きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

本日入稿 2017.07.30

2017-07-30 16:43:51 | 日記
ついに見切り発車。いつものことだけど。

以前から温めていたネタの種、本日入稿。
と、言っても、決して物語の全体像が見えてるわけでも設定が固まった訳でも何でもない。
ただいつまでも同じところでぐるぐる思考が回っていると全然先に進まないので、とりあえず、頭の中のものをアウトプットして、そこから改変なり加筆なりしていくうちに形になるのではないかと思うし、もし途中で矛盾や祖語が生じた時には、またそこから改めて考えたら良いだろう。

ということでとりあえずプロローグを一通り書いてみた。
最初からずっと考えていたエピソードをまず前面にバーンと打ち出して、その後時間を遡る感じでネタ帳メモアプリに保存した内容を書き込んで行って、謎解きみたいな感じで更に過去へ、最後にそれらを踏まえてどうまとめてどんな答えを出すか、みたいな流れを漠然と想定してはいる。

部分的にキーワード的なものをいくつか考えてはいるが、まだAかBかと迷っている部分もあり、個々のキーワードやポイント、シーンなどのパーツをいかに淀みなく滑らかに繋ぎ合わせながら網羅して行くか、最終的にこの物語を通じて何を言わんとするか、課題は山積み、てんこ盛りである。

動き始めた登場人物のキャラクターもまだしかと固まってはいないが、おおまかにはイメージは想定しているので、書きながら常に脳内のキャライメージと照らし合わせている。
しかしそのキャラクターも時系列に従って刻一刻と変化して行く予定なので、「この段階ではこんなキャラで良いのか?」と自問しながら進めないといけない。

まだネタばれも何もない状態ではあるが、仮に言及したところで完成するまでそのままかどうかは保証の限りではないのだが、まあ、なるべく細かいところは今は述べずにおこうと思う。

他に予定のない休日にしかゆっくりと執筆の時間を確保することができないので、いつ完成するかは全くわからないが、とにかく動き始めた物語を、少しずつでも進めて行けるように今はただ祈るばかりである。

今度こそ発芽するか?ネタの種 2017.07.09

2017-07-09 17:15:23 | 日記
「またか…。」
と言われるかもしれないが、先日やっと書きかけの原稿を仕上げたので、塩漬け中のネタの種の構想もぼちぼち進めて何とか「書く書く詐欺」を回避したいものだ。

通勤中や家事をしている時、入浴中その他何かふとした瞬間にヒントを思いつくのだが、それをメモしたりできないうちに忘れてしまい雲散霧消したことは一度や二度ではない。

今日は休日で夕方から大雨の予報なので早めに用事を済ませてしまおうと夕方になる前に入浴も済ませたのだが、入浴中にふと思い立ち、以前から浮かんでは消えるヒントの欠片のうちのいくつかが微妙に形を変えたり融合したりする中で、所謂「元ネタ」的なものを思いつくとそこから何とか発想が広がらないかと考える作業をしてみた。

ずっと前にスマホのメモアプリに極めてざっくり「心のない生きた人形が人形遣いに思いを寄せ、人間に憧れ人間になりたいと願う」「作り主は既に亡く面影を求めて人形遣いの元へ」などと書いていたが、その時は人形の作り主の子孫が人形遣いのような発想だったのだと思う。

その後「オペラ座の怪人」を元ネタに思いついた話をブログにも書いたが、その時点では、作り主を父親に見立て、人形遣いを怪人に置き換えてイメージしていたのだと思う。

今日思いついた「元ネタ」はうろ覚えながら幼い頃に読んだ巨匠手塚治虫先生の漫画の一部。
『近未来空中を飛ぶ車のような乗り物の事故で脳に障害を受けた青年が、人間や生き物が怪物やがらくたのように見え、機械などが生き物に見えるようになり、ロボットが美女に見えて恋に落ちる』というネタと、『人間の脳に催眠音波のようなもので干渉することで幻覚や夢を見させるペットの宇宙生物(?)が危険であると迫害されていたが、美女に見える宇宙生物の生き残りに恋した青年が最初は庇護して暮らすものの次第に夢や幻覚に物足りなさを感じて冷淡になる』というようなネタ。
どちらも前後のないごく一部だけの、正確にはどんな話だったかも覚えていない極めてあいまいな記憶ではあるが、そこからでも発想を発展させられたら御の字である。

ここからはまだ至極あやふやな発想なので、実際にものになるかどうかは極めて心許ない。
因ってこれで小説が書けるなどというと眉唾ものではあるが、制作過程の、ボツネタになるかもしれない案の一つとして、書き留めてみる。

「人形」と呼ばれるもの。それは顧客ないし依頼者の望む姿になり、全ての要望に応える。何をされても文句をいうことはなく従うが故に「人形」と呼ばれる。
その「人形」の主が「人形遣い」。「人形遣い」はどんな依頼でも請け負うため、「人形」がどんな目にあわされたとしても、そのメンテナンスをする。
会いたくても会えない家族の身代わりをすることもあれば、晴らしたくても晴らせない恨みを晴らす敵の身代わりになることもある。
ある依頼者から恋人の身代わりを依頼された「人形」の心には次第に依頼者に対する淡い思いが芽生え始め、人間になりたいと憧れ始めるが、そんな「人形」に対してそれまでは単なる所有物(もの)であり、良くても「ペット」レベルにしか思っていなかった「人形遣い」の見方も変わって来る。
「人形」もまた親のような存在であった「人形遣い」への想いと恋人の身代わりでしかない依頼者への想いに翻弄される。
心がないはずの「人形」に芽生えた感情。
しかし「人形遣い」は常に何も知らず「人間」について尋ねる「人形」に対して「人間に憧れてはいけない。」「心など持つものではない。」と言い続けて来た。
それは「人形遣い」自身が人間に裏切られ傷ついて、人間不信に陥って心を閉ざしていたために「人間は汚い。憧れるほど良いものではない。」「心を持てばいずれ傷ついてその痛みに苦しむことになる。それなら心なんてない方が良い。」と思っていたからだった。
「人形」が心を持つようになると、人間に絶望した世捨て人のような「人形遣い」は「人形」を失うこと、即ち無垢な「人形」との関係の居心地の良さが壊れて行くことを恐れるようになる。

