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ぽかぽか春庭「『放浪記』bookガイド」

2008-11-09 11:46:00 | 日記


2005/06/20 月
新緑散歩>花の命は短く⑯林芙美子ブックガイド

 『晩菊』『浮雲』『めし』など、戦後の芙美子の代表作は、成瀬巳喜男によって映画化された。成瀬巳喜男生誕百年を記念して、この夏にはDVDも発売される。
 
 林芙美子が生涯に書き続けた文章、原稿用紙にすると400字詰めで3万枚にも及ぶという。
 しかし、それにしては現在一般の本屋で手に入る本はごく少ない。

 もともと「純文学」志向の戦後文壇からは「大衆作家」「流行作家」と一段低くみなされていた芙美子だが、1903年から生誕百年、1951年から没後50年もすぎ、著作権も切れたところで、そろそろ再評価の機運が高まってきたのでは、と思うので、ブックガイドを。

林芙美子 著作(現在、本屋で手に入る本)

0 青空文庫(ネットで読める林芙美子作品)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person291.html

1 『放浪記』(新潮文庫)
 大正の終わりから昭和の初めの時代を放浪した「私」の日記体の小説。関東大震災後、変貌していく東京の街を、「私」は、自分の足で歩き続ける。

2 『浮雲』(新潮文庫)
 第二次戦争下のインドシナ半島と、敗戦後の東京、そして屋久島を舞台に、主人公ゆき子の恋を描く。成瀬巳喜男の傑作と評価の高い映画の原作。

3 『北岸部隊』(中公文庫2002年)
 中国戦線、長江北岸部隊従軍記
 兵士と共に凄惨な最前線を行軍した記録。芙美子の「従軍日記」をもとに、伏せ字を復元して出版された。

5 『林芙美子 巴里の恋』(中公文庫2004年)
 芙美子が作品として発表した「下駄で歩いた巴里」に対して、こちらには、芙美子の「巴里滞在日記」「小遣い帳」「夫への手紙」が、遺族の許可を得てそのまま掲載されている。
 恋人を追いかけて巴里へ行ったという芙美子の交際相手、巴里で出会い恋心を抱いたという相手についても、研究が行き届き、実名があかされている。

林芙美子に関する著作

6 『林芙美子の昭和』川本三郎 (新書館)
 1930年(昭和5)に『放浪記』をベストセラーにして以来、1951年までの昭和を駆け抜けた芙美子の評伝。

7 『太鼓たたいて笛ふいて』井上ひさし(新潮社)
 戦中戦後の芙美子とその母、庶民にとっての戦争と国家を、音楽劇で描く。
12:31 | コメント (2) | 編集 | ページのトップへ


2005/06/22 水
新緑散歩>花の命は短くて⑱「放浪記」散歩エピローグ

 芙美子が尾道から上京し、ひとり歩き回った東京の街々。家を建て家族で暮した落合。
 芙美子が暮した町を、私も30年余、通りぬけてきた。
 私が過ごした町、新宿市ヶ谷河田町、杉並下井草、阿佐ヶ谷、高田馬場、早稲田、神楽坂、王子、西ヶ原、巣鴨、、、、芙美子の街に重なって、私の物語も積まれていく。

 芙美子が「凍れる大地」と表現した旧満州の広野に沈む夕陽をながめて、私も半年間中国東北地方(旧満州)に滞在した。ハルビン、長春、大連、、、、

 これからも、私はぶらぶらとあてのない散歩を続けていくだろう。あるときは芙美子が夜通し歩いた道をたどり、あるときは芙美子が涙を流し続けた駅前広場に立つ。

 ときに地理を横切って歩き、ときに時間を遡って歩く。
 東京散歩。さまざまな人の脇を通って歩く。
 脇目もふらず、仕事のために歩いている人もいる。のんびりと夫婦で日々を楽しみながら散歩している二人連れもいる。

 私はひとりで歩きつづける。心の放浪散歩は、花の盛りがすぎたとしても、ずっと続く。
 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
(「芙美子の放浪記」散歩 おわり)