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仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

黒船見張所跡

2013年11月10日 | おでかけ
寝姿山遊歩道】のつづき
坂道を登って寝姿山の山頂付近まで行ったのだが、"縁結び愛染堂"は工事中のために近寄れず、"蓮杖写真記念館"は休館日だった。
「頂上まで登って、これはないよな・・・」とも思ったが、"縁結び愛染堂"などに行ったところで仕方がなかったのは確かだ。
近くにあった休憩所には立ち寄らず、そこから下って"ハーブ園"を抜け、"黒船見張所"に向かった。
【黒船見張所跡】の標識横には黒い大砲が設置してあり、眼下の下田湾を見下ろしていた。
陣屋展望台(増毛町別苅)に設置してある大砲はコンクリート製の偽物だが、ここのは鉄製の本物。
とはいえ、江戸時代のこの場所に設置してあった大砲ではなく、当時のアメリカ船に設置されていたものらしい。
つづく

寝姿山遊歩道

2013年11月10日 | おでかけ
伊豆七島及び下田湾案内図】のつづき
下田ロープウェイ寝姿山山頂駅を出てから、遊歩道を反時計回りに進んだ。
出口から下に降りる別ルートもあったようだが、途中にある"恋人の丘"、"迷路"、"森の小径"と名前がついた場所におっさん2人で行っても仕方がない。
しばらく歩き、"寝姿展望台"と"黒船展望台"から景色を眺め、記念撮影。
富士山の位置を示す標識があったものの、曇り空のためにマッタク見えなかった。
つづく

伊豆七島及び下田湾案内図

2013年11月07日 | おでかけ
寝姿山から下田湾を見下ろした】のつづき
定員39人の"下田ロープウェイ"で一気に156mの高低差(全長540m)を駆け上がり、寝姿山駅に降り立った。
駅を出るとすぐに展望スペースがあり、まずそこから下田湾の全景を見渡すことが出来たものの、"伊豆七島及び下田湾案内図"に描かれているような遠くの景色までを見渡すことは出来なかった。
山のほうに目を移すと、頂上部に向けて遊歩道が整備されているようだったので、先へ進んでみたのだった。
つづく

寝姿山から下田湾を見下ろした

2013年11月07日 | おでかけ
ペリー提督】のつづき
"法順山了仙寺"(静岡県下田市)見学後に昼食を摂り、約1時間自由になったことから、飛○氏と"下田ロープウェイ"で"寝姿山"に登った。
女性が寝ている姿に似ているために"寝姿山"と呼ばれているらしいのだが、見る角度が違ったからか、それは良く分からなかった。
(^_^;)
15分に1便の割で発着していたロープウェイの乗車料金は、往復(確か)1,000円。
展望台から見えた"下田湾"は確かに良い入り江で、天気が良ければ素晴らしい景観が楽しめたのだろうが、この日は生憎の曇り空だったことから何もかもが灰色に見えた。
この小ぢんまりとした湾に、見たこともない巨大な7隻の"黒船"がやってきたのだから、江戸時代の人達は随分と驚いたことだろう。
つづく

ペリー提督

2013年11月06日 | おでかけ
紙製ファイルの絵】のつづき
了仙寺に黒船の顔ハメ看板があったので撮影してみた。
こういうのを見ると素通りすることができない性分である。
(^_^;)
船首(左側)に立っているのが、日本開国の現場に立ち会ったアメリカ軍人のペリー提督ことマシュー・カルブレイス・ペリー(1794年~1858年)だと思う(たぶん)。
だんだら模様の羽織の男が刀を振りかざし、ペリー、同船している浪人、犬を連れた丸坊主の男、公家(!?)に襲い掛かっているという何とも無茶苦茶な構図だ。
小船で近づき、黒船に密航しようとしている男もいる。
どうせ無茶苦茶するのなら、関根務のペリーのものまね「国を開きなさーい」の文字くらいは書いてほしいものだ。
(^。^)
つづく