ざっとこんな粗筋である。
思いつくまま書いていてふと非常に大きな影響を受けた某人気アニメのエッセンスも多少なりとも入っている気もしたが。

例によって、エンディングは未定で、登場人物たちが動き始め、喋り始めれば自然に物語は紡ぎ出され、流れ着く先は流れに聞いてくれ、という感じになると思うが。

さて、このネタの種、発芽しても無事に育つかどうか、それは神のみぞ知る、というところだろうか。

小説Fadeーout 後書きにかえて

2017-07-02 15:55:14 | 日記
 自作小説「Fade-out」全8章59302文字完成・投稿しました。

 入稿が2016年5月下旬でしたので、約1年と1ヶ月という時間を要してしまいましたが、現実世界で転居やパート先を整理して正社員になるなど激動の1年でしたので、なかなか執筆が進まず、毎月末を暫定期限としながら延長に延長を繰り返してきましたが、やっと本日脱稿することが出来ました。

 当初は全10章構成でしたが、文字数にして約2倍の長短の差がある章を再編して8章とし、ざっくりいうと2章毎に起承転結と言っても良いかもしれません。
実際にネット等から仕入れた資料も参考にしながら、ところどころにアニメやアニソンその他、そのまま或いは少し文言を変えたりして引用している部分があるので、「知っている人は知っている」フレーズとかもあるかもしれません。

 本来は別垢で書き始めた原稿を途中でこの創作垢に移植したものですが、作風が違うかと思いきや、ふたを開けてみれば過去作品の設定や登場人物にも通じるような世界観はやはり根底に流れていて、言ってみれば今回は殆どファンタジー色のないきつねワールドという感じでしょうか。

 塩漬けのネタもあるにはあるのですが、インプットなしにはアウトプットもないので、先日購入して未だ積読の小説も読みたいと思っています。
先日ふと塩漬けネタに良いヒントが浮かびかけたのですが、今作品の完成を最優先するうちに何処かへ散逸してしまったようなので、またじっくり思い出しながらネタの種を育てて次回作に繋げたいと思います。

 約1年のリハビリ小説、お楽しみ頂けたら幸甚でございます。
今後とも何卒宜しくお願い致します。

小説 Fade - out 8 若葉の季節/Re-start

2017-07-01 23:59:09 | 小説
Fade-out 8

§§§§§§§§ 若葉の季節/Re-start §§§§§§§§

 長い冬が過ぎてやっと桜が満開を迎える頃に一晩中激しい雨が降ったが、小雨の上がった昼下がり、北山市桜乃丘のバス停から金満家へ向かう途中で芳香はふと足を止めて傍らに広がる桜並木を眺めた。前日の豪雨にも耐えた薄桃色の桜花が見事な桜のトンネルを作っている。

 いつもなら芳香は金満家へは薬局所有の電動アシスト自転車で訪問するが、今日は朝からずっと降り続く本降りの雨の中、電車に乗って訪れた他の訪問先、隣市の別の患者の入居する施設からの帰り道に、駅から電話で訪問の連絡を入れて直接金満家に向かうことになっていたため、駅のバスターミナルから市内循環のバスに乗って桜乃丘を訪れた。
笑子夫人はいつもの如く顔色も良く声もしっかりとして元気そうな笑顔で芳香を迎え、
「子供たちがね、交代で『お母さん、元気か?』と電話をしてくれるの。」
と嬉しそうに話していた。
私は独りでも大丈夫。でも、そんな風に誰かが気遣ってくれたら嬉しい。側には居られなくても、「気にかけているよ。忘れてないよ。」という気持ちが伝わるだけで力をもらえる。
そんな夫人の気持ちは芳香にも十分理解できた。

 金満家に訪問した翌日に新しく居宅訪問管理指導を開始することになった患者の自宅は、偶然にも金満家と同じ桜乃丘の住宅街にあった。初回の訪問の前に地図で場所を確認すると、金満家からさほど遠くなく、いつも金満家への訪問の時通る道沿いなのですぐにわかった。
比較的症状が安定しているため定期薬は毎回ほぼ変わらず、月に1回訪問する笑子夫人とは違い、新しい患者は、今は症状が重いため容態が不安定で長期処方は出せないので、少なくとも当分は毎週訪問の必要があるということだった。
金満家同様に広い敷地に建つ豪邸で患者本人である当主の姿は直接目にしてはいないが、毎回訪問時は、介護が大変で疲れているであろうに、背筋をピンと伸ばした気丈な夫人が笑顔で対応してくれた。
これからは毎週桜乃丘を訪れることになるが、芳香にとってはもう既に単なる仕事の一環として訪問に来るだけの、他のどことも変わらない場所でしかなかった。

 訪問にしろ外来にしろ、高齢の夫婦の一方が患者でもう一方が介護者であることが多いが、献身的に連れ合いを介助する姿を見聞きすると、芳香は『自分にはもうこんな未来は訪れることはないのだな』と思ってふと一抹の寂しさを覚えることがあったが、それを仁美に話すと、
「どうせいつかはどっちかが先に死ぬんだし、言葉は悪いけど、正直、介護で苦労するくらいなら、寧ろ連れ合いが居なくてラッキーかもしれないよ。死別でも離別でも同じことじゃない。」
と言われた。確かに「もしもあのまま河西と暮らしていたら、そして河西が要介護になったら」と想像するのも恐ろしかった。
長年連れ添う間にはいくら波風があったとしても、根本的に愛情があって迎えた老後であれば、、互いに支え合い、共に慈しみ合って添い遂げる覚悟も出来るのだろうが、もしこの先何十年もあのままの暮らしを続けて老後を迎えたら、介護をすることもされることも絶対に無理だと思えたし、それが現実になったとしたら芳香の脳内には『死』の一文字しかなかっただろう。河西と暮らした間、ずっと思い続けて来たように、『河西が死ぬか、自分が死ぬか』その二者択一にしかならざるを得ないと思い詰めるであろうことは火を見るよりも明らかだった。

