「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

ペルシャ絨毯の話

2022-07-05 07:30:00 | 日記
5月14日に、知人のHさんのお嬢さんが姉妹で「蒼いとびら」にいらっしゃることになっていて、私は若いお嬢さん達と話せるのかと、少し緊張をしていました。

Hさんは、Iさんのお友達で3年前くらいにご紹介で知り合いましたが、初めてお会いした時は、お姉さんのIOさんは丁度大学受験の頃で、今年の春は、妹さんのMAさんが大学受験というタイミングでした。

早いもので、IOさんは来年に向けて就活の真っ最中とのことで、若い人達の時間は大人の何倍もの速さで動いているのですね。


私が朝から振り子を持ってみると、ミクネの神(天之常立之神)が話してきました。


友達の娘の若者が来るらしいな。

はい。

IOとMAと言うのだろう?

そうです。

二人とも過去生で、友達だったよ。

私のですか?

そうだよ。

えーーー!いつ頃のことですか?

M子がイスラムにいた時に、一緒に働いていた。
テストに合格しないといけないので、みんなで力を合わせていたんだよ。

私達は何の仕事をしていたのですか?

モミモミして作る絨毯(じゅうたん)だよ。
イスラムの絨毯は、今も人気だろう。

ペルシャ絨毯のことですか?

日本にもシルクロードで運ばれていたよ。
1500年くらい前だろうな。
だから、二人はまた仲良く織物のような仕事がいいのだよ。

織物ですか?

縦と横を編み上げる結ぶ仕事だな。
Hは、その時の母だったよ。
妻は、弟だった。
IOとMAの弟だよ。
MAは姉で、IOは妹だった。
だから、とても縁のある家族ということだな。
珍しいことだよ。


私は朝から衝撃を受けましたが、早くお二人にお会いしたいとも思いました。


ペルシャ絨毯の歴史を調べてみると、下の文章を見つけました。


ペルシャ絨毯は、日本へは、ペルシャ帝国と地続きになっているヨーロッパからシルクロードを経て、安土桃山時代に中国から入ったとされていますが、絨毯に関する最も古い文献では「魏志倭人伝」の中に、「魏の明帝が邪馬台国の女王卑弥呼に朝貢の答礼として、絨毯と思われる敷物を贈った」と記されています。
また遣唐使によってもたらされた工芸品の中には、花氈(かせん)と呼ばれる美しいフェルトが含まれ、今も正倉院宝物として残されています。


正倉院に宝物としてあるペルシャ絨毯は、フェルトだということがわかると、ミクネの神が「モミモミ」と言っていたのは、フェルトのことではないかと思ったのです。
そして、花氈は職人集団が作っていたのではないかと言われているようですよ。



画像は、お借りしましたが、奈良のペルシャ絨毯専門店「メヘラリ」さんが、今年の3月21日に、正倉院にある絨毯を再現して東大寺に奉納されたそうです。


「蒼いとびら」で、お嬢さん二人に朝から話したことをお伝えして、ほとんど三人で笑っていました。

妹さんのMAさんは、コロナ禍の中での高校生活で、修学旅行も中止になったということで、丁度そのタイミングの高校生達は、沢山いるのだろうと思いますが、これからの大学生活を満喫して欲しいと思いましたし、お姉さんのIOさんはこれからの会社での活躍で、回りに影響していくような感じがして、若いお二人の今後が本当に楽しみでした。


そして、ミクネの神がまた次の日に話してきました。


友達の娘の話は、びっくりしただろう。
イスラムの時代の友達のこととは、思わなかっただろう。

はい。びっくりしました。

今世で出会うというのは、本当に奇跡のようで奇跡ではないよ。
Iとの出会いも奇跡のようで奇跡ではない。
タイで姉弟だったと言ったのは覚えているか?

はい。

意味があるのだよ。
出会いは、意味があるということだな。


私は、やっぱり変わらない話なのだと思いました。
Iさんと初めて出会った2015,2,1のすぐ後にミクネの神に300年前にタイで姉弟だったと言われたことは衝撃的な話でしたが、それからの付き合いになったからですね。
奇跡のようで、奇跡ではなかったのでしょうか。
せっかくのご縁なので、出会った方達とは、ずっと仲良くしていきたいと思います。


🐶 前世の繋がり




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 磐長姫(イワナガヒメ)の話 | トップ | 長谷寺に行きました »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事