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ばくのメモ帳

『ばくのお宿』管理人の西みつのり、略して西みつのメモ帳です。ホームページに書き切れない雑多な情報を綴ります。

銚子利夫選手のトレーディングカード

2013年09月15日 | 銚子出身プロ野球選手
9月1日、ドリーム・ベースボールには銚子出身の選手3人が参加しました。篠塚和典選手、銚子利夫選手、澤井良輔選手です。

野球カードの2回目は銚子利夫選手です。

銚子利夫選手は昭和36年(1961年)8月24日、茨城県鹿島郡波崎町(現神栖市)の生まれです。波崎三中から市立銚子高校を経て法政大学に進学、昭和58年(1983年)、ドラフト1位で大洋ホエールズに入団しました。

市立銚子高時代には昭和54年(1979年)夏の甲子園に出場しています。当時はピッチャーで、市立銚子高は初めての甲子園出場でした。甲子園ではホームランを打ちましたが、打球を顔面に受けて途中退場しています。

大洋ホエールズでは昭和63年(1988年)に125試合、平成元年(1989年)に114試合に出場、平成元年の打率も2割8分1厘を記録し、レギュラーの座をつかんだかに見えました。しかし、翌年から出場機会が減り、平成4年(1992年)には広島カープに移籍、平成5年(1993年)に引退をしました。

一軍での成績は433試合に出場し、通算打率は2割5分6厘、ホームランは3本でした。引退後は平成18年(2006年)まで横浜ベイスターズの2軍、湘南シーレックスでコーチを務めました。

銚子利夫選手のテレホンカードです。



BBM、ベースボールマガジン社のトレーディングカードの発売は平成3年(1991年)が最初です。この年は大洋でカード化されています。

平成4年(1992年)と5年(1993年)の所属チームは広島です。




カルビーカードはレギュラーを確保した平成元年(1989年)に3枚、平成2年(1990年)に1枚が発行されています。





タカラプロ野球カードゲームはルーキーの昭和59年(1984年)から平成3年(1991年)まで6枚が発行されています。昭和60年(1985年)とわんぱく野球カードは未入手です。







その他のカードは、ロッテベースボールカード、マーメイドなどのカードがあります。






引退後のカードはBBMからメモリアルカードが発売されています。

平成17年(2005年)の05BBM/横浜ベイスターズ<Once upon a time>ではOBとしてカード化、直筆サインカードも発行されました。


  直筆サインカード 15/30

平成20年(2008年)の「ホエールズ・ベイスターズ横浜移転30周年記念カード」では2種類の直筆サインカードが封入されました。


  直筆サインカード 26/75

  直筆サインカード 17/25

平成21年(2009年)には横浜ベイスターズのチームセットの背番号物語で下窪陽介選手と背番号9でコラボしています。


同年のBBMヒストリックコレクション2010「MEMORY MAKERS~きらめきの瞬間」でもOB選手としてカード化され、フォトグラフカードも発行されました。


 [スペシャルインサートカード]<PHOTOGRAPHIC CARD> 060/200

木樽投手や石毛博史投手の項でも触れた「グローバル ドリーム」で、銚子利夫選手(元横浜ベイスターズ)との対談が放映されています。

グローバル ドリーム ~あの日、あの時、そして今~

ホームページ『銚子出身プロ野球選手のカード』の「銚子出身プロ野球選手名鑑」の項を改定しました。

銚子出身プロ野球選手名鑑

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澤井良輔選手のトレーディングカード

2013年09月07日 | 銚子出身プロ野球選手
最初の野球カードは、元ロッテマリーンズ澤井良輔選手です。

澤井良輔選手は、昭和53年(1978年)3月9日、銚子市の生まれです。銚子二中から銚子商業高校に進み、平成7年(1995年)春夏の甲子園に連続出場し、春の大会では準優勝しています。

平成7年のドラフト1位でロッテマリーンズの指名を受け、入団。期待は大きかったのですが、残念ながら一軍に定着する事はできませんでした。平成17年引退、一軍での出場は90試合、通算打率は2割2分5厘、ホームラン6本にとどまりました。

