きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

狭き門より入れ 2015.02.17.

2015-02-17 23:59:59 | 旅行
 「わたしたちは、幸福になるために生まれてきたのではないんですわ」(アンドレ・ジッド『狭き門』)

 祖母自身が幼少の砌(みぎり)より文学少女でクリスチャンであったので、お祖母ちゃん子の自分は子供の頃から対象年齢以上の結構難しい本を読んで育った。友達の居ない引きこもりオタクだった自分にとっては小説や百科事典、図鑑の類だけが遊び相手だったと言っても過言ではない。
 『狭き門』もそんな小説の一つで、確かに読んだ記憶はあるが内容はうろ覚えで、検索してみたら粗筋は何となくそんな話だったな、という感じではあるが、当時非常に影響を受けたことだけは思い出した。

 デブスでモテない非リア充だったので、常に逆ハーレム状態の実妹に対する羨望を誤魔化す詭弁ではなかったかと言われるとさもありなんと首肯せざるを得ないが、恋人が出来ないのではなく作ってはならないのだ、恋愛にうつつを抜かすことは良くないことだ、もっと崇高な理想を持ち世俗的なことに関わってはならないのだ、などと思っていたのはこの小説の影響も多少なりともあったのかも知れない。
検索した解説文によるとこの作品の言わんとする
「この世は試練の場所である。人間的な幸福を求めてはならない。」
という思想は(この作品の影響であったことをすっかり忘れてはいたにも関わらず)確かに自分が常々思ってきたことそのものであった。

 作品の内容については興味があれば検索していただくとして、タイトルの 『狭き門』の語源については少しだけ触れておかねばなるまい。
聖書の中にこのような言葉がある。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は広く、その道も広々としてそこから入る者が多い。しかし、命に至る門はなんと狭く、その道も細いことか。そしてそれを見いだす者は少ない。」(マタイによる福音書7:13-14)
よく難関校の入試などで使われる 『狭き門』という文言の元ネタである。

 小説の内容は覚えていなくても、選択肢があるなら取り合えずより困難な方を選んでしまう癖だけは染み着いて取れなくなってしまったようだ。
進学先を選ぶにも、楽勝で通る学校よりは硝子の絶壁に爪を立てる思いで頑張って漸(ようや)く届くかどうかという学校ばかりを希望したし、こんな人とならきっと幸せになれるんだろうと誰もが思う相手ではなく、何でよりによってそんな相手を選んだのかと言われるような人と結婚をした。

 人生は罰ゲーム、人生は詰みゲーム。どうせこの世では幸せになれないし、なってはいけない。だから幸せになろうなどという気もない。
そう信じていたから敢えて逆風に立ち向かう自分に酔うナルシシズムだけではなく、艱難辛苦汝を玉にするとばかり、誰もが敬遠する困難な道を行くべきだと無意識にそう信じていたのかも知れない。

 それがとんでもない負荷であり、いつか心が折れる時が来るとその時の自分には想像できなかった。若くて無理がきくのを良いことに、無謀な選択をしてしまったことに気づいたのは人生の折り返し点を過ぎて老いや衰えを感じ始めた十年ほど前のことで、その時は既にもうとうに限界を越えていたことに気づいていなかった。
 幸せかと訊かれても、幸せとはどんなものなのかわからない、と真顔で答え、VTRの○倍速早送りのようにとにかくさっさと人生を終わらせたかった。或いはPCをシャットダウンするように、出来るものなら今すぐ強制終了したいとさえ思ったほどだ。

 所謂「闇堕ち」と自分が表現している精神疾患の自覚症状が出始めたのである。心療内科での闘病生活は今までの自尊心を粉微塵に打ち砕き、もう自分は廃人同然と悲観したが、縁あって転院して良い主治医に出会えたお陰で、これからは転生したつもりで自分らしく生きようと思った時からは、人生初の自由を満喫することが出来、幸福というものがあるのだ、幸福というものはこんなものなのだ、と思える瞬間も僅かながら経験させてもらった。

 ところが、である。
終身刑の執行停止期間がまもなく終了するとわかって、また闇が襲いかかってきた。
 即ち7年間の別居生活は終焉を迎えることとなり、既往症の気分障害の一種である「双極性障害」、俗にいう躁鬱病の徴候が復活しかけたのである。
主治医の迅速な対応で何とか少し落ち着きを取り戻したものの、本番となる5月以降はどうなるかまだ予断を許さない。

 しかし、である。
『狭き門』を昔とは違う解釈で考えられないものかと今思い始めている。

 自由や幸福を諦めねはならないのか、と悲観するばかりでは益々鬱々とするだけではないか。
まだ自分の中ではっきりとした形を成してはいない漠然たる思いではあるが、自分の望む方向は聖書でいうところの破滅に至る広き門に向かっている道なのかも知れないけれど、人生は試練の場所であるというなら、幸福を求めるための闘いを試練と呼んではいけないのか。
一時的な幸福を守るために、日常的な苦難に耐えるという試練もありではないのかと。

