きつねの戯言

銀狐です。不定期で趣味の小説・楽描きイラストなど描いています。日常垢「次郎丸かなみの有味湿潤な日常生活」ではエッセイも。

Bitter Sweet Memoriesあとがき解説

2022-11-23 14:01:10 | 日記

本編投稿から少し間があいてしまいましたが、『Bitter Sweet Memories』あとがき解説になります。

発端は半年くらい前のGW明け頃になるかと思います。動画サイトでとある動画を見たのが最初の切欠でした。以前にも同様の動画を見たことがあったけど、内容が複雑で後から思い出した時に混乱した記憶があり、たまたま同じような動画を見つけたのでおさらいのような気持ちで見たのです。

題材は大人気RPGシリーズのナンバリングタイトルの続編の、更に後日談にあたるノベライズの内容を解説するという動画でした。

元のゲームはよく知っているけれど、続編はほぼ全く知らないので、その後日談なんて知る由もないのですが、なかなか面白い内容だったので、そこからヒントを得て何か物語ができないかと思いついたのですが、最初に考えたプロットは殆ど元ネタをなぞるようなもので、(これは単なる叩き台に過ぎないのでまあそれは良いとして)そこに他のゲームやら漫画やらいろんなところから引っ張って来たヒントで改変していくといういつもの手法でした。

最近の物語の根底の世界観は一応共通していますが、今作に限っては、あまりそれを前面に押し出す形にはなっていないと思います。

物語を構成していく途中で、どうもしっくりこない一番の理由は登場人物の多さとその関係性の複雑さにあるということに気づき、(そもそもの元ネタ動画が複雑すぎて見直したくらいなので、元ネタよりは随分簡略化したのですが、それでも難解過ぎました)ばっさりとカットして(元々複数の人物だったキャラクターを一人に纏めるなど)簡略化単純化に努めましたが、それでもやはり全くややこしくなくなったかというと、どうでしょうか。書き手はすっきりさせたつもりでも、読者は「う~ん」かもしれません。

紆余曲折のプロセスの中で、大小様々な改変点は多岐に亘るのですが、最大の改変は、主人公の設定かもしれません。

当初は霊体が具現化したような存在だったのですが、とある漫画を読んで、書かんとしている主題なりを現すのに、エルフのような人物でも出来るのではないか、と思い直したことです。

要は主人公は歳を取らず、ヒロインや周囲の人物だけが歳を重ねるというシチュエーションを作り出す必要があったということです。

そこを変えると、世界観に通じるような根本設定も多少変えないといけなくなったりはしたのですが、まあ、それは何とかなりました。

挿絵は描いてみたものの画力の劣化が甚だしく、もう載せまいかと迷いましたが、一応はそのまま載せることにしました。脳内の姿とは似ても似つかぬものにはなっていますが、そこは読者の皆さんの脳内でよしなに改変して頂くとして。

主題も従来の作品より少し漠然としていたこともあり、内容も内容なので、従来の私の作風のイメージからすると激甘、マイルド過ぎる感は否めないかもしれません。

タイトルは終盤まで決まらず、幾つか思いつくまま列挙した中から、一番主題に近いものと思えたのを選びました。その時私の脳内で「ペンギンの女の子が松田聖子の声で歌っていた」と言えば年齢がバレバレですが、同名のCMソングが大ヒットしたと言っても、若い人にはわからないと思います。

何とか物語は完成したのですが、投稿する直前になってトラブルが発生して大慌てでした。

日常生活の合間に執筆するため、PC画面で入力を行った部分と、スマホアプリで入力した部分とのつぎはぎになるのですが、行間と言うか、改行というか、そのスタイルが自動的に変わってしまい、プレビュー画面で見てもバラバラなのが気になって、どうにか修正したかったのですが、試行錯誤の結果できないまま見切り発車で投稿することになってしまいました。

途中で何事かやらかしたのか、それとも知らぬ間に更新で仕様が変わったのか、よくわからないのですが、「改行キー一回押しただけでは行間が空かず、二回押したら行間が空く」という普通の状態に戻って欲しいのですが、改行するたびに行間が空いてしまう設定になっています。現時点でもそのままで、何でなのかは未だにわかっていません。

そしてブログの仕様で30000文字以上入力できないため、完成時点でざっくり①26000超、②20000弱、③25000位というように物語の展開上の切れ目を考慮して分けていたのですが、①を投稿しようとしたら、「30000字を超えている」とエラーが出て、(後から考えるとフォントサイズをいじったのがいけなかったのかもしれません)そのままではどうにもならないので、仕方なく切り目をずらして①~④に分けました。①~③の予定だったので挿絵も3枚添付したし、切り目にもこだわっていたのが台無しですが、仕方ありませんでした。これ以上何かいじって余計おかしくなるよりは、と諦めてそのままで投稿したので、最後の最後になってケチがついたようで、ちょっと残念な気持ちになりました。

何だかそれでちょっと心が折れて、あとがき解説もすぐに書けなかったという豆腐、いや、豆乳なみのよわよわメンタルでしたが、いつまでもそのままなのも気持ちが悪いので、間延びした感はありますが、やはり投稿しておくことにしました。

挿絵のイザヨイとイトのラフ画は、(これもまた脳内とは大分違うんですけど)このあとがき解説を書くためにPCを立ち上げた途端にPCの自動更新が始まってしまったので、更新待ちの間の落描きです。ちょうど描き上がったくらいに更新が終了したので良い暇つぶしになりました。

やっと一つの作品を書き上げて、次回のことなど全く考えられませんが、ブログ開設から十年を過ぎ、自身も年齢を重ね、何度かあったスランプも乗り越えて来ましたが、ただ徒に突き進む時代はもう過ぎたと思っています。まだ過去の自分から脱却しきれずにいますが、これからは、今の自分になら自然体で描けるもの、自分にしか(というのも偉そうですが)描けないものとは何かということを考えながら、ゆっくりと創作活動を続けるような時代なのかなと思っています。

本編及びあとがき解説をお読み頂き、ありがとうございました。

追記 2023年8月末、タイトル表記を「Sweet Memories」から「Bitter Sweet Memories」に変更しました。
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Bitter Sweet Memories④

2022-11-13 21:47:52 | 小説

(③からのつづき)

§ 二組の親子 §

  白虎の国の研究施設からの脱走者の中では希少な生き残りの一人カイは、旧朱雀領から青龍の国との国境を越えて逃亡し、青龍南部の人里離れた集落で、最愛の妻ミチル、娘ノゾミと共に暮らして来たが、不老長命の朱雀の民であるカイ一人を置き去りにして、妻と娘は数十年のうちに歳を重ね、高齢のミチルの寿命も正に風前の灯火となり、娘ノゾミと共にカイは哀しみに沈んでいた。  国境付近では白虎と青龍の戦争が激化していたが、打ち捨てられ忘れられて地図からも消えた廃墟の集落にひっそりと隠れ住むカイの一家にとっては戦争は何処か非現実的で、その喧騒もまるで遠雷のようにしか感じられなかった。

 そんな訪ね来る人もない辺境の集落に、ナマナリを追って巫術師がやって来た。その巫術師と共に現れたのは、カイが遥か昔から絶えて見ることのなかった同族、朱雀の民だった。そして彼らはまだ幼い娘を連れていた。日が暮れ始め、闇に包まれ始めた集落の中でたった一軒だけ灯りのついた家を見つけた彼らが、その家を訪ねると、玄関口には高齢の女性が現れた。開いた戸の隙間から部屋の中が見えて、奥の方に置かれた寝台に老婆が横たわっているのが見えた。

 「夜分遅くにお邪魔して申し訳ありません。わたしはツキ島の巫術師イツキ、こちらは夫のユヅルと娘のミチルです。幼い娘を連れて故郷へ戻る旅の途中で、こちらに灯りが見えたので、失礼とは存知ますが、お訪ね致しました。」

巫術師がそう言うと、女性は来訪者に向かって言った。

「もう日が暮れます。この辺りは日が落ちると真っ暗になるから、幼子連れには危険です。こんなあばら家で良ければ、どうぞ今夜の宿にお使い下さい。」
その文言自体は方言ではないが、その独特の抑揚は明らかに南部訛りだった。。
「ありがとうございます。あなたたちはこちらの集落にお住まいなのですか?」
家の中に招き入れてくれた女性にイツキは感謝の言葉と共に素朴な疑問を投げかけた。
「そうです。今この集落には私たち家族しか居りません。私はノゾミ。母はミチルと言います。娘さんと同じ名前なんて奇遇ですね。父のカイはユヅルさんと同じ朱雀の民ですし、これも何かのご縁かもしれません。母はもう数日前から食事を取ることもできなくなり、水すら喉を通らなくなりました。ずっと眠ってばかりで殆ど目を開けることもありません。」
ノゾミは静かに仰臥したままの母を見て言った。
「よく持って明日か明後日か、もうまもなく母の寿命が尽きるでしょう。」
イツキとユヅルがノゾミの言葉にふと寝台の方を見ると、戸口からは死角になっていたが、寝台の傍らに椅子があり、そこに座っていたカイが口を開いた。
「同族の姿を見るのは数十年ぶりでしょうか。私は白虎の研究施設に捕らえられ、旧朱雀領から国境を越えて来た者です。」
「あなたは脱走した被験者でしたか。道理で瞳の色が…。」
ユヅルがそう言った。朱雀の民の瞳の色は元来ユヅルと同じ翠色であるが、カイの瞳の色は鮮やかで深い碧色だった。その碧眼は魔導の力を利用して人工的に魔導師に改造するために何らかの人体実験を施された者であることを示していた。
「ええ、そうです。幸いあれから数十年経った今も特に副作用も後遺症も現れてはいませんが。」
カイが答えると、幼いミチルが不思議そうに言った。
「ねえ、ここのおうちに住んでるのはお兄ちゃんとお母さんとおばあちゃん?」
「いや、彼女らは私の妻と娘だよ。」
カイの答えに幼いミチルは首を傾げた。
翌朝カイの妻ミチルは静かに息を引き取り、イツキは巫術師として彼女を弔った。
この時幼いミチルにはまだ、父ユヅルがカイと同じ不老長命の朱雀の民であり、時が経てばいつか、ミチルが老いても、母が先に亡くなっても、父だけが変わらぬ姿のまま残されるという未来が訪れるのだ、という状況を想像することができなかった。
  葬送が終わると、イツキとユヅルはカイとノゾミに別れを告げた。
「これから、どうされるのですか。」
ノゾミに尋ねられ、イツキは答えた。
「わたしたち夫婦は、わたしの故郷・ツキ島の親族に娘を託してから、西の国境を目指し、二人で戦場へ戻るつもりです。元々巫術師として戦闘に参加していたわたしが、戦火を逃れようと越境した夫を保護したのを切欠に、一旦は戦闘から身を引き、故郷で共に暮らそうと決めたのですが、結婚するという二人の選択を親族に反対され、二人して故郷を捨てました。でも、娘が生まれ、娘を育てるうちに、娘の未来のためにも、国のため、世界のためにも、この戦争は終わらせなければいけないと、戦場へ戻る決意を固めました。何としても青龍の国を守らなければなりません。わたしたち二人の命に変えても。」
ユヅルも力強く頷いた。
「私は故郷を捨てた以上、妻と共に青龍に骨を埋める覚悟ですが、白虎に蹂躙された朱雀の国と、カイさんのように白虎に苦しめられた同胞のためにも、白虎の国は倒さねばなりません。そのためなら私の命など微塵も惜くはありません。」
カイは同じ娘を持つ父として、娘を残して両親が死ぬことには共感できなかった。
「あなた方お二人の覚悟は立派だが、幼い子を持つ親として、それで良いのですか?娘さんが、ミチルちゃんが一人ぼっちで残されるというのに?」
イツキは答えた。
「わたしは母である前に巫術師です。世界のために、国のために、民のために、果たすべき使命があります。巫術師である以上、わたしにしかできないことがあるなら、わたしはそれをなすべきなのです。今はわからなくとも、きっと娘は将来母を誇りに思ってくれることでしょう。」
ユヅルも言った。
「国を捨てた私にも、巫術師の夫として、イツキの役に立てることがあるなら、協力は惜しみません。この命一つで世界が救えるのなら、私の命など安いものです。きっといつか娘は私たちの思いを理解してくれると信じています。」
二人の顔は誇りに満ち満ちてその表情は輝かんばかりに見えた。
それ以上二人にかける言葉はなかったカイだったが、『世のため人のため』は立派な覚悟だとしても、『命を失えば、もう二度と愛しい娘を、その手で抱き締めることができなくなるのに』と考えると、自分なら、戦争からできるだけ遠く離れた安全な場所があるなら、そこで妻と娘と共に静かに暮らしたい。可能ならばいつまでも、永遠に。卑怯者と罵られても良い。最愛の者たちを抱き締めるとこともできないなんて、例え戦争に勝てたとしても、何の価値があるのか。身勝手と言われようと、今までそうして来たように、世界の片隅で、小さな幸せを大切に、何よりも優先して、静かに暮らしたかった。
 イツキたちが旅立ち、集落にはカイとノゾミだけが残された。再び遠雷のように戦争を遠くに感じながら、ひっそりと隠れて暮らす毎日が再び繰り返されることとなった。
二人はミチルの墓に花を手向け、祈りを捧げながら、二人はそれぞれに、心の中でいつか訪れる未来を想像していた。
 純粋な青龍の民であったミチルに比べて、朱雀の血を引くノゾミは幾分長命ではあろうが、不老でも不死でもない。いつかミチルと同じように老いて、衰えて死を迎える時が来るだろう。
 カイはノゾミが最期までミチルを看取ってくれたように、辛くても自分がノゾミを看取ってやらねばならないと、覚悟を決めていた。
 ノゾミは、いつか自分が老いて、衰えて、寿命が尽きた時、独りぼっちで残される父のことが心配だった。父は自分が病を患っているかもしれないとは考えていないだろう。しかし、些細な異状がなかった訳ではない。ノゾミが家を離れなかったのは、集落の外の世界を知らないための不安や恐怖だけではなかった。母を亡くした時に父が一人残されるのが心配で、離れられなかったのである。しかし、事実を父に伝えることはできなかった。父がそれを知った時にどんなことが起こるのか、ノゾミには計り知れなかった。「できれば真実を知らぬまま穏やかに暮らして欲しい」と、そう思い続けて来たが、自分が先に逝ってしまったら、と考えると、どうしたら良いのかわからず、「まだ今は」と目を逸らし続けることしかできなかった。
 
