きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

Thanatos 1~3 あとがき解説・改

2022-04-29 18:07:45 | 日記
 最新作『Thanatos』1~3部完成、投稿しました。

 構想の原型は昨年末くらいからあり、実際に書き始めたのは3月頃だったかと思います。
今年は4月にブログ開設から10周年記念日を迎えるため何かイベントをしたかったのですが、最近は現実世界の本業も多忙でなかなか時間が取れない上、私生活においても何かと心身に負担がかかることがあって思うように作業を進めることが叶わず、更に最近になってとある切欠でストレートネックと診断を受けてしまい、パソコンやスマホの作業も負担がかかるのでよろしくないということで、少々ビビりながら執筆を進めています。それでも、何とか書きかけの今作品だけは4月中に仕上げてしまいたい思いで何とか頑張って来ました。

 例によって私の小説はほぼ毎回自分の好きなアニメやコミック、ゲーム等のガラガラポンからアレンジして出来上がっていますが、今回は特に多岐にわたる元ネタへのオマージュが散りばめられているかと思います。
ヒントになった元ネタが膨大過ぎるし、それらをいちいちほじくり返すのも無粋な気がするので、あくまでも極々一部だけをピックアップしてみますと、大人気の『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』、王道の『エヴァンゲリオン』、『Fate/stay night 【Unlimited Blade Works】』、『K』、『マギ』、名作RPGのFFシリーズ(主にⅦとⅩ)及び派生作品(FF零式、クライシスコアFFⅦなど)や『LIVE A LIVE』、その他にもいろいろあります。

 物語の中心となる登場人物は同期生3人の男女ですが、そのうちの男女各1人はどちらかと言うと作者の分身的な存在と言っても良いかと思います。ヴィジュアルや設定は元ネタの複数の人物をミックスしていますが、性格設定部分でこの二人は作者と同じ水瓶座をイメージしているので、良い部分も悪い部分も描き易かったです。

 現実世界では絶対に体験することはできないのだけど、作者自身の中に少年漫画への憧れがあって、男性同士の友情とか親友というものには、非常に憧れます。また男子高校生の日常のような、「バカやってるけどめっちゃ楽しい」という世界観にも憧れています。
そのため、主要な登場人物をテオとミコトの男子二人だけでなく、イツキという女子を一人加えて、「バカやってばっかだけど、めっちゃ楽しそう」と眺めている状況にしたわけです。ただし、あくまでも少女漫画ではないので、そこに明確な恋愛感情はありません。仲間意識や友情はあるけど、恋愛ではない。寧ろイツキは男子二人をちょっと引いたところから見ていて、「男子の友情って尊い」という憧れを持ち、「見守って支えてあげられたらいいな」みたいな感じだと思います。イツキのそういう部分は作者自身の投影かも知れません。

 ちなみに登場人物の名前の由来については、以下の通りです。テオは実在の魔法使いの名前の中から語感で選んだものをアレンジ。ミコトは当初別のキャラクターの名前でしたが、いろいろ設定が変更されるうちにキャラクター自体がボツになったことと、精神面で共通する部分のある『K』の「赤の王」の名前「尊」の読みと同じなのとで流用しました。イツキと言う名は過去の作品でも使用したことがありますが、『幽遊白書』に出て来るキャラクターの「樹」という名前の響きが好きだったのもあり、『巫女』という意味の『斎』から取りました。西方出身者は西洋風の、東方出身者は大和言葉っぽい名前にしたかったということもあります。
用語的なものは殆どがドイツ語のもじり(英語とか言葉遊び的なものなどもあります)が多いのですが、先輩のブルーダ、後輩のアッシェ、その他教官たちなども名前はドイツ語由来です。ブルーダはクライシスコアのアンジールのイメージです。アッシェはモデルにしたキャラクターの名前をドイツ語もじりしたものです。
敵役のドーマは、陰陽師・安倍晴明のライバル蘆屋道満と『鬼滅の刃』の鬼の名「童磨」から。因みにドーマのイメージは童磨とFFⅩのシーモア導師を足して二で割った感じというところから来ていますが、ドーマの台詞は、作者の脳内ではティム・バートンの映画『チャーリーとチョコレート工場』の吹き替え版の声優・宮野真守が演じているジョニー・デップのイメージで再生されています。

 いつものことながら、クライマックスまでの筋書きは結構初期段階に出来ていて、ラスト以外はほぼ一通り出来上がった状態から、ああでもないこうでもないと何度も大小様々の改変を経て、最後をどうまとめて終わるかを考えていく感じで書き上げました。
今回は途中で物語の整合性を保つことに結構悩み、設定が180度変わったような部分もありますが、一応何とか修復できたかなというレベルには達しているかと思います。

 いよいよ完成間近となってから、タイトルに悩んだのはちょっと珍しいパターンかもしれません。
昔はタイトルありきの時期もありましたが、最近では大体最初はタイトルは決まってなくて、途中でキーワード的なものから自然とタイトルが決まることが多いのですが、今回は苦戦しました。さんざん考えて一旦は「これだ」というタイトルが決まったのですが、いざ完成という直前に突然タイトルが降臨して、そのまま変更になりました。勿論単なる思い付きという訳ではなく、ただ候補には入ってなかったと言うだけで、資料の中にはちゃんと存在したキーワードの一つではありました。
作中にも出て来た言葉で「リビドー/デストルドー/レゾンデートル」というキーワードがありますが、タイトルの「Thanatosタナトス」とはデストルドーとニアリーイコールと言われる心理学用語で、神話の死神の名前が由来と言われ、「死への欲動」などと訳されています。
因みに直前まで決定しかけていてボツになったタイトルは、作中のテオの台詞に出て来る文言なのですが、元ネタが『Unlimited Blade Works』であるその台詞の中で、元ネタには登場しなかった部分とだけ言っておきましょう。

 テーマは幾度となく繰り返し描いて来たものでもあるかもしれませんし、言葉にしてしまえば陳腐になってしまうのですが、「天才と秀才」というか、「天才型と努力型」というか、互いに親友でありバディであったためにおこる、すれ違いの悲劇みたいなものでしょうか。
それに加えて、共依存や自己肯定感の欠如等というものも勿論絡んでいます。
弱音が吐けなくて、素直にSOSが出せず、自分で自分が許せなかったり、他者の期待に応えることでしか自己の価値を見出せず、他者の評価に委ねてしまったりというのは作者自身も同じなので、「わかってるんだけど、なかなか自分を変えられないんだよなあ」などと思いながら書いていました。

 挿絵のイラストは最初に描いたのが2部のミコトで、そのあと1部のテオと3部のドーマを描いたのですが、どれも作画が酷過ぎて(特に1部)もう情けなくて悲しくて恥ずかしいけど、最近はあまりにも作画から離れすぎていたために、現状これでいっぱいいっぱいなので泣く泣くそのままあげることにしました。
ミコトは先にイラストありきで、霊珠の設定の詳細は後付けだったので、位置合わせに苦労しました。皮膚に描かれた術式回路はルーン文字をアルファベットに対比させた資料を参考にしてFFの魔法の名前を表記したのですが、術式回路の刻まれる位置の設定の方が後だったため、属性の設定とかが違ってしまいました。更に、修行中というイメージで白っぽい服になっていますが、制服は黒色と後から設定したので、ここもまた齟齬が出てしまいました。
テオはFFⅦのクラウドのツンツンヘアをサラサラヘアにした感じ、というヴィジュアル設定でしたが、超絶イケメンを描きたいのに腕がないという感じでした。
ドーマは先程のキャラ設定に従ってヴィジュアルも決めたのですが、物語の終盤の主な登場シーンが後付けだったために、本来なら胸元に光十字という十字架のようなものを着けているべきなのがありません。また、現実世界でいうインスリン注射的な薬を常用しているという設定も後付けだったために、「どうやってお腹を出して皮下に自己注射するの?」と突っ込みたくなるような意匠になってしまいました。

 現実世界では既に4/29からGWの走りですけど、私生活でGWの大きな予定が1つなくなった関係で、できれば過去作品傑作選再掲をやってみたいという当初の企画を実現できればいいなと思っていますが、ともあれ、頚椎への負担も考慮して、今日のところは新作のお披露目が出来たことで良しとしたいと思います。
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Thanatos 3

2022-04-29 18:07:33 | 小説

(第2部のつづき)

§ ガイゼル皇女 §

 魔法師団(マギアタイロ)の敷地内の広大な庭の片隅の繁みからガサゴソと音が聞こえた。たまたまその場に居合わせたテオとミコトは黙ったまま顔を見合わせて頷き、静かに繁みに近づいて、そっと様子を伺うと、繁みの奥に小さな人影が隠れているのが分かった。
テオが素早く手を伸ばしてその不審者の腕を掴み、繁みから引っ張り出すとその不審者はまだ若い女学生らしかった。
「その制服は、帝都女子学院のもののようだね。こんなところで、何をしているのかな?」
制服は小枝や葉っぱまみれで、裾には土がついていたが、ミコトが声を掛けると、女学生は正体を知られまいと顔を背けた。
「あれ?何か見たことある顔だと思ったら、さっきニュースで婚約したって言ってたガイゼル皇女じゃないか。」
高級貴族(アリストロ)家系出身のテオは、その顔に見覚えがあった。
「え?本当に貴女はガイゼル皇女様なんですか?」
ミコトが言葉を改めると、観念したように小柄なガイゼル皇女は長身の二人を見上げて頷いた。
「その皇女がここで何してたんだ。もしかして、政略結婚が嫌で逃げ出して来たってわけか?」
テオは皇女相手でもいつも通りの口調で尋ねた。
「そうなんですか?」
ミコトもガイゼル皇女の顔を覗き込んで尋ねた。
「…助けてください。わたしは結婚なんかしたくないの。まだ恋人すら居ないのに、何度か挨拶したくらいの、それもうんと年上の男性と、突然結婚することに決まった、なんて言われて、怖くて逃げ出して来たんです。わたしはあの方が恐ろしいの。決して魔族(ヴィンケル)のような外見だからということではなくて、物腰は柔らかでいつも笑顔を絶やさない方だけれど、絶対に目だけが笑っていなくて、あの氷のように冷たい目で見つめられたら凍り付いたように身が竦んでしまうんです。」
皇女は泣きそうな顔で言った。
「貴族の社会なんてそんなもんだろ。政略結婚なんて別に珍しいことでもないし。」
テオはそう言ったが、ミコトは皇女に同情したように、神妙な顔つきで言った。
「貴女はまだお若いし、生涯の伴侶となる人はご自分で選びたいでしょう。そのお気持ちはわかります。」
「おいおい、ミコト。今まで朴念仁だと思ってたが、お前って意外とロマンチストなんだな。」
とテオが笑った。
「笑い事じゃないよ。テオ、例え皇女様であっても、一人の女性として、伴侶は自分の意思で選びたいと思うのは当然のことじゃないか。」
ミコトが真面目に答えると、テオは真顔になり、
「確かにな。もし俺が政略結婚しろとか言われたら、全力で抵抗するだろうしな。…だが、どうもそう簡単には行かなさそうだ。」
テオの視線の先には、僧兵(モンソルダ)を引き連れた神官長(エルプリスタ)ドーマが、魔法師団の上層部と共に姿を現した。
「これは、これは、ガイゼル皇女。やっと見つけましたよ。」
微笑んで見せる神官長だが、表情とは裏腹にその蛇眼のような赤い瞳は全く笑っていなかった。
「随分探しましたよ。お転婆も大概にして頂かないと、皇帝(カイゼル)陛下も大変ご心配なさっておられます。」
「ご、ごめんなさいっ。」
皇女は怯えて声を震わせながら謝った。ドーマはテオとミコトの方に視線を向けると恭しくお辞儀をして言った。
「あなたがたお二人は、研修生(インターン)の中でも有名なテオ魔導士(マーギア)とミコト魔術師(ツァオベラー)ですね。お噂はかねがね伺っております。わたくしは魂神教会(リウ・レリジオ)神官長のドーマと申します。」
「あの、」
口を開こうとしたミコトの袖を、テオがぐっと引いた。
「どうやらガイゼル皇女は誤解をしておられるようでしてね。わたくしと婚約はしたけれど、まだ女学生であるガイゼル皇女と今すぐ婚礼を、と言うことではありません。初めからわたくしはガイゼル皇女が学業を終えられるまでお待ちするつもりで居りました。さあ、ガイゼル皇女。お判り頂けたなら、どうぞ皇宮へお戻りください。わたくしがお送り致します。」
蛇に睨まれた蛙のようにガイゼル皇女は身を固くして
「わ、わかりました。」
と震え声で答えた。
「お二人にはお世話になりました。ガイゼル皇女を保護してくださってありがとうございました。」
愛想笑いを浮かべてドーマが言った。
「さあ、ガイゼル皇女、参りましょうか。」
「は、はい。」
皇女はテオとミコトに視線を残したまま、ドーマに促されて歩き始めた。
後を追おうとするミコトを、テオが引き留めた。
「何で?」
と尋ねるミコトにテオは真顔のまま微動だにせず答えた。
「『蛇』が狙ってるからだよ。あいつは曲者だ。ここは引いた方が良い。」
ミコトは我に返って遠ざかる神官長一行を見送ったが、皇女の身に何か良くないことが起きるような予感がして、何とも居たたまれない気持ちになった。

 (あれがテオとミコトか。見たところ、ミコトは生真面目な堅物、一本気で融通の利かない律儀な性格というところか。しかし、張り詰めた弓弦の如く硬さは脆さの裏返しでもあるからな。人族(ユマ)の身の限界まで精霊(ガイスト)の霊珠(ジュヴィル)と術式回路(シャルトクライス)を取り込み、聖獣(ヴェヒタ)を召喚して、身に受けた魔法(マギカ)をそっくりそのまま模倣して返し、あらゆる属性の多彩な魔法を操る優等生と聞くが、むしろ理屈通りにしか動かない優等生の方が扱いやすいというものだ。
 だがしかし、一方でテオの方は危険だ。天才というものは常人には理解できない。靭やかで強か、変幻自在で一種の狂気すら感じさせる。しかも直感が鋭くてこちらの手の内も見透かされそうだ。出来る事ならテオだけは敵に回したくない。)
 ドーマは二人と会ったほんの僅かな時間だけで、二人を品定めしていた。勿論、二人が皇女に気づく前から、気配を消して様子を伺っていたのではあるが、魔法師団の上層部が派遣する魔法使いの選定に圧力をかけようと企んでいたドーマは、優れた洞察力で最強の二人の特性を見抜いた上で、魔法師団の上層部を使って、自ら書いたシナリオ通りに操ろうと考えていたのである。

 その日以来、テオとミコトが単独任務を与えられることとなり、教会の与えた誤った情報を基にした作戦に派遣された任務でアッシェやブルーダが命を失ったが、それが全てドーマの策略であったことなど、現場の魔法使い(マグス)には知る由もなかった。
 一方でドーマは教会での説教を通じて、言葉巧みに一般民衆を誘導し、魔族への敵対心と共に、「似非魔族」である魔術師への不信感を植え付けようとしていた。魔族の血を引くドーマ自身が魔族の殲滅を掲げ、見事魔族絶滅を果たしたとしても、魔術師がその魔法の力を利用して民衆の敵となるかのような印象操作を目論んでいた。
 人心掌握術に長けたドーマの術中に嵌った民衆は、ドーマの説教に惑わされ、徐々に「魔導士はただ少し秀でた『人』であるが、魔術師とは魔族に近しい『似非魔族』のようなものである」と刷り込まれて行ったのである。

 「皆さんの生活とは切っても切れない関係にある魔道具(メヴァクツォイ)は、魔導(メヴァク)の力によって誰もが生活魔法を使用することができるように開発されたものであることは周知の事実だと思います。魔導の力は今や人族の生活には欠かせないものとなっています。その魔導の力で、人族は魔導兵器(メヴァッフェン)を手に入れました。皆さんは魔法の力が使えなくとも、全ての命の源であるリウの流れ・『ほしのいのち(ウテル)』とその中に存在する『神(ゴト)』のご加護、即ち『リウの賜物』によって守られてはいますが、魔導の力が皆さんを支援していることは疑いようのない事実です。
 人族の敵・魔物(モンスター)のみならず、近年は魔族の襲撃により、人族の生活が脅かされています。魔族は魔法の力を利用して、わたくしたち人族全てを死に至らしめようとしているのです。わたくしたちは魔族から身を護らねばなりません。しかし、悲しいかな、わたくしたちには魔法が使えません。魔族同様に魔法を使うことが出来るのは魔術師だけなのです。魔法の力を得た魔術師は、魔族と同じ力が使えるのです。
 では、魔術師でなければ戦うことが出来ないのかと言うと、そうではありません。わたくしたちには魔導兵器があります。勇敢な戦士(ソルダ)達は魔導兵器を以て魔族に対抗します。そして魔道具の延長として、魔導武器で戦う魔導士がいます。魔導士は魔導武器を持つことで疑似魔法(メギカ)を使うことができますが、魔導武器がなければわたくしたちと同じように、魔法をを使うことはできません。魔導士は選ばれし者として人より出でたる特殊な戦士に過ぎません。魔術師のように聖獣を召喚することはできませんが、魔導の力により、勇敢に戦います。わたくしたちは、人族を護るために命を懸ける戦士たちに感謝し、お祈りを捧げましょう。わたくしたち魂神教会も、戦場に僧兵を派遣し、戦死者の魂が魔物へと転生することのないように、鎮魂の祈りを捧げております。」

§ 蛇の甘言 §

 「ブルーダ魔術師だった魂よ、現在と過去と未来を繋ぐ命の源、この世に満ちるリウの流れ・『ほしのいのち』へと還り給え。」
魂神教会の神官長ドーマは祈りを捧げながら、胸元で『光十字(ヘルクロイツ)』を握りしめ、目を閉じて頭を垂れた。
八本の線が放射状に組み合わされたような光十字は魂神教会の紋章にもなっており、リウの輝きを象徴するものだと言われていた。
暫し沈黙していたドーマが顔を上げ、蛇眼のような赤い瞳を細めて、ミコトに声を掛けた。
「ご安心ください。これでブルーダの魂が迷い魔物(モンスター)になることもなく、『ほしのいのち』に還れるでしょう。家族や恋人、親しい友人が亡くなった後魔物に転生すると、心を失くして愛する者を襲い、身を護るために魔物を倒せば、大切な人を二度も失うことになってしまいます。そうならないようわたくしたち魂神教会は、死者の魂を慰めるために祈らねばならないのです。」
既に光の粒子に分解されて浮遊し、消失してゆくブルーダの魂を見送ったミコトはドーマに頭を下げ、謝意を表した。
「ありがとうございました。」
「いいえ、わたくしは自分の為すべきことを為しただけのことです。完全無魔者(ヌル)のわたくしには、魔術師の代わりに戦うことはできません。わたくしにできることは祈ることだけ。わたくしはわたくしのできることを精一杯努めるだけのことです。」
ドーマの言葉にミコトははっとした。ドーマはそれに気づいたが、素知らぬ顔で話を続けた。
「ミコト、以前魔法師団でわたくしの婚約者、ガイゼル皇女を見つけて保護して下さり、その節は大変お世話になりました。」
まだ傷心の癒えないミコトには、愛想笑いを浮かべるドーマの真意に気づくだけの心の余裕はなかった。
「いいえ。」
「こんな時にと思われるでしょうが、心の傷を癒すためには、他愛無い会話も一役買うことがありましてね。少しだけ、わたくしの話を聴いてくださいませんか。以前から、是非ともあなたには聴いて頂きたかったのです。」
ドーマはミコトに向かってそう言ったが、その言葉には有無を言わせぬ力が籠っていた。
「有り得ない理想だとあなたは笑うかもしれませんが、もしも人族と魔族がかつてのように共存できる世界が実現できれば、人族と魔族が争うこともなく、魔法使いが戦って死ぬこともなくなるとは思われませんか。そうなれば若者が魔術師となって戦うために試練や修行で苦しむこともなくなります。人族と魔族は相容れない存在であり、必ず二者択一と信じられてきましたが、本当にそうなのでしょうか。心を持たない魔物はいざ知らず、理性や知性を持つ魔族となら、人族は共存できるかも知れません。魔族と人族の間に生まれたわたくしはそう思っているのですよ。悲しいことに人族の民衆の中には、魔族と魔法使いを混同しているような者も居ります。魔法や疑似魔法の恩恵を受けているにも関わらず、魔法使いを忌み嫌う者さえも。あなたは人一倍苦労をして最強の魔術師にまで登りつめたけれど、次々と仲間の魔術師を失い、民からは冷たい仕打ちを受けて来られたのでしょう。今のあなたはきっと、『もうこれ以上戦いで仲間たちを死なせたくない。』と思っておられるのではありませんか。あなたは魔法とは無縁の一般家庭ご出身だそうですね。もしも人族と魔族との戦いがなければ、試練や修行で苦しんでまで魔術師にならなくても良かったのではありませんか。戦いで命を落とす者が居るから、無念の思いを遺す者が居るから、魔物が生まれるのです。戦いが無ければ、これほどまでに多くの魔物も生まれることはなかったでしょう。そうは思われませんか。」

 ミコトはドーマの話を聴いて、宗教者らしい理想論だと思った。
(そもそも何故人族と魔族が争うようになったのか。何故魔物が生まれたのか。それらは全ての原因は人族が作ったことを棚上げして、魔族と人族の共存などが出来る訳がない。人族がまだ存在しなかった太古の世界は平和だった。人族が生まれても、最初は魔族との共存も可能だったろう。
 しかしそれが破綻したのは、ただ人族が増え、繁栄したからだけではない。人族が驕り高ぶって、魔族を脅かし、世界を汚染し、資源を浪費してきたからではなかったか。人族の存在がこの世界にとっての害悪だからこそ、魔族は人族から世界の覇権を争い、取り戻そうとしたに過ぎない。それ故、共存という選択肢など有り得ない。
 人族の自衛のために魔術師は精霊に近しく半ば人に非ざる者となってまで身を削って奉仕して来たというのに、それを理解することもせず、魔術師を罵倒するような人族にはつくづく愛想が尽きた。寧ろ滅ぶべきは人族なのかもしれない。)
 ミコトは深い闇の底に墜ちるように、心が黒い影に飲まれて行くのをもう止められなかった。
全ての生命が共存できる理想の世界は夢幻。人族からすれば魔族の排除が大義だが、魔族の立場になれば、寧ろ滅ぶべきは人族の方なのだから、精霊の力を以て人を守る魔術師は、端から矛盾した存在だったのだ。

 民衆の意識を誘導することで魔術師への嫌悪感を植え付けたのも、情報を操作して魔術師を死地へ送り来むように仕組んだのも、全てドーマが黒幕であったとも知らず、俯瞰で見た世界の理から人族に対する嫌悪感を募らせたミコトは、「自分も人族ではあるが、もう人族は滅んだ方が良いのかも知れない」とまで思い詰めていた。
真面目さ故にそれがドーマの巧みな意識操作であることに気づくことさえできなかったのである。

 「何故あなたにこの話をしたかというと、勿論あなたが現世で最強の魔術師であり、魔法学院(マギイ・アカデミア)でも優等生だった聡明な方だと聞いていることもありますが、もしかしたら、あなたなら『究極魔術師(アルテマツァオ)』になれる可能性があるのでは、と思ったからです。魔法使いの中では『究極魔術師』なんて夢物語だと言われているらしいですが、わたくしの幼い時、亡くなった母が、生き別れた魔族の父から聞いた話として教えてくれたのです。又聞きでもあり、うろ覚えでもありますが、わたくしは『究極大魔法(アルテマギカ)』や『究極魔術師』の存在を信じています。ただ人族はそれを知らないだけで、魔族ならば知っているはずだと、わたくしは常々考えておりました。人族からの迫害を恐れて、母からは固く口止めされていたので、今までは誰にも話したことはありませんでしたが、始祖の魔女アカツキは究極魔術師だったのです。そしてアカツキが契約した特別な精霊から究極大魔法を得て、究極魔術師になったのだと。基本五属性と準精霊の二属性を合わせて七属性を操るあなたなら、アカツキ以来の究極魔術師になれるかもしれません。そうなれば、あなたは、希少魔導士(ゼルト・マーギア)である親友のテオにも匹敵する、いや、それ以上の最強の魔術師になれるかもしれません。」

§ 分かれ道 §

 ブルーダの死後、突然ミコトが行方不明になったことを知るテオだったが、最強魔術師であるミコトが不在である分、最強魔導士であるテオにしか出来ない任務は増え、忙殺されていた。戦士だけでなく民衆に対する被害が激しくなって、一人残らず鏖殺されてしまうため敵の情報は殆どわからないが、テオは何となく嫌な予感がして、ミコトの失踪と何か関係があるような気がしていた。

 薬師(ファルマ)として魔法学院内の研究所兼工房(ラボーア)に配属され、回復薬や治療薬を始め、魔法使いを支援したり安全で便利な民衆の生活に寄与するためのアイテム研究と調合生成に携わるイツキは同郷でもある同期生ミコトの失踪のニュースに心を痛めていた。
真面目過ぎ、優しすぎるミコトのことだから、彼なりに熟考した上での失踪であろうことは想像に難くないが、繊細なミコトの信念の硬さや真っ直ぐさはいつかポキンと折れそうな脆さの裏返しであるとイツキにはわかっていたから、ミコトの行く末を案じていたのである。

 イツキはふとミコトの匂いがした気がした。彼の傍にいる時に感じていた匂い。それは彼が魔術師となり、体内に多くの精霊の分身を宿すようになったからかはよくわからないが、何とも表現し難い、だが、決して嫌な臭いではない、不思議な匂いだった。薬師の家系に生まれたイツキは耐毒性に秀でた特異体質だけではなく、魔法に対する嗅覚にも優れていたから、常人には感知できない独特の匂いに気づけたのかもしれないが、イツキ自身にはそんな自覚はなく、「こんなところに居るはずのない彼の匂いを感じたのはきっと、彼のことを心配していたせいで起きた錯覚だろう」と思ったその時、
「イツキ、後でいつものところに来て。」
と耳元で囁くミコトの声を聞いた気がしたのだが、振り返っても誰の姿も見えない。しかし、イツキは作業の合間に、学院生時代にいつもミコトとテオと語り合った談話室へ向かった。現役の学院生達は談話室には来ない時間帯なので、談話室は無人だった。

