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ぽかぽか春庭「弁慶がな、ギナタをー弁慶のセクシャリティ論前説」

2008-11-07 17:58:00 | 日記
弁慶がな、ギナタを

2005/09/23 金 10:46
弁慶がな、ギナタを(1)九月歌舞伎座の勧進帳

 全国から高齢女性が押し掛けてきたのかと思うくらい、たくさんのオバハンオバーサンが集まっていた。歌舞伎座ロビー。
 無料で楽しむ東京生活、八月の新橋演舞場招待券につづき、九月は歌舞伎座招待券ゲット。

 歌舞伎座は、中村勘三郎襲名披露、蜷川演出の「十二夜」と、チケット完売で、ここ数年来で一番の大入り満員が続いていた。
 九月大歌舞伎は、中村吉右衛門の弁慶、中村富十郎の富樫による「勧進帳」ほか。
 切符の売れ行きはここ数ヶ月の完売に比べ、空席もある。招待券も当たりやすかったのかもしれない。

 夜の部の演目は、平家物語関連が二題。「平家蟹」と「勧進帳」あとひとつは、「忠臣蔵外伝 忠臣連理の鉢植え(植木屋)」

 夜の部最初の演目「平家蟹」は、岡本綺堂作の新作歌舞伎。平家の官女だった玉虫とその妹玉琴の、平家滅亡後の後日譚。

 テレビのタッキー主演、松ケンサンバ弁慶は、山場のひとつである壇ノ浦の合戦が終わり、平家滅亡が放送されたところ。
 幕開けに白石加代子による平家滅亡のナレーションが入った。幕に壇ノ浦合戦絵巻がスライドで映し出され、白石加代子が平家の悲劇を語る。

 テレビの義経人気にあやかろうという演出だろうが、白石加代子の語りは、好きだから、許す。30余年前の早稲田小劇場のころからのファンだもの。

 幕が開き、舞台は壇ノ浦の浜辺。
 主家滅亡ののち、平家官女であった玉虫と、その妹玉琴は対照的な生活をおくっていた。
 妹、玉琴は、敵方源氏の一党、那須の与五郎(与一の親戚)と結婚を約束する。姉の玉虫はそれを許さない。

 平家公達の亡霊が蟹の姿となって浜辺にやってくる。源氏を決して許せない玉虫は、妹もろとも那須与五郎を、と修羅場となり、ついに玉虫は壇ノ浦の荒れる波間に、、、、というお話。

 夜の部目玉は、歌舞伎十八番のうち「勧進帳」。
 『勧進帳』は、能の『安宅』をもとにして脚色された「松葉目物(能を原作とする歌舞伎狂言)」のひとつ。
 『安宅』は、義経流浪伝説を能にしたもの。弁慶と富樫の丁々発止のやりとりが続く。

 兄源頼朝に疎まれた義経は、奥州藤原氏を頼って落ち延びようとする。
 義経につき従う武蔵坊弁慶、伊勢三郎、常陸坊海尊ら家来たち。
 加賀国安宅の関(あたかのせき)にさしかかるとき、関守の富樫左衛門(とがしのさえもん)に見とがめられた。
 今でいうなら、パスポートを持たずに国境を通ろうとするようなもの。

 弁慶はとっさの機転で巻物を取り出し、偽りの勧進帳(東大寺への寄付を集めるための認可状)を読みあげた。「自分たちは東大寺から派遣された正式な山伏である」と主張したのだ。それならば、パスポートを持っていなくても、全国行脚ができる。

 荷物運びの従者として控えていた義経が疑いを受けると、弁慶は疑いを晴らすために、主君義経を打ちすえる。
 義経であることを見破られまいとして、必死に錫杖(しゃくじょう)で主人を打ち続ける弁慶。その心を察した富樫は、鎌倉からとがめを受けるかも知れないことを覚悟で一行を通す。<つづく>


2005/09/24 土
弁慶がな、ギナタを(2)吉右衛門の弁慶

 幕間、ロビーで話している中高年女性達の声が耳に入る。テレビの「鬼平」ファンなので、吉右衛門を見るために足を運んだ、という人もいた。

 私は「鬼平」を見ていなかったし、歌舞伎役者の演技力を斟酌するほどの見巧者でもない。しかし、見巧者でない私も、気迫十分のセリフまわし、豪快な中にも人間味ある弁慶の存在感を感じた。見応えがある弁慶だった。

 ラスト、「飛び六方」で花道を引っ込む姿、隣の観客は涙ぐんでいた。
 これほどまでに「自分が一生を共にする人」と、ひたむきに義経に心を寄せる弁慶の姿。
 この先には滅びが待っていると知っているからなのか、何度見ても胸を打つ。

 主人への無私の忠義をつらぬく弁慶の、一途な奉公に胸をうたれた歌舞伎座の観客たち。
 滅びようとする義経弁慶主従の姿に涙を浮かべている客の大半は、自分自身が半分以上滅びかかっているようなご老体ばかりである。

 夏の「蜷川十二夜」では、日頃歌舞伎座には来ないような若い層も観客席を埋めたというが、『勧進帳』の観客に若いファンの姿はほとんど見えなかった。
 目玉の勧進帳が終わると、観客は大分減り、最後の「植木屋」では、空席が目立った。
 
 芝居がはねて、出口を埋める高齢の観客たち。歌舞伎はこれから、若い層の観客を掘り起こしていけるのかなあ、なんて心配になったけれど、なんとかなるんでしょ、きっと。

 若い層が、弁慶の「忠義」をどう見るか。
 自分の上司に命をささげて、一生お仕えする「忠義」という生き方が、たぶんわからなくなっているだろうし、そこまで義経に肩入れして生死を共にするってことは、もしかして、弁慶は義経にLove ? と、思う。

 弁慶義経の間柄。
 ふたりの間には主従の結びつきを超えた深い絆がある。
 弁慶にとっては、義経は「生涯ただひとりの人」と、心に決めた人である。
 ご主人様への強い愛情がなければ、こうまでして主に仕え、主に仕えることを喜びとして生死を共にすることはできない、と思えてくる。

 タイトルの「弁慶がな、ギナタを」について。
 「点を打つ位置をまちがえると、意味がわからなくなる」という例文です。

 「♪京の五条の橋の上♪大の男の弁慶が、長い長刀(なぎなた)振り上げて♪牛若めがけて斬りかかる♪」という歌、昔の子どもは歌えました。

 「弁慶が、なぎなたを、牛若めがけて振り上げる」というのが「弁慶がな、ぎなたを、牛わかめが、けてふり あげる」になる、という例文を出して、「点を打ち間違えると、だめですよ」と、昔は教わったものでした。
 しかし最近の学生は、弁慶もなぎなたも知らないから、この例文は使いません。

 私が使っている例文は「げんかんではきものをぬぐ」
 「玄関でどうしますか」と、学生に質問する。
 「玄関では、きものを脱ぐ」「玄関で、はきものを脱ぐ」
 
 「よその家へ行って、入り口で着物を脱いじゃいけませんよ、玄関で、履き物を脱ぐ、ですからね」と教えるのだが、最近の学生、日本人学生でも「ハキモノって何ですか」と、質問してくるのがいて、どうにもやりにくい。

 京の五条の橋の上、「弁慶が なぎなたを 牛若めがけて ふり上げる」という文が「弁慶がな、ギナタを 牛ワカメが、けてふり あげる」というぐあいに改変されたような違和感を感じてしまうのが、テレビの「弁慶には女の恋人がいた」というストーリーであります。

 以下、弁慶と義経の絆について述べます。
 弁慶、「ヘテロ化」反対!<つづく>
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