引退後は社会人野球チーム「千葉熱血MAKING」「サウザンリーフ市原」でプレー。平成20年(2008年)、21年(2009年)はBCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスの野手コーチとなり、平成21年BCリーグで優勝しました。しかし、この年のシーズン終了後退団して野球を離れています。

なお、市立銚子高校から広島に進んだ長谷川昌幸投手、市立銚子、帝京大学から阪神タイガースに進んだ窪田淳投手とは同学年になります。

最初にテレホンカードです。千葉県スポーツ振興基金発行のテレカです。千葉県出身のロッテマリーンズの3選手が描かれています。



トレーディングカードは、BBM1996レギュラーカードがルーキーカードになります。



BBM1997 千葉ロッテマリーンズコレクション


BBM2002 2ndバージョン


BBM2003 千葉ロッテマリーンズ


BBM2004 2ndバージョン


BBM2004 千葉ロッテマリーンズ


BBM2004 千葉ロッテマリーンズの直筆サインカードです。119/149 なお、前年も直筆サインカードが封入されていましたが、私は持っていません。



BBM2005 1stバージョン


BBM2005 千葉ロッテマリーンズ


ベースボール・マガジン社発行の「BBM」以外では、タカラプロ野球カードゲームのカードが1枚ありました。カルビーカードは発行されていないようです。

ルーキー年の1996年のカードです。

その他のカードは未来峰から発行されたロッテの球団コレクションのカードなどがあります。

未来峰2000 FBベースボールコレクション

未来峰2000 FBベースボールコレクション 同じ図柄のパラレルカードです。

未来峰2001 FBベースボールコレクション

未来峰2000 FBベースボールコレクション こちらもパラレルカードです。背景にも澤井選手が描かれているのですが、スキャンすると見えなくなってしまいます。


コナミ プライム・ナインのカード。他にもあるかも知れません。


最後に2008年発行の群馬ダイヤモンドペガサス発行の球団配布カードです。2008年7月13日が澤井コーチの日で、カードが無料配布されました。



この他にもペガサスの販売カードが1枚あるようなのですが、私は持っていません。どなたかお譲りいただけるようでしたら、よろしくお願いします。

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石毛博史投手のトレーディングカード

2013年01月18日 | 銚子出身プロ野球選手
先日発売されたトレーディングカード「BBM2013 ジャイアンツレジェンド」に石毛博史投手が入りました。石毛博史投手はジャイアンツから近鉄、阪神と移籍し、平成17年阪神で引退しました。もうカードが発売されることはないだろうと思っていたので、うれしい驚きでした。



直筆サイン入りカードも発行されました。石毛博史投手のサインカードは初めてだと思います。


現役引退後、平成21年(2009年)には、関西独立リーグ「大阪ゴールドビリケーンズ」の投手コーチ(監督は村上隆行氏)となり、2009年度の関西独立リーグで優勝しました。

しかし、大阪ゴールドビリケーンズは関西独立リーグからの脱退、選手の野球賭博への関与などがあり、平成23年(2011年)1月解散してしまいました。

平成23年7月、香川オリーブガイナーズアカデミーの監督に就任。香川オリーブガイナーズは独立リーグ、四国アイランドリーグplusに所属するチームで、アカデミーは「県総体終了後の中学3年球児を対象に硬式野球を指導する事業」とのこと。

平成24年(2012年)3月、アカデミー監督を退任、関西独立リーグ「06BULLS」のコーチに就任しました。「06BULLS」は村上隆行氏が監督で、2012年関西独立リーグ年間チャンピオンとなっています。

木樽投手の項でも触れた「グローバル ドリーム」で、石毛博史選手(元読売ジャイアンツ)との対談が放映されています。

グローバル ドリーム ~あの日、あの時、そして今~

この機会に石毛博史選手のテレホンカード、トレーディングカードをまとめてみました。

持っているテレホンカードは2枚です。最初は安田火災発行の1993年Mr.FIREMAN『最優秀救援投手』のテレホンカードです。この年、石毛投手は48試合に登板、6勝5敗30セーブで最優秀救援投手に輝きました。