紙製ファイルの絵

2013年11月05日 | おでかけ
法順山了仙寺】のつづき
境内隣接地にある"了仙寺宝物館"を見学して駐車場に戻った頃、本堂前で撮影した記念の集合写真が出来上がっていた。
全員が購入したわけではなかったようだが、それでも売店側の予想数を超えていたのか、数人が幾分待たされた。
こういう集合写真の販売予想は何パーセントを見込んでいるものなのだろうか。
一律に何パーセントというわけではなく、団体の顔ぶれで判断するのか。
(^。^)
画像はその写真が入っていた紙製ファイルで、表側には"黒船ポーハタン号"の絵と説明文、裏側には"黒船来航絵巻より「異人写真撮影の図」"と説明文が印刷されていた。
説明文には「当時の銀板写真は左右が逆に写るため、着物の袷(あわせ)が左前、刀も右側に差している」等と書かれている。
どちらの絵も了仙寺所蔵のものらしいが、"了仙寺宝物館"では見た記憶がない。
きっと、貴重な原本は仕舞い込んでいるのだろう。
(^_^;)
つづく

法順山了仙寺

2013年11月05日 | おでかけ
伊豆オレンヂセンターのわさびソフトクリーム】のつづき
法順山了仙寺(静岡県下田市)は日蓮宗の寺。
1635(寛文12)の創建で、"日米和親条約"(1854年)の付属条約である"下田条約"が締結された場として知られ、国の史跡に指定されている。
本堂正面には【開国殿】との文字がある。
寺前にある売店のご主人が簡単にガイドをしてくれた後、本堂の前で記念の集合写真を撮影することになる。
購入するか否かは自由である。
(^_^)
つづく

ゾウガメ

2013年11月03日 | おでかけ
世界遺産のバナナ】のつづき
"熱川バナナワニ園"の分園にはレッサーパンダやゾウガメ等もいた。
現在、地球上で生息するゾウガメは、インド洋のアルダブラゾウガメと太平洋のガラパゴスゾウガメの2種だが、熱川バナナワニ園の"アルダブラゾウガメ"は、セーシェル共和国政府から寄贈されたものとのことである。
つづく

世界遺産のバナナ

2013年11月02日 | おでかけ
映画テルマエ・ロマエのロケ地】のつづき
温室に"世界遺産のバナナ"と書かれている展示があったが、それはバナナ自体が世界遺産ということではなく、2011(平成23)年に世界遺産として登録された小笠原諸島で栽培されているバナナ・"島バナナ"のことだった。
ちなみに"バナナの木"というのは間違いで、バナナは草。
巨大な長ネギのようなものなのだそうである。
つづく

映画テルマエ・ロマエのロケ地

2013年11月02日 | おでかけ
ワニの動きは俊敏】のつづき
"熱川バナナワニ園"の別館に「マンガと本物をくらべてみよう」という小さなコーナーがあり、ここで映画『テルマエ・ロマエ』(2012年/武内英樹監督)のロケが行われたことが記されていた。
1年ほど前に見た映画だが、そういえばワニが出てきた場面があったような気もする・・・。
(^_^;)
つづく

熱川バナナワニ園

2013年10月29日 | おでかけ
宮に似たうしろ姿や春の月】のつづき
前夜の宿泊地"伊東温泉"(静岡県伊東市)を出発した我々一行は、2日目最初の観光目的地である【熱川バナナワニ園】(静岡県賀茂郡東伊豆町)へと向かった。
「温室にバナナが生えていて、ワニとレッサーパンダがいる」という程度の事前情報しか持ち合わせていなかったので、到着直前の「ここは幼稚園児が見に来るような所」とのガイドさんの言葉にとてもガッカリしたのだが、実際に入園してみると、園内にはワニ約120頭がいるそうで、8棟の温室がある本園と世界最多26頭のレッサーパンダ、ゾウガメ、クロトキ等がいる分園を無料マイクロバスで結ぶほど規模はとても大きかったし、ガイドさんの言葉からイメージした子供だまし的な施設ではないのだった。
他の見学先では「高いお金を出して見るほどでもない」等と口にすることもあったり、観光旅行の楽しさを削ぐようなガイドさんの言葉が段々と気になってきたのは多分この頃だ。
ワニは「作り物じゃないのか!?」と思うほどに寝そべったままほとんど動くことがなく、一度口を開けたワニも見ている間はずっとその口を開けたままで、「電池が切れてるんじゃないか!?」というような冗談ばかりが思い浮かんだ。
(^_^;)
つづく

