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ぽかぽか春庭「与謝野晶子・みだれ髪いろいろ」

2008-11-15 19:09:00 | 日記
ポカポカ春庭の人生いろいろ「みだれ髪色いろ(1)」
at 2004 06/07 14:40 編集

 5月29日は白桜忌。歌人与謝野晶子(よさのあきこ)の忌日であった。
 1978年に生まれ1942年になくなった晶子は、白桜院鳳翔晶耀大姉という法名となって多磨墓地に埋葬されている。
 「白桜」は、晶子の好みの花。鳳翔は、旧姓の鳳(ホウ)から、晶輝は、「晶(ショウ)=本名」が輝く、という戒名である。

 西行が「願はくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ」と願った「花」は山桜の花だと言われているが、晶子が願ったのは白い桜(吉野桜)。白い花びらが散りしきる中で死にたいと願ったそうだ。

 晶子の旧名は、鳳志ヨウ(ホウ ショウ)。堺に生まれ、老舗和菓子店の娘として育った。女学校を卒業したあとは、実家の店を手伝いながら短歌を雑誌に投稿する。

 晶子の運命を変えたのは、歌の師与謝野鉄幹との出会いであった。妻を持ち、定収入のない男との恋は、当然実家の大反対を受ける。しかも鉄幹は、晶子と並ぶ『明星』の歌人山川登美子へも心をかけていることを隠さない。八方ふさがりの恋だった。
 
 しかし、晶子は自分の恋心を信じて突き進む。1901年5月には、まだ離婚係争中の鉄幹と同居。
 1901年8月『みだれ髪』出版。同年10月、鉄幹と前妻滝野との離婚成立を経て入籍。翌年1902年11月には長男の光を出産。
 結婚、処女歌集出版と最初の子の出産が続いたこのころは、若い気力が横溢した時期であったろう。

 63年の生涯のうち、結婚後の晶子は、12人出産して11人を育て上げるという生活。そして、夫がフランス遊学する費用までも含めて、家計費を担当する忙しさの中にすごした。

 与謝野晶子の処女歌集『みだれ髪』は、1901年の刊。高らかにファンファーレを鳴り響かせるような、短歌界20世紀の幕開けを告げる登場であった。
 行儀よく花鳥風月を定型に詠むことが深窓の令嬢にとっての「たしなみ」とされていた明治の歌壇に、溌剌とした乙女の真情と官能の美を歌い上げる晶子の処女作はたちまちセンセーションを巻き起こした。<みだれ髪色いろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ「みだれ髪色いろ(2)臙脂」
at 2004 06/08 09:28 編集

 晶子自身は、最初の歌集である『みだれ髪』について「若書き」という評価をしていた。岩波文庫版の自薦歌集を編集したときに、全399首を選んだ中に、『みだれ髪』からはわずか14首しか選ばなかった。

 しかし、晶子自身が「未熟な時代の作品」と感じることがあったとしても、『みだれ髪』が日本の文芸に与えた価値は変わらない。清新な感情の吐露、恋する女の真情の奔放さ、どの一首をとっても、はつらつとした乙女心の発露がみずみずしく伝わってくる。

 ことに冒頭の一章「臙脂紫(えんじむらさき)」は、タイトルからして色の名をふたつ並べ、若い娘の色香が立ち上ってくる。
 親友でもあり師の寵愛を争う恋のライバルでもあった山川登美子と、後に夫となる鉄幹との三人が共にすごした時代の濃厚な交友が作品に色濃く現れている。

 冒頭の「臙脂紫」の章の歌には、乙女の作品らしい特徴が数多くあるが、歌の中に、花と色の名を詠みこんだ歌が多いことがまず目につく。
 さまざまな色の氾濫と、とりどりの花の中に、妻ある人を恋した「罪」の翳りと、親友と恋を争うことの痛みと、恋の勝者となった人の奢りとが、表わされている。