§  特級巫術師と御柱様  §
 カイたちの集落を出て港を目指したイツキたちは、再び旅を続け、翌朝離島群を廻る連絡船が出航する大陸南東部の港町で一泊することになったその夜、ミチルは夢を見た。それはミチルがツキ島へ向かう旅に出る前の出来事だった。
その時一家は首都ミヤツコからは少し離れた北東部の小さな集落で暮らしていたが、戦場で傷ついた兵を収容する療養施設へ向かう途上に位置していたため、戦況は集落を経由して療養施設へ向かう負傷兵たちを通じて否応なしに耳に入って来ていた。
 その日ミチルは突然両親から旅に出ることを告げられた。
「ミチル、よく聴いてね。これからわたしたちは、旅に出ることになりました。」
「お母さんの故郷へ行くんだよ。」
ミチルは両親の様子から何となく、『旅に出たら、もうこの家には帰って来ることはないんだな』と直感した。
「広い海に浮かぶ小さな島でね、お母さんの家族が暮らしているんだ。」
「まだ会ったことはないけど、ミチルよりちょっと年上の従姉が居るの。」
「伯父さんと伯母さんと、お祖母ちゃんも居るから、きっと可愛がってくれるだろう。」
まじまじと両親を見つめながら、黙って聴いているミチルに、イツキとユヅルは顔を見合わせて頷いた。
「少し難しいお話になるけど、大事なことだから、よく聴いてね。お母さんが巫術師として戦っている時に朱雀の国から逃げて来たお父さんと出会ったことは、ミチルにも話したわね。伯父さんにお父さんとの結婚を反対されて島を出て、お父さんと結婚してミチルが生まれて、今まで一緒に暮らして来たけど、お母さんはお父さんと一緒に戦争に行って戦うことになったから、ミチルはこれから伯父さんの家で暮らすのよ。」
「ミチルも毎日怪我をした人が療養施設にやって来るので知っているだろうが、今、青龍の国は戦争で苦しんでいる。お母さんのような強い巫術師が戦わなければ、白虎の国に負けてしまうかもしれない。白虎の国が勝てば、昔滅びた玄武の民のように、青龍の民も皆殺されてしまうかもしれないし、朱雀の民のように、捕まえられて酷い目に合わされてしまうかもしれない。だから、ミチルたちが大きくなった時に、青龍の国が、平和で豊かで幸せな国になっているために、大人は戦わなければいけないんだよ。」
「うん、わかった。」
と、ミチルは答えた。
両親の話の内容はまだ幼いミチルにはよく理解できなかったものの、『そうすることが両親のためになるのならそれでいいんだろう』と思ったからだった。
 ミチルは深夜にふと夢から覚め、何となく隣室から聞こえてくる父母の会話がいつもとは違う様子なのが気になり、耳を澄ましていた。
「そんなことはできません!あなたと共に戦場に向かうのはともかく、特殊召喚まで行う必要はないでしょう?生きて帰って、戦争が終わったらミチルを迎えに行こうって、旅立つ前に二人で話しあったじゃないですか。」
イツキの声だった。
「あの南部の廃集落で見たでしょう。この戦争で二人とも生き残れたとしても、あなたは必ず私よりも先に死んでしまう。あなたの居ない人生など、私にとっては何の意味もない。それなら、あなたの特殊召喚で、御柱様となり、私の魂をあなたとこの世界に捧げよう。彼と同じようにあなたなしで永い孤独な人生を生き長らえねばならないならば、私には到底耐えられそうにない。だから霊龍となり、自我を失えばきっと私にも耐えることが出来ると思う。ただ、特殊召喚を行えば、あなたも命を失う。それは辛いことだけれども、あなたの魂は龍脈へ還り、いつか転生してこの世界に蘇る。私は霊龍としていつまでもあなたと生きたこの世界を守り続ける。」
と、ユヅルが言った。二人が暫し沈黙した後、イツキがその沈黙を破った。
「あなたがそこまで仰るのなら、わたしは特殊召喚であなたと共に逝きます。そしてわたしもまた、龍脈に身を委ね、わたしという個を失い、この世の全ての生命と同化して、戦から戻って眠るあなたの魂を抱擁することができるでしょう。」
それからミチルは眠りに落ちたのか、声は聞こえなくなったが、震える涙声の父母の会話を思い出し、その意味はよくわからなくても、何となく『両親は死んでしまうんだ』『もう帰ってこないんだ』と察知した。
 離島群を廻る連絡船に乗り、ツキ島に着いた。青龍国の南東の海域に点在する離島群の中でも、最も大陸から離れた位置に、三日月のような形状から名付けられたツキ島がある。イツキの生まれ故郷であるツキ島にはイツキの兄夫婦と娘のマユ、イツキの母が一緒に暮らしていた。イツキの娘・ミチルよりは、従姉のマユは5つほど年上だったが、イツキがユヅルとの結婚を反対されて島を後にして以来、島に戻るのは今回が初めてなので、ミチルはマユは勿論伯父夫婦とも祖母とも初対面だった。
 「ご無沙汰しております。只今戻りました。」
イツキが兄を訪ねると、兄は腕組みをして後ろを向いたまま、黙っていた。その傍らで、兄嫁とイツキの母は居心地が悪そうにしていた。
「もう再び島へ戻るつもりはありませんでしたが、大事なお願いがあって戻りました。手紙に書いた通り、ミチルをこちらで引き取って頂けませんか。」
イツキがそう言ってユヅルと共に頭を下げたが、兄は微動だにしなかった。兄嫁は、場の雰囲気を察して、マユを呼んだ。
「マユ、ちょっといらっしゃい。」
マユが顔を出すと、兄嫁はミチルとマユを引き合わせ、
「一緒に遊んでおいで。」
と、マユにミチルを連れ出させた。
「『その朱雀の男と一緒になると言うなら勘当する、もう兄でも妹でもない』とあの時お前に言ったはずだぞ。お前ももう二度と島には帰らんと言って、出て行ったはずだ。今頃になって、しかも、夫婦で戦争に参加するから子供を引き取れだなんて、あまりにも身勝手だとは思わんのか。」
兄は今にも爆発しそうな感情を抑えるかのように低い声で言った。
「それは重々承知しています。その上で、どうかお願いします。」
「私たち夫婦はいくら責められても仕方ありません。でも、ミチルはお義兄さんにとっては姪にあたります。孤児になって路頭に迷わせるよりは、ここで共に暮らす方が良いとは思われませんか。」
イツキとユヅルがそう言ったが、兄は黙り込んで、答えなかった。沈黙を破るように、イツキの母が言った。
「イツキ、ユヅルさん、まさかとは思うが、あんたたち特殊召喚をするつもりではあるまいね。」
二人がはっとした表情を浮かべるのと、兄が驚いて振り向いたのが全く同時だった。
「やはりね、そんなことだろうと思ったよ。巫術師のイツキだけならまだしも、ユヅルさんまで一緒に行くと言うから、ただ事ではないと思った。よっぽどの覚悟じゃないと、敢えてここまで頼みには来ないだろうと思ったよ。そうでもなきゃ、二人揃って戦争に行くからミチルを、『預かって欲しい』じゃなく『引き取って欲しい』だなんて言わんだろう。」
「そうなのね?」
兄嫁がイツキたちに向かって、母の言葉が正しいかを尋ねると、二人は頷いた。
「それこそ身勝手だろう!親が子供を置いて心中するようなものじゃないか!」
兄は立ち上がり、口調を荒げた。
「おだまり!!」
それを制したのは母だった。
「お前さんにはわからんかもしれんが、巫術師というものは、生まれながらにして、自分の命よりも与えられた使命を果たすことを優先せねばならないという宿命を背負っているもんだ。国のために命を捧げるのが巫術師の使命。イツキはその使命のために、戦場へ赴く覚悟を決めたんだ。そして、ユヅルさんは異国人の身でありながら、イツキと青龍の国のために魂を捧げる覚悟を決めたんだ。もうこれ以上外野がどうこう言うもんじゃない。」
戦場での怪我が元で引退したが、かつては巫術師として活躍していたイツキの母は、使命を果たそうとしているイツキの意志を尊重しようと決めた。
「だが、しかし、…。」
いつになく強い口調の母に論破されかけて、動揺する兄が二の句が継げないでいると、兄嫁も
「あなた、ミチルはわたしたちで育てましょう。」
と言った。兄嫁もまたかつては魔術師として活躍していたが、今は現場を退いて家と家族、故郷のツキ島を守ることに専念していた。
「わたしは今家族と家を守るので精一杯だから国境の戦場で戦うことはできません。わたしに出来るのは、マユに妹が出来たと思って、二人に代わってミチルを育てること。戦っているのは、戦場に居る者だけではありません。あなたは、島に戦火が及んだら、家族や島を守って戦うでしょう。ならば、ミチルも家族として守り育てることが、わたしの戦いです。」
「お、お前まで…。」
兄は母と妻に気圧されて意気消沈した。
「イツキ、本当に逝くのか。ユヅルさんと一緒に。」
「ええ、もう二人で決めたことですから。」
「お義兄さん、ミチルをよろしくお願いします。」
二人に深々と頭を下げられ、妻と母に激しく頷かれて、兄は認めざるを得なくなった。
「わかった。ミチルのことは引き受けよう。」
「「ありがとうございます!」」
その夜は家族揃っての最後の晩餐になると、盛大な宴が催されたが、楽しそうに語り、歌い踊る家族はそれぞれが心の奥底で、今生の別れをかみしめていた。幼いマユとミチルも、何となくそれを察知してはいたが、子供らしく楽しんで見せることが、大人たちのためだと、無邪気さを装っていた。
 翌朝、帰りの連絡船に乗る両親に向かって、笑顔で手を振って別れたミチルだったが、心の中では土砂降りの雨が降っていた。健気に涙を堪えたのは、もし自分が涙を見せたら、両親の決意が鈍るだろうと、幼いながら感じていたからだった。
 ツキ島で暮らすこととなったミチルは、元巫術師の祖母、元魔術師の伯母に、従姉のマユとは本当の姉妹のように分け隔てなく育てられた。島を目指す旅の途中に、イツキから折に触れて巫術師としての使命や誇りを語り聞かせられていたミチルは、母に憧れていたこともあり、成長に伴ってマユが魔術師になったように、ミチルも巫術師を目指すようになったが、伯父だけは良い顔をしなかった。それは、一時は仲違いしていたとはいえ、たった一人の妹を亡くしたことで、妹の忘れ形見である姪には、平穏な暮らしをして欲しいと願ったからだと理解はできたが、祖母と伯母はミチルを応援してくれた。
「ミチルは巫術師なんかにならんで良い。青龍の巫術師の血を引いてるとはいえ、半分は朱雀の血を引いてるんだから、俺らよりも丈夫で長生きできるはずだろう。何もよりによって巫術師になんぞなることはない。島の男に嫁いで、子供を産んで、静かに暮らせば良い。」
「伯父さん、ごめんなさい。心配してくれる気持ちはすごく嬉しいんだよ。でも、マユが魔術師になるのと、わたしが巫術師になるのとは、そんなに違わないと思うよ。」
「いや、違う。魔術師は攻撃するにも防御するにも魔法が使える。巫術師が戦うには、霊龍を召喚せにゃならん。霊龍は強いだろうが、生身の巫術師は護身術くらいしか使えん。渡河の祈りを捧げるだけならまだしも、ナマナリと戦うだとか、戦争に行くだとか、とんでもねぇ。ミチルの身に何かあったら、俺はイツキに顔向けできん。」
伯父の気持ちは嬉しいが、そんなことで巫術師になりたいという夢を諦めるミチルではなかった。
「そういう頑固なところが母親似なんだろうねぇ。止めたところで、止まるものか。お前さんもそれくらいわかっとろう。」
祖母がポツリと呟いた。
「ぐっ…。」
伯父が言葉を失い、伯母とマユが笑っていた。
「我が子が魔術師になって、危険な魔法で戦うことは危なくないんですかね。ねぇ、マユ。薄情なお父さんよね。」
「本当だわ。お父さんはいつも、ミチルのことばっかり心配してるけど、あたしのことはどうでもいいみたい。」
「いや、そんなことはない。マユは強いけど、だからって心配してないわけじゃないんだぞ。」
「本当かしら?」
「本当だって。マユもミチルも二人とも可愛い娘だ。どっちも大事に決まってる。」
不器用ながら、伯父の愛情は痛いほど感じていたが、ミチルの両親が命をかけて戦って終わらせたはずの戦争からまだ日が浅いというのに、再び不穏な気配が漂い始め、島でも青少年が自警団を作って訓練を繰り返すようになり、巫術師になることは絶対に譲れなかった。もし戦争が始まり、いつかこのツキ島にも危険が迫った時、マユは魔術師として戦うだろう。マユの恋人のレンも自警団に入り、親友のナギと共に毎日剣術や体術の稽古に勤しんでいる。だが、ミチルが巫術師となり、護りたいのはこの島だけではなかった。両親が命がけで護ろうとしたこの世界を、未来を、自分が護るために、ミチルは戦争が始まったら最前線へ向かうつもりでいた。母から聞いていたイザヨイという人物が、今首都ミヤツコで上級巫術師になっているという。イザヨイならきっと力になってくれるから、と言っていた母の言葉を信じ、ミチルは毎日巫術の修行に励んでいた。
 
§ 魔法刀・漣 §
   白虎領朱雀自治区の研究施設から逃亡した朱雀の民・カイが、青龍の国の南部の人里離れた集落で、妻ミチルと一人娘ノゾミと隠れ住むようになってから、既に120年近い月日が流れていた。青龍の民であった妻ミチルは既に他界し、不老長命な朱雀の民であるカイの血を半分受け継いだ娘ノゾミは、不老ではなかったが、一般的な青龍の民の寿命と比較すると、かなりの長命であった。100歳を過ぎた超高齢のノゾミは特段持病もなく健康そのものではあったが、老化による心身の衰えは日に日に顕著になり、末期的な認知症状と老衰で枯木のようになりながらも、細々と命を繋いでいた。妻を失った時に、いつかこんな日が来ることは十分覚悟していたつもりではあったが、娘が最期まで妻を介護してくれたように、今度は自分が最期まで娘を介護しないといけないのは辛かった。自分たち家族しか居ない集落で暮らし続けたために、妻子が先に老化し亡くなっても、120年前から変わらぬ姿のままの自分だけが一人取り残されることになると、頭ではわかっていたようでも、実際に現実となるまでは全く実感が湧かなかった。結局自分のために家族を犠牲にしたことを思い知らされて、今は贖罪のつもりで妻の墓に花を手向けて祈り、献身的に世話をした娘の大往生を最期まで看取り、妻の隣に墓を作って弔った。
   本来なら先の戦争が終結した時に、カイは朱雀の地へ戻ってもよかったのだが、家族と共にここに骨を埋めるつもりで留まることに決めていた。終戦から5年も経たぬうちに再び戦争が始まったが、戦場から遠く離れ、人里離れたこの地ならば戦火に巻き込まれることもなかろうと思っていた。
 そんなある日、カイにとっては青天の霹靂とも思える事件が起きた。かつてのカイが研究施設から脱走した時のように、普段なら人が足を踏み入れることのないこの地に、青龍軍の負傷兵らしき若者が一人迷い込んだのであった。満身創痍の若者は長い黒色の総髪を撫で上げて額を顕にしており、水色の刀身がきらきらと輝く魔法刀を握ったまま苦しそうに呻いていた。

「君、大丈夫か?しっかりしなさい。立てるか?」

とカイは手を差し伸べて若者に声をかけた。若者は声の主が朱雀の民であったのに驚いたようだったが、カイが手を握って体を起こさせると、何とか立ち上がることができた。

「肩を貸せば歩けるか?私の家まで連れて行こう。」

カイが彼を支え、ゆっくりとなら何とか歩けるようだった。

「何で、朱雀の、民が、こんな、所で…。」

彼は途切れ途切れに言葉を発した。

「消耗が激しいからあまり喋らない方が良い。私は君の敵ではないよ。安心したまえ。」

家に辿り着いた時彼は気を失なっていたが、カイは彼を介抱し、保護することにした。

「ここは?」

目を覚ました若者にカイが答えた。

「私の家だよ。私はカイ。森で倒れていた君をここまで連れて来た。覚えてないかも知れないが。」

「いや、ぼんやりとは覚えてるよ。オレの名はレン。戦争で大きな怪我をして、戦線離脱した。故郷のツキ島へ帰ろうとして、途中で方向を間違えて道に迷った。なるべく安全に身を隠せる場所を探して森へ入ったところまでは覚えてるんだが、急に意識が朦朧としてきて倒れちまったみたいだ。」

レンは直感的にカイが敵ではないと悟って安心したのか、少し饒舌になった。

「良かった。少しは元気が出たようだね。食事を用意してある。食べられそうなら食べると良い。」

カイがそう言って示した食卓には食事の支度が整っていた。

「君が元気になって集落から出て行くまでは面倒を見るよ。この集落には私しか住んでないから、遠慮は無用だ。昔私も君と同じようにここへ迷い込んで保護されて、そのまま居着いたので、他人事のような気がしない。」

初めてカイと正面から向き合う形になり、視線がぶつかると、レンは思わず

「碧眼…。」

と呟いた。

「あんた、白虎から逃げて来た被験者なんだな?」

カイはレンの言葉には答えず、眼を逸らした。

「ま、そんなことはどうでも良いけどな。とにかく腹が減ってるから、遠慮なく飯を頂くぜ。」

レンは笑って食事を食べ始め、

「あんたが作ったのか?これ、うめぇな。」

と無邪気な笑顔で言った。

 レンは陽気な性格で、話し好きだったので、長い間常に無言のノゾミと二人暮らしだったカイは、あまりにも沈黙に慣れすぎてしまっていたから、突然暗闇に灯が点ったように家の雰囲気が明るくなり、他愛ない雑談も、軽妙な口調で楽しそうに話すレンに乗せられて、聴いていると明るい気分になれた。怪我が酷く、体は自由に動かせなくても、口が達者で重症者には思えないほど元気そうなレンだったが、日を追うごとに明らかに元気な素振りが空回りするようになり、一旦は回復の兆しも見えたかに思えたが、一転して加速度的に衰弱して行った。げっそりと頬が痩けて、目の下の黒い隈が濃くなり、顔色も蒼白く、くるくる表情を変える子犬のように愛らしい黒い瞳にも陰りが見えるようになると、口数も減って来て、今までのレンとは別人のように窶れて見えた。

「なあ、カイ。」

レンがいつになく真面目な面持ちで声をかけた。

「オレはあんたのこと友達だと思ってる。あんたもそう思ってくれてると、勝手にオレは思ってる。だから、オレ、あんたに頼みたいことがあるんだ。オレの一生のお願いだと思って、聞いてくんねえか。」

カイは初めて自分を友達と呼んでくれる者が居たことが、震えるほどに嬉しかった。

「私のことを友達と呼んでくれたのは、君が初めてだよ。レン。勿論だ。君の頼みなら、例えどんなことだろうと、必ず叶えてみせる。」

カイの言葉に、レンは力なく微笑んで言った。

「ありがとう、カイ。オレのこと助けてくれて、今日まで世話してくれたこと、心から感謝してるぜ。でも、もうオレはダメみたいだ。オレの体のことは、オレ自身が一番わかってる。オレの命はもうそんなに長くは持たない。でも、このままじゃ死んでも死にきれない心残りがあるんだ。それは、この魔法刀『漣』。オレが故郷のツキ島を目指していたのは、この刀をくれた婚約者のマユに、死ぬ前にもう一度会って、漣を手渡すためだったんだ。でも、もうそれは、できそうにない。だからあんたを友達と見込んで、漣をあんたに託す。頼むよ、カイ。オレが死んだら、こいつをツキ島の魔術師・マユに届けてくれ。『こいつをオレだと思ってくれ』ってオレが言ってたと、伝えてくれないか。あんたが引き受けてくれたら、オレは安心して死ねる。でなきゃオレの魂は未練が高じてナマナリになってしまいかねない。最初から最期まであんたには甘えっぱなしだけど、オレのこと、もう一度助けるつもりで、引き受けてくれよ。」

近頃には珍しく饒舌に語りながら、レンはぼろぼろ涙を流していた。

「君の気持ちはよくわかったよ。レン。何で私が君の願いを断るものか。私の命に代えても、君の願いは叶える。必ずやツキ島へ行って、君の婚約者、魔術師のマユを探し、漣を渡して、君の言葉を伝えるよ。本当は君がそれを自身でできるなら、それが一番良いんだが。」

奇跡が起きない限り、それが実現できないことは、レンにもカイにもわかっていた。二人は静かに見つめあい、涙を流しながら微笑んで頷いた。それは互いに相手を親友と認めあえた瞬間だった。

 その後間もなくレンは安心したように静かに息を引き取り、カイは最期までレンの手を握っていた。そしてカイは、唯一無二の親友の墓を妻と娘の隣に作ってレンを弔い、レンの遺言通りに、カイは漣を携えて、長年住み慣れた家を離れ、ツキ島を目指した。大陸側の港から、離島群を巡る連絡船に乗り、ツキ島へ到着した途端、カイは猛烈な眩暈と激しい頭痛に襲われた。療養中の雑談でよく故郷の話を聞かせてくれたレンの話を思い出し、マユの家を探す途中の砂浜で、ついにカイは気を失った。カイが受けた人体実験の影響により、副作用で脳に障害が生じていて、環境の変化等の些細な切欠で、記憶障害が惹き起こされるという後遺症を自身が抱えてしまっていることなど、カイには知る由もなかった。頭痛や眩暈を起こした記憶すら失ってしまうカイの異状に気づき、その原因を察していたにも関わらず、彼に告げることもないまま、ミチルも、そしてノゾミも亡くなってしまい、カイ自身は全く自覚もなく、指摘する人もない一人暮らしを続けて来たのであった。更に、最愛の娘と唯一無二の親友を立て続けに亡くしたことで、その自責の念や無力感が、カイの精神をズタズタに痛め付け、最早異常を来しても不思議ではないほどまでに衰弱しきっていたため、今までの軽い記憶障害では治まらず、カイは失神している間に過去の記憶の全てを失い、此処に来た目的も、何処へ行こうとしていたのかも、生涯で初めての、唯一無二の親友の遺言を遂行することさえも、完全に忘れてしまっていた。