 河西の許(もと)を去って一年が過ぎたが、殆ど絶縁状態に近い一人暮らしの芳香の母親や疎遠ではあるが年賀状のやり取り程度の付き合いはあるごく僅かな親戚、友人・知己、職場など、河西に探す気があればいくらでも方法はあったろうが、河西は一向に芳香を探す気配もなかった。プライドの高い河西にとって『長年一緒に暮らした女に捨てられた哀れな男』と思われるのは耐えられなかったろうし、そもそもそれほど芳香に興味も関心もなかったのかも知れない。
 酒に酔わなければ『好きだ、愛してる』という言葉を口にすることもなかったし、素面(しらふ)ではハグやキスはおろか手を繋ぐことさえしなかったが、単に照れ屋だとか恥ずかしがりだとかいうことではない。つまりは河西にとって芳香は、母親の代わりに身の回りの世話をしてくれて、なおかつ給料を支払う必要がなく、寧ろ芳香がパートで稼いだ給料を当てにすることさえ可能な、住み込みの家政婦のような便利な女というだけの存在なのだとしか芳香には思えなかった。

 河西は芳香を自身が勝手に作り上げた偶像に当てはめてそこから逸脱することを認めず、精神的にも噛み合わなかったが、付き合い始めた当初は河西の方から積極的に肉体的な関係を求めて来たものの、共に暮らしていつも側に居るようになると、『釣った魚に餌をやる必要はない』と思ったのか、芳香から河西の手に触れることさえ疎まれるようになり、肉体的な関係を持つことも絶えてなくなった。
 芳香の方から関係を修復しようと努力してみたこともあったが、芳香からの接触は拒まれ、徒労に終わった。
河西にしてみたら、一番大事なのは自分自身であって、芳香は自分の思い通りになるという意味で『良い女』だったに過ぎない。

 最後のチャンスとして芳香から長期出張中の河西にかけた電話でも、河西はついに芳香の思いつめた様子に気づくこともないまま相変わらず自分勝手な自慢話や愚痴を繰り返し、『普段はかけてくることはないのに何故今日に限って、特段用もないのに電話をかけて来たのか』について考えることもしなかった。もしかしたら『やはり俺に惚れているのだな』と自惚れてさえいたかもしれない。まさにその時に芳香が河西との決別を心に決めていたことなど知る由もなく。

 求めていたものが違い過ぎた。互いに相手に対して真実の姿とは違う勝手な理想を思い描いて、相手が自分の思うように変わってくれないかと期待したが、それは端から無理だったと気づけないまま無為に時間ばかりが過ぎてしまったのだと今の芳香にならわかる。どうしてもっと早く気づけなかったのかと悔いてみたところで詮無いことだし、寧ろまだ気づかずにあのまま暮らしていたらと思うとぞっとした。

 『河西と暮らしたあの長い歳月は一体何だったのか』と思うほどにあっけなく別れて、一年を過ぎても河西が芳香を探さないということは、河西にとって芳香はもう必要ないということだ。それが河西の声なき答えなのだと芳香は思った。この先一生涯二度と河西の顔を見ることも声を聞くこともないだろう。既にもう河西の顔も声もはっきりとは思い出せなくなりつつある。河西との過去は完全には消えることはないとしても、『思い出』ではなく単なる『記憶』として時間の流れに押し流されて行くのだと芳香は思った。

 芳香からは宮田に連絡することもないまま、宮田からの連絡が途絶えて久しかったが、それまでは宮田とは長いこと音信不通であっても、突然誘いがあれば何故かいつもうまい具合に都合がついたので、芳香は心の何処かで宮田とはいつも不思議な縁で結ばれていた気がしていた。連絡が途絶えた時には何度も『彼とはもう終わった』と思ったのだが、その度また忘れた頃に連絡が来たけれど、これほど長く連絡がないことは今までにはなかった。決して芳香が宮田を嫌いになった訳ではなく、寧ろある意味芳香が精神的にも肉体的にも最も愛したのはもしかしたら宮田だったのかも知れないが、来る者は拒まず去る者は追わず、もしこのまま終わるならそれで良いと芳香は常に思って来たし、それは今も変わらなかった。随分後になって宮田が遥か遠い街に赴任していたことを知り、まるで出番の終わった役者が舞台を去るように、宮田は何も告げずにそっと芳香の前から姿を消したのだと思えた。

 新庄からは時々SNSで近況報告が送られて来た。
[正道:相変わらず団体からの収入だけでは心許ないので、医大時代の友人知人のつてで代診や当直のアルバイトをしています。
それでも最近は『病院勤務医時代の体験を踏まえて、今後の医療はどうあるべきか』などのお題で講演を頼まれたりすることもあり、日頃考えている医療界や医療保険・介護保険制度の改革についての持論を、志を同じくする人々に訴えかけることが出来るのと同時に、僅かばかりですが謝礼も頂けるので助かります。]
[正道:来たるべき超高齢化社会に向けて、従来の医療制度は想定の範囲を超える社会の変容に対応できなくなりつつあり、既に近い将来破綻することはは目に見えています。先日もサ高住での高齢者死亡調査の結果から幾つかの問題点が指摘されていましたが、民間集合賃貸住宅の延長線上にある現在の施設では、1日1回の安否確認のみでは見落とされる夜間の事故等による入居者の孤独死について………]

 新庄は芳香にも一方的に持論を熱く語ったが、『講演は概ね好評で、画期的な発想や大胆な発言で注目を浴びている』と言っていた。
[正道:今はまだ僕の個人的な意見に過ぎませんが、もしかしたら僕の意見に賛同する人達がどんどん増えて行って、いつかこの国の医療を根本的に改革するきっかけになるかもしれません。勤務医時代は僕が異議を申し立てると、皆が『青臭い理想論』と鼻で笑い、『微温湯(ぬるまゆ)に浸かっているような事なかれ主義で、のほほんと日々の診療をしている場合ではない』と言い続けて来た僕を、『組織というものがわかってない』と冷遇したあいつらこそ何もわかってない。
もし僕が先駆者となってこの画期的かつ抜本的な医療改革が実現したら、その時にはあいつらの阿呆面が見てみたいものです。]
 アニメや実写映画にもなった人気コミックの主人公の科白ではないが『新世界の神になる』とでも言うかのように、『先駆者である自分がいつか医療改革の第一人者となって根底からこの国の医療を変える』という誇大妄想めいた夢には正直ついていけそうにない、と思った。