 談話室に入ると、テオとミコトと三人で過ごした青春時代の懐かしい思い出が胸に蘇り、涙が出そうになった。
ミコトの匂いは自分の目の前の空の椅子から漂っていた。
「両面外套(リバーシブル・コート)ね。」
イツキは言った。表面はただの足元まであるフード付きのロングコートだが、裏返しにすると透明化の魔法効果で姿が見えなくなるアイテム。着る者の体型に合わせて伸縮し、すっぽりと体を覆って目深にフードを被れば、まるで透明人間になったように周囲から気づかれず姿を隠せるものだ。
「ご名答。さすが薬師だね。」
そう言ってフードの中からちらりと顔を覗かせると、紛れもなく穏やかな笑顔を浮かべたミコトだった。
「やあ、イツキ、久しいね。」
「ミコト、行方不明だって聞いたけど、何処で何してたの?」
イツキは万が一にも他人が通りかかって不審がられないように声を潜めて訊いた。
「まあね。いろいろと考えるところがあって。」
イツキはミコトの笑顔を作り損ねて取り繕ったような表情から何かを察したように言った。
「もう魔法師団には戻らないつもりなんだね。」
ミコトは急に真顔になって、暫し沈黙した後寂しそうな笑みを浮かべて言った。
「ここでテオとイツキと私と三人で過ごした学院生時代が懐かしいな。」
「テオにも会わないで行ってしまうつもりなのね。」
イツキも残念そうに視線を落として言った。
くしゃっと顔を歪めて笑う、学院生時代のミコトの、楽しそうな、心からの笑顔がイツキの脳内に浮かんだ。テオと一緒にバカみたいにふざけていた頃はいつも見ていたあの笑顔だったが、今のミコトの笑顔は、あの時の笑顔に似せようとして失敗したように寂しく見えた。
「ミコト、これからどうするつもりなの?」
イツキは彼に訊くべきでもないし、ミコトが答えるはずもないと思いながらも、訊かずにはいられなかった。
「この世界にとって最善と思われることの実現に力を尽くすつもりだよ。」
「ミコトが何を言ってるのか、わからない。」
意外なミコトの答えにイツキは戸惑った。
「わかってもらおうとは思ってないよ。ただ、私は私なりに生き方を決めたんだ。後はそのために私が出来る事を精一杯やるだけだよ。」
ミコトの言葉には反論を受け付けない頑なさがあった。
「じゃあ、イツキ、さようなら。」
そう言うとミコトはフードを被り、イツキの視界から消えた。ただ、ミコトの匂いだけが遠ざかって行くのをイツキは感じていた。
イツキは魔導携帯端末を取り出し、テオを呼び出した。
「テオ?今魔法学院の談話室でミコトと会ったの。両面外套来て尋ねて来たわ。今ならまだ近くに居るかも知れない。」
「え?マジか!」
テオがそう言うと通話は切れた。
「ミコト、余計なお世話かも知れないけど、せめて最後にもう一度だけテオとは会って行った方が良いよ。」
イツキは通話の切れた端末を握ったまま、独り言ちた。いや、本当はミコトが会いたかったのはイツキよりもテオの方だったのかもしれない。素直になれなくて、こんなまどろっこしいことをするのも、ミコトらしいと言えばミコトらしいかもしれない。

 「あいつ!!」
イツキからの通話を一方的に切ったテオは、転送魔法で魔法学院の近くへ急行した。賑やかな帝都ヴェステンシュタットの繁華街からは遠く離れた学院の外は既に暗く、魔物を恐れて人通りはなかった。そんな薄闇に紛れるように表に返した両面外套を着て歩く、フードを目深に被った高身長の後ろ姿を見つけたテオは、それがミコトだと一目でわかった。裏返しのままなら姿を消していられるのに、両面外套をわざわざ表に返して着ているところを見ると、イツキがテオを呼ぶことも、テオが追いかけて来ることもわかっていて、テオに見つけられるためにミコトがわざとそうしていたのかも知れないとテオは思った。
「ミコト!!」
テオが叫ぶと、ミコトはゆっくりと振り向いた。
「お前、今まで何処へ行ってた⁉これから何処へ行くつもりだ⁉」
テオの問いかけにミコトはイツキに対して答えたと同じように
「私はこの世界のために自分が出来る事を精一杯やろうと思っているだけだよ。」
と穏やかに答えた。
「魔法師団には、君さえいれば良い。私はもう必要とされていない。」
「お前何を言ってんだよ!お前の言ってることは全部意味が分からないよ!」
テオは怒りなのか悲しみなのか自分でも分からない激情に突き動かされて叫んだ。
「私と君の進むべき道は既に分かたれたんだよ、テオ。私は私が生まれて良かった、生きる意味があったと思える世界を作りたいだけだ。それが私なりの大義だ。」
「お前ひとりで世界を変えるなんて、出来る訳ないだろ!」
「もし私が君ならば出来るよ。テオ。私が君だったら、私の大義もバカげた理想で終わることはないだろう。」
「ミコト、お前…何をする気だ?」
「さようなら、テオ。」
テオとミコトの話は平行線のまま、ミコトは突然別れを告げると、白色の翼竜の姿をした聖獣(ヴェヒタ)ヴァイフルザを召喚し、共に上空へ舞い上がると何処かへと飛び去ってしまった。
「何でだよ…。」
テオはミコトの話が理解できぬまま、その場に立ちすくんでいた。

§ 皇女誘拐と皇帝暗殺 §

 大規模な鏖殺事件が頻発する中、特に大規模な魔族との戦闘に、偶然巻き込まれた魔法学院生が、虫の息ながら生還して証言したところによると、
「敵の魔族を率いていたのは高身長で黒髪の『仮面の魔術師(マスケ・ツァオベラー)』だった。魔法学院の制服姿であった自分だけは戦闘不能状態で助かったが、他の人族は全員殺された。」
ということだった。
魔族の特徴である青い髪、白い肌、蛇眼のような赤い瞳の特徴には当てはまらず、長い黒髪と仮面から覗く黒い瞳は人族の、特に東方出身者のようだった、という報告に、テオは胸騒ぎがした。失踪したミコトの特徴とあまりにも似ている。もしかしたら、いや、おそらくは、仮面の魔術師の正体はミコトだろう。ミコトが言い放った「大義」の意味が人族の大量虐殺だとは考えたくないが、魔法学院生だけは命を奪わなかったというのも、いかにも後輩思いのミコトらしいと思うと辻褄が合ってしまい、その疑惑が心に重くのしかかって来た。

 そんな時、突然魔法師団に皇女誘拐のニュースが飛び込んで来て、皇宮から突然姿を消した皇女を連れ去ったのは、他ならぬ仮面の魔術師ではないかという噂が流れた。皇女の婚約者である神官長ドーマは、皇女の捜索と救出を魔法師団に依頼した。
「もしも噂通り皇女を誘拐したのが仮面魔術師だとしたら、魔法使いの手を借りるより他に、皇女を奪還する方法はありません。ここは是非とも、魔法使いの中でも特に優秀な人材の派遣をお願いしたい。可能であれば、最強魔導士と名高いテオ魔導士を派遣して頂ければ、これほど心強いことはございません。」
魔法師団は神官長直々の指名とあっては最優先で応えねばならないと、その任務をテオに一任した。
 魂神教会から得られる情報を元に、テオは皇女捜索の任務に就いたが、曖昧な情報に振り回され、帝都から遠く離れた場所へと赴いては、殆ど成果の得られぬまま、再び別の情報を元に奔走するということを繰り返していた。
もしも本当に仮面魔術師がミコトであり、彼が皇女誘拐に関与していたら、と思うと、一刻も早く皇女を探し出さないといけない、とテオは焦っていた。政略結婚を嫌がっていた皇女に同情していたミコトなら、もしかしたら皇女を自由の身にするために誘拐していたとしても、筋が通るかもしれないと思ったからである。

 テオが帝都を離れている間に、状況は更に悪化した。
皇帝が暗殺されたのである。皇女が誘拐され、「皇女は預かっている」という犯行声明だけが残されただけで、犯人からの接触もないまま時間だけが過ぎて行き、心労から衰弱していた皇帝だったが、深夜に何者かが皇宮に忍び込み、皇帝を亡き者にした。護衛の兵士も全て瞬殺されたのか、騒ぎ一つ起きないまま、朝になって発見された時には既に皇帝の息はなかった。そして皇帝の死後間もなく、テオの派遣先とは全く違う場所で皇女の亡骸も発見された。
 皇女誘拐及び殺害も、皇帝の暗殺も、仮面魔術師が犯人であると噂され、テオは歯噛みして悔しがった。皇女誘拐は囮であり、テオを帝都から遠ざけるための策略であったに違いない。犯人の真の目的は皇帝と皇女の両方を死に至らしめ、その犯人が仮面魔術師であると民衆に信じ込ませることであろう。

 皇帝と皇女の死後、魂神教会によって盛大な葬儀が執り行われた。その席で神官長ドーマは民衆を前に決意を表明したのである。
「わたくしの婚約者であるガイゼル皇女は誘拐され、殺されました。娘の身を案じ、心を痛めておられた皇帝陛下までが命を奪われ、人族は今指導者を失い、混乱を極めております。僭越ながら、このわたくし、魂神教会神官長ドーマは、今は亡きガイゼル皇女の婚約者として、皇帝陛下の後継者となり、民衆を支え、導く存在となりたいと思います。」
 皇帝父娘が亡くなって、一番得をするのは誰か、考えてみれば簡単にわかることである。しかし、人心掌握の術に長けたドーマは、最愛の女性を奪われた悲劇の人物を見事に演じ、敬愛する皇帝が安らかに眠れるようにと、印象を操作して自分こそが正当な皇帝の後継者であると皆に信じ込ませ、ドーマを疑う者は殆ど居なかった。
 テオは仮面魔術師がミコトであるなら、間違っても皇帝と皇女を手にかけるはずはないと信じていたし、ドーマの配下の僧兵達が、宗教者を装った暗殺部隊であることは、以前から薄々感づいていた。戦場で死者に鎮魂の祈りを捧げて弔うと言いながら、都合の悪い生存者を闇から闇に葬っていたのではないかと思える節は以前からあった。それなら僧兵に命じて皇女誘拐事件と皇帝暗殺事件を起こし、無関係の仮面魔術師が犯人であるかのような噂を流して、真犯人を操った黒幕がドーマ自身であることを隠蔽できるからである。しかしそれを証明する証拠がない限り、テオ一人が異論を唱えたところで、耳を貸す者が居るとは思えなかった。いつかドーマの悪事を暴いてミコトの無実を証明しないといけないが、そもそもミコトが仮面魔術師であることも出来るなら嘘であって欲しいと、テオは願わざるを得なかったのである。

 その後も仮面魔術師は度々出没したが、その魔術師は何故か容赦なく魔導兵器を破壊し、魔導兵器部隊の戦士達や、戦場となった集落の民間人は悉く鏖殺したが、派遣されて任務を遂行していた魔法使いは皆戦闘不能状態には陥るものの命を奪われることはなかった。もしミコトが本当に仮面魔術師だとしたら、何故ミコトが魔族に与し、人族を襲うようになったのかはテオにはわからなかったが、仮面魔術師がミコトであることには確信が持てた。
「弱者を護るのは強者の努め。強大な力には重大な責任が伴う。」が持論で、人一倍仲間思いだったミコトなら、例え人族の敵となっても、例外なく鏖殺することはないだろうと思えた。実際に魔法使いや魔法学院生だけは戦闘不能状態でも生還している。
だが、何故ミコトが仮面魔術師となって魔族と共に戦っているのかだけは、どう考えても理解できなかった。

§ 究極魔術師と究極大魔法 §

 ミコトが両面外套を着て姿を隠しながら魔法学院へと忍び込んだのは、実はかつての親友であったテオとイツキに対する暇乞いだけが目的ではなかった。寧ろ学院内の図書館が保有する魔法に関する古典の文献を調べるのが本来の目的であって、その帰りにふと薬師になったイツキが学院内の研究所兼工房に配属されたことを思い出し、最後になるかもしれないから、一度イツキと会っておこうと思いついたのである。そしておそらくイツキは、ミコトの姿を見たことをテオに知らせるであろうことも予想できたから、運が良ければテオにも会えるかもしれないと思った。もうテオには会うまいという気持ちと、もう一度テオに会いたいという気持ちが自分の中でせめぎ合っていたミコトは、運に任せてもし会えたら会えたで、会えなかったら会えなかったで良いと考えたが、やはりテオは現れて、もうテオと話しても決して分かり合えないとわかってはいても、学院という場所もあって、顔を見て言葉を交わせば、青春時代が懐かしく思い出された。あの時のままずっとテオと親友で居られたら、と考えてみたところで叶わぬ夢に過ぎないとわかってはいるが、それほどにあの頃の思い出は自分の中で大切なものだったのだと改めて心に沁みる思いだった。

 ミコトが資料を求めて古典の文献を読み漁り、得たものは詳細な始祖の魔女アカツキの伝説の一部だった。アカツキが最初に精霊と出会い、魔族の力を借りて試練を成し遂げたという伝説について、お伽噺は勿論、魔法学院での基礎魔法学の講義でもそれほど詳細には語られなかったが、ドーマの言葉通り、アカツキは究極魔術師であり、究極大魔法を会得したということは事実のようだった。究極魔術師や究極大魔法についてはあまり研究されていなくて詳細は不明だと講義では聞いていたが、文献は所々で失われ、或いは塗り潰されて秘匿されていることは明らかだった。ただ、可能な限り解読した文献から、アカツキが最初の精霊の試練を受けた場所がおおよそ特定できたのと、その精霊こそ、精霊界の女王のような存在であり、聖属性を司る精霊ハイリヒであったことだけは知ることが出来た。そして、究極大魔法の効果等の詳細は不明だが、究極大魔法はこの世界を救済する唯一無二の魔法であったのにも関わらず、究極大魔法を得たアカツキがそれを発動することはなかったとわかった。

 テオと別れたミコトは、文献から得た資料を基に、生まれ故郷の東方オステンドルフに近い魔族の森へ向かった。遥か昔の物語として書かれた文献ではあるが、人族に比べて遥かに長い寿命を持つ魔族なら、今もその地に暮らし、アカツキの試練を手伝ったアルマという名の魔族のこと、彼が案内したという秘匿された聖属性の精霊ハイリヒの神殿や試練について、何かわかるかもしれないと思ったのである。
ドーマが言った「究極大魔法を得て究極魔術師となれば、テオを越える強さを手に入れられるかも知れない」という言葉が頭の中を掠めるが、「決してテオを越えることが目的ではなく、この世界を救うために必要な力なら、手に入れなければならないという使命感なのだ」とミコトは自分に言い聞かせた。

 文献に記された魔族の森に近づくと、森の中から一人の魔族が近づいてくるのが見えた。それは青い髪、白い肌、蛇眼のように瞳孔が縦長の赤い瞳という魔族そのものの外見ですぐにわかった。
「ミコト、よク 来タ。精霊ハイリヒ ノ お告げガ あっタ。我ト 共ニ、来るガ 良イ。」
魔族の言葉は脳内で人族の言葉に変換され、ミコトは頷いて従った。
「我ガ 名ハ アルマ。汝ハ 我ヲ 尋ねテ 来たのデ あろウ。」
導かれるまま辿り着いた先に現れたのは、薄紫色で薄っすらと透けて見える、女神のような姿の精霊だった。それが精霊界でも頂点に位する聖属性を司る精霊界の女王ハイリヒである。

 ハイリヒは微笑んでミコトに手招きしながら声を掛けた。
「待っていましたよ、ミコト。こちらにおいでなさい。」
その声は優しく温かく、慈愛に満ちた響きだった。
「わたくしはあなたが生まれる前からずっとここであなたを待っていました。」
ミコトは初めて聞いたはずのその声に何故か聞き覚えがある気がして、どこか懐かしさに似た感情すら覚えた。
「あなたは選ばれし者。あなたの同族を断罪するために、わたくしが人族に授けし者です。あなたはこれから同族を裁くために試練を受けてわたくしと契約するのです。そうすればあなたにはこの世界を守り救う究極大魔法を得られます。しかし、試練は決して楽なものではありません。それに耐えられれば、あなたはこの世界に福音をもたらす救世主となります。」
「何故私をご存知なのですか?世界を救うために私は何をすれば良いのですか?」
ミコトが尋ねると、ハイリヒは穏やかに、しかし力強い声で話し始めた。
「あなたも知っての通り、かつて世界は精霊と魔族のものでした。人族が生まれ、その数が増えても、長い間互いに干渉することなく、共存してきました。しかし、いつしか命を失った人族から魔物が生まれてしまいました。それぞれが独自の理に従って生きる精霊や魔族からは決して魔物は生まれません。人族のみがこの世に残す後悔や無念等の負の感情によって魔物を産むのです。魔物は魂と心を失い、かつて自身が人族であった記憶を失い、理性も知性も失って、自身を守り同胞を増やすという本能のままに獣のように人を襲います。人族自身に自ら招いた事象の責任を負わせるべく、わたくしは人の身に精霊の分身たる霊珠(ジュヴィル)と術式回路(シャルトクライス)を与え、魔術師という存在を生み出しました。また人族自身も自助努力の元に魔導の力を得て疑似魔法と魔導士を生み出しました。ですが、皮肉なことに力を得た人族は驕り、精霊や魔族を蔑ろにして、『ほしのいのち』を削る環境破壊や資源の浪費を重ね、今この世界の『ほしのいのち』は疲弊しています。わたくしは人族に福音をもたらす救世主として遣わしたアカツキに、人類と世界の未来を託し、究極大魔法を授けました。しかし究極魔術師となったアカツキは、人族の未来に自浄作用を期待して、ついにそれを発動しませんでした。
そして、わたくしは再び、究極魔術師としてこの世界の救世主となるべき者を人族に授けることとしました。アカツキの時と同様、母の胎内に居たあなたを究極大魔法の器に選んだのです。あなたは人族を断罪すべく究極魔術師に選ばれた、『運命を仕組まれた子供』なのです。よくぞここまで辿り着きました。あなたはあなたの使命のために、見えざる運命の手によってここへと導かれて来たのです。」
ミコトは衝撃の事実を知って震撼した。究極魔術師はただの最強魔術師ではなく、この世界の未来を託されて人族を断罪する救世主を意味していたとは、想像だにしていなかった。しかも自分がそのために選ばれた者であったと知ると、あまりの重圧に今にも押しつぶされそうな息苦しさを感じた。
ごくり、と喉を鳴らして固唾を飲むミコトに向かって、ハイリヒは話を続けた。
「わたくしは聖属性を司る精霊ですが、実はわたくしは元々は双子の精霊として生まれました。姉のデュンケルは闇属性を司る精霊でした。まだ精霊に肉体が存在した太古の時代、わたくしたち姉妹は同じ肉体を共有していました。肉体を失った時わたくしは自らの魂の中にデュンケルを封印し、抑え込んでいます。もし彼女が表に表に出て来てしまったら、世界は闇に包まれ、究極大魔法が発動して全てを破壊し、全ての魂を『ほしのいのち』へ還します。断罪の時が来たら、究極魔術師は、わたくしか彼女か、即ち聖属性か闇属性かのどちらかを選択し、究極大魔法を発動することになります。聖属性を選べば、闇属性は再び封印され、この世界は継続します。闇属性を選べば、闇属性が聖属性を凌駕して、全ての命が『ほしのいのち』に同化して、この世は元始の世界に戻ります。今まで存在していた世界は全て失われ、新しい世界が生まれるのです。あなたはその断罪の時に、二者択一の選択をするために、アカツキ同様に究極魔術師になるのです。」
ミコトは青ざめて混乱したまま立ち尽くしていた。
「あなたはこれからわたくしの試練を受け、聖獣を調伏するのです。アカツキ以外にわたくしの試練を受け、耐えた者は居ませんでした。あなたが望むと望まざるに関わらず、あなたはその運命に従わざるを得ないのです。あなたは大いなる力を手にします。あなたはこの世界の未来についてよく考えて、あなたの心の赴くままに行動してください。」
ハイリヒそう言うと姿を消し、入れ替わりに聖獣が降臨した。
まだ動揺が収まらないまま、ミコトは聖獣との戦闘を余儀なくされた。アカツキの時と違い、ミコトはその身に七属性全ての霊珠を宿し術式回路を刻まれているので、アルマの助けは必要としなかった。
何故、何のために自分は戦っているのかも飲み込めぬまま、ミコトは死に物狂いで聖獣と交戦し、ついに聖獣を調伏することに成功した。再び降臨したハイリヒの手によって薄紫色の霊珠がミコトの額に埋め込まれ、胸には術式回路が刻まれた。

 「ミコト、我等魔族ト 共ニ 戦ってハ みないカ。汝ハ 人族ニ 愛想ヲ 尽かしテ いるノ だろウ。別ノ 視点かラ 見れバ 今まデ 見えなかっタ ものモ 見えテ 来ル かモ 知れなイ。」
アルマの言葉に、ミコトは頷いた。ミコトは正体を隠すため仮面をつけて、魔族と共に戦うことに決めた。
人族を断罪すべき究極魔術師となった今、ミコトは最早人族の仲間ではなかった。魔族と同化したつもりでもなかったが、人族という共通の敵の前では、共闘するのもやぶさかではない。基本的に人族は鏖殺するが、魔法使いにだけはとどめを刺すことができなかった。それは謀殺された後輩魔術師のアッシェや先輩魔術師のブルーダの最期の姿が思い出されて、仲間の命だけは奪うことが躊躇われた。戦闘不能状態であれば、戦線からは離脱を余儀なくされても、命だけは救うことが出来るだろう。それはミコトの中に僅かに残された救えなかった仲間への贖罪の気持ちからだったのかも知れなかった。

§ 旧友との再会 §

 仮面魔術師が現れてから、戦況が明らかに変化した。今までは寧ろ押し気味で優勢だったはずの人族軍は連戦連敗、テオは相変わらず単独任務での派遣先では「一人でも最強の魔導士」として勝ち続けていたが、仮面魔術師が率いる魔族軍は続々と人族軍を破り、魔導武器は破壊され、戦士達の魔導兵器部隊は殲滅され、魔法使い達は戦闘不能状態にされて、逃げ遅れた戦場近くの住民達も魔族軍によって鏖殺された。大量の死者が魔物化しないために魂神教会の僧兵達が鎮魂の祈りを捧げてはいたが、その膨大な数の魂の全てを弔うには限界があった。魔族軍との戦闘以外に魔物からの被害を防ぐべく奮闘しても、圧倒的な力を持つ仮面魔術師率いる魔族軍との戦闘に力を削がれて思うように成果が上げられないまま、軍隊と魔法師団は苦戦を強いられていた。そんな状況を招いた元凶とも言える神官長ドーマは、戦況を見守りながら密かにほくそ笑んでいた。「皇帝と皇女を死に至らしめた真犯人は仮面魔術師と魔族である」と吹聴し、戦士たちの士気を高めることで不利な戦況からの戦士達の離脱を防止し、被害の拡大により益々魔族と仮面魔術師への反感や憎悪の情を煽ることがドーマの目的であったから、この状況は寧ろドーマにとっては喜ばしいことに違いなかった。

 仮面魔術師の正体がミコトであると見抜いていたのは、ミコトの親友であるテオ以外にもう一人居た。それは二人と共に学院生時代を過ごした同期生の一人、薬師のイツキであった。戦闘不能状態で魔法病棟に搬送されて来る魔法使い達の治療に使用される治療薬等を生成しながら、イツキは先日密かに尋ねて来たミコトの別れ際の寂しそうな笑顔を思い出していた。ミコトが何を考えているのかはわからないが、ミコトの心の中が寂しさで満たされているのであろうことだけはわかる気がした。
 テオとミコトの間に存在する、他の誰も入り込めない、親友同士二人だけの世界を少しだけ羨ましく思いながら、幸せそうな二人の姿を傍で見られることが嬉しかった。「戦場へ赴くようになっても、二人一緒ならどんなことも成し遂げられる」と信じていたテオとミコトは眩しく輝いて見えた。
 しかし、いつからかそれは変わってしまった。テオと離れて一人で戦うようになったミコトは笑わなくなった。少なくともテオと居た頃と同じ、あの無邪気な笑顔を見せることはなくなってしまっていた。いつも物思いに耽り、暗い顔をしていたミコトの、痩せて、顔色も優れず、やつれたような姿は傍目から見ても痛々しかった。三人で他愛もない冗談を言い合って笑い転げていた青春時代が、遥か遠い昔のことのように感じられた。もう一度あの頃の三人に戻れたら、どんなに良いだろう。でもそんな日はもう二度とやって来ない。せめてもう一度、一度で良いから、昔のように親友同士に戻って笑い合うテオとミコトの姿が見られたら。そんな叶わぬ思いにイツキは深い溜息をついた。

 そしてついにある日、友軍が苦戦する戦場に救援のため急行したテオは、魔族軍の中に仮面魔術師の姿を見つけた。
漆黒の豊かな長髪、高身長で鍛え上げられた肉体、仮面の奥から覗く透き通る深い黒色の瞳が記憶の中のミコトの面影と重なった。
テオは初めて仮面魔術師の姿を肉眼で捉えると、改めてミコトに間違いないと確信した。
テオは友軍を制して、仮面魔術師に向かって叫んだ。
「仮面を取れ!…お前、ミコトだろ?」
仮面魔術師もまた魔族軍を下がらせてテオに歩み寄り、ゆっくりと仮面を外した。
「久しいね、テオ。」
とミコトは歪な笑みを浮かべた。
「やはり、お前だったんだな。」
緊迫した二人の様子に、遠巻きにしていた両軍も凍り付いたように制止していた。
「撤退しろ!誰もこいつに手を出すなよ。」
「ここは引いて、彼は私にお任せください。」
二人はそれぞれの友軍に撤退の指示を伝えた。その言葉に気圧されるように、両軍は兵を引いて、その場はテオとミコトの二人だけになった。

 二人が再び向き合うと、
「君と一対一で戦うのは学院生時代の模擬戦闘以来だね。あの時は二人同時に倒れて戦闘不能になって、引き分けだったよね。」
と作り笑いを浮かべるミコトに、
「あの時俺は、今後何があろうとお前とだけは絶対に戦いたくない、と思った。まさかこんな日が来るなんて想像もしなかったよ。これが悪い夢だったらどんなに良かったか。」
とテオが視線を外さずに言った。
「思い出話はもう十分だろう?あの時とは違って安全措置は施されていない。お互いに命を懸けて精一杯、思う存分戦おうじゃないか。」
ミコトがそう言うと、二人はそれぞれ互いに距離を取って戦闘態勢に入った。