 何も知らないマユとその従妹であるミチルは、偶然失神している彼を見つけ、何処かレンを想起させる陽気な彼に、『朔の日に出会ったから』という理由でサクという仮の名を与えたのであった。自らの名前だけでなく、自分自身の存在さえも見失ったカイが、混濁する記憶の欠片から、本来の自分とは正反対の、憧れの存在であった親友を自分に重ね合わせ、まるでレンに生まれ変わったような偽りの人格を無意識に演じていることなど、ミチルとマユだけでなく、当のカイ自身すら、知る由もなかった。

 § 失われた思い出の中で §

 自分の本名がカイで、旧朱雀領の実験施設から脱走したこと。遥か昔にミチルと同じ名前の青龍の女性と結婚し、ノゾミという娘が生まれたこと。かつて幼いミチルとその両親にも、ミチルの従姉・マユの婚約者で魔法刀漣の持ち主であるレンにも、出会っていたこと。白虎での人体実験の影響で記憶障害の後遺症が残っていて、ノゾミとレンが相次いで亡くなったのを切欠に過去の記憶を全て失ったこと。その時無意識に本当の自分ではなく、レンを模した別人格のサクとして生きようとしてしまったこと。

驚き、俄かには信じ難くて戸惑うミチルに、サクではなく、カイに戻って語った。

「私は、サクとしてあなたの思い出の中でじっとしているべきだった。かけがえのない青春の思い出は綺麗で、美しくて、いつまでも深く心に刻まれ残るけれど、それはきっと思い出のままだからこそ美しいんだ。どんなに恋しくても、愛おしくても、生々しい現実の中でその思い出に触れるべきではなかった。でも、信じて欲しい。私がサクとして生きていた時にあなたを愛した気持ちだけは本物だった。その思いだけは決して嘘ではなかった。だが、もうサクではなくなった私はここには居られない。」

「どうして⁉何処へ行くの⁉」

ミチルは愛した人を再び失う衝撃に涙を流して縋るように言った。

「ここは私の居場所ではないから。そしてこのままあなたと共に生きたとしても、私はまたあなたを失う。かつて妻と娘を失ったように。あなたが老いてこの世を去っても、私はこのままの姿で、まだ遥かな時を一人で過ごさねばならない。もう私は二度と目の前で愛する人を失いたくないんだ。すまない。どうかあなたはもう私のこと、いや、サクという男のことは忘れて、あなたに相応しい男と添い遂げて欲しい。私はあなたが幸福で、いつも笑顔でいてくれる方が良いと思う。」

「いっぱい辛い思いをしてきたのね。あなたのために何も出来なくてごめんなさい。でも、わたしは本当に心からサクのこと、愛してた。」

「それは十分わかっている。サクも本当に心からあなたのことを愛していた。その気持ちには微塵も嘘はなかったと私が保証する。ただ、サクは実在しなかった。私が無意識に演じ続けて来た架空の人物だ。全てを思い出した今、私は再びサクの人格に戻ることは出来ない。あなたが愛したのはサクであって、私ではない。だから私はこれから再びカイとして生きる。サクは5年前の戦争で死んだんだ。そう思ってあなたはこれからサクの居ない人生を生きることだ。」

「さよなら…なのね。今度こそ本当に、お別れなのね。」

ミチルは涙を拭ってカイを見た。その姿も深くて暗い碧色の瞳も、最早サクとは違う別人にしか思えなかった。

「あなたはどうか幸せになってください。世界の片隅から祈っています。」

カイは目を伏せて、心を込めてそう語った。

「ありがとう。あなたも、どうか、お幸せに。」

ミチルは笑みを浮かべて言った。

§ エピローグ §

 カイは守羅院を後にして、かつて暮らした南部の集落へ戻った。運よく戦火を免れたのか、廃墟となった集落に残された妻ミチルと娘ノゾミ、親友のレンの墓は無事だった。小さな三つの墓に花を手向け、長期の留守を詫びて祈りを捧げた。

その後カイの姿を見た者は誰も居なかったが、時折三つの墓に花が手向けられ、カイが今も何処かで生きていて、墓参に訪れた証だけが残されていた。

 数年後、『巫ご成婚』の朗報で青龍の国は活気づき、更にその後『ご懐妊』から『女児ご出産』と慶事が続いて、青龍の民は歓喜した。夫君の献身的な支えもあり、巫・ミチルは『平和で幸福な世界』という目標をほぼ実現するという偉業を成し遂げ、ミチルの巫就任以降、世界に戦争が勃発することは絶えてなかった。ミチルの死後、後継者としてミチルの娘が巫に就任し、以降もミチルの子孫にあたる女性が代々巫を継承し、永く青龍の国を中心とした世界は繁栄した。

 後世の巫により、首都ミヤツコに『救国の英雄・青龍の救世主(アギト)』と崇められた特級巫術師イツキと、その夫であり紅龍の御柱様でもある朱雀の民・ユヅルの巨大な銅像が建立され、代々の巫を祀る霊廟がその傍らに造られた。救世主像と霊廟は青龍の民にとって信仰に準ずる敬愛の対象であり、自国他国を問わず観光ルートとして有名になった。人々は銅像と霊廟に並ぶ歴代巫の墓石に手を合わせ、今日の平和と繁栄を齎した感謝の祈りを捧げた。霊廟には案内係を兼ねた管理人が常駐し、参拝者に個々の巫の功績などの解説をして聞かせていた。

 「こちらが、過去の戦争で青龍の国に勝利を齎した救国の英雄・青龍の救世主と呼ばれた特級巫術師イツキ様とその夫君にして紅龍の御柱様である朱雀の民・ユヅル様、ご夫妻の銅像になります。特級巫術師にしか出来ない特殊召喚により、イツキ様は夫君の身体より生きたまま魂を抜き出して、御柱様となられたユヅル様は半死半生の紅龍の姿に変えられました。特殊召喚には自身の全身全霊、命や魂までも全て魔力に変換する必要があるためイツキ様は召喚により絶命され、消滅されましたが、紅龍となられたユヅル様は白虎軍が壊滅寸前となるまで魔導兵器を破壊し尽くされました。戦闘終了後、紅龍となられたユヅル様は人としての意識を失ったまま龍脈にて眠りにつかれ、再戦時には、巫術師となられたご息女、後の初代巫・ミチル様の召喚に応じて再び白虎軍を殲滅し、これを機に一気に終戦に向かったのです。霊龍の召喚も殆ど必要のなくなった平和な世の中で、今も紅龍となられたユヅル様は龍脈の中で眠りにつきつつ、万が一の有事に備えて青龍の国と民を守り続けておられるのです。」

巨大な銅像を見上げる参拝者たちに向かって、管理人が当時の戦況や、特殊召喚についての説明を行うと、中には涙を流して像に手を合わせる者もいた。管理人は頃合いを見て参拝者に声を掛け、歩きながら説明を続けた。

「では皆さん、次にご案内しますのは、歴代巫の霊廟です。巫とは古代青龍の国を統べた者の呼称でしたが、王や帝のような絶対的存在であった古代の巫制度は遥か昔に既に廃止されておりました。戦時中に活躍した上級巫術師イザヨイ様や、若者たちのみで編成され、青龍の救世主の娘・ミチル様が所属したという、伝説のスバル隊の面々が戦後も民の指導に当たっていましたが、復興を先導し、新しい未来の世界に対する希望の象徴として、巫を復活すべしという機運が高まり、巫に相応しいのは救世主の娘であるミチル様しかないという民の声を反映して、ミチル様が初代巫に就任されました。ミチル様がこの新世界の母として礎を築き上げてくださったからこそ、現在に至る発展を遂げて来たのです。戦場にあっても、『白虎の民にも朱雀の民にも家族や仲間が居る』と、魔導兵器は破壊しても、その操作をしていた白虎兵や、白虎の非人道的研究の犠牲となり、人間の盾として最前線に追いやられた朱雀の疑似魔導師に対して、『可能な限り命を取らずに戦闘不能にする』というミチル様の理想を、当初は受け入れられない者も居たには居ましたが、自らの命を国に捧げたご両親の志を受け継がれた、ミチル様の固いご意志は皆の心を打ち、復興の象徴として巫に選ばれたのは必然と言っても過言ではないでしょう。」

 霊廟に入り、一通りの説明を終えた管理人は、並んだ墓石を順に示しながら、歴代の巫の功績の解説を始めたが、そっと参拝者たちの列から離れ、一人立ち止まる朱雀の民が居た。その視線の先には、初代巫ミチルと、その娘にして二代目巫『ノゾミ』の墓標があった。

彼は目を伏せて掌(たなごころ)を合わせ、じっと祈りを捧げていた。暗い色の硝子が嵌め込まれた眼鏡をかけた彼がそっと眼を開けたが、その瞳が深く暗い碧色であることに気づいた者は誰一人いなかった。そして彼は管理人と他の参拝者たちを霊廟に残したまま、そっとその場を後にした。彼がかつてサクという名で呼ばれ、伝説のスバル隊の一員であったことを知る者は誰も居ない。

(おわり)

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Bitter Sweet Memories③

2022-11-13 21:44:12 | 小説


(②からのつづき)

§  流れる時間・積み重なる時間  §

 戦場で行方知れずとなったサクは、青龍領の離島群の一つにいた。白虎軍の魔導兵器による強大な風魔法で竜巻に巻き込まれて姿を消し、ミチルとスバル隊の活躍により戦争が終結したことも、仲間たちが生死不明となったサクを懸命に捜索していたことも知らず、身元不明の患者として診療所の寝台の上で、昏睡状態のまま5年間眠り続けていた。海上を漂流していたのか、その島の海岸に流れ着いたところを島民に救助され、診療所へ担ぎ込まれたが、戦場で負った傷は命に係わるほどではなく、朱雀の民の驚異的な回復力も手伝って既に完治していたが、昏睡状態に陥った原因が不明で、治療の方法もわからず、戦争の影響で大陸の医者も不足しており、離島の診療所への応援など望めない状態のまま、薬師を兼ねた島の魔術師が手探りで治療を続けていた。ただ目を覚まさないだけで、静かに眠っているような状態が続き、それ以外には異状のないまま時間だけが過ぎて行った。

(知らない天井だ…。ここは何処だ?オレ、どうなったんだ?)

うっすらと目を開けたサクはぼんやりとした意識の中でそう思った。どんよりと濁ったまだはっきりしない意識の中で、視線を動かしてみると、ぼやけてはいるが周囲の様子も見ることができた。それは今までに見た覚えのない場所だった。

「目が覚めたかい?」

声の主は老女だった。

「あんた戦争に行ってたんだろ。朱雀の民なのに、白虎の魔導武器ではなく、青龍の魔法刀を持っていて、気を失っていても魔法刀だけはしっかりと握りしめたままで海岸に打ち上げられていたのを、漁師が見つけてここに担ぎ込んだんだ。それからずっと眠り続けていたのは、やはりその碧眼の所為だったのかもしれないね。」

「オレ、どれくらい眠ってた?戦争は、どうなった?」

サクはまだくらくらする頭を持ち上げて上半身を起こした。

「あんたは5年間眠ってたんだよ。戦争はとっくに終わった。あんたが流されて来た後すぐにね。西の国境での激戦に青龍の国が勝ったんだよ。」

「オレ、帰らなくちゃ…。」

老女の言葉を聞いて、サクは呟くように言った。

「何処へ帰るか知らないが、いくらあんたが碧眼持ちの朱雀の民でもすぐに動くのは無理だろう。まずは滋養のあるものを食べて栄養を補って、回復訓練で体を鍛えないと、四肢が枯れ枝のように細くなって力も衰えているのがわからんか。旅ができるほどに回復するまでは、この島からは出られんよ。」

サクは『島』という言葉に反応した。

「オレ、ツキ島に行く。オレに魔法刀をくれたのが、ツキ島の魔術師・マユなんだ。」

「ツキ島なら、この島のすぐ隣島だが…。」

偶然にもサクが居たのはツキ島に近い離島の一つだった。サクは数日間回復訓練を行ったが、またしても朱雀の民の驚異的な回復力で、常人ではありえない程早く日常生活に戻れるほどに回復した。

「ツキ島に戻るなら、朝早く島の港に行けば漁船が出る。漁師に頼んで船に乗せてもらうと良い。」

「本当か?ありがとう。明日行ってみるよ。」

「無理するんじゃないよ。マユによろしくな。」

老女から教えてもらった通り、早朝に港に居た若い漁師に頼んで、漁のついでにツキ島へ送ってもらえることになったサクは、期待と不安を胸に船に乗り込んだ。ツキ島へ到着し、記憶を辿りマユの家を目指したが、そこにマユの姿はなかった。

「あなた、ミチルと一緒に大陸へ渡った…。」

マユの母が驚いた顔で迎えた。

「あの、マユは?」

ミチルのことが訊きたかったが、何故かそれを口にすることは出来なかった。

「マユは戦争の後に結婚して、子供も生まれたの。今は別の家に住んでいるわ。」

マユの母はそう言って、現在マユが暮らしている家を教えてくれたが、ミチルのことは口にしなかった。サクは、もしや自分が行方不明になった後、ミチルが死んでしまったのではないかと思うと怖くて自分からは訊けなかった。

「ありがとうございました。」

サクはマユの母にそう言うと、教えられたマユの家を目指した。その家に近づくと子供の泣き声が聞こえ、家の外で幼い女児を抱いてあやしているマユの姿があった。華奢だった体は少し肉付きが良くなり、鋭かった眼つきは優しい母の眼になっていた。

「マユ…。」

恐る恐る声を掛けたサクを見て、マユは少し驚いた顔をした。朱雀の民は不老長命の特異体質を持っていると知ってはいたが、サクは5年前に出会った時のまま、少しも変わっていなかった。

「サク…なのね?」

そう言うとマユはかつてのような凛とした表情に戻り、

「入って。話は家の中で聴くわ。」

とサクを誘った。マユの娘は見たことのない姿のサクに驚いたのか、泣き止んで顔を強張らせていた。

「ナギ、ごめん、この子のお守、ちょっと交代してくれない?」

「あ、ああ。」

マユが家の中に居た夫に娘を委ねると、夫は状況を察したのか、黙って娘を抱いたまま外へ出て行った。サクはマユの夫には見覚えがあった。マユの夫は、レンとマユの幼馴染・ナギに違いなかった。5年前、短い間だったがツキ島に滞在している時にナギに会ったことをサクは漠然と覚えていた。ナギはかつてレンと一緒に自警団に入ったレンの親友で、三人は子供の頃からずっと仲が良かったと聞いていた。ただ、今のナギは左眼に眼帯をし、左腕に義手、左脚には義足が装着されていた。悪意なくナギを見つめていたサクの視線を感じ取ってマユが言った。

「ナギのこと、覚えてるでしょう。戦争末期にこのツキ島始め、離島群にも白虎軍の飛空艇がやって来て、魔導爆弾を投下したのよ。その時にナギはあたしを守って負傷した。命は助かったけど、ここでは高度な治療なんて出来る訳もなく、彼は左眼と左の手足を失った。あたしにできることは、回復治癒魔法で傷を治して痛みを取ることと、装具を作ってあげることくらいしかなかったわ。」

「でも、マユはレンの婚約者だったんだろ?マユはもう、レンのこと、忘れてしまったのかよ?」

サクは、マユがレンの親友だったナギを夫に選んだことに違和感を拭い去れなかった。死んでしまったレンのことを思い続けたままずっと一生一人で居ろというつもりはないけれど、マユがあれほど愛してやまなかったレンを忘れてしまったように思えてしまい、何だかレンが不憫な気がして、割り切れない思いだった。

「レンのことを忘れたことは一日だってなかったわよ。まるで自分の半身をもぎ取られたように辛くて苦しくて悲しくて、どうにも遣り切れなかった。でもね、戦争が激しくなって、ミチルとキミが大陸へ渡った後、離島群にまで白虎軍の攻撃が及んで、皆が自分が生きることに必死だったり、島を守ることに命を懸けているのに、もうそんなことは言ってられなかった。魔導爆弾が降り注ぎ、魔力が尽きかけて防御魔法も解除されて、『ああ、あたしはもう死ぬんだな』って思ったわ。『龍脈でまたレンに会えるならそれでも良いかもしれない』って。でもその時にナギは身を挺してあたしを守ってくれて、あたしの代わりに瀕死の重傷を負ったのよ。ナギは自分が死ぬかもしれないと覚悟した時に、『もし俺の命が助かったら、俺の嫁さんになってくれないか』ってあたしにプロポーズしたのよ。『こんな時に何言ってるの!』って叱ったら、『こんな時じゃないと言えないじゃないか』って笑ってた。あたしはその意気に感じて結婚を決めた。別に贖罪でも同情や憐憫でもないのよ。ナギは昔からいつも陰になり日向になりあたしを支えて来てくれた。レンと三人でいた時だってずっと。あたしがレンと婚約した時もナギは誰よりも応援してくれてた。レンが亡くなって、あたしがレンのことを忘れられないでいても、ナギはずっとあたしを支えてくれて、あたしのレンへの思いごと包み込んで愛してくれた。レンに対する気持ちとは違うけど、あたしはナギを愛しているわ。」

サクはマユの話を聴きながら、心の片隅でミチルのことを考えていた。幾ら深く強く愛していても、愛する人の傍に居られなければ、忘れられ、いつか愛情は冷めてしまうのだろうか。生死不明のサクのことを、もうミチルはすっかり忘れていて、既に他の誰かを好きになったりしてはいないだろうか。