 新庄の展開する医療の問題点は確かに正論ではあるし、『自分が医療界を変革したい』という熱い思いは勿論全くの嘘ではないだろうけれど、新庄の言葉からはどこかしら『自分を馬鹿にして追い出した病院組織を見返したい』とでもいうような本音が透けて見える気がした。
 新庄が再び別人のように見えたのはきっと自分自身が変わったからだけではないのだろうと芳香は思った。
あれほど新庄のことを愛おしく思っていたはずなのに、何だか憑き物が落ちたように今はすっかり気が抜けたような感じがしていた。
この人は本当に『魂の半身』とまで思ったあの新庄なのだろうか、と芳香は思った。
本当は新庄自身が変わった訳ではなく、ただ芳香には元々新庄の実像が見えていなくて、自らの作り上げた偶像を新庄の真の姿と信じ込んでいただけだったのかもしれない。

 心を開かないと体は開かない。
些細な欠点をも可愛らしく思えるならその人を愛しているのだろうけれど、それが許容できなくなったらもう愛は消えた証拠。
新庄の側に居れば心から安らげるのだろうと思っていたのに、ただ手をつないで朝まで一緒に眠れたら、それだけでもどれほど幸せだろうかと思っていたはずなのに、今はもう芳香はそんな気持ちにはなれなかった。
かつては、この先ずっと独りで生きて行くとしても、『もしもいつか老後を共に過ごせるパートナーが居るとしたら』と考えた時、もしかするとそれは新庄なのかもしれないと漠然と思っていたこともあったが、芳香には今はそんな未来を想像することは出来なかった。

 そんなある日のこと、芳香は何気なく見た星占いにまるで心中を見透かされたようで驚いた。
《今は孤独を受け入れましょう。元来、友達として付き合ううちに「もしかして、好きかも」と思い恋人へ移行することが多いため、寂しい時はついボーイフレンドを増やそうとしがちかもしませんが、真実の恋をするためには敢えて寂しさや孤独を受け入れてみましょう。
寂しさのあまり適当にボーイフレンドを作ろうとすると、次の恋ができにくくなります。
孤独を実感し、「このままではいけない」と心から強く願った時、真実の恋がやって来るはずです。》

 一人が寂しくて誰かと寄り添って居たくて、誰かと居ても気持ちがすれ違い、心が独りなのが寂しくてまた別の誰かを求めようとする。
その度相手を傷つけ自分も傷ついて臆病になり、独りでも強く生きようと思うのに、また寂しくて誰かを求める。
そんなことを繰り返して来て芳香は今疲れ果てているのかも知れない。
それなのにやはり人恋しくて、癒しやぬくもりを求め、その場限りでも良いから誰かと居たいと望んでしまう。
 占いなんて所詮『当たるも八卦当たらぬも八卦』とは思っても、まるで芳香の現状を言い当てているかのようで、『今は孤独や寂しさを受け入れるべき時』というアドバイスの言葉を見過ごすことはできなかった。

 世間では未婚やバツイチの女性の意見として、
『男友達は居るのだから面倒な恋愛なんてしなくても良いのかも知れないが、死ぬまで独りなのかと思うと、やはり寂しい。
とはいえ、恋愛をしたくない訳ではないが、誰でも良いということではなく、心震えるような男性が居ない。
ただ心を通い合わせることが出来る男性が居ればそれで良いのだけれど、既婚者はいざという時に自分を捨てて家庭を取るだろうし、今更結婚や子供を望むわけでもないが、お互いの家族や生活のことを考えると、若者のようにただ好きだというだけでは済まされない問題があって大変難しい。』
という悩みがあるという。
 単に一人の人間として、一人の女性として、ただ心を通い合わせることのできるパートナーを求めているだけなのに、どうしてそれが叶えられないのだろう。結局人間は皆一人なのだけれど、独りは寂しいから誰かを求め、繋がっていたいと願う。だが現実にはそれはとても難しい。素敵な男性には皆既にパートナーが居て、決して自分のものにはならない。とはいうものの、どこかしら欠けたり歪だったりする者同士なら『割れ鍋に綴じ蓋』だろうと思うかもしれないけれど、それが間違いであることは河西との関係で嫌と言うほど思い知らされた。

 眩しい初夏の日差しと共に新緑の季節が訪れて、桜乃丘の並木の古木にも若葉が萌え始めた。
昨年の秋に赤く色づいた樹々の葉は緋色の絨毯となって並木道を覆い、冬には寒々とした裸の枝に雪を積もらせたが、季節は廻りまた満開の桜花が薄桃色の花吹雪となって舞い散るとまた新しい青葉が繁り始め、毎年枯れ葉となって落ちて朽ちても、翌年には新しい花が咲き、若葉が萌え出る。

 芳香の新しい人生はまだ始まったばかりだ。この先どんな運命が芳香を待っているのかはわからない。
「一人で生きて行ける」と覚悟を決めて1年、懸命に生きて来たが、それでも時折この先孤独に押し潰されてしまわないかと不安になることがある。
そんな時ふと目にしたネットの記事にこんなことが書かれていた。
《人生は長く日々続いていくものなので、悩みは一時的なものと自分に言い聞かせれば前に進んで行ける。
例えその日が最悪の一日でも、明日という日は必ず存在するし、明けない夜はなく朝は必ずやって来る。
悩んでいる時はつい「友達に囲まれていても自分はたった一人」と孤独感に苛まれるが、悩みを相談できる人が居るなら頼れば良いし、ペットに癒しを求めたりボランティアやスポーツで発散するのも良い。
そして本当に「最悪」なのかもう一度よく考えてみる。
もっと悪くなる可能性もあったが、自分なりに出来るだけの手を尽くして最小限に食い止められたのだと思えば、自分の選択は最善だったということに気づける。
その選択をしなければきっと今も同じ毎日が続いていたはずだし、そのことだけが人生の全てでもないのだから、落ち込まず明日からまた人生の新しい旅を始めれば良い。
去年の今頃何に悩んでいたか思い返すと、今もまだ全く同じことで悩んではいないはず。
海外の偉人の名言にも
『人生は長い旅路のようなものだから心配や不幸のために時間を無駄にしてはいけない。過去の悪い経験もやり直すことは出来るし、その経験によって強くもなれる。人生が過ぎ去るのはとても早いから、瞬間瞬間を大切にし無為に過ごさず、与えられた人生を楽しむことが一番大切なこと。』
という意味の言葉がある。》

