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ぽかぽか春庭「翻案とパロディーゴヤ・ウィーダ/シェークスピア」

2008-11-27 18:55:00 | 日記
2008/03/07 
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(1)
ロス・ヌエボス・カプリチョス(新気まぐれ)

 2006年9月15~27日に、「翻案盗作パロディオマージュ」というテーマで、作品制作過程での他者からの影響関係について考察しました。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200609A
http://www2.ocn.ne.jp/~haruniwa/0203b7mi.htm
 今回、もう一度、翻案の問題について考えてみようと思います。

 「20世紀にもっともインパクトがあった作品」として、ピカソを押さえて、マルセル・デュシャンの作品『泉』が1位に選ばれました。21世紀がコピー複製の時代になることを20世紀において予感していたデュシャン。
 『泉』は、便器に署名しただけの作品であり、署名されている「R.Mut」とは、便器メーカーの会社名。
 『泉』 http://www.arclamp.jp/blog/archives/000255.html

 また、マルセル・デュシャンはモナリザに髭を書き加えて「髭をはやしたモナリザ」と題し、つぎに、ただのモナリザ複製画を「髭をそったモナリザ」と題して、自分の「オリジナル作品」として発表しました。

 森村泰昌の「自らモナリザに扮した作品」は、このデュシャンの「髭をそったモナリザ」に連なる作品ですが、森村のすごいところは、「日本の浮世絵シリーズ」「女優シリーズ」「名画の登場人物シリーズ」など、とどまるところを知らない快進撃がつづいていること。

 私は、美術家森村泰昌の作品が好きです。女優や名画の登場人物そっくりに扮して写真を撮ったシリーズが、とてもおもしろい。
 森村HPのトップページは、モナリザに扮した作品です
http://www.morimura-ya.com/

 森村の「そっくりさんシリーズ」は、「自身が扮装し作品の内側に入り込むことで新たな理解を生み出す」というコンセプトによって制作されています。

 2005年05月21日 ~07月02日に、Toyo Art Beat(TAB)で開催された森村泰昌の新作展「風刺家伝-ゴヤに捧ぐ」に展示されていた作品は、ゴヤの名作「ロス・カプリチョス(気まぐれ)」シリーズをパロディにした「ロス・ヌエボス・カプリチョス(新気まぐれ)です。
http://www.morimura-ya.com/gallery/2005/index.html

<つづく>


2008/03/07 
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(2)
私は飛ぶ-あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ

 森村泰昌の『ロス・ヌエボス・カプリチョス』は、ゴヤの作品の持つ、「コメディ・笑い」「グロテスク・闇」「魅惑・美」という要素を組み合わせ、森村は現代社会を鋭く風刺するパロディを演出し、自らがゴヤの絵の人物に扮した姿を写し取っています。

 ゴヤの作品15点の場面が、戦争、経済、医療、複雑な人間の愛憎関係、ジェンダー、流行など、様々な現代社会の問題点をえぐり出す風刺作品としてよみがえり、哄笑、高笑い、大爆笑、苦笑いを生み出しつつ、現代人の心に訴える作品になっています。

 私は、講談社の広報誌『本』2007年12月号の表紙、森村泰昌の『私は飛ぶ・あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ』を見て、すっご~い、と、思いました。
http://www.morimura-ya.com/gallery/2005/16.html

 ゴヤの版画集『気まぐれ』の第61作「飛んでいった」
http://www.city.himeji.hyogo.jp/art/digital_museum/meihin/kaigai/goya/caprichos/caprichos61.html

 ゴヤの「飛んでいった」と、森村の「私は飛ぶ・あんたらが踏み台にされたのは自業自得だよ」とのちがいは、「白黒の版画」か「カラーの写真アクリル仕上げ」かという違いもありますが、それ以上に、女が踏みつけている三人の穀物袋をかかえる男の姿が、「穀物ふくろを抱える拳」になっていたり、女の衣裳が、ゴヤの恋人アルバ侯爵夫人の肖像画の黒い豪華なドレスになっていたり、森村流の解釈がふんだんに持ち込まれています。