「そんなことより、キミは何処で何してたの?戦場から行方不明になったって聞いたわ。」

マユは場の雰囲気を切り替えるようにサクに尋ねた。

「白虎の魔導兵器の魔法で、竜巻に巻き込まれて遠くへ飛ばされて、海で漂流してたらしくて、そこの記憶は全然ないんだけどさ、隣島に打ち上げられて、そのまま5年間ずっと眠ってたって、魔術師のばあちゃんが言ってた。最近突然目が覚めて、ツキ島へ帰りたいって、漁師の兄ちゃんに頼んで船に乗せてもらった。」

マユに訊かれても、サクにはそれ以上何も知らないし、わからなかった。

「ミチルは?ミチルは戻って来てないの?」

サクは勇気を振り絞ってマユに尋ねた。マユは少し沈黙して、意を決したように答えた。

「ミチルは今、首都ミヤツコの守羅院に居るわ。戦争が終わって、イザヨイ様や元スバル隊の仲間と一緒に復興の手伝いをするって言ったまま、ツキ島には戻って来なかった。ミチルは今『巫』になっているから、もう滅多にここへは帰って来られないの。」

「『巫』って何?」

サクはミチルが生きていて、守羅院に居ると聞いて安堵したが、聞き慣れない言葉に戸惑いを隠せなかった。

「この青龍の国を統べる者。戦争が終わって、朱雀の国は独立したし、魔導兵器開発や朱雀の民に対する非人道的な研究実験を抑止するため、青龍の国は白虎の国を監視する立場にもなった。今や青龍の国はこの世界の指導的立場にあるのよ。その青龍の国を象徴するのが『巫』。かつての救国の英雄・青龍の救世主夫婦の娘として、青龍の民の信頼と期待を担う者として、ミチルは選ばれた。もう手の届かない雲の上の人になったようなものだわ。5年前の、あの頃のあなたたち二人の気持ちはあたしにもわかっていたけど、ミチルにはもう会わない方がキミのためよ。今のミチルはあの頃とは違うから、きっと会えば後悔する。」

マユの言葉はサクには俄かに受け入れられないものだった。ミチルの両親の話は聞いていたし、ミチルと一緒に旅をしている間も、あちこちの集落でミチルに手を合わせて拝み、有難がる老人を何度も見た。ミチルの両親が青龍の民にとって神にも等しいような存在であるとしても、まだ若いミチルが国を、世界を統べる立場にある等と、サクにはどうしても想像がつかなかった。

「マユ、オレ、ミチルに会いに行く。ミチルが無事だったのはすごく嬉しいし、元気なミチルの姿が見たい。ミチルがオレのこと忘れてしまってたら、って思ったら、ちょっと怖いけど、オレが生きてることも知って欲しい。どうしてもミチルに会わなきゃ、オレ、これからどうしたら良いか、何も考えられない。」

険しい顔つきのまま視線を落としじっと考えていたマユは、意を決したように顔を上げてサクを見つめた。

「そう、そうかも知れないわね。実際に自分の眼で見なきゃ、納得できないわよね。例えどんな結果になったとしても、人生にはそこを乗り越えないと先に進めないって時があるもの。なら、行ってらっしゃい。キミが失ってしまった、あたしたちと出会う以前の記憶を取り戻すには、そこから解きほぐさなければいけないのかもしれないわ。気持ちに区切りがついたら、朱雀の国に戻るのも良いかもしれない。でも、覚えておいて。ここツキ島は、キミの第二の故郷よ。いつでも戻ってらっしゃい。」

サクの決意を、マユは受け入れて背中を押してくれた。姉御肌のマユは、レンの愛刀を託したサクを、身内同様に思ってくれているようで、サクの大陸行きも、その後の自分探しも、応援してくれているのだとサクは嬉しかった。

「明朝の連絡船に乗るのなら、今日はうちに泊まんなさい。夫は鷹揚な人だから、文句は言わないわ。ちょっと子供が煩いかも知れないけど、我慢してね。」

母になり、少し雰囲気が優しくなったマユは親切に申し出てくれた。マユの言う通り、夫は寡黙で余計なことは一切言わず、サクを受け入れてくれた。最初は怯えていた様子のマユの娘も、陽気なサクに警戒心が薄れたのか、次第に慣れて、声を上げて笑ったり、ちょこんとサクの膝に座っていたりさえした。

 翌朝の連絡船に乗り、サクは大陸を目指した。首都ミヤツコまでは、前回ミチルと共に旅した記憶をなぞるように進んで行った。戦争が終わったおかげで、前回のように頻繁にナマナリに襲われることもなく、穏やかな旅路だった。それでも護身用に漣は肌身離さず携えていた。最早それは単なる武器ではなく、マユやミチルとの絆の象徴のようにさえ思われた。自分でさえ何者かもわからないサクに漣を託してくれたマユと、そんな自分と共に戦ってくれたミチルと、漣がなければその縁が途絶えてしまうようで恐ろしかったから、きっとサクは意識不明となっても漣だけは手放さなかったのだろう。

 首都ミヤツコは5年の間にすっかり変わっていた。壊れた建物は美しく再建され、街にはたくさんの人が行き交い活気に溢れていた。広い道路に面した商店街には数々の店が並び、どこも賑わっていた。すれ違う人々も皆笑顔で、楽しそうに買い物や散策を楽しんでいる。サクはミチルが居るという守羅院を目指した。

 守羅院の門前に到着すると、警備員が二人立っていた。

「あのう、ミチル…さんに、会いたいんですけど。」

サクは何と言って彼らに来訪の用件を伝えたら良いのか迷ったが、結局思いついたままを素直に言葉にした。

「は?失礼ですがお約束はおありでしょうか?」

警備員は慇懃無礼に尋ねた。

「約束はしてないけど、オレ、ツキ島から来た元スバル隊のサクと言います。そう言ってもらえばわかります。」

警備員は不審そうにじろじろとサクを見たが、ミチルの出身地であるツキ島から来たことや、現在もミチルの側近の多くを占めるスバル隊の元隊員だということが事実なら、門前払いする訳にも行かないと思ったのか、

「暫くお待ちください。」

と一人が奥に消えた。その警備員からの報告は、今は巫の秘書を任されているイトのところに届けられた。

「わかりました。その者を通してください。まずはわたしが会ってみましょう。」

サクは守羅院の職員に案内されてイトと面会した。サクが本人であることを確認したイトはサクに告げた。

「お久しぶりですね。お元気な姿を見られて何よりです。ミチル様もお喜びになられるでしょう。ミチル様のご予定を管理しているのはわたしですから、あなたとお会いになれるよう、何とか調整します。すぐにお部屋を用意させますので、連絡があるまではそちらで旅の疲れを癒されては如何でしょう。身の回りのお世話をする係りの者もおつけしますので、何なりとお申し付けくださいね。」

イトの糸目はそのままだが、小柄だった彼女は少し身長が伸び、丸顔だった輪郭も少し縦に伸びて、切り揃えた前髪は伸ばして横に流し、二つに分けたおさげは下ろして肩までに短くなっていた。大人になってしまったイトに、サクは昔のような軽口を叩けそうにない雰囲気を感じて、ただ

「わかりました。」

とだけ答えた。

 係りの者と言われた男女二人の使用人が、守羅院内で巫以下青龍新政府の執務に用いられている本館からは離れた、来客の宿泊・滞在用に設けられた別棟にサクを案内した。そこは宮殿の一室のように美しく、生活に必要な設備の全ては整っている様子だった。望めば食事も入浴も就寝もいつ何時でも好きな時に用意されたし、好きなだけ堪能することが出来た。本館との間は広い庭に隔てられ、手入れの行き届いた花壇があり、庭の池には噴水もあった。最初こそ無邪気な子供のようにはしゃいでいたサクだったが、厚遇されるのは有り難いとはいえ、イトからの連絡はなかなか来ず、次第に気持ちが沈んで行った。もしかしたらミチルはもう自分のことは忘れてしまったのか、覚えていたとしてももう自分のことなどどうでも良くなってしまったのか、等と悪い想像ばかりが浮かんでは消え、サクは、「もうミチルには会わない方が良い」と止めたマユに対して「どうしてもミチルに会いに行く」と決意を告げたにもかかわらず、ここへ来たことが本当に良かったのかと今になって迷い始めていた。

「失礼致します。サク様、イト様よりご連絡があり、今晩日付の変わる頃にミチル様が別棟にお越しになるとのことでございます。」

世話係の使用人が恭しくお辞儀をしてサクに報告した。

「そっか。やっとミチルが来てくれるんだな。」

サクはほっとしたように呟いた。その日は一人で豪華な夕食を食べ、入浴して身支度を整えて、ミチルの来訪の時刻が来るまで待機していた。

「失礼致します。サク様、ミチル様がお越しになりました。」

使用人がそう告げて、扉を開けると夢にまで見たミチルの姿がそこにあった。紅と翠のヘテロクロミアの瞳はそのままだが、踵の高い靴を履いて少し身長が高くなったように見えるミチルは、茶色の髪を長く伸ばして先を巻いており、元々美少女ではあったが、赤い口紅や整えた眉などの化粧のせいか更に顔立ちがきりりと美しく見えた。ミチルは後ろに控えていた警備員や職員たちを下がらせ、世話係の使用人にも「呼ぶまでは来ないで良い」と指示を与え、後ろの扉が閉められてサクと二人きりになると、駆け寄ってサクを抱き締めた。

「サク!生きてたんだね。良かった。随分探したんだよ。…おかえり。」

ミチルの声も言葉も昔のままで、その姿との落差に、サクは違和感を感じた。ただ、ミチルの体の温もりが伝わってやっと、ミチルが生きていて今自分の前に居ることを実感した。

「ただいま…。ごめん、心配かけたな。オレ、5年間眠ってたみたいで。ツキ島に戻って、マユと会って、ミチルに会いたいって言ったんだ。そしたらここに居るって聞いて。」

「そうなんだ。でも、生きてて、また会えて良かった。」

ミチルはサクの体に回した腕に更にぎゅっと力を込めた。

「もう何処にも行かないで。ずっと傍に居て欲しい。」

ミチルは声を震わせてそう言った。

「会いたかった。ずっと、サクに、会いたかった。」

「オレもだよ。ずっとミチルに会いたかった。もしかしたらミチルはもうオレが死んだと思って、オレのこと忘れてるんじゃないかって思って怖かったけど、でも、やっぱり、どうしてもミチルに会いたくて。」

サクの声も震えていた。二人は涙を流しながら抱き締め合い、唇を重ねた。5年前は、互いに相手を想いながらも、戦争で死ぬかもしれない極限状態の中で、愛を確かめ合うことは出来なかった。だが今なら想いのままに愛し合うことができる。5年の月日はミチルの容姿を少女から大人の女性に変えてはいたが、サクの姿同様に、二人の想いは5年前からずっと続いていて、微塵も変わることはなかった。

 その夜、サクの部屋で二人は時を過ごした。朝までの短い時間を惜しむように、今はただ、互いに存在を確かめ合うように、求め合い、与え合うだけだった。

 その後、ミチルの客人として守羅院の別棟に滞在することとなったサクだったが、多忙なミチルは正に分刻みの予定に追われ、自由な時間はほぼ無いに等しい状態で、睡眠時間を削ってでもサクとの時間を捻出してはくれたが、見た目も少年の姿のままで、心も5年前で時が止まっているようなサクと、既に巫という重責を担う立場の大人の女性となったミチルとは、たまに会えて言葉を交わしても、徐々に心がすれ違い、時には些細なことから口喧嘩をするようになっていた。

 サクは、時に謎の頭痛に悩まされることもあり、5年間意識不明だった後遺症の可能性もあるからと、他のスバル隊の仲間たちのように新しい世界での役職や仕事を与えられるでもなく、療養という名の下に守羅院別棟に留め置かれ、定期的に守羅院専属の医療院から薬師が往診に来る以外には何の予定もなく、平和になった世界では手持無沙汰で、為す術もなく只管ミチルを待ち続ける日々を過ごすしかなかった。一方でミチルはあれほど深く愛し合い、恋しかったサクなのに、時にはまるで駄々っ子のような子供っぽい彼に苛立ちさえ感じてしまっては、後になって大人気なかったと後悔していた。いつの間にか二人が住む世界は、互いに相容れない全く違うものになっていた。

 それでも床に就くとミチルはいつも5年前に目の前から消えて行ったサクの姿を夢に見た。あの時の光景が鮮明に蘇って来て、夢の中で伸ばした手は空を切り、何度も名を呼んで叫んでも、儚く寂しげに微笑むサクの面影が、どんどん遠ざかり薄れていく。あの時は『もしもう一度会えるなら今度こそ絶対に離さない、もう二度と失いたくない、ずっと傍に居たい』と思ったはずなのに…。そう思った瞬間に目が覚めた。そのサクが今自分の目の前に居ることにほっとして思わず涙が出てしまうことさえあったが、現実の世界ではまた、物理的にも精神的にもすれ違い続けてしまうのである。

 サクもまた遣り切れない思いでいた。会いたくて恋しくて、やっとまた会えたミチルは自分の知っているミチルとは、同じであるようで同じではなかった。5年の間にミチルは外見もすっかり大人びたが、精神的にも、少年少女だったあの頃の自分たちとは違う大人の女性になっていた。大人になるともう恋愛感情だけでは生きていけないのだろうという理屈は、わかっているようで、よくわからない。世界の指導者となった今のミチルの仕事が大事なことも忙しいことも、それ故いつも疲れていることも、理屈としてはわかるが腑には落ちていない。二人だけになれる時間をどうしてもっと作ってくれないのか、二人きりでいる時は仕事のことや他のことは全部忘れて自分のことだけを見てくれないのか、ミチルもそれを望んでいてくれたのではなかったのか。あれほどお互いのことが好きで、大切で、自分が相手を思うのと同じか、もしかしたらそれ以上に思ってくれていると確信していた気持ちがぐらつく。『ミチルはもうオレのことは好きじゃなくなったんだろうか?いや、そんなはずはない!…ってどうして言い切れる?』とサクは自問を繰り返した。『悪いのは変わってしまったミチルなのか?それとも変われなかったオレなのか?』

 そんなある日、またしても些細な言葉の行き違いからミチルとサクは感情的になり、言い争いを始めてしまった。

「サクのバカ!サクなんて戻って来なければ良かった!」

ミチルは思わず心にもない言葉を投げつけてしまった。背を向けて黙り込むサクにはっとしたが、ミチルはその背中にかける言葉が出てこないまま、部屋を後にしてしまった。ミチルはつい感情的になってしまったことを後悔しつつも、普段から澱の様に心に沈み込んで溜まって来ていたどす黒いものが突然噴出したような自分に動揺し、意地を張って、仕事が立て込んでいたのを自分への言い訳に、敢えてサクとは距離を置き、冷却期間を設けるつもりでいたが、サクはそんなミチルの心情を察することが出来ずに、『もう完全に嫌われたかもしれない、修復不可能だったらどうしよう』と落ち込んでいた。そんなサクの脳裏に浮かんだのは、ツキ島の風景と「いつでも戻ってらっしゃい」と言ってくれたマユの言葉だった。

 サクは散歩にでも行くような素振りで守羅院を出て、大陸の南東部、連絡船の出る港を目指していた。ツキ島に着くとサクはその足でマユの家を訪ねた。そこでサクが目にしたのは、前に来たときは気持ちに余裕がなくて気づけなかったが、家のすぐ隣で小さな診療所を開き、薬師として働きながら、家庭を持ち育児にも奮闘しているマユの姿であった。訪ねて来たサクの異変に気付いたマユは診療が終わってから、娘を夫に委ね、かつてミチルが故郷のツキ島を出て鎮魂と戦闘の旅に出る覚悟を決めた時に、二人で海を眺めた思い出の高台へサクを誘った。

「最初に言ったでしょ。もうあの頃とは違うのよ。戦いの中で、いつ死ぬかわからない状況で、命を燃やして、それが本能なのか心理的効果なのかは知らないけど、多分そんな状況だったからこそ全身全霊で誰かを好きなった。世界に二人だけしか居ないような気になっていた。頭の中が好きな人のことでいっぱいで、他のことは何も考えられなかった。でも、世界が平和になり、歳を重ね、為すべき仕事が出来たり、家族を持ったりすると、『責任』というものがのしかかって来るし、考えなきゃいけないことも、やらなきゃならないことも待ったなしなのよ。相手のことが嫌いになった訳じゃない。ずっと好きなのは変わらなくても、それだけでは生きていられなくなるのよ。あたしだって、夫のことは一番好きで愛してるけど、娘が生まれたら、あたしが乳を与えて世話をしてやらないと娘は生きていられなかったし、まだまだ幼いからこれからも手がかかるわ。家のことだけじゃなくて、あたしには薬師としての仕事に対する責任もある。あたしが仕事で何かまずいことをしてしまったら、ことによると人の命にかかわることもあるんだから。他の人たちだって皆家族が居て家族のために一生懸命働いているのよ。まして、ミチルは今、この国を、この世界を、背負っているんだもの。全ての人たち、全ての家族のために、ミチルは働いているんだし、その全ての命や幸福に対する責任があるの。あなたのことが嫌いになったんじゃなくて、余裕がないんだわ。そのことはどうかわかってやって。」

マユはサクが何も言わなくても、サクとミチルの間に何があったかは察しがついたようだった。

「オレ、邪魔なのかな…。オレが居ると、ミチルに迷惑かけちゃうのかな…。」

サクは高台に設けられた柵を両手で握り、前屈みになって俯いたまま子供の様にぽろぽろ涙を零して言った。

「そうじゃないわ。ミチルに依存するんじゃなくあなたはあなたの人生を生きるのよ。そしてミチルに相応しい男になって、ミチルと共に歩めば良いの。」

サクはまだマユの言葉の意味が飲み込めていない様子だったが、マユはサクに家に戻ろうと声を掛け、次の連絡船が出るまでマユの家で泊まることにした。マユの言うように「自分の人生を生きて、ミチルに相応しい男になる」ということがどういうことなのか、サクには理解が出来なかった。