 「仮面魔術師は戦士や住民は殺しても、魔法使いは戦闘不能状態にするだけで命までは取らないと聞いた時、きっとお前に違いないと確信した。最強の魔術師であるお前を敵に回して勝てるヤツなんて居やしない。」
互いに牽制し合いながら、テオがそう言うと、
「いや、如何に強くなったとしても、魔術師は決して魔導士を超えられはしない。最強は君だ。類稀な才能に恵まれ、どこまでも強くなる、魔導の目を持って生まれた希少魔導士(ゼルト・マーギア)だ。限界のある魔術師では、到底君には敵わない。」
とミコトが返した。
「俺は物心ついた時から誰よりも強かった。高級貴族であり、名門魔導士の家系出身で、魔導の目のおかげで、生まれながら強い適性と莫大な魔力量を保持していた俺を、幼いころから皆が恐れて媚びへつらい、或いはやっかみからか反感を持ち、対等に付き合ってくれる友は誰も居なかった。お前だけが生意気な俺を叱ってくれた。真逆の性格から、時に意見が対立しては、くだらないことで論争になり、挙句喧嘩にもなったこともあったが、俺はお前と居て楽しかったし、幸せだった。俺は、お前は最強の相棒で、最高の親友だと信じていたし、今もその思いは微塵も変わらない。」
テオの言葉を聞いて、ミコトはまた寂しそうに笑って言った。
「私もあの頃はそう思っていたよ、テオ。私達は最高の親友だった。でも、もう君は一人で最強になった。君さえ居れば、もう私は必要ない。私がどれだけ努力しても、君との差は開くばかりだ。寧ろどんな魔法使いも、君の前では基本的に足手まといでしかない。君が一番実力を発揮できるのは、君が一人の時だよ。」
「そんなっ…。」
と言いかけたテオを制すようにミコトは続けた。
「アッシェもブルーダももう居ない。彼等を侮辱した非魔法使い(マギーナ)の人族を護るために、私達魔法使いが命を賭すだけの価値があったと思うかい?以前君が怒って民衆を『殺す』と騒いだ時に、私が『そんな価値はない』と止めたことがあったね。だが、今では君が人族を護り、私が人族を殺めている。私はこの世界を蝕む人族という害悪を根絶やしにしたいんだ。太古の世界は精霊と魔族のものだった。人族は機械文明と魔導の力を得て驕り、魔族から世界を奪おうとしているからだ。魔族からは魔物は生まれない。魔物を生むのも人族だ。魔物が居なければ魔法使いが死ぬこともなかった。魔法使いに護られながらも、魔法使いを忌み嫌う者さえ居る。私はそういう者達を全て排除して世界をもう一度元始に返す。それが私の大義なんだよ。」
「何でそうなるんだよ…。」
テオはぼそりと呟いた。かつてと大義の内容は逆転しても、理想を抱いたまま絶望の大海に沈もうとするミコトは、かつての彼と同じように『クソ真面目で優しすぎるミコト』であって、そこだけは全く変わっていなかった。きっと、ミコトが『アッシェやブルーダや多くの仲間達を失ったのは、自分にテオのような力がなかったせいだ』と思いつめていた時に、護るべき対象であった非魔法使いの戦士や民衆からの心無い仕打ちを受けて、彼の中で正義と悪の価値観が揺らいだのだろう。
「私が自分の大義を見失いかけていた時に知ったのが、究極大魔法と究極魔術師に関する真実だった。私は精霊ハイリヒから、人族に遣わされた究極大魔法の器だと告げられ、ハイリヒと契約を交わして、ついに希少魔導士の君に勝るとも劣らない、究極魔術師となったのだよ。私は護るべき価値もない人族が蔓延るこの世界を破壊し、全ての命を元始のリウに還すべく、究極大魔法を発動するつもりだ。」
そんな突拍子もない、俄かには信じ難いような話も、ミコトが言うことなら真実なのだろう。テオはずっとミコトの言葉を信頼し、彼の意見を自らの判断の指針として来た。嘘でもハッタリでもない。紛れもない真実だとテオは確信した。だが、同時にミコトならそんな非情で残酷なことは絶対にしないし出来ないとも思っていた。
「お前の言うことなら、嘘偽りではないだろうさ。だがな、ミコト。俺の知っているお前は、本当は優しくて情の深い男だ。お前にはそんなことは出来やしない。」
ミコトはふっと自嘲的に笑って、
「もし私が君なら出来ると思わないか?君になら簡単に出来ることだろう?テオ。君になら出来る事を、私には出来ないと言うのかい?私がどんなに努力しても、血を吐くような努力を重ねても、ずっと君には敵わなかった。でも今や私は君をも凌駕するほどの巨大な力を手に入れたのだよ。私が究極大魔法を発動すれば、私も君も含めて、全ての命が元始のリウへと、『ほしのいのち』へと還るんだ。それを防ぐと言うのなら、君の力で私を止めて見せろ。」

 自らのリビドーに衝き動かされるように、ただ只管に最強を目指し戦い続けて来たテオと、いつしか共に歩む道から外れて、夢破れ心が折れて、デストルドーに魅入られたように闇に堕ちて行ったミコト。二人が関係を修復して再び共に目指す未来はもう何処にも存在しなかった。共に過ごした青い春の記憶は、遥か遠い夢の中の出来事のように儚く、強く胸を締め付けて、もう決して戻れないという思いが無数の棘となって胸に刺さるような激しい痛みと後悔に似た息苦しさが二人を苦しめた。

 二人は最強同士の一騎打ちとなったが、互いに物理と魔法の両方で攻撃と防御を繰り返し、熾烈な戦いが繰り広げられた。果てしなく続くかのように思われたが、激闘の末敗れたのはミコトだった。
「やはり最強は君だね。」
ミコトは笑おうとして失敗したかのように表情を歪めた。
「俺たちは二人で最強だろ。」
テオは今にも泣きそうになりながら、声を震わせて言った。
ミコトは半ば本気でこの世界のために究極大魔法を発動しようと考えていたが、心の奥底ではテオなら自分を止めてくれると信じていたのかも知れない。
「私はただ、自分に出来る事を精一杯やって、自分がこの世界に生きていても良いと思いたかった。気づくと私はいつも、ガラスの壁に爪を立てるように足掻き続けていたんだよ。私は何のために生まれ、生きているのか。私の生きている意味を見つけたかった。自分で自分を認められない、許せない。苦しかった。君のように強くなりたくて、必死に頑張った。でもどんなに私が努力を重ねても、君は軽々と私を追い越して、一人でどんどん先へ進み、高みへ上り詰めていく。君と背中を預け合い、共に戦っていた頃は、私達は二人で最強と心の底から信じていた。あの頃の私は君となら心から笑うことが出来たんだ。でも別々の単独任務を命じられるようになったら、君が一人で最強となり、私は君に置いて行かれた気がした。必死になって君を追いかけても、決して君には追いつけず、私と君の差はどんどん開いて行った。そして私と君の進むべき道は分かたれたんだ。いつの間にか私たちの世界は違っていた。こうするしか私は自分がこの世に生きてて良いと思える方法が見つからなかった。できることならもう一度、あの頃のように君と心から笑えたら。でもそれは私には永遠に敵わない夢だと諦めるしかなかった。」
テオは眉根を寄せて苦悩の表情を浮かべた。いつから、どこから、二人の道が分かたれてしまっていたのか。どうしてそれに気づけなかったのか。ミコトが自分から悩みを相談して来るような男ではないと、黙って一人胸の中で悶々と悩み続けてしまう性格だと、テオ自身が一番知っていたはずなのに。ミコトは悩みがあっても気丈に振る舞い、全然大丈夫なふりをし続け、微塵も気づかせないように必死に頑張ることも、でも本当は誰かに気づいて欲しくて苦しんでいることも、どうしてわからなかったのか。

 「テオ、とどめを刺せよ。もう、どのみち私は助からない。私を楽にしてくれ。他の誰でもない、君の手で私を殺してくれ。私は究極魔術師になってしまった。大いなる力を得た者は、それに見合う責任を負わねばならないが、私には、一人で背負い切れない程の重責に、到底耐えられそうにない。私は君と互角かそれ以上に強くなれるかもしれないから、と究極魔術師になろうとしたんだが、本当は究極魔術師も、究極大魔法も、私にはどうでも良かった。もしかしたら、大義さえ、どうでも良かったのかもしれない。私は自分の死に場所を探していたんだと思う。もう終わらせてくれ。」
青ざめたミコトの顔にはどこか安堵の表情が滲んでいるようにも見えた。
「俺を一人ぼっちにするなよ。お前が居ないと寂しいよ。」
テオが真顔でそう言うと、ミコトはポカンと口を開けて、目を丸くして一瞬言葉を失ったが、すぐに笑い出した。その笑顔は青春時代、他愛のない冗談を言い合っていた時の、屈託のない無邪気なミコトの笑顔そのものだった。
「そんな素直な言葉は、あの頃にも言ったことなかったのに。」
(テオはテオのままだ。少し変わらない。あの頃と同じだ。)とミコトは思った。
「お前は、この世にたった一人の、かけがえのない俺の親友なんだから。」
テオがそう言うと、ミコトは嬉しそうに笑った。
「いつだって、本当に君はずるいな。だけど、如何にも君らしい。今にも敵としてとどめを刺すべき私にそんなことを言うなんて。」
(ミコトは昔のままのミコトだ。どこも変わっちゃいない。)
口には出さなかったが、テオはそう思った。
「ありがとう。やっと私の夢が叶ったよ。君のおかげで、最期にもう一度だけ、私は心の底から笑うことが出来た。」
ミコトはそう言うと静かに目を閉じた。テオは多くの宝珠(ライストン)が散りばめられた愛刀の魔封剣をミコトの心臓に向かって振り下ろした。

 研究所兼工房に居たイツキは胸騒ぎがしてふと作業の手を止め、顔を上げた。
(イツキ、さようなら。)
ミコトの声が聞こえた気がした。脳内に最後に談話室で別れた時のミコトの姿が蘇った。
(もう二度とミコトには会えないんだろうな。)
そんな気がした。窓の外を見ると、空が涙を流しているように、大粒の雨がしとしとと降り注いでいた。

 テオはミコトの亡骸を抱いて、雨の降り始めた空を見上げた。降り注ぐ雨と共に、とめどなく涙が流れ出て、テオはそのままじっと微動だにせず、雨に打たれていた。閉じた瞼の裏にはくしゃっと顔を歪めて無邪気に笑っていたミコトの面影が焼き付いたままだった。

 テオはミコトの亡骸を抱いたまま、転送魔法で魔法学院に現れた。全身ボロボロで血塗れの魔導士が、同じくボロボロで血まみれの魔術師の遺体を抱いて突然姿を現したので、魔法学院は騒然とした。
「イツキ!居るか?」
テオの声を聞いたイツキは、既に消えかかっている転送魔法の魔法陣から学院内に踏み出したテオの前に姿を現した。
「さっき、ミコトの声が聞こえた気がしたよ。」
イツキがそう言うと、テオは身を屈めてミコトの亡骸を横たえた。
「おかえり、ミコト。おかえり、テオ。」
「ただいま、イツキ。」
テオがそう答え、ミコトはほんの少し微笑みを浮かべているような安らかな顔をしていた。
「『やっと楽になった』って顔してるね。」
イツキは声を震わせながら言った。
「どうしてこんな風になっちゃったのかな。こうなる前に、何とかできなかったのかな。」
イツキがそう言うと、テオはミコトの顔をじっと見つめながら、
「いくら救いたいと思っても、溺者の全てを救える訳じゃない。救えるのは救われたいという思いで、差し伸べられた手を自ら握り返してくる溺者だけだ。救いの手を拒む者は大義という絶望の大海で理想を抱いたまま溺死するしかないんだよ。」
テオの頬を涙が伝い、零れて落ちた。
「綺麗な顔してるよ、ミコト。きっとテオに本音ぶちまけられたんで安心したんだね。」
イツキの頬にも涙が伝い、零れて落ちた。
「意地を張らずに、もっと早くそうしていたら良かったのにね。ミコトがよく『テオは本当はものすごく寂しがりやなんだよ。虚勢張るのはテオなりの処世術、心の鎧なんだろうね。』って言ってたけど、ミコトも瘦せ我慢の意地っ張りだからね。あんたたち、真逆のように見えて、やっぱりよく似てるわ。」
テオはイツキに向かって、
「イツキ、ミコトを頼む。」
と言うと立ち上がった。
「わかった。テオはどうするつもり?」
イツキの言葉に、テオは鮮やかな碧色の瞳に強い決意の光を灯して
「俺にはまだやらなきゃいけないことがあるんだ。」
と答えた。

§ 誤算 §

 仮面魔術師率いる魔族軍と人族の戦士達の魔導兵器部隊のとの戦場に救援に向かったテオが、仮面魔術師であったミコトを殺してその遺体を魔法学院へ運んだと、すぐに魂神教会神官長ドーマに報告が届いた。

 魔族と人族の混血児(ハイブリ)でありながら完全無魔者であったドーマは、母と自分が迫害されたのは、特徴的な魔族そのものである自分の外見でが原因であると信じ、母を捨てた顔も名前も知らない魔族の父を恨み、その血を引く自分自身をも嫌悪する程に魔族を憎み、疎んじていた。純粋な人族に憧れてもそうなれる訳もなく、せめて人族の女を娶りその血を薄めようと企みながら、人族の頂点である皇帝の座を狙い、逆に人族でありながら魔族擬きの能力を持つ魔法使いには逆恨みのような感情を抱いていた。
 魔族と人族の対立を煽り、人族を護るためという大義の下に魔法使いを矢面に立たせ、あわよくば共倒れになれば良いと思っていたが、魔法使いの中でも特に優秀な最強の魔術師ミコトと最強の魔導士テオは邪魔だった。テオは高級貴族・始祖の魔女の末裔で魔導の目を持つ天才と言われ、あまりにも強力で簡単には潰せそうになかったし、精霊や魔族に対する最大の抑止力と信じられている以上直ちに排除することはできないと判断した。それに対して、ミコトは主要属性精霊の全てと契約した最強の魔術師ではあるが、精神的な脆さを抱えていることはわかっていたので、策を弄して仲間を順次潰して行けば、心が折れ闇に堕ちて、自ら人族の敵となってテオと戦うことになるだろう。所詮ミコトではテオに勝つことは出来ないだろうが、テオ自身によってミコトを始末させることは出来るし、それによりテオに精神的な負荷を与えられるだろうと考えた。
そしてドーマの計算通りに、テオに親友のミコトを自ら殺害させることに成功したのである。

 しかし、ドーマの思惑通りに運んだのはここまでだった。
ドーマの甘言に乗せられていいように操られてしまったミコトと違い、以前からドーマに疑いを持っていたテオは、「魔法使いに対する任命権は魔法師団にあるが、作戦行動の立案は軍部が行っているし、そのための情報は懇親教会からもたらされている」ということに気づいていて、テオは全ての黒幕がドーマであるという仮説を証明すべく、独自で密かに調査していたのだ。ドーマこそが真の敵であると確信したテオは、ミコトの遺体をイツキに託すと帝都の魂神教会へと向かっていたのである。

 ドーマの誤算だったのは、ミコトが繊細な硝子の心臓(ハート)だったのに対して、テオは強靭な鋼の精神(メンタル)だったので、自ら親友のミコトを手にかけても、それによりテオの心が傷ついて弱体化することはなかった。寧ろ、親友を殺させるように仕向けたドーマに対する怒りと憎しみがテオに更なる力を与えてすらいたのだった。テオにとっては、もし敵対することになれば、相手が魔族であろうと精霊であろうと、勿論人族であろうと、何等変わりない。今ではミコトの影響で、共に戦う仲間を死なせないために敵を倒すと決めているテオも、かつては敵を倒すためならどんな犠牲も厭わないという非情で冷酷な弱肉強食の思想の持主であった。もし魔法使いと非魔法使いの人族が敵対していたら、テオは躊躇なく非魔法使いを殺すだろう。仮に魔術師達が反旗を翻したとしても、かつてのテオならおそらく同じように殺すかもしれない。ミコトという歯止めを失った今、テオがかつてのような残虐さを持って復讐のためにドーマを襲うかも知れない。ドーマは手の付けられない凶暴な猛獣が檻から放たれたような恐怖に戦慄していた。

 魂神教会では僧兵達が皇帝代行となったドーマを護衛する任務に就いていたが、僧兵達が如何に束になって向かって行ったところで、テオには全く歯が立たない。何重にも張り巡らされた僧兵達の障壁は、瞬く間に突破されて、テオはついにドーマを追い詰めた。
テオはドーマに時空系の疑似魔法を発動し、身動きできないようにすると、開かれたバルコニーから民衆に向かってドーマの悪事の証拠資料の書かれた紙をばらまいて言った。
「ガイゼル皇女を誘拐して殺害し、皇帝を暗殺した真犯人は魂神教会の僧兵で、命じたのはこの神官長ドーマだという証拠をここに示す!俺とこいつのどちらを信じるかはお前たちの勝手だ。俺が信じられないのなら、俺を倒せば良い。但し、その前に俺はこいつをぶっ殺す!皇帝親子と、この世でたった一人のかけがえのない俺の親友と、数えきれない仲間達の命を奪った胸糞悪い害虫め。俺は絶対にお前だけは許さない!」
テオはドーマに向かい最大出力で攻撃系の疑似魔法を連発した。魔力は皆無で一般の非魔法使いにも劣るが、魔族の血を引くだけあって、魔法に対する耐性と体力だけは人並外れて優れているドーマは、簡単には倒せなかった。ドーマは苦し紛れにバルコニーから飛び降り、民衆を盾にして、人混みに紛れて逃亡しようとした。
「卑怯者!」
テオも叫んでバルコニーから飛び降り、ドーマを追った。普通の人族ならば一瞬で死に至るくらいの疑似魔法を何度も身に受けても、尋常ではない魔法耐性と体力で持ち堪え、しかも猛スピードで逃亡することができるドーマは、やはり人に非ざる魔族の血を引く者である証であった。人混みをかき分けるようにして逃れるドーマに向かって、かつてなら躊躇なく疑似魔法を発動したことだろうが、テオはそうしなかった。かつては巻き添えになるかもしれない一般人のことも「犠牲は致し方ない」と全く気に留めることなかったテオの脳内でかつてのミコトが
「『敵以外は誰も死なせない、傷つけない』というのは単なる理想かも知れないけど、できることなら私はいつもそうありたいと願って戦っているんだよ。」
と言っていた姿が蘇ったからかも知れないが、
(我ながら甘いな、今の俺は。)
と自覚していた。
だが、一方でテオはそれでも最終的には
(どんなことをしてでもドーマだけは許さない。必ずこの手で殺す。)
という強い思いがあれば、必ずミコトの仇を取れると信じても居たし、それは単なる願望などではなく、感覚と経験に裏打ちされた確信でもあった。

 ヴェステンシュタットの街を出て、もう周囲に障壁となる一般民衆が居ないことを確認すると、テオは更に強力な複合上位疑似魔法を連発した。生来の戦闘センスの高さに加えて、戦闘経験も豊富なテオが相手では、如何にドーマが攻撃回避を試みようと無駄だった。
ドーマはこんなこともあろうかと、魔力補充の薬の量を常用量の数十倍にして注入し、銃型の魔導武器を携帯して、いざという時には反撃が可能になるように画策していたが、普段は常に僧兵を操り、自ら戦闘に参加する経験が殆どないドーマでは、最強の希少魔導士テオを相手にして歯が立つわけはなく、テオの攻撃が命中する毎にドーマは徐々に体力を削られ、ドーマの攻撃は悉く回避され、若しくは反射されてドーマへと跳ね返った。

 「くっ、かはっ。」
ついにドーマは呻いて口から赤い血を吐き、その場に崩れ折れた。
赤い血の色は人族と同じで、魔族の青い血でもなく、混血であるが故の混色である紫色でもなかった。
外見は魔族そのものであるドーマも、その体内には人族と同じ赤い血が流れていたのだ。
人族に虐げられ蔑まれても人族に憧れ続けたドーマは、全身血塗れの自分の赤い血を指先で掬い取り、うっとりと眺めて言った。
「母さんと同じ、赤い血だ。人族と同じ、赤い血だよ。」
「見た目は魔族でも、中身は人族か。ミコトが、自らも人の身でありながら、『忌むべき存在』として憎んだ人族の持つ『汚さ』を凝縮したと言う意味では、お前ほど人族らしいヤツも居ないのかもな。」
テオは鮮やかな碧色に輝く冷酷な瞳で蹲るドーマを見下ろして、吐き捨てるように言った。
「出自も容姿も才能も、何もかもに恵まれ過ぎた貴様なんかに何がわかる!」
ドーマは赤い瞳から血の涙を流しながら叫んだ。魔封剣を構え、絶対にドーマを殺すつもりでいたテオだったが、ふと脳内に
(君の憤怒には値しない。)
というミコトの言葉が浮かんだ。寧ろ死は救済かも知れない。それよりも生きて罪を償わせるべきではないのか。そう考えた。
「わかんねえよ。わかりたくもない。お前は俺からたった一人のかけがえのない親友を奪った。俺にとって、この世界の全てを失くしたとしても、失いたくなかった大切な親友をな。お前だけは絶対に許さない。だから、今ここで息の根を止めるのは容易いことだけど、決して楽には死なせてやらない。ミコトの苦しみとは比べ物にならないだろうが、お前には『一思いに殺してくれ』と懇願したくなるような生き地獄を味わせてやるから覚悟しやがれ。」
いつの間にか魔法使いと魔導戦士たちが到着してその場を取り囲んでいた。
捕らわれたドーマは魔法師団に連行され、強力な結界魔法により閉じ込められた仮想空間の中で、大量の魔族軍に襲われ続ける幻影に責め苛まれながら永遠に封印されることとなり、その仮想空間は掌に乗るくらいの大きさに凝縮され、ドーマの父である魔族の元へ送られ、その手へと委ねられた。
 本来ならば皇帝と皇女の殺害を教唆した張本人であるドーマは死罪に値するが、「死は寧ろ救済である」というテオの強硬な反対意見を入れて、未来永劫自らが最も憎悪した魔族である父の管理下に置かれるという、おそらくはドーマ本人が最も嫌悪するであろう刑罰の執行決定が秘密裏になされたのである。

 それは一方で、魂神教会がドーマの悪事を『神官長の不祥事』ではなく、ドーマ個人の罪として彼に厳罰を科すことで、教会としての体面を保つために必要なことでもあった。人心の混乱を招き、僅かでも不信感を抱かせて、民衆の心の拠り所である教会信仰に支障を来すことだけは何があっても避けなければならなかったからである。一刻も早く忌まわしい記憶を払拭し、再び民衆の信仰を集めるためには、ドーマには大仰な死刑執行等ではなく、可及的速やかに表舞台から退場してもらわねばならなかった。それ故、魂神教会側も魔法師団やテオの主張する刑罰に対して賛同の意を表したのであった。

§ エピローグ §

 時は流れ、やがて魔族と人族の間で、長きにわたり繰り返されて来た戦闘に終止符を打つべく、幾度となく対話が重ねられた結果、ついに終戦を迎えることとなった。
人族は繁栄を極めた頃に比べて随分と人口が減少したのをきっかけに、身の丈を超えて資源を浪費するような贅を尽くした生活を改めることとし、魔族とは互いに不干渉で共存していた昔の生活に戻すよう努めることとした。
魔族と敵対しなくなったことで、若者の心身に負担を強いる魔術師は衰退し、生活魔法や魔道具に必要とされる魔導の力や、魔物に対抗する手段としての魔導士は残るものの、大規模な魔導兵器や魔導戦士部隊は廃止された。
一方で、自然界の動植物や鉱物等に宿るリウを利用して生活を支えるアイテムの需要は高まり、薬師の必要性も見直されることとなった。

 魔法師団は解体されたが、魔法学院は魔術師を養成するZ組(クラスZ)を廃止して随分と規模を縮小したものの、魔物退治の専門家(エクスペアルト)としての魔導士やアイテム生成技術者としての薬師を養成するために存続していた。
魔導士を養成する現在のM組(クラスM)の教官は最強の希少魔導士・テオが、薬師を養成するF組(クラスF)の教官は薬師家系出身の最後の薬師・イツキが務めていた。

 「は~い。M組のみんな。『私』がM組の卒業生で教官のテオだよ。これから宜しく頼むね。最初は体術訓練から始めるよ。私が現役の時の教官は『宝珠(ライストン)実装の魔導武器なんざ百年早いわ』が口癖だったけど、さすがにしょっぱなから実装は無理としても、私はそこそこで模造武器からは解放するから楽しみにね。じゃあ、まずは模造武器選んでから、出席番号順に整列してね。」
現役時代のやんちゃ坊主そのものではないにしても、飄々としたところは昔通りのテオだったが、口調がかなり柔らかくなっていて、それはまるで昔のミコトを真似ているかのように穏やかだった。それでも時折一瞬だけ見せる碧色の瞳の鋭く冷たい光は、テオが最強の希少魔導士であったことを彷彿させるものだった。
「今は昔のように常時戦闘が行われている状況ではないけど、魔物退治と言っても命がけだからね。自分の身を護り、他の人たちが命を落としたり、傷ついたりしないように護るためには、力も技も必要だよ。そして何よりも必要なのは心の強さだから。若い時はいろいろ悩みもあるだろうけど、決して自分一人で悩まないでね。友達は大事だよ。自ら救いを求めない者は誰にも救えない。それだけは覚えておいてね。」
テオは真面目にそう言い終えると、再び笑顔になった。
「じゃあ、訓練始めるよ。」

 「F組の皆さん、こんにちは。『私』がF組卒業生で教官のイツキです。アイテムによって怪我や病気の人を救うことは勿論、魔物から人族を護るために戦う魔導士を、アイテムによって支援することも出来るし、日々の生活を便利に暮らすためにもアイテムは役に立つのです。薬師はアイテムを生成することで、この世界を支える重要な仕事です。誇りを持ってください。」
イツキは教壇に立ち、挨拶をした。
「魔族との戦闘中は、たくさんの戦闘不能者が運び込まれ、薬師もその治療に当たりましたが、治療の甲斐なく命を救えなかったたくさんの魔法使いを目の当たりにしてきました。今も魔法師団跡の墓地には戦闘の犠牲となった魔法使いたちの墓標が並んでいます。後に残された私たちはもう決してそんなことが繰り返されないようにしなければなりません。
 では、最初は座学による基礎理論を学びますが、随時実習を織り交ぜて、アイテム生成を身近に感じてもらえる工夫もしつつ、講義を進めるつもりです。宜しくお願いします。」

