きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

花水木 2019.04.21

2019-04-21 09:06:41 | 小説
駅から続くバス通りの花水木の街路樹はまだほとんどが青葉に覆われているのに、角の民家の塀から覗く一本の花水木の木だけは、微妙な品種違いなのか、土壌や肥料の手入れの違いなのか、満開の白い花が初夏の風に吹かれて誇らしげに花弁を揺らしていた。

花水木の花言葉は「永遠の愛」「真実の愛」。
女は笑おうとして失敗したかのように口角を不器用に歪めた。

「貴女は健やかなる時も病める時もこの男を夫とし生涯愛することを誓いますか?」
遥か昔、田舎の小さな教会。
小柄で細身の老牧師の朗々とした声が響き渡る。
流れる讃美歌のオルガン奏者は近所の小母さんのような私服で小太りの中年女性だった。
祝福される結婚ではなかったから、家族も親族も居ない。
形だけ安物の指輪を交換し、牧師が新郎新婦に誓いのキスではなく握手を求めた。
遠い記憶はもう他人事か夢幻のように実感を伴わなかった。
そもそも永遠の愛を誓ったことすら既に嘘偽りでしかなかった。

幼い頃、親の愛を乞うても得られていると信じられなかった。
そんな自分には価値がないのだと思った。
自分を愛せない者に他人を愛すことなどできはしない。
それでもいつか真実の愛に出会えることに憧れた。
求めても得られなかった愛の代償を求め続けながら、一方で、尊敬に値する異性に淡い恋心を抱いたとしても、無価値な自分には愛される資格などないと思い込み、儚い想いが破れる度に、自分を愛してくれる者など居る訳がないとますます自信を失くした。

その男は身勝手で我儘で、何もかも自分の思い通りにならないと気に入らない子供じみた男だった。
女は相互依存だと気づきながらも、破れ鍋に綴じ蓋というように、自分にはこんな男が似合いだろうと思った。
嘘の笑顔、偽りの言葉。
常に男の思いを先読みし、それに合わせて演技するだけで、そこには真実の愛など端から存在していなかった。

それから時は流れ、気づけば人生の黄昏時にさしかかっていた。
歳を重ねてほんの少しだけ自分のことを好きになり始めた女は、もう自分自身を偽り続けることが苦痛になってきた。
このまま人生を終わりたくない、という思いが女を突き動かした。

仲睦まじい老夫婦を見ると少し寂しい気持ちもするけれど、よくよく考えてみると愛とはどんなものなのか、女にはわからなかった。
求めて求められて一時だけ体や心を満たすことはできても、それは真実の愛とは違う気がした。
そもそも自分は心から人を愛することなどできない人間なのではないかと思えた。
愛しているつもりでも、忘れはしないけれど、離れていたら執着はしないし、一緒に居ても、狂うほど夢中になることがなくて、心の底のどこかに冷めた自分が居る気がする。
このまま真実の愛を知らずに人生を終えるのだとしたら、それは少し寂しいことだな、と女は思った。

眩しいほどに鮮やかな花水木の純白の花弁が初夏の風に揺れながら
「人間なんて所詮皆一人なんだから、思い悩むことなんてない。
ほら、俯かないで、しゃきっと背筋を伸ばして、前を向いて歩いて行きなさい。」
とでも語りかけているようだった。
女はふっと肩の力が抜けたような気がして、柔らかな微笑を浮かべた。
女の傍らを駅に向かうバスが通り過ぎて行った。
いつもと変わらぬ一日が始まろうとしていた。
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Forgot-me-not 2019.04.12

2019-04-12 18:23:44 | 小説
「あら。」
女は路傍に咲く花に気づくと小さく呟いた。
「こんなところに勿忘草が。」
青やピンクの小さな花弁が風に揺れている。
少し黄みを帯びたピンクや少し紫がかった青。
(その青色は勿忘草色って言うんだって。)
そんな声が聞こえた気がしたが、春の風が可憐な花を微かに揺らしていただけだった。

いつか日本の伝統色一覧を見て微妙な色の違いと色の名前の美しさに感動したことがあったけど、勿忘草のピンクは何色というのだろう。
珊瑚色?桃花色?薄柿?
あの言葉を聞いた気がしたのはその時だった。

勿忘草の青い花の色は、勿忘草色。

それを教えてくれた男の面影は少し朧気になりつつあった。
「私を忘れないで」という勿忘草の花言葉を思い出し、女は苦笑した。
その花言葉の由来もまたその男が教えてくれたのだった。

「勿忘草の花言葉を知ってる?」
男は尋ねた。
「私を忘れないで、でしょ?」
女が答えると男は微笑んで言った。
「その花言葉の由来も知ってる?」
「確か亡くなる間際に恋人に花をプレゼントして忘れないでって言い残したとか…漠然とだけどそんな伝説じゃなかったかしら。」
女がそう言うと男は笑って答えた。
「ちょっと違うね。昔ある青年が愛する女性のために川岸に咲いていた勿忘草を取ろうとして流されてしまい、彼女に向けてその花を投げて、私を忘れないでって叫んだ。彼女はその花を彼だと思って大切にした。という話らしいよ。」
女も笑って言った。
「意外だわ。私を忘れないで、と言ったのは女性かと思ったら逆なのね。何だか女々しい、と言いたいところだけど、意外と男性の方が未練がましいと言われているものね。」
「そうかもしれないね。男はいつまでも別れた女への未練を引きずり続けるからね。女は次の恋を見つけたらすぐに前の男のことは忘れてしまうみたいだけど。」
男は少しおどけたような口調でそう答えた。