 休日の昼下がり、芳香はふと思い立って北山市桜乃丘を出た時持ち出した僅かな荷物とは別に予め新居の自分宛てに期日を指定して宅配便で送って置いた箱を開けた。
箱の中には出生時から学生時代までのアルバムが数冊納められていて、一番最後の一冊の裏表紙を開くと一通の手紙が出て来た。
それは当時『卒業前に未来の自分に宛てて手紙を書こう』という企画があって書いたものだった。

《未来の私へ。

 私は今学生生活最後の夏休みです。来春には国家試験を受けて薬剤師になっている予定ですが、無事合格したのでしょうか。
病院等に就職して毎日忙しく働いているのでしょうか。
今はまだ失恋のショックを引き摺っていて恋人もできないでいますが、貴女は大好きな父みたいに素敵な男性と恋に落ちて結婚し、2人くらいの子供に恵まれて明るく楽しい家庭を築いているのでしょうか。

 そして、何よりもまず、貴女は今、幸せでしょうか。

 正直なところ今の私にはそんな未来の自分の姿が全く想像できなくて、どこかドラマを見ているような他人事にしか思えません。
それでも恐らく世間一般のごく普通の女性たちの殆どがそうであるように、いつかは結婚して子供を産んで育てて歳を重ねていくのだろうな、とも漠然と思っています。
 実は今私は幸せではありません。今までの人生ではずっと楽しいと感じたこともなかったし幸せとはどんなものなのかもわかりません。
だから未来の自分が人並みの幸せな家庭生活を送っているとは信じられない気持ちです。
でもこの先もずっとこのままの不幸せな状態が一生続くのではなく、いつかきっとどこかで人生の転機が来ると信じたいという希望は失くしてはいません。

 願わくば、この手紙を読んでいる貴女、つまり未来の私が日々幸せに暮らしていて、優しい夫と可愛い子供たちに囲まれて、
「昔の私ったらこんなことを書いてる。」
と笑い話になっていますように。

 貴女が未来の私であるように、今の私は貴女の過去です。

 時間の流れを遡ることは出来ないので、私は私の問いかけに対する貴女の答えを知ることはできませんが、
「大丈夫、心配しないで。とても幸せだから。」
という答えだったら良いなと思います。
今の私が不幸せな分を取り戻してあまりある幸せな人生を、貴女が送っていることを心から願ってやみません。》

 (ごめんね。もう少しだけ待っていてね。きっと幸せになるから。)
芳香は手紙を胸に押し当てて心の中で過去の自分に語り掛けた。

 まだ自分の人生を如何に生きるかに対して具体的な答えは出ていない。
それまで生きて来た人生の全てを一旦破壊して、零から創り直そうと無我夢中でこの1年間生きて来た。
短いようで長いこれからの人生をどう生きるかは日々の積み重ねの中で自然と見えて来ることだろう。
全く不安がないと言えば嘘になるが、悩んだところでどうなるものでもない。
今はまだ手探りだが、いつかきっと自ずと進むべき道は示されるだろう。
そしてそれはきっとそれほど遠くない未来の芳香自身が知っている。
毎日笑顔で過ごせる日が来ればそれで良い。
最期に笑って終われる人生が送れたら、きっとそれが正解なのだろう。

 泣いて過ごしても笑って過ごしても一度しかない自分の人生は自分だけのものだ。
(生きて行こう。幸せになろう。)
芳香は若葉を揺らす風に頬を撫でられ、初夏の眩しい光に目を細めて高い空を見上げた。

(おわり)

小説 Fade-out 7 月光/Fade - out

2017-07-01 23:59:06 | 小説
Fade-out 7

§§§§§§§ 月光/Fade-out §§§§§§§

 師走を目前にして、久し振りにまた徳田仁美から忘年会の誘いが来た。
期日はまだ少し先だったので芳香は以前のように即答はせずにSNSに流れる皆の動向をただ眺めていた。
 グループの中でも特に芳香と親しい2、3人の友人達は皆早速「もちろん参加する」と返信していたが、芳香が少し苦手な面子も早々に出席を表明していて、正直迷っていた。
 それに芳香はまだ新庄のことを気にしていた。新庄とは夏の盛りに彼自身の謎の言葉を最後に連絡が途絶えたままになっていたが、当然新庄も同じ知らせを受け取っているはずだし、恐らくどうしても仕事の都合がつかない時以外は必ず出席するはずだった。
もしも新庄と同席したとしても平然としていられる自信と、動揺を隠しきれない不安との間で芳香は振り子のように揺れ動いていた。
(今はまだ決められない…。)
芳香は優柔不断な自分を責めつつ、期日ギリギリにその時の自分の気持ちに従って判断しようと思っていた。

 結局迷い続けたまま期日を過ぎたが、芳香からの返信がないので個別に連絡を寄越した仁美に、芳香が
「体調が優れないからずっと迷ってたけど、恐らく参加できないと思う。」
と告げると、仁美はひどく残念がって、
「忘年会前々日の最終確認までならまだ間に合うから、体調が良くなって気が変わったら連絡して。」
と言ってくれた。
仁美が出欠のとりまとめをしてSNSに上げた「期日までに出席の連絡をしたメンバーのリスト」には芳香の名も新庄の名もなかったが、そのリストが発表された後に、突然新庄が参加を表明した。
[正道:返信が遅くなってすみません。今更ですが、参加でお願いします。]