 「やあ、イツキ、お疲れさん。」
テオがひょいと片手を上げて声を掛けた。
「お疲れ様、テオ。」
イツキは答えるとくすっと笑った。
「何だよ。人の顔見て笑うって。」
そう言いながら、テオも笑っていた。
「テオが教官なんてね。ミコトが居たら、何て言うのかしらって思って。」
イツキがちょっとしんみりとなってそう言うと、テオも少し寂しげな表情になって答えながら、談話室の向かいの席に座った。
「そうだな。真面目なミコトなら、今はもうないZ組の教官をやってても全然違和感ないかも知れないけど。」
二人は互いの隣の空いている椅子を眺めた。本当ならそこに居るはずのミコトの席が空席なのが少し寂しかった。
「テオの講義の仕方がどうとかいうミコトのお説教が始まって、テオと論争するところを見たかったような気もするけど。」
イツキが悪戯っぽく言うと、テオが
「どうかなあ、私ももう大人だからね。」
と答えた。
「ホントかしら。」
とイツキが笑った。
「何だよ。酷いなあ。」
とテオも笑った。
その時、開いていた窓から、風に乗って木の葉がひらりと舞い込んで来て、ミコトの席に落ちた。
まるでそこにミコトが居て、昔のように三人で他愛のない話をして笑い合っていたのを懐かしんでいるかのように。

(第3部・全編おわり)
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Thanatos 2

2022-04-29 18:06:50 | 小説

(第1部のつづき)

§ 魔術師(ツァオベラー)となる覚悟 §

 翌日まだ薄暗い早朝、ミコトは、魔法学院(マギイ・アカデミア)の正門前で、ミコトの修行に同行して指導監督する先輩魔術師ブルーダと合流した。
「おはよう、ミコト。よく眠れたかな。」
「おはようございます。いえ、興奮からかあまりよく眠れませんでした。」
「そうか。緊張するのも無理はない。ところで、回復薬等、必要なものは全て忘れずに準備できているかな。君に限っては訊くまでもないことかも知れんが。」
「はい、何度も確認しました。」
「よろしい。では行こう。」
ミコトはブルーダと共に魔法学院を後にして、南の火山にある『火神(フオイア)の神殿』を目指した。
「本当はね、」
とブルーダが言った。
「学院から魔法(マギカ)で一気に神殿のある山の麓まで転送することはできるんだが、途中で魔物(モンスター)と遭遇(エンカウント)する可能性もあり、その場合わたしと共闘して魔物を倒すことも修行の一環なので、敢えて歩いて旅をすることになっているんだよ。」
「私はまだ魔法が使えません。だとしたら、魔物と体術だけで戦うということになりますね。」
ミコトが答えると、
「そうだね。君の体術の腕を磨くと共に、わたしの魔法を直接その目で見てもらうという意味もあるし、魔物との実戦を肌で感じてもらうという意味合いも兼ねてということだ。」
とブルーダが説明した。

 そして、道中何度か魔物との戦闘(バトル)を経験しながら、ミコトはついに最初の試練を受けるべく火神の神殿に到着した。
火山の山頂近くにある神殿の門前に立つとブルーダは大きな声で言った。
「火の精霊(ガイスト)、火神よ。聖獣(ヴェヒタ)ローテイアの試練による審判を乞う。」
ゴゴゴゴゴゴゴと轟音が鳴り響き、沸々と沸き立つマグマの池の中央に島が現れ、そこには暗赤色の四足獣が姿を現した。
そしてミコトとブルーダの前に、薄っすらと透けた、全身からめらめら焔を立ち昇らせた闘士のような姿の精霊フオイアが現れた。
「審判を受けるのは、未だ術式回路(シャルトクライス)を持たぬ者か。ならば、先達より術式回路を借り受けよ。」
フオイアの言葉を聞いてブルーダがミコトに言った。
「初心者の場合、精霊の力で、試練の間だけ他人の術式回路を一時的に借り受けることが出来る。今から任意のわたしの術式回路をフオイアが君の体に移す。かなり痛むと思うが、我慢してくれ。」
そう言うと苦痛に顔を歪めるブルーダの右手背が半球状にめりめりと盛り上がって、中から青色の霊珠(ジュヴィル)が浮き出て来た。と、同時に
「うおおおおおーっ。」
と呻き声を上げるブルーダの右上肢に血で書かれた文字のような文様が浮き出て来た。
その文様は、まるで透明の紙に写し取られ、ふわりと風に乗って移動したように、ミコトの右上肢に貼り付くと、今度はミコトが
「うおおおおおーっ。」
と呻き声を上げた。
痛みと熱を伴う文様が皮膚に吸い込まれるように消えると、ミコトは自分が自分でないような不思議な違和感を感じた。
「水魔法の術式回路が君に移された。魔法を発動するには、自然に心に浮かんだ文言を呪文として詠唱すれば良い。難しく考えず、君は戦いのことだけ考えて、魔法は直感に身を任せれば良い。」
ミコトはまだ思考が追いついていなかったが、ブルーダに言われた通り、直感に任せて戦いに集中するしかない、と、半ば開き直った瞬間、ふわりと体が宙に浮いて、マグマの中央に浮かぶ島へと運ばれた。

 いつの間にかフオイアの姿は消えて、口から火を吐く火の聖獣ローテイアだけがミコトの目の前に居た。
「水の精霊よ、我に力を…。」
無意識に口をついて出る呪文を詠唱すると、水魔法が発動した。
ローテイアの頭上から滝のような水がどっと降り注ぎ、ローテイアは身を捩って悲鳴を上げた。ローテイアの放つ火魔法を回避しながら、体術による攻撃も交えつつ、ローテイアの攻撃の間隙を衝いて水魔法を放つことで、ローテイアの持つ莫大な体力と魔力を少しづつ削りながら、じっくりと戦いを進めるミコト。自身も体力や魔力の消費が激しいため、何度も回復薬を使用した。果てしなく続くように思える先の見えない過酷で熾烈な戦いを続けながらも、心が折れないように歯を食いしばって必死に頑張った甲斐があって、やっとローテイアは体勢を崩し、四肢を折って地面に倒れた。とどめの一撃でミコトが渾身の水魔法をお見舞いすると、ローテイアは断末魔の叫びを上げて崩れ落ち、無数の小さな光の粒子に分解して空に向かって上昇し、消えて行った。
ミコトも緊張の糸が切れて、力尽きたようにがくりと膝を折って倒れかけたが、その瞬間ふわりと体が浮いてブルーダの元へと運ばれた。
「ミコト、おめでとう。よくやった。試練は成功だ。」
ブルーダに抱き起されると、ミコトの右上肢に張り付いていた術式回路は再び透明な紙に写し取られたようにふわりと浮いて風に乗り、ブルーダの右上肢に張り付いて、吸い込まれるように消えると、ブルーダの右手背の球体も体内に吸い込まれるように消えた。
術式回路の移動及び精霊の分身たる霊珠の消失に伴い、ミコトもブルーダも再び熱感と疼痛に耐えねばならなかった。

 二人の眼前に再び姿を現したフオイアは、ミコトに語り掛けて来た。
「聖獣ローテイアを調伏せし者よ。汝は我と契約して魔術師となることを望むか。」
「はい。」
「審判のために借り受けし術式回路は先達の者に戻された。これより我が分身たる霊珠を体内に取り込み、汝の身に術式回路が刻まれる。人の身で精霊の分身たる霊珠を受け入れるには、多大なる苦痛を伴う儀式となるが、汝にはその覚悟があるか。」
「はい。」
「では、これより契約の儀式を始める。」
そういうとフオイアの掌の上には半透明の赤色の霊珠が浮いており、ミコトの右頬に向かってその霊珠が押し付けられた。高温の火の玉が皮膚を焼き、肉を焦がし、骨を溶かして体内に入って来るような灼熱感と激痛がミコトを襲ったが、悲痛な叫び声を上げつつも必死に耐えた。右頬には真紅に輝く霊珠が埋め込まれ、右上腿に灼熱感と激痛が走って、真っ赤に熱せられた針で自らの血によって刻み込まれた緋文字のような文様が浮き出す。余りの苦痛に失神する寸前、やっと霊珠と術式回路が体内に吸い込まれて痛みが消えて、ミコトは正気を取り戻した。
「契約は終了した。汝は我が分身たる赤色の霊珠をその身に宿し、火魔法の術式回路を取得した。汝の命の続く限りこの契約は継続するものと心得よ。」
「ありがとうございました。」
ミコトはほっとしたのか涙を流し、フオイアが姿を消して島が火山のマグマの池の中に沈んでも、深く頭を下げたままだった。
「ミコト?」
ブルーダが声を掛けると、ミコトはそのままばたりと地面に倒れ気を失った。
「よくやった。これで君もやっと魔術師研修生(インターン)になれたんだよ。」

§ 修行の旅路 §

 ミコトが魔術師研修生となったのを見届けたブルーダは、魔法学院に保管されている魔術師名簿にミコトの名を登録する手続きのため帝都へ戻った。ミコトは一人で引き続き修行を続けるが、魔法学院への報告・連絡・相談の窓口として、またアイテム等の補給係として、『魔導使い魔・ボウテ』が一体貸与されていた。ボウテは空中に浮かぶ羽の生えたぬいぐるみのような姿をしていて、通常は姿を消しているが、必要時にはいつでも呼び出すことが出来たし、魔導の力により如何なる場所からでも魔法学院との音声や映像での遠隔通信の中継が可能で、更に転送魔法を応用してアイテムを補充することができた。また、自動でミコトの魔法属性(エレメント)変動を感知し、精霊との契約締結を報告するよう設定されていた。

 ミコトは東の海に浮かぶ絶海の孤島にある水神の神殿を目指し、火神の神殿での試練で手に入れた火魔法を駆使して青い鱗の龍の姿をした聖獣ブラドランを調伏し、薄っすらと透けた青色の巫女のような姿の水の精霊ヴァッサと契約して、その分身である紫紺に輝く青色の霊珠を右手背に宿し、右上肢に水魔法の術式回路を刻まれた。ボウテによって契約締結の報告がなされると、魔術師名簿に記されたミコトの属性登録欄に火属性単独から水属性が追加され複数属性となった。
 ミコトは引き続き西の砂漠にある風神の神殿へ向かい、火魔法と水魔法を用いて茶色の大きな鳥の姿をした聖獣フォーゲラウを調伏し、薄っすらと透けた茶色の坊主のような姿の風の精霊ヴィントの分身である琥珀色に輝く茶色の霊珠を右耳朶に宿して、右下腿に風魔法の術式回路を刻まれた。ボウテの報告に従い、ミコトには風属性が追加された。
 ミコトは次に北の洞窟にある地神の神殿を目指し、火・水・風魔法を織り交ぜて黒色の大亀の姿をした聖獣ヴァルシェイクルを調伏して、薄っすらと透けた巨人のような姿の地の精霊ボーデンの分身である黝色(ゆうしょく)に輝く黒色の霊珠を項に宿し、背部に地魔法の術式回路を刻まれた。ボウテの報告により、ミコトの属性登録は火・水・風・地の四属性となった。
 そしてミコトは東方と西方の境目に位置する大平原にある雷神の神殿を訪れ、火・水・風・地の魔法を駆使して黄色い一角獣の姿をした聖獣ゲルパインホルを調伏し、薄っすらと透けた賢者のような姿の雷の精霊ドンナの分身である苅安に輝く黄色の霊珠を左耳朶に宿し、左下腿に雷魔法の術式回路を刻まれて、基本の元素属性(エレメント)の魔法を五つとも全て取得し、ボウテの報告によりミコトが基本五属性を制覇したことが記録された。
 更にミコトは高山を越えて氷河にある氷神の神殿へ辿り着き、基本五属性の魔法を使って白色の翼竜の姿をした聖獣ヴァイフルザを調伏し、薄っすらと透けた白い踊り子のような姿の氷の準精霊エイスの分身である月白に輝く白色の霊珠を左頬に宿して、左上腿に氷魔法の術式回路を刻まれた。ボウテの報告により、氷属性がミコトの記録に追加された。
 ついにミコトは魔族(ヴィンケル)の森に近い樹神の神殿にも足を延ばし、基本五属性の魔法及びそれらのうちに複数の魔法による複合魔法までも使いこなし、巨大な毒花の姿の聖獣ブリギルメを調伏して、薄っすらと透けた樵のような姿の木の準精霊ホルツの分身である常盤色に輝く緑色の霊珠を左手背に宿し、左上肢に木(植物)魔法の術式回路を取得することまでもやってのけた。ボウテの報告により、ミコトの記録には準精霊の木魔法も追加されることとなった。

 単一属性の魔法適性(マアイク)しか持たない魔術師ならば、これらの精霊のうちのどれかとしか契約することはできないし、複数属性に適応できる魔術師は多いが、あらゆる属性に対応可能な無属性の魔法適性を有する魔術師は古式魔法の始祖の魔女アカツキを除いてミコト以外には存在しなかった。何よりも、例え多くの属性に対応可能だったとしても、精霊との契約は魔術師本人の心身への負担が大きく、身に宿す精霊の分身・霊珠や術式回路の許容量が極めて大きくなければ、許容量以上の負荷により術者自身の生命が危険に曝されるはずだったが、ミコトはこれら全てを受け入れることができたのである。これこそ今まで誰もが成し得なかった快挙であったし、加えてその修行の地中に遭遇した魔物も悉く殲滅したこともボウテによって逐次学院に伝えられていた。
 万が一ミコトの身に何かあれば、自らの命に代えても彼を護る覚悟を決めていたブルーダは想定以上の成果に安堵と喜びを隠せなかった。
「ミコトなら『最強の魔術師』になれると予想した自分の目に狂いはなかった」とブルーダは感動し、思わず男泣きした。
ミコトは修行を終えて無事に帝都へ戻り、魔法学院に凱旋して、実戦に参加可能のお墨付きを得たのである。

§ 最強の魔導士(マーギア) §

 ミコトが厳しい修行の旅を続けている間、テオも訓練に明け暮れていた。厳格な教官レーラーにみっちりとしごかれて、ようやく宝珠(ライストン)を実装した魔導武器を使用する許可を得た。
今までの模造宝珠を装備した模造武器とは違い、宝珠も武器本体も殺傷能力のある本物を見ると、テオは興奮でゾクゾクし、鳥肌が立った。広大な屋外訓練場に集合したのは、ここで実際に疑似魔法(メギカ)を使うことが出来るからだと思うと、更に気持ちが高ぶった。
 何よりミコトの修行の成果が学院に伝えられるのを耳にする度、心の何処かで僅かながら焦っていることをテオは認めたくなかった。しかし、自他共に認める最強の魔導士となってミコトと共に戦うという夢の実現までにはまだ程遠く、ミコトは既に魔術師研修生となり、実際の魔物とも戦って実戦経験を積み、修行を重ねることでどんどん強くなって行くというのに、自分だけがまだ模造武器による訓練しか経験していないのでは、焦るなという方が無理だった。

 「では、これより宝珠を実装した魔導武器による訓練を始める。講義でも学んだように、魔導士の戦闘に関しては、宝珠を装備していることによる純粋な疑似魔法攻撃、疑似魔法が使えない状況下での体術等による物理攻撃、疑似魔法攻撃または回復等のためのアイテム使用、及び魔導武器による魔法と物理の複合攻撃等多岐に亘る。これらの全てに精通し、実戦の場面においては瞬時に適切な判断の下に選択し使用することが必要とされる。まずは個々についての訓練を行い、全てを習得した後に総合訓練を経て模擬戦闘に合格した者だけが、実戦に参加可能な魔導士研修生(インターン)となる。」
レーラーはそう前置きして、学生の一人を指名した。
「まず、魔法攻撃について説明する。武器を構えろ。」
指名された学生は剣を構えた。
「よし、次は、武器を収めて装備された宝珠の属性の、この場合火属性だが、体内の擬魔素を宝珠に流し込むことをイメージする。脳内に自然に浮かんだ文言、即ち、火属性魔法の呪文を詠唱する。と、疑似魔法が発動する。皆、後ろに下がってよく見ているように。では、やってみろ。」
「はい。」
学生は剣を収め、
「炎よ、焼き尽くせ!」
と詠唱すると、剣に装備された赤い宝珠が明るく輝き、前方の的にボッと火が付いた。
「よし。では次は…。」
とレーラーは別の学生を指名した。次々と指名された学生がそれぞれの宝珠の属性に合わせて疑似魔法を発動して見せた。
「テオ。やってみろ。」
いつまでも指名されずイライラしていたテオが最後に指名された。
テオが赤い宝珠を装備した大剣を構え、それを収めると、赤い宝珠が眩しく輝き、
「紅蓮の焔で焼き尽くせ!」
と詠唱した途端、猛烈な火力を浴びせ掛けられた的が一瞬で燃え堕ちた。
「やり直し!」とレーラーが怒鳴った。
「繊細な魔力の制御が出来ていない。もっと集中しろ。雑念を払え。」
テオは内心の焦りを見抜かれていたレーラーに対してというより、自分自身に対して腹が立った。
再び大剣を構え、収めて、テオは詠唱した。
「焼き尽くせ!」
今度は魔力を暴走させることなく、的に火が付いた。
「そういうことだ。魔導士は心を乱してはならない。魔力の制御は己の制御だ。火力(魔力の出力)が大きければ強いんじゃない。効果も持続時間も消費量も自由自在に制御して疑似魔法を操れなければ、最強の魔導士は夢のまた夢ということだ。皆も良いか。中途半端に疑似魔法を連発して上位魔法に進もうとするよりも前に、初期魔法の制御の仕方の熟練度を上げろ。実戦になると一瞬のミスが致命的な結果を招く。よく覚えておけ。」

 M組は今まで厳しくとも殆ど脱落者のないまま訓練を進めて来たが、宝珠実装魔導武器を使用する疑似魔法訓練に入ってからは、学生間の習熟度の格差は歴然と見られるようになった。元々素質のある者は、複数属性の宝珠を装備することで複合魔法を発動したり、頻回使用によって習熟度が増せば、宝珠の術式回路が成長・発展して上位魔法を使用可能になったり、物理攻撃と魔法攻撃との併用を可能にしたりとどんどんレベルアップして行ったが、一方で伸び悩む者も少なからず居た。
 そんな中でレーラーは、当然ながら抜群の才能を持つテオに対しては、他の学生達よりも遥かに厳しかった。魔術師に比べて天与の素質に左右されにくく、心身の負担も比較的少ないとされる魔導士ではあるが、そのレベルは正にピンからキリまでと言われており、最上級に位置する魔導士になることは決して簡単なことではない。自他共に認める天才と言われるテオだからこそ、安易に魔導士にさせるべきではないとレーラーは思っていた。長年教官として学生の指導に当たっていれば、『学生の個性によってその扱いは違う』という持論が確立されていた。特にテオのような教え子は徹底的に鍛えるのが本人のためだ。過去に何人も優秀な教え子を失って来たレーラーだからこそ、過去の悔恨を踏まえて、絶対に若い命を無駄に散らせないために。

 「皆、今まで歯を食いしばってよく訓練について来た。M組は本日で最終課程となる、最終審査合格者は実戦参加可能な魔導士として研修生への登録を許可する。不合格者は留年者として引き続き訓練を受けるも良し、中退者として魔導士となることなく学院を去るのも良し、進路は自身で熟考して答えを出すことだ。最終審査は、学院敷地外の結界で囲まれた指定区域内において、審査のために学院で用意した魔物との実戦である。散開してそれぞれが索敵、遭遇したら戦闘開始。その時点で共闘可能であれば、複数名で協力して戦闘して構わない。回復系宝珠装備者の回復魔法使用は許可する。それ以外は上限所持数内のアイテムにより対応すること。全ての戦闘は遠隔監視しており、戦闘不能者は学院職員により速やかに戦線離脱させる。また、全員が戦闘不能となった場合は即時終了。戦闘中であっても審査時間の終了を以って強制終了とする。質問はあるか?」
レーラーが学生達を前に説明をした。
実戦に臨み、闘志をむき出しにする者、恐怖に慄く者、緊張に震える者、様々な学生の中で、テオはやっと実戦訓練に出られたことで興奮していた。
(ミコト、やっと俺も実戦に出られるぜ。待ってろよ、きっとお前に追いついて見せる。俺も魔導士研修生になって、お前と二人で戦うんだ。)
テオは久しく会えていない親友の姿を思い浮かべ、心の中で語りかけていた。

 「戦闘開始!」
レーラーの号令でM組の学生達が指定区域内の森に散開した。
事前にお互いの装備している宝珠の属性を確認し数人一緒に行動する者が多い中で、テオは単独行動であったが、複数属性の宝珠を装備していたし、その中には回復系の宝珠も含まれていた。今までの訓練では公平を期すため装備できる宝珠は教官の指示によって制限されていたが、今回は各自の裁量で種類も個数も自由に選ぶことが出来た。但し宝珠の属性や個数、その術式回路の発達段階は装備する術者の魔力量(マフーエ)によって決まるため、単独属性で初期魔法のみしか使用できない学生も居るが、テオは古代魔法でいうところの基本五属性以外にも、近代魔法によって開発された時空魔法や状態異常系魔法等の支援魔法や回復系魔法の宝珠も装備可能であり、上位魔法や複合魔法も使用できるし、莫大な魔力量を保有しているため、余程のことがない限り擬魔素(メーレ)の枯渇も心配する必要がなかった。

 森の中を進むと、繁みの陰から突然魔物が襲って来る。いち早く気配を察知して、防御魔法で物理攻撃に備え、体制を整えたら、魔物の属性を予想して攻撃魔法を発動する。即座にその反応や効果を評価し、魔物の攻撃に対して魔法防御。予め自身にかけてある回復系魔法で体力を僅かずつ漸増することで消費を抑えながら、物理攻撃と魔法攻撃の効果の優劣を判定する。魔物が想定外の特殊攻撃をしてくる可能性も捨てきれないが、初期の段階である程度攻撃方針を決めて、徐々に魔物の体力と魔力を削り、自身の体力の消費が激しくなれば回復魔法で補填しながら、戦闘を続ける。今までに何度も頭の中でシミュレーションして来た。テオの中では勝利の方程式が完成していた。
 だが、テオが単独行動をしようと試みても、「テオと共闘すれば自分でも勝てる」と自分の力量だけでは心許ない同級生達がテオに付き従うため、図らずも彼等と共に戦うことを強いられていた。

 「そういうことだ、テオ。」
遠隔監視システムの映像を見ながらレーラーは思わず独り言ちた。実戦では、自分一人が思うように戦えることはあり得ない。幾らでも想定外のことが起きるものだ。実際に魔導士となって戦場に出れば、魔導士だけが戦う訳ではない。一般の戦士も参加するし、自らが盾となって民衆を護らねばならないこともある。敵が想定外の行動をするだけではなく、自分以外が全てそれぞれの思惑に従って行動すれば、手前勝手な戦術なんて簡単に破綻する。戦闘経験を積み、直感に従って行動することを繰り返し、磨かれて洗練されて行くより他に道はない。それは教えられてできるものではないからだ。

 審査が終了し、戦闘不能者が出ることもなくM組が全員帰還した。
M組全員を前にしたレーラーから、次々と名前が読み上げられて、その合否が告げられた。
「テオ、M組最高得点で合格。魔導士研修生としての登録を許可する。」
テオは得意そうに笑って言った。
「まあ、最初からわかってたけどね。」
「相変わらず生意気だな。」
レーラーは笑ってテオの背中をぽんと叩いた。

 「皆、聞いてくれ。Z組のミコトが無事修行を終えて魔術師研修生として帰還したので、Z組も最終課程を修了となった。F組も病棟実習を終えて同様に最終課程修了だ。これで今期生は中退者・留年者を除いて全員が専門課程修了となり、これからは研修生としてそれぞれが現場へ赴くこととなるため、全員が学院内で揃うのは明日が最後である。
よって明日我がM組の代表としてテオがZ組のミコトと模擬戦闘を行うことになった。安全対策として特殊な防護措置を施した上で、共に実装で対戦することとした。二人はそれぞれが魔術師と魔導士として共に各組最強の研修生であるから、惜しみなく実力を出し切って戦ってほしい。テオとミコト以外の学生は遠隔監視システムを利用して仮想現実映像視聴の形で見学となる。以上だ。」
レーラーは学生達に向かって通達した。
「俺とミコトが実装で模擬戦闘って、本当なのか?」
テオは驚いて尋ねた。
「Z組担当教官のメントレからの提案だ。嫌なのか?」
レーラーはテオに問い返した。
「んなわけないだろ!」
「公正に模擬戦闘を行うために模擬戦闘開始までミコトと会わせるわけには行かないが、思う存分戦って互いの成長ぶりを確かめ合うんだな。」
レーラーがそう言うとテオは少し戸惑った。
(次々と成果を上げて来たミコトは、離れていた間に変わってはいやしないか。いや、そんなはずはない。何があっても俺たちは親友だ。その絆は何があっても変わることなどあり得ない。)
テオは自身にそう言い聞かせた。


§ 伝説の模擬戦闘 §

 翌日は魔法学院でも前代未聞の『魔術師対魔導士』の模擬戦闘が行われる日となった。
広い模擬戦闘場にM組担当教官レーラーとZ組担当教官メントレが揃って現れた。同期生達は仮想現実映像視聴覚室に集められ、自分も模擬戦闘場に存在しているかのような感覚で待機していた。
レーラーが
「M組代表魔導士研修生テオ、入場。」
というと、転送魔法により宝珠を実装した魔導武器の大剣を携えたテオが闘技場に姿を現した。
次にメントレが
「Z組、魔術師研修生ミコト、入りなさい。」
というと転送魔法によりミコトが姿を現した。戦闘準備を整えたミコトの姿を見た同期生達からどよめきが起こり、テオも驚愕のあまり一瞬言葉を失った。
ミコトの項、両頬、両耳朶、両手背には半球状の宝珠に似た球体・霊珠が埋め込まれていたし、その全身にはびっしりと緋文字のような術式回路の文様が浮き出ていて、とても人の姿とは思えなかった。
伏せていた目を開けて眼前のテオの姿を認めると、ミコトは穏やかに微笑んで
「やあ、テオ。久しいね。」
と声をかけた。
「ミコト…だよな?」
テオは恐る恐る尋ねた。
「そうだよ。驚かせてすまない。私の中に精霊の分身たちが宿ってから、自分が自分であって自分でないような違和感は少しあるけど、君の知っているミコトで間違いない。」
ミコトが少し寂しそうにそう言うと
「感動の再会に水を差すようですが、これから戦闘開始なので、お喋りは戦闘の後にしましょうか。」
とメントレが制止した。
「すみません。わかりました。」
と穏やかにミコトが答えた。テオはまだ少し動揺したまま
「わかったよ。」と答えた。
「では、合図と共に戦闘開始するが、二人とも自分の持てる力を存分に発揮して全力で戦うように。但し、模擬戦闘であるため、生命の危険や重篤なダメージを避けるため、魔導の力でそれぞれの体表に特殊な簡易結界を張り、ダメージは計測するが、五感による感覚を仮想的に感知するのみで実際には身体に影響を与えないように安全措置を講じている。万が一不測の事態が生じた場合は、教官である我々が責任を持って対処する。何か質問はあるか?」
レーラーが説明すると二人は声を揃えて
「「了解!」」
と答えた。
「では、戦闘開始!」
レーラーがそう宣言すると、二人の教官は転送魔法により姿を消して、テオとミコトは互いに距離を取って構えた。
「全力で行くぜ、ミコト!」
「勿論。望むところだ、テオ。」

