヤは比較的馴染みやすかったが、落差の大きいミハイルやカシムだけではなく、そもそもの文化の違いというより、あまりにも自尊感情の高過ぎるメリッサにとっては、非術師である無の民に対して敬意や感謝を示すことは苦痛に感じられたようで、食事を味わうどころではないうちに会食は終了した。
 「では、皆さん。就寝時刻までは居間で歓談されるも良し、自室で休息されるも良し、ご自由にお過ごしください。」
ソフィアの言葉でやっと少し緊張が緩和された五人は、居間で思い思いに寛ぐことにした。
「何だかものすげえ所に来ちまったなあ。試練よりもここでの生活に慣れる方が骨が折れそうだぜ。」
溜息をつき、頭を横に振りながらカシムが言った。
「それは大変ねえ。拘りを捨てて、役者が芝居をしてるみたいに、合わせとけばいいじゃない。一生続く訳じゃないんだから。」
サクヤは笑いながら言った。生まれてからずっと周囲に望まれる自分を演じ続けて来て、最早本当の自分がわからなくなっているサクヤにとっては、他人の思惑を読み取って、それに合わせることが完全に習慣となってしまっていて、異国で出会う初見の文化・習慣や作法であっても、表面上だけ合わせて見せることなど、然程難しいことではなかった。
「そうだね。自国と違うのは当然だ。余程無理なことでなければ、合わせておいて損はない。方便というものだよ。」
与し易しというだけではなく、敢えて波風を立てないよう無難な方へ寄せて行く如才なさは、リヒト自身の処世術であった。可能な限り争いを避け、安全と判断出来そうな選択をする。常に落雷という天災から身を護ろうとして来た雷の民らしい考え方だった。
「しかしな、理屈ではわかっていても、俺は不器用なもので、なかなかうまくは立ち回れんのだよ。」
ミハイルは頭を掻きながら言った。真面目さの裏返しか、頑固で融通の利かないミハイルにとっては、腑に落ちてもいないことを、小手先でどうにか取り繕うなどということほど苦手なものはなかった。
「そもそもね、女中は給仕をするのが仕事なんでしょ?それに敬意とか感謝とかって必要?女中は女中らしく、自分の仕事を淡々とこなせばいいだけじゃないの?」
メリッサはつい本音が口から飛び出してしまったことにはっとして慌てて口を押えた後で、
「とはいえ、それがここのやり方だって言うんなら仕方ないわよ。」
ぼそぼそと自己弁護の言葉を口にして、キョロキョロと皆の反応を窺った。
「でも、労ってもらったら嬉しくないですか?」
と、いつの間にか居間に来ていたソフィアが言った。
「もし、メリッサが魔術師として戦って、敵に勝てたとしたら、それはメリッサが自分の務めを果たしただけですよね?でも、もしそれで助かった人たちが、メリッサに『ありがとう』と言ってくれたら、報われたなって嬉しくなるでしょう?そして、これからもまた頑張ろうって思えるじゃないですか。彼女たちも同じですよ。一生懸命仕事をして、『ありがとう』って感謝してもらえたら、明日も頑張って仕事をしようって思えるから。」
ソフィアの言葉に、視線を泳がせ、もじもじしていたメリッサは、
「それとこれとは…。」
と言いかけたが、
「同じですよ。」とソフィアに遮られた。「仕事の内容には関係なく、全ての民は平等である」と言わんばかりのその言葉には重みと圧力と真摯な響きがあり、今までは無の民を対等な立場として見られなかった他の者たちも、口には出さなかったが、内心では(そうかもしれない)と思い始めていた。

 翌朝からは、精霊による試練が開始された。五人の被験者と五体の精霊の化身・霊獣が、それぞれ相手の人数や組み合わせを変えながら無作為に戦闘を行い、全ての組み合わせの総当たり戦が終了するまで連日繰り返される。模擬戦闘ではあるが、霊獣の強さは人数や属性の相性に応じて変化し、どの対戦においても難易度に大きな差異がないように調整されている。敗北した対戦においては何度でも再戦が可能だが、全ての対戦において魔術師が勝利するまでは終了せず、勝利できなかった対戦を残したまま以降の戦闘を放棄した場合は棄権と見做される。参加すべき対戦を他者が棄権した場合は、幻影魔法によって棄権者と同等の能力・技量を持つ仮想の魔術師が代理を務める。全ての戦闘は精霊による評価の対象となり、アルブ神の総合判断により、召喚師認定の神託が下りて、マリアとニコラスによって被験者たちに告知されることとなっていた。
(第2部へつづく)


カテーナ・ヒストリア 歴史の鎖 第4部

2023-10-22 18:33:22 | 小説
終章 未来へ
 壮絶な光と闇の「神獣(ディヴィスティア)」の闘いは、全て神々の描いた筋書きであり、終焉へと向かう光の世界に対して、光の世界を終わらせるべく、光と闇の「器(ヴェセル)」を操り、闘わせることで、光が勝てば光の世界は残るが、闇が勝てば光の世界は闇に消滅するというものだった。例え光の世界が残っても、このまま何も変わらなければ、滅亡への一本道を加速して行くだけだとしても。
 二柱の神はその傀儡である神獣の器同士を闘わせることで星の未来を占おうとしていた。どちらが勝っても負けても器たる二つの魂は永遠に消滅すると知りながら。
そして世界が闇に飲まれても、残された光の世界が自滅したとしても、いつかは『新たなる創世・パリンジェネシス』が発動される。その瞬間が訪れるのが先へ延ばされただけで、遅かれ早かれ世界の終末の時は来るとしても。

 ラニットの勝利で死人(しびと・ルヴナン)の姿に戻った闇の神獣メフィステレスの器・アルベルトは碧翠色の粒子・ルスとなって分解・消滅した。力尽きて元の姿に戻り、倒れた光の神獣・タブリュスの器・ラニットに駆け寄り抱き起す婚約者のアルマティだったが、ラニットもまた、末端から碧翠色の光の粒子・ルスとなって風に舞い、消滅して行く。
「アマルティ、この世界で二人で生きることは出来なくても、君の居るこの世界は僕が命がけで護り抜いた。後のことは頼む。この世界を…。」と言いかけたまま消えたラニットの遺志を継いで、アマルティはこの世界を救うことを固く誓った。

