曇りがちの しっとりした空気に
時折 ラベンダーが 香り立ちます
落ち着きますね
こんな日は
ゆったりした時間の流れに 気が休まります
また 忙しくなる前のひとときでは ありませんように
*** 遠野ふるさと村の 写真です ***
曇りがちの しっとりした空気に
時折 ラベンダーが 香り立ちます
落ち着きますね
こんな日は
ゆったりした時間の流れに 気が休まります
また 忙しくなる前のひとときでは ありませんように
*** 遠野ふるさと村の 写真です ***
ラベンダーの花が 咲き揃いました
ここしばらく ラベンダーの花を摘んでは ドライフラワーにしています
風通しの良い 直射日光の当たらない場所に 吊るすのですが
車の中 冷蔵庫の中がよいというのもあって
至るところ ラベンダーだらけです
今朝摘んだ花は こんな風に 寝室の壁に糸で吊るしました
今夜は いい夢 みれそう~
ローズマリーの枝に産みつけられた オオカマキリの卵鞘
庭の片隅に置いていました
そろそろ孵化する頃かなと 観に行くと・・・
こんなに ↓
1匹で観ると 可愛いですよ
こんなの ↓
ラベンダーの花は 今が盛り
摘んでは ドライフラワーにしています
夏を思わせる陽気だけど 窓からは いい風が・・・
うつらうつらと お昼寝
夕方 もう一度 カマキリの卵鞘を観に行くと
子カマキリたちは ほとんどが四散していました
軽便鉄道の停車場のちかくに、猫の第六事務所がありました
ここは主に、猫の歴史と地理をしらべるところでした
こんな風に始まる 宮沢賢治の童話「猫の事務所」
そのモデルになったといわれるのは 当時の「稗貫(ひえぬき)郡役所」
現在は 大迫(おおはさま)町に移築され 資料館となっています(画像 ↑ )
さて この「猫の事務所」には 事務長の大きな黒猫と
第一書記の白猫 第二書記の虎猫 第三書記の三毛猫 第四書記のかま猫がいました
かま猫は 夏の土用に生まれたので とても寒がり
夜はかまどの中に入り眠るので いつも体は煤だらけで真っ黒です
事務長の黒猫以外は みな かま猫を嫌って いじめていました
でも かま猫は 「事務長さんは親切だし かま猫の仲間は みな かま猫が事務所で働いているのを誇りにしているのだから 辞めないぞ」と思っていました
ある時 かま猫は風邪をひき 事務所を一日休みました
その間に 書記の猫たちは かま猫が事務長の座を狙っていると 黒猫に信じ込ませてしまいました
翌日 事務所に出勤したかま猫には 仕事はありません
かま猫は もう悲しくて悲しくて じっとこらえて俯いていました
昼になっても 持ってきた弁当も食べず かま猫は膝に手を置いたまま俯いていました
とうとう かま猫は しくしく泣きだしました
そして 夕方になるまで ずっと泣いていたのです
それでも みんなは そんなこと一向に知らないというように面白そうに仕事をしていました
誰も気づかなかったのですが これを 獅子がみていました
獅子は いきなり 戸口を叩くと中に入ってきました
猫どもの驚きようといったら・・・
かま猫だけは 泣くのをやめて まっすぐに立ちました
獅子は言いました
「お前たちは何をしているんだ! 地理も歴史もあったものではない やめてしまえ!」
こうして 事務所は廃止になりました
「ぼくは半分獅子に同感です」
という言葉で締めくくられます
いつの時代も いじめはあるのですね
でも だから 事務所をなくせば良いというのは 本末転倒!