 アルバ侯爵夫人に捧げる(黒いドレスのアルバ)
 http://www.morimura-ya.com/gallery/2005/2.html

 美しい青空と白い雲の中を、穀物袋をひっしと抱きしめる拳を踏みつけて、悠々と飛んでいる森村扮するアルバ侯爵夫人。
 美しいし、笑えるし、風刺家森村の精神がとてもよく出ている作品だと思います。
 この踏み台にされている「拳」たち、どんな「自業自得」をやらかしたのでしょうか。

 森村の「翻案」は、「パロディ」や「翻案」にとどまらないものを生み出す作品だと感じました。

 ゴヤの『ロス・カプリチョス』を翻案した森村の『ロス・ヌエボス・カプリチョス』を見て、2006年9月に引き続き、「翻案、パロディ、インスパイア」の問題を考えていこうと思います。

<つづく>
 

2008/03/08
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(3)
浦島太郎とオルフェウス

 1974年私の最初の卒論のタイトルは『古事記』でした。
 30余年前、私は、所属は日本文学科だったのに、文化人類学を専攻したくて、なんとか文化人類学に近いことをやりたいと思っていました。
 そこで、『古事記』を、「言語人類学」「比較神話学」のふたつの方向で読み直してみようと思いました。

 大林太良(おおばやし たりょう)の比較神話学を応用して、『日本神話の起源(1961)』『神話学入門(1966)』などを参考にしながら、古事記の冒頭の部分を自分なりに解釈した卒論をなんとかでっち上げました。
 しかし、指導教官の山路平四郎先生は、そのような方法で古事記を扱うのは文学部日本文学専攻の卒論としてはよろしくない、というお考えでした。

 「日本文学科の卒論なのだから、古典文学として古事記を扱うように」という講評で、成績は「良」におわりました。
 「優」でなかったことにがっかりして、その後、読み直すこともしていないけれど、たぶん、古代文学研究としても比較神話学研究としても不出来な、中途半端なものだったのだろうと、今では思います。

 山路先生(山路愛山の息子)には、「記紀歌謡の世界」や「万葉集」についてのすぐれた業績があり、今も尊敬してやまない大学者ですが、私は不出来な学生で終わりました。
 卒業後、先生からいただいた年賀状は、今も大切な宝物です。

 私がやろうしていた「古事記のエピソードと、各地の民話神話の比較」「比較説話学」に関する論文は、現在では、山のように出ています。

 今でも『古事記』に関わる本を読み続けています。2007年は、神野志隆光の古事記論を面白く読みました。漢字受容と「文字表記作品」として古事記を考察した『漢字テキストとしての古事記』、とてもおもしろかった。文字文化の伝播とひろがり、その変容。
 示唆に富んだ論でした。

 古事記だけでなく、各地にはさまざまな神話伝承があり、比較すると似通った説話が数多く見いだされます。
 神話や伝説のエピソードに、びっくりするくらい世界各地の伝承話が似通っていることがあるのです。

 「物語」は時空を越えて移動する。「物語、私は飛ぶ!」

 たとえば、万葉集に記載がある「浦島子のはなし」は、のちにおとぎ話「浦島太郎」になりますが、「浦島子」の類話は、アジア各地にあります。

 『古事記』の国生みの話は、アジアの各地に類話がありますし、いざなぎがいざなみを黄泉の国まで追っていく話は、ギリシア神話の『オルフェウス』によく似ています。
 (日本語で広まっているオルフェウスは、古典ギリシア語ではオルペウス。現代フランス語ではオルフェ)

<つづく>


2008/03/09
春庭ことばと文化>翻訳翻案インスパイア(4)
ユリシーズとオセロ

 このような類話は、各地独自に、同じような話が生み出される場合もあるし、なんらかの影響関係から、もとの話が各地に伝播していく場合もあります。

 坪内逍遥や南方熊楠が唱えた説に「百合若大臣はユリシーズの翻案」というものがあります。
 坪内逍遙はシェークスピア劇を歌舞伎や新派のために翻案するなどの劇作が多いし、南方熊楠は、古今東西の文献を網羅して脳内にしまっておくことのできた博覧強記の学者ですから、説得力があります。
 異論も、各種だされていますが。

 日本に中世から伝わっている説話『百合若大臣』。
 幸若舞などにもなっているから、織田信長も知っている話だったかかもしれません。

 主人公の百合若は、合戦から帰る途中、家来に裏切られて島に置き去りにされます。
 島を脱出し、苦労を重ねてやっと帰還。貞淑な自分の妻に言い寄っていた男たちを弓で射殺し、妻のもとに帰りました。