 ラニットを失った後、アマルティは単身神殿に赴き光の神アルブと対話した。
「光の神アルブよ。どうか私、光の巫女の声をお聞き届け下さい。私たちは皆懸命にもがいています。どんなに差別に歪み、欲望で穢れていようと、私たちは私たちの生きるこの世界を愛しています。私は民衆に対して、「『星の命』への依存を止めることでこの世界を存続できる未来を模索しよう」と説くつもりでいます。「運命に抗い、神託ではなく人々が独自の未来を紡ぐ道を歩もう。魔石(ライストン)に依存した疑似魔法(メギカ)や、蛮族(バルバリアン)の生得魔法(マギカ)を搾取すること、神獣に頼ることを止め、誰もが自分の生きたいように生きる道を、万人が平等で平和に暮らせる世界を作ろう」と訴えようと思います。私たちは『豊かさ・便利さの呪縛か、混迷の中から生まれる自由か』を選ばねばならない時に来ていることを知っています。今までは見えないふり、聞こえないふりを続けて来ましたが、このまま何も変わらなければ、幾度も同じ過ちを繰り返し、果てしない時の彼方で、再び悲劇が繰り返されるだけだと、今になってやっと気づくことが出来ました。私たちは神々の玩具ではありません。私たちは自分たちの意志でこの世界を作り、支えていこうと思っています。もう私たちには神は必要ありません。『星の命』への依存を止め、魔法を捨てて私たちの力のみで未来を築きます。」
と決意表明すると、幼い姿のアルブは一瞬だけ驚いたように目を見開いた後、目を細めてふっと寂しく微笑んだ。
「そう、じゃあわたしはアトルと共に長い眠りにつくことにしましょう。次にわたしたちが目覚めた時に、世界はどうなっているか、楽しみにしながら。」
とアトルと共に沈黙し眠りに就くことにした。

 世界の存亡に関わる戦いに勝利し、救世主となったアンスロポス王国新国王ラニットが神獣タブリュスと共に消滅したことによって、ラニットの遺体すら残されていなかったが、ラニット国王の逝去を悼む国葬が開かれ、各小国の貴族たちが一同に会する中、各小国の主要な貴族たち(主に旧五属性の国を領土とする五大諸侯)は、王座の継承に関する神託が五大諸侯に降りることに期待していた。巫女のアマルティはラニット国王の婚約者ではあったが、前国王の服喪期間中のため、正式な婚姻の儀式は行われておらず、王妃とは認められていなかった。また、アマルティには懐妊の兆候もなかったので、アンスロポス王族の血脈も途絶えることとなったからである。
北方を領土とするノルド卿は、
「この中から次の国王が選ばれるかもしれませんぞ。」
と隣り合う四人の諸侯に囁いた。
西方を領土とするヴェスト卿は、
「まさか巫女自ら王位を主張することはないでしょうが、亡き王の婚約者として何事か物申す可能性は否定できませんな。」
と言った。
東方を領土とするオスト卿は、
「よもやとは思うが、既に懐妊してたりはしまいか。婚儀はまだで、懐妊の兆候はないとは言うが、元より二人は恋仲で親密であったのなら、婚約前から深い関係であったとしても何等不思議ではない。」
と下司の勘ぐりめいたことを言った。
南方を領土とするズゥード卿は、
「そんなことよりも、この混乱につけこんで、隣国から攻められはしまいかという方が心配ではありませんか?既に各地で小規模な衝突が始まっているとも耳にしますぞ。」
と不安気に言った。
中央を領土とし、五大諸侯を束ねる立場のツェントルム卿は、
「然様(さよう)。早く次の王を決めて体制を立て直さねば滅ぼされるやもしれん。それには我ら五大諸侯が主となって王国を支えねばなりませぬ。そのためにも我ら五大諸侯から次の王が選ばれることが最善の策だと思いますがね。」
と言いつつ、
(その役目は五大諸侯の頭たる自分こそ相応しい)
と思っているようであり、他の四人の諸侯からは、
「とは言え、神託が下りぬことには、どうにもなりませんからな。」
「確かに、我らには決める権限はありませぬ故。」
などと、抜け駆けされてなるものかとばかりに、口々に釘を刺されていた。

 そんな貴族たちの前に純白の死装束のアマルティが現れると、緊張のあまり冷水を浴びせられたように彼らは沈黙した。
アマルティのその姿は死者であるラニットとの婚礼衣裳の代わりであり、生涯ラニットだけを愛し続けるという固い決意の表明であったからだ。
「ご列席の皆様にお伝えしたいことがあります。ご存知の通り、ラニット国王陛下は、御自身と引き換えにこの世界を救うという、見事なご覚悟で先の神獣決戦に臨まれました。私は生前の陛下に、陛下の身罷(みまか)られた後のこの世界を護るために生涯を捧げるとお約束しました。」
貴族たちは動揺して互いに顔を見合せ、
(もしやアマルティ自らこの国を統べる腹積もりなのでは)
と不安げな様子ではあったが、アマルティの凛然とした言葉に気圧されて、言葉を差し挟むことも出来ず、ただ耳を傾けていた。
「私は光の神アルブと対話をして来ました。太古の昔、今は蛮族と呼ばれ、貶められている魔術師(マギア)の時代から、私たちは互いに争い、いくつもの過ちを重ねて来ましたが、今『星の命』や『大魔石(クエレ)』は枯渇し、疲弊しています。魔導技術による疑似魔法の恩恵の下に、豊かで便利な生活のために私たちは『星の命』を削り続けているのです。魔石の代替として魔術師を酷使して非道に扱い苦しめてもいます。全ては魔法に依存してきたことの結果です。そして神は世界の再創世(パリンジェネシス)を試みようと、神獣決戦を行わせました。私はアルブ神に『私たちは神々の玩具ではない。もう私たちに神は必要ない。』と訴えました。魔法がなくなれば、今のような豊かで便利な生活は保証されません。火を起こすのも、水を汲むのも、土を耕すのも全て、私たち自身の力と工夫で行わねばなりません。そうなれば辛く苦しい未来が待っているかも知れません。それでも、私たちは私たち自身の手で、私たち自身の力で未来を切り開いて行くべきです。そのためには、全ての民が力を合わせて共に生きることが必要なのです。上も下もない、万民が自由で平等な世界を私たちの手で作りあげるのです。簡単なことではないでしょう。でも反省も改善もなく、このまま突き進んで行く世界に未来はありません。アルブ神とアトル神は眠りにつきました。これからは神の手を離れて、私たちがこの世界を護って行くのです。アンスロポス王国はなくなります。王国領の各国も、隣国ロイテンドルフ共和国も、皆手を取り合って共に生きる仲間、同士となるのです。」
 