男とは共通の友人を介して知り合い、趣味の話で意気投合して交際が始まった。
知れば知るほど共感が強まり親愛の情が深まった。
女は同い年でも落ち着いた男に父性のようなものを感じていたのかも知れない。
ただ男が女に対して抱いた感情が如何なるものかは知る由もない。

愛情にもいろいろある。
互いが求める愛の形が常に同じであるとは限らない。
往々にして、当初はわからなかったが、時を経て相手の真の姿が見えてくるようになるに連れて、気持ちのすれ違いや温度差を感じずにはいられなくなるものだ。

女が男に求めたのは、例えば優しく髪を撫で、ぎゅっと抱き締めてくれること。
添い寝して、肌のぬくもりを感じて、手を繋いだり腕枕したり胸に顔を埋めたり抱き合ったまま安心して眠れること。
共に美しいものを見たり聞いたり、穏やかに語りあったりすること。
傍らに寄り添って共に歳を重ね、魂が共鳴するような関係。
そんな理想を追い、夢を見ていた。

彼がそんなプラトニックな恋愛に満足できる訳はなかったが、身も心も繋がることを求める彼を、女は責めることなどできなかった。
それが彼なりの愛の形であることがわかっていたから。

体だけの関係でも良い、寧ろ体だけの関係で良い相手も居るだろうけれど、少なくとも女にとって彼はそういう対象ではなかった。
とはいえ彼に自分の理想を押しつけてばかりではいけないと彼の求めに応じて来たが、次第に自分を偽り続けることが辛くなってきた。

決して嫌いになった訳ではない。
二人の求めるものが違うのに、合わせようとすることに疲れただけ。
徐々に疎遠になりつつあることに気づけないほど愚かだとも思えないが、傷つけ合うことが怖かった。
恋しい気持ちと辛い思いとが交錯し、気づけば徐々に関係が希薄になっていった。
はっきりと別れを告げることもなく、自然に連絡が途絶えがちになった。
SNSの字面では感情が伝わらなくて、ついついネガティブな想像をしては恐ろしくなったから。

やはり女性の方が薄情なものなのか、いつしか女にとっては、思い出そうと努めなければ、その男の面影すら靄がかかったように薄れていった。

(私を忘れないで。)
男はやはりそう思っているのだろうか。
何だかそんな風に考えるのは自惚れているような気がする。
忘れたいような忘れたくないような。
どうしたら良かったのか、と考えても答えは出ない。

とても大切な人だった。愛してた。
その気持ちに嘘偽りはなかったことだけは伝えたいような気がするけど、それを伝えたところでどうなるものでもないなら、伝えるべきではないのではないか。
どんな風に思われたとしても、お互いにもっと辛くなるだけなら、いっそ何も言わない方が良い。
例え嫌われたり憎まれたとしても。

出会った頃の二人に戻れたら、などと考えたって仕方ない。
人はそれを縁と呼ぶ。
縁あれば出会い、縁がなくなれば去って行く。
時の流れに身を委ねて、流されるまま漂ってみよう。

女はふうっと大きく息を吐くと、駅への道を力強く歩き出した。

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課題終了 2019.04.07

2019-04-07 15:23:49 | 日記



以前から長女に頼まれていたゲームキャラのイラストがやっと描けた。

お手本にと渡されたのは画集。
しかし甲冑や衣服の柄が細かいのに画像が結構粗い。
はがき大の用紙に全身像を描こうとするとかなり厳しい。

まして最近はとんと作画はご無沙汰で、腕の鈍り加減も甚だしい。

作画したいのはやまやまだが平日はなかなか時間が取れないだけではなく、気力も体力も枯渇しているので、休日もなかなかできないでいる。
そもそも家事でさえともすればできずに家族の手を借りることが増えた。

年は取りたくないものである。
老眼も進むし、根気もなくなる。

仕事でも理想に燃えていた若い頃とは違い、日々の業務をこなすのが精一杯。
休日は疲れて寝ていたりして、やるべきこともやりたいこともできないまま時間だけが過ぎて行ったりする。

ストレス発散にはむしろ趣味に没頭するとよいとは思っても、描きたいなと思いつくものがそもそもなくて、かといってお題をもらえば描くのだけれど、自分が書きたいものではないので、どうにも「これじゃない感」が拭い去れなかったりする。
思いついて描きかけても、イメージが確定しないまま書き始めるものだから、途中で描けなくなって放置することになったり、無理やり仕上げても納得がいかなかったりする。

小説の方も同じで、書きかけてしまったから何とか続けたいとは思うのだけれど、最初の発想から時間が経ち過ぎるともはや何を書きたかったのかわからなくなってしまって続かなくなってしまう。
なので懐古趣味に走って過去作品をSNSに投稿したりして懐かしんでいたりする。

4月になったので近々にまた過去作品の虫干しをする予定ではいるが、それですら何だか面倒くさくなって、深夜でも気合の入ったタイミングで一気呵成にやらないとできない。

まだ老け込む年齢でもあるまいし、同期は皆アグレッシブに活動しているというのに私ときたら。
漢方薬の処方を変更して元気になる生薬を増やしてもらっても、鍼灸院で無理やりにでも停滞している気を巡らす治療をしてもらっても一向に良くならない。
食事養生がきちんとできてないし、運動もできてないのは承知しているが、それをするための元気はどこから持ってくればいいのだろう。

せっかく久しぶりに作品が完成したのに素直に喜べず愚痴っぽくなってしまった。
小説の方は無理やり続きを書こうとするよりいっそ「何か新しい、今だからこそ書ける小品でも」と思ったりもするのだが、どうもうまく形にならない。

全てはいらいらと落ち着きがなくなるという春のせい、ということにしておこうか。
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