わが購読紙掲載の『ふる里の風景』、昨年最後の記事は「年末年始」だった。
僕らが子どもだったころの日本の年末は忙しかった。煤払い(大掃除)、まとめて払う「つけ」の支払い、餅つき、年始の備えなど、ほとんどが年末に集中していた。 「おせち」もその一つだ。母は何日も前から日持ちする料理を作り始め、電気冷蔵庫など無かったから、年末ギリギリが魚や肉の買い出しだった。また、子どもの僕らも忙しかった。しめ飾りの裏白採りで山に行き、年賀状にも悩まされた。
今はそんな年末の忙しさからほとんど解放された。おせち料理は予約で購入でき、しめ飾りも簡素化され、年賀状の枚数も年々減っている。店も多くは元日から開いていて、買い物にも困らない。 しかしいざそうなってみると、昔の正月は風情があってよかったとか、つい懐古気分になったりするから勝手なものである。
これを読んでいたら、昔懐かしいお正月の思い出があれこれとよみがえってきた。
冬休みはいつも母の実家(岡山市内)で過ごした。祖父母、叔父夫婦と2人のいとこ、それに私たち姉弟3人で計9人、大所帯のお正月はにぎやかで楽しかったなあ。
年末には叔父夫婦が臼と杵でお餅つき、丸めるのは子どもたちの仕事。元日の前夜、叔母がみんなに「お雑煮のお餅は何個?」と聞く。杵つき餅は美味しいから、みんなたくさん食べるので、叔母は大きな飯炊き釜で何十個ものお餅を茹でていた。
お正月の遊びといえば、凧揚げ、羽根つき、福笑い、カルタ取り、トランプなどなど、今のようにテレビやスマホ、ゲーム機などなくても、遊び方はいくらでもあった。退屈する暇もなく一日中遊び惚けていたなあ。お正月はお年玉がもらえるし、宿題をしなくてもいいし、文句なしに楽しかった。
昔は正月の三が日はどこも休みで、唯一営業していたのは映画館だけだった。当時、各映画会社系列の人気俳優が来て舞台挨拶するのが恒例となっていて、元日早々からお目当ての俳優見たさに押すな押すなの大入り満員。小学6年生だった私も叔母に連れられて長い行列に並んだことを思い出す。が、どんな映画だったか、見た俳優の名などはまったく記憶にない。
昨今は何もかもが変わって、お正月らしい風情がまったくない。年末年始の風習も残っているのは「年越しそば」と「初詣」「お雑煮」くらいか? それでもお正月についてはみんな、何かしら「特別感」があり、各家々に引き継がれているものはあるだろう。
最近の若い人たちはお雑煮を食べない人もいるようだが、お正月にお雑煮は欠かせない。お雑煮は各家々によって違い、お餅は丸餅あり、角餅あり。すまし汁仕立てあり、みそ仕立てあり。上に乗せる具材も違う。ちなみに具材のランキングは、1位「鶏肉」 2位「みつば」 3位「大根」 4位「かまぼこ」 5位「にんじん」、6位「小松菜・ほうれん草」 7位「里芋」…と続くそうである
わが家のお雑煮は丸餅ですまし汁、具材はほうれん草と人参、かまぼこ、伊達巻、鰤の醤油煮。これは祖父母から父母へ、そして私たちへと引き継がれていて、昔と少しも違わない。
ネットに『日本全国「ご当地お雑煮」27選』というのがあった。どれもきれいで美味しそうだ。「お雑煮の食べ歩き」というのも一興では?
今日は「七草」、お正月も終わりだ。寝正月で増えた体重をどうしようか? ウオーキングを頑張るしかないが一気に効果が出るはずもない。気楽な寝正月のツケは大きいなあ!
「イイね」
お正月の思い出だけは、幾つに年を重ねても暖かな気分に浸れます。
ホント不器用なsirousagi羽根つきで勝ったためしがなかったなあ!
雑誌の付録の福笑いで妹と大笑いしたり!犬棒かるたから百人一首へ成長‼したときは随分頑張ったなあ
元旦はみそ仕立て二日はおすましのお雑煮、小食は子供の頃からお餅は2個以上胃が受け付けない
(´;ω;`)ウッ…
コロナで重~い日々に「思い出ポロポロ」
元気頂戴しました
私たち同年代のお正月の思い出は、ほとんど同じですね。羽根つきで負けると顔に墨を塗られたことも。どんなに時代が変わろうと、昭和の思い出は懐かしく、いつも心がホッコリします。子どもの頃の楽しい思い出は心の宝ですね。
年初から連日、コロナ感染者急増のニュースばかり、もううんざりです。一人一人の努力でもどうにもならないのでしょうか。あとはワクチン接種に期待するしかありませんね。なんと歯がゆいことか!