 『百合若大臣』あらすじは、ギリシアの『オデュッセイア』と、よく似ています。
 オデュッセウスのラテン語名「ウリッセス」で、英語名は「ユリシーズ」です。
 ただ、現在の研究では、直接に影響関係のある翻案だったかどうかは、まだ不明です。

 坪内逍遙ほか、明治の文学者たちは、ヨーロッパの文学を翻訳移入することに熱心でした。
 森鴎外が翻訳した『即興詩人』などは、元の話であるアンデルセンの原作よりもよほどすぐれた作品に仕上がっている、と、評判になったほどです。

 演劇でも、翻案ものは人気を博しました。
 たとえば、日本におけるシェークスピア演劇の嚆矢。
 1903(明治36)年、川上音二郎・貞奴夫妻によって『オセロ』が上演されました。

 オセロ音二郎、デズデモーナ貞奴の、日本初演のタイトルは、『正劇・オセロ』。
 舞台のセットはスコットランドでもヴェニスでもなく、台湾を舞台にした翻案劇として上演されました。

 女優のいない歌舞伎が中心であった日本の演劇界において、女優がはじめて人前で演じた作品としても重要な作であり、翻案シェークスピア劇の上演として演劇史に残ります。

 私の最初の専門は『古事記』でしたが、二度目の大学生活での専攻は「演劇人類学」「民族芸能学」なので、欧米をまたにかけた貞奴の生涯にもひときわ思い入れがあります。
 (ついでにいうと1993年の修論タイトルは、『現代日本語他動詞文の再帰構造について』、よくもまあ、くるくるかわったもんだ。私は飛ぶ!)

 この「欧米文学」の翻案、移入は、現代でも引き続き、日本の文化に大きなシェアを占めてきました。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(5)
レミとネロ

 明治時代には、子どものための物語も、欧米からの翻訳物語や翻案ものが流行しました。

 『家なき子』のお話。少年レミが、苦労の末に実の母ミリンダ夫人に巡り会う「母さがし物」です。
 原作は1878(明治11)年エクトル・アンリ・マロが書いた "Sans Famille"。

 1903(明治36)年、読売新聞記者の五来素川が翻案し、「未だ見ぬ親」と題して発売されました。
 主人公レミの名は「太一」に、太一が8才まで育った「シャヴァノン村」は「関谷新田」となり、育ての母は「関谷新田のお文どん」。太一が売られた旅回り一座の「ヴィタリス親方」は「嵐一斎老人」、犬の「カピ」は「白妙丸」と、すべて日本を舞台にしたものとして翻案されています。
 
 この「太一の物語」につよく心を動かされた小学生が東北にいました。
 1905年、小学校3年生だった宮澤賢治は、担任教師だった八木英三教諭が教室で読み聞かせてくれたこの物語に深い感銘を受けました。
 後年になって、賢治は八木教諭に会った時、自分の童話創作の動機を次のように語っています。(堀尾青史『年譜 宮澤賢治伝』による)

 『 私の童話や童謡の思想の根幹は、尋常科の三年と四年ごろにできたものです。その時分、先生は「太一」のお話や、「海に塩のあるわけ」などいろいろのお話をしてくだすったじゃありませんか。その時私はただ蕩然として夢の世界に遊んでいました。いま書くのもみんなその夢の世界を再現しているだけです。 』

 翻案された欧米の児童小説が、東北花巻の小学生の心に残る。彼はその後『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』など、独自の作品をつぎつぎに生みだしていく。
 翻案小説が、他国に根を張り、それが新たな物語の種として育っていく、ひとつの典型がここに現れています。

1911(明治44)年には「大阪毎日新聞」で、菊池幽芳が同じ物語を「家なき児」という題名で発表し、1912年に春陽堂から発売されました。以後、この「家なき子」という題が定着しました。

 現代日本の『家なき子』ファンにとっては、アニメの「家なき子、レミ」です。

 このような「翻案」ものの中で、近年の傑作といえるのは、『フランダースの犬』です。
 原作は、イギリスの女性児童文学者ウィーダOuida(1839~1908)の短編『フランダースの犬A dog of Flanders 』
 翻案作品は、テレビアニメ作品『フランダースの犬』、主人公は、ネロ少年です。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(6)
パトラッシュ