      ホワイトカード <品名50<110-011>>  

次のカードは大塚製薬のオロナミンCのカードで、川相選手、斉藤投手と共に、カードになっています。

      ホワイトカード <品名50<110-011>>  

次はトレーディングカードです。BBM=ベースボール・マガジン社の発行する野球カードは1991年(平成3年)に初めて発行されました。石毛投手もこの時に初めてカード化されています。


石毛投手は市立銚子高校からドラフト外で巨人に入団しました。当時のやくみつるさん(だったと思うのですが)の野球マンガで、キャンプの自己紹介で「ジャンボ石毛です。」というコマがあったと記憶しています。一軍デビューは、1991年4月18日の大洋戦でした。

1993年にはオールスターにも出場し、オールスターセットのカードに登場しています。


巨人時代のBBMカードをあと2枚紹介します。1994年の「1993LEADERS」と1994年日本シリーズセットのカードです。



1997年には近鉄にトレード、6年間近鉄で活躍しました。BBM2001年のカードです。


2002年(平成14年)近鉄バッファローズを自由契約になり、阪神タイガースの入団試験を受け採用となり、3年間は阪神の縦縞のユニホームを着ました。カードはBBM2003阪神タイガース優勝セット栄光の軌跡」です。


そして、2005年(平成17年)現役を引退しました。カードはBBM2005阪神タイガースセットです。これが最後のトレーディングカードになったと考えていました。



BBM以外のカードにも登場していますので、簡単に数枚を紹介します。最初にカルビーの野球カードです。1994年(平成6年)に4枚のカードが発行されています。


タカラプロ野球カードゲームのカードです。1991年から1996年まで6年続けてカード化されています。最初と最後の年のカードです。



1993年のI.D. Pro Baseballカードと、カネボウ・フーズから発行された1994年のカードです。



近鉄時代、ハドソンから発行されたゲームカード「パワーリーグ 夢のスタジアム」とコナミのゲームカード「フィールド・オブ・ナイン」で、共に2000年の発行です。



2001年のバッファローズ球団配布カードです。


そして最後に阪神時代、2003年の阪神タイガース優勝納豆、トップ食品のカードコレクション2003のカードです。



数年前のテレビの健康番組に石毛博史さんが出演されたことがありました。その時の検査の数値は非常に悪かったと記憶しています。健康に留意されて、これからもがんばっていただきたいですね。

ホームページ『銚子出身プロ野球選手のカード』の石毛博史選手の項を改定しました。

石毛博史選手

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木樽正明投手のトレーディングカード

2012年09月08日 | 銚子出身プロ野球選手
エポック社のトレーディングカード「日本プロ野球OBクラブオフィシャルカードセット エースの系譜」に木樽正明投手が入りました。



直筆サインカードも発行され、OB一人につき3種類の直筆サインカードが封入されました。1枚限定、20枚限定、50枚限定の3種類です。20枚限定のサインカードは、まだ見たことはありません。50枚限定のサインカードはオークションに出品され、運良く入手することができました。



そして何と1of1、1枚限定のカードもオークションに出品されました。入手することはできませんでしたが、カードを見ることができただけでもラッキーでした。

今回はプロモーションカードとして銀箔、金箔、赤箔カードも発行され、こちらは入手することができました。スキャンすると皆同じように見えますね。

銀箔プリントサインカード Limited to 120


金箔プリントサインカード Limited to 50


赤箔プリントサインカード Limited to 10


木樽正明投手は昭和22年6月生まれ、私より1学年上になります。銚子商業高校で、昭和40年(1965年)夏の甲子園大会に出場、準優勝しました。決勝戦で敗れたとはいえ、インタビューのさわやかな受け答えは当時話題になったのを覚えています。銚子市民にとって忘れることのできない投手です。