 一方でサクが失踪したことを知ったミチルは喧嘩のことを後悔していたが、忙殺されてサクを探すこともままならずにいた。そして、心の何処かではサクが居なくなったことに安堵するような自分が居る事に気づき、慌てて否定した。5年の間ずっと思い続けてやっと会えて、その体を抱き締めて感じたサクの肌の温もり。忙しい毎日だからこそ、自分を見失わないようにその拠り所としてずっと思い続けたその人が、もう二度と会えないかもしれないと思っていたその人が、やっと戻って来たというのに、付きまとうどこか満たされない気持ちは何だろう。彼は何も変わらない。変わってしまったのは自分自身。それはわかっている。でも今の自分の生活を変えることは困難だし、うまく折り合いをつけるほどに器用でもないから、ついつい彼に八つ当たりしてしまっていた。彼にどうにかしてもらうことなど出来ないことはわかっていながら、思い通りにならない不満を彼にぶつけてしまっていた。

 「ただいま。」

「おかえり。」

守羅院に戻ったサクを抱き締めてミチルは言った。

「心配したんだよ。もう黙って一人で何処にも行かないで。」

「うん、ごめん。」

いつもの元気もなく、言葉少ないサクに戸惑いながら、ミチルは尋ねた。

「どこに行ってたの?」

「ツキ島のマユんち。」

「マユは元気だった?」

「相変わらずだよ。母親になっても、マユはマユだった。」

いつも通りの他愛ない会話だが、あの太陽のような眩しい笑顔ではなく、サクの微笑みには何処か寂しげな影が差していた。

「オレ、疲れたから休むよ。ミチルも仕事で疲れたろ?また明日。おやすみ。」

「うん、そうだね。おやすみ。」

それ以降も二人の生活はすれ違い、サクは部屋に引きこもりがちになり、あまり元気がなくなった。ミチルに会えば浮かべる笑顔も何処か寂しげだった。

 

 暫く超多忙な日々が続いた後、久しぶりに少しゆっくり時間が取れることになったミチルはサクと過ごすことにしたが、サクはやはり沈んだ様子だった。

「どうしたの?調子、悪いの?サクらしくないよ。」

「オレらしくない…か。ミチルは5年経ってすっかり変わってしまったのに?」

「変わってなんか…。」

「オレには家族は居ないけど、今はオレがミチルの弟になっちゃったみたいだ。マユに『ミチルに相応しい男になれ』って言われたよ。でもオレにはわからない。オレが眠っている5年の間、オレの時間だけが止まってて、ミチルもマユもみんな変わってしまって、オレだけが置いてきぼりだ。これから5年経ってもオレは変わらないのに、ミチルはまた5つ歳を重ねてる。オレはいつまでもこのままで、ミチルはオレを置いて一人でどんどん先へ行く。いつかミチルはミチルに相応しい別の男と出会って、オレを忘れ、その男と家庭を持って子供を産むんじゃないかって考えたら、オレは…。でも、仮に本当にそうなっても、オレはどうすることも出来ないんだ。…ずっとずっとミチルに会いたくて、もう一度声を聴きたくて、顔を見たくて、抱き締めたくて、会えた時は本当に嬉しかった。でも、こんなことになるなら、会えない方が良かったのかも知れないって、この頃オレは考えるんだよ。ミチルもそうじゃない?」

返す言葉が見つからなくて、俯き黙り込むミチルをぼんやりと見つめながら、サクはふとマユの家に泊まった時のことを思い出した。

 無邪気な娘と、穏やかな夫に囲まれて、幸せそうなマユの家族の生活を改めて目の当たりにしたサクは、何となく、自分とミチルにはこんな未来が訪れることはないことを悟ってしまった。ミチルと共に歳を重ねることのない自分が、ミチルの両親のような家庭を築く未来が、どうにも想像できなかったし、今のミチルとの状況をどうやって克服して良いのかもわからなくて、きっと自分にはそんなことは不可能に違いないと自信が持てなかった。

 その時サクは急激に頭を強く殴られたような衝撃を感じ、割れんばかりの頭痛に悶え苦しみ始め、ミチルが心配してサクの名を呼ぶ声が遠くで反響しているように聞こえた。サクは混濁する意識の中で古い記憶を取り戻した。

「どうしたの?」

ミチルの問いかけに、急に憑き物が落ちたように、まるで別人のような雰囲気を纏ったサクが口を開いた。

「遠い…古い…昔の記憶が戻って来た。」

§  碧眼のカイ  §

   古来より敵対する青龍の国と白虎の国が冷戦状態から断続的な戦闘を繰り返す中で、かつて朱雀の国と呼ばれた白虎領朱雀自治区では、朱雀の民が白虎の軍部及び研究施設に依って半強制的かつ理不尽に拉致されていた。

  不老長命の特異体質を生まれながらにして保有している朱雀の民を被験者として、その驚異的な回復力と耐久力の秘密を探るべく研究を重ねる一方で、一般的な白虎の民よりも魔法耐性に優れていると思われる朱雀の民の体に魔導の力を注入することで、魔法攻撃中心の青龍の魔術師や巫術師に対抗できる疑似魔導師を作り上げようともしていた。

  捕らえられ被験者とされた朱雀の民の一部は、白虎の研究者によって、実験動物のように、龍脈から汲み上げて圧縮した高濃度の魔導流体を充填したカプセルに閉じ込められたり、霧状にした魔導ガスを吸い込ませられたり、直接魔導流体を液状化して注射されたり、飲ませられたりしていた。

「経皮吸収か、吸入か、点滴注入か、経口摂取か、それとも…。」
ありとあらゆる方法を用いて、朱雀の民から疑似魔導師を生み出す方法が模索されていた。
如何なる方法を用いても、成功例と言えるような結果を得られることはなく、むしろ、もし回復力に優れた朱雀の民でなかったら、その殆どが早々に死に絶えていたに違いなかった。朱雀の民は不老長命というだけで、不死ではない。稀に実験によって死に至る者もいたものの、大半は命は失わずに済んだが、副作用により様々な後遺症に苦しめられることとなった。それもまた研究者に取って、データ収集のためには貴重なサンプルであり、解放されて故郷へ戻ることなく、病棟とは名ばかりの牢獄に繋ぎ留められ続けるのであった。収容されている研究施設から命からがら脱出に成功する者も皆無ではなかったが、例え脱出できたとしても、発見されれば連れ戻されるか証拠隠滅のために殺害されその存在は抹消されてしまう。運良く追手から逃れられる可能性は限りなく零に近かったのである。
  ヒューンヒューンと警報音が夜の静寂を切り裂くように響き亘る。
「被験者脱走!被験者脱走!」
警報音に混じって魔導警報器の人工音声が繰り返す。
赤色灯が回転し、赤い光が点滅を繰り返す。魔導兵器を応用して作られた警備機器が探索を開始する。夥しい数の魔導傀儡が放たれ、研究施設の内外をくまなく捜索するが、時間ばかりが虚しく過ぎて、脱走者は発見されなかった。多数の警備兵も出動するが、誰一人脱走者を見つけることは出来なかった。
研究施設は被験者の供給に便利だという理由で旧朱雀領の近くに建設されていたため、追手である白虎兵よりも土地勘のある脱走者が有利だった。警備の裏をかき、施設内で巧みに身を隠してやり過ごすと、捜索範囲が外に向かって拡大するに従い、時間差を利用して後から密かに施設を出て、捜査網を掻い潜り、旧朱雀領を突っ切って青龍との国境を越える。大胆かつ慎重に脱走に成功した奇跡的な被験者の一人、カイは既に青龍国内へ逃亡していたのである。
  激戦の続く白虎と青龍の国境近くの最前線に比べれば、旧朱雀領と青龍の国境は比較的静かであった。定期的に白虎軍の警備兵が巡回に来るとはいえ、それさえ避けることができれば見つからずに済む。後はできるだけ遠くへ行って、人里離れた場所でひっそりと暮らして、戦争が終わったら朱雀へ戻ろう。カイはそう考えていた。
 カイは日中は人目を避けて森などに身を隠し、人の少ない深夜や早朝を狙って大胆に移動した。南部は青龍の中でもどちらかと言えば田舎で、時折人を襲うナマナリを退治する以外は、国境線付近のような戦闘の喧騒もあまり聞こえてこない。
このまま北に向かい、旧玄武の国との国境近くに行けば、山に籠って一人静かに暮らせるかも知れない。
朱雀を出てから暫くは緊張し続けていたために、カイはもう疲労困憊で、とうの昔に限界を越えていたが、何とか気力を振り絞って耐えていた。
ある日、夜までの間に少しだけ仮眠を取るつもりで、カイは森の中の大きな木の洞を見つけて身を潜めると、あっという間に深い眠りに落ちてしまった。
 カイがふと人の気配を感じて目を覚ますと、自分の顔を覗き込むようにしてじっと見つめている女と視線がぶつかった。
「わあっ。」
とカイが叫ぶと、女は腰を抜かしたように尻餅をついた。
「何ね~。あんたもびっくりしたやろけど、うちかてびっくりやわ。」
女は苦笑して暢気そうに言った。
カイは初めて聞いたが、青龍南部の方言だろうということは何となくわかった。
「森の中でものすごい声が聞こえたんで、獣かナマナリかと思うたけど、近くで見たらあんたがものすごい鼾かいて寝とるから、病気じゃないかと思うて心配したわ。」
女はからからと屈託なく笑い、同時に気の抜けたカイの腹がぐうぐう鳴った。
「何や、あんたお腹空いてるんやね。ものすごう疲れとったみたいやし、うちにおいで。」
女は手を伸ばしてカイの手を取ると引っ張って体を起こそうとした。
「取って食ったりはせんから大丈夫やって。」
気圧されるというのか、カイは女に誘われるまま、近くの集落に戻る女に付き従った。
女は道を歩きながら振り返り、
「うち、ミチル。あんたは?」
と尋ねた。
「カイ。」
カイが答えると、女は微笑んだ。
 ミチルの家に着くと、室内に寝たきりの老婆が居た。
「ばあちゃん、ただいま。すぐご飯にするからね。」
「すまないねぇ。」
老婆に声をかけると、ミチルは小声でカイに囁いた。
「二階に上がっといて。後でご飯持っていくから、右側の部屋に入って横になっててええよ。」
言われるままにそっと二階へ上がり、右側の部屋に入ると、そこは暫く使われていなかったようだが、調度品などから部屋の主はおそらく青年だろうと思われた。ミチルに言われた通り横になって待っていると、暫くしてミチルが食事を運んで来てくれた。
「お待たせしてごめんな。大したものはないけど、どうぞ。」
「ありがとう。」
カイは久しぶりにまともな食事にありつけたことに感謝した。
「ここはな、うちの兄ちゃんの部屋やけど、戦争に行ってて、帰ってけえへんから、泊まってってええよ。ほんまはうちの部屋は隣やねんけど、殆ど一階のばあちゃんの部屋におるし、なんぼ鼾かいても、ばあちゃんは耳遠いから遠慮せんでええよ。」
悪戯っぽく笑ってミチルが言った。
「この集落に残ってるのも、うちらだけやし、近所に気ぃ遣うこともないしな。」
そう言うと、ミチルは立ち上がり、
「食べ終わったら、器は部屋の前に置いといてくれたらええわ。ばあちゃんは二階に居るんは兄ちゃんやと思うてんねん。あんまり目ぇはよぉないけど、家の中で知らん人と顔合わせたらびっくりするから、あんまり降りて来んといてくれた方が助かる。」 
と言って部屋を出て、階段を降りて行った。
カイはそのまま老婆からは姿を隠してミチルの家に留まり、老婆に気づかれないように陰ながらミチルの手助けをして過ごした。
そうして暮らすうち、カイとミチルは心を通わせ、老婆がこの世を去ると、一人残されたミチルと結ばれて、二人以外には誰も居ない集落にそのまま留まることにした。
やがて二人の間に生まれた一人娘にノゾミと名付け、家族三人で慎ましくも幸せに暮らしていた。
 それから数十年の時が流れ、ミチルはいつしか老いて、ノゾミは家族三人しか居ない人里離れた集落を出ることもなく歳を重ねたが、カイだけが初めてミチルと出会った時と全く同じ姿のままだった。
集落の中では他には誰も居ないけれど、もし誰か他人が彼ら家族の姿を見たとしたら、ミチルの見た目はカイの妻から母そして祖母、曾祖母のように見えたであろうし、ノゾミもまた、娘から妹、姉を経てミチル同様に母から祖母や曾祖母に見えたことだろう。
  不老長命な朱雀の民であるカイの見た目がいつまでも少年のままであっても、ミチルはカイを深く愛していたが、自分だけが歳を重ね、醜く老いさらばえた姿になっても、カイが変わらずに自分のことを愛し続けてくれるのかと考えると、時折猛烈な不安に襲われることがあった。カイが共に居てくれるのは、同情や憐憫であって愛ではないのでは、という疑念に襲われては、必死になってそれを否定しようとすることの繰り返しで、徐々に自信を失って行く自分自身に恐怖した。
 他の家族を知らないノゾミには、生まれてからずっと父の見た目が変わらないことは当たり前のことだったが、それは世間では異常なことなのだろうと知ってはいた。だから、この家を、この集落を出て外の世界へ行くことが怖かった。
友達や恋人が欲しい気持ちはあるが、その人たちが父を見たらどう思うのか。自分の家族が異常だと知ったら、彼らは悪意を持って自分を虐めるかも知れない、逆に誰も自分を相手にしてくれないかも知れない。そう考えると恐ろしくてたまらなかった。
それ故、ノゾミは学校へは通わず、家で伯父の残した本を読んで独学で勉強した。友達も作らず、疑似恋愛には憧れても、生身の人間と交際することはなかった。少女時代のノゾミにとっては、大好きな父が恋人同然の存在だったから、それで良かった。自分の中でそう納得させようとした。本当は運命の人が何処かに居るかも知れないけれど、自分には望むべくもない夢のまた夢で、憧れても永遠に手に入れることはできないと諦めていた。家族を守ることが自分の果たすべき使命だと信じていた。最愛の家族を裏切り棄てることだけは断じてできなかった。自分の思いは圧し殺して生きて行くしかないと思い込んでいた。
 ただ一人、鈍感過ぎるカイだけがそんな妻子の葛藤に対して気づくことすらできぬまま、互いの気持ちがすれ違い、何処かでかけ違えてしまったボタンはもう修復不可能になってしまっていたことすら、カイには理解できぬまま時間だけが過ぎて行き、ミチルに残された僅かな寿命は日一日と削り取られて行くのだった。
 ミチルは、自らも既に高齢となりつつある娘ノゾミが、日々老母の介護に明け暮れる姿を見るにつけ、若い頃、夫カイと初めて出会った頃の自分を重ね合わせては不憫に思っていた。
「ノゾミ、ごめんねぇ。ほんまに、ごめんねぇ。うちら夫婦のせいで、一人娘のノゾミの人生を無駄にさせてしもうて、ほんまに申し訳なかったわ。」
弱々しい声で途切れ途切れにミチルは呟いた。
「お母ちゃん、何を謝るん。うちが選んだ人生やねんから、何もお母ちゃんが謝ることあらへんよ。」
ノゾミは母の手を取り、穏やかな口調で言った。
「せやけど、この集落を出て、どこか賑やかな街へ行けば、ノゾミは結婚して家族を持てて、子供や孫が出来てたかもしれん。お父ちゃんとお母ちゃんの世話ばっかりさせてしもうて、今になって謝っても遅いけど、ごめんねぇ。」
ミチルはすすり泣いていた。
「お母ちゃんは何べんもうちにそう言うてくれたけど、出て行かなんだんは、うちがそうするって決めたからやて、うちもその都度言うてきたやん。誰のせいでもあらへんのよ。お母ちゃん、もう泣かんとって。」
ノゾミはそう訴えたが、ミチルはそれでも、「ごめんねぇ、ごめんねぇ」と繰り返していた。
 カイは妻と娘が毎日繰り返すそんな会話を聞きながら、自責の念で押し潰されそうになっていた。白虎からの追手を恐れての自分の隠遁者のような生活に、妻子を巻き込んでしまったことは、償いようがなかった。
ミチルを愛しているのなら、いや、愛すればこそ、彼女の幸せのために別れるべきであったろうに、その機会を見失ったまま、娘のノゾミにまで同じ間違いを繰り返すことになってしまった。
娘を愛するあまり、ノゾミを手放したくなくて、目を背けて来たが、むしろ愛すればこそ独り立ちさせてやるべきであったのに、と今更後悔しても仕方がないことを悩みながらも、そんな自分の悩みが余計に妻子を追い詰め苦しめることになっては、と自らの苦悩を押し隠すしかなかったのである。
(④につづく)
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Bitter Sweet Memories②