 芳香は、おそらく新庄も自分と同じように芳香の出方を見て、もし芳香が参加するなら自分は止めようと思っていたのではないか、いや、逆に芳香が来るなら出席しようと思っているのかも知れない、などと一旦は思ったが、すぐにそう考えること自体が自意識過剰ではないかと考え直した。
たまたま仕事の都合がつくかどうかが微妙で、確認が取れて出欠の連絡をするタイミングがその時になっただけかも知れない。
かつてそう信じていたように芳香と新庄が合わせ鏡のように連動し共鳴しているなどというのは幻想だったのだと、あの夏の日に嫌というほど思い知らされたのではなかったのか。
 どちらにしろ今の芳香にとってそんなことはもうどうでも良いことなのだ。
新庄が何を思い、どう考えて何と決断したとしても、もしも仮に芳香もまたその場に居合わせて新庄と再会することになっていたとしても、芳香が居る場所に新庄が居なかったとしても、それらの全ては最早何の意味もなさない。
芳香は芳香であり、新庄は新庄であり、それぞれが自分自身の人生を生きていくそのほんの一瞬顔を合わせすれ違うことがあったとしても、そこからは何も生まれない。
仲間の一人として普通につきあえるのならばそうすれば良いし、顔を合わせたくなければまたそうすれば良いだけのことだ。
河西とは違って、新庄を嫌いになったり憎んだりしている訳ではない。
 それをきっと人は「縁がなかった」というたった一言で言い表してしまうのだろう。その文言以上には一切の思い入れもなく、淡々としたそんな簡単な一言で。
今はまだ少し構えてしまうけれど、いつか新庄との記憶もまた遠く幽かに感じられる日が来るのだ。
過去の出来事の全てがそうであるように、何一つ特別なものではない、記憶の欠片として、遥かなる時間(とき)の流れに巻き込まれて流されて行くと、芳香には既にはっきりとわかっていた。

 芳香が出席しなかった忘年会の翌日のSNSでは新庄の話題で持ちきりだった。
皆の書き込む言葉から新庄がいつも以上に滑稽でありながらどこか哀愁を感じさせるお道化を演じていたことは容易に想像できた。
 新庄とは繋がりの希薄なメンバーに対しても新庄の個人的な事情を知らしめることになるのを避けるよう慮(おもんぱか)ってか、皆の交わす漠然とした文言からは詳しい内容はわからずとも、新庄が人生において何らかの一大決心をしたらしく、そして本来なら新庄自身にとっては一大事であろうその出来事でさえもいつもの如く飄々とした笑いのオブラートで包んて語ったのだろうという情景がSNSの皆の言葉からは見てとれた。
新庄が何を語ったのか、誰もがその事について核心には触れることはなく、その場に居合わせなかった芳香には知る由もなかったが、そもそも気にしたところで何が変わる訳でもない。
新庄はもう遥か遠い芳香の手の届かないところで自らの新しい人生に向かって歩み始めている。
互いに別の未来に向かって歩き始めたのなら、いつかどこかで再び新庄と会える日が来たとしても、二人が共に歩むことは永遠にないのだ。
その時はただの仲間の一人として微笑んで再会できれば良いし、きっとそんな日が来る、と信じたいと思った。

 しばし苦しめられたストレスによる不調はその日を限りに雲散霧消し、食事をするのはおろか、会話にも支障を来すほどの口内炎も、息もできないほどの鳩尾(みぞおち)の激痛も嘘のように消え失せた。
もう気になんてならないはずであり、もう忘れたつもり割り切ったつもりでも、本当はまだ拘泥している証拠に体は明らかなストレス反応が出ていたと図らずも証明したようなものだった。

 一週間後、突然SNSに新庄からメッセージが届いた。
仲間内で交わされたSNSの言葉から想像した通り、新庄は退職の決意を個人的に芳香に知らせてきた。
[正道:ご無沙汰しています。長いこと連絡できなくてすみませんでした。いろいろあって病院を退職することに決めました。]

 もしかしたら既にブロックされているかもしれないと思いながら、それを確かめる気にもなれず放置していたから、もうとうに縁が切れたと思っていたのに、まるでほんの数日連絡しなかっただけのようにさりげなく新庄からメッセージが届いた時は不思議と驚きはなかった。
仲間たちがSNSに挙げた写真を見るまで新庄の顔すらも思い出さなかったくらいに芳香の気持ちはもう既に新庄から遠く離れていたけれど、さすがにまだ少し動揺して心の中がざわざわした。

 [正道:勤務先の病院の方針に納得できないとか、他科の医師たちと馴染めなくて人間関係に疲れたとか、そういう世間でよくある理由も無きにしも非ずですが、どうも僕は元々大きな組織に所属することにはあまり向いていないみたいなので、病院を辞めることにしました。]
[芳香:グループのSNSで仁美たちの書き込みを見て、恐らく退職されるのだろうということは何となくわかりました。いろいろと大変だったでしょう。お疲れ様でした。これからどうなさるのですか。]
[正道:仕事柄緩和ケアを必要とする患者と接する機会は多いのですが、貴女もご存知のように、終末期医療は原疾患の治療より患者のQOL(作者注:Quolity of lifeの略語。生活の質、即ちどれだけ患者が人間らしく、自分らしい生活を送り幸福を見出せるかということ。)を重視するものですが、患者の幸福とは何でしょう。]
[正道:現実的に患者には経済的な格差が存在します。
経済的に豊かな患者は豪奢な施設で手厚い看護や介護を受けられるかもしれませんが、そうでない患者もいます。
公費負担の恩恵を受けられる生活保護や障害認定に該当しないために、或いは高額医療制度(作者注:所得水準に応じた1ヶ月単位の医療費の自己負担額の上限を超えた場合に超過分の払い戻しを受けられる制度で事前の申請が必要。)を知らず、医療費負担が不安で治療を躊躇する患者も居ます。
それ以前に保険料が払えなくて保険証が持てないか、或いは持てても短期保険証という患者も居ます。
実際に生活保護の所得基準額を僅かに超えていたために申請を却下された患者が、無料定額診療でかなり進行した癌が見つかったにも関わらず治療を受けることを拒んで亡くなっていたというニュースもありました。]
[正道:経済的な問題だけではありません。
経済的には恵まれなくても家族や多数の友人に支えられている患者も居ますし、どんなに裕福でも家族に恵まれず孤独な患者も居れば、家族が居てもいざと言う時に家族に頼れる患者ばかりではない。]
[正道:家族との関係や経済的な問題で安心して療養に専念できない患者は世の中にはたくさん居るんです。
それでも、裕福でもなく家族や友人にも恵まれない孤独な患者にだって幸福に人生を終える権利があるはずだ、などと言えば理想主義と笑われるかも知れないが、僕は医師としての倫理観というよりも、一人の人間(ひと)としての使命感から、そういう志を持つ医療人たちのグループが運営する団体に参加しようと思っています。]