花巻といえば 宮沢賢治の故郷
宮沢賢治記念館があります (画像はイーハトーヴ・センター)
此処に来れば 賢治が創り上げようとした世界が よく分かります
賢治は 薪ストーブのように 人々を心地よく暖めてくれる人だということも・・
高村光太郎が 宮沢賢治について書いた文章があります
宮澤賢治は稗貫郡花巻町に明治二十九年に生れ、この人もたった三十八歳で死にましたが、その為しとげた仕事の立派さは驚くばかりです。此の詩人の詩や童話は実にたくさんあり、どれをよんでみても心が清められ、高められ、美しくされないものはありません。非常に宗教心にあつく、法華経ほけきょうを信仰して、まるで菩薩ぼさつさまのような生活をおくっていました。仏さまといってもいい程です。自分をすてて人の為に尽し、殊に貧しい農夫の為になる事を一所懸命に実際にやりました。詩人であるばかりでなく農業化学や地質学等の科学者でもあり、酸性土壌改良の炭酸カルシュームを掘り出したり、世の中にひろめたりしました。皆さんの知っている「雨ニモマケズ」の詩は病気でねている時に書いたのですが、今日でも多くの人に救と力とを与えています。「風の又三郎」を映画で見た事がありますか。あの童話も宮澤賢治の作ったものです。此詩人は全く世界的な大詩人といっていいでしょう。
啄木といい、賢治といい、皆誠実な、うその無い、つきつめた性格の人でした。
「昭和文学全集第4巻」小学館
宮沢賢治は 東京で一度 高村光太郎を訪ねています
高村は ちょうど彫刻の作品に没頭しているところで 会うことは出来ませんでした
その後 二人が会う機会は 二度とありませんでした
けれど 高村光太郎が東京から花巻に疎開した先は 宮沢賢治の弟の家でした
そこも又 空襲に遭い 山口という村にある小屋に住む事になります
高村光太郎の最後の作品となった「乙女の像」は 智恵子だったのだ
そう納得して あらためて見ると 実に素晴らしい像だ
力強く どっしりと地に根を張った 二人の女性が向き合っている
この場合 男か女かというのは 意味がないのだと思う
片方が 智恵子ならば もう一人は 光太郎なのだろう
二人で ひとつの形なのだ
十和田湖は 一年の半分以上が 雪に埋もれた土地だ
観光客が来て 湖の水面が美しく輝く日は どれ程あるだろう
あとは 厳しく 寂しい日々
まるで 二人の人生のようだ
彫刻家を父にもった光太郎は 誰もが恵まれた環境と羨む中で
自身の道を確立するまで どれほど苦闘したことだろうか
その中で 彫刻家 画家 その上 詩人としても大成したことは幸せなことだ
けれど その豊かな才能が 妻 智恵子の生きる道を閉ざしてしまった
智恵子は画家を目指していたが よき妻として 光太郎をサポートする立場に徹した
後年 智恵子は統合失調症になり 52歳で亡くなる
脚光を浴びるのは 僅かの間
その奥には 深い苦しみがある
戦災により アトリエや多くの作品を焼失して
花巻の地に移り住んだ 7年間
光太郎は どんな事を考えていたのだろう
粗末な小屋に住み 畑を耕し 自炊し 村人たちと付き合いながら
意外と 心静かな 安らぎを得ていたのかもしれない
最後に依頼された仕事 十和田湖畔のモニュメントに
彼の想いは すべて込められ
今も これからも
大自然の中に 像は立ち続けている
高校生の頃 十和田湖畔に立つ「乙女の像」を初めてみました
その時「乙女」ではないと思った記憶があります
今回の旅で その理由が少しわかりました
高村光太郎は 東京出身で 彫刻家 画家 詩人として活躍
画家である 妻 智恵子と死別後
智恵子への永遠の愛を綴った「智恵子抄」を出版した
私の知識は その程度・・
なぜ 花巻に「高村光太郎記念館」があるのか 戸惑いました
そして そのその記念館を訪れ
初めて 智恵子の死後から「乙女の像」制作までの経緯を知りました
高村は 戦争協力詩を多く発表
そして 終戦間際の空襲でアトリエや多くの作品を焼失しました
終戦後 花巻市の郊外の地に 粗末な小屋を建て7年間暮らしたのです
(画像は その小屋)
戦争に協力した自責の念からか 彫刻からも離れ
障子1枚 板戸1枚外は極寒の地で 畑を耕し 自炊をする毎日でした
そんな高村に 再び 彫刻の道が開かれます
1950年(昭和25年)
十和田の国立公園15周年を記念してモニュメント制作を依頼されました
高村は 厳しくも美しい十和田の自然に 智恵子を蘇らせたのです
「乙女の像」というのは あくまでも観光用のネーミング!
乙女という名と 像との 隔たりが 高校生だった私には謎だったのです
そして
この像が 高村の最後の作品となりました
さて 私が泊った 鉛温泉の宿には 4つの湯場がありましたが
その一つ「白猿の湯」は 立ち湯です
深いところは 私の顔半分までの深さがあります
元々 混浴なのですが 今は 決められた時間は女湯になります
1階の扉を開けると ずっと下に 岩をくり抜いたという湯舟が見えます
石段をそろそろと降りていくと 片隅が脱衣する場所となっています
見上げると 天井は遥か上!