 溢れる色彩の数々。若い娘がお気に入りの箱のなかに色とりどりのリボンを集め、そのリボンを親友に「これ、あなただけに見せたいの、秘密よ」といいながら蓋をあけたような華やかな色彩にあふれている。

 初出の掲載順に歌を味わうのとは趣を変えて、色別に歌を並べてみる。まず、章のタイトルとなっている臙脂と紫。

[えんじ]
臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命

 紫を含む歌が八首あるのに対し、臙脂を含む歌はこの一首だけである。それでも章のタイトルに他の色ではなく、臙脂を選んだのは、この歌に晶子の思い入れがあったからだと思う。
 華やかな紅や赤や朱に比べると、一段と重い色である臙脂。その臙脂色に「血のゆらぎ」を託し、恋に走りだそうとする春の乙女の思いが込められる。

 身の内に奔流となって流れるおのれの血。同じ「臙脂紫」の章の中の「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」が人口に膾炙したのと比べると、「春のおもひ」を抱え込んだまま、まだ誰にも自分の熱い血の思いを打ち明けずにいる「内向き」の歌ではあるが、「さかりの命」のゆらめきを「臙脂色」に重ねて歌い上げている。<みだれ髪色いろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ「みだれ髪色いろ(3)紫」
at 2004 06/09 09:15 編集

[むらさき]
紫にもみうらにほふみだれ篋(ばこ)をかくしわづらふ宵の春の神
紫の濃き虹説きしさかづきに映る春の子眉毛かぼそき
許したまへあらずはこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき
わすれがたきとのみに趣味をみとめませ説かじ紫その秋の花
紫に小草が上へ影おちぬ野の春かぜに髪けづる朝
紫の虹のしたたり花におちて成りしかひなの夢うたがふな
紫の理想の雲はちぎれちぎれ仰ぐわが空それはた消えぬ
神の背にひろきながめをねがはずや今かたかたの袖ぞむらさき

 臙脂は、たった一首でも「章のタイトル」としての要の色となった。一方の紫は、一番多く採用されている色であり八首の紫が「臙脂紫」のなかにちりばめられている。

 1901年1月発行の『明星10号』3月発行の『明星11号』には、「紫」というタイトルを持つ晶子の歌が掲載されている。また、同年8月の『みだれ髪』出版の直前、4月に出された鉄幹の詩歌集のタイトルが『紫』である。
 この呼応から考えて、当時「紫」は、晶子鉄幹の恋を彩るにふさわしい色として、ふたりの間の秘密の合い言葉でもあったように感じ取れる。

 「紫」の色に、許されぬ恋への思いをこめて、それぞれの詩歌のなかに「恋するふたりだけに通じ合う秘密の色」としてちりばめていたのかもしれない。

「神の背にひろきながめをねがはずや今かたかたの袖ぞむらさき」
 初版本の「今かたかたの袖ぞむらさき」は「袖こむらさき」の誤植。晶子の初稿では「こむらさき=濃紫」であったという。

 恋するふたりを、神の衣装の両袖にたとえている。晶子が片方の袖、鉄幹がもう一方の袖。濃い紫色の着物である。
 恋の神の背に掛かっている着物。上の袖が、垂れた下の袖にむかって「一緒になって広い世界をながめたいと思いませんか、両袖のいま一方の袖である濃いむらさきのあなた」と、呼びかけている。紫の呼応が直接に恋の歌として表現されている。

 濃紫色の恋の神の両袖は、重ね合わされた。晶子は結婚後も鉄幹と袖を重ねることをこころがけ、詩作にいき詰まった鉄幹をフランス遊学に出す費用を捻出する。鉄幹の後を追って晶子もフランスへ渡る。広い世界を共にながめることができた感慨はいかばかりであったろうか。<みだれ髪色いろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ「みだれ髪色いろ(4)あか」
at 2004 06/10 07:57 編集

