(この物語はフィクションであり、実在の個人・団体・地域・時代とは一切関係なく、現実の制度・法律・科学的事象とは異なります。)
【ここまでのあらすじ】隕石がもたらしたCD(count down)ウイルスによる致死的な伝染病・time-bomb(時限爆弾)病の治療薬は延命効果と引き換えに人をモンスター化する恐ろしい副作用があった。フ―テッド・ピープルと呼ばれる謎の集団の首領・ロードはウイルスと治療薬を盗み出し政府に宣戦布告して、ある町を占拠し住民を捕虜とした。抗CDウイルスワクチン開発者・クラモチ博士の二人の娘・セリアとエシラは抗体を獲得し特務機関の命によってレジスタンスの協力の下にウイルス奪還の任務を帯びて現地へ向かった。
(5) 魔の森のレジスタンス
昼間でも暗い鬱蒼とした黒い森は不慣れな者が迷い込めば二度とは戻れぬ魔の森と言われていた。
そこに生まれ育ち、幼い時から慣れ親しんできた者以外を受け入れない深い森に囲まれた陸の孤島のような町には今やフ―テッド・ピープルと呼ばれる怪しげな人々と首輪を付けたモンスターたちの姿だけがあった。
町民たちは捕虜として小グループに分けられ、監禁されていた。
CDウイルスに感染した住民はそのままtime-bomb病で死ぬのを待つか、さもなくば、それさえあれば生き永らえられると信じられていた治療薬の恐ろしい副作用によって人に非ざる怪物に変えられるかという過酷な運命の二者択一を強いられていた。
辛くもフ―テッド・ピープルの襲撃を逃れた者たちは森に潜み、彼らと戦うことでそれぞれが自分の大切な誰かを探して取り戻そうとしていたが、time-bomb病は容赦なく彼らの余命を削り取って行く。
そうして既に何人もの若者が志半ばにして無念の死を遂げていたのである。
今や生き残っているのは4人の青年のみ。
そして彼らの体に浮き出たモザイク状の痣は徐々に虫食い状に消えて行きつつある。
それが全て消え去った時に彼ら宿主の生命も尽きてしまうことを否応なく知らしめるかのように。
「えっ…!?」
背が高くがっしりとした筋肉質の体とは不釣り合いなほど温厚そうな顔立ちをした柔らかな茶色の髪の青年は翠色の瞳で端末のディスプレイを二度見した。
「どうしたの?」
アンニュイな雰囲気を漂わせ、優しげで中性的な顔立ちの金髪の青年が金と赤のオッドアイを彼に向けて訊ねた。
「嘘だろ…まさかそんな…。」
翠眼の青年は独り言のように小さく呟いた後、一呼吸置いてオッドアイの青年に答えた。
「クラモチ博士のお嬢さんたちがウイルスを取り戻しに来るとか…匿名のメッセージだが俺の実名を知っていて尚且つこの端末宛に送信して来ている以上、悪戯や間違いではないだろうと思うんだが…。」
「君の素性を知る者が、クラモチ博士の教え子だったと承知の上で連絡を寄越した、ということでしょうね。」
二人よりは少し年上に見える、小柄で華奢な銀髪の青年が隻眼の紅い瞳で二人を一瞥して言った。
「恐らくはそのメッセージは政府の特務機関の者からで、搦め手を使って彼女らも私たちも手駒にしようという魂胆なんでしょう。
自分たちは手を汚さず美味しいとこだけさらって行く。
いかにもやりそうなことじゃありませんか。」
皮肉っぽい言い回しだが、その言葉の内容は当たらずと言えども遠からず、というところではないかと二人も同意した。
「…どうでもいい。そんなこと。」
少し離れた場所に一人で座っていた、外ハネの黒髪に大きなくりくりした金色の瞳の青年が心底つまらなそうな声を上げた。
「ボクたちの邪魔さえしなきゃ、何だって好きにすればいいじゃん。」
黒髪の青年は吐き捨てるように言った。
「確かに。珍しく君と意見が一致したみたいですね。」
銀髪の青年が苦笑しながらそう言うと、金髪の青年はくすくす笑い出した。
「一番協調性のない人の言うこととは思えないけどね。」
「君にだけは言われたくありませんね。
彼は裏も表もないからわかりやすくていいが、君は綺麗な外見と違って腹の中は真っ黒ですからね。