 テオが疑似魔法攻撃を打てば、ミコトは防御壁で防ぐ。テオの『魔封剣』による疑似魔法と物理の同時攻撃でミコトの防御壁は粉々に砕け散ったが、既にそこにミコトの姿はなく、召喚された聖獣ブリギルメの蔓のような触手がテオの魔封剣に巻き付いた。テオが火魔法を発動し、ブリギルメの触手を焼き切ると、ブリギルメは悲鳴のような声を上げた。すかさずテオが追い打ちのように火魔法を連発し、ブリギルメは断末魔の声を上げながらめらめらと燃え堕ちて分解し、光の粒子となってリウに還った。
「さすがだ、テオ。」
ミコトが言うとテオは
「当たり前だ。俺はいつだって最強なんだから。」
と笑った。
ミコトは地魔法を放ち、テオの足元の地面が巨大地震のように揺れて角柱状に割れ、ランダムに乱高下した。テオが風魔法で空中高く舞い上がると、ミコトは雷魔法でテオを撃ち落とした。ミコトは更に水魔法でテオの上から滝のように水を降らせたが、まだ帯電して麻痺しているところに水を浴びてはまずいとテオは必死になって間一髪のところで避けた。
ミコトが氷魔法で大量の鋭い氷の矢を放つと、テオは魔封剣で全て薙ぎ払い、ミコトの氷魔法でテオの足元から尖った氷の柱が次々と突き出し、テオは優れた身体能力を生かしてそれを悉く避けた。
ミコトの多彩な魔法に翻弄されながらも、テオは次々とミコトが召喚する聖獣をものともせず、二人の攻防は互いに一歩も譲らず一進一退、正に互角で戦況は膠着状態が続いた。
 
 「正に未来の最強の魔術師と最強の魔導士ですね。」
メントレがレーラーに言った。
「確かに。個々の魔法の威力や判断力・瞬発力・機動力はテオが若干有利だろうが、聖獣召喚や複合魔法を加えた魔法の種類の多さは圧倒的にミコトが有利。これはなかなか決着がつきそうにないな。」
レーラーも全く勝敗を予測できなかった。
「しかも、二人とも相当にタフですね。かなりダメージは受けているはずなのに体力も魔力も無尽蔵ではないかと錯覚しそうなほどに。」
メントレがそう言うと、レーラーが
「もう魔導簡易結界の計測値が限界で今にも振り切れそうだ。このままだと結界自体が持たない。仮想現実とは言え、普通ならとっくに体の方が音を上げてるだろうに。」
と言った。
「もういいでしょう。」
と、メントレが制止しようとした瞬間、二人が相打ち状態になり倒れた。
「ダブルノックダウンですね。」
メントレが合図を送ると、転送魔法により二人は回収されて学院内の保健室へと送られた。
「学生の皆さん、模擬戦闘は引き分けで終了となりました。これで解散です。お疲れ様でした。」
メントレが学内放送でアナウンスし、学生達は興奮冷めやらぬ様子で口々に模擬戦闘の感想を語り合っていた。
その中に一人保健室へと急ぐイツキの姿があった。

 「大丈夫?」
ミコトとテオがほぼ同時に目を覚ますと、イツキが二人の傍らに座り不安げな顔で見つめていた。
「よお、イツキか。」
「イツキ、久しいね。元気だった?」
二人ともいつも通りの能天気な返事をした。
「あんた達はバケモノか。」
震える声でイツキが毒を吐いた。少しだけ瞳が潤んでいるようにも見えた。
「ひでぇな。こんな美形二人に向かって。」
テオはおちゃらけて答えたが、
「ごめんね。心配かけちゃった?」
ミコトは神妙な顔つきで答えた。
「ミコト、今更だけど、お帰り。」
「ただいま。」
ミコトは微笑んでイツキに答えた。イツキがテオに向かって
「テオは自分で美形とか言うな。」
と言うと、テオは
「だって、事実じゃん。にしても、イツキ、何か俺とミコトの扱い違わない?」
「全然違わない。」
「そうかなぁ?俺の気のせいか。」
三人は一斉に笑い出し、暫し再会を楽しんだ。
またすぐに研修生として別々の道を歩むことになったとしても、決して三人の友情が失われることはないと、この時三人は固く信じていたのである。

§ 研修生という名の戦士 §

 一部の中退者・留年者を除く同期生全員がその全過程を終了し、いよいよ研修生としてそれぞれの配属先が決まった。
テオとミコトは魔法師団(マギアタイロ)に配属され、イツキは学院内研究所兼工房(ラボーア)に配属された。
明日から移動になる最後の夜に、三人はミコトが修行に出る前夜と同じようにまた渡り廊下の談話室に集まっていた。

 「いよいよ戦場か。腕が鳴るぜ。」
おどけて左手を右肩に置いて右腕をぐるぐる回しながらテオが言った。
「イツキの配属先は魔法病棟じゃなかったんだね。」
ミコトが笑顔で言うと、イツキは
「これでいつでもずっと学院内に居られるわ。正直なところ、あたしあんまり魔法病棟には向いてないと思ってたんよね。」
と答えた。テオが笑いながら
「イツキは、『アタシ、血を見るの怖~い』とか言うようなタイプには全っ然見えないけどな。」
とからかうと、イツキが真顔で答えた。
「ふざけんな。戦闘不能になって運ばれて来たって、みんながみんな救えるわけじゃない。救えない命だってあるって、病棟実習で嫌というほど見て来たんだよ。工房でアイテム作ってる方が性にあってる。」
それを聞いたミコトが
「イツキは優しいからね。そんな悲しい犠牲者を出来るだけ出さないためにも、私たちは弱者を護るために戦わなきゃいけないんだ。それが強者たる私たちの使命だからね。」
と言うと、
「それはあくまでも理想だろ?ミコト。出来れば誰も死なず、誰も傷つかないに越したことはないさ。だが、現実はそうじゃない。戦えば全員無傷なんてあり得ない。絶対に犠牲はゼロには出来ないんだ。やむを得ない場合は、巻き込まれて命を落とす者が居たとしても仕方ない。強ければ生き、弱ければ死ぬ。世の摂理というやつだ。」
テオも真顔で言った。
(ミコトの言うことはいつだって正しい。だからこそ俺はミコトを信頼してる。だけど世の中は正しければ勝てるとは限らない。)
(テオが夢だ理想だと言うのはわかるけど、それを失ったら私は何を支えに戦えば良いのか、わからなくなってしまう。)
「もうやめなって。あんたら、本当に仲が良いんだか悪いんだか。性格が真逆で、まるで水と油なんだからしょうがないけどね。」
イツキの言葉で二人は我に返った。
「とにかく、あんたらときたら、無茶ばかりするんだから。無事に戻って来てよ。またこうしてみんなで集まれるように。」
「誰に言ってんだか。俺たち二人は最強なのに。」
「イツキも頑張ってね。また会えるまで、元気でいるんだよ。」
「いやいや、あたしは戦場には出ないからね?」
三人は鍵を持った守衛に退室を促されるまで時間を忘れて語り合った。

 テオとミコトが配属された魔法師団は、人族(ユマ)軍の魔族討伐作戦や魔物退治任務に協力するため魔法使い(マグス)を派遣しており、師団上層部が決定した任務が個々の魔術師及び魔導士に与えられた。また、戦場では戦死者の霊を弔うことで魔物化を防ぐため、魂神教会(リウ・レリジオ)も協力関係にあり、鎮魂の祈りを捧げるだけでなく自ら戦闘にも参加できる『僧兵(モンソルダ)』も派遣されていて、表向きは、戦士と僧兵と魔法使いが協力して共に魔族や魔物と戦うという構図が出来ていたが、現実には互いの信頼関係も薄く、水面下でそれぞれが牽制し合っているというのが実情だった。
 人族軍は皇帝(カイザル)の指揮下にあったが、僧兵は実質的に皇帝に次ぐ権力を手にした神官長(エルプリスタ)ドーマの手駒であり、鎮魂の祈りを捧げることが本来の仕事とばかりに、あらかた戦闘が終結する頃になってから遅れて現れるのが常であった。
「魔導兵器(メヴァッフェン)はあるとしても、人族軍戦士(ソルダ)も僧兵も基本的に魔法適性や魔力量に乏しい非魔法使い(マギーナ)の一般人族出身であるため、強力な魔法を使う敵と戦うために魔法使いとの共闘は必要」としてはいるが、異質の存在である魔法使いに対しては不信感、もっと言ってしまえば漠然とした恐怖すら感じていた者も少なくなかった。日常の魔道具(メヴァクツォイ)と同じ原理の魔導の力で戦う魔導士はまだしも、強力な友軍として頼りにはなるけれども、体内に精霊の分身を宿し、戦闘時には半ば人に非ざる者となって戦う魔術師を忌み嫌っている者も少なからず居た。魔法使いしか居ない学院内とは違い、居心地の悪さを感じながらも、魔法師団に配属された研修生は日々黙々と与えられた任務をこなすしかなかったのである。

 学院生時代に最強の二人と言われていた研修生のテオとミコトは、二人一組で派遣された熾烈な戦いの繰り広げられている最前線での任務も易々とこなした。互いに背中を預け合い、阿吽の呼吸で連携して戦う二人は正に最強の名に相応しい逸材だった。この二人さえ居れば、苛烈を極める戦場においても、人族軍の戦士達は殆ど見物人(ギャラリー)同然だったし、戦死者も殆ど居なくて僧兵の出番もない程だった。

§ 先輩と後輩 §

 テオと二人で連戦連勝を重ねるミコトの下に、後輩研修生のアッシェが配属されて来た。アッシェは銀色の髪と灰色の瞳と屈託のない笑顔が印象的で、学院生時代から強くて冷静沈着なミコトに憧れていた。魔術師としては火属性しか持てなかったが、素直で明朗快活な性格には好感が持てた。
「修行は辛くなかったかい?」
ミコトが尋ねると
「憧れのミコトさんと一緒に戦うのが夢で、修行も頑張れました!」
屈託のない笑顔を向けて来るアッシェにミコトは微笑み返した。
「魔術師になるのも大変だけど、これからはもっと大変かも知れないよ。戦闘任務だけじゃなく、世間では魔術師に対する風当たりが強いからね。」
「そうなんですか?僕あまり深くものを考えない質なんで。理屈よりも直感に従う方って言うか。だからですかね、物事に動じず、常に物事を深く考えてるようなミコトさんに憧れるんです。僕もミコトさんみたいになりたいです。学院で伝説の模擬戦闘の記録映像を見ましたけど、凄かったです!めちゃくちゃかっこよかったです!」
アッシェが熱を帯びて語っていると、任務から戻ったブルーダが声を掛けて来た。
「ほお、ミコトには熱烈なファンが居るようだね。」
「勘弁してくださいよ。」
と、ミコトは苦笑した。
「いいじゃないか。後輩の手本となるようにますます精進できる。」
ブルーダにそう言われて、
「ええ、そうですね。後輩に無様なところは見せられません。」
とミコトは答えた。
(そういう生真面目さは変わらないな。)
とブルーダは思った。

 かつてブルーダ自身がミコトに言った「自分など足元にも及ばないような最強の魔術師になれる」という言葉が実現した今になってもミコトは驕ることなく、常に理想を追い求め、真摯に努力しているのだ。
(その一途さがいつかミコト自身を苦しめることにならねば良いが)
とブルーダは少し不安になった。
魔術師というだけで生きづらさを感じるこの環境では、ミコトの真面目さが息苦しさになりはしないかと心配しては、思い直し、取り越し苦労は自分の悪癖だと自嘲した。

§ 悪意 §

 「ミコトさん、僕、これから初任務に向かいます。」
アッシェは嬉しそうに報告した。
「おめでとう、アッシェ。気をつけてね。」
ミコトが答えると、アッシェは拳で自分の胸を叩いて
「大丈夫です。辺境の集落周辺に出没する魔物退治の簡単な任務らしいですから。戦士の皆さんが魔導兵器で魔物退治するのを支援するんですって。僕はまだ未熟者ですが、僕は僕にできることを、精一杯やるだけです。僕にはそれしか能がないんで。」
「そうか。うまく行くと良いね。」
「はい、頑張ります。」
アッシェはそう言うと意気揚々と任地へ赴いた。

 ミコトはテオと別々の任務に就くことになり、今もテオは別件で遠征中であり、ミコトはやっと任務を終えて帰還したばかりだった。最強の二人を一ヶ所にまとめるよりも、それぞれが別々に動く方が合理的と考える魔法師団上層部の判断もわからなくはない。だが、テオと二人なら、何も言葉を交わさなくても意思は通じ合うし、互いの背中を預け合い、安心して戦うことが出来たから、一人での任務は少し味気なく寂しい気がした。

 今回ミコトが一人で派遣された任務で、戦闘態勢に入り、精霊の分身である霊珠と術式回路を顕現させると、戦士達からは白眼視された。敵である魔族と魔術師を似た者同士のように感じる人族が多いことは聞いていたが、実際に体験するとやはり心に棘が刺さったような痛みを感じずにはいられなかった。

 野営していた深夜、テントで一人だったミコトの耳に、外で見張りをしていた戦士達の話し声が聞こえて来た。
「お前も見たろ?戦闘態勢の魔術師って、吠えるし、見た目もグロテスクで気色悪いよな。」
「まるでバケモノだもんな。魔族とそんなに変わらん。」
「魔導兵器もあるんだからオレ達戦士だけでも良いと思うんだが、魔術師に戦わせるのは戦士の被害を少なくするためなんだとさ。」
「別に魔術師じゃなくても魔導士で良くないか?魔導兵器は魔導の力を大量に消費するかも知れんが、魔導士は自分の魔力を使うんだろ。」
「魔術師なら聖獣も召喚できるからとは言うけどなあ。」
「魔族を倒したら、今度は魔術師が敵になる、なんてことはないよな?」
「わかるもんか。力を手に入れたら使いたくなるのが世の常だ。」

 ミコトは任務中も戦士達の敵意をひしひしと背中に感じていた。自分が命がけで護った民衆でさえ、魔術師に対しては良く思っていないことも。彼らを護っても感謝されることはおろか、ミコトが敵から庇うために抱き締めた子供の親も、半狂乱になって奪い取るように我が子を連れ去って行った。戦闘に巻き込まれた負傷者やその家族からは、理不尽に非難された。
「誰も死なせない、誰も傷つけさせない、というのは理想だ」と言ったテオの言葉を思い出した。テオなら何よりも圧倒的な力で敵を殲滅し、出来るだけ早く戦闘を終わらせることに専念するだろう。例えそれで死傷者が出たとしても、きっと「少々の犠牲は致し方ない」と怯むことなく言ってのけるだろう。
褒めて欲しい訳ではない。感謝して欲しい訳ではない。でも、時に自分は何のために戦っているのかわからなくなる。人族を護るために、非魔法使いを護るために、自分の持てる力の全てを尽くそうと思ったのではなかったか。なのに今その正義が揺らいでいた。護るべき者たちから罵られても、この命の続く限り元には戻らない体となってまで、戦い続けることは正しいことなのかと迷っていた。

 「どういうことですか!」
アッシェの向かった先に大量の魔族が出現したと知ったミコトが珍しく声を荒げた。
「どうやら情報に齟齬があったようで。」
魔法師団職員は申し訳なさそうに言い、大きな体を縮めるように恐縮して見せた。
魔法師団本部は魂神教会と軍部からの情報に基づいてアッシェを任務に派遣したが、その情報自体が間違いだったと判明した。
テオは遠方での任務からまだ戻っていない。
「私が行く!」
ミコトはそう言うと、魔法師団職員の制止を振り切り、アッシェの任地に急行した。

 聖獣フォーゲラウに運ばれて現地に到着した時にはもう戦闘はほぼ終了し、魔導兵器部隊は撤退した後で、辺り一面戦死者の亡骸で埋め尽くされていた。
「アッシェ!どこだ?間に合ってくれ!生きててくれ!」
髪を振り乱し、必死に叫ぶミコトの目に、アッシェの姿が飛び込んで来た。魔族に囲まれ、魔力が枯渇し、アイテムも底をついて、ボロボロになりながら、必死に杖(ロッド)を振り回して応戦するアッシェが、今にも力尽きて倒れんばかりにふらふらと体を揺らしていた。
「フォーゲラウ、旋風(つむじかぜ)で敵を追い払え!」
ミコトが命じるとフォーゲラウは大きな翼を激しく羽ばたかせ、渦巻く風が魔族達を巻き込み吹き飛ばした。
魔族達が姿を消すと同時に、アッシェは朽木が倒れるようにばたりとその場に倒れた。ミコトが駆け寄って抱き起こすと、まだ辛うじて息のあったアッシェが薄っすら目を開けた。
「ミ、コ、ト、さん…。」
「喋るな。すぐに助ける。」
アッシェを抱き上げたミコトの前に、戦場となった集落の住民達が現れ、取り囲んだ。
「あんたらのせいで、わしらの村はめちゃくちゃじゃ。どうしてくれる?」
「魔術師が魔族を倒すと聞いていたのに、こんな新米の若造一人寄越しおって、全然役立たずだったじゃないか!」
「あんたら魔術師は、本当にわしらを助ける気があるのか?」
「うちの息子は戦士に志願して故郷を護って死んだ!どうして魔術師が居るのに戦士が死ななきゃいけないんだ?」
魔術師に対するいわれなき誹謗中傷の数々は耳を覆いたくなるほどだった。

 「ミコト!」
呼ばれて振り向くとそこには何故か別任務に出ていたはずのテオが居た。
恐らくミコトが魔法師団を出た後入れ違いに帰還して、ミコト同様にアッシェを救うために時空魔法を使って現れたのだろう。
「テオ。」
颯爽と現れたテオを見て、ミコトは(テオらしい)と思った。テオはこういう男だ。初めて出会った時から変わらない。尊大で我儘な貴族(アリストロ)のボンボンだが、身近に居る大切な人のためであれば熱くなれる男だ。

 住民たちはまだ大声で罵倒し続けていて、テオは怒りを露わにして人々を睨みつけていた。
「あいつら全員殺してやる!」
「やめておけ。」
激怒するテオをミコトが止めた。
「何故止める?お前だって悔しいだろうが!」
「君の憤怒には値しない。」
「は?」
テオは燃え盛る怒りの炎に冷水を浴びせ掛けられたような気になり、怪訝そうにミコトを見つめた。
「怒る価値がない、と言ったんだ。寧ろ私はアッシェを救えなかった自分が許せない。」
「んなもん、仕方ないだろ!お前のせいじゃない。『俺たちが』間に合ってたら、絶対に死なせたりしなかった。」
「そうだな…。」
「?」
テオは視線も合わそうとしないミコトの真意を測りかねていた。
「『君なら』きっと救えただろう。」
「どういうことだ?」
「言葉のままの意味だよ。」
「ミコト?」
「もういいよ。それより、アッシェを連れて帰ろう。」
ミコトは笑顔を作るのを失敗したように、テオに向かって寂しそうに口角だけを持ち上げて見せた。
「あ、ああ、そうだな。」

 すれ違う二人の気持ち。『俺たちなら』と言うテオと、『君なら』と言うミコト。
二人が一緒に戦っていた頃は、それぞれが心から『最強のバディ』と信じていた。
しかし、それぞれが単独で任務をこなすようになると、ミコトはテオとの実力の差をひしひしと感じるようになっていた。
いくらでも強くなり続けるテオと、既に限界を感じ始めて悩むミコトに、ブルーダが語った言葉が、脳内に蘇って来た。
「テオはこれからもどんどん強くなるだろう。君と彼との実力の差はどんどん開く一方だろう。かつては君と二人で協力してやってきたことも、彼一人で易々とこなしてしまうだろう。魔力さえ尽きなければ、何のペナルティを負うことなしに、幾らでも強くなれる魔導士と、強くなるためには自己犠牲を強いねばならん魔術師とでは、元より差があって当然だ。彼はまだまだ強くなって行くだろうが、君の体はもう術式回路でいっぱいだろう。これ以上取り込めば君はもう人ではなくなってしまう。もう十分だよ、ミコト。君は今でも最強の魔術師なのだから。」

 テオとアッシェを抱いたミコトはテオの時空魔法で魔法師団へ転送された。
彼らが消えた戦場には、戦死者の魂が光の粒子となって浮遊し始めていた。いつの間にか現れた僧兵達が、彼らが遺した負の感情により魔物に転生しないように鎮魂の祈りを捧げ始めた。僧兵達に交じって現れた魂神教会の神官長ドーマは、消えゆく転送魔法の魔法陣の残像を見てふっと意味ありげな笑みを浮かべていた。

  魔法師団に着くとすぐに連れ帰ったアッシェを魔法病棟の薬師(ファルマ)に見せたが、
「やはりもう手遅れですね。戦闘不能状態を遥かに通り越して、例え禁断の蘇生魔法が使えたとしても、彼の魂はもうそれには応えられないでしょう。」
と言われた。
「アッシェ、どうして…。」
ミコトは崩れ落ちるように両手と両膝を床について、ぽたぽたと涙を落とした。テオは壁に左手をついて、俯いたまま背を向けていた。

 そもそも何の手違いから、新人のアッシェが大量の魔族を相手に孤立無援で戦わねばならぬ羽目に陥ったのか。あの状況なら、テオとミコトが二人揃って受けるべき規模の任務だったはずなのに。だが、テオは別件で、ミコトは時間差で、この任務には就けなかった。簡単な任務だと聞かされて向かったアッシェ一人では到底敵うはずもなかったのに。運命というにはあまりに不自然で、目に見えない悪意に操られ、謀られたようにさえ思えた。しかも瀕死のアッシェに対して、住民たちの心無い言葉はあまりに酷かった。
「魔術師の命を、一体何だと思ってるんだ…。」
あまりの悔しさに、ミコトは腹の底から絞り出されたような、ぞっとするほど恐ろしい声で、呻くように呟いた。

 死者の肉体は光の粒子に分解されリウとなって『ほしのいのち(ウテル)』へ還るが、戦死した魔法使いには師団墓地にその名を刻んだ墓標が与えられた。
「ミコト、心中は察するが、君にはどうにもできなかったんだ。自分を責めてはいけないよ。」
アッシェの墓前に跪くミコトの肩に手を置いて、ブルーダが声を掛けた。
「辛いのは君だけじゃない。わたしだって、自分より先に若い者が死ぬのは辛い。」
ブルーダも目尻の皺に涙を滲ませて言った。
「彼は魔術師としても、一人の若者としてもまだまだこれからだったのに、無念だ。」
ミコトは立ち上がり、項垂れたまま涙を流しながら言った。
「アッシェは最後の最後まで毅然として複数の魔族と対峙していました。魔術師として立派な覚悟でした。」
「そうか。ならば、彼は最期を君に看取ってもらえて、きっと喜んでいることだろう。」
ブルーダはそう言い、二人は墓地からの帰路を並んで歩いた。

 「考えたところでどうにもならないことは承知していますが、もし私が一緒に居たら、アッシェを救えたのではないかと、ついそんな考えが浮かんで、悔やむまいと思っても悔やんでしまいます。」
ミコトがポツリとそう言うと、ブルーダは
「それはどうだろうか。如何に最強の魔術師であっても、君にも限界は存在する。君が居たら救えたかはわからない。君がテオと組んでいた最初の頃には想像してみたこともなかったろうが、君たちがそれぞれ単独で戦うようになってからは、ひしひしと魔術師と魔導士の差を感じるようになっただろう。それはどうにもならんのだ。わたしはこれ以上若い者が先に死ぬのは見たくない。」
と語った。
 ミコトは意外な言葉に思わず立ち止まり、茫然とブルーダを見つめた。ブルーダも立ち止まり、振り返ってミコトに言った。
「魔術師にしろ魔導士にしろ、才能に恵まれた者はごく一部で、他は有象無象だ。君のように素質や才能に恵まれ、努力を重ねて強くなる者も居るが、テオだけは、魔導の目を持って生まれた数百年から千年に一度生まれるかどうかという『希少魔導士(ゼルト・マーギア)』だから、他の魔導士とは文字通り次元が違う。この先どんどんその差は顕著になるだろう。」
「確かに、テオは天才ですが…。」
ミコトは混乱しつつそう答えた。
「君は当代最強の魔術師だ。並みの魔導士なら引けは取らんだろう。だが、テオとは違う。残念だが、それは事実だ。もし、テオのような希少魔導士に匹敵する魔術師が存在するとすれば、アカツキ以来の『究極大魔法(アルテマギカ)』を手に入れた、『究極魔術師(アルテマツァオ)』くらいだろうが、それは失われた古典の中の空想の産物に過ぎん。現実では、君ですらいつかテオには追いつけなくなるだろう。君たちの親友の絆に水を差す気は毛頭ないが、学院生時代の同期であっても、いつかその差は如何ともし難いものになるなんて、別に珍しくも何ともない。そこかしこで普通に起こっていることだ。仲良しごっこは青春時代の幻影をいつまでも追い求めているだけだ。いつまでもテオに執着することなく、君は君なりの道を行くべきだ。」
ミコトは精神的にテオに依存している自分の本心をブルーダに見透かされたようで、忸怩たる思いで俯いた。
「自分が一緒なら」と言いながら、その奥底にテオの影が見え隠れする。本当は「テオと自分の二人なら誰にも負けない」という呪縛から抜け切れていない。それをブルーダに指摘された気がした。

 エリート魔導士家系で生まれつき大した努力もなしに最強になったテオと、一般家庭出身で、地べたを這いずり、氷の壁に爪を立てて、血を吐くような思いをして努力を重ねて来たミコトでは、元よりスタート地点が違う。それでも、二人で最強と言われ、対等になった気がしていた。心の奥底ではずっとテオに対する劣等感を拭い去ることが出来ないまま、自分の本心から目を背け、親友の名の下にどこまでもテオと二人で一緒にやっていける気になっていた。
「若い時には、君だけじゃなく、誰もが経験することだ。気にすることはない。ただな、ミコト。例え選ばれし者でなくとも、力が足りなかったとしても、どうしても引けぬ時が、誰にでもあるものだよ。『自分にできることを精一杯やる』と言っていたアッシェは、それを身をもって示してくれたんだ。君は君にしかできないことをやればいい。君は紛れもなく当代最強の魔術師なのだから。」
ブルーダにそう言われ、ミコトの脳裏に「自分に出来ることを精一杯やる」と言った時のアッシェの眩しい笑顔が浮かんだ。
「そうですね。アッシェが私に遺してくれた思いを胸に刻んで生きて行かなければ、彼に合わせる顔がありません。」
ミコトが顔を上げて微笑むと
「彼が生きていた意味を失わせてはいけない。それが遺された者の義務だからね。」
とブルーダが言った。
「はい。」
ミコトが答え、二人は再び並んで歩きだした。