2022-11-13 21:29:52 | 小説

(①からのつづき)
§ スバル隊長と魔術師のイト §
 イザヨイが退出した後、警備兵の一人が守羅院内で待機中のスバル隊の下へ二人を案内した。
「スバル隊長。巫術師ミチル殿と、その護衛の朱雀の民をお連れ致しました。」
警備兵はそう言うと一礼して踵を返し、任務に戻った。
「ツキ島から参りました巫術師ミチルと申します。こちらは故有ってわたしの護衛を勤めてくれているサクです。」
ミチルが挨拶すると、幅も長さも相当に大きな、金色(こんじき)に輝く雷属性の魔法剣を携えた、甲冑姿の男性が応えた。頭部からすっぽりと覆う防具(ヘルム)の間からは、切れ長の涼しい眼元しか見えないのだが、その黒色の瞳は深く暗く静かで夜の闇の中で静かな深海の底を覗き込んでいるように思えた。
「私が隊長のスバルだ。イザヨイ様から話は聞いている。青龍の救世主・特級巫術師イツキ様の娘御とな。イザヨイ様が君の覚悟を認めたからこそ、最前線への出向を命じられ、この私に託されたのだろう。経験豊富な歴戦の士は皆既に戦場にあり、中には命を落とした者も多数。残されたのはこのスバル隊と同様にまだ経験の浅い若者たちで編成された隊ばかり。私も隊員たちよりは少し年嵩ではあるが、まだまだ未熟だ。それでも青龍の国にはもう我々以外に戦える者は残っていない。戦地で血を流す者も、郷土を護る盾となる者も、それぞれが己の果たすべき使命に命を懸けるよりないところまで来ている。巫術師も不足していたところだ。君たちには期待している。」
よく見ると、スバルはミチルよりも10歳ほど年上に見えるが、それでもまだ青年といってもいい若さだった。年齢よりも落ち着いて見えるのは、時には心身に酷い傷を負い、時には大切な人の死を目の当たりにして、戦闘経験を重ねて来たからなのだろう。
「はい、お役に立てるよう、精一杯努めさせて頂きます。」
ミチルが頭を下げるのを見て、サクも頭を下げた。
「出立は明朝。今宵は他の隊員たちと共に、準備を整えて明日に備えて英気を養っておくように。勝手がわからぬだろうから、このイトに世話係を任せた。わからないことは何でもイトに訊いてくれ。」
と傍らの小柄な少女を紹介した。イトは丸顔に糸目、前髪を真っ直ぐに切り揃え、黒髪を二つに分けておさげにして、黒ずくめの衣装を身に着けた若い魔術師だった。年齢はおそらくミチルと同じくらいか、少し年下に見えた。
「よろしくお願いします。」
とミチルが会釈すると、イトは、笑顔で
「こちらこそ。」
と答えた。人懐こくて世話好きのイトは、尋ねるまでもなく、守羅院のこと、スバル隊のこと、その他いろいろなことを話してくれた。その話のついでに、
「イザヨイ様は冷淡に見えたかもしれないけど、それはあまりにもたくさんの仲間を失ったせいで、本当は明るくて優しい人なんだよ。」
「スバル隊長はね、武骨者みたいに見えるかもしれないけど、本当はとっても優しくて部下思いなんだよ。今までの戦いで、助けられなかった仲間がいて、そのことをずっと引きずって来たから、今はスバル隊の隊員だけでも守りたい、死なせたくないって思ってるんだ。」
と教えてくれた。
 「ミチルは青龍の救世主・特級巫術師イツキ様の娘さんで、サクはその護衛なんだって?魔法刀が使えるのは、その瞳のせい、かしらね?」
「どういうこと?」
イトの言葉にサクはきょとんとしていた。自分の瞳の色の意味はおろか、それが特別であることも知らなかったからだ。
「朱雀の民なら、ミチルの左眼みたいに翠色なのが普通だからね。サクの瞳の、その深い碧色はね、白虎の魔導研究実験被験者の証なんだって。碧眼の朱雀の民は戦場に行けばたくさんいるよ。無理やり疑似魔導師にされて魔法攻撃の矢面に立たせられたり、白虎の民を無敵状態にするために、不老長命で回復力が高い特異体質の謎を解明しようと人体実験に利用されたりするんだって。証拠隠滅のために殺されてしまうことが多いから、滅多に生き残って逃げ出せる人は居ないらしいけど、もしサクがそうなら、その記憶喪失も実験の副作用か後遺症かもしれないね。」
情報通のイトは、どこからかそんな噂を聞いたらしい。
「じゃあさ、青龍の民は?」
言葉足らずのサクの質問の意図を理解できるほど、イトは頭の回転が速かった。
「紅い瞳は巫術師か魔術師。黒い瞳は非術師。黒い瞳の女性は居るけど、紅い瞳の男性は居ないことに気が付いた?術師は基本的に女性にしかなれないからね。」
「どういうこと?」
サクはまじまじ人の瞳の色まで見た覚えはなかったが、確かにそう言われてみればそうだったような気がした。
「巫術師にしろ、魔術師にしろ、術式回路は女性にしか遺伝しないから。術師の息子なら魔力は持ってるけど、術式回路がないから魔法は発動できない。代わりにサクが持ってるような魔法刀みたいな武器で戦うんだよ。武器の中に術式回路が組み込まれていて、武器を使う者の魔力を流し込んで魔法を発動するわけ。」
「へええええーーー。」
サクは心底感心して唸った。
「布を織る糸みたいなもんよ。子供は両親からそれぞれ半分ずつの糸を引き継いで紡いで行くけど、術式回を有する糸は女しか持たない糸だから、母から娘にしか引き継がれない。」
「ふ~ん。」
サクがそう言うと、イトは可笑しそうに笑った。
「本当にわかってる?」
「いや、何となくってだけ。正直あんま詳しくはわかってない。」
サクは素直に答えて、一緒になって笑った。
そして、イトは真顔になると、
「だからね、術師がたくさん戦死してしまうと、その素質を引き継ぐ者が減っていくの。術師の子供は女の子ばかりじゃないでしょ。だけど、白虎の魔導兵器は強力だから、術師抜きでは戦えないの。そして巫術師も魔術師も、今はもう若者しか残っていない。まだ恋すら知らない若い術師がどんどん死んでいく。結婚することも、子供を産むこともないままに。このままだと青龍の国は滅びてしまう。早く戦争を終わらせて、安心して家庭を持って子供を育てられる、平和な世の中を取り戻さないと。」
「うん、そうだね。」
傍らで聴いていたミチルも言った。
「それにね、」
とイトは続けた。
「玄武の民は白虎のせいで数百年前に絶滅してしまった。朱雀の民は白虎の盾にされて、どんどん命を失っているし、白虎の魔導研究の犠牲になって心身を蝕まれている。このままだと朱雀の民も絶滅してしまう。サクの同胞を救うためにも、この戦争に勝って、白虎の暴走を止めなきゃいけない。そのためにスバル隊も命を懸けて戦う覚悟はできてる。」
イトの言葉に、ミチルとサクも頷き、改めて覚悟を胸に戦場に思いを馳せるのだった。
 翌朝スバル隊は西方の国境へ向かって旅立った。合流予定地の戦場では既に友軍が敵・白虎軍と交戦していた。
白虎軍は、最前線に疑似魔導師に仕立てられた朱雀の民を人間の盾として近接戦闘をさせ、後方からは魔導兵器の遠隔攻撃を行って来た。疑似魔導師たちは朱雀の民なので、首を刎ねる以外には完全に殺害する方法はないため、科学技術の粋を結集した甲冑や防具で完全防備しつつ、洗脳による集団催眠状態で、魔法による攻防に特化された人間兵器として白虎軍の意のままに動く傀儡と化していた。
 青龍軍は魔法武器を携えた兵士と魔術師の魔法攻撃で白虎軍を迎え撃ちつつ、巫術師が個々に召喚する霊龍によって後方の魔導兵器を破壊すべく戦った。熾烈な戦闘は一進一退の攻防で膠着状態であったが、増援により起死回生の切欠を作るべく、青龍の国の期待を背負いスバル隊は参戦した。
 若いとはいえ、少数精鋭の隊員たちの活躍により、戦況は徐々に動き始めた。
最初は敵とはいえ魔物ではない生身の人間を殺めることに悩んだミチルは、まして元はサクの同胞である疑似魔導師たちと戦うことは心苦しかったが、可能ならば一時的に戦闘不能状態となるまで消耗させて捕虜とすることで精神的な負担を軽減した。甘いと言われればそれまでだが、破壊すべきは魔導機械であり、例え敵であっても可能な限り人命は失われるべきではないという思いがあった。それ故、今までも断続的な戦闘の合間には、出来る限り渡河の祈りを捧げて、少しでも魂の救済に寄与したいと願ってきたのだから。
 スバル隊の活躍で青龍軍の戦況は好転し、元々の国境線近くまで白虎軍を押し戻しつつあり、焦りを隠せない白虎軍はついに最新型巨大魔導兵器の導入を決定した。それこそが白虎に残された唯一の希望と言っても過言ではない存在である。
 青龍軍の地道な諜報活動により、いち早くその情報を入手したスバル隊は、巫術師たちによる一斉霊龍召喚作戦を立てた。その新型魔導兵器はまだ開発途上で未完成にも関わらず、待ったなしで実戦導入が決定したため、本格的な起動には少し時間を要すると判明していたので、起動前に複数の霊龍を召喚し一斉に叩くことで新兵器を壊滅させ、白虎軍の戦意喪失を誘発するのが目的であった。正にこの作戦の成否が、この戦争の勝敗の鍵を握ると言っても良い。
 「合図と共に、霊龍による一斉攻撃が開始できるよう、巫術師諸君は準備万端整えて、遅滞なく発動できるよう繰り返し確認した上で待機。」
「了解しました。」
スバル隊長からの指示を受け、ミチルたち巫術師は、緊張の面持ちで頷いた。
 そして時は満ち、巫術師たちによって召喚された霊龍たちが一斉に降臨した。ミチルの父・ユヅルの化身である紅龍は霊龍たちを先導し、大きな口を全開にして一直線に眩い光線を吐き、太く長い光線は魔導新兵器の中心を貫き、他の霊龍たちも挙って新兵器に向かって攻撃すると、新兵器は内部崩壊し始め、真っ赤に焼けた金属のようにどろどろと溶けて崩れて行った。周囲の小型魔導兵器も次々と霊龍たちの餌食になり、魔導兵器に搭乗していた白虎軍の兵士たちは我先にと乗機を放置して逃走し、青龍軍の兵士や魔術師たちと白兵戦になった。
 敗色濃厚な白虎軍にあって、司令官と思しき男が、小型の魔導武器を手に、やけくそで反撃して来た。その標的に定められたのはミチル。それに気づいたサクが男とミチルの間に割って入った。
「青龍の紅い悪魔・紅龍の巫術師!儂にも白虎軍人としての意地がある!儂の命と引き換えても、せめて貴様と刺し違えれば、儂は二階級特進だ!」
「馬鹿野郎!死んでから出世して何になる!」
サクが漣で切りつけ、現出した氷柱が砕けると同時に男は血を吐いた。
「かはっ!…邪魔はさせんぞ!貴様如き朱雀の民なんぞに!」
男は懐から爆裂球を取り出し、安全措置を解除して、叫びながら自爆目的でサクに向かって突進した。
「白虎の国に栄光あれーーーーーーっ!!」
大きな爆発と同時に爆裂球に内包されていた風属性大魔法が炸裂し、巨大な竜巻に巻き込まれて、男と共にサクは姿を消した。
「サクーーーーーーっ!」
「何処にいるのーーーーーーっ、返事して、サクーーーっ!」
戦闘終了後、白虎軍司令官の自爆に巻き込まれたサクの捜索に、ミチル始めスバル隊の仲間も協力し、範囲を広げて、方々手を尽くして当たったが、結局サクが発見されることはなかった。爆風と竜巻に巻き込まれたサクの行方は杳として知れず、所持していた漣も発見されることはなかった。
 戦闘が終結し、国境戦線ではスバル隊を含む青龍軍が勝利した。その勢いに乗り、各地で行われていた戦闘も次々に青龍軍が勝利を収め、戦争は終焉へと向かって一気に加速した。
 
§ 巫・ミチル §
 白虎・青龍の両国間で終戦協定が結ばれ、正式に戦争は終結した。
白虎の国は、機械や魔導技術の兵器利用を放棄することを誓約し、旧朱雀領の領有権も放棄、朱雀の国は旧来通りに独立国家として承認されることとなった。非人道的な実験が行われて来た研究所も解体され、拘束されていた被験者たちも救出されて、医療施設にて治療を受け、療養施設で保護されることとなった。同時に招集され戦闘員とされていた朱雀の民も捕虜から解放され、適切な治療を受けて手厚く保護されることとなった。魔導の技術は生活魔法の代用としての魔道具などの平和利用に限られ、厳重な管理監視のもとに取り締まりの対象となった。
 青龍の国は、自衛国防のための霊龍も制限を受け、戦闘行為がない以上召喚の必要もなく、基本的に召喚は凍結されることとなった。鎮魂・昇華のための渡河の祈りとナマナリの浄化についても、世の安定と共にその需要も減少し、巫術師の職務も大幅に縮小されることとなった。魔術師も生活魔法などの利用の他、回復治癒魔法や薬識を利用して、薬師としての活動を主とすることとなった。
 首都ミヤツコに凱旋した青龍軍は揃って守羅院に帰還し、総指揮官であった上級巫術師イザヨイから労いの言葉を与えられた。
特に勝利の切欠を作ったとされるスバル隊は青龍の民からの賞賛の的となり、中でも前の戦争で『救国の英雄・青龍の救世主(アギト)』と称賛された特級巫術師イツキと紅龍の御柱様ユヅルの娘であり、今回のスバル隊でも中心的な役割を果たしたとされるミチルに対する人気の高まりは留まるところを知らなかった。
 スバル隊長や魔術師イトを始め、隊員たちがイザヨイに暇乞いの後故郷へ戻ったが、ミチルだけはイザヨイから
「もうしばらくこの地にとどまり、わたくしの補佐をしてはくれぬか。戦争の後始末にはまだまだこれから時間と手間が掛かる。そなたが手伝ってくれると助かる。」
と遺留されたこともあり、守羅院に留まれば行方不明のサクの消息について何か情報が得られるかも知れないという思いで、ミチルはイザヨイを補佐することに決めた。
 戦後の青龍の国を統べる者が不在で、戦闘の総指揮を執っていたイザヨイが暫定的にその任についていたが、混乱が沈静化し、平和な日常生活を取り戻す目途が付き始めた頃になって、ミチルはイザヨイから重大な話があると呼び出しを受けた。
「お呼びと承り、参上いたしました。」
ミチルが深々と礼をすると、イザヨイが声を掛けた。
「日々の努め、誠にご苦労である。本日そなたに来てもろうたは他でもない。何としてもそなたには聞き届けてもらわねばならぬ、わたくしの願いを伝えるため。これはここだけの話と思うて心して聴いてもらいたい。」
「はい、どのようなお話でしょうか。わたしでお役に立てるのなら、何なりと仰ってください。」
ミチルが訝しみつつも誠実に答えると、イザヨイはふっと表情を緩めた。
「然様か。ならば安堵した。そなたなら、必ずやそう言うてくれると思うていた。戦争が終結を迎えて早一年余。わたくしは暫定的な指導者として、戦争後の後始末に奮闘してきたが、間もなく二年ともなれば、民の心は今や復興と癒しを求めている。それには、希望の象徴が必要だとわたくしは考える。これからの新しい時代を担う、若き指導者が求められているとそなたは思わぬか。青龍の民の心の拠り所、そして国の象徴となる者が必要だ。そのために、太古の「巫」という呼称を復活し、そなたに巫となってもらいたい。」
「仰っていることが、よくわかりません。」
ミチルは突然の展開に困惑していた。
「何もそなた一人に全てを背負わせるつもりはない。わたくしもそなたを支えよう。そなたと共に戦ったスバルやイトにも助力を依頼した。だが、民はそなたを求めておる。新しい世界の救世主、未来への希望の光としてな。例えそれが敵兵であっても、故郷や家族など、その者にとって大切なもの、その命や未来に思いを寄せることが出来るそなただからこそ、戦争のないこれからの時代を担うに相応しい。」
最終的にイザヨイに説き伏せられたミチルは、次代の巫となり、青龍の国を統べることを運命として受け入れる決心をした。
イザヨイの約束通り、イザヨイの求めに応じて、スバルやイトたち、元スバル隊の仲間たちの殆どが守羅院に結集し、ミチルを支えるために力を尽くすと誓ってくれた。
 正式な手続きを経て、青龍の民の意思を反映する形で、青龍の国の最高指導者・巫としてミチルが選ばれ、就任することに決定した。
首都ミヤツコでは、守羅院前の広場に多くの青龍の民が集まり、新しい巫の登場を今か今かと期待に胸を膨らませて待っていた。皆が口々にミチルの名を呼んで、守羅院の出窓に向かって手を振っていた。
「皆さん、お静かに。新しい巫に就任されたミチル様からのお言葉があります。」
イトが集まった民衆に告げた。
 静々と現れたミチルの斜め後ろに、左右に分かれてイザヨイとスバルが控えている。
「皆さん、長い長い戦争は終わりました。たくさんの人が傷つき、命を失いました。それは青龍の民だけではありません。白虎の民にも、朱雀の民にも、皆さんと同じように、故郷があり、大切な家族や仲間がいます。皆が苦しみ、悲しみました。わたしも大切な仲間を失いました。…でも、もう戦争は終わりました。これからは、わたしたちの時代です。壊れた街並みや建物は、これから建て直していきましょう。残された者は互いに仲良く、慈しみ合い、助け合い、未来に向かって力強く歩み出して行きましょう。わたしには、わたしを支えてくれる心強い仲間たちがいます。青龍の国の、そしてこの世界全ての皆さんと一緒に、新しい世界を作って行きましょう。」
 堂々としたミチルの言葉に、聴衆は皆感動していた。ミチルは青龍の民の希望の光となり、民の心は見事に団結したのである。
(③につづく)
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Bitter Sweet Memories①