 魔法は魔石由来のため、魔力の枯渇に目を瞑り、問題を先送りして、生得魔法が使える蛮族の奴隷を酷使して使い捨てようとしていたアストロポス王国に対し、反旗を翻し独立したロイテンドルフ共和国は「魔術師に対する非道的な扱いはいけない」とし、「多民族が平和で平等な世界を目指す」としていたので、アマルティは、まずは王国民の意識を変え、共和国民と同調する路線を決めた。

 最初は便利で豊かな魔法のある生活を失いたくないと反発する民衆だったが、アマルティが
「『星の命』はもう枯渇しかけています。このままだと世界が終わってしまうのです。私はラニット王がご自身を犠牲にしてまで護った、彼の愛したこの世界を護って行きたいのです。皆さんも一緒に世界を護って行きましょう。」
と繰り返し訴えると、いつしか徐々に彼女に賛同する者たちが増えて、神獣も神託も魔法もない世界が創られて行った。

 器となった者たちは自らの望む時、望む場所で死ぬことすら許されなかったが、その宿命により護られ残された者たちが目指す世界は、魔術師も非術師も関係なく、誰もが自分の望む場所で生きられる、万人が平等な世界であり、魔法を捨てて、自分たちの知恵と力と工夫によって、額に汗して働き、築く新しい世界であった。魔導エネルギーの恩恵によって齎(もたら)された偽りの繁栄のために、欲に塗(まみ)れ争い続けた歴史からの反省を胸に、力強く生き抜くと誓った民衆により、旧アストロポス王国は解体され、新生ロイテンドルフ共和国として生まれ変わり、魔法がなくても科学技術の発達により、身近な道具から器具、機械へと改良され、皆が互いに協力し、助け合って生きる世界が生まれたのである。

 そして、アルブとアトルは長く深い眠りに就き、『星の命』は民を見守り続け、民が道を誤りそうになれば、世界の再創世のために二柱の双生児の神を目覚めさせることだろう。
かつて存在した世界が幾度となく再創世を繰り返して来たように、「今度こそは」と、この星を統べる生物が、世界が永続する道を見つけられることを期待しても、いつか必ず同じような過ちを繰り返す。この負の螺旋をいつか断ち切ってくれるものが現れることを、『星の命』はまだ、諦めてはいない。

カテーナ・ヒストリア 歴史の鎖 第3部

2023-10-22 18:32:58 | 小説
第3章 アンスロポス王国の終焉
 「闇の神獣(ディヴィスティア)」メフィステレスの「器(ヴェセル)」であるアルベルトは、弟であり聖の神獣・ジクフリートスの器であるケイネスによって、愛する「巫女(メティア)」アメリアと共に謀殺され、不老不死の「死人(しびと・ルヴナン)」として「現世(うつしよ)」に蘇り、復讐を遂げようと試みるも捕らえられてしまった。数十年後メフィステレスの力で脱獄し、晩年のケイネスを倒すことに成功するも、ケイネスを初代国王とするアンスロポス王国兵によって再び幽閉されてから更に数百年の月日が流れていた。アンスロポス王国はケイネスの末裔が歴代の王位継承者となり存続していたが、ケイネス王からの伝統的な「大魔石(クエレ)の加護の下の疑似魔法(メギカ)至上主義」に異を唱える者たちや、「魔石(ライストン)への過剰な依存は『星の命』を削る行為であるという魔力枯渇問題を先送りにし、「生得(しょうとく)魔法(マギカ)」を使える五属性の民の末裔「蛮族(バルバリアン)」を酷使し使い捨てるような非道な仕打ちを止め、魔法依存を止めて万人が平等で平和に暮らせる道を模索すべき」と考える者たちが反乱を起こしたが、王国政府は非現実的な理想論と相手にしなかったため、王国は自然に分裂した。反王国派を中心にして建国し、隣国となったロイテンドルフ共和国の掲げる目標は、かつてのアルベルトの「万人を平等に全て救いたい」という思想に近く、真偽不明の伝説に聞く死人、『幽閉されし幻の王・アルベルト』の存在を知り、秘密裏に捜索していた。そして長い年月を経て聖の結界が劣化したことが幸いし、とうとう化け物として幽閉されていた異能者、闇の器・アルベルトを救出した。共和国に与(くみ)することとなったアルベルトは、遥か昔に亡くなった弟ケイネスの末裔にあたる母国・アンスロポス王国の王族に復讐を誓った。ケイネスは「アルベルトが死すべき魂を救済することは真の救済にはならない」と考えていたため、二人は相容れなかった。後になってケイネスは「アルベルトとアメリアを謀殺したのは若気の至りによる行き過ぎだった」と後悔し、善き王となることで償おうとしてきたが、幽閉中のアルベルトがそれを知ることはなく、「ケイネスが私利私欲のために王座を奪ったのだ」と信じ込んでいた。アルベルトは晩年のケイネスと相対した時にケイネスの真意を知るも、それによって失ったものが戻る訳ではないと拒絶し、アルベルトはケイネスを打ち取りはしたが、どこか満たされないまま再び幽閉の身となっていたからである。