 「やあ、ミコト。」
武装を整えたブルーダが声を掛けた。ちょうど任務を終了して帰還したミコトと入れ違いにこれから任地に赴くところだという。
「もう大分落ち着いたようだね。」
「はい、ありがとうございます。」
そう答えてブルーダと別れた後、ミコトは、虫の知らせか、何となく胸騒ぎがした。
新人のアッシェと違いブルーダは歴戦の勇士の誉れ高いベテラン魔術師ではあるが、アッシェを救出に向かった時の光景がフラッシュバックして、嫌な予感がした。
戦場には戦死者の屍が折り重なり、複数の魔族と対峙しながら、後ろからは死者から生まれた魔物が迫り来る気配が漂う中、じりじりと削られて行く体力と枯渇しつつある魔力を計算しながら戦うが、劣勢は否めない。
そんな状況に追い込まれているブルーダの姿がちらついて、居ても立ってもいられなかった。

 「ブルーダ魔術師の任地はどこですか?私も行きます。」
すっくと立ち上がるミコトに魔法師団職員が驚いて言った。
「いえ、ミコト魔術師は任務終了後休息の予定となっております。今回の作戦行動には任命されておりませんので、どうぞお休みください。先日のアッシェ魔術師の時も、緊急事態とは言え、無断で出撃されて厳重注意されたばかりではないですか。」
「構いません。私の一存ですることです。あなたの責任ではありません。上に咎められたら、あなたは私が出撃したのは知らなかったと言ってください。」
「ミコト魔術師、そうは仰られても…、ああ、行ってしまわれた…。」
職員の制止を振り切ってミコトは出撃した。おそらく自分の勘に間違いはないとミコトは確信していた。きっとまた告げられている任務の内容とは違う戦場に送られてブルーダは苦戦しているはずだ。

 ミコトが急行した時、既に魔導兵器部隊は撤退し、戦死者の屍だけが残された戦場には魔族の姿はなく、焼け落ちた集落の手前に人垣が出来ていた。
人垣の前に張られていた防御壁の結界がパリンと砕け散るようにして消えると、そこにはブルーダが倒れていた。おそらくブルーダが最後の力を振り絞って張った結界が、彼の魔力切れと共に消滅したのだと思われた。

 人々は口々に魔術師を罵倒し、力尽きて戦闘不能となったブルーダに向かって石を投げつけていた。
「おらの家を返せ!おらの家族を返せ!」
「お前ら魔術師は信用ならん。だから魔導士を寄越してくれと言ったのに!」
「魔導兵器の方がよっぽど使える。ベテラン魔術師でも全然使い物にならなかった。」
「魔術師はみんなバケモノだ。お前なんかさっさと死んじゃえ!」
人垣に割って入ると、人々はミコトにも石を投げつけて来た。
「お前も魔術師か!」
「役立たず!」
「お前らも魔族も、おらたちにとっちゃ同じだ。お前らが来ると集落が戦場になる。お前らはおらたちに災いしか持って来ない。」
「どっかへ行っちまえ!お前ら魔術師なんて見たくもない!」
ミコトは石礫であちこち傷つけられたブルーダを抱き起こしてみたが、ブルーダはアッシェの時より明らかに状態が悪かった。おそらく連れ帰って薬師に見せても、もう手遅れと言われることはわかっていた。

 余りの悔しさに、ミコトは人々に反論する言葉も出なかった。
ミコトは「命の尽きるその瞬間まで人々を護ったブルーダを、自分は救えなかった」と落ち込むと同時に、魔術師が犠牲になることなど何とも思わず、自分たちは護られて当然であり、寧ろ八つ当たりのように魔術師を責める人々に対する怒りが沸々と湧いて来た。こんな奴らのためにあんなに苦しい思いをして試練に耐え、精霊と契約して魔術師になったのかと思うとやりきれなかった。
止まぬ罵詈雑言の嵐も、体を打つ石礫の雨も、今のミコトにとっては土砂降りの雨の中に居るようなものにしか感じられず、ただ、天を仰いで考え続けていた。
(アッシェだけではなく、ブルーダも救えなかった今の自分に出来ることとは何だろう。自分に出来ることを精一杯やることでしか、自分がこの世に生きていて良いと思えない。自分の『存在意義(レゾンデートル)』とは、自分にしか出来ないこととは何だろう。)

 戦死者の魂が光の粒子となって浮遊し始め、いつの間にか僧兵達が現れて鎮魂の祈りを捧げていた。
ミコトとブルーダに向かって暴言と石礫を浴びせ掛けていた人垣は僧兵たちの姿を見るとその場で合掌し、共に祈りを捧げ始めた。

 「わたくしにブルーダへの鎮魂の祈りを捧げさせてはもらえませんか。」
ミコトの背後から神官長ドーマが声をかけた。
「全ての命はこの世界に満ちるリウの流れ・『ほしのいのち』へと還ります。ブルーダの魂も『ほしのいのち』に還り、安らかに眠れるように、祈らせてください。」

 その後、ミコトは魔法師団に帰還することなく、そのまま消息を絶った。

§ 魂神教会と神官長 §

 「神官長様、お薬のお時間でございます。」
公務に勤しんでいたドーマに、召使いが声をかけた。
「ああ、もうそんな時間か。」
ドーマは召使いが恭しく銀の盆の上に乗せて運んできた薬を手にした。それは薬液の入った筒の先端に針が付いた、ちょうど注射器のような形状をしている特殊なアイテムであった。
ドーマは面談中であった来客の軍の上層部の男に向かって愛想良く笑いながら、
「ちょっと失礼致します。何しろ、わたくしは『完全無魔者(ヌル)』なものですから、この薬がなければ、魔導ランプに灯を点すことすらできませんのでね。」
と言った。一般の非魔法使いの人族でも、僅かながら有しているはずの擬魔素を全く持たない特異体質、完全無魔者。この世界ではただ一人、魔族と人族の混血児(ハイブリ)という少数派の中でも、完全無魔者はこのドーマ以外には存在しなかった。一般民衆に生活魔法の恩恵を与えた魔道具も、微量の擬魔素があればこそ使用が可能になるため、魔道具に溢れたこの世界に適応するには、体内に擬魔素を補充するための特殊なアイテムである薬を定期的に摂取しなければ日常生活にさえも支障を来すのである。
ドーマは手慣れた様子で衣服を緩めて腹部を露出させ、針先を突き立てて筒の中の薬液を注入すると、元通りに衣服を直した。空の筒を銀の盆に戻すと、召使いが盆を持って退出した。
「失礼ながら、ご不便なことですな。」
軍部の男は言った。
「そうですね。慣れれば何ということはない、と言いたいところですが、やはり面倒には違いありませんね。」
再び愛想笑いをしたドーマは、胡散臭い笑顔を貼り付けたまま言った。
「で、戦況はどうなっていますか。」
軍部の男は、あちこちで『全滅の危機に陥り魔導兵器部隊が撤退後に派遣された魔術師が戦死』という報告が複数上がってきていることを告げた。
「教会からの情報に基づき、魔法師団と調整して派兵していますが、このところその情報の間違いが多いようです。これはどういうことですかな?」
軍部の男は責めるような口調で訊いた。
「これは、これは、申し訳ございません。情報というものは刻一刻と変化するものですからね。わたくし共の把握した時点での情報が、派兵する段階で違っていたとしても、それは不可抗力というものです。」
ドーマは相変わらず胡散臭い笑顔のまま平然と答えた。
「しかも、魔法師団側は『教会側からの意見も踏まえた上で、軍部の希望に沿って、それぞれの任務を与える魔法使いを決めているが、最近次々と魔法使いだけが被害にあっている』と文句を言っておりますぞ。」
実際は軍部の希望というのはほぼ教会側の意向に忖度して出されているし、魔法師団は軍部と教会の顔色を窺ってほぼ言うなりの状態であり、教会の意見というのは実質的にドーマの私見に基づいて出されていることは、三者それぞれの上層部においては誰もが知る公然の秘密であった。
「そうですか。それは気の毒に。」
ドーマは突然真顔になって、全く感情のこもらない台詞を口にした。ドーマはゆっくりと立ち上がり、軍部の男に背を向けて、窓の外を眺めながら
「そう言えば、行方不明になった魔術師はまだ戻らないのですか?」
と尋ねた。
「ミコト魔術師ですね。ええ、未だ消息不明とのことです。」
軍部の男が答えると、ドーマはまた胡散臭い愛想笑いを浮かべて振り向いて言った。
「そうですか。一体どこへ行ってしまったんでしょうねえ。」
返答に困った軍部の男に、ドーマは
「そういえば、テオ魔導士は相変わらず活躍しているようですね。さすがは始祖の魔女の末裔、魔導の目の持ち主ということでしょうか。」
と話を変えた。
「はい、テオ魔導士と任務で一緒になった兵達は皆口を揃えて絶賛しておりました。兵の中には『もうあの人一人で良いんじゃないか』と言う者まで居たようです。」
軍部の男がそう答えると、下卑た笑顔でドーマは言った。
「そうですか。そうでしょうね。何しろ彼は最強も最強、希少魔導士なんですから。」

 話が終わり、軍部の男が去ると、ドーマはつまらなさそうに舌打ちした。
(ふん、小物の分際で何を偉そうに。)
ドーマは神官長の地位と権力を使い、まるで戦術ゲームの駒を動かすように、陰から軍部と魔法師団を操っていたが、教会も軍部も魔法師団も、皇帝に次ぐ権力者であるドーマには逆らえなかった。僧兵とは名ばかりの暗殺者集団までも抱える魂神教会に逆らうことは、その身に事故や病気を装った殺害の危険を引き寄せることと同義だったからだ。

 飾り物に過ぎない皇帝からその地位を奪い、人族の頂点に立つことがドーマの悲願であった。
ドーマは父は魔族、母は人族の混血児として生まれた。魔族の住処に近い集落の出身であった母が魔族の父と恋に落ちて子を孕んだが、魔族と人族の寿命の違いから反対する母の親族によって仲を裂かれた。それでも母は半ば強引にドーマを生んだが、生まれたドーマは外見が魔族そのものの青い髪、白い肌、蛇眼のように縦長の瞳孔を持つ赤い瞳であったために、母子は家族からも疎まれ、集落の民からも迫害を受けて、母は幼いドーマを遺して亡くなってしまった。孤児となったドーマを救ったのが魂神教会であった。それは見た目に反してドーマは他に例を見ない完全無魔者であったために、「半分は人の血を引く孤児でもあり、魔導の恩恵を受けることもままならぬ不遇なドーマを放置することは、教会の立場として許されることではない」という意見があったからだった。
ドーマは長じて神官となり、それは単に体面を気にする教会の建前に過ぎないことも、「いざとなれば魔族の血を引く者を子飼いにしておくことで何某かの役に立つやも知れぬ」という打算に過ぎないことも知ったが、自分もまた逆に教会を利用すれば良いのだと考えた。

 ドーマはまた、完全無魔者である自分は人族としても異端の存在ではあるが、外見以外は何一つ魔族である要素を受け継いでいないにもかかわらず、母と共に人族からの迫害にあったことで、魔族を逆恨みしていた。
実際、鏡さえ見なければ(実際神官長となってからは教会内に鏡を置くことを禁じたほどで)、自らを人族であると信じていたし、神官として教会で研鑽を積んで認められ、ついには神官長まで上り詰めて、いつかは皇帝になろうという野望さえも抱いていた。
人族から妻を娶り、家庭を築くことで人族と認められるなら、皇帝の一人娘を妻にすれば良い。そして授かった子供もまた人族と結ばれて子を授かり、代を重ねる毎に魔族の血が薄まれば、もう誰からも後ろ指をさされることはなくなる。混血児である自分が皇帝の座につき、人族の頂点に立てば、亡くなった母も草葉の陰で喜んでくれるだろう。ドーマは心中に渦巻く野望を巧みに隠して、民衆の前では信仰心の篤い神官長を演じて、民衆を欺いていたのだった。

 魔法学院で最強の二人と言われたテオとミコトが研修生として魔法師団に配属された直後に、神官長ドーマと皇帝の一人娘である皇女・ガイゼルとの婚約発表があった。まだ女学生であるガイゼルとドーマとではかなりの年齢差もあり、皇帝に次ぐ権力を持つと言われる神官長と皇女との婚姻が政略結婚であることは誰の目にも明らかだった。

(第2部おわり 第3部につづく)
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Thanatos 1

2022-04-29 18:06:32 | 小説

§ プロローグ §

 世界の黎明期、初めて『無』の中から『有』が生まれ出でし時に、この世界に存在したものは『混沌(カオス)』のみであった。
混沌の中から『光』が生まれ、その対極としての『闇』が生まれた。
 混沌は万物の母となり、世界は『リウ』と呼ばれる生命のエネルギーによって満たされ、それらは全ての生きとし生けるものの源となり、火・水・風・土などの『属性元素(エレメント)』もまたリウから生み出され、それぞれを司る『精霊(ガイスト)』たちが出現した。

 リウの集合体が命となり、個としての生命体を構成し、その生命体が死ぬとその魂は分解されて再びリウへと還るこの世界で、動植物を含む全ての自然の頂点に立つものとして最初に生まれたのが、『魔族(ヴィンケル)』であり、彼らは体内にリウが凝縮された『核(ケル)』を持ち、自然界に浮遊するリウの一種『魔素(マーレ)』を体内に吸収・保有することで、精霊と同じく『魔法(マギカ)』を使うことが出来た。

 気の遠くなるような長い長い時間が流れ、動物の中から知能の発達した種族『人族(ユマ)』が誕生した。
人族は魔族でいう核の代わりに心と魂を持っており、魔素の代わりに『擬魔素(メーレ)』を保有していた。
擬魔素もまたリウの変化したものの一種ではあったが、それによって魔法を使うことはできなかった。
 人族もまた通常は個体としての死を迎えるとリウに還るが、この世に強い怒りや憎しみ、恨み、無念など強い負の感情を残した場合はリウが濁り、変性した負のリウの集合体が『魔物(モンスター)』として転生し、魔物は理性と自我を失い、ただ本能のままに人族に危害を加える敵となった。
 最初にこの世界に存在していたのは、正しく美しい気を帯びた正のリウのみであったが、人族の誕生と共に、正のリウが濁ることで、悪しく醜い負の気を帯びた負のリウもまた生み出されたのである。

 精霊と共に自然の中で暮らす魔族とは互いに干渉することなく、人族はその数を増やし、各地に集落を作り、様々な職種(ジョブ)に分かれて互いに協力し、次第にその範囲を拡大して国家を作り上げ、繁栄した。
 一部の特異的に『魔法適性(マアイク)』の才能に恵まれた者が精霊との契約により魔法を使える『魔術師(ツァオベラー)』となったのはあくまでも例外であり、一般的な人族は魔法が使えない代わりに、長い年月をかけて科学技術を発展させ、魔素の結晶である『魔石(マビンデ)』から精製した『宝珠(ライストン)』を利用して、個体の擬魔素の保有量、即ち『魔力量(マフーエ)』に恵まれた者が疑似的に魔法を使える『魔導士(マーギア)』となる研究を進め、併せて『魔導(メヴァク)』の力と機械文明の発達により、誰もが『疑似魔法(メギカ)』の恩恵に与ることの出来る『魔道具(メヴァクツォイ)』や、その応用からの『魔導兵器(メヴァッフェン)』を開発することとなった。
 
 しかし、皮肉なことに増え過ぎた人族は開発という名の下に自然界を侵食し、魔族の生活を脅かすことで、魔族もまた人族と敵対した。魔族や、人に非ざるものとなってしまった魔物との戦いには、通常の対人戦闘(バトル)とは違い、魔法(疑似魔法)で対抗できる魔術師や魔導士という職種(総称して『魔法使い(マグス)』)が必要とされ、『魔法学院(マギイ・アカデミア)』が設立されて、国を挙げて才能ある若者の育成に力が注がれた。選ばれた存在である魔法学院生たちは『研修生(インターン)』として実戦を経験しながら学び、その力と技を磨いた。

§ 古代魔法と東の魔女 §

 まだ人族が誰も魔法を使えなかった古き時代に、東方で「古代魔法始祖の魔女」が誕生した。その魔女の名は「アカツキ」。後に西方で誕生した「後世(近代)魔法始祖の魔女」との区別から、アカツキは『東の魔女』と呼ばれた。

 アカツキは東方の集落で生まれた少女の一人で、ごく普通の両親から、突然変異的に、魔法適性に特に優れ、他の人族よりも魔力量に恵まれた特異体質を持って生まれた以外は、何も他の少女たちと差異のない、豊かな黒髪に切れ長の目、黒い瞳の小柄な少女だった。決して醜くはなかったが、周囲の目を引くほどの美貌を持って生まれたという訳でもない。同年代の少女の中では寧ろ地味で目立たない方ですらあった。

 ある時、食用になる植物を求めて手に籠を携えたアカツキが、夢中になって採取しているうちに道に迷い、魔物を恐れて彷徨ううちに一体の高等な魔族と出会った。低級な魔族は知能や理性に乏しく、魔物と大差ない異形の姿であったりもしたが、高等な魔族となると、青い髪、白い肌や瞳孔が縦に細長い蛇眼のような赤い瞳といった如何にも魔族らしい外見以外は人族に近い姿をしており、意思の疎通も可能な程の知性と理性を有していた。
 魔族の寿命は人間よりも遥かに長いため、見た目で年齢を判断することはできないが、人族でいうなら青年のような外見の魔族はアカツキの魔法適性と魔力量を察知し、彼女に語り掛け、その言葉は脳内で人族の言葉に変換して認識された。
「恐れル ことハ なイ。我ト 共ニ 来るガ 良イ。」
アカツキはその言葉には悪意が感じられないため、無言で頷いて彼に付き従った。

 導かれるまま辿り着いた先に現れたのは、薄紫色で薄っすらと透けて見える、女神のような姿の精霊だった。それが精霊界でも頂点に位する、聖属性を司る精霊の女王ハイリヒであることなど、ただの人族の少女であるアカツキには知る由もない。
ハイリヒは微笑んでアカツキに手招きしながら声を掛けた。
「待っていましたよ。こちらにおいでなさい。」
その声は優しく温かく、慈愛に満ちた響きだった。
「わたくしはあなたが生まれる前からずっとここであなたを待っていました。」
アカツキは初めて聞いたはずのその声に何故か聞き覚えがある気がして、どこか懐かしさに似た感情すら覚えた。
「あなたは選ばれし者。魔女となり、同族を導くために、わたくしが人族に授けた者です。あなたはこれから同族を導くために試練を受けてわたくしと契約するのです。そうすればあなたには魔物から同族を守り救う魔法を得られます。しかし、試練は決して楽なものではありません。それに耐えられれば、あなたは人族に福音をもたらす救世主となります。」

 アカツキは突拍子もない話に驚いて尋ねた。
「何故わたしなのですか?わたしは何をすれば良いのですか?」
ハイリヒは穏やかに、しかし力強い声で話し始めた。
「あなたも知っているでしょう。かつて世界は精霊と魔族のものでした。人族が生まれ、その数が増えても、長い間互いに干渉することなく、共存してきました。しかし、いつしか命を失った人族から魔物が生まれてしまいました。それぞれが独自の理に従って生きる精霊や魔族からは決して魔物は生まれません。人族のみがこの世に残す後悔や無念等の負の感情によって魔物を産むのです。魔物は魂と心を失い、かつて自身が人族であった記憶を失い、理性も知性も失って、本能のままに獣のように人族を襲います。ただ、魔物は魔素を使用して魔法を発動することが出来ますが、擬魔素しか持たない人族にはそれがかないません。例え魔力量があっても擬魔素を変換して魔法として使うための『術式回路(シャルトクライス)』を持たないためです。人族が魔法を使うために必要な術式回路を得るためには、わたくしたち精霊と契約して術式回路を取得する必要があります。」
アカツキは利発で聡明な少女だったので、ハイリヒの話は理解できた。もし人族が魔法を使えたら、魔物を恐れる必要はなくなるかもしれない。だが、さっきハイリヒは契約には試練が必要だと言ったことにふと気づいた。
「試練、と仰いましたよね。それはどんなものなのですか。」
ハイリヒは、真顔で答えた。
「これからわたくしが召喚する聖獣(ヴェヒタ)と戦って調伏することです。」
アカツキは一瞬ハイリヒの言葉が理解できず、思考が凍り付いたように停止した。
「といっても、今のあなたはまだただの少女です。あなたが一人で聖獣と戦うことなどできるはずはありません。あなたの魔法適性と魔力量を使い、あなたを案内して来た魔族アルマの術式回路を利用して戦うのです。あなたが聖獣を倒せば、あなたはわたくしと契約してその体にわたくしの分身を宿し、正式に術式回路を得ることが出来て、わたくしの聖獣を使役することも可能になります。」
正直なところ、(そんな無茶な)とアカツキは思ったが、真剣なハイリヒの眼差しを見る限り、拒否するという選択肢はないだろうと意を決した。
「わかりました。具体的にどうすればいいのですか。」
ハイリヒは表情を緩めて言った。
「心配は要りません。あなたはあなたの思うままに指示するだけでいいのです。アルマがあなたに合わせて動きます。」
そういうとハイリヒは真っ直ぐ頭上に右腕を伸ばし、召喚の呪文を詠唱した。その声に呼応するように、上空から薄紫色の龍の化身のような聖獣がゆっくりと降臨した。
アカツキはどうやってこの聖獣と戦えば良いのか、わからないなりに距離を取って様子を伺った。
聖獣が口を開き、その中で光球がぐるぐる回転しながら次第に大きくなって行った。
「来ル!」
アルマが叫ぶと、アカツキは
「防御して!」
と命じた。
光球が一筋の光となってこちらに向かって来る直前に六角形を連ねた蜂の巣模様の浮かび上がる透明な壁がそそりたち、光線がぶつかると粉々に壁は砕け散ったが、その防御壁のおかげで身を守ることができた。
アカツキが
「攻撃して!」
と命じると、アルマの短い呪文詠唱と共に雷が聖獣を直撃し、聖獣は悲鳴のような鳴き声を上げた。
アカツキの指示に従い、アルマの魔法で頭上から滝のように降り注ぐ大量の水を浴びせ掛け、そこに再び雷を打つと、聖獣の鱗は帯電してビリビリと音を上げ、火花を散らして、聖獣は感電状態になり、麻痺したように動きが止まった。
そこに高火力の炎を向けると、断末魔のような叫び声をあげて聖獣の姿は小さな光の粒子に分解して空中に飛散した。それは聖獣の姿をしていたものが、リウに還ったことを示していた。

 「初戦にしては見事でした。」
聖獣との戦闘中はその姿を消していたハイリヒが、再び現れて言った。
「やはりあなたは魔女の器に相応しい逸材です。試練は成功しました。ですが、本当に辛いのはこの後の契約の方かもしれません。あなたが、人族の身で精霊との契約に耐えられるか。もし耐えられない場合は、あなたは命を失うかもしれない。それでもあなたは魔女となる覚悟が出来ますか。」
アカツキはこれから自分の身にどんなことが起こるのかと少し不安になったが、
(何が起ころうと、今更もう後へは引けない。)
そんな思いでギリギリ自我を保っていた。
「契約というのはどのようなことが行われるのですか。」
アカツキは少し震えてはいたが、しっかりとした声で尋ねた。
「あなたの体にわたくしの分身が『霊珠(ジュヴィル)』となって埋め込まれ、同時にあなたの肉体にわたくしの魔法を複製した術式回路が刻み込まれます。気を失うことすら叶わぬほどの激しい苦痛に耐え抜くことが出来たなら、あなたは疑似的に魔族に近い存在である魔女となることが出来ますが、耐えきれない場合は命を落とすかもしれません。」
ハイリヒは冷徹な表情と言葉でアカツキに答えた。
「わかりました。」
アカツキは覚悟を決めた。今の聖獣との戦闘は借り物のアルマの魔法にしか過ぎない。本来人族が使えないはずの精霊の力と魔法を身に宿すためには、生半可な覚悟ではできないと理解はしていた。ただ、感情がまだそれに追いついていない。何故自分だったのかと考えたところで結局答えがわからないなら、迷わず運命に身を任せるしかない。

 ハイリヒはアカツキの額に左掌で触れ、右掌の上に浮かび上がった半透明の紫色の球体を乗せたまま、ふんわりと円を描くように右手首を半回転させて左手背に重ね、ぐっと両掌に力を込めてアカツキの額に押し付けた。まるで電気を帯びた固い球体が、皮膚を破り、肉に食い込み、骨を砕いて、ビリビリと帯電したまま体内に侵入して来るような感覚で、アカツキがあまりの苦痛に気が遠くなりかけた時、球体はようやくアカツキの額に吸い込まれて跡形もなく消えた。ほっとしたのも束の間、次の瞬間アカツキは胸に熱感を伴う痛みをを感じた。まるで真っ赤に焼かれた鋭い針で皮膚をひっかっかれているような感覚。見えない針が胸に緋文字を刻み付け、血が滲んだような文様が浮かび上がる。胸の灼熱感と疼痛にまたしても気を失いそうになったが、何とか耐え切ると、文様は痛みと共に跡形もなくすうっと消えて行った。
「これで契約は完了しました。あなたはあなたの望む時に、自然に心に浮かぶ呪文を詠唱することで、胸部に刻まれた術式回路の魔法とわたくしの持つ知識を使用し、聖獣を召喚して使役する準備が出来たのです。後は魔法の精度と威力を制御できるよう修行と鍛錬を重ねれば、自在に使いこなすことが出来るでしょう。」
アカツキは自分が自分でないような不思議な感覚に戸惑いながら、ハイリヒに尋ねた。
「何故、人族のわたしが魔法を使えるようにして下さったのですか。」
ハイリヒは再び表情を硬くして答えた。
「魔物は人族からしか生まれぬ存在。人族が生み出した魔物ならば、人族が自らその責任を負うべきだとは思いませんか。」
その後ふっと表情を緩めたハイリヒはアカツキに言った。
「精霊はわたくしだけではありません。この世界のあちこちに精霊は宿っています。もしもあなたが他の精霊の力をも必要とするならば、わたくしと同様に精霊たちの試練を受けて契約を交わすことです。」

 その後アカツキは始祖の魔女として魔法と聖獣を使って魔物と戦い、次々と各地を旅して修行と鍛錬を重ね、試練を経て他の精霊たちとも契約を交わし、また、精霊たちから得た「自然界の魔素から薬等を調合する知識」を使用して、敵を攻撃するための毒や状態異常を惹起する薬の他、解毒薬や回復薬など、攻防のどちらにも使用可能で、日常の生活でも役立つ薬を調合・生成する知識や技術に特化した『薬師(ファルマ)』を育てた。