2022-11-13 21:16:33 | 小説
§ プロローグ §
 太古の昔、世界の中心には互いに国境を接する四大国が存在した。
中でも東の青龍・西の白虎は二大双璧と言っても過言ではなかった。
 北の玄武の国は国土の多くが氷と雪に覆われ、深く暗い森に小柄で筋肉質な身体と強い力を持つ玄武の民が暮らしていた。玄武の民は赤毛の長い髪と、男性は長い顎鬚を蓄え、男女共に太い眉と大きな目が特徴的だった。勇敢な戦闘民族であった玄武の民は、強靭な精神力で厳しい自然にも果敢に立ち向かい、貧しくとも誇り高く、自給自足の慎ましい暮らしを望んだ。
 南の朱雀の国は、四大国の中では、他の三国と比較するとやや狭小ながら、肥沃な国土に豊饒な農作物が実り、澄み切った川や湖、広い海には美しい魚が、明るい森には動物や鳥が棲み、恵まれた暮らしを約束されていた。朱雀の民は、長身痩躯、色白で長い金髪と翠色の瞳を持ち、中性的な美しい姿をしていた。争いを好まず、日々を静かに穏やかに暮らしていた。朱雀の民はまた不老で長命な特異体質を持っていたため、十代後半の外見のままで数百年も生きて老いることがなかったし、回復力に優れているので大病を患うことも殆どなく、大怪我を負っても滅多に死に至ることがなかった。
 東の青龍の国は古代種と呼ばれる始祖民族の血脈を受け継ぎ、その伝統を守ることを重んじる民族であった。この世界の全ての生命が還るべき場所である『龍脈(魂の集合体)』に眠る、過去現在未来の魂の加護を信じ、その声を聴く巫(かんなぎ)によって治められて来た。魔法を使う魔術師も多く、更に祈りにより死者を弔う巫術師(ふじゅつし)は、龍脈と繋がることにより、龍脈とこの世界を守護する『霊龍』を召喚することも出来たため、青龍の民の指導的立場にあった。青龍の民は基本的には黒髪に黒い瞳だが、魔術や巫術を使えるものは赤い瞳をしていた。
 西の白虎の国は国土の殆どを砂漠に埋め尽くされ、点在する緑地の多くは然程大きくはなかったが、その中で最も大きな緑地を首都と定めていた。資源の乏しい白虎の国は、機械と科学技術を発展させ、魔導の技術により龍脈から得られる力を利用した『擬似魔法』を開発することで徐々に強大化してして行った。白虎の民は多民族の混血により多種多様な外見をしていたが、魔導の力を帯びた者だけは特徴的な碧眼により見分けることが出来た。
 数百年前四大国を巻き込んで大きな戦争が勃発した。
白虎の国は突然前触れもなく北の国境を越えて進軍し、魔導兵器を大量投入して玄武の国を蹂躙した。如何に勇敢な武人の国とはいえ、強大な魔導兵器には太刀打ち出来ず、抵抗も虚しく玄武の国は開戦後短期間で滅亡し、民は悉く殺害され、国土は瓦礫の山と焼野原に変わり果てた。すると、地中深く存在するはずの龍脈がかつては玄武の国であった廃墟にて表出し、碧翠色に輝く光の粒子と化した玄武の民の魂が、吸い込まれるように龍脈の大河に飲み込まれると、龍脈は渦を巻いて再び地に潜り、本来あるべき場所へと還って行った。
 玄武の国の滅亡を目の当たりにした朱雀の国は、元より国力の劣る自国に対して示威行為を繰り返す白虎の国からの脅威に屈し、属国を経て併合される形でその存在は消滅することとなった。以降朱雀の国は白虎領朱雀自治区(旧朱雀領)と呼ばれ、朱雀の民は白虎の国の支配下に置かれたが、表向きには基本的に自治区内では併合前同様の生活が保証されたかに見えた。しかし、白虎の国の総統府からの命令は強制的なものであり、拒否することは出来なかったため、豊かな資源は白虎の国によって搾取され、朱雀の民は事実上の奴隷同然に扱われた。
 巫術全盛であった青龍の国には多数の魔術師だけでなく、かつての巫は既に存在しなかったが、その流れを組む巫術師と呼ばれる者は存在した。この世に未練や後悔、怒りや憎しみなど負の感情を残して死者となったものの魂は龍脈へと還ることはなく、その迷える魂が集合体となり『ナマナリ』と呼ばれる魔物へと変化してしまうことから、死者の魂を龍脈へと導く『渡河(とが)の祈り』を捧げることが本来の巫術師の役割であったが、巫術師はまた龍脈に眠る守護神・霊龍を召喚して青龍の国や民を護るために戦うことが出来、その中でも特級巫術師と呼ばれる者は、生きたまま人の魂を肉体から抜き取り、霊龍へと変えて召喚することができる特殊召喚の術を身に着けていた。
 生きながらにして魂を捧げて霊龍となった者は『御柱様(おんはしらさま)』と呼ばれ、その魂は肉体を失い、永遠に、龍脈に還りその一部として同化することも、新たな魂として転生することもなく、特殊召喚を行うことで魔力が尽きて特級巫術師が亡くなった後も、半死半生の御柱様の魂は自我を失い、霊龍となって敵と戦う。一度(ひとたび)霊龍となった後は、他の巫術師の召喚に応じて戦い続け、召喚のない間は霊龍のまま龍脈の中で眠りにつく。青龍の国では、祖国を護るために自ら志願して御柱様となる者も多く、白虎の国との戦闘においても、多くの巫術師と霊龍が活躍した。
 消耗戦となった両国は、このままでは共倒れになると、互いに和平を望み、白虎の国は、玄武の国を滅亡させたような、強大な威力を持つ大規模魔導兵器の使用を放棄すると誓約したが、表向きには平和利用目的の研究と見せかけて極秘裏に兵器開発は続けられており、更に人体に魔導の力を注入することで人工的に魔導師に改造する研究も行われていた。
 一方、青龍の国では、和平に際して、新たな霊龍を生む特殊召喚を封印することを誓約し、巫術師の業務は原則的に渡河の祈りによる死者の葬送と鎮魂のみに限定することとした。また魔術師の業務は原則的に薬識を利用した薬師を中心とし、生活魔法・回復治癒魔法等に限り使用可能と定められた。これにより魔術師や巫術師は弱体化を余儀なくされ、徐々に衰退しその数も激減した。
 苛烈を極めたこの戦争は、青龍の国では最初の『機械戦争』、白虎の国では同じく『魔導大戦』として後世に伝えられている。
 しかし、両国間の冷戦はその後も継続し、限定的かつ局所的な小競り合いは頻発していたが、十数年前にとうとう和平の際の両国の誓約は破棄され、再び全面的に機械戦争(魔導大戦)が勃発した。
 その戦いの中で、青龍の国に現れた一人の特級巫術師が、自身の最愛の者を御柱様とする特殊召喚を行い、その命を代償として祖国を勝利に導いたのである。  しかし、元より少数となりつつあった魔術師や巫術師が相次いで戦死したこともあり、また、戦死者の魂がナマナリとなって多数出現したため、ナマナリを倒し、同時に戦争の被害にあった亡者への渡河の祈りを捧げる巫術師の数は絶対的に不足していた。
 その間隙を縫うように、僅か5年足らずで白虎の国は三度(みたび)戦争を繰り返すこととなり、 開戦から約5年の時が流れても尚、戦況は膠着状態となり、徒に長期化の様相を呈し始めていた。
 
§  ヘテロクロミア  §
 青龍の国はかつて世界の中心と言われた元四大国のうちの一国であり、互いに国境を接していた四大国の中では東側に位置する国である。数百年前の戦争で北側に存在していた玄武の国は滅びて廃墟となり、南側に位置する朱雀の国は西側の白虎の国に併合されて、青龍の国は海を背にして約十年間に亘る戦争状態にある白虎の国に事実上取り囲まれる形となっていた。
  科学技術と魔導の力で玄武の国を滅ぼし、朱雀の国を併合した白虎の国は、魔導兵器部隊等の軍属以外の、非戦闘員である白虎の民は東側の国境から遠く離れた巨大地下施設に避難させ、驚異的な回復力を持つ朱雀の民を、朱い令状一枚のみで招集して最前線に配置したが、白虎の誇る強大な魔導兵器を以てしても、青龍の魔法攻撃と巫術師により召喚される霊龍に苦戦を強いられていた。 戦況が芳しくないことに苛立ちを隠せない総統府は、軍部からの圧力を受けて、白虎の国の科学者達に対し、かねてから秘密裏に進めていた禁断の研究に更に注力するよう命じることとなった。朱雀の民の驚異的な回復力と不老長命の秘密を解明して白虎の民を強化し、一方で魔導の力を人体に注入することで人工的に魔導師に改造するために、朱雀の民を捕らえては実験に供しており、仮に被験者が研究施設からの脱走を試みたとしても、その殆どは失敗に終わり、発見されれば復活再生の力が及ばぬように悉く首を刎ねて殺害された。
 