昭和41年、当時の東京オリオンズに入団し、昭和45年にはMVPにも輝いています。木樽投手のテレホンカードがないか探しているのですが、未だ見つけることはできません。現役が昭和51年までとテレホンカード発行開始前なので、発行されていない可能性が大きいですね。

トレーディングカードもこれまでは、あまり多くは発行されてきませんでした。最初のカードは平成9年(1997年)発行の「千葉ロッテマリーンズコレクション」でした。ロッテ球団のカードセットです。




その後発行されたカードです。

平成15年(2003年)発行 BBM2004 豪腕列伝



平成16年(2004年)発行 BBM2004 千葉ロッテマリーンズ



平成18年(2006年)発行 BBMヒストリックコレクション2007「ドラフト物語」



平成19年(2007年)発行 BBMヒストリックコレクション2008「BACK TO THE 70'S~よみがえる1970年代プロ野球~」



平成20年(2008年)発行 ロッテ球団40年記念カード



昨年度(平成23年度)はBBMヒストリックコレクション「最強世代伝説」に登場、直筆サインカードも封入されました。これは運良く入手することができました。





直筆サインカード 04/94

「元スポーツ選手と対談する グローバルドリーム」というホームページがあり、木樽投手の対談がありました。(石毛博史投手、尾上旭選手、銚子利夫選手も登場しています。)

木樽正明さんは、現在はJFE東日本硬式野球部のコーチをされているようですね。同野球部の監督は銚子商業高校出身の青野達也さんです。今年の都市対抗野球ではベスト4に入りました。

木樽投手には、これからも多くのカードに登場していただきたいですね。

ホームページ『銚子出身プロ野球選手のカード』の「銚子出身プロ野球選手名鑑」に、木樽正明投手「エースの系譜」カードを加えました。

木樽正明選手

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オリックス長谷川昌幸投手引退

2012年04月09日 | 銚子出身プロ野球選手
オリックス・バファローズの長谷川昌幸投手が昨年12月にプロ野球を引退しました。12月2日に自由契約となり、現役引退を表明したとのことです。

実はこのニュースはまったく知らないで、オリックスのホームページで長谷川投手を捜していました。登録選手の中に見つからず、検索した結果、引退が分かりました。

これで銚子出身のプロ野球選手は一人もいなくなりました。寂しいです。

『スポーツカード・マガジン』も毎号購入していましたが、先日発売になったNo.92、5月号で買うのを止めます。5月号を購入してから引退を知りました。

長谷川昌幸投手は茨城県神栖市(合併前は波崎町)の出身。市立銚子高校を卒業して、平成7年(1995年)のドラフト1位指名で広島東洋カープに入団しました。

市立銚子高校では西武ライオンズの石毛宏典選手や大洋ホエールズの銚子利夫選手、読売ジャイアンツの石毛博史投手の後輩になります。

最後のトレーディングカードは平成23年(2011年)発行のこのカードでしょうか。平成23年度は一軍での出場はなかったので、裏面の通算記録が伸びることはありませんでした。


     2011BBMオリックス・バファローズ Bs13

デビューは平成8年(1996年度)でした。こちらがルーキーカードになります。


       1996BBM 466

平成9年(1997年)には一軍で2試合に登板、初の勝利をあげました。


       1998BBM 89

平成14年(2002年)には30試合に登板、13勝をあげました。


       2002BBM 48

平成17年(2005年)背番号を「19」から「42」に変更。


       2005BBM広島東洋カープ C74

2006年のルーキーエディションに10年前のルーキーとして登場。


       2006BBM Rookie Edition D12

平成22年(2010年)広島での最後のカードとなりました。


       2010BBM広島東洋カープ C20

オリックスへ移籍後の非売品球団配付カード。



銚子関係のプロ野球選手はいなくなりましたが、メモリアルで篠塚選手や石毛選手、宇野選手のカードが発行されることもありますので、カード収集は続けます。

長谷川昌幸さんは広島でお店等を開店するそうです。元気で頑張って欲しいですね。

『銚子出身プロ野球選手名鑑』の長谷川昌幸選手のページを更新しました。

長谷川昌幸選手


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