[あか・べに]
歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子
海棠にえうなきときし紅(べに)すてて夕雨みやる瞳よたゆき
山ごもりかくてあれなのみをしへよ紅つくるころ桃の花さかむ
とき髪に室むづまじの百合のかをり消えをあやぶむ夜の淡紅色(ときいろ)
さて責むな高きにのぼり君みずや紅(あけ)の涙の永劫のあと
くれなゐの薔薇のかさねの唇に霊の香のなき歌のせますな
乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれなゐ)ぞ濃き

 紫に次ぐ七首を数えるのが「赤系」だが、同じ「紅」が「あけ」「べに」「くれない」と異なるふりがながつけられている。その時々の恋のためらいやときめきが「紅」の色となって現れてくる。
 「紅(あけ)の涙」であったり、薔薇のような「くれなゐの唇」であったり、「罪もつ子」となっても恋に突き進んでいく娘の色である。

「歌にきけな誰れ野の花に紅き否むおもむきあるかな春罪もつ子」

 野の花咲く春に罪持つ子となる娘は、罪持つことにおくせず恋する人のもとへ走る。
 晶子が歌の師鉄幹と出会ったころ、鉄幹は子どもの養育問題から妻の実家とこじれ、離婚問題になっていた。

 「妻とは離婚する予定だ」という師のことばを胸に秘めた恋とはいえ、妻ある人との恋は、晶子の実家の猛反対にあう。裕福な堺の商家に育った晶子。実家から見たら、鉄幹は「詩と歌を作る男=生活力のない男」にすぎない。

 反対する実家から見ても、今はまだ正式な妻の座にある人からみても、さらには恋のライバルであった親友からみても、鉄幹との恋を貫こうとしている自分は「罪の子」である。晶子の恋は、この「罪の翳り」をはらむことによって、いっそうの微妙な色彩を帯びるのである。

[もも色]
椿それも梅もさなりき白かりきわが罪問はぬ色桃に見る

 「罪もつ子」となった娘は、白椿白梅のなかに立ち混じることに違和を感じるようになる。恋する罪を気にせずにいられる色は桃色である。白椿の花にも梅の白さにも、「罪ある恋」の娘は心を寄せられない。爛漫と屈託のない色を臆面もなく開示する桃の花を得て、ようやく「罪を問われない」温かさを感じるのだ。<みだれ髪いろいろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ「みだれ髪色いろ(5)紺青」
at 2004 06/11 19:55 編集

[こんじょう色]
紺青を絹にわが泣く春の暮やまぶきがさね友歌ねびぬ

 ともに作歌の上達を願って競いあった山川登美子。ここで歌われている「友」が登美子であるとは限らないが、「友の歌は成熟している」と晶子に感じさせる友人とは、山川登美子を指すのだと考えて間違いはないだろう。
 作歌上のライバルでもあり、師の寵愛を争うライバルでもある。その登美子は自ら身を引く形で師鉄幹の前から去って結婚し、若くして亡くなる。

 晶子は『みだれ髪』第三版の発行時には、この「紺青」の歌を削除してしまっている。
 「やまぶきがさね」とは、かさねの色目、表が薄朽葉色、裏が黄色に色をかさねた衣服。
 やまぶきがさねがよく似合う友の歌が上達し、大人びたことを思いながら、夕暮れに泣いた春の一日を、第三版出版時の晶子に「消し去ってしまいたい」と思わせたのは、何故だったか。
 山吹襲の表と裏の色あわせのように響きあいながら歌と恋を競った友を、心の中から削除してしまいたい、と思うほど、その存在を気にかけずにはいられなかったからであろう。

 夫鉄幹は登美子結婚後も、彼女への思いが深かかったことを晶子に隠さず、早世のあとも彼女を悼む歌を作り続けた。晶子にとっては、死後もなおライバルとして意識せずにはいられない友であった。

[みずいろ]
額ごしに暁の月みる加茂川の浅水色のみだれ藻染よ

その涙のごふゑにしは持たざりきさびしの水に見し二十日月

 「その涙」の歌の「水」は色の名ではないが、水そのものにも感情が映される。
 その涙をふいて差し上げる縁(えにし)を、私は持っておりません。さびしい水の中にうつして二十日月をみているばかり。
 
