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ぽかぽか春庭「桜アンソロジー」

2008-11-11 07:08:00 | 日記


一葉の桜

2005/04/08 12:14
春のうた>一葉の桜①

一葉も見し上野山の糸桜 明日質入れの帯締めて見る(春庭)
友よいつ帯締め詠みしや桜歌我その由を判じる春なり(ちよ)

「その由」について
 4月4日に、東京都美術館へ行ったとき、まだ上野公園の染井吉野は咲いていなかったが、エドヒガン桜や枝垂れ桜(糸桜)は満開になっていた。

 桜樹の寿命は50~60年が平均だという。(樹齢数百年と伝わる桜は、その驚異的な樹齢からみて、特別な木の精霊が守っているのだろう)

 樹齢から考えると、私が見たしだれ桜そのものと同じ桜木を一葉が見たとは思えない。でも、しだれ桜の枝のたおやかさと幹の芯の強さに見とれているうち、同じ木を一葉とともに見ているような気がしてきた。
 糸桜の下に立つ一葉・樋口夏子の姿を想像してみる。

 明治20年代、樋口一葉はしばしば上野公園にある図書館(現在は国際こども図書館として存続)に通い、「婦人閲覧室」で本を読んだ。
 図書館の行き帰りには友といっしょに桜をみたり、不忍池を散歩したり。

 本を買う金もない一葉にとって、図書館が自宅から歩いていける所にあることは本当に幸いなことだった。
 4月のある一日。朝から一日、強い近視の目をこらして読書し、夕方帰りがけに公園の中をぬけるときに、いち早く花を開くしだれ桜(糸桜)を眺めたであろう。
 
 くる日もくる日も、着物の仕立て洗濯洗い張りの内職仕事を続ける。母のタキと妹の邦子と三人で必死にこなしても、毎月いくらにもならない。
 立ちゆかない暮らしを支えるのは、まだ父が存命だったころに誂えた帯や着物の質入れ。本郷の質屋、伊勢屋に一葉は頻繁に通った。

 一葉は、中島歌子主宰の和歌私塾(萩の舎)に通い、たくさんの和歌を作っている。写生を重んじた近代短歌ではない。平安古典に準拠した江戸風の題詠が中心の和歌である。
 例えば、「桜」の題詠では

山桜ことしもにほふ花かげに 寝ざめせし よはの枕に音たてて

と詠む。

 一葉が生まれたころ、警視庁の役人と小金貸しを兼ねていた一葉の父は、まだ羽振りがよかった。一葉は、幼いときに住んでいた家を、「桜木の宿」として回想している。

 場所は現在の東大赤門前。法真寺脇。総面積233坪、建坪45坪の家で、樋口夏子は幸福な子ども時代をすごした。桜のころには、窓の外いっぱいに広がる桜の木をながめることができた。

 明治24年4月から6月までの一葉の日記『若葉かげ』には、父とすごした子ども時代を、妹といっしょに回想している。4月11日の日記から。

  父君の世にい給ひし頃花の折としなれば、いつもいつもおのれらともない給ひて、朝夕立ちならし給ひし所よと、ゆくりなく妹のかたるをきけば、むかしの春もおもかげにうかぶ心地して、
 山桜ことしもにほふ花かげにちりてかへらぬ君をこそ思へ

帰らぬ君=父、をしのぶ歌。それは幼い日の「桜木の宿」での両親と兄二人の幸福な日々をしのぶ歌でもある。

 明治24年4月11日早朝、一葉はひごろ楽しみの少ない生活をしている妹の邦子を連れだし、まだ朝露も残る上野公園で桜を見た。花曇り。

 上野からは奮発して人力車を雇い、隅田川まで行く。長命寺の桜もちを買って留守番のお母さんへのおみやげ」と言って邦子に渡し、邦子を帰らせた。<一葉の桜、つづく>

2005/04/09 13:53
一葉の桜②

 邦子を帰らせたあと、一葉・樋口夏子が出かけようとしている場所は、萩の舎の先輩の家。裕福な実業家夫人が、和歌私塾萩の舎の師と相弟子達を花見の宴に招待したのだ。

 邦子とふたりだけの花見だったら、夏子はいつもの地味ななりで出かけただろう。
 だが、4月11日の花見は、師と共にすごす、いわば萩の舎の準公式行事。萩の舎の金持ち夫人お嬢さん達が集まる中での花見の宴に、普段のなりでは行かれない。

 華やかな衣裳比べの場でもある集まりに、夏子もせいいっぱいのおめかしをして出かけたのだろうと思う。一張羅を締めたその帯は、もしかしたら翌日には質入れしなければならないものだったかもしれない。

 明日はまた、質屋へ行かなければならないかもしれない暮らしをしている自分たち姉妹に比べ、師も友もくったくなく春の行楽を楽しみ、一日をのんんびりとすごしている。
 春雨が降り出した中、一行は別れのことばをかわし、それぞれ帰路についた。