 ケイネスの末裔は初代の国王であるケイネスの遺志を受け継いで魔導国家として発展して来たが、アルベルトとケイネスのみが神獣の器となるべき「魔法耐性(マアイク)」のある特異体質であっただけで、その体質が子孫に遺伝することはなかった。ロイテンドルフ共和国に身を寄せたアルベルトは反王国派の同志たちと共に王国軍との戦いに身を投じていた。不老不死状態のアルベルトは単独で暗躍し、ついに現国王の暗殺に成功するに至った。

 「アンスロポス王国の国王陛下であらせられますね?」
白髪に深紅の瞳の男が何処からともなく王の寝所に現れ、王の枕元で囁くように言った。
「そなたは?」
「陛下の祖先、初代国王ケイネスの兄にして、『幻の王』と呼ばれている者です。」
王は薄闇の中でギラリと輝く眼光鋭い深紅の瞳に睨みつけられると、金縛りにあったように身動きできなくなった。
「伝説は真実だったのか。」
王は喉を締め上げられたような苦しさの中で、呻くように呟いた。
「黒い髪、切れ長の目、我が弟にして初代国王ケイネスの面影を宿している。間違いなくケイネスの末裔、アンスロポス王族の証ですな。僅かでも王族の血脈に繋がる縁者は悉くわたしが手にかけた。生き残った王族は既に現国王陛下と嫡男のラニット王子のみとなりました。」
アルベルトは視線を外さず、淡々と語った。
「私のことは好きにして構わん。だが…。」
王の言葉を遮るように、アルベルトは王の首を切り裂き、一突きに心臓を刺した。
「残念ながら、陛下。それは聞き入れられませんな。」
アルベルトの言葉に、王の両眼からは涙が溢れた。
アルベルトが視線を外した途端に、王の身体はどさりと寝台の上に倒れ、アルベルトは振り返ることなく王の寝所を後にした。
王国城の寝所へアルベルトが侵入して国王を暗殺する間、闇の結界が張られていたために、誰もそれを阻止することはおろか、察知することさえできなかったのである。


 
 国王が暗殺された後、「神託(オラケル)の巫女(メティア)」アマルティは、神託により新国王としてラニット王子が選ばれたことを告げられた。王子であっても神託を受けなければ王になれない伝統が受け継がれており、まだ若いラニットは一人っ子で、父王もまた一人っ子であったため、ケイネスの直系に当たる者はもうラニット王子以外に残されていなかった。それはまるで呪いのように、歴代国王には王子一人以外の子供は生まれないか、生まれても成長する前に早逝していたからである。アルベルトは数百年間幽閉されていたので、現国王がケイネスの直系であると知って暗殺したが、ラニット王子が数百年ぶりに生まれた特異体質の持ち主であり、光の神獣の器となり得る人物であるなどと、その時はまだ知る由もなかった。

 突然父を失ったラニットは、まだ父の死も受け入れられないほど混乱していたが、そこに追い打ちをかけるように「光の神獣・タブリュス」の器として覚醒した。
「この世、即ち現世、光の世界を守るために戦うことがあなたの宿命(フェイト)。」
と、心の中に呼びかける声が聞こえた。そしてその声は
「あの世、即ち幽世(かくりよ)と呼ばれる死後の世界、闇の世界を守るべき闇の器が現れて、あなたを狙っている。我が名は光の神獣・タブリュス。あなたは我が器となるべく選ばれし者。わたしの魂をその身に受け入れ、共に戦いましょう。」

 漆黒の髪に端正な顔立ちの青年、それがアンスロポス王国の王子にして新国王となるべきラニット王子であった。真っ直ぐな性格の彼は神獣の言葉を信じ、光の神獣タブリュスとの契約を受け入れることを決心したラニットは、巫女のアマルティと共に神殿に赴き、光の御神体の前で神獣タブリュスとの契約の儀式に臨んだ。ラニットの胸にはタブリュスの「術式回路(シャルトクライス)」が刻み込まれ、タブリュスの魂と肉体を共有したラニットは光の器として生まれ変わったのである。光の器として覚醒したと同時に彼の瞳の色は黒から鮮やかな真紅に変わった。 
 幼馴染でしっかり者の神託の巫女・アマルティは肩までの黄金の髪に深紅の瞳の美少女で、古代種・光の民(リヒトロイテ)の末裔であることは独特の尖った形状の耳でわかる。絶滅寸前の光の民は、歴代の混血により、もう純粋な光の民は存在しないが、アンスロポス化しつつある中でも、まだ先祖返り的に光の民の特徴を色濃く残している子供が生まれることがあった。生まれながらにして巫女に覚醒している者もあるが、巫女は神の神託を受けて覚醒するものなので、何らかの原因で巫女の力が失われたら別の巫女が覚醒する形で後天的に覚醒することもあり、一世代には一人しか存在しないが、歴代の巫女は皆、尖った形の耳と深紅の瞳を持っていたと言われている。
 アマルティが巫女に覚醒し、光の神獣・タブリュスの器として覚醒したラニット王子が王に選ばれたという神託を受けることになったのは、正に因果によって結ばれているとしか言いようがなかった。かつて「禍罪(まがつみ・ディザスター)の魔女」の汚名を着せられて生きながら奈落へ堕とされた悲運の巫女アメリアも、彼女と心を通わせていたアルベルトを王にという神託を受けていたし、アルベルトは闇の器であった。巫女と王と神獣の器とは深い因果で繋がっているのである。ただ、意外だったのは、ラニットを器に選んだのが光の神獣タブリュスであったことだ。ラニットの祖先にあたる初代国王ケイネスが契約したのは、聖の神獣ジクフリートスであったが、実兄のアルベルトが契約した闇の神獣メフィステレスによって倒されたと言われている。神獣の器は魔法耐性に優れた特異体質でなければ務まらない。そしてそんな特異体質を持って生まれるのは数百年に一度あるかないかの奇跡だと言われている。闇の神獣メフィステレスの器は初代国王の兄アルベルトであったが、彼は伝説上の人物で実在しないと言われていた。ケイネス王亡き後、新たな神獣の器は現れておらず、何故今回ラニットが神獣の器に選ばれたのか、それが古の霊獣大戦で活躍して以来長き眠りに就いていたと言われる光の神獣タブリュスなのか、不思議なことだらけだったが、「神獣の器は、魔法耐性はあるが生得魔法を使えないアンスロポスの中からしか生まれず、王と巫女と器は因果で繋がっている」とは伝え聞いていた。