 1975年1月5日から同年12月28日まで、フジテレビ系列の「世界名作劇場」枠で放映されたテレビアニメシリーズ『フランダースの犬』は、短編だった原作を、日本文化にうまく適合させて、長編アニメにしてあり、翻案として成功をおさめた作品のトップクラスだと思います。

 このアニメの大きな特徴はふたつ。
 主人公ネロの年齢が、原作では15歳、アニメでは10歳であること。 
 アニメの第1話~40話は原作にはなく、アニメのオリジナルストーリーだ、という2点です。

 ウィ-ダの『フランダースの犬』とアニメ『フランダースの犬』の差は、シェークスピアの『オセロ』と、川上一座の『オセロ』の差より、はるかに大きい。
 主人公の名前や地名を翻案した『未だ見ぬ親』と『家なき子』より、ずっと大きい。
 この差を無視して、ウィーダ原作の読者受容とアニメ作品「フランダースの犬」人気を比較することはできません。

 ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成しました。

 読売新聞の特派員による記事(ブリュッセル=尾関航也)(2007年12月25日11時39分 読売新聞)
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 ベルギー北部フランドル(英名フランダース)地方在住のベルギー人映画監督が、クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成した。

 物語の主人公ネロと忠犬パトラッシュが、クリスマスイブの夜に力尽きたアントワープの大聖堂で、27日に上映される。映画のタイトルは「パトラッシュ」で、監督はディディエ・ボルカールトさん(36歳)。
 制作のきっかけは、大聖堂でルーベンスの絵を見上げ、涙を流す日本人の姿を見たことだったという。
 物語では、画家を夢見る少年ネロが、放火のぬれぎぬを着せられて、村を追われ、吹雪の中をさまよった揚げ句、一度見たかったこの絵を目にする。そして誰を恨むこともなく、忠犬とともに天に召される。

 原作は英国人作家ウィーダが1870年代に書いたが、欧州では、物語は「負け犬の死」(ボルカールトさん)としか映らず、評価されることはなかった。
 米国では過去に5回映画化されているが、いずれもハッピーエンドに書き換えられた。 悲しい結末の原作が、なぜ日本でのみ共感を集めたのかは、長く謎とされてきた。

 ボルカールトさんらは、3年をかけて謎の解明を試みた。資料発掘や、世界6か国での計100人を超えるインタビューで、浮かび上がったのは、日本人の心に潜む「滅びの美学」だった。

 プロデューサーのアン・バンディーンデレンさん(36歳)は「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけた。

 上映時間は1時間25分。使用言語は主にオランダ語で、日英の字幕付きDVDが今月(2007年12月12日)からインターネットなどで販売されている。
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<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(7)
ネロとアロア

 日本人が涙を流すほとんどは、ウィーダの原作を読んでのことではなく、アニメ「フランダースの犬」を見てのことです。
 アントワープの大聖堂でルーベンスの『キリストの降下』の絵を見て涙を流す日本人観光客の何人がウィーダの原作を読んでいるかは、不明なのです。

 私自身、原作を読んだのは小学校のころであり、それから一度も読み直さなかった。
 今回のことがあって、50年ぶりに読み返しました。

 岩波少年文庫『フランダースの犬』、すぐに読み終わった。短編だから。
 文庫95ページ分の、あっという間に読み終わる作品です。

 アニメ作品は1年間52話が放送されましたが、そのうちの原作相当部分は42~52話だけなのです。
 
 もし、原作通りにネロとパトラッシュの物語がアニメになったとしたら、これほど多くの人々が「もっとも心に残るクリスマスの物語は、大聖堂でルーベンスの絵を見上げてほほえんで死んでいくネロとパトラッシュ」という気持ちを持ち続けたかどうか、疑問です。

 原作ではネロは15歳になっています。
 一方、アロアは原作では12歳。

 原作が書かれた当時のヨーロッパで、15歳というのは、庶民階層の男の子が自立してしかるべき年齢です。自分の人生を自分で開拓していくべき少年期から青年期への移行期間にあたっています。

