ニルヴァーナへの道

究極の悟りを求めて

朝生感想

2007-05-27 14:13:49 | 憲法
もう「朝生」の役割は終ったのではないかと、この前の憲法討論会を聞いていて思った。
タブーに挑戦が、この番組の売りだったが、何の知的刺激、興奮も起きない。
そもそも、憲法無効論者を登場させないなんて、この番組の意味がないではないか。
これでは、わざわざ深夜、眠い目をこすりながら、見る価値はない、と思った。
優等生の議論など、聞いていても仕方がないでないか。
アホらし、というのが率直な感想ですね。
まあ、それでも見てしまうのは(途中で寝てしまって、録画したのを見直しているのですが)、ひょっとしたら面白い議論が展開されるのではないかという期待と、以前からの惰性です。

まあ、それでも、九条真理教徒の方々の信仰告白を拝聴できたことは参考になったということが今回の収穫でしょうか。

東京大学在学中に司法試験に合格された「カリスマ法律講師」伊藤真先生の九条擁護の議論は、現在の日本人の九条擁護をする人たちの根本の考え方でしょうね。

国家権力が、自分たちを戦争の巻き込もうとするのを防ぐ最も強力な防御線、楯、が九条だという考え方ですね。
自分たちは絶対に戦争などというアホなものに巻き込まれてたまるか、という願いがこの九条によって実現されているのだから、これは絶対に手放さない、ということでしょう。

たしかに、憲法には国家権力の不当な圧力から国民の権利を擁護するという機能を持っていることは事実でしょう。

では、国家の防衛はどのようにすればいいのか。
九条の発想からは国家の防衛、ひいては国民の生命の外国の侵略者からの擁護という行為はどうしても否定的なイメージでしか捉えられなくなってくるのは確かでしう。
これでは駄目だというのが、九条改正論者の意見なのですが、
いや、それでもいいのだ、というのが九条擁護者の考えですね。

国家の防衛などというものは、将来の理想世界の到来の暁には、不要になるべきものなのだから、国民の権利の擁護よりも、一段低いところに置いておくべきなのだ、ということでしょう。

まあ、これが、九条真理教の教義の核心だと思うのですが、

しかし、果たして、これでいいのだろうか。
私はそうは思わない。

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2 コメント

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誠に勝手なことですが、第1ブログを移動しました。 (yasu)
2007-06-17 02:33:15
お手数ですが、ブックマークのURLの変更をお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/aumer_yasu002/


あのYahoo!ブログは字数制限が厳しいため、使いづらいため、第1ブログを移動することにしました。

返信する
yasuさん (真の自己を求めて)
2007-09-30 10:06:22
ブックマークのURLの変更をしました。
アベルさんの掲示板を読んでいると、今晩、オウム特集があるということですね。
どんな内容が放送されるのか、楽しみです。
返信する