さくらんひめ東文章

指折って駄句をひねって夜が明けて

花にさすらふ -4-

2010年04月16日 | 都へ上る
戒光寺

創建1228年、後堀河天皇の勅願所として猪熊八条のあった戒光律寺が前身。
応仁の乱で伽藍を焼失、一条戻り橋付近~三条河東と移ったが、
1645年後水尾天皇の発願によって泉涌寺の塔頭とされた。
地図を見ると、今でも猪熊八条などに戒光寺町と名を残している。
後水尾院のことを調べていて、こちらのお寺に縁の丈六釈迦如来があると知り
お参りさせていただいた。
泉涌寺の総門を入るとすぐにあるお寺で、
墓地には御陵衛士伊東甲子太郎らのお墓もある。

本堂に上がらせていただいて、運慶・湛慶親子の合作の丈六釈迦如来を拝ませて頂く。
寄木造りで、後背部を入れると約10メートルにもなる立派な仏さまであるが、
首の辺りからなにやら流れているように見える。
東宮時代に後水尾天皇が即位争いに巻きこまれ暗殺されそうになった時、
この釈迦如来が身代わりとなられ、その時ついたの血の跡と伝わっているらしい。
その後も事あるごとにお身代わりにたたれたので、なるほど、
後水尾天皇は歴代の天皇の中でも長寿と全うされましたね。

以後、「身代わりのお釈迦さま」と呼ばれ崇められてきたそうだ。
とくに、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」ご利益がある。
仏前には参拝者が頂けるお茶が用意されていて、
釈迦如来さまのご縁をいただけたらと私も頂戴した。
東福寺駅からだいぶ歩いたので、乾いたのどにはとても優しく甘い味がした。

境内には泉山随一という桜もあって、
泉山七福神の第二番、泉山融通弁財天も祀られている。
その弁天さまのそばに、素晴らしく大きな白い八重椿が沢山咲いていた。