私はたまたま今は利害が一致するから君たちと行動を共にしているだけなんですよ。
正直なところ私はこういう状況でなかったら彼とも君とも決して関わろうとは思わないでしょうがね。」
銀髪の青年が笑みを浮かべて皮肉たっぷりに言った。
「あなたはいつも独断専行だからね。でもそれはお互い様かな。僕もあなたはどうしても好きになれないよ。」
金髪の青年は柔らかなそれでいてどこか残酷な微笑を湛えながら答えた。
「…ボクもお前ら二人はキライだ。」
黒髪の青年がポツリと言った。
「皆いい加減にしないか。
今は仲間割れしている場合じゃないだろ。
このメッセージには続きがあるんだ。
どうやらクラモチ姉妹はロードと話し合いをするつもりらしい。
話し合いなんかでロードが止められるとは思えないが、ロードは彼女らから申し込まれた話し合いには応じるみたいだ。
このメッセージの趣旨は、彼女らを護衛するという建前で同行するなら俺たちにロードに近付くチャンスを与えることができるだろう、ということのようだ。
確かに誰かに仕組まれて思うままに操られるというのは気に食わないが、この絶好のチャンスを逃す手はない。
言うまでもないが俺たちには時間がないんだ。
普通に乗り込んで行っても警戒が厳重でなかなかロードの傍には近付けそうにないが、彼女らの話し合いに同行できるとなれば或いは隙を衝くことも出来るかも知れない。
そう悪い話でもないと思わないか。」
リーダー格の茶髪の青年が言った。
「そうかもね。折角のチャンスだし。でも最終的な決断は君に任せるよ。ラビット。」
「ありがとう。マウス。」
金髪の青年が早速同意の意思表示をしたので茶髪の青年はほっとしたように微笑んだ。
「まあ、何にしろ利用できるものは何でも利用すべきでしょうね。」
「そうだね。ハッター。」
銀髪の青年の言葉は、同意した、という意味だと茶髪の青年は受け止めた。
「プスはどうなの?」
声を掛けられた黒髪の青年はつまらなそうに答えた。
「…どうでもいい。でも、お前が決めたんならそれでいい。」
彼らは、捕虜になっているであろう自分の大切な人に万が一にも害を及ぼさないために、端末で連絡を取り合うにも戦闘中に声を掛けあうにも全員互いをコードネームで呼び合うことにしていた。
リーダー格の温厚そうな茶髪の青年はラビット。
ひょうひょうとしてゆるふわな金髪の青年はマウス。
最年長で皮肉屋の銀髪の青年はハッター。
そして群れるのが嫌いな黒髪の青年はプス。
ラビットはメッセージが指定してきた時間と場所でセリアとエシラを迎えようと決めた。
そして他の3人も彼の決断に従うことに異論は唱えなかった。
セリアとエシラは待ち合わせ場所の目印である一本の高い糸杉の木を目指して魔の森の入口近くにやって来た。
あの眼鏡の男はそこで待てばラビットと名乗る青年が迎えに来るはずだと言った。
薄暗い森の入口近くで二人はラビットを待った。
一方通行のメッセージを送りつけただけで、その青年が本当に現れるかどうか何の保証もない。
彼は亡き父の一番弟子のような存在だったと眼鏡の男は言ったが、二人は彼のことは何も知らない。
不安のうちに約束の時間が来た。
「…あなた方が…セリアとエシラ…ですね?」
暗い森の中から声がする。声の方を見ると背の高いがっしりと体格の良い人影が近付いて来る。
「…あなたが…ラビット…?」
セリアが小さな声で訊ねた。
月明かりの中に現れた青年は穏やかに微笑んで答えた。
「ええ。あなた方のことはよくクラモチ博士から聞かされていましたよ。
ドルダムとドルディのようにいつもいがみ合ってばかりだけど本当はよく似た姉妹なんだと。
姉のセリアは早くに亡くした奥さんによく似ていて、妹のエシラは博士にそっくりだとも。
だから一目あなた方を見てすぐにわかりましたよ。」
二人は初対面の男から両親の話を聞くことに微かな違和感を覚えた。
それに今は両親の思い出に浸っている時ではない。