宮に似たうしろ姿や春の月

2013年10月28日 | おでかけ
寛一お宮之像】のつづき
記念撮影をした銅像の左隣には、「宮に似たうしろ姿や春の月」と刻まれた句碑があった。
これは、『金色夜叉』の作者・尾崎紅葉(1868年~1903年)の弟子・小栗風葉(1875年~1926年)が同作品を記念して1919(大正8)年に建立したもので、小栗も『金色夜叉終編』(1909年)という師が残した作品の続きを書いているようである。
また、昭和初期まで"羽衣の松"と呼ばれていた美しく有名な松は、この句碑建立後、1934(昭和9)年頃から"お宮の松"と呼ばれるようになったという。
ただ、当時樹齢約300年と推測されたその松は、付近の環境が激変したこともあって枯れてしまい、1966(昭和41)年に"二代目お宮の松"が植栽されたとのこと。
画像左が"二代目お宮の松"である。
つづく

寛一お宮之像

2013年10月28日 | おでかけ
どこも雨】のつづき
1960(昭和35)年に復興されたという小田原城天守閣(神奈川県小田原市)等の観光を中止にした我々一行は、幾分残念な思いを抱きながらも、一路、当日の宿泊先である伊東温泉(静岡県伊東市)に向かったのだが、その後の移動中も雨が時折強く降るような天候だった。
途中、我々のツアーに同行してくれたガイドさんの提案で経路を変更し、熱海サンビーチ(静岡県熱海市)では【寛一お宮之像】(1986年建立)の前にバスを停めてほぼ全員が下車、その銅像の前で記念写真を撮影した。
これは、明治時代の小説家・尾崎紅葉(1868年~1903年)の小説『金色夜叉(こんじきやしゃ)』(1897年~1902年/読売新聞連載)の、「学生・間貫一が熱海の海岸において、結婚を間近にしながらも富豪・富山の所へ嫁いだ許婚・鴫沢宮(しぎさわみや)を問い詰めた挙句、本心を明かさないながらも許しを請う宮を足蹴にする」という場面を銅像にしたもの。
「来年の今月今夜・・・、再来年の今月今夜・・・、10年後の今月今夜・・・、一生を通して僕は今月今夜を忘れん。僕の涙で必ずこの月を曇らしてみせる」という台詞が有名なようだ。
この小説は未完ながらも幾度となく映像化されているらしく、それ故に架空の一場面を題材にしたこのような銅像が出来上がったのだろう。
ちなみに(ウィキペディアによると)、1912(明治45)年の初映像化から1954(昭和29)年までは映画において24回も映像化され、1955(昭和30)年に一度テレビドラマ化されてから後は映画で取り上げられることがマッタクなくなり、すべてテレビドラマとして8回映像化(今のところ最後は1990年)されているのだが、その全32回のうち22回は太平洋戦争以前の映像化。
つまり、かなりご高齢でなければこの物語のことは良く知らないわけである。
おそらく、昭和の時代には最高の観光資源のひとつだったのだろうが、仁左衛門もこの物語の存在や劇中にそのような場面があることを情報として知ってはいたが、なにぶん小説を読んだことも映像作品を見たこともないので、"観光地での記念撮影"ということ以外にはさほど感動を覚えるポイントがなかった。
(^_^;)
ただ、この時のワイワイと記念撮影をしている様子がとても喜んでいる姿に見えたようで、このご高齢のガイドさんは、その後どんどんと予定の変更を提案してくることになる。
つづく

どこも雨

2013年10月27日 | おでかけ
雨の羽田空港】のつづき
我々一行は"平塚パーキングエリア"で飲み物を補給しつつ、"小田原厚木道路"等を通って最初の目的地"小田原城"へと向かった。
羽田空港に降り立って以降、どこもそこそこに強い雨が降っており、傘を用意していない人もいたことから、バスの下車後に15分ほど徒歩で移動しなければならないという"小田原城"の観光を諦めた。
数十年ぶりの再訪を楽しみにしていた人もいたようで、随分と残念だったようだ。
まだ台風27号の影響はなかったが、この日のこの辺りは、どこも時折強い雨が降っていたようだった。
つづく