 翻訳されて日本に移入された明治の日本でも、15歳はけっして「子ども扱い」される年齢ではありません。中学校への進学率はまだ低く、12歳で小学校を卒業したあとは、一人前の労働力として期待されました。

 また、ネロが15歳だとすると、12歳のアロアとふたりだけで親しくすることを心配する親の気持ちもわかり、アロアの父親が、ネロに苦言を呈するのも頷けます。
 年頃の娘をもった父親なら、15歳の男の子が自分の娘と二人でいっしょにすごすことを快く思わず、「うちの娘とつきあうな」と言うでしょう。

 アニメでは、アロアは8歳に設定されています。ネロの年齢は、15歳ではなく、アロアより2歳年上の10歳になっている。
 この年齢設定の意味は大きい。
 10歳は、まだまだ自立するにはむずかしい年齢であるし、アロアとふたりっきりですごしていても、引き裂かれなければならない年齢には思われない。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(8)
フランダースの犬

 第1話から40話までの「日本のフランダースの犬、オリジナルストーリー」は、とても良くできています。
 ラストの悲劇に向かって、10歳のネロのけなげさ、パトラッシュとの絆に、涙しない人は「人」であるぞよ、これでもかっ!っていうくらいに、盛り上がっていく。

 原作でもアニメでも共通していると思われるのは、ネロが識字教育を受けているのかどうか不明である点。原作の設定では、おそらくネロは字が読めない。
 ウィーダの生きた時代19世紀、学校教育を受けて字が読める層と、読めない層の階層差は、現代では考えられないくらい大きなものでした。

 ウィーダの時代の考え方によれば、中産階級の子弟なら、学問を身につけて己の社会的地位を獲得すべきだし、土地財産をもたない下層階級の子どもなら、手に職をつけ一人前の職人になるなどの「自己形成ビウドゥングス」が必須のこととされていました。

 絵が好きなら、マイセン陶器などの絵付師に弟子入りするとか、タペストリーの下絵職人の親方の下で働くとか、なんとかツテを求めて、手に職をつけるよう家族がはかるところだったでしょう。
 
 しかし、原作では、15歳のネロの唯一の家族ジェハンおじいさんは、物語の最初からすでに寝たきりの老人で、ネロの将来のために何かしてやれることがでる状態ではない。
 老人は、ネロのためにコゼツ旦那に下げがたい頭でも下げるとか、教会が嫌いでも牧師に頼み込むなりして、ネロを徒弟奉公に出すよう、しておくべきだったのでしょうが、そうする前に病にたおれたのでしょう。

 この物語の舞台になっているベルギーでも、作者の国イギリスでも、この物語があまり受けなかったのは、キリスト教国において、教会コミュニティが機能せず、みなし児のネロのために周囲のコミュニティが何もしてやらないというストーリー展開に共感できない人も多いからではないでしょうか。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(9)
負け犬

 「フランダースの犬」の作者ウィーダは、ヴィクトリア王朝の時代の英国女流作家です。 ウィーダが作品を発表したころは、女性がようやく社会に進出できるようになった時代でした。

 女性の社会進出には、女性も識字教育を受けるようになったことの影響が大きい。読み書き能力(リテラシー)は、社会進出の第一の手段です。

 ヴィクトリア朝以前の英国女性の識字率はとても低かった。
 農民男性の識字率の低さより、さらに農民女性は低い識字率でしたし、貴族階級の女性は「右筆(ゆうひつ)=貴人のために読み書きをして仕える使用人」を雇うことが貴族女性の証だから、自分自身が文字の読み書きをする必要はなかった。手紙も領地の相続に関わる公文書も、信頼できる有能な右筆に口述筆記をさせれば間に合ったからです。

 例をあげるなら、イギリスの名家ライル卿夫人の娘アン・バセット。
 彼女は、ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモア(世継ぎのエドワード6世を生んで1ヶ月後に死去)に使えた女官であったけれど、「自分の名前しか書けない」と述べています。手紙は従者に口述筆記させていました。

 私はこの事実を、スーザン・W. ハル『女は男に従うもの?―近世イギリス女性の日常生活』 (刀水歴史全書)で数年前に読み、びっくりしたものでした。貴族階級の女性は高い教育を受け、読み書きできるとばかり思いこんでいたからです。