 芳香の知らないところで何が新庄にそんな思いを抱かせることになったのかはわからない。確かに崇高な理想だとは思うが、あまりに突然の退職の決意の裏に思いもよらない理由があったことを知らされて、芳香はどう返信したものかわからず、ただディスプレイに並んだ文言を何度も読み返していた。

[正道:唐突なお知らせで驚かせてすみません。正直なところ、随分悩みました。転職先の団体は元々営利目的ではないから篤志家の寄付や公的な援助なしでは殆ど成り立たないくらいなので、ボランティアではないですが給料は病院時代と比べたら遥かに低く、生活するのがやっとになると思います。それでも本当に転職するのか何度も自問しましたが、やはりこのまま病院で勤務医を続けて行く気持ちにはなれず、家族にも相談して退職を決断するに至りました。]

 その日以降も何度かSNS上で何気ない言葉を交わしたが、芳香は心のどこかで、もしかしたら新庄が復縁を望んでいるのでは、と密かに警戒して慎重に言葉を選んでいた。「最早新庄は恋人ではないけれど、友達であり仲間ではあるのだから」と自らに対して言い訳をしながら、付かず離れずの程好い距離感を測ろうとしていた。
 いや、そうではない。
寧ろ新庄にしてみればかつて親しくしていた芳香が忘年会の場に居なかったから、皆に話したのと同じ内容を伝えようとしただけだったのかも知れなくて、意識をしているのは芳香の勝手な思い込みだったのかも知れない。
新庄が復縁を望んでくれているのでは、と期待していたのは芳香の方かも知れなかった。

 そして実際新庄は常に以前のような何気ない挨拶や自分の近況報告や芳香の近況伺いのような話をするだけで、それは友達なら普通に交わす会話以外の何物でもなかった。
芳香はもう新庄の真意を測ろうとするのはやめようと思った。メッセージが届けば友達としてそれに応えるまでのこと。
それでいい。そう思おうと決めた。

 そして新庄から近況報告のようなメッセージが届けば、友達として医療関係者として助言できることがあればと返信を送っていたが、クリスマスも近付いたある日、新庄から「久しぶりに会わないか」と誘われた。
芳香は少し迷ったが、純粋な好奇心から夏以降の新庄の心境の変化について、SNSの文言だけでは計り知れない新庄の実像を知りたい気がしたので、一旦はOKしたものの、当日になって新庄の方からキャンセルの連絡が来て、延期してくれと言ったその次の機会も結局またキャンセルされた。

 芳香の脳内にふと「縁がない」という言葉が浮かんだ。
新庄とはいつもそうだった。
約束する度に新庄の都合が悪くなってキャンセルされることが多かったし、連絡のタイミングもいつも行き違いばかりだった。

 相性の良い相手なら、逆に「突然で悪いけど、空いてる?」と言われた時でもうまい具合に都合がつくような巡り合わせになるものだが、相性の悪い相手だと、何度約束してもその度キャンセルせざるを得ないようになる。やはり新庄とは相性が悪いのだと思わざるを得なかった。
いつかとてもよく当たると評判の占い師にそう告げられた時は信じたくなかったけれど、今はそれは恐らく間違いではなかったのだと確信できた。
 仲間内の友達の一人としてなら、これからも関わりを絶つことはないけれど、新庄が芳香にとって特別な人であるような関係に戻ることはきっともうないのだろう、と思った。

 新庄から数ヶ月ぶりの連絡が来て転職の決意を知らされた直後は気づきもしなかったが、しばらく経って芳香はふと、あの夏の夜に新庄が「会いに来て欲しい」と言った時、新庄は芳香に自分の進退についての悩みを相談したかったのではないか、と思った。
芳香その時には新庄の心中を察することが出来ず、単なる思い込みから自分勝手な想像をしていたけれど、恋人或いは親しい友人として、医療関係者でもあり、信頼出来る相談相手として、自分自身の人生に関わる大切な相談をしようとしていたのかも知れない。そんな風に考えるのは自惚れが過ぎるとしても、少なくともあの日以降連絡が途絶えていた間、新庄には芳香に連絡もできないくらい時間的にも精神的にも余裕がなかったことは想像に難くなかった。もしも本当にそれが真実だったとしたら、新庄に対して大変申し訳ないことをしたと芳香は思ったが、それも縁であり、運命であったのだとしたら、それは人智の及ぶところではない神の思し召しだったのだろうと思うしかなかった。

 『思い出に変わるまで』という言葉が脳内を掠めた。
愛して愛されたひと。
傷つけて傷つけられたひと。
全てが完全にセピア色の思い出に変わるにはまだあまりに時間が短かすぎる。
それでももう元の二人には戻れないし戻ることもないだろう。
それだけははっきりわかっている気がした。
過去の一時を共に過ごし、素敵な時間を共有したこともあった。
新庄と芳香は今そういう関係だと思えた。

 時間は記憶を淘汰する。
いつしか辛かった出来事を消し去って、美しい思い出だけを残すのだ。
 『明日になればこの痛みも海の向こうに沈む』
以前観たアニメの主題歌の歌詞だったろうか。そんな言葉がふと浮かんだ。
今はまだほんの少しだけ胸に小さな棘が刺さったように痛むけれど、それもいつか遠く記憶の彼方に消えて行くに違いない。

 芳香は新庄とSNSでの対話の最後に、淡々とした文言の中にも仲間として精一杯心を込めてエールを送った。
『君の選びし道が決して平坦な道ではなかろうとも、願わくば君の行く末に幸あらんことを。』
芳香は心の中でそう祈った。