 東の魔女と呼ばれたアカツキの会得した魔法は、魔法適性の才能に恵まれた若者たちに受け継がれ、後世の魔導による疑似魔法との区別から『古代魔法』と呼ばれ、古代魔法の使い手を『魔術師』と呼称するようになった。

§ 近代魔法と西の魔女 §

 東方で魔術師と薬師が誕生し、古式魔法が栄えてからも、更に時は流れた。
「人族でも魔法が使える方法」を得た東方とは逆に、西方では「魔法に頼らず魔物を倒す方法」を模索し続ける中で、機械文明や科学技術が飛躍的に発達し、強力な武器が次々と開発されると共に、人族の職種の一つとして体を鍛え技を磨いて戦闘に特化した『戦士(ソルダ)』が誕生したが、強力な武器を開発してもなお、魔法が使えないことで、随所で不利な展開になることは否めなかった。

 ある時西方の集落で生まれた一人の少女グリュンデルが、「天の啓示」を受けて単身で向かった先で、太古の精霊の力が凝縮した巨大な『魔導石(クエレ)』を発見した。グリュンデルは後に「自らに啓示を与えたのはその魔導石自身であり、その導きにより魔導の力に目覚めた」と同胞に告げた。
 グリュンデルは、「太古の精霊の力が結集した魔導石の研究を進め、魔素の結晶である魔石を利用して宝珠を作り、人族が宝珠を身に付けたり、持ち物に装着したりすることで、人族が体内に保有する擬魔素を利用して疑似魔法を使用できる」という魔導の力を説き、魔導の力で魔道具や魔導兵器が生まれた。
 グリュンデルは一定以上の魔法適性を持ち、豊富な魔力量に恵まれた者が宝珠を身に着けることで、古式魔法の魔術師のように疑似魔法を使える魔導士を育成し、或いは宝珠を装備した魔導兵器を使うことで魔法適性や魔力量の少ない『非魔法使い(マギーナ)』の一般戦士でも疑似魔法の効果を帯びた攻撃が可能となり、また一方で、魔道具は、非魔法使いの一般人にも、調理のための火魔法、飲料水等の清潔な水を得るための水魔法、夜の暗闇に灯りを点す光魔法等の生活魔法という疑似魔法の恩恵をもたらし、更なる繁栄の一助となった。
 魔導の力による疑似魔法は古式魔法に対して『後世魔法』或いは『近代魔法』と呼ばれ、グリュンデルがもたらした魔導兵器を携えた魔導戦士は、一時的に西方の魔物を駆逐することにさえ成功した。
 魔導石は魔導の力の源とされ、グリュンデル以降も魔導士たちによって守られ、魔導石の下に帝都が誕生した。
グリュンデルは近代魔法の始祖の魔女として、東方の伝説の魔女アカツキと双璧を生すという意味で『西の魔女』と呼ばれることとなった。
 また、一時的ではあるが魔導兵器を以て戦う『魔導戦士(メヴァクソルダ)』たちが魔物を駆逐することに成功したことで、人族は人族固有の力の可能性を信じた。
一方で亡くなった人がこの世に負の感情を遺して魔物になることを防ぐため、弔いの際には正しくこの世界の源であるリウの流れ・『ほしのいのち(ウテル)』に還るように鎮魂の祈りを捧げることにした。全ての生命が還る場所であり、過去と現在と未来を繋ぐ魂たちの住む世界でもある、この世界を満たす『ほしのいのち』の中に眠る先祖や子孫の魂たちによって、死者の魂が迷わぬよう導かれることを祈り、それらの魂たちを総称して『神(ゴト)』と名付け崇めた。そしてその神の僕として鎮魂の祈りを捧げることに特化した職種が生まれた。

§ 覇権と対立 §

 魔導の力を手にした驕れる人族は、負の感情を遺して亡くなった同胞から生まれる魔物を退治する力・疑似魔法により、魔物同様に魔法を使用する魔族にさえも対抗し得る実力があると過信した。
 また、人族の繫栄とは裏腹に自然は破壊され、資源は食い潰されて行った。魔族はそんな人族をこの世界を破滅させ、滅亡に導くものとして敵視し、古来から互いに不干渉を貫いて来た両族はついに世界の覇権を争うようになった。

 長引く魔族との戦いの中で命を落とす人族が増えると、それに伴って魔物も増え、理性を失い本能のままに人族を襲う魔物による被害が増え、更に新たな魔物を生むようになると、魔導兵器と戦士だけでは到底対抗しきれず、もっと強力な戦力として魔法使いを増やし戦わせる必要が生じたため、帝都に魔法学院が作られ、魔術師・魔導士の適性を持つ青少年が集められ、次世代の魔法使いが育成されることとなった。

 一方で、『神』を崇める者たちは『魂神教会(リウ・レリジオ)』を作り、『神官(プリスタ)』たちは神の加護を祈ることで、不穏な世の中に心の拠り所を求める民の声に応えようとしていた。
 その若き『神官長(エルプリスタ)』ドーマは、人族の母と魔族の父から生まれた『混血児(ハイブリ)』であった。
魔族とはいえ高等ならば知性や感情も持ち合わせた者も居り、中には人族と結ばれる者も居なくはなかったが、魔族と人族が対立するようになると、敵である魔族の血を引くということで誹謗中傷に曝されたドーマは、人族ですらも珍しい、魔法適性も魔力量も全く持たない者、即ち『完全無魔者(ヌル)』であったために、青い髪、白い肌や蛇眼のような赤い瞳といった如何にも魔族らしい外見以外は一般の人族と何ら変わりはなく、寧ろ一般の非魔法使いでも可能な生活魔法の恩恵すら受けることが出来なかったため、
「魔族のような外見だとしても、全く魔力を有しない自分は、明らかに魔族ではなく、れっきとした人族であることは紛れもない事実であり、それ故、神官長として全身全霊で神に仕え、人族のために祈る。」
と常々公言していた。

§ 魔法学院 §

 「ようこそ魔法学院へ。わたしは基礎魔法学担当指導教官のフューラです。」
衣服も靴も黒ずくめの小柄な中年の女教師は新入生たちに向かって教壇からそう声をかけた。

 事務的にオリエンテーションの説明を進める教壇のフューラの話が退屈なのか、振り向くとふわりと揺れる柔らかな黄金(きん)色に輝く髪と鮮やかな碧(あお)色の大きな瞳を持つ男子学院生が隣の席の男子学院生に小声で話しかけた。
「俺はテオ。M組(クラスM)。お前は?」
少し困ったように切れ長の目を更に細めて苦笑しながら、艶やかな長い黒髪の男子学院生は答えた。
「私はミコト。Z組(クラスZ)だよ。」
そして後ろの席の女子学院生の方を示して、
「彼女は同郷のイツキ。F組(クラスF)だよね?」
とミコトが紹介すると、
「ええ、そうよ。」
と答えたイツキには余り興味を示さなかったのか、テオは一瞬視線だけをちらりとイツキに向けて
「ふうん。F組なんてあったんだ。」
と鼻で笑った。

 魔法学院に入学して来た若者たちの中に、一際目を引く、端正な顔立ちの、さらさらと流れる柔らかな黄金色の髪と、透き通った湖のように大きくて鮮やかな碧色の瞳の男子学院生・テオが居た。身長が高くすらりと細身ではあるが、しっかりと筋肉がついているのは全身黒色の魔法学院の制服の上からでもわかる。帝都ヴェステンシュタットの高級貴族(アリストロ)の中でも名門中の名門、始祖の魔女グリュンデルの末裔とされる家系の御曹司・テオは魔法適性に優れるばかりではなく、人並外れた莫大な魔力量を誇り、幼少時からその才能を認められ、傲慢不遜な態度で人を不快にさせることも稀ではなく、敢えて相手を煽るような言動のためか、それとも、天才だ神童だと言われる圧倒的な実力のせいか、友人と呼べるような者は殆ど居ないと言ってもよかった。
 
 そのテオの隣のこれも長身の男子学院生は、真っ直ぐで艶やかな漆黒の長髪と切れ長の目に深い黒色の瞳を持つ、穏やかで物静かながら、どこか気圧されるような独特の存在感を放っていた。その青年ミコトは、東方オステンドルフの一般家庭出身で、両親始め身内全員が非魔法使いだが、彼だけは抜群の魔法適性を持ち、修行中にオステンドルフを訪れた先輩魔術師ブルーダによって見出され魔法学院へと勧誘されたのであった。

 そして、ミコトの後の席の女子学院生は、ミコトと同郷の薬師の末裔、イツキ。魔導全盛の現代では「薬師は時代の遺物」と、薬師の一族内ですら、廃れ行くことに抗いもしなくなり、「寧ろ一族から薬師を絶滅させるべきだ」という考えの者さえいる中で、「魔法学院にはまだ薬師課程が存在するから」と半ば強引に親族を説き伏せて、殆ど言葉を交わしたこともなかった同郷のミコトと共に帝都・魔法学院へとやって来たのである。

 「皆さんは数ある職種の中から自ら選び、若しくは他者によって選ばれて、魔法使いとなるべくこの学院に来たことでしょう。それは皆さんが、魔法適性が高いか、魔力量が多いか、或いはその両方を併せ持つという特異な才能を認められたということに他なりません。魔法使いには魔導士と魔術師の二種類があり、M組は魔導士、Z組は魔術師を育成する課程となります。また、少数ではありますが、魔法使いを陰から支えるべく、薬師を目指すF組もあります。この基礎魔法学の講座では全ての組に共通な、魔法の歴史や魔法の種類、魔法習得の方法などの基礎を学び、基礎魔法学の過程を終了後、それぞれの組に分かれて専門課程へと進み、全過程終了後に研修生として実戦に参加することになりますが、専門課程では主に非常に厳しい実地訓練になるため殆どの学院生が脱落し、研修生を経て実際に正式な魔法使いとして活躍できるのはほんの一部です。それを肝に銘じて精進してください。」
フューラは厳しい表情で語った。

 新入生たちも魔法使いが命懸けの仕事だと漠然とは知っていたが、その実際の過酷さを想像し得るには、その時はまだ彼らはあまりに未熟だった。
 「まず、最初に魔法とは何か、についてお話しましょう。そのためにはこの世界の歴史も知る必要があります。」
フューラは講義を始めた。

  「太古のこの世界には、精霊と魔族は存在していましたが、我々人族はまだ存在していませんでした。
精霊は世界に満ちている生命エネルギー・リウを取り込み、魔力の源である魔素を体内で魔力に変換し、所有する術式回路に乗せて魔法に変換することができ、魔族も精霊同様に自然界に存在するリウから魔素を吸収し魔力として消費することにより、各自の術式回路を通して魔法を使うことができました。後から生まれた人族は体内に魔素に似た擬魔素を持っていましたが、その量も力も魔素とは比べ物にならないくらい小さく弱いものでした。そして何よりも魔法を使うのには術式回路が必要で、生まれつき術式回路を持っている魔族とは違い、仮に魔力量があったとしても人族が魔法を使うことはできませんでした。また、魔法を使うためには魔法適性が必要であり、これは持って生まれた体質のようなものなので、元々人族には魔法適性に優れた者は殆どいませんでした。
 また、魔法適性がある場合も、基本的には世界を構成する属性元素のどれに相性が良いかによって使える魔法も特定されます。一般的には精霊が司る火・水・雷・風・地属性のどれかに特化されますが、複数属性に適応可能な者も存在しますし、稀には準精霊が司る木(植物)・氷属性も使える者も居ます。
  魔法の使えない人族は魔法の使える精霊や魔族に怯えながらも、その数を増やし、体を鍛え、技を磨いて、亡者が遺した負のリウから生み出された魔物と戦って同胞を守り、栄えて来たのです。魔物と戦う方法の一つとして生まれたのが古代魔法と呼ばれるもので、人族の中でも比較的魔法適性に恵まれた者が、精霊と契約して魔法を使えるようになり、魔術師が誕生しました。精霊の持つ魔素を使うため、自らの擬魔素は乏しくとも、強大な魔法を使用することが可能になりました。
 そしてその後に現れた始祖の魔女グリュンデルによって、魔導石の加護の下に魔導の研究が始まり、魔道具を利用した生活魔法がもたらされ、魔素の結晶である魔石から宝珠を作り、それを身につけることで近代魔法(疑似魔法)が使える魔導士が誕生したのです。
 魔導士が疑似魔法を使うためには自らの擬魔素を消費するため、魔力量が大きくないと効果が大きくならず、持続もできないことになりますが、近年では魔導エネルギー研究の成果により、術者の魔力量に関わらず使用可能な魔導兵器が開発され、大きな成果を残しています。
 更に、擬魔素が尽きてしまわないよう、或いは敵の魔法により引き起こされる状態異常からの回復などのため、自然界のリウから魔素などを抽出し、回復・治療薬などのアイテムを精製、調合して魔法使いを支援する役割も、かつては薬師だけが担って来ましたが、近年では魔導の力により薬師以外の者でも代行できるようになりつつあります。
 魔法歴史学概論前半の講義はこれで終了です。休憩の後は『始祖の魔女グリュンデルと帝都ヴェステンシュタットについて』から後半の講義を行います。」

 「俺は魔導士になり、お前は魔術師になるってことだよな?」
テオはミコトに話しかけた。
「そうだね。私は魔法適性に優れていて、君は保持する魔力量が大きいってことだろう。」
ミコトが微笑みながらそう答えると、
「俺は魔法適性も魔力量も、とんでもなくもの凄いんだ。何でも始祖の魔女の末裔でめちゃくちゃ血統が良いらしいよ。」
テオは得意そうに言った。
「そうなんだ。素晴らしいね。両方とも優れていることは滅多にないらしいから、君は本当に特別なんだね。」
ミコトは穏やかに答えた。
口には出さなかったが、ミコトは内心で
(テオには失礼だけど、一見生意気そうな態度とは裏腹に、きっと彼の本質は子犬のようにとても素直で可愛らしいんだろう。才能や実力があるのは本当だろうから、見栄や虚勢を張っているのでもなかろうが、態と悪ぶって見せるのは多分無意識に他人から自分を護るための彼なりの処世術のようなものなのかも知れない。或いは彼の本質は純粋無垢な幼児のように、悪気なくある種の残酷さを秘めているのかも知れない。)
と思っていた。
 テオも、自分と年齢は変わらないはずなのに、大人びて落ち着いた雰囲気のミコトが気に入っていた。幼い頃から周りの者は皆、あらゆるものを持っているテオを恐れ、羨み、或いは強い反感を持ち、対等に率直にものが言える相手が居なかったからだ。
(初対面で俺が出自を自慢しても「偉そうにしている」とあからさまに嫌そうな顔をしなかった奴は今まで一人も居なかった。外面を良さげに取り繕っているんじゃなく、素で俺に接してくれている。俺にはわかる。ミコトは真面目で率直で優しい、信用に足る奴だ。絶対に俺を裏切ったりしない。)
とテオは直感的に感じ取った。そしてそう感じる自分の直感は絶対に間違っていないと確信していた。

  「休憩終了です。皆さん席について。…では、後半は始祖の魔女グリュンデルについての講義から始めます。」
フューラが講義を始めた。
 
 「人族の中に突然変異的に魔法適性と魔力量の両方に優れた少女グリュンデルが生まれましたが、当時は他にそのような者が居なかったために、人々は『呪われた子供』、『悪魔の子』などと彼女を怖れて迫害し、グリュンデルを魔族の住む森の方へと追いやったのです。その途中でグリュンデルは天啓に導かれ、魔導石へと行き着きました。魔導石とは太古の精霊たちの力が結晶化したもので莫大な魔力の塊でした。魔導石と意識を共有したグリュンデルは『始祖の魔女』となり、『魔導石の守り人』として、この地で魔導の力によって魔素の結晶である魔石から宝珠を生み出し、魔道具によって人々の生活に魔法を取り入れ、魔導士を育成しました。更に魔導兵器を使い、戦士たちと協力して魔物を撃退し、魔導石を祀るこの地を帝都ヴェステンシュタットと名付けました。

 帝都を中心に、魔導兵器の完成以前に命を捧げた、魔法の力を持たない非魔法使いの、人族出身の名もなき戦士たちが、死後に魔物へと転生することのないよう鎮魂の祈りを捧げたことから、職種としての『神官』たちが生まれ、全ての生命の還るリウの流れ・『ほしのいのち』へと正しく死者の魂を導くと共に、『リウの賜物』として先祖や子孫の魂、即ち『神』による加護を求める民衆に支えられて『魂神教会』は発展し、その頂点である『神官長』は、今や『皇帝(カイザル)』とほぼ同等の権力を持つと言っても過言ではありません。神は人々の心の拠り所であり、『我ら人民は、魔法が使えなくとも、神の加護により守られている』という教会の教えが民を支えているのです。

 一方、東方の古都オステンドルフには古代魔法の始祖の魔女アカツキの伝説が残されており、彼女は精霊の導きにより最初の魔術師として精霊の魔法を人の身に宿し、式神として聖獣を召喚し、使役する術を得ました。時代を超えて二人の始祖の魔女は対比され、それぞれグリュンデルは「西の魔女」、アカツキは「東の魔女」と称されています。

 主に東方では、お伽噺としてアカツキの伝説が伝えられていますが、実は一般に知られている伝説には続きがあり、その内容を知れば人心を惑わし、世の混乱を招く可能性があるため、魔法使い以外には決して知られないよう完全に秘匿されています。
 その秘密とは、『究極大魔法(アルテマギカ)』と呼ばれる存在でした。
古代魔法とはある意味で等価交換の原則に従い、何かを得ることは何かを失うことであり、得るものが大きければ大きいほど、失うものもまた大きくなるということです。即ち、究極大魔法の効果や代償については、言及することすら恐ろしい、と古典魔法学の文献にも詳細は記されておりません。究極大魔法が発動された時、その効果は如何なるものであるのか、発動させた術者の身に何が起きるのかは未知の領域です。究極大魔法を取得するには、それに見合うだけの器が必要であり、アカツキ以来誰もその領域に達していないため、究極大魔法については未だ何一つ明らかになっていません。皆さんは魔法学院生として講義を受けていますが、もし途中で魔法使いになることを断念して学院を去ることになっても決して他言しないように、退学時には究極大魔法についての記憶を消去します。これについては入学時に配布した書類にも『退学時には一部の記憶の消去を義務付ける』と明記されておりますし、入学時に提出して頂いた誓約書にも『一部の記憶の消去に同意し、異議を申し立てない』と明言されています。」

 フューラは一呼吸置いて更に続けた。
「魔法歴史学概論については以上です。質問があれば挙手してください。質疑応答の後は『基礎魔法学各論』の講義になります。」

 「講義が思ったより早く終わってやれやれ、と思ったら、まだ続くのかよぉ。」
テオは両腕を机の上に伸ばしてその間に顔を埋めるように机に突っ伏しながら言った。
「これからが本番、の序章、くらいかな?」
ミコトが笑いながら言った。
「マジでぇ?退屈だなぁ。早く模擬戦とかやりたいよ。」
テオは顔だけを上げて言った。
「君は魔導士の家系だから講義を聴かなくても知ってるだろうけど、私たち一般家庭出身者はまだ自分たちがどんなものになるのかすら詳しくは知らないからね。」
ミコトがそう言うと、テオは驚いた。
「え?お前、魔術師の家系じゃないの?」
ミコトは苦笑して答えた。
「私はただの大工の息子だよ。イツキは薬師の家系の末裔だけどね。」
「だとしたら、お前凄い才能じゃん。」
退屈したテオの雑談に付き合いながらも、質疑応答の間ミコトはきちんとノートにメモを取っていた。

 「では、引き続き基礎魔法学各論の講義を始めます。皆さんの中には既にある程度の知識や技術を持っている者も、殆ど何も知らない者もいるかと思いますが、重要な内容ばかりですので、他の組の学生対象の内容であっても、相互理解のために興味を失うことなく、しっかりと聴いてください。」
ミコトが意味ありげにちらりとテオを見ると、テオは黙って舌を出して見せた。
ミコトには、エリート魔導士家系のテオならきっと既知の内容や自分に関係や興味のない部分の講義は真面目に聴かないだろうし、実際それは図星であろうこともわかっていた。

 「まず、全体数も学院の地であるこの帝都の出身者も多い魔導士についてですが、歴史学の講義でも触れた通り、魔導士となれる者は、基本的に一定以上の魔法適性を有し、尚且つ魔力量が常人よりも多いことが最低限の条件となります。
魔導士は魔石から精製された宝珠を武器、防具、装飾品(アクセサリ)として身に着けて、自身の擬魔素を流し込むことで宝珠に内包された術式回路を使用し、疑似魔法を使用することが可能になります。
 更に頻回に使用することで宝珠の術式回路が拡張・進化し、更に強力な上位魔法も使用可能となります。また、術者の魔力量によっては、宝珠を最大限に成長・進化させれば、その術式が武器や防具、装飾品に刻み込まれることで、宝珠を外しても疑似魔法を使用することが可能になる場合があります。
 宝珠によって内包する術式回路は異なるため、宝珠の付け替えにより使用可能な疑似魔法を変更することや、複数の宝珠を装備すれば複数属性の魔法の使用は可能になりますが、宝珠の数量や術式回路の成長段階により、消費される擬魔素の量は変化しますので、より多くの種類、より長い持続時間、より効果の強力な疑似魔法を使用すれば、擬魔素の消費も激しくなり、枯渇した場合疑似魔法の使用は出来なくなります。
その場合は宝珠を装備した武器は通常の物理的な攻撃でしか使用できなくなることもあり、通常の物理的な攻撃との併用による魔力量温存を図る目的もあって、疑似魔法以外に剣術や格闘術等の体術の技量も必要となります。
詳しくは専門課程に入ってから、研修生として実地訓練に向かう前に実技指導や模擬戦闘がありますので、そこでみっちり訓練してください。」

 「そんなの常識だろ。」
ボソッと呟くテオに向かって、ミコトは片目を瞑って人差し指を唇に押し当てて見せた。
「ふんっ。」
テオは再び机に両腕を伸ばして退屈そうに突っ伏したまま不貞腐れていた。

 「では、次に魔術師についてですが、主に東方出身者が多いとされており、古代魔法の継承者が漸減している理由は、魔導士に比べ、心身への負担が大きいことが挙げられます。
また、魔術師になるのに、魔力量は一定量以上あればそれほど重要ではありませんが、魔法適性に優れているある種の特異体質であることは必要不可欠と言えるでしょう。
 属性との相性も重要で、特定属性のみか、複数属性の受け入れ可能かだけでも、その差異はかなり大きいと言わざるを得ません。
これらは皆天賦の才によるところが大きいため、後天的な努力のみでは覆すことは難しく、誰もが魔術師に向いているとか、頑張ればなれるとかいうものではありません。
 魔術師になるためには、精霊との契約とそのための試練を避けて通る訳にはいきません。
契約と試練に耐え得る強靭な精神と肉体が必要ですし、体術の訓練は勿論ですが、各地の精霊の神殿を訪れる旅を続けながら、自分の許容量の上限まで常に修行と鍛錬を怠らず精進することが課されます。
 精霊の神殿では召喚された聖獣を調伏することで精霊との契約が可能になり、成功すると精霊の分身である霊珠を体内に埋め込まれ、体に術式回路が刻まれますが、この儀式には非常な苦痛を伴い、耐えられない場合は最悪死に至ることもあります。
 精霊単体との契約では特定属性の魔法しか得られないため、複数属性の魔法を会得するには、複数の精霊との契約が必要になり、これを繰り返すことで召喚・使役できる聖獣や使用可能な魔法は増えて行きます。
 また、魔法適性は魔法耐性の裏返しですので、火魔法を会得した場合、敵からの火魔法攻撃は、敵との魔力量の差によって、減弱・無効・吸収することが出来ます。
 更に、実際に敵から受けた魔法攻撃は、魔術師自身の属性と相性が良ければ、そっくりそのまま模倣して放つことが可能になるので、戦闘経験を積めば積むほど成長・進化することが期待できます。
 詳しくは、魔導士同様に専門課程に入ってから学んでください。」

 「へええ、魔術師って凄いじゃん?」
テオは少し興味を持ったのか、身を乗り出して聴いていた。
「でも、何かめちゃくちゃ大変そうだから俺だったら嫌だなぁ。」
「特異体質を持って生まれたということは、言うなれば『選ばれし者』ってことだろう?そんな運命を持って生まれた以上、魔術師を目指さない訳にはいかないよ。」
ミコトは前を見据えたまま、半ばテオに、半ば自分自身に言い聞かせるようにそう言った。
「…そうかもな。」
テオも前を向いたまま、ぽつんと言った。
「でも、そんな正論、俺は大っ嫌いだ。俺はただ常に誰よりも強くありたいだけだし、『選ばれし者だから』なんて、やっぱりつまんねぇよ。」

 フューラの講義はまだ続いていた。
「最後に、現在薬師は当魔法学院の学院生を含めても全体的に少人数ですが、かつて東の魔女が東方で広めた知識と技術の伝承者です。自然界の動植物や鉱物などに含まれる魔素やリウを抽出・調合して薬品などのアイテムを生成することで、物理・魔法それぞれの攻撃によるダメージや消費した体力・魔力の補充、魔法効果の増強や減弱、状態異常を惹起または解除し、戦闘不能状態から治療・回復するなど、味方或いは敵に使用することで『魔素・擬魔素を消費することなく』回復や攻撃が可能になるなど様々な形で支援するものですが、近年では魔導エネルギーの研究により、一部の分野で薬師よりも効率的な支援が可能となったため、一旦は薬師の需要が失われつつありましたが、戦況悪化による魔導エネルギー消費の削減を見据えて、存在意義が見直されて来ています。
 薬師についてはあまり研究が進んでおらず、まだよくわかっていない部分も多く存在し、極々稀に、突然変異的に一般家庭に誕生する以外、大部分は耐毒性などの特異体質が生まれ易い薬師の血統によるものですが、近年は薬師の家系でも薬師以外との婚姻が進むなどによりその血脈が途絶えようとしていると言われています。
 では、本日の講義はここまでです。この後は…。」

 フューラが講義後のスケジュールなどの事務的な案内をしてから退場すると、学院生たちは思い思いに教材を片づけたり、近隣の同期生と雑談したり、三々五々講義室を後にしたりしていた。