 青龍の国の東に広がる大海に浮かぶ無数の離島群にも青龍の民は集落を作って暮らしており、最前線である大陸からは遠く離れているために、戦争中であっても今はまだ比較的平穏な日常生活が続いていた。
それらの離島の一つであるツキ島の、海を見下ろす小高い丘の上に人影が二つ。一人は全身黒ずくめの装束に身を包んだ女性。漆黒の長い髪と赤い瞳が、彼女が魔術師であることを示していた。もう一人は茶色の髪の少女。右眼が赤色、左眼が翠色のヘテロクロミア(異色症)という極めて稀な眼を有しているのは、彼女が純粋な青龍の民ではなく混血児であることを物語っており、渡河の祈り等に使う巫杖を持っていることから巫術師であろうと思われるが、まだ幼さの残るあどけない顔立ちから見るに、修行中の巫術師の卵といったところだろうか。
 「本当に行ってしまうのね?ミチル。」
と魔術師の女性が言った。ミチルと呼ばれた少女は微笑んで頷き、
「ええ。もう決めたことだから。ごめんなさい、マユ。今まで10年間お世話になって、本当にありがとうございました。」
と深々と頭を下げた。
「やめてよ。そんな他人行儀な。今まで姉妹同然に育って来たのに。」
ぶるぶると頭(かぶり)を振って制するマユに、頭を上げたミチルは言った。
「伯父さんにも、伯母さんにも、お祖母さんにも、本当に良くしてもらったのに…。でも、わたしは特級巫術師イツキの娘だから、母のような巫術師になりたいの。大陸ではたくさんの戦死者や戦闘に巻き込まれた民の魂が迷っている。一人でも多くの魂を龍脈に還すために渡河の祈りを捧げなくちゃいけないのに、巫術師も戦闘に参加して次々亡くなってしまう。わたしはまだまだ駆け出しの巫術師だけど、こんなわたしにでも出来る事があるなら、少しでも役に立ちたいの。」
「ミチル…。」
マユにはそれ以上何と言葉をかけて良いのかわからなかった。
ミチルは、幼い頃からの二人の思い出の場所である、この丘から眺める海の景色を、旅立つ前にしかと心に焼き付けようと思い、マユと二人でやって来た。戦場へと赴けば、生きてこの地に戻り、再びこの景色を眺めることはもうないかもしれない。今日が見納めかもしれないと思うと拭っても拭っても涙が溢れて来て、しっかりと見ておかなくちゃと思うのに景色が滲んでよく見えなかった。
 二人は丘を下り海岸沿いの道を通って家に戻る途中、砂浜に倒れている少年を見つけた。
少年は気を失っているようだったが、二人が声を掛けて体を揺すったら目を開けた。
「う~ん、ここ、どこ?」
金髪で長身瘦躯の少年は朱雀の民らしかったが、その瞳はまるで眼前に広がる海に染まったように深い碧色だった。そして彼は一振りの刀を携えていた。その刀身は透き通った水色で光が当たるとキラキラと輝いて見えた。
「これは…レンの愛刀『漣(さざなみ)』⁉どうしてキミが持ってるの?」
それは5年前にマユの婚約者・レンが戦場へ向かう時に、マユがレンのために術式回路を組み込んで作った魔法刀『漣』であり、唯一無二の存在であって、決して他に同じものは存在しないはずだった。レンが死んでも手放すとは思えない愛刀を、何故この見ず知らずの朱雀の少年が持っているのか。戦地で行方知れずとなったレンは戦死したものと思われていたが、レンの愛刀『漣』を持っているこの少年なら、レンの消息について何かを知っているはずだった。
「う~ん、オレ、何にも覚えてないんだよね~。ここがどこなのかもわかんないし、どうやってここに来たのかも。そもそも、オレ、自分の名前もわかんなくて。」
少年の言葉に嘘はなさそうだったし、今は敵国白虎の支配下にある朱雀の民とはいえ、敵意は全く感じられなかった。
「まあいいわ。とにかく今夜泊まる場所もないんでしょ。家にいらっしゃい。話は家でゆっくり訊くわ。」
マユがそう言って先に歩き出した。
「キミ、良かったね。マユはああ見えて本当は優しいから。」
ミチルは微笑んで小声で少年に話しかけた。
「わたしはミチル。キミも呼び名がないと不便だから、何か仮の名前でもある方が良いよね?」
ミチルがそう言うと、マユは振り返りもせずに
「サク。今夜は朔の日(新月)だからサク。それで良いんじゃない?」
と言った。
「そうだね。それが良いよ。今からキミの名前はサク。本当の名前を思い出すまで、そう呼ぶね。」
とミチルがサクの顔を見上げて言った。
「サク、か。うん、悪くないかも。」
サクは屈託のない笑顔で素直に喜んだ。
 翌朝連絡船に乗るつもりでいたミチルだったが、季節外れの台風の影響で急に海が荒れ始め、収まるまでは連絡船は当分来そうになかった。大陸に渡るという決意は微動だにしなかったが、突然現れた謎の少年サクとマユの婚約者レンとの関係も気になったし、正直なところミチルは暫く島に留め置かれざるを得なくなったことに少し安心してもいた。何より初めて会ったはずのサクなのに、何故だかいつか何処かで会ったことがあるような気がして、それが気がかりでならなかったのである。しかし、そんなはずはなく、それはきっと彼と同じ朱雀の民であった父・ユヅルの面影を無意識に重ねているだけなのだろう、とミチルは考えた。彼と同じ絹糸のような金色の長い髪をした父の瞳の色はミチルの左眼と同じ翠色で、サクとは違っていたけれど、朱雀の民は皆中性的な美形であったので、他人の空似みたいなものに違いない、と思うことにした。
 「…それで、何か覚えていることはないの?どんな小さなことでも良いから。」
マユはサクに尋ねた。サクは腕組みをして、う~んと唸りながら、頭を捻っていたが、マユの方に向き直ると
「ダメだ。やっぱり何にも思い出せない。浜辺で気を失う前のことは全く分からない。」
と答えた。
「その刀のことは?その刀はあたしがある人に贈ったもので、同じものは絶対にないはずなの。」
マユがそう言うと、サクは漣を目の前に翳し、じっと見つめた。
「…オレは多分とっても大事なことを忘れてしまったんだ。恐らくオレは誰かに頼まれて、この刀をここに届けに来るはずだったんだ。この島に来たのも、マユに会えたのも、きっと偶然じゃなかったんだと思う。」
気丈なマユがぶるぶる震え、涙を浮かべた。生きていれば絶対にレンは漣を手放したりはしない。例え殺されても漣を奪われたりはしないはずだ。だとしたら、やはりレンはもうこの世には居ないということだろう。恐らくサクに漣を託したのはレンに違いない。
「そう。きっと、そうね。」
マユは俯いて肩を震わせて泣いていた。5年前に消息不明になったレンは戦死したのだと、いくらそう信じようとしても、今まではもしかしたら何処かで生きているのではと、一縷の望みを捨てきれずにいたのだが、ここにこうして漣だけが戻って来た以上、確実にレンは亡くなったのだという事実を眼前に突き付けられた気がした。マユはふらふらと立ち上がると、
「悪いけど、先に休ませてもらうわ。」
と力なく告げて自室へ戻って行った。
「あの…。」
と事態の飲み込めないサクは戸惑っていた。
「その刀、漣はマユの婚約者レンのものだったんだよ。マユは魔術師で、漣はマユが心を込めて作った、世界に一つしかない魔法刀で、戦地に赴くレンに贈ったら、レンはとても喜んで、『自分の命よりも大切にする』って約束したんだ。『何があっても絶対に手放さない。例え殺されてもこの刀は誰にも奪わせない』って。」
ミチルがそう語ると、サクはじっと漣を見つめて言った。
「そんなに大事なものだったんだ。なのに、どうしてオレは、そのことを忘れちゃったのかな…。きっとそのレンがオレに頼んだんだよね。『ツキ島のマユにこれを届けてくれ』って。なのに、オレ、どうしてレンのこと、忘れちゃったのかな…。」
サクはぽろぽろと涙を零した。ミチルはサクの肩に手を置いて言った。
「仕方ないよ。きっとどうにもならない事情があったんだと思う。サクのせいじゃないよ。サクは朱雀の民だよね。わたしは嵐が過ぎたら連絡船で大陸に渡るから一緒に行こう?それまではサクもここに泊まれば良いよ。そのうちにきっと何か思い出すんじゃないかな。」
「大陸に渡ってどうすんの?」
サクはきょとんとして尋ねた。
「わたしはまだ新米だけど巫術師なの。10年前戦争で亡くなった母も巫術師だったから、大陸で戦争に巻き込まれて亡くなった人の魂が迷わないようにお祈りしたり、迷った魂がナマナリになって人を襲わないように退治したりするつもり。御柱様になった父も朱雀の民だったから、何かサクのこと、ほっとけないんだよね。朱雀の地に戻れば、サクのこと知ってる人もいるかもしれないし、記憶も戻るかもしれない。だから途中まででも一緒に行こうよ。わたしも10年前までは大陸に居たんだけど、まだ幼かったからあんまり覚えてないんだよね。だから誰か一緒に居てくれると心強いんだ。」
「オレ、大陸のことも何にもわかんないけど、それでも良い?わかんない同士で。」
サクがそう言うと、ミチルは笑った。
「良いんじゃない?だって一人ぼっちは寂しいでしょ。二人ならきっと大丈夫。」
「そっかなあ。うん、そうかもな。」
サクも笑った。
 のろのろと進みの遅い台風が停滞していたせいで、一週間遅れて連絡船はやって来た。
出航時間までは少し時間があるが、ミチルは既にいつでも出発できるように準備を整えていたし、サクは元々身一つで特に荷物はなかった。マユが現れて、サクに漣を手渡した。
「マユ、これって、婚約者の形見、だよな?何で?」
サクは驚いて尋ねた。
「持って行きなさい。ミチルと一緒に大陸に行くんでしょ?ミチルの身に何かあったら、それを使ってミチルを護んなさい。」
「え?」
「その漣には水属性と氷属性の魔法の術式回路を組み込んであるから、斬れば追加効果で魔法が発動するわ。斬らなくても漣に向かって強く念じれば、魔法を放つことが出来る。キミが少々頼りなくても、漣が助けてくれるはず。」
「マユ、良いの?漣をサクに渡しちゃって。」
ミチルが尋ねるとマユは唇に薄い笑みを浮かべて
「良いのよ。あたしの代わりにミチルを護ってくれるなら。本当はあたしが一緒に居てミチルを護ってあげたいけど、家族やツキ島の皆を見捨てることはできないし、事情はわからないけど、レンがサクに漣を託したってことは、きっとレンはサクを信用していたってことだから。あたしが信じていたレンが、最期にサクを信じたなら、あたしもサクを信じる。レンもきっとそれを望んでると思う。」
と言った。サクはぐっと拳を握りしめて答えた。
「マユ、ありがとう。オレ、漣を大切にするよ。そして絶対にミチルを護るよ。」
「頼んだわよ。そして、キミも死なないで。またいつか、ツキ島へ戻って来てね。約束よ。」
マユがそう言うと、出航の準備が整った合図の汽笛が鳴った。サクとミチルは乗船し、連絡船は出航した。船上のミチルとサク、そして島に残ったマユは互いの姿が見えなくなるまで手を振っていた。
 ツキ島を出た連絡船は、他の島々を経由して大陸へと向かっていた。短い旅の間にミチルとサクは次第に心の距離を縮め、巫術師とその護衛でありながら、まるで昔からの友達同士のように親しくなって行った。連絡船が着いたのは青龍の国南東部の港で、そこから直接朱雀の地を目指すこともできたが、サクはミチルと共に旅を続けることに決めた。それはマユにミチルの護衛を頼まれたからでもあったが、サク自身がそれを望んだからでもあった。照れ隠しに
「ツキ島で助けてもらい、家に泊めてもらったお礼だ。」
と言いながら、記憶はなくても、白虎の支配下にある朱雀の地に戻ることを直感的に拒んだのであろう。それは、ミチルもサクも知る由もないが、彼の碧色の瞳が白虎による魔導実験の被験者であったことを物語っており、恐らく彼は白虎の研究機関からの数少ない脱走成功者の一人に違いなかったからである。
 「ミチルは大陸に着いたら何処へ行くのさ?」
サクが尋ねると、ミチルは
「青龍の首都ミヤツコへ行って、イザヨイ様という人に会うんだよ。イザヨイ様は前の戦争で母と一緒に戦ったことがあって、わたしのこともご存知だし、今は、上級巫術師という、青龍の巫術師たちを束ねる存在で、実質的に青龍軍の総指揮を執っている方なんだって。」
と答えた。
「そのイザヨイって人に会って、どうすんの?」
「わたしも最前線の西の国境で戦闘に参加する許可をもらうんだ。」
「そっか。何か面倒くさいんだな。」
「何処の誰かもわからない者が突然乱入しても混乱を招くだけだよ。イザヨイ様が全体の戦況を見定めて、皆に的確な指示を出されるんだから、それに従わないとね。」
「ふ~ん。」
戦時中でありながらも、離島で比較的穏やかに暮らしていたミチルよりも、記憶がないとはいえ、サクは更に浮世離れしている感じだった。戦場から消息を絶ったレンの最期に立ち会ったであろうと思われるサクは、今はまだ全く記憶を取り戻す気配がないが、もっと戦争が身近に感じられる場所に行けば、彼の記憶が戻る可能性もあるだろうとミチルは考えていた。
 ミチルは青龍の国の港から首都ミヤツコへ向かう途中の集落で、戦死者の魂を龍脈に還すために渡河の祈りを捧げた。巫杖を手にゆっくりと舞いながら哀調を帯びた古代言語の鎮魂歌を謡うと、碧翠色の粒子がその調べに合わせるように宙を舞い、昇華されて龍脈へと還り、静かに消えて行った。
戦場で力尽きた魂は傷つき壊れた肉体を捨て、故郷を目指して彷徨う。後悔や恨み、憎しみ、果たせなかった思いや心残り、それらに囚われた魂は龍脈には還れずに迷い、負の感情を遺して死した者の魂は迷ううちに濁り、やがて集まってナマナリと化して心を失い、人を襲う魔物になってしまう。ナマナリとなり果てた者の魂は最早龍脈に還ることは叶わず、倒すことで無に帰すより他に浄化の術はなかった。
 ミチルとサクが次の集落を目指して森を抜けようと通りかかった時、ガサゴソと音を立てて、繁みからナマナリが現れた。倒されれば自らの存在が消滅することを本能的に知っているナマナリは人を襲う。そして人が襲われて命を落とせば、新たなナマナリを生むことになりかねない。だが、ナマナリ戦闘能力も耐久力も遥かに人を凌駕しており、人がナマナリを倒すことは決して簡単なことではなかった。
「がるるる…。」
獣のような唸り声を上げて、全身を白い毛で覆われた、虎とも獅子ともつかぬような獣型のナマナリが二体、ミチルとサクを狙っていた。鋭い牙の生えた大きな口からはだらだらと涎を垂らし、それぞれが途中から二つに裂けたように分岐した、狐のように太い尾を闘気の昂ぶりからかぶるんぶるんと激しく振っている。
サクは刀身を顔の前にして漣を両手で握り、じっと念を込めてから、薙ぎ払うような仕草で大きく刀を振るった。
すると、それぞれのナマナリの足元から突き上げるような冷気が噴出し、白毛は霜が降りたように凍った。ナマナリの怯んだ隙にサクは一体に駆け寄り、漣を振りかざしつつ飛び上がって斬りつけた。その切り口から棘のような尖った氷が現れ、斬られたナマナリはぎゃーっと悲鳴のような叫び声と共に崩れ落ちた。その体が崩壊し、碧翠色の粒子となって空中に舞う間にも、もう一体は狂ったように激しく首と尾を振り、更に大きな唸り声を上げて二人を威嚇して来た。
「ミチル!」
サクは体勢を立て直し、振り返ると、ミチルは両手で巫杖を水平に持ち、古代言語で召喚魔法を詠唱すると、右手で巫杖を高く天空に向かって突き上げた。その刹那、突如現れた光り輝く叢雲(むらくも)の間から、身をくねらせるようにして紅色に輝く霊龍が顕現した。霊龍は金属音のような高い音と共に口から眩い光線を吐き出し、瞬く間にナマナリは光線に身を焼かれて消滅した。ナマナリであったものは既に碧翠色の粒子となって拡散し、霊龍と叢雲は幻のように消えてしまっていた。
「サク、大丈夫?」
呆気に取られていたサクはミチルの声で我に返った。ミチルは既にナマナリであった魂の欠片たちを浄化し、碧翠色の粒子が天に向かって浮遊しながら徐々に消滅してゆくところだった。
「あれ、何?あのでかい、赤い龍みたいなやつ。」
腰を抜かさんばかりに驚いていたサクに、ミチルは微笑みながら答えた。
「青龍の巫術師は、龍脈に眠る霊龍を召喚できるんだよ。」
「へええ、凄いんだな、巫術師って。ミチルはまだ新米だって言ってたのに…。」
サクはまだ目の前で起こったことが現実だとは信じがたい様子だった。
「うん、でもね、あの紅龍は特別なの。わたしの父だから…もう人だった頃のことは何も覚えてないはずだけど…わたしが呼べば必ず来てくれるの。サクに会う前に、わたしが一人で大陸に行くって決めた時、あの心配性のマユが何とか認めてくれたのは、『わたしには紅龍がついてるから大丈夫』って説得したから。それでも心配だったんだろうね。だから、サクに漣を渡して、わたしを護ってって頼んだんだと思う。」
ミチルの話はサクにはあまり理解できなかった。
 ミチルは次の集落での渡河の祈りを終え、謝礼代わりに宿と食事を用意してくれた集落の人々の好意を無駄にせぬよう、二人はその夜は集落に留まることにした。
「何で親父さんは龍になったんだ?」
サクはずっと気になっていたことを素直にミチルに尋ねたが、すぐに思い直して言った。
「あ、もしかして、訊いちゃいけなかった、かな?」
一瞬時が止まったかのような沈黙の後、ミチルはふっと優しい笑顔で答えた。
「ううん、大丈夫。」
「なら、良いけど…。話したくなかったら、無理には訊かないよ。」
「平気。何もやましいことじゃないし、青龍の民は皆知ってることだから。」
ミチルは膝の上に置いた自分の手元に視線を落とし、語り始めた。
「サクは青龍の民でもないし、記憶を失っているから、知らないかもしれないけど、青龍の国と白虎の国は昔から何度も戦争をしていた。わたしの母は巫術師として、召喚した霊龍と一緒に白虎の国と戦ってた。そして白虎の国から逃げて来た朱雀の民を助けた。それがわたしの父だった。二人は恋に落ちて結婚を望んだけど、母の家族に反対されて、一旦は家を捨て、故郷のツキ島を捨てた。二人が結ばれて生まれたわたしは、黒髪で赤い瞳の母と、金髪で翠色の瞳の父の両方の特徴を受け継いだ青龍と朱雀の混血児だから、瞳の色が左右で違うの。戦争がますます激しくなった10年前、父と母はわたしをツキ島の家族に預けようとしたけど、頑固な伯父はなかなか許してくれなかった。それでも、国のために命を捧げると決めた父と母の覚悟を聞いて、伯母と祖母が伯父を説得してくれた。祖母も巫術師だったし、伯母も従姉のマユと同じ魔術師だったから、巫術師である母の気持ちは理解できるってね。そして母は特級巫術師しかできない特殊召喚で、父を霊龍に変えた。青龍の守護神である霊龍は普通は青い色をしてるんだけど、父が朱雀の民だったからか、父の霊龍だけは赤い色で、紅龍と呼ばれるようになったんだって。」
「ええと、それってどういうこと?」
「つまりね、父の体から生きたまま魂を抜き取るということよ。」
「ますますわからねえ。」
「霊龍というのは、生きたまま身体(からだ)から抜き取った魂の化身なの。魂を抜き取られた人は御柱様(おんはしらさま)と呼ばれて、神様みたいに扱われるけど、半死半生のまま、再び身体に戻ることも、龍脈に戻って安らぐことも、新たな体を得て転生することもできない。霊龍になってしまったら、段々人だった頃の記憶も意識もなくなって、ただ召喚されて戦うか、戦いがなければ龍脈の中で霊龍の姿のまま永遠に眠り続けることになる。だから父の魂は紅龍となって生きながら死んでいるのと同じ。」
「何か残酷だな。で、母さんはどうなった?」
「特殊召喚には、とんでもなく魔力が必要とされるから特級巫術師にしかできない。命も魂も全て魔力に変えなければ特殊召喚は完成しない。だから母は自分の全てを捧げて、父を紅龍に変えた。母の魂は龍脈に還ることなく、全て消滅してしまったの。」
淡々と語るミチルに対して、サクは号泣していた。
「何でだよぉ?まだ小さい子供がいるのに、両親がいなくなるなんて、酷いよ。あんまりだよ。」
ミチルはサクを慰めるように肩に手を置いて続けた。
「うん、そうだよね。でもね、そのおかげで、青龍の国は白虎の国に勝てた。父と母は青龍の国を救った。皆が父と母を讃えてくれた。父と母は、わたしだけじゃなく、全ての人の未来のために、戦ったんだよ。青龍の民だけじゃない。白虎の民にだって、家族がいるだろうし、朱雀の民にだって。戦争を終わらせることは、皆の幸せな未来のため…だったんだ。だからわたしは、父と母がいなくなるのは悲しいけど、人のためになる立派なことをするためなんだから、それでいいんだと思ってた。」
泣きじゃくりながらミチルの顔を見つめてサクは言った。
「じゃあ何故、また戦争をしてるのさ?ミチルの両親が命がけで戦争を終わらせたのに、どうして今もまだ戦争は続いてるんだよ?」
「本当だね。レンだって、戦争がなかったら、マユと結婚してツキ島で幸せに暮らしていたはずなのにね。」
そう言うと、ミチルも黙り込んでしまい、サクはまだ啜り泣いていた。
 翌朝からもミチルとサクの旅は続いていた。ミチルが渡河の祈りを捧げ、ナマナリが出れば二人で戦った。そして徐々に首都ミヤツコに近づくほどに、鎮魂の儀式を待ち望む迷える死者の魂の数も、迷える魂のなれの果てであるナマナリの数も増えて、二人の戦闘能力の成長を上回るかと思えるほどに、ナマナリの戦闘能力も耐久力も上昇しつつあった。
 きっと西の国境付近では、ナマナリではなく白虎の魔導戦士や魔導兵器と戦わねばならないだろう。生身の兵士とも戦わねばならない時が来るかもしれない。そうなった時、自分は敵兵を殺すことが出来るのだろうか。生きている人間を、この手で殺めるのだと思うと、恐ろしい気がする。それは例え召喚した紅龍が殺したとしても、それを命じたのは他ならぬ自分なのだ。覚悟を決めたつもりだったが、首都ミヤツコに近づけば近づくほど不安が募り、決意が揺らいでくる。ここから逃げ出してツキ島に戻ったところで、戦争が激しくなれば、ツキ島の民もいつまで無事でいられるか。危険が迫れば、マユも魔術師として戦うだろう。逃げてはいけない。
 そんなことをミチルは頭の中で常に考えていたので、戦闘では別人のように頼もしい姿を見せるのに、日常では無邪気な子供のように天真爛漫なサクの存在はミチルにとっての癒しとなった。逞しさと可愛らしさの落差に最初は戸惑いながら、時を重ねる毎にサクに寄せる好意が、恋愛感情へと移行しつつあることに、ミチルはまだこの時は無自覚だった。
 
§ 上級巫術師・イザヨイ §
 青龍の国の首都・ミヤツコは離島群を除く大陸部の国土の中では中央よりもやや北東寄りに位置し、太古の昔青龍の国を統べた巫の居城・守羅院(しゅらいん)を現在の青龍軍の本陣と定め、上級巫術師・イザヨイが総指揮を執っていた。イザヨイは特級巫術師イツキに次ぐ実力を認められ、巫術師の中でも特に優秀な者にしか名乗ることを許されない上級巫術師の名を冠する事実上最高位の巫術師であった。
 守羅院の門前で警備に当たっていた二人の青龍兵士は、近づいてくる若い男女を威嚇するように槍を向け、
「何処へ行くつもりだ?お前たちは何者だ?」
「朱雀の民がこの守羅院に何用か?」
と尋ねた。
ミチルは、今にも警備兵に食ってかかりそうなサクを制して、深々と頭を垂れた。
「わたしはツキ島より参りました巫術師・ミチルと申します。連れの者は朱雀の民ですが、故有ってわたしの護衛として旅に同行してくれた者。決して怪しい者ではございません。わたしは何度もイザヨイ様宛にお手紙を差し上げて参りました。是非ともお目通りをお願い致したく、どうかお取次ぎ下さいませ。」
そう言って顔を上げると、警備兵の一人がミチルの瞳を見て、はっと息を飲んだ。
「ツキ島から来られたと?もしやあなたはイツキ様の…。」
「はい、特級巫術師イツキと、紅龍の御柱様ユヅルの娘、ミチルでございます。」
ミチルがそう言うと警備兵たちは一歩下がって槍を引いた。
「救国の英雄・青龍の救世主(アギト)の…、お、お、お待ち下さい。」
警備兵の一人がそう言って、もう一人に合図すると、相手は頷いて慌てた様子で門の中に消えた。
「へええ、凄いなあ。ミチルの親って、本当に凄い人だったんだな。」
サクがぼそっと呟くと、ミチルは照れたように少し頬を染めて笑った。
 伝令からミチルの来訪を聞いたイザヨイから謁見の許可が出て、ミチルとサクは守羅院の中へと案内された。
奥の大きな扉を開けると、大広間のような部屋の奥の、中央の玉座でイザヨイは待っていた。イザヨイは長い黒髪を頭頂より少し後ろで束ね、右眼を覆う黒い眼帯を長い前髪で隠していたが、左眼の紅い瞳は眼光鋭く、射るような視線が二人を捉えていた。
 「ミチル殿。遠路遥々、ご苦労でした。何度もそなたより手紙はもろうていたが、多忙のため返事を書くこともままならず、非礼をお許しあれ。」
その言葉には、何とも言われぬような圧が込められていた。
「こちらこそ、お忙しいのに申し訳ありませんでした。本日はお目通りをお許し下さりありがとうございます。」
ミチルは深々と礼をした。それを見て、サクも真似て頭を下げた。
「ほう、朱雀の民か。血は争えないと見える。そなたの母、イツキ殿は我が先達。幾度も戦場で共に戦うて来た間柄で、イツキ殿がそなたの父上と出会うた時にも、わたくしは共に居た。『彼は命がけで白虎から逃れて来たのだから、わたしたちが救わねばなりません』と言うたのはイツキ殿であった。そしてイツキ殿は特殊召喚を決意した時、ミチル殿を故郷のツキ島に置いて戦場に赴くと、特殊召喚の前にわたくしの手を取り、『後は頼みます』と言われた。」
ミチルは視線を落とし、じっとイザヨイの言葉を聴いていた。
「そなたも戦場を目指すのか。後方支援として、渡河の祈りを捧げ、ナマナリを昇華させることも立派な巫術師としての使命ではないか。それとも、母御のように、その朱雀の民を御柱様として特殊召喚を行うつもりか?実際そなたにそれほどの経験と技量があるのなら、だが?」
サクは冷笑を浮かべたイザヨイのことを、底意地の悪そうなおばさんだと思ったが、それを口に出してしまうと、おそらくミチルが困るのだろうと思ってぐっと飲み込んだ。
「いいえ、わたしはまだまだ未熟者で、特殊召喚は出来ません。でも、紅龍を召喚して戦うことは出来ます。そして彼は魔術師であるわたしの従姉から託された魔法刀の使い手です。ここまでの道中もずっと共にナマナリと戦って来ました。彼と共に青龍の国と民を救うために精一杯戦いたいと思っています。」
ミチルが訴えると、イザヨイはふっと笑った。
「あいわかった。そなたが生半可な気持ちでここまで来たのではないことだけは間違いなかろう。本当に覚悟があるのなら、最前線へ向かえ。ちょうど明日最前線出発する部隊がここ守羅院に待機しておる。そなたも共に行くがよい。隊長のスバルにはわたくしから話を通しておく。」
「ありがとうございます!!」
ミチルは勢い良く頭を下げた。それを見てサクも慌てて真似をした。
「ミチル殿、必ず無事に戻られよ。でないとわたくしはイツキ殿に合わす顔がない。」
「はいっ、必ず!」
力強く答えるミチルに頷いたイザヨイは、初めてサクに声を掛けた。
「朱雀の若輩よ、ミチル殿を頼んだぞ。護衛を努めると定めたのなら、己の命に代えても必ずミチル殿を護り切れ。」
「お、おう。…いや、あの、はい。必ず。」
戸惑いながらサクが答えると、イザヨイは玉座から立ち上がり、後方の扉から退出した。
「何かよくわからないけど、良かったな。ミチル。」
サクがミチルの肩を叩くと、ミチルは力強く頷いた。
「うん、そうだね。ありがとう。」
二人は翌朝西方の国境に近い最前線へ向かって旅立つスバル隊に合流することとなった。
(②へつづく)
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