年内余日なく、慌ただしい年の瀬にふと思う。
今年は年齢的に節目の年だった。
実際Facebookを見ていると去年から今年にかけて転職などに踏み切った同期も何人か居たりもした。
自分はというとまさに以前にはまったアニメの主人公よろしく『イッツァ・ミラクル!(cv宮野真守)』と言いたくなる。
私事なので詳細には触れないが、一生涯縁がないと思っていたような夢のような出来事が現実に起こったし、天国から地獄のようなジェットコースターみたいな運命に翻弄されたりもした。
3年前に心の病を克服して新しい自分に生まれ変わったと思った時以上と言ってもいいかも知れないけれど、それとはまた別な気もする。
「エクストラ・ステージ」と言った人が居たが、言い得て妙というか、「エクストラ・ステージ」だか「ボーナス・ステージ」だか、いわゆる今までの通常の人生とは違う別の面が開けたみたいなものだと思った。
だが厳密に言えば、別の自分に変わった訳ではなく、本来の自分、素の自分、あるべき姿に戻っただけなのだ。
そうしたら見えなかったものが見えてきたし、他人の見る目も変わった。
「こんな人ではなかった」と思った、とある人が言ったが、それはいい意味で印象が変わったということだとその人は説明した。
最近はまったアニメには自分自身のことを人形だと言い張るヒロインが登場するが、少し前までは自分も人形みたいなものだと思っていたけれど、このままで死にたくないと3年前の自称「転生」以降徐々に本当の自分を解放するようになってきたのを見て、過去の自分を知る人は変わったと思うのだろうし、最近知り合った人は先入観なしに興味を持ってくれたのかも知れない。
そう思うと、青春時代に全くモテなかったのは自分に魅力がない、すなわちデブでブスだからと思い込んでいたが、そればかりではなかったのだろう。
勿論非常に正直すぎる身内が「すごく不細工とは言えないが決して美人とは言えない」と言うくらいだから、まかりまちがっても自分が美人だなどとは夢にも思ってはいないが、魅力と言うのは容姿だけではなかろう。
姿形は美人でも心がブスな女も居るし、容姿はイマイチでも魅力的な女も居ても決しておかしくはない。
おかげさまで自分はよく「面白い」と言っていただくことがあるが、変人上等、皆と同じは死ぬほど嫌な水瓶座ゆえに「変わってる」は褒め言葉。
何だかよくわからないけど面白い印象的な人だからと興味を持ってもらえることが何より嬉しいのである。
更に「自由・平等・博愛」の水瓶座ゆえに年齢性別その他一切関係なく、その人が優しくて親切で良い人だったりすると大好きになるし懐く。
昔は壁を作り心を閉ざしていたから友達も殆ど居なかったが、今ではかつて怖くて苦手だった男性諸君にもたくさん友達になってもらっている。
激動の一年。辛くて哀しくて大泣きしたこともあったが、幸せなこともたくさんあった。
以前なら幸せかと訊かれても、某アニメのヒロインの名台詞とは似て非なる「幸せってどんな感じなのかわからない」みたいなことを真顔で言っていたくらい幸せだと実感したことがなかったが、ここへ来て生まれて初めて本当の幸せというものをほんのちょっとだけでもわかった気がする。
さて、来年はどんな年になるのだろうか。
来年のことを言うと鬼が笑うと言われているが、自分はあくまでも自然体で行こうと思う。
良い時もあれば悪い時もあるだろうが、流れに逆らわず心の赴くままに従って生きていればいいと思っている。
奇しくも今日、いや、既に昨日になっているのだが、ひょんなことから話の成り行きでついつい自分の本音が口をついて出てしまった時、図らずも自然に涙が零れて止まらなかったけれど、それでも言うべきことは言った。
自分に恐怖や不安を与えるものと真正面から対峙すれば自ずと精神的な負荷がかかるので、涙をこらえるとか声の震えを抑えるとかいう余裕はなくなる。
それでも逃げないで何とか切り抜けた自分は少しだけ強くなったのかも知れない。
他人事のように聞こえるかもしれないが、来年の自分はどんな風に化けるのかちょっと楽しみではある。
取り越し苦労が悪癖の自分だけに全く心配がないという訳ではないが、考えたって仕方がない。なるようにしかならないのだから。
そんな風に思っている自分を見て鬼ならぬ鬼神さえも嗤っているのかも知れないが。