 クリスマスイブの日、いつも仲間たちはSNSでメリークリスマスの挨拶を交わしていた。
芳香は度々なる着信音と共に送られて来るにぎやかなスタンプをただ眺めているだけだったが、新庄からはグループとは別に個人宛にスタンプが送られて来て、芳香もまたクリスマスグリーティングのスタンプでそれに応えたところで返信は途絶えた。
 世間は週末と重なったクリスマスで家族や恋人とパーティーやイベントに出かけたり食事をしたりして盛大に祝っているようだったが、芳香は相変わらず居宅訪問に忙しく、いつもと何一つ変わらないただの週末だった。街中はどこも外出するのもうんざりするほどの人混みなので、折角の休日も家で過ごした。
 クリスマスが過ぎれば、大晦日までは1週間を切り、1年が終わって新しい年の元旦がやって来る。
師走にしては暖かくてホワイトクリスマスにはならなかったが、年末が近づくと急に寒さも厳しくなって来た。

 仕事納めの翌日の大晦日、芳香はまだ引っ越して来て1年も経たないマンションの大掃除を簡単に済ませ、元旦の雑煮の下ごしらえも終えて、たまたまま眺めていたインターネットのある記事に目が留まった。

《別れにもいろいろあり、すぐに立ち直れる別れもあれば、いつまでも引き摺り続けてしまう別れもある。
中でも「さようなら」を言えなかった別れはいつまでも心の整理がつけられずに苦しむものだ。
もしも別れようとしている人が本当はただ出合うタイミングが悪かっただけの「運命の人」だったとしたら、完全にその人を忘れることなど無理なほど自分の人生の中で大きな存在になっていて、最早自分自身の一部にさえなってしまっているかもしれないのだから。
いつまでも忘れられないのはその人に「恋愛以上のもの」を感じていたからなのだから、そんな素晴らしい相手に出合えたことに感謝し、ありのままの自分の感情を素直に受け入れて、過去を二度と振り返らない訳ではなく、人生の選択を受け入れて、ゆっくりと思い出をFadeoutして行けば良いのだ。
「自分の人生はどうあるべきか、自分がどうしたいのか」がわからないのに別れを求め、「別れよう」とか「終わりにしなければ」と思うのは自分の選択に答えが出せないからであって、人間とは自分の思い通りに生きて自らの人生をきちんと制御出来ていると実感したいものだけれど、恋愛というものはいつも迷い、何度も立ち止まり考え直してしまうものなのだ。
愛する人との別れはその人を忘れて前へ進むことだけではないから、「さようなら」を告げることには何の意味もない。
まだ心の中にその人を愛しく思う気持ちがあるなら、無理に終わらせようとしなくても、ゆっくりと思い出を咀嚼し、その感情を素直に受け入れて、その感情と共に生きるという選択をして、時間(とき)の流れに身を任せてみれば良い。》

 そうだ、と芳香は思った。「さようなら」は言わなくて良い。
恐らく芳香が新庄に告げようとしていたのは、「別れの言葉」だったのだ。
 かつて芳香は「いつか彼にどうしても言わなければならない言葉がある気がするが、それが何という言葉なのか、いつどんな風にその言葉を告げるべき時が来るのかわからない」と考えたことがあったが、今となってはもう「告げなくても良いという選択肢もある」という気がした。
 何を言っても誰も幸せにはならないのに、敢えてそれを告げる必要があるだろうか。
乱暴な言い方ではあるが、「自分の幸せを優先するためになら他人が不幸になっても仕方ない」と思うくらいなら、言わず語らず、Fade-outという方法を選んでも良いだろう。
 誰しも、他の誰かを全く傷つけずに生きては行けないのだから。

 南川市で迎える初めての元旦。
生まれてから一度も離れたことのなかった北山市以外で初めての正月だ。

 この先何処へ行くのか、何処で暮らすのかはわからない。まだ長い人生をどんな風に生きて行くのかは今はまだ芳香自身にもわからない。それでも一日一日を生き抜く。歩いた後に道ができるという言葉はまさにこれからの芳香の人生を言い表しているように思えた。
どこまでも一人で歩いて行くのか、いつか何処かで誰かと共に歩むことになるのか、それはわからない。
目の前には無限の可能性がある。先のことを思い悩んだって仕方がない。
考えてもわからないことを考えるなんて無駄なことだから、と芳香は思った。

 芳香は窓を開けて暗い夜空を見上げたが、雲がかかって月は見えない。
月は満ち欠けを繰り返し、何度でも甦る。
明るく輝く満月も、籠って姿を現さない新月もあるけれど、その新月も時が経てば再び満ちて満月となる日もやって来る。
そして月光は同じ夜空を仰ぎ見ている全ての人に等しく降り注ぐ。

 芳香の脳内に哀調を帯びたメロディが再生された。
クラシック音楽にはあまり造詣の深くない芳香でも知っていて、特にその一節を気に入っている曲が2曲あり、その一方が以前施設で老女のピアノ演奏を聴いたショパンの『別れの曲』なら、もう一方がベートーベンの『月光』だった。
『別れの曲』も『月光』も作曲家が愛しい女性のために作曲しながら、その想いは届かなかった曲だという。
恋しくて切ない『月光』のメロディは夜に似合う。
朝が来れば消える月の光のように、今そこはかとなく漂う切なさも、明日目覚めればきっと消えているのだろうと思えた。

 芳香は再び以前観たことのあるアニメの登場人物の台詞を思い出した。
『生きて行こうと思えば何処だって天国になるはず。生きてさえいれば、きっと幸せになるチャンスはあるはずだから。』

 仕事始めの日の朝、出勤しようとマンションの玄関を出た芳香は寒さに肩をすくめ、両掌にはぁっと息を吹きかけた。
凛と冴えた朝の冷気で気分が研ぎ澄まされる気がした。意識的に速く歩いて駅に向かう。
去年の元旦には河西の許を去ることを決意していたので、一人で生きて幸せになることを目標にしていたが、1年後の今もまだ幸せに向かって歩み出したばかりだ。
幸せはきっと日々の何気ない暮らしの中に見つけるものなのだろう。
新しい生活を始めてからずっと余裕のないままで新しい年を迎えたけれど、今までは見つけられなかっただけで、きっと幸せはすぐそばにある。

 芳香は駅の改札を出て、職場に向かう途中のエスカレーターで深呼吸をした。
ひんやりとした空気が肺に満ち、白い呼気となって吐き出された。

 「おはようございます。」
薬局の自動ドアが開くと同時に芳香は言った。
今日も施設に訪問の予定だ。
いつもと変わらぬ一日が始まろうとしていた。
(つづく)