「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

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武田神社と大滝神社

2024-09-10 07:30:00 | 日記
私達3人は、恵林寺の後は武田神社に行きました。




武田神社は、武田信玄を祭っていますが、元々は武田氏のお城だったのですね。


🌟武田神社が所在する甲府市古府中町は甲府盆地北縁に所在する。
戦国時代の永正16年(1519年)に甲斐守護・武田信虎により居館(躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)、武田氏館)が築かれ、家臣団が集住して武田城下町が形成された。
以来信虎・晴信(信玄)・勝頼三代にわたって武田領国の中心地として機能し天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後もしばらくは政治的中心地であった。
豊臣大名時代には南方の甲府市丸の内に新たに甲府城が築城され、江戸時代にかけても甲斐統治の政治的中心地となったため、武田氏館は破却された。


とのことで、武田信玄は悪者にされたりしていたのですが、やっぱり見直され、武田神社となったようです。

いつの時代も、見え方で全然違うのだと思いますね。

前回の柳沢吉保の主君だった、徳川綱吉も、最近見直されているらしいですよ。






お城の名残りは、石垣で残っている感じだし、武田神社から真っ直ぐな道は、中心地だった場所と思いました。
 






この後、Iさんが連れて行ってくれたのは、大滝神社でした。



神社の鳥居をつくぐり、キレイな水の流れを見ながら進んでいくと、トンネルがありました。





ジブリの世界だねーと言いながら、トンネルを抜けると神社がありました。





神社のすぐ横の樋口から、水が流れていました。





大滝湧水という、水源ですね。
調べると、歴史も古いこともわかりました。


🌟大滝湧水は、1日に約2万2000トンを湧出する豊かな水源で、年間を通じて約12℃の水温が保たれています。
水田の灌漑やニジマスの養殖にも利用され、古くから地域の人々の生活を支えてきました。
神社の起源は3世紀後半の古墳時代にまで遡り、崇神天皇が巡視の折に湧水を称え、自ら壇を設けて祭祀を行ったといわれています。
1985(昭和60)年には、三分一湧水、女取(めとり)湧水とともに「八ヶ岳南麓高原湧水群」として環境省の「日本の名水百選」に選定されました。


とのことです。

私達は、水源の上の方に登って行きました。


続きます。


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