 そしてわかったこと。負荷があってこそ頑張れるのが自分である。負荷が大き過ぎて潰されてしまうのは困るが、多少の負荷はあった方が良いようだ。

 先日転職を考えて密かに求職中の同僚とも話したのだが、扶養の範囲を越えないように週2回半日ずつほど働いているパート主婦は毎日をどう過ごしているんだろうね、勿論家事とか趣味とかすることはいろいろあるんだろうけど私には想像できない、と思ってしまう、と言ったら、独身で老母と二人暮らしの同僚は、あなたは既婚者で子供も居るのによくそんなに働くわね、と 半ば呆れ顔で答えた。

 自分は、「誰のお陰で飯が食えるんだ」などという言葉のDVに悩まされ続けたこともあって扶養されるのが嫌で、とにかくできる限り働きたい。物凄く仕事が好きという訳ではないが仕事を詰め込んでいないと落ち着かない、一種のワーカホリックかも知れない。

 というか、独身の頃は女は家事がちゃんとできなければ、という固定観念の中に自分を押し込めていただけで、本来家事はそれほど好きではない。やり始めてしまうととことんやりたくなってきりがないからだ。区切りがつけられ切り替えが出来る仕事の方がはっきりしていていい。

 かといってつれあいに主夫になられるのは無論のこと、少しでも家事を手伝われるのも本当は嫌なのだ。
実際問題仕事をしながら家事まで何もかも全て完璧にこなせるわけはなく、時間的にも物理的にも自分には不可能である。世の中にはフルタイムで働いていても家事もきちんとしている人がいるのかも知れないが、よそはよそ、うちはうち、である。
 それでも こちらが仕事でつれあいが休みの土曜などに、気を利かせて洗濯しておいたよ、などと言われたら、内心余計なことを、とムッとする。若い頃と違って多少は老獪になった今なら、まあ、ありがとう、助かるわ、などと心にもないお世辞でおだてることもできるようになったが、元来つれあいに家事を手伝われるということは自分にとっては無能の烙印を捺されたに等しく、お前ができないから俺がやってやったんだ、と言われているようですこぶる気分が悪い。
 自分のやり方とは違うやり方でされるのにも大概我慢ならない所へ、ドヤ顔をされたりすると全部最初から自分でやり直したくなるが、さすがに実行はできないのでやりはしないけれど、うわぁぁぁぁっと叫んで暴れたいくらいの猛烈な不快感である。
 毎日顔を付き合わせていたら、日々そういう状況が繰り返されかねないのは火を見るより明らかだ。

 そこで、である。
仕事と家庭、交遊関係や趣味をうまい具合にバランスをとって両立(?)させようと努めることが試練にはならないだろうか。
毎日仕事の前後に家事をするのは大変かも知れないが、その合間に友達付き合いも趣味もしてなおかつ文句を言われないように堂々としていられるためには、自分がやることをきちんとこなしていなければならない。
 そういう負荷がかかってこそ試練ではなかろうか。
今までの人生で敢えて困難な方を選んできたのなら、できないはずはない。
 難しいと言われれば言われるほど闘志が湧いた若い頃と同じようにはいかないかも知れないが、少なくとも何も手につかず落ち込んでばかりいるよりはやってみて挫折する方がまだ少しはマシではないか。

 冬は日照時間が短く、冬期鬱というものがあるくらいで、人間の精神活動も低下傾向になる。寒くて体を動かすのも億劫だがやる気も起きないから、どうしてもやらなければならない最小限のことは何とか出来たとしても、本当はやるべきなんだが、と言いつつも出来ないままになってしまうことが多い。
 毎年そうだが、冬には凍結されたように起きなかったやる気が、春になると草木が芽吹き虫が穴から這い出るようにむくむくと起きてくる。

 やらなくても許される環境にあるとどうしても怠けがちになってしまうが、やらなかったら文句の一つも言われたら嫌だし、先にやられてしまっても嫌だと思えば、自然と自分から進んでやらざるを得なくなる。
 そういう負荷が気持ちを後押しし、体を動かしてくれて結果的にうまくいくとしたらそれは怪我の功名みたいなものだ。

 どうせ終身刑だというのなら、禁固刑よりは懲役刑の方が性に合っている。
決してやけくそではなくそんな風に思うようになれた。やる気はなくても動けることは闘病後期の作業療法で実証済みなのだから、きっとできるはず。
 そして少しずつではあるが、出来ることから始めてみた。昔のように頑張り過ぎないようセーブしつつ、締め付け過ぎず緩め過ぎず、うまい具合に自分のペースを掴めたらいいのだが、と今は思っている。
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