 早くに母を亡くして父一人子一人で育ったラニットは、幼馴染だった年上のアマルティに母性を求めてか、彼女を心の支えとしていた。まだ若く、父を亡くしたショックからも立ち直れないラニットが神獣・タブリュスの器として覚醒したばかりなのに、その上「新国王に選ばれた」という神託を受けていたことを告げれば、「混乱して消化しきれないのでは」と気を揉んでいたアマルティは、契約の儀式が終わるまでは神託のことは黙っていたが、巫女の使命としてそれを告げない訳にはいかなかった。
「ラニット、国王陛下を亡くされたばかりで辛いでしょうに、神獣と契約した上に、国王に選ばれたなんて、神託とはいえ、私もあなたに伝えるのが心苦しいわ。」
「ああ、アマルティ。うん、確かにまだ心の整理はつかないけど、父上はいつも僕に王族として、王子としての心構えを説いて聞かせてくれた。『王族の誇りと矜持を持って、どんな時も凛として振舞わねばならない』と。だから僕は受け入れなきゃいけない。父上は、『神託によって選ばれなければ王にはなれないが、いつ神託が下りても良いように常に覚悟を決めておきなさい』と言っていた。そして、恐らく父上は僕に魔法耐性があることも、特異体質であれば、いつか神獣と契約する時が来るかも知れないことも、予想していたのだと思う。もしそんな時が来ても、自分に課せられた『宿命』を受け入れて、見事に使命を果たさねばならないと諭されていた。…大丈夫。僕は、僕の宿命から逃げ出したりはしない。僕にはこの国を、民を、世界の全てを背負う覚悟を求められているんだ。僕は光の神獣タブリュスと契約して器となったことを受け入れる。そしてアストロポス新国王として即位する。」
いつの間にか、自分が思っていたよりも、大人びて男らしくなったラニットの笑顔を、アマルティは眩しそうに眺めた。
「そう、わかったわ。ラニット。あなたが覚悟を決めたのなら、私が言うことは何もない。でも、これだけは覚えておいて。どんなあなたでも、私にとってのあなたは、今までと変わらない。あなたの身に何事が起きたとしても、私はあなたを全力で支える。それが巫女としては勿論、私自身のあなたへの変わらぬ想いの証だから。」
真摯な表情でラニットの目を真っ直ぐに見つめながら、アマルティは両手で包み込むようにラニットの手をぐっと握った。
「ありがとう。アマルティ。君が居てくれるから、僕は強くなれる。君は本当の僕をずっと見て来てくれた。僕の弱いところも汚いところも、全てを知ってくれている君だからこそ、僕は君になら全てを曝け出すことが出来る。ずっと僕の傍に居てくれ。君と一緒なら、僕は何でも出来るし、何処へでも行ける。僕が神獣の器になって、僕が今までの僕でなくなっても、君は僕を受け入れてくれるだろう。君を信じているからこそ、僕は強くなれるんだ。結婚しよう。アマルティ。僕の子供を産んでくれ。君も僕も今や天涯孤独の身の上だ。たくさん子供を作って、親子兄弟仲良く、楽しく賑やかな家族になろう。」
アマルティを抱き締めて、ラニットが想いを伝えると、アマルティも、ラニットの身体に回した両腕にぐっと力を込めて抱き締めた。小柄で華奢だった幼馴染は、いつしか自分の背丈を追い越し、こんなにも逞しい男性になっていたのだと、今更ながらに胸がときめいた。
「ありがとう。ラニット。死が二人を分かつまで、私はずっとあなたを支えます。」
そして、神殿を後にして、アストロポス新国王としての即位の儀式を行うため、アストロポス王国城へと向かったラニット王子と婚約者のアマルティの姿を、物陰から伺う怪しげな人物の姿に、二人はまだ気づいていなかった。その人物こそ初代国王ケイネスの実兄にして闇の神獣メフィステレスの器、アルベルトであった。本来ならば神獣の器同士は互いの魔力を察知することができるのだが、まだタブリュスの魂が十分にラニットの身体になじんでいなかったため、ラニットにはアルベルトを感知することが出来なかったのである。

 新国王となったラニットは国内各地の視察や元蛮族の国であった各領内を統治する領主である五大諸侯との会談など、精力的に国務を熟(こな)していたが、その行く先々で暗殺者に命を狙われ、暗殺者はかつての反国王派、現在は独立してロイテンドルフ共和国を名乗る隣国の刺客であろうと思われた。未だ不明な前国王暗殺の実行犯が、新国王ラニットを狙っているものとみて間違いない。王国流剣術の腕前にも優れ、タブリュスの器となったことで光魔法も使えるようになったラニットは、幾度となく暗殺者の魔の手が迫っても、無事に回避し続けることに成功してはいるが、「何時何処で襲われるか」と警護兵たちの心も休まる時がなく、ラニット王の婚約者で未来の王妃アマルティも、彼の身を案じて四六時中片時も傍を離れなかった。