 ひとりになっての帰り道、夏子は胸のなかで四日後の約束を確かめる。ここしばらくの間、桜よりも何よりも胸のなかをいっぱいにしてきた、約束。

 花見の日の4日後、4月15日には、友人きく子が仲介の労をとってくれた人に面会する。小説家半井桃水。どんな人だろう。売れっ子の作家というと、放埒なこわそうな人にも思えるけれど。
 でも、どうあっても必ず弟子にしてもらうのだ。なんとしても小説を売り出して、原稿料で生活していけるようにしなければ。母と妹、女三人の暮しは、19歳の樋口家戸主、夏子の肩にかかっている。
 夏子の心は、花見の余韻よりも小説のことでいっぱいになった。

 生涯の心の恋人となる人との出会いを前に、まだ恋を知らない樋口夏子は淡い春雨の中本郷菊坂の家に向かって歩きつづけた。とぼしい家計の中から買い求めた長命寺の桜餅を、母は喜んでくれただろうか。

 樋口夏子は、この明治24年の花見の日から半年後に「一葉」の筆名を使い始めた。
 4年後の28年、23歳の一葉は『たけくらべ』『にごりえ』などの傑作を世に送り出す。

 明治29年、死去。享年24歳。
 咲き初めた桜があっと言う間に散っていくような、短くも美しい24年、誰にもまねできない見事な花を、満開に咲かせきった24年である。
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一葉も見し上野山の糸桜 明日質入れの帯締めて見る
は、一葉をしのびつつ詠んだ。
 枝垂れ桜は、別名糸桜。着物の仕立てをなりわいにしていた一葉母娘だから、仕立ての縁語としての糸。

 一首の最後の「見る」は、普通の語法でいうなら、主語は「歌の作者」となり、作者が帯を締め、その帯を明日質入れする、という生活状況にある、という歌意となる。
 想像の中で、一葉と作者二人がいっしょに、糸桜を見上げている。

 明日の生活が立ちいかないという毎日を送りながら、それでも「書く」ことへの意志だけは糸桜の梢よりも高く掲げて、満開の花をみつめた一葉。その一葉の姿を思えば、毎日の貧しい暮しにめげそうになりながらも、かつかつ生きている自分が励まされる。

 実際の私は、着物を着て帯締めて桜を見るなんて余裕はない。一張羅の着物も姉の形見の帯も、実家の箪笥にいれたまま。浴衣以外に和服を着ることなどない。
 4月4日の服装も、いつものままのデニムパンツと姑からのお下がりジャケットだ。

 「明日質入れの帯締めて見る」は、「昔なら質屋通いでしのがなければならないようなぎりぎりの生活」の比喩であって、現実には質草になるような帯も着物もブランドバッグも宝石も持っていない。近頃の質屋は、人間国宝が織ったような帯ならともかく、なまじの呉服なんぞでは、金を出さない。(ネットオークションでも並の帯は百円単位で売られている)

 冒頭一首は、糸桜→仕立てものをした一葉→質屋通いの一葉、という連想ゲームでの創作。



2005/04/06 15:34

桜アンソロジー 山桜

 自転車で中央公園への往復の道。家々の庭や小公園に春の花がいっぱいに咲いている。チューリップ、パンジー、すずらん、木瓜、桃、雪柳。
 そして染井吉野が五分咲き、木によっては満開近くなっている。

『さくらの歌、山桜』

あしひきの山桜花 日(ひ)並(なら)べて かく咲きたらば いと恋ひめやも(山部赤人・万葉1425)

今日のためと思ひて標(しめ)しあしひきの峰(を)の上(へ)の桜かく咲きにけり(大伴家持・万葉4151)

み吉野の山辺に咲ける桜花 雪かとのみぞあやまたれける(紀友則・古今)

越えぬ間は吉野の山の桜花 人づてにのみ聞きわたるかな(紀貫之・古今)

吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり(西行・山家集)

あくがるる心はさてもやまざくら 散りなんのちや身にかへるべき(同)


うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花(若山牧水・山桜の歌)

鞠もちて遊ぶ子どもを鞠もたぬ子ども見惚るる山ざくら花(北原白秋・雀の卵)





桜アンソロジー 女うたの桜

清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子・みだれ髪)

桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり(岡本かの子・浴身)

城門の閉まるを告げて打つ太鼓夕桜なほ燿ひてあり(初井しず枝・夏木立)

昔とはどこより昔 桜より遠くは見せぬ春の曇りは(築地正子・鷺の書)

山辺には万朶のさくらひとりねて夢に風吹くなにぞさびしき(山中智恵子・喝食天)

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり(馬場あき子・桜花伝承)

抱(いだ)かれてこの世の初めに見たる白 花極まりて桜なりしか(稲葉京子・槐の傘)

夕闇の桜花の記憶と重なりてはじめて聴きし日の君が血のおと(河野裕子・森のやうに獣のやうに)

警報機鳴るやもしれぬうつし世のさくらのやみのにほふばかりを(永井陽子・なよたけ拾遺)

さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園(俵万智・サラダ記念日)