 ヘンリー8世の娘エリザベス1世は、数カ国語に堪能で読み書き能力にもすぐれていたと言われていますが、そのため彼女は、「幸福で平凡な結婚生活」ではなく、「国家との結婚」を選択することになりました。

 イギリスの識字女性は、上級階級でも下層階級でも少数派でした。
 読み書き(リテラシー)能力が必要だったのは、中産階級の女性のごく一部、貴族の家に住み込んで家庭教師として働かなければならないような階級の娘に限られていました。たとえば、ジェーン・エアのような。
  
 ヴィクトリア朝に至って、ようやく女性たちは文字を読み書きすることで社会進出をはたすようになりました。

 『フランダースの犬』の作者ウィーダもそのひとりです。
 ただし、ウィーダは、この時代の「自立した女性」がそうであったように、生涯結婚しませんでした。
 小説家として華々しい活躍をしたあと、晩年は孤独と貧困のうちにひとりぼっちで死にました。

 『フランダースの犬』が、アメリカでは映画化のたびに「ハッピーエンド」の物語に書き換えられたことと、ヨーロッパでは「負け犬のものがたり」としか受け取られてこなかったことは、同じひとつの考え方の表裏です。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(10)
滅びの美学

 ウィーダの思想のなかには、抜きがたい階級意識が存在していたと考えられます。
 当時の中産階級の女性として、自分が「下層階級ではない」と意識することは「自分は男性ではない」と思うのと同じ、当然のアイデンティティであったことでしょう。
 下層階級の人々の生活を小説にするという場合、そこには当然「上から目線」での見方が存在します。

 下層階級のネロを主人公にした小説が書かれた時代には、「上層階級」「中産識字階級」と、「下層非識字階級」との間に、現在では想像しがたい階級差があったことを忘れることはできません。

 ウィーダの視点が「だれからの援助もうけられない運命をたどったネロ」「はい上がることを拒絶された下層民のお話」という目線のもとに執筆されたことを、現代の視線でとやかくいうことはできないでしょう。

 そして、このお話が「はい上がろうとする下層階級」からみても、「能力に応じて自力で将来を切り開けと育てられた中産階級」からも、「下のものたちを指導し援助すべきノブレスオブライジを負う上層階級」からも、共感の得られないお話だったことも理解できます。

 日本に「フランダースの犬」が翻案移入された時代、20世紀初頭の日本は「立身出世欲」が最高に盛り上がっていた時代でした。
 華族士族平民の差はあったものの、士族であれ平民であれ、学校教育において能力を発揮すれば、立身出世が望める時代でした。

 貧しい者が勉学の機会を得るには、①軍に入る、②授業料無料の師範学校に入る、③故郷出身の成功者の家に「書生」として住み込む、など、いくつかの方法がありました。
 歌人斎藤茂吉は、③を選択し、斎藤家の書生になりました。私の夫の伯父や伯母は、②を選択し、教師になりました。

 下層民出身のネロが、そのような立身出世を機会を得られなかったことに、同情こそすれ、「上から目線」で気の毒がる、という風潮ではありませんでした。

 なぜ日本で「フランダースの犬」が同情を集め、日本だけでこれほど多くの人々に愛される物語となったのかを、検証したのがベルギーのドキュメンタリー映画『パトラッシュ・フランダースの犬』です。

 映画『パトラッシュ』では、100人以上の人へのインタビューや、明治から今までの日本での「フランダースの犬」の翻訳本を検証し、「日本人は、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」と結論づけました。

 古くは、権力争いに負け九州太宰府に流された菅原道真、諸行無常の『平家物語』に描かれた木曾義仲、判官義経などの滅び行くもののふの姿。
 天下統一に王手をかけながら、本能寺の炎の中に49歳をもって滅亡した織田信長、明治の新天地を目前にしながら、暗殺された坂本龍馬など、敗北者にこそ、自分たちの心情を託す日本文学の美学が、「アニメ・フランダースの犬」の翻案に大きな影響を与えたことは確かだと思います。

<つづく>


2008/03/10
ぽかぽか春庭ことばのYa!ちまた>翻訳翻案インスパイア(11)
パトラッシュ昇天

 ここで、もう一度ネロの年齢を確認しておきましょう。
 日本の「パトラッシュ人気」は、あくまでも1~41話のお話がつづいたのちの、10歳のネロが死ぬラストの悲劇にあります。