 運命の歯車が回りだしたことで、二人は互いを慰め合うように不安に押し潰されないように、強く抱きしめ合って床に就いた。眠りに就いたラニットの胸の術式回路を指でなぞりながら、アマルティはそっと涙を流した。幼い頃尖った耳を異端視され、孤立していたアマルティにそっと手を差し伸べてくれたのがラニットだった。王子という立場は孤独だっただけに、アマルティの孤独に共鳴する部分を感じ取ったのかも知れなかった。ラニットが母性を求め、姉のようにアマルティを慕ったように、アマルティもまた幼いながらに自分を守ろうとしてくれたラニットに支えられ、共に手を取り合って生きて来たのだと思った。二人にとってお互いがかけがえのない存在であり、深い愛情で結ばれていることは揺るぎのない真実だったから、アマルティは「この先もずっとこのままの二人でいられたらいいのに」と思った。
そして今やラニットは神獣の器となり、他の誰にも理解されない特別な存在となってしまった。昔から巫女であるアマルティが感じて来た孤独と似て非なるものを今のラニットはその心に宿しているに違いない。今のラニットの心に寄り添うことが出来る者はアマルティ以外には居ないだろう。他の誰にも想像することの出来ない孤独を知る者同士として彼を支えるのはアマルティの使命であり、その役割を担うことが自らの宿命だと思った。

 国内各地での国務を終えてアンスロポス王国城に帰還したラニットの下に、隣国ロイテンドルフ共和国議会代表で顧問のアルベールなる者が謁見を求めて来た。
「度重なる暗殺未遂を起こしながら、今更正式な手順を踏んだ謁見とはいったい何を考えているのか」と訝しみながらも許可を与えた新国王の前に一人の男が姿を現した。
「これはこれはラニット新国王陛下。ご機嫌麗しゅうございます。わたくしはロイテンドルフ共和国議会にて顧問を務めますアルベールと申す者にございます。ご即位のお祝いに馳せ参じましたところ、快く謁見の御承諾を賜り、恐悦至極にございます。」
慇懃無礼な印象を与えるその男が、恭しく帽子を取って深々とお辞儀をすると、長く伸びた白髪の巻き毛が一束、はらりと肩から流れ落ちた。
「ありがとう。アルベール卿。」
ラニットが声をかけると、顔を上げた男の顔は不敵な笑みを浮かべ、赤い瞳がきらりと光った。
「その黒髪と切れ長の目、紅い瞳。紛れもなく初代ケイネス国王直系の末裔とお見受けしました。端正なお顔立ちもどことなく面影を残しておられるように思えます。」
数百年以上前の先祖のことを、さもよく知っているかのような口振りに違和感を感じた一同の脳内に、『幻の王』の伝説が過(よぎ)った瞬間、男は一瞬で玉座までの距離を詰め、ラニットの眼前すれすれに人差し指を向けて構えた。
「そう、俺は貴様らが今思い出した『幻の王』、初代ケイネス国王の実兄アルベルトだ。死人となって現世に蘇り、弟ケイネスを殺し、数百年間幽閉され続けて来た、闇の神獣メフィステレスの器でもある。そして前国王を殺めたのも俺の仕業だ。何度もラニット新国王を狙ったが、悉(ことごと)く失敗に終わったのは、ラニット新国王が、光の神獣タブリュスの器だったからなのだろう。だからもう暗殺するのはやめにした。正々堂々と正面から神獣の器同士、神獣に顕現して互いの力を開放して戦うことにするさ。だが、それは今じゃない。正面からまともに顔も見ないで、いきなり神獣に顕現して戦うのは礼儀に反するからな。今日はこれで失礼するが、以後お見知りおきを。最後に言っておくが、今回はあくまでも『ロイテンドルフ共和国議会顧問アルベール』として訪問したのだから、無粋な真似はしないでもらおうか。」
そういうと再び一瞬にして元の場所に戻ると、帽子を取って深々とお辞儀をし、
「では皆さま、ご機嫌よう。」
と去って行った。追いかけようとする警備兵に向かってラニットが腕を上げて制止した。
「追わずとも良い。こちらから攻撃を仕掛けない限り、彼からは手を出さないだろう。」
宣戦布告とも取れる言葉を残して去ったアルベルトだったが、最初にアルベールと名乗った時には気配を消していたのか、全く感じ取れなかった神獣の魔力を、アルベルトが正体を現したと途端にラニットは感知した。逆にアルベルトは、ラニットの身体にまだ馴染みきっていないタブリュスの魂の気配を感じ取っていたに違いない。ラニットには、「そう遠くない未来に、必ず光と闇の神獣は闘うことになるのだ」と、否が応でも思い知らされた体験であった。アルベルトの目的はケイネスの末裔の抹殺と血脈の根絶、そして王国の滅亡であることは火を見るよりも明らかだと、『幻の王』の伝説を知る者であれば、容易に想像が出来たからである。