 鉄幹は山川登美子に、「紅情紫恨」と題する詩を与えた。
 登美子は「その涙のごひやらむとのたまひしとばかりまでは語り得べきも」と返歌した。「恋に泣くその涙をふき取ってやろうとおっしゃったそのお言葉だけは、私の胸の中に語り得るものです」
 
 恋の勝者であるはずの晶子だが、鉄幹と登美子のふたりが交わし合った言葉を知るに及べば、心の水辺はおだやかでない。しかし、「そのような涙とは関わりございません」と、ひとり水に映る二十日月を見つめる晶子。

 嫉妬のゆえに水はさざめき、二十日月さえゆらゆらと、心の乱れにゆがむのかもしれない。<みだれ髪色いろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ「みだれ髪いろいろ(6)翻訳の青」
at 2004 06/14 06:42 編集

[あお]
雲ぞ青き来し夏姫が朝の髪うつくしいかな水に流るる
うすものの二尺のたもとすべりおちて蛍ながるる夜風の青き
小傘とりて朝の水くむ我とこそ穂麦あをあを小雨ふる里

 日本語の色の名詞のうち、白でも黒でもなく、明るい暖色系の赤でもない色を、幅広く表現した色が、古語「あを」であると、何度か書いてきた。現代日本語の色の名詞の寒色系の色、「青灰色」や「緑」なども含む色なのだ。

 現代語日本語の「青」は、「さわやか、きよらか、純粋、未熟、若さ」などのイメージを含む。しかし、翻訳する場合は、外国語ごとのそれぞれのイメージも考える必要がある。
 「臙脂紫」の中から、「青」の翻訳をみてみよう。

「うすものの二尺のたもとすべりおちて蛍ながるる夜風の青き」
 翻訳者はジャニャーン・バイチマン。Asahi Evening News の日曜版で1990年から大岡信『折々のうた』の翻訳を「A Peot's Notebook」として連載している。

 「うすものの~」の「夜風の青き」は、光の中の目に見える青ではなく、晶子の心に投影された夜の風の感覚をとらえた「青」である。現実の色の青ではないので、蛍とぶ夜のイメージを表現する。
 「夜風の青き」の色を、バイチマンは「グリーン=緑」と訳した。

 バイチマンは翻訳を四通り作った。そのうちの<A>と<B>二通りを、大岡に「どちらがいいか」と訊ねた。
 「夜風の青き」は、A:through evening breezes which are green B:into the eveing breeze's green
<A>
Down a girl's silk sleeve
translucent and two feet long
fierflies tumble slide
then glideing off
they flow
through evening breezes which are green
<B>
Down silken sleeve
two feet long
fireflies flide and slide
then flow
into the evening breeze's green

 A Bについて、大岡は「The first is more concrete but the second is more flowing. Aは具体的で確実。Bは流麗」と評した。最終的に、バイチマンはmore flowing のBの方を一首の訳として選んだ。

 英語のblue(青)には、「ゆううつな、悲観した、青ざめた」などの意味もある。
 blue breezeでは、「寒々とした青ざめたそよ風」という意味合いになってしまい、夜風で風邪をひきそうになる。
 green(緑)には、「若々しい、みずみずしい、活気のある」などの意味が含まれる。

 薄ものの夏衣、若い娘の二尺のたもとを蛍が滑り落ちていく、華やかでみずみずしい夏の夜風であるから、「夜風の青き」の「青」は、グリーンと訳されたのだ。

 同じ「青」でも、時代によって色のイメージが変わり、またそれぞれの母語によってイメージが異なるから、翻訳には要注意。<みだれ髪いろいろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ[みだれ髪色いろ(7)緑、白
at 2004 06/15 10:13 編集