つまり三階分が 吹き抜けになっていて ぐるりと曇りガラスの窓に囲まれています
お湯は足元から湧いている自墳泉なのだとか
お湯はトロリと肌にまとわりつくような優しさ
石段を降りてきて 服を脱いだ女性が 私の視界を横切りました
「 あっ・・ これこそ「乙女の像」よ! 」
私は 心の中で叫びます
ブレた線が一つもない 張りつめた美しさ
身体機能の頂点にいる輝き
土から生えているかのような 無造作さ
その若い女性は 湯舟の向かい側に身を沈めました
「こんばんは」と 私は微笑みました
彼女は 真面目そうな目を向けました
「ここのカランは 蛇口をひねってもお湯が出ないんですね?」
「ここは お湯につかるだけ 体を洗うのは他のお風呂でするのよ」
他愛もない話をしながら
立ち湯は10分も入れば もう満足
「お先に!」と言って湯舟を後にしました
もし 私が「乙女の像」をつくる?描く?ならば
「今の女性をモデルにするな~」と思いながら・・・
翌朝 歯を磨きながら顔上げると 彼女が横にいました
「おはよう!」
彼女の瞳が真っ直ぐに私に向く
睫毛の翳が濃く目を縁取る
「今日 帰るんです」
「あら 私も」
「どこから来ていらっしゃるんですか?」
「横浜」
「ええっ そんな遠くから?」
「あなたは?」
「地元のK市です 大学生です」
「そお いつでも来ようと思えば来れていいわね」
彼女のずっしりとした重み
それが 東北の女性なのだ
旅行から帰ってから忙しく 更新が遅くなりました
実は 今回 花巻で泊ったのは 温泉宿の湯治部なのです
農閑期に 地元の人たちが 自炊しながら温泉地で保養する
その時に泊まるのが この湯治部
今回泊ったのは 鉛温泉 藤三旅館 湯治部
朝夕の食事(部屋食)付で 浴衣やタオルなどを借りると別料金
温泉は 源泉かけ流し 旅館部と一緒です
難点は トイレが部屋にない事かな?
昔の旅館の雰囲気そのままで 冬はかなり寒いと思います
でも 季節は若葉萌える 春
何も問題はありません
とにかく 温泉が素晴らしい
とろ~り! とした湯で お肌すべすべ
続きは また 明日!
とにかく 眠くて 眠くて・・
遠野に向かった日は 雨だし 寒いし・・・
それでも 遠野に近づくにつれ 日本の原風景とも言うべき 自然と人が融和する美しさ 心地よさに目を奪われました
それは 昔から たゆまぬ人の手が加えられてきたからこそ在るのだと思います
そして 文化も・・・
遠野は四方を山に囲まれた盆地ですから ある意味 閉鎖的
昔から伝えられてきた生活や風習が そのまま大事に残された貴重な場所です
その一つ この土地に伝わる昔話を聴きに行きました
遠野の三大昔話の中から 語り部(かたりべ)さんは 「おしらさま」と「ざしきわらし」を語ってくれました
ちょっと分かり難い方言は 言い添えてくれるので 夫も90%は理解できたと言っていました
私は 仲間内に遠野の昔話を語る人がいて 普段からよく聴くので 慣れ親しんだおはなしです
それでも この土地に生まれ 生きてきた人たちが 語り継いできたものは
やはり 此処に来て この空気を吸って 初めて 生き生きと蘇るのだと思いました
しばらく 東北を旅しました
曇りがちで 気温も低かったのですが
帰る日の「今日」になって やっと お天気が戻りました
東北は 今 芽吹きの時
山々は 初々しい薄緑色に染まり
陽の光が降りそそぐと まさに「山笑う」という表現がぴったり!
車の中から うっとり眺めました
今回の旅は 花巻 大迫 遠野など 岩手県の狭い範囲です
食べものも美味しかったし 温泉も良かった
何より この土地に生きた人たちの息吹に触れることができて 考えることが多かったです
その場所に立ち その場所の空気を吸って 初めて理解できることがあります
何歳になっても また 新たな扉を開くときめきを感じる
それが 旅なんですね!?