 アルベルトの突然の訪問の後、アマルティは再び神託を受けた。
「ついに光と闇の神獣による対決が行われ、その勝敗の行方には世界の命運を託し、現世と幽世の未来を占うものとなるが、その結果にかかわらず、双方の器の魂は消滅する。」
という内容にアマルティは愕然とした。
「ラニットには過去数百年の先祖からの因縁の相手との決着のみならず、世界の命運を背負って闘い、魂を捧げねばならない宿命がある。」
という、理不尽な神々の意思を知り、それを如何にしてラニットに伝えるべきか苦悩した。神獣の力で宿敵を倒し、本来なら滅することの適わぬ死人の魂を葬ることが出来たとしても、ラニットの魂もまた消滅し、永遠に失われてしまう。それが契約の代償とはあまりに残酷で、口にすることも憚(はばか)られる思いではあるが、真実を告げることが巫女としての使命である以上、隠匿することは許されなかった。
 ラニットはアマルティの様子がいつもと違うことに気づいた。気丈で健気なアマルティが動揺を隠しきれないほどに、今回の神託は厳しいものであったことは想像に難くない。しかし、それが例えどれほど衝撃的な内容であったとしても、ラニットは自らの宿命を全うする覚悟は出来ているという自信があった。強敵の出現で、ある程度の厳しい未来は予想していただけに、神託の内容がどんなものであったとしても、それを受け止めるだけだとラニットは思った。
「アマルティ、神託は何だった?」
務めて普段通りの笑顔を浮かべて、何気ない口調で声をかけたつもりだったが、微かな声の震えを彼女に気取られはしまいかとラニットは少し心配になった。
声をかけられたアマルティは、一瞬驚いたように視線を外し、ほんの少しの間、心の整理をつけるように目を伏せてから答えた。
「ラニット、落ち着いて聞いてほしい。出来ることならあなたには聞かせたくないけれど、告げない訳にはいかないから。」
「わかった。心して聴くとしよう。」
とラニットが真顔で答えると、アマルティは一度深呼吸をして語り始めた。
アマルティは、出来る限り感情を抑えて、事実だけを述べることに集中しようとし、ラニットもまた一言一句を真摯に受け止めて、感情を差し挟むまいと意識して耳を傾けた。
「そうか。」
ラニットは呟くように一言だけ言った。
「ラニット。」
アマルティは彼にどんな言葉をかけるべきか迷い、結局名前を呼びかけただけで、それ以上は何も言えなかった。
二人とも視線を落としたままで、暫し沈黙が続いた後に、ラニットがぼそりと呟いた。
「魂が消えてしまうのは、僕の宿命なんだな。それを覆すことは、誰にも出来ないんだな。」
自分自身に言い聞かせるように、ラニットはそう言った後、俯いて両膝に置いた拳を固く握り締め、悔し涙を零しながら言った。
「君と結婚して、たくさん子供を作って、明るく楽しい家族を持って、子供の成長を見守って、子供たちが巣立ったら君と二人で仲良く歳を重ねて、最期は君に看取られて生涯を終えられたら良いな、なんて、普通の幸せを望むことなど、僕には許されないんだな。」
ラニットはアマルティの手を取り、涙でくしゃくしゃになった顔を向けて言った。
「本当は、怖いんだ。こんな弱音を吐ける相手は君だけだよ。僕は本当はそんなに強くない。宿命を果たす覚悟はあるなんて言いながら、本当は怖くてたまらない自分が、心の奥底で震えてる。死ぬのが怖いんじゃない。君を、君との未来を失うのが辛いんだ。僕が器で、君が巫女なのも、それぞれが自分の宿命を受け入れて役割を果たすべく生まれてきたことも、頭では理解している。だが、僕にも感情はある。君を愛して、君との未来を夢見て、それらの幸せが全て僕の手の中から零れていく。望んではいけなかったのかもしれない。でも自分の気持ちを止めることなど出来はしなかった。幼馴染の君を、母や姉のように慕っていた君を、いつの間にか一人の女性として愛するようになってしまったから、望むべきではないと思っても、君への愛を止められなかった。もしかしたら、ほんの少しだけでも、夢が叶うかもしれない。そんな希望を捨てたくなかった。だが、思っていたよりも随分早く、夢を諦めなければならないと知る時が訪れてしまった。本当は逃げ出したい。でも、僕はもう光の器としてタブリュスと契約してしまった。逃げ道はない。頭ではわかっていても、まだ僕の心がそれを受け入れられないんだ。」
アマルティも頬に涙を伝わせて、ラニットをじっと見つめて言った。
「私だって同じよ。ラニット。弟のように可愛かったあなたを、いつの間にか一人の男性として愛するようになってしまった。王と巫女としてだけではなく、あなたの妻になって、あなたを支え見守りたかった。あなたとなら一生苦楽を共にして暮らしていけると思えた。結婚しようと言ってくれた時は嬉しかった。いつかあなたが光の器としての宿命で、命を懸けた闘いに臨まなければならない時が来るとしても、心の何処かで一縷の望みに縋ってみたかった。もしもあなたが生き延びることが出来るなら、例えあなたの身体が動かなくなっても、私のことがわからなくなっても、あなたの傍に居たかった。出来ることなら宿命から逃げ出して、二人でひっそりと何処かに隠れて暮らして行けたらどんなに良いだろうって考えたわ。そのためならどんな罰を受けても、どんな犠牲を払っても良いとさえ思った。神に背いてでも、あなたを失いたくなかった。勝っても負けてもあなたは戻らないのだと聞いて、いっそ闘いに臨む前に、あなたと二人で逃げようとまで思ったわ。でも、それは出来ない。わかっているけど、受け入れられないのは私も同じよ。」
 ひとしきり泣きながら互いの心情を吐露しあった二人は熱い抱擁と共に唇を重ねた。器として、巫女として、それぞれの宿命を肩代わりできる者も、心底理解してくれる者も居ない孤独を抱えながら、愛し合い求め合う二人は抱き締め合い、初めて心も体も結ばれることで互いの満たされない魂を癒し合った。
 月の光を浴びて寝台に並んで横たわる二人は心を決めた。
「アマルティ。僕は決めた。メフィステレスの器と闘う。僕が彼に敗れたら、全ての魂は幽世に送られて、現世は、この世界は闇に飲まれて消える。君の生きるこの世界を、僕は決して失わせる訳にはいかない。父上が護って来たこの国も、民も、他国の民も、いや、蛮族でさえも、この世界で生きる者全てを護るために、僕は彼を倒さねばならないんだ。僕は宿命を受け止めて、この世界を救うために、この魂を捧げる覚悟を決めた。」
そのラニットの言葉は静かだが落ち着いていて、ついに決心を固めたことが感じられた。
「ラニット。あなたが決めたことなら、私はそれに従うわ。この世界を救った後、あなたが戻らないとしても、私はあなたに代わってこの世界を守らなければならないもの。あなたが命を懸けて守った世界を、あなたが遺してくれた世界を、今度は私が命を懸けて護り抜くわ。」
アマルティの言葉にも揺るぎない決意と覚悟が感じられた。
二人は残された僅かな時間を惜しむように再び抱き締め合った。

