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仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

金閣寺(その1)

2011年09月10日 | おでかけ
一般的に【金閣寺】と呼ばれているが、【鹿苑寺】(京都市北区)というのが正しいのだそうである。
平成6(1994)年に世界文化遺産に登録されたらしい。
境内には鐘楼があり、一叩き(確か200円)すると記念品がいただける。
(^_^)

つづく

仁和寺

2011年09月09日 | おでかけ
平成6(1994)年に世界遺産に登録された仁和寺(京都市右京区)は、仁和4(888)年に完成したのだそうである。
現在は、真言宗御室派の総本山。
朱色に塗られている中門に続く石段の一段一段が妙に長いのは、人間の歩幅ではなく馬の歩幅に合わせているから。
中門を入って左側にある妙に背丈の低い"名勝御室桜"というのが綺麗なのだそうだが、この時期、桜はすでに散っていた。

トロッコ嵐山駅

2011年09月08日 | おでかけ
嵯峨野観光鉄道株式会社が営業する【嵯峨野トロッコ列車】。
天龍寺を見た後、周辺をぶらぶら。
ビール&冷や奴で一休みしてから、竹林を歩いてトロッコ嵐山駅に向かった。
列車の発車時刻まで余裕があったので、ベンチに座り"嵐山"という地ビールをいただいた。
(^_^)

海外における商標の冒認出願対策セミナー

2011年09月07日 | おでかけ
平成23(2011)年9月2日(金)午後2時からの【海外における商標の冒認出願対策セミナー】(北海道留萌振興局)に参加した。
ただ、この日は【留萌南部衛生組合】の議員協議会と議会に出席したことから、同セミナーは午後3時からの参加となり、1講目の『中国等における模倣品及び地名の商標登録の現状と問題点、対処法』(日高東亜国際特許事務所所長日高賢治氏)については、資料をいただいたのみとなった。
このセミナーの出席者名簿には1~30の番号が振ってあったが、出席者はほぼ自治体等の職員であり、民間団体からの参加は北日本水産物(株)の田○氏ただ一人。
現状、留萌管内には海外でのビジネス展開を考えている企業が無いということなのだろうが、この数年来中国のマッタクいい加減な農産地の商標登録が問題になってもいるのだから、農協職員等は多少の興味を持っても良いのではないかと思った。
2講目の『地域団体商標を活用したブランド作り』(日本弁理士会北海道支部幹事内海司氏)は、"ブランド"というものの起源からの説明だったが、商標とはあくまでも"信用の維持を図るもの"であり"信用を構築できるもの"ではないということ、SONYの【VAIO】を例にとった"ストーリーの織り込まれた識別力の高い商標"という話は興味深かった。
この2つは相反することの説明なのだったが、"守りの商標"である地域団体商標に対して、個性ある"攻めの商標"というものは民間企業がたゆまなく考え続けていかなければならないものなのだろうと考えながら、この話を聞いていた。
3講目は『中国等における商標出願状況検索ガイダンス』(一般社団法人北海道発明協会知的財産アドバイザー牧野功氏)。
中国商標局のサイトでの商標検索についてだったが、"青森"や"函館"といった地名、"無印良品"といったブランド名が無関係であると思われる中国系企業名で申請されている資料が示されたりした。
「ブランドを作り"商標登録"さえすれば、商品として何とかなるというものではない。信用やイメージというものは、あくまでもそれを製造・販売したり運用する人・企業によって作られるものである」というのが、このセミナーで勉強になったことだろうか。
(^_^)

臨済宗天龍寺派大本山天龍寺

2011年09月07日 | おでかけ
世界文化遺産の【臨済宗天龍寺派大本山天龍寺】(京都市右京区)。
歴応2(1339)年、後醍醐天皇を弔うために足利尊氏が創建した寺だそうで、かつては桂川に架かる渡月橋も敷地内だったのだそうだ。
ただ、堂宇の多くが明治時代の再建だそうである。
火災による焼失は木造建築物の宿命なのだ。

嵐山の周辺地図

2011年09月06日 | おでかけ
親鸞聖人750回大遠忌法要の参拝を終え、あとはすっかり観光気分の西暁寺大遠忌団参一行は、嵐山へ出掛けた。
画像は、"桂川"に架かる"渡月橋"を歩いて行った先の"中の島公園"にあった嵐山の周辺地図。
"トロッコ嵐山駅"まで、"美空ひばり座"や土産物店が並び、観光コースになっている。
とても賑やかだった。

親鸞聖人750回大遠忌法要(その8)

2011年09月06日 | おでかけ
親鸞聖人750回大遠忌法要(その7)のつづき。
法要は布教に続き、午前10時から約1時間半、御影堂にて行われた。
首から青い色の参拝章を下げた仁左衛門達西暁寺参拝団(2011年5月16日・午前の部)の席はそこそこ前ではあったものの端の方だったので、柱に取り付けられたモニター画面を見ていることが多かったが、雅楽の演奏などは今まで録音したものしか聞いたことがなかったので、身近で音を感じられてとても良かった。

つづく

親鸞聖人750回大遠忌法要(その7)

2011年09月05日 | おでかけ
親鸞聖人750回大遠忌法要(その6)のつづき。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人については、『親鸞聖人750回大遠忌についての消息』(龍谷門主釋即如)に、「親鸞上人は、承安3年(4月1日)に御誕生になり、9歳で出家得度され、比叡山で学問と修行に励まれました。しかし、迷いを離れる道を見出すことができず、29歳の時、聖徳太子の示現を得て、源空聖人に遇われ、本願を信じ、念仏する身となられました。35歳の時、承元の法難により、越後にご流罪となられますが、後にはご家族を伴って関東に移り、ひとびとと生活をともにし、自信教人信の道を歩まれました。晩年は京都で、ご本典の完成に努められるとともに、三帖和讃など多くの著述にお力を注がれ、90歳を一期として往生の素懐を遂げられました」とある。
京都日野の里での誕生は、今の暦でいうと西暦1173年5月21日だそうで、源氏と平家が相争う世情に世の無常を感じられ東山の青蓮院において出家・得度されたのだそうである。
「源氏と平家」はすでに無くとも、「世の無常」はいつの時代にもあるというわけだ。
自ら死を選んでしまう人が圧倒的に多い現在の日本だが、命を絶ってしまうのではなく、生きて何か新しい道を切り開いていけないものなのかと、「迷い」という文字を見るとそう考えてしまう。

つづく