 ウィーダの原作によって物語が進行し、15歳のネロが力つきたのだったら、日本人も、ここまでネロとパトラッシュの悲しいラストシーンに共感をよせなかったのではないか、と思われます。

 ネロの悲劇は、「10歳という設定」と「1~40話」のオリジナルストーリーの上に成り立っていること、ウィーダの原作と日本のアニメ「フランダースの犬」の差は、シェークスピアの「マクベス」と黒澤明の『蜘蛛の巣城』、また、黒沢の『七人の侍』とマカロニウェスタン『荒野の七人』の差以上に大きい。

 ヨーロッパで「負け犬」の物語とされてきた『フランダースの犬』が、ここまで日本人の琴線を揺るがしたのは、この翻案の年齢設定の絶妙さによると思います。

 最後に、日本のアニメの翻案で、欧米キリスト教圏の人の考え方ともっとも大きく違うところ。それは、パトラッシュの昇天です。

 アニメの、天使たちに守られながら天へ登っていくネロとパトラッシュの姿は、「負け犬」などではなく、「ちからいっぱい戦い、生き抜いた末に、力つきていくもの」の美しさを持っていました。

 その犬と少年の姿の荘厳さがあるからこそ、「アニメ名場面集」という特集が組まれれば必ず上位に「ルーベンスの絵を見て死んでいくネロとパトラッシュ」が選ばれるのです。
 パトラッシュをいっしょに連れていかないでは、ネロのラストのほほえみは考えられません。

 ここで確認しておくべきこと。
 キリスト教国では、人間と犬がいっしょに昇天することはできません。犬と人が同時に天に昇っていく図柄は、不自然なものです。

 キリスト教では、犬には霊(人格)があるとは考えません。犬に魂や「心」はあるとしても、神のみもとへ召される霊はないのです。
 日本語では「霊魂」といいますが、キリスト教では霊と魂は別概念です。
 人間は、体に現された魂と、不滅の霊の息吹が吹き込まれた体とが、一つになった「神の神殿」とみなされ、その意味で、神の霊が宿るのは人間のみ、と考えられているのです。

 日本アニメの翻案のうち、もっとも「日本的な絵」は、この最後の「パトラッシュ昇天」であり、犬の霊が人とともに天使にむかえられるというところだ、と私は思います。

 このラストシーンは、「一寸の虫にも五分の魂」の仏教思想が反映されています。一寸の虫に五分の魂ならパトラッシュには50cmの霊魂です!

 つまり、ルーベンスの『キリストの降下』の絵を見たあと、ネロは微笑みながら、パトラッシュとともに、阿弥陀様のいる極楽へ迎え入れられているのでした。
 犬を差別しない阿弥陀様お釈迦様、のたまふ♪ようこそ!ここへっ、ルッルルール。わたしのパトラッシュ!

 以上、翻案という作業が、森村泰昌の「新気まぐれ」も、アニメ「フランダースの犬」も、ふか~い思いによってなされていることを概観しました。

 パトラッシュ、いっしょに飛んでいこう!あんたらが踏み台にされたのは、自業自得だヨッ!!
 って、誰が踏み台やねん。

<おわり>



翻案盗作パロディ・オマージュ
2006/09/16 土
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(1)
シェークスピアもパクリ名人

 王子小劇場で2006年8月に「ジャンジュネ女中たち~」を上演した田口アヤコさんは、2006年の1月に、同じ王子小劇場で「性能のよい~シェイクスピア作『オセロー』より」という劇作品を上演している。

 ムーア人の将軍オセロが、妻の不倫を疑い、嫉妬に狂ってついに妻を殺す話と、島尾敏雄の妻ミホが、夫の不倫への嫉妬から狂気に陥る過程を描いた『死の棘』をコラージュした作品。
 もとの「オセロ」のストーリーやセリフが出てくるが、あくまでも「田口アヤコの作品」である。

 シェークスピアは、世界中でもっとも多く「翻案」された作家であろう。
 今月のテーマとして「翻案、パロディ、盗作、贋作」などの問題を考えてみたい。

 翻案劇の場合、セリフは元のまま、シチュエーションや時代を変えるのみ、というのもあるし、オリジナル戯曲の骨格を生かしてはいるが、元の劇とはガラリとちがう演出にすることもできる。