 程なくして、神託により告げられた時と場所において、光と闇の神獣による、世界の命運をかけた闘いの火蓋が切って落とされた。古の霊獣大戦の折に破壊されて廃墟となった広大な土地に結界を張って、ラニットとアルベルトが対峙していた。
「禍罪の鎖を絶ちて魂を苦悩より解き放つ者、暗黒を統べる闇より黒き者、メフィステレスよ。我が召喚に応えよ。」
先にアルベルトが聖句(シュクリト)を詠唱すると、続けてラニットも聖句を詠唱した。
「眩(まばゆ)き光の剣(つるぎ)にて闇を切り裂く者、鋭き光の矢を放ちて闇を射貫(いぬ)く者、タブリュスよ。我が召喚に応えよ。」
アルベルトが、漆黒の甲冑を身に着けた騎士姿のメフィステレスをその身に顕現させると、ラニットは、黄金の甲冑を身に着けた騎士姿のタブリュスをその身に顕現させた。
 二体の神獣は剣を携えて距離を取り、互いに王国流剣術の構えを取った。魔法剣の剣術勝負に始まり、接近戦での体術や遠隔攻撃の魔法もほぼ互角、強いて言えば器としての経験に勝るアルベルトのメフィステレスが僅かに有利というところか。

 (このままでは埒が明かない)と二人同時に感じた時、それぞれが完全顕現により神獣の姿となって戦うことを選択した。
「来たれ!メフィステレス!」
「来い!タブリュス!」
黒い六本足の半人半馬の神獣姿のメフィステレスが大剣をぶんっと振るい、黄金色に輝く翼竜の神獣姿のタブリュスが六枚の翼を広げて空に舞い上がった。
メフィステレスが大剣を振ると、鎌鼬(かまいたち)の如き真空の衝撃波が飛び、それを躱(かわ)したタブリュスの口から吐かれた光線が一直線にメフィステレスへ向かい、メフィステレスはそれを躱す。メフィステレスが放つ闇魔法の効果を相殺するように、タブリュスは光魔法をぶつける。神獣同士の一騎打ちは正に互角で、只管(ひたすら)魔力を消耗して行くだけで、戦況は膠着、その力は拮抗していた。
 アルベルトの目には、光の神獣の器であるラニットの姿がケイネスとダブって見えて、闇の力全開で潰しにかかるが、目に映るこの世界は輝きを失い、愛する者を失った代償にしては、余りにも虚ろでしかなかった。闇の極大魔法を発動しさえすれば、全てが終わる。だが、タブリュスに余力の残っているうちは、光の極大魔法を発動することで相打ちになるか、或いは僅かにタブリュスに残された力がメフィステレスの力を上回った場合、闇の極大魔法はかき消されてしまうだろう。

 少し時を遡り、最後にして最大の闘いの前に、アルベルトの心境には微かな変化が生じ始めていた。遥か昔、生と死の境界で在りし日のアメリアの姿を具現化した思念体として現れた彼女の魂と共に、幽世(かくりよ)の神アトルから究極の選択を告げられた時は、この世界を救うことが自分の使命だと勝手に思い込んでいたが、最終決戦の前に、自らの宿命の真実を知ることとなった。
アルベルトは光の神アルブが統べる光の世界を終わらせるべく、闇の神アトルの意思により闇の器にされ、同様に光の神アルブの意思によって光の器とされたラニットと闘うことになったが、世界の命運をかけた闘いは、勝敗の結果に関わらず、双方の器の魂は、器となって神獣を宿した代償として、永遠に消滅する。光の器が勝てばこの世界は存続し、闇の器が勝てば世界は闇に飲まれて消える。それが真実だった。
 しかしアルベルトにとっては、世界の行く末など最早どうでも良かった。アメリアを失った世界など、どうなっても構わない。ただ数百年以上生き続けることに、アルベルトはもう疲弊していた。ケイネスを倒した時に、復讐を終えれば良かった。ケイネスの末裔たる王族に対して復讐を継続したのは、ただ、死ねない自分がこの世に生き続けるための言い訳でしかなかった。誰にも殺せない自分を消滅させられるのは、器として戦える相手だけ。ケイネスの死後、別の器が現れるまで、只管待ち続けるよりなかった。そしてやっと現れたのだ。アルベルトは、本当は、無自覚に「自分が倒されることで全てを終わらせたい」と願っていた。この世界を滅してもアメリアが戻ることはないが、アメリアの居ないこの世界で永遠に存在し続けなければいけない自分を認められず、復讐という目的で自分を偽りながら、本当は自身の消滅を、ずっと無意識下で願っており、自害することすらできない死人であるから、器としての闘いの終わりと共に自らを消し去りたいと思っていた。かつて世界の全てを救おうとしてアメリアを救えなかったことを悔い、彼女はおろか自分さえも救えず、心が闇に堕ちて、世界の全てを終わらせて、消えゆく自分の魂の道連れにこの世を消し去ろうとした。

 何故だかアルベルトは、ラニットとの激闘の中で、ふとアメリアの最期の笑顔を思い出していた。愛する人を失ったこの世界は、既に輝きを失ったとずっと思っていたが、最後の最後になって、アメリアはこの世界を愛していたことを思い出したのだった。アメリアは自身を迫害したにも関わらず、この世界を愛し、その魂を捧げたのだと。それを思い出した時、アルベルトは、闇の器としてこの世界を滅するという使命よりも、「光の世界を残すべきなのでは」と思い直し、ふっと力が抜けた。長く死人としてこの世に留まり過ぎて、疲れ果てたアルベルトは、「もう終わらせたい」という、秘めたる自分の気持ちをやっと認めることが出来た。
 メフィステレスは闇の極大魔法デュンケルの詠唱を始めた。
「漆黒の闇、永遠の無、全ての魂よ…」(昏(くら)き世界に堕ちよ。デュンケル!)
それに対抗すべくタブリュスは光の極大魔法リヒテルの詠唱を始めた。
「黄金の光、永遠の生、全ての魂よ、輝き、遍(あまね)く世界に満ちよ。リヒテル!」
リヒテルが発動した瞬間、タブリュスの中でラニットの魂は気づいた。偶然なのか、敢えてなのか、アルベルトの魂がメフィステレスを制止し、突然詠唱を中断したことに。不完全な詠唱により、デュンケルの発動は不発に終わった。
圧倒的に強いかと思われていたメフィステレス即ちアルベルトだったが、最後は自滅するかのように、タブリュス即ちラニットの極大魔法リヒテルの攻撃が通って致命的な打撃を与えられることとなった。