 「へえ、薬師って絶滅危惧種じゃん。」
テオは後ろのイツキを振り返ってからかうように言った。
「テオ!」
とミコトは眉間に皺を寄せて厳しい表情で制したが、イツキは
「ある意味事実だから、仕方ないわ。」
と淡々と冷たく言い放った。
「うちの家系で薬師になれそうなの、もうあたしだけだから。一族揃って『家系から薬師を絶やそう』って本気で思ってるしね。」
「じゃあ、何でお前は薬師になるんだよ?」
テオが真顔になり真面目な口調で訊いた。
「だって、他の人がなりたくてもなかなかなれないものに、あたしならなれるんだよ?なるしかないでしょ?」
吐き捨てるように答えたイツキだったが、その言葉には薬師としての誇りの片鱗が感じ取れた。
「『選ばれし者』ってやつ?」
テオが再び茶化すように言った。
「そうかもね。」
イツキは視線を手元に落としたまま答えた。
「私にはわかる気がするよ。」
ミコトが優しく言うと、テオは顔を伏せてぼそっと
「ちぇっ。孤立無援か。つまんねぇ。」
と呟いた。

 講義室を後にした三人はフューラの講義後の案内通りに、全寮制の魔法学院の男女別棟の宿舎へ向かった。
初日の講義をきっかけに、その後テオとミコトとイツキは同期生として親交を深めることとなった。
真逆と言っても良い、やんちゃ坊主のテオと、おっとりしたミコト、そして性別を意識せず一緒に居て違和感のないイツキ。
初日にして三人には既に仲間意識のようなものが芽生え始めていた。
 その後も基礎魔法学の講義はいつも三人一緒に受けていたが、いよいよそれぞれが専門課程へと進むことになった。

§ 専門課程:M組 §

 「やあ、ようこそ。M組の諸君。わたしが魔導士育成担当指導教官のレーラーである。」
模擬戦闘場に集合したテオたちM組の前に筋骨隆々とした大柄の男性教官が現れた。
「うへぇ、ゴリラかよ。」
テオはぼそっと呟いた。
「誰か、今ゴリラとか言ったな?」
レーラーはじろりとテオを睨んだ。
「お前が『問題児』と悪名高いテオか。」
「誰が問題児だってぇ?」
テオはレーラーを睨みつけて言った。
「ふん、まあいい。始祖の魔女の末裔、エリート貴族の御曹司だそうだな。まずはお手並み拝見と行こうか。」
レーラーは学生達の方へ視線を向けて、
「魔導士とは『魔導武器の使える戦士』という意味だと理解しろ。専門課程に入ったら、最初からガンガン魔法が打てるなんて思ったら大間違いだ。武器に宝珠を装備するなんて百年早いわ。最初は、宝珠なしの武器での戦闘訓練と身体強化のための体術訓練、それをクリアできた者だけが、宝珠を装備した魔導武器を持たせてもらえると思え。
 出席番号奇数の者は青い布、偶数の者は赤い布を壁際に置いた箱の中から取り出して左上腕に巻け。同じ色の布を付けている者が味方、それ以外は敵だと思って一斉に戦ってもらう。壁際に並べてある模造武器の中から好きなものを選んで装備し、準備完了した者は挙手しろ。全員が挙手したら戦闘開始の指示を出す。」

 銃、大剣、長剣、双剣、弓矢、その他様々な武器が揃っている中からテオは大剣を選んだ。左上腕に赤い布を巻き、すっと上方へ伸ばした。全員の戦闘準備が整い、レーラーが号令を出した瞬間、テオは
「うおおおおおーっ!」
と叫んでレーラーに挑みかかった。
「!!」
レーラーは予想通りの展開だと内心ほくそ笑んだ。「同色の布を巻いている者以外は敵だ」と言えば、どちらの色の布も巻いていない教官も敵に含まれる。テオがそう思って攻撃してくることは十二分に予想できた。
レーラーは無数の釘が突き出た大きな棍棒のような武器でテオの大剣を受け止めた。
「やはりな。そう来ると思ってたぜ。」
と笑うレーラーに向かって、テオは大剣を振り回し攻撃を続ける。
「何だとぉ!馬鹿にするな。俺を誰だと思ってる!」
大きさも重さも半端ない大剣を軽々と操る力が、上背はあっても細身のテオの体のどこから生まれて来るのだろう。そして限られた空間内での人数の多い団体戦においては、臨機応変に小回りを利かせた戦闘を強いられるため、普通ならば大柄であればあるほど不利になるのだが、高身長のテオなら難しいはずの状況下での俊敏で繊細な身のこなし、レーラーが攻撃を繰り出す度に修正を加え、次の攻撃を予想し、的確に微調整してくるような瞬時の状況の分析力と判断力。生まれ持った抜群の戦闘センスという他なかった。
「おらおら、どうした?押されてるよ、先生?俺はいつだって誰にだって負けたことなんかなかったんだ。俺は誰よりも、めちゃめちゃ強いんだから。」
レーラーを煽るようにテオはまくし立てた。
「ほお、そうかい?」
とレーラーが次の一撃を繰り出すと
「ぶはっ!」
と呻いてテオは腹を押さえて蹲った。完全に予想外だった。何がどうなったのか、全く見えなかったし、わからなかった。
「お前は世間知らずのぼんぼん育ちだからな、テオ。『井の中の蛙大海を知らず』って諺を知ってるか?実践なんてこんなものじゃない。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかという世界だ。喧嘩でもなきゃ武道でもない。何でもありの戦争では実戦経験のあるとないとじゃ天と地ほどの差がある。確かにお前は強い。M組の学生の中では最強かもしれない。だが今のお前がもしこのままで戦場に出たら、きっと数分で死ぬだろう。謙虚に学ばないと本当に死ぬぞ。」
レーラーは床に倒れたまま苦しそうに呻いているテオを見下ろして諭した。

§ テオ §

 17年前の秋、狩人の月、望月の日。
西の魔女の血脈を受け継ぐ高級貴族の家系に生まれた一人の男児が目を開けた。
透き通る鮮やかな碧色の目を見た周囲の者は皆「おお」と声を漏らした。伝説の『魔導の目』を持って生まれたこの男児が『選ばれし者』、即ち、『希少魔導士(ゼルト・マーギア)』になる者であることの証だったからだ。
 始祖の魔女グリュンデルが魔導石に触れた時に、その瞳の色が透き通る鮮やかな碧色に変わったことから、魔導の目と呼ばれたその目を生まれながらにして持つ者は一族の中でも希有な存在であった。万能と言っても過言ではない魔法適性と底知れぬ莫大な魔力量を併せ持つと言われる選ばれし者だけが有することを許された魔導の目の持ち主、それが現実に誕生する奇跡。その男児こそが『魔導石に愛でられし伝説の最強魔導士』、希少魔導士となるべき運命の下に現世に産み落とされた稀代の天才・テオであった。

 テオは物心つく頃には、面倒がってろくに剣技の稽古もしないのに、稽古相手の歳上の男児はおろか、大人の指導者ですら負かすほどの腕前だった。剣だけではない。他のどんな武具であっても初見で武具の性能を見切り、使いこなして見せた。
魔導士は武具等に宝珠を装備して戦うため、剣技や格闘術なども身につける必要があったが、抜群の身体能力を持つテオにとっては呼吸するのと同じくらい自然に体術を使い、どんなに激しい動きを繰り返そうとも呼吸の乱れさえ感じさせなかった。
体格も華奢で体力もあまりない子供ながら、瞬時の的確な状況判断と分析力、無意識の戦闘センスには目を見張るものがあり、それは天賦の才としか言いようがなかった。
「ねぇ、もっと強いやつ、居ないの?」
まだ5つ6つの幼児なのに、居並ぶ大人たちを全て打ち負かしたテオがつまらなそうに言った。
「お前ら皆弱いんだもん。俺はもっともっと強くなりたいんだ。ちょっとは歯ごたえのある奴居ないのかよ?」
透き通る鮮やかな碧色の瞳で周りを見回すが、皆悔しさを通り越して、こんな小さな子供相手に恐怖すら感じている様子だった。

 「じゃあ、こうしよう。俺は目隠しをするから、お前ら皆で一斉にかかって来いよ。」
不敵な笑みを浮かべてテオが言った。
「テオ坊っちゃま、それはあまりに…。」
稽古を見守っていた執事が止めようとしたが、テオは幼児とは思えない冷徹な表情を浮かべて言った。
「それくらいじゃないと面白くならないだろ?」
「け、怪我をしてから後悔しても知りませんぞ。」
と震える声で答えて、周囲の指導者や稽古相手たちが剣を構えるが、テオ以外の全員が何が起こったのかわからないうちに、一瞬で勝負はついた。体のどこかしらに打撃を受けて、痛む腕や脚、脇等を押さえる者たちを、目隠しを外したテオが見回して高らかに笑った。
「ほらね、やっぱり俺が一番強いだろ?」

 そんな生い立ちのせいか、テオは不遜で尊大な性格だと皆に煙たがられた。実際年長者からは人を小馬鹿にしたような生意気さで嫌われることが多かったが、その魔導士としての才能だけは認めざるを得なかった。テオはそんなことは気にも止めない様子で常に天上天下唯我独尊を貫いており、同年代からも「あいつは自分たちとは違う」と距離を置かれても、飄々とした態度を貫いていて、その孤独を真に理解するものは一人として居なかった。テオの不遜で尊大な態度は、本当は孤独な彼自身の心を護るための鎧であることに気づける者が、後に魔法学院で運命的に出会うことになるミコト以外には存在しなかったからである。

§ 専門課程:Z組 §

 「Z組の皆さん、こんにちは。わたしは魔術師育成担当指導教官のメントレです。基礎魔法学の講義で魔術師の修行については知識として学ばれたものと思いますが、実際の修行は皆さんの想像よりも遥かに過酷なものとなることだけは最初にお断りしておきます。
事実として、過去修行の旅に出た学生の内、正式に魔術師になるまで残れたのは一学年に一人か二人居れば良いところです。
そのために学内では主に心身強化と物理的戦闘訓練を最初に行い、その後模擬的な魔法を使っての訓練を行い、その後に学院を離れて先輩魔術師と共に修行に出てもらいます。
精霊との契約締結を以て晴れて魔術師研修生となりますが、途中の段階でも、無理だと思ったらすぐに遠慮なくリタイアしてください。意地を張ると命に係わる、と言うのは決して冗談でも脅し文句でもなく、事実であることを最初にはっきりと肝に銘じておくように。」
如何にも洗練された紳士然とした印象を与えるメントレは、学生達に向かって淀みなく淡々とそう語った。

 ミコトは体力には自信があったので、身体強化と体術の戦闘訓練にはそこそこの自信を持っていたし、その真面目で優しい性格と強い使命感から、どれほど過酷な修行であったとしても、絶対に耐え抜いて魔術師になろうと固く心に誓っていた。
実際に身体強化と物理的戦闘訓練では同級生から頭一つ抜けた存在であったし、魔導技術を応用した仮想現実での模擬魔法戦闘訓練も優秀で、瞬く間に優等生として問題児テオに並ぶ学内屈指の有名人になったが、厳しい鍛錬に音を上げたり自分の才能や資質を疑問視し自信を喪失して失意の中で学院を去る者や、学生本人の意思は固くとも、教官メントレから引導を渡される形で継続を断念せざるを得ない者が後を絶たず、気づけばZ組に残ったのはミコト一人になっていた。

 「お疲れ様です。ミコト君。」
メントレが訓練終了後に声を掛けた。
「いよいよ、君には修行に出てもらうことになりました。指導監督のために同行する魔術師はブルーダです。
先日の講義で説明した通り、今夜中に準備を整えて、明朝ブルーダと共に最初の精霊の神殿を目指してください。
君はあらゆる属性に対応可能な魔法適性を持つ特別な存在です。もしかしたら将来的には『全ての』精霊との契約すら可能かもしれません。そうなれば君は正に『最強の魔術師』になれるでしょう。君には大いに期待していますよ。」

§ ミコト §

 16年前の冬、蒼龍の月、三日月の日。
東方のとある大工の家庭にミコトという名の男児が誕生した。
ミコトはあらゆる属性に対応可能な魔法適性を持って生まれたが、ミコトの両親を含めその家系には一人も魔術師は居らず、突然変異的な特異体質であろうと思われた。

 修行の旅の途中でオステンドルフの集落に立ち寄った魔術師ブルーダは、ミコトが最強の魔術師となれる資質を秘めた『選ばれし者』であることを知り、
「この子の才能を埋もれさせては勿体無い。」
と両親に説いた。
「息子のミコトは長男ですし、幼い時からずっと家業の大工の仕事を手伝わせて来て、いずれは父親の跡取りとして棟梁にさせるつもりです。帝都に行かせて魔術師にするだなんてとんでもない。」
両親は頑として首を縦には振らなかったが、ブルーダは諦め切れず、何度も訪ねて来ては説得を試み、ミコト本人にも何度も会いに来ては魔術師にならないかと勧誘した。
「私は父親の後を継いで大工になるつもりです。それが両親に対する恩返しであり親孝行だと思っています。」
ミコトは、まだ少年らしいあどけなさの残る外見とは裏腹に、落ち着いて大人びた口調でそう答えた。
「君の気持ちはよくわかる。だが、君には才能がある。君が望んだのではなくとも、他の誰にも真似のできないものを、君は持って生まれたのだよ。君の才能は人族を救う宝だ。わたしの持論だがね、『大いなる力を持つ者には大いなる責任が伴う。』力を才能と言い換えても良いだろう。君は全人族の救世主の一人になれるかもしれない貴重な人材だ。是非その才能を生かしてはみないか。」
ミコトの心が揺れた。
(両親のためだけではなく、全ての人族のために自分が役に立てるのなら。)
そんな思いが心の中で膨らみ始めたのが自分でもわかる。
でも、両親は長男である自分を頼りにして期待してくれている。それを裏切るようで心苦しく、とても魔術師になる未来を、誰よりも自分自身が許せるはずはなかった。何よりも自分は大工になるために生まれて来たのだと今まで信じて来たのだから。両親の期待に応えることこそが、自分がこの世に存在することを許される理由であるとさえ思っていたのだから。
大工の家に生まれ、当たり前のように大工として生き、大工として生涯を終えるものだという以外の選択肢を考えてみたこともなかったし、自分のことを「心優しく真面目で学業も優秀な自慢の息子」と評価して喜んでくれている両親を悲しませるには忍びなかった。

 「君の人生最大の選択だ。悩んで迷うのも無理はない。だから、よくよく考えて決めると良い。だが、わたしは決して諦めない。きっと君は将来わたしなぞ足下にも及ばないほどの優秀な魔術師になれる。気が変わったら、わたしを訪ねて来なさい。わたしもまた何度でも君を訪ねて来る。」
ミコトはブルーダの言葉を何度も思い返しては悩み続けていたが、集落が魔物に襲われ、怪我をしたり、命が失なわれたりする被害が身近で何度も繰り返されていた時に、魔物の討伐任務で派遣されて来たブルーダが魔物と戦い、集落を救ったことで心が揺らいだ。
(もしも襲われたのが家族や友人であったら、今の自分には何ができるだろう。)
と想像したら、
体術には多少の自信はあるが、魔物相手にそれだけで立ち向かえるとは到底思えない。
命を落とした被害者の家族の身になれば、その悲しみや無念は如何ばかりかと思うと胸が張り裂けそうだ。
元より真面目で情深いミコトは、ブルーダの言葉を思い返した。
『大いなる力を持つ者には大いなる責任が伴う。選ばれし者であるなら、魔術師になり、人族を救うべきだ。』
ミコトはブルーダを訪ね、ブルーダを伴って魔術学院への進学を両親に懇願した。最初は断固反対を貫こうとした両親だったが、ミコトの真摯な思いについに折れて渋々入学を許可した。

 以前から何度も修行の合間に尋ねて来ていたブルーダは、ミコトに魔術師となるために必要な覚悟について話したことがあった。
魔術師となるためには、精霊との契約が必要なこと、そのために試練を受けねばならないこと。強くなるためには心身の鍛練は勿論、魔法の修行も重ねるべきであること。そのどれもが大変な精神的肉体的負担を強いられることであり、それに耐えられる覚悟がなければ魔術師にはなれないこと。
「幼い頃お伽噺で魔女アカツキの伝説は聞いたことがあるだろう。漠然と物語は知っていても、自分自身の現実となると、想像以上に厳しいものだ。魔術師を目指したとしても、誰もが艱難辛苦に耐えられるわけではない。文字通り命がけの選択だ。でも君ならできる。わたしは心の底からそう信じているよ。」

 物心ついた時からミコトにとっては他者こそが自らの姿を映す鏡であり、他者によってのみ生かされる他者依存が身に染みついていた。人には生まれながらにしてそれぞれの役割があり、それを果たせなければ存在価値はない。そう思っていた。
「優秀な長男であり、大工の技能の後継者である」という今までの役割を捨てて、「人族の救世主たるべき魔術師」を目指す以上、『最強の魔術師』とならなければならない。それこそが自らに課せられた宿命であり、新たな役割であると信じた。
 役割を果たせなければ、自分はこの世界における存在価値を失う。役割に相応しい自分であるよう常に努力を重ねる真面目な性格のミコトにとって、生きることは「他者の望む自分であること」以外、他に何もなかった。望まれる自分になれないなら、生きる価値はない。「この世に自分が生きていていいのだ」と思えるためには、他者が望む自分になって、完璧にその役割を果たすこと、そのために懸命に努力すること、それ以外には生きる目的を見出すことができなかった。
余りにも自分の存在が希薄で、自己価値も自己肯定感も低かったために、他者の評価でしか自らを認める術を知らなかったのは、両親と自分との共依存関係が原因であると気づくことさえできないまま、誰かが思い描く理想の姿を演じつつ生きるしかないミコトは運命の悪戯に翻弄されて魔術師を目指すことになったのである。

§ 専門課程:F組 §

 「皆さん、こんにちは。薬師育成担当指導教官のテラポです。
基礎魔法学の講義でも学んだかと思いますが、薬師は自然界に存在する材料から魔素やリウを抽出して魔法使いを支援する薬などの調合と生成を行う科学技術者であります。
『魔導研究の発達で人工的にアイテムが作れるようになり、今や薬師は時代遅れの存在で既に用済みだ』等と言う戯言も耳に入っているかもしれませんが、決して薬師は無用の長物などではありません。魔法使いも体術を使って戦えば、体力を消耗します。魔法によって体力を回復すれば、魔力を消費します。勿論、魔法を使って戦っても、魔力を消費します。ただ、魔術師にしろ魔導士にしろ、全ての術者が回復系魔法を使えるとは限りませんし、敵の攻撃により魔法の発動を封じられることもあるでしょう。そんな時には、体力や魔力の回復薬、状態異常の解除をする薬品や、攻撃系魔法の代用となるアイテムが必要です。それらを作れるのが我等薬師なのです。
 魔導の発達により誕生した魔道具の応用で、アイテムを作れるようになって来たとは言いますが、それはあくまでも主に攻撃系魔法に関するアイテムであり、一部の回復系魔法に関する薬品は未だ薬師でなければ調合出来ないことはあまり知られていません。皆さんは薬師となり、日々戦場にあり、最前線で戦う魔法使いを支援し、また負傷して戦闘不能となった魔法使いを治療するという尊い役割を担うのですから、誇りを持ち胸を張って任務に勤しんでください。」
小柄で少しぽっちゃりとした癒し系の容姿からの印象とは違う毅然とした表情で、テラポは熱弁をふるった。

 薬師の養成課程では、殆ど戦場に出ることはないため護身術程度の体術以外は、主に知識を身に着ける座学と並行して、調合と生成の実習が行われた。最初にテラポが語ったように魔導の技術でも作れる攻撃系魔法の代用品としてのアイテム、例えば魔法効果を発動する爆裂弾のようなものも一部作ってはいたが、主に回復薬・治療薬の製造と、魔法攻撃による損傷は人族の職種としての『医師』では治せないため、負傷者・戦闘不能者の治療に関する知識を学び、魔法病棟での実習も行われ、イツキは日々勉学と実技習得のために努力を重ねていた。

§ イツキ §

 16年前の冬、蒼龍の月、朔月の日。
東方オステンドルフで、廃れ行く薬師の家系に誕生した女児がイツキだった。
 古来、代々薬師の家系だったとはいえ、西方の近代魔法が主流となり、魔導万能の時代ともいわれる昨今では、「薬師はもう既に絶滅したに等しい」と、一族内でも積極的に薬師を志す者は殆ど居なかった。
 ただ、友達が殆ど居なくていつも古い蔵の中で一人遊びして成長したイツキにとっては、蔵に眠る薬師の知識を伝承すべく書かれた古い書物はとても興味深かったので、長時間入り浸っては熱中して書物を読んで過ごした。
 もし薬師でない家系に生まれたなら、薬師になりたいとは思わなかったろう。かと言って、他になりたいものがあった訳でもない。ただ、自分には薬師としての素質があるのに、敢えてそれを目指さないことに、納得できる理由が見つからなかった。徐々に衰退して行く薬師の血脈。ついに家系の中でも適性を持つのは自分だけになったことを知った。自分はまだ薬師になれるなら、なるべきだ。それが『選ばれし者』である自分の運命に違いない。例えこの家系で、この集落で、この世界で、最後の薬師になるとしても。イツキはその思いを胸に魔法学院を目指したのである。

§ 旅立ちの前夜 §

 ミコトが修行に出る前夜、魔法学院の男子寮と女子寮を繋ぐ渡り廊下の中央に設けられた談話室に集まったミコトとテオとイツキは、『魔導自販機』でそれぞれが購入した飲み物を手に、ささやかながらミコトの送別会を開いていた。

 「Z組は皆脱落して今お前しか居ないんだってな。」
とテオが言った。ミコトは苦笑して、
「そうなんだ。だから殆ど一人でする仮想現実の戦闘訓練ばかりで、上達しているのかどうなのか、正直よくわからないよ。」
と答えた。
「M組はどうなの?」
とイツキが訊いた。テオは得意げに、
「そりゃもう、テオ様の独壇場よ。専門課程開始直後こそ、ゴリラみたいな教官に隙をつかれて、流石のこの俺でもやられっぱなしだったこともあったけど、今はもう体術ではダントツ。で、やっと模擬宝珠の装備された武具の使用許可が出たとこ。『お前らには本物の魔導武器は百年早い』がゴリラ教官の口癖でさ、ミコト同様に仮想現実の戦闘訓練で模擬宝珠の装備された武器を使って訓練してる。」
と言った。
「F組は?」
ミコトが尋ねると、イツキは
「一応調合生成実習で本物の薬品やアイテムは作るけど、まだまだ質が悪くて実戦には使えないって。魔法病棟の見学には何度か行ったわ。今はまだ戦闘不能になって戻った魔法使いを治療してるところを遠巻きに見てるけど、これからは実際に病棟で先輩の助手として実習するみたい。」
と答え、ミコトに尋ね返した。
「ミコトは明日修行に出るんでしょ。」
「うん。先輩でもあり、私を魔法学院に導いてくれた恩人でもあるブルーダ魔術師と一緒にね。最初は基本属性の火魔法を司る『火神(フオイア)』という精霊の神殿を目指すんだ。試練に成功したら、契約して実際に火魔法が使えるようになる。」
ミコトは静かに微笑んで答えた。
(怖くないの?)と訊こうとしたが、イツキはその言葉を飲み込んだ。決してそれだけは口に出してはならない気がした。
彼に期待している教官や自分たち同期生の手前、優等生のミコトはいつも何でもない風を装って努めて平気そうにしているけど、内心一抹の恐怖や不安がない訳などなかった。
基礎魔法学の講義で、『試練は命を落としかねない苦痛を伴う』と言っていた。真面目でストイックで、頑張り屋のミコトは、何があっても動じない振りをしているだけなのだ。彼の強さは脆さと背中合わせ。ミコト自身はその事実からは目を背けていることもわかっていた。本当はテオのように心が強くはないことを恥じているからこそテオに魅かれていることも。魔術師として戦うには、きっと、ミコトは真面目過ぎ、優し過ぎるのだ。
「『火神』との契約がうまく行けば、続けて『水神(ヴァサ)』、『雷神(ドンナ)』、『風神(ヴィント)』、『地神(ボーデン)』と基本五属性の各精霊の神殿を回って、いろんな魔法を身に付けられたら良いなと思ってる。出来れば準精霊の『氷神(エイス)』と『樹神(ホルツ)』の神殿も回れたらとは思うけど、まだ最初の試練も終わってないのに、欲ばっちゃいけないよね。」
ミコトは明るく笑って言った。敢えて冗談めかしているけれど、それは現段階では壮大過ぎて、今はまだ望むべくもないことだと想像できないはずはなかった。講義で聞いた『多くのものを得れば多くのものを失う』という言葉が呪いのように耳から離れない。
「でも、もし本当にそれが出来るなら、ミコトは『最強の魔術師』になれるだろ。俺も負けてられないな。早く本物の魔導武器使って、疑似魔法使ってみたいよ。」
あっけらかんとテオが言って、三人は笑った。
「専門課程になってからは別々の訓練をしてるけど、魔導士と魔術師と薬師になれたら、きっとテオとはまた一緒に戦えるだろうし、薬師のイツキとは、一緒には戦場には出られないけど、イツキの作ったアイテムを使って戦うことになる。私たち同期はいつまでもずっとこんな風に繋がっていられたら良いね。」
ミコトはそう言って微笑んだ。
「当たり前だろ。最強の魔導士になる俺の背中を任せられるのは、最強の魔術師になるミコトだけだ。」
テオも微笑み返して、冗談ではなく本音でそう言った。
「そうそう、二人とも戦闘不能になって魔法病棟であたしと再会、なんてのはやめてよね。」
イツキが毒を含んだ言葉を吐くと、テオが大笑いして言った。
「んなわけあるか。俺たちは最強なんだぜ。縁起でもないことを言うんじゃねぇ。」

 消灯時間が近づき、守衛が談話室の鍵を持って現れた。談話室を出て、ミコトとテオは男子棟、イツキは女子棟へと左右に分かれて手を振って歩き出した。
「じゃ、お休み。ミコト、見送らないけど、気を付けて行ってらっしゃい。」
「ああ、ありがとう、イツキ。お休みなさい。」
「俺も、見送れないけど、お前に負けないくらい強い魔導士になるように訓練頑張るから。」
「うん、私も君に負けないように頑張って修行するよ。」
守衛が女子寮と男子寮に繋がる出入口の両方に施錠し、奥の非常口から姿を消した。
ミコトとテオはそれぞれの部屋へ戻り、ミコトはなかなか寝つけないまま悶々とその夜を過ごした。

(第1部おわり 第2部へつづく)
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挿絵追加してみた

2022-04-17 19:30:36 | 日記


以前に投稿した挿絵画像は物語が長くなって現状三分割されているので添付するとしたら第2部。
今日は第1部と第3部の挿絵を描いてみた。
推敲中の原稿に追加してみようと思う。
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