ラビットの背後から三つの人影が近づいて来た。
ラビットは少し不安げな二人に向かって言った。
「心配要りません。彼らはあなた方に同行する俺の仲間のマウスとハッターとプスです。
皆、彼女たちがセリアとエシラだ。よろしく頼むよ。」
ラビットが二人を仲間たちに紹介した。
「僕はマウス。どうぞよろしくね。レディたち。」
とマウスは柔らかな微笑を浮かべて右手を差し出した。
「やれやれ、見たところ二人共全くのど素人ですねぇ。やはり戦闘になったら使えそうにはありませんねぇ。」
とハッターが大袈裟に両手を広げて首を振りながら溜息交じりに言った。
「…こいつら悪い奴じゃない。ボクにはわかる。」
プスは独り言のようにぽつりと呟いた。
「とにかく話は俺たちの隠れ家についてからにしましょう。こちらへどうぞ。」
そう言って先頭に立って歩くラビットとそのすぐ後ろを歩くマウスに付き従って二人が歩き出すと、すぐ後ろにはハッターが、そして少し遅れてプスがついて来た。
どこをどう歩いたのか、複雑な迷路のような森の中を進み、生い茂る叢の陰に隠れて洞窟の入口があった。
その入口はあまり大きくはないが内部はちょっと広くなっていて、そこが彼らの隠れ家になっているらしく、最低限の生活に必要な道具類や食料などが揃っていた。
中に入って一息つくとラビットが改めて口を開いた。
「正直なところ、誰も知らないはずの俺の実名に宛てて俺の端末に匿名のメッセージが送られて来た時は俺たちを騙して捕らえるための罠かも知れないと半信半疑でした。
でも俺たちには残された時間が限られているから選択の余地はありませんでした。
ご承知でしょうが俺たち全員CDウイルスの感染者です。」
そう言ってラビットが見せた左上腕の痣は確かにtime-bomb病特有のモザイク状を呈していた。
まだそれほど欠けてはいないがところどころ虫が食ったように痣が消えている。
ラビットが仲間たちに向かって頷くとそれぞれが自分たちの痣をセリアとエシラに示した。
マウスの右脇から上腕の裏側の痣は縞状の模様を描くように消えかけていた。
ハッターの胸いっぱいに広がる大輪の花が咲いたような痣は同心円状に消えかけているのがまるで水面に落とした滴が波紋を広げているようだった。
プスの右肩で円形に広がっている痣はまるでレースのドイリーを乗せたように痣の消えた本来の肌の色のスポットがランダムに散らばっていた。
痣の消える速度も消え方もばらばらだったが、ただ一つはっきりしているのは痣が全て消えた時、先に逝ってしまった同志たちと同じように彼らの生命(いのち)の炎も燃え尽きるということだ。
その時がいつ来るのかは本人にもわからない。
「明朝、町に入ります。
俺たちは全力であなた方を護りますが、あなた方も決して気を抜かないで下さい。
ロードとアポイントメントを取っているからと言ってすんなり館に辿り着けるかどうかはわかりません。
フーテッド・ピープルの構成員たちのロードに対する忠誠心にはかなりの温度差があります。
ロードと話し合いの約束をした客人だからと言ってもお構いなしにモンスターを嗾けてくる輩だって居るし、モンスターたちはフ―テッド・ピープル以外の者は見境なく襲います。
何とか明日の晩までにはロードの居る館の近くまで行って、安全に富まれる場所を確保して明後日の会談に備えます。
マウスとハッターはセリアに、俺とプスはエシラにつきます。
いいですか。俺達の傍から絶対に離れないで下さいね。
…今夜はもう遅いからあなた方は休んで下さい。
俺たちは交代で見張りに立ちます。」
ラビットがそう言うと仲間たちも肯いた。
彼の言葉に従って二人は体を横たえたが目は冴えて眠れそうになかった。
遠くで獣の唸り声のようなものが聞こえる。
その声は恐ろしいというよりもどこか哀しげで胸に迫るものがあった。
もしかするとそれは怪物の体の中に眠る人間だった頃の魂の叫びなのかも知れない、とセリアは思った。
(つづく)