 数多くの翻案劇や映画を生みだしてきたシェークスピアの劇。
 シェークスピアにオマージュをおくりつつ、翻案劇が新たな作品となって生み出されてきた。演劇に新たなページが加わるのだ。

 シェークスピアの戯曲そのものも、多くは翻案作品である。16世紀の終わりから17世紀の初頭の巷に流布していた小説や他の劇場の作品を土台に据えて、シェークスピアが書き換えたもの。
 シェークスピア自身が、パクリの名人だった、というわけである。
先行作品について、シェークスピアの元になった原作研究がさまざまになされている。

 シェークスピア四大悲劇のひとつ『ハムレット』は、正式名称は「デンマークの王子、ハムレットの悲劇(The Tragedy of Hamlet,Prince of Denmark)」
 デンマークに実在した王子ハムレットのお話。

 デンマークでは「ハムレット王子の話」は、よく知られていた。12世紀のデンマークの詩人サクソ・グラマティクスによる『年代記』によって西洋社会に流布し、1576年のフランス版のブルフォレ編集「悲劇大成」にも入れられている。

 「悲劇大成」から「原ハムレット」というべき「ハムレット悲劇」がたくさん作られ、上演されてきた。
 シェークスピアが直接パクッたとされているのは、トマス・キッドが書いた話であろうと研究者は言う。

<つづく>
09:00 |

2006/09/17 日
ことばのYa!ちまた>翻案盗作パロディオマージュ(2)
シェークスピアの翻案

 女王エリザベスⅠ世は、大の演劇好き。
 グローブ座の座付き作者シェークスピアは、1600年、日本では関ヶ原の戦いがあった頃、「ハムレット」を書いていた。

 トマス・キッドは、ブルフォレ編集「悲劇大成」の中の「ハムレット物語」を改作し、シェークスピアは、キッドの作品をもとにして、あの「To be or not to be, that is the question」と悩むプリンスを造形した。

 「ハムレット」より少し前1595年に書き上げたのが、『ロミオとジュリエット』
 この若い恋人たちの悲劇も、先行作品が数多く指摘されている。ギリシャ古典や西欧伝承物語に似た話はたくさんある。
 シェークスピアが直接に種本としたのは、アーサー・ブルックの物語詩『ロミウスとジュリエットの悲しい物語』(1562年、イギリス)とされている。

 シェークスピアの劇作品は、さらにたくさんの翻案作品に受け継がれた。
 『ウェストサイドストーリー』は、ニューヨークダウンタウンのチンピラグループ版『ロミオとジュリエット』だし、黒沢明の『蜘蛛巣城』は、『マクベス』の翻案。

 「ウェストサイド」は、「ロミオとジュリエット」とはまた別の深い感動を与える作品になっているし、蜘蛛巣城も、単なる翻案・リメイクなどという範疇を越えた、独自の作品である。

 シェークスピアからの翻案以外にも、昔の日本映画には、洋画のそっくりパクリシナリオがたくさんある。

 その逆に、日本映画を翻案した洋画として有名な作品もある。
 黒澤明の『七人の侍』を西部劇にした『荒野の七人』の場合は、黒沢側の原作権が認められ、黒沢やシナリオライターに、原作料が支払われている。

 『用心棒』もそっくりパクられて、『荒野の用心棒』になった。
 実は、黒沢明の『用心棒』は、ダシール・ハメットの『赤い収穫』(『血の収穫』というタイトルもある)を原案としていることが指摘されている。
 しかし、原案からストーリーの着想をえるのと、キャラクター設定や映画のシーンをそっくり真似るのとは次元が異なる。

 J・ルーカスの『スター・ウォーズ』。黒沢明『隠し砦の三悪人』からヒントを得た「オマージュ作品」であると、ルーカス自身が語っている。
 お姫様を救い出そうとする農夫二人組(千秋実と藤原釜足)が、おたがいにののしりあいながら荒野を歩くファーストシーン。『スター・ウォーズ』のロボット R2D2と C3POがケンカしながら歩くシーンにそっくり再現されている。
 これは、「オマージュ」として、許されている。

<つづく>