[みどり]
牧場いでて南にはしる水ながしさても緑の野にふさふ君
鶯は君が声よともどきながら緑のとばりそとかかげ見る

 「ほんとうに、緑の野にふさわしいあなた」とは、鉄幹をさすのであろう。緑あふれる牧場から明るい南方へと走り出る川。清冽な川の水をみても、広々とした緑の牧場をみても、恋する乙女の心にうかぶのは、「溌剌とした緑色にふさわしいあなた」なのだ。

 「鶯は」の歌。初版の「鶯は君が声よ」は誤植。晶子の初稿では「鶯は君が夢よ」であった。「もどきながら」は、「あらがい、反対して」
 1900年8月に初めて鉄幹に出会った晶子。1901年1月には、二人して京都栗田山ですごす。ふたりだけの時間をすごしながら、どのような言葉を交わしあったのか。
 栗田山ですごした翌々月発行の『明星1901年3月号』に、鉄幹は『春思』と題された詩を掲載する。第一連は

 山の湯の気薫じて/欄(おばしま)に椿おつる頻り/帳(とばり)あげよ/いづこぞ鶯のこゑ

 「とばりをあげよ、いづこぞ鶯のこゑ」という鉄幹のよびかけに応じて、晶子は緑のとばりをかかげて見る。
 「ふたりが今泊まっている1月の山の宿に、まだ鶯は鳴いていないでしょう?鶯の声がきこえたなんて、あなたの夢でしょうよ。でも、そういうあなたのことばに反対しながらも、緑のとばりをそっとかかげて、外をみてみました。あなたの夢ならば、私も共にみたい、、、、、、」

[しろ]
秋の神の御衣より曳く白き虹ものおもふ子の額に消えぬ
しら壁へ歌ひとつ染めむねがひにて笠はあらざりき二百里の旅

 真っ白な壁に、心のうちに燃え上がる短歌を染め出してみたい。その願いひとつを胸に、笠もなしに二百里の旅を続ける。
 鉄幹が住んでいた東京と晶子が暮らす堺の町は、500キロメートル隔たっている。

でも、歌を詠む気概、師を慕う情熱においては、500キロも二百里も隔たりとは感じない。雨や日ざしから乙女の身を守ってくれる笠がなくても、旅していこう。
 晶子はどこまでも鉄幹を追って旅していく。<みだれ髪色いろ続く>


ポカポカ春庭の人生いろいろ[みだれ髪色いろ(8)黒]
at 2004 06/16 08:19 編集

[くろ]
その子はたち櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな

 その子は二十歳。『みだれ髪』出版の前、夫となる鉄幹と22歳の夏に出会う以前の自分自身を詠んだものかもしれないし、二十歳の年をむかえるすべてのおみな子を詠んでいるのかもしれない。
 黒髪をくしけずる仕草に「おごりの春」色香があることを、乙女自身は気づいているのかいないのか。ただつやつやと流れる髪の美しさは自分でも見てとれる。

 春の日差しにつやつやとした黒髪がゆらぐ。黒はさまざまな色合いを含むが、この黒髪の黒はわけても若さを誇り、光り輝く黒である。

 数多い晶子の歌のなかでも、この「その子二十~」の歌と「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」の二首が、中学校や高校の「短歌」教材として採用されることが多い。
 私の中学校ときの教科書に採用されていたのは、「金色の小さき鳥の形して銀杏散るなり夕日の丘に」であった。この歌も秋の夕日にきらめきながら舞い散る銀杏を華やかな視覚の中に描き出していて、中学生の心にも歌の美しさ楽しさが味わえる一首だった。

 中学の教科書で出会って以来、晶子の歌はなじみ深いものだったが、「みだれ髪 臙脂紫」の歌を、色べつに並べ替えて観賞してみるという今回の試みによって、晶子が「色」に託した心情をより深く味わえた気がする。

 色彩は光のなかでさまざまな表情をみせる。あざやかな、またしっとりとした色の中で、人の心は解き放たれたり、深くものを思ったり。
 「みだれ髪」にさまざまな色をのせ、恋する女の表情を三十一文字にした与謝野晶子。晶子の色にひたることができた時間に感謝。<みだれ髪色いろ終わり>