三百五十の闇夜を抜けて桜勁しかならず年の雨に遭ふ花(辰巳泰子2005)

押しひらくちから蕾に秘められて万の桜はふるえつつ咲く(松平盟子)


2005/04/17 17:50 

桜アンソロジー 散るさくら

 西公園の歩道に沿って歩き、枝垂れ桜を数えてみると、36本あった。35本が3~4メートルおきに立ち、一本だけ駅から遠いほうの出入り口をはさんで、ちょっと離れた場所にたつ。
 36本、歌仙の数。

 そこで36本の桜の木にちなんで、万葉から現代までの「散る桜」の歌を36首、集めてみた。「散る散らず散りぬるを我アンソロジー」
 4月6日の「さくらの歌」アンソロジーは、爛漫と咲く桜の歌が多かったが、「散る桜」を中心に集めると、万葉から現代まで千年の時の流れを、桜の花びらが散りしき流れていくようにに感じる。No.1~No.36まで、秀歌あり哀歌あり。
 ラスト一首、番外編です。ご愛嬌のごあいさつ。

「散る桜」
1 あしひきの山の際(ま)照らす桜花 この春雨に散りゆかむかも(詠人不知・万葉集巻十)

2 龍田山見つつ越え来し桜花 散りか過ぎなむ我が帰るとに(大伴家持・万葉集巻二十)

3 桜花散りぬる風の名残には 水無き空に波ぞ立ちける(紀貫之)
 
4 いつの間に散りはてぬらん桜花 おもかげにのみ色をみせつつ(凡河内躬恒)

5 ちりちらず きかまほしきをふるさとの 花見てかへる人もあはなむ(伊勢)

6 けふこずはあすは雪とぞふりなまし消えずはありとも花と見ましや(在原業平)
 
7 ひさかたの光のどけき春の日に しず心なく花の散るらむ(紀友則)

8 花の色はうつりにけりないたづらに わがみよにふるながめせしまに (小野小町)

9 山桜あくまで色をみつるかな 花ちるべくも風ふかぬよに(平兼盛) 

10 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり(藤原公経)

11 たれ見よとなお匂ふらん桜花 散るを惜しみし人もなき世に(赤染衛門)

12 またや見ん交野(かたの)の御野(みの)の桜がり 花の雪ちる春の曙(藤原俊成)

13 風にちる花のゆくへはしらねども をしむ心は身にとまりけり(西行)

14 きのふまでかをりし花に雨すぎて けさは嵐のたまゆらの色(藤原定家)

15 散り散らずおぼつかなきは春霞たなびく山の桜なりけり(祝部成仲)

16 春ふかみ花ちりかかる山の井はふるき清水にかはづなくなり(源実朝)

17 咲きちるはかはらぬ花の春をへてあはれと思ふことぞそひゆく(賀茂真淵)

18 おそざくら猶のこりける花もはや けふ(今日)ふる雨にちりやはてなむ(本居春庭)

19 かぐはしき桜の花の空に散る春のゆふべは暮れずもあらなむ(良寛)

20 梢ふく風もゆふべはのどかにてかぞふるばかりちるさくらかな(香川景樹)

21 きのふけふ降る春雨に散りなむとおもふもをしき花櫻かな(明治天皇)

21 ちる花に小雨ふる日の風ぬるしこの夕暮よ琴柱(ことぢ)はづさむ(山川登美子・恋衣)

23 桜の花ちりぢりにしも わかれ行く 遠きひとりと君もなりなむ(釈迢空・春のことぶれ)

24 みもごろに打ち見仰げばさくら花つめたく額(ぬか)に散り沁みにけり(岡本かの子・わが最終歌集)

25 花過ぎし桜ひと木の遠(おち)にして児湯(こゆ)のみ池の水照(みでり)かがよふ(木俣修・高志)

26 ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも(上田三四二)

27白じろと散りくる花を身に浴びて佇(た)ちお りわれは救はるるなし(岡野弘彦・海のまほろば)

28 夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子・雪鬼華麗)

29 風ふけば幼なき吾子を玉ゆらに明るくへだつ桜ふぶきは(美智子妃1980歌会始)

30 健やかに共に老いたし夫(つま)とゆく サイクリング・ロードに桜花散る(今西文子1980歌会始)

31 桜吹雪くぐり来てあふ観音の黒き御衣(みけし)の裾ひるがへる(小野興二郎・紺の歳月)

32 さくら花ちる夢なれば単独の鹿あらはれて花びらを食む(小中英之・翼鏡)

33 桜ひと木ほむらだつまでぶぶく見ゆ 全き荒(すさ)びの為(な)す しづか見ゆ(成瀬有・流されスワン)

34水流にさくら零(ふ)る日よ 魚の見るさくらはいかに美しからん(小島ゆかり・水陽炎)

35 散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝をはなれる(俵万智・かぜのてのひら) 

36 乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる(辰巳泰子・紅い花)
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散り果てて冷雨の宵の川縁(かわべり)に 一葉桜の細き枝揺れる(春庭)