2005年4月25日に兵庫県で発生した福知山線脱線転覆事故で亡くなられた方々のご冥福と、負傷された方々の平癒をお祈り申し上げます。
さて、福知山線事故についてはまだ救出作業が続いており、原因を究明するにはいたっていないので、今日は触れずにおく。
では、何を話題にするのか。
福知山線事故の影に隠れてしまった『列車妨害』について紹介したい。
といってもリンクを張る程度なのだが…。
尼崎で列車が転覆したのと同じ日に、下のような事件が起こっている。
読売新聞の記事
「25日午後2時5分ごろ、大阪市北区大深町、JR貨物線西梅田1番踏切の北約300メートルで、新大阪発白浜行き特急「くろしお」が線路上の金網(縦120センチ、横30センチ)を巻きこみ、自動列車停止装置(ATS)が働いて緊急停車した。
乗客約200人にけがはなかった。
事故の影響で電車は45分間停車し、上下線計10本が運休。計4本が最大48分遅れ、約2100人に影響した。
曽根崎署によると、金網はさびていて古く、同署は金網が線路上にあった経緯などを調べている。」
朝日新聞の記事
「25日午後2時5分ごろ、大阪市北区大深町のJR梅田貨物線で、線路上に落ちていた金網(幅約30センチ、長さ約120センチ)を新大阪発白浜行き特急「くろしお19号」(6両編成)が巻き込んだ。車体下部に取りつけられている自動列車停止装置(ATS)の電子部品の一部が破損したため、非常ブレーキが作動して緊急停止した。約200人の乗客にけがはなく、約40分後に運行を再開した。
曽根崎署やJR西日本によると、同型の金網が、事故現場から約2キロ先の淀川にかかる鉄橋の線路脇で、作業員用通路の床材として使われているという。このうち少なくとも1枚がなくなっていた。同社によると、この事故で計10本が運休、計4本に最大で48分の遅れが出て、約2100人に影響した。」
金網は歩かない。走らないし、飛びもしない。誰かが何らかの意図を持って、線路上に金網を乗せたであろうことは想像に難くない。
こちらも当たり所が悪ければ、脱線事故の可能性があっただろう。
もうひとつ、気になった記事。
読売新聞の記事
「岐阜県関ヶ原町のJR東海道新幹線下り線で1998年4月、レール固定用のボルトが抜かれた列車往来危険容疑事件が30日、公訴時効(7年)を迎える。新幹線が脱線すれば、大きな被害を出す恐れのあった事件だけに、岐阜県警では垂井署に捜査本部を設置し、延べ8万人近い捜査員を動員、現在も6、7人態勢で、遺留品を手がかりに捜査を続けている。しかし、いずれも市販品で販売経路の特定が難しく、犯人像の絞り込みには至っていない。
事件は98年4月30日早朝、同町藤下の新幹線下り線で、始発前の巡回点検中にボルト25本が抜かれているのが見つかった。
現場近くの山中で、犯行に使ったとみられる油圧ジャッキとパイプレンチが見つかり、同県警では重要な手がかりとして流通経路を中心に捜査してきた。
その結果、ジャッキは東京都内で97年11月に製造された1100台の一つと判明。レンチも74年に奈良県で約6000本が製造されたものと分かった。ジャッキは、車載用にも使われていて約8割の所在を確認したが、残りの洗い出しはできないまま。レンチについては、県内や近隣の600以上の業者から事情を聞いたが、市販品という壁があり、販売経路の特定には至っていない。
同県警の幹部は「犯人像もつかめないままだが、時効成立まで全力を尽くす」と話している。
◆7年に4件、同一犯?「墨子」の名も 残るは5億円要求事件
この事件を含め、1993年から2000年にかけて、同一犯によるとみられる新幹線への列車妨害事件と、JR東海への恐喝未遂事件が4件発生した。
最初の事件は、ボルト抜き事件の現場から約500メートル離れた同じ関ヶ原町内で、93年6月、レールにワイヤロープが巻かれていた。同年8月には西へ約20キロ離れた滋賀県彦根市で、線路に鉄製チェーンが巻かれ、列車がはね飛ばしていた。
二つの現場では、中国古代の思想家「墨子(ぼくし)」の名で、政治家や金権政治を批判する犯行声明文が残されていた。いずれも時効になっている。
2000年4月には、JR名古屋駅に「墨子」名で5億円を要求する脅迫文が送りつけられた恐喝未遂事件があり、筆跡などから同一犯の犯行とみられ、愛知県警が捜査している。
JR東海では、ボルト抜き事件の後、沿線警備や、線路への立ち入り防止柵(さく)など設備面を強化してきた。間もなく時効を迎えることについて、JR東海広報部では「犯人が逮捕されることが最大の再発防止策。捜査はまだ続いており、コメントする立場にない」としたうえで、「警察との連携を強め、安全に万全を期していきたい」と話している。」
新幹線が狙われた事件がまもなく時効を迎えようとしている。
その時期に起きた事件と事故。
結びつける線が無いことを願う。
さて、福知山線事故についてはまだ救出作業が続いており、原因を究明するにはいたっていないので、今日は触れずにおく。
では、何を話題にするのか。
福知山線事故の影に隠れてしまった『列車妨害』について紹介したい。
といってもリンクを張る程度なのだが…。
尼崎で列車が転覆したのと同じ日に、下のような事件が起こっている。
読売新聞の記事
「25日午後2時5分ごろ、大阪市北区大深町、JR貨物線西梅田1番踏切の北約300メートルで、新大阪発白浜行き特急「くろしお」が線路上の金網(縦120センチ、横30センチ)を巻きこみ、自動列車停止装置(ATS)が働いて緊急停車した。
乗客約200人にけがはなかった。
事故の影響で電車は45分間停車し、上下線計10本が運休。計4本が最大48分遅れ、約2100人に影響した。
曽根崎署によると、金網はさびていて古く、同署は金網が線路上にあった経緯などを調べている。」
朝日新聞の記事
「25日午後2時5分ごろ、大阪市北区大深町のJR梅田貨物線で、線路上に落ちていた金網(幅約30センチ、長さ約120センチ)を新大阪発白浜行き特急「くろしお19号」(6両編成)が巻き込んだ。車体下部に取りつけられている自動列車停止装置(ATS)の電子部品の一部が破損したため、非常ブレーキが作動して緊急停止した。約200人の乗客にけがはなく、約40分後に運行を再開した。
曽根崎署やJR西日本によると、同型の金網が、事故現場から約2キロ先の淀川にかかる鉄橋の線路脇で、作業員用通路の床材として使われているという。このうち少なくとも1枚がなくなっていた。同社によると、この事故で計10本が運休、計4本に最大で48分の遅れが出て、約2100人に影響した。」
金網は歩かない。走らないし、飛びもしない。誰かが何らかの意図を持って、線路上に金網を乗せたであろうことは想像に難くない。
こちらも当たり所が悪ければ、脱線事故の可能性があっただろう。
もうひとつ、気になった記事。
読売新聞の記事
「岐阜県関ヶ原町のJR東海道新幹線下り線で1998年4月、レール固定用のボルトが抜かれた列車往来危険容疑事件が30日、公訴時効(7年)を迎える。新幹線が脱線すれば、大きな被害を出す恐れのあった事件だけに、岐阜県警では垂井署に捜査本部を設置し、延べ8万人近い捜査員を動員、現在も6、7人態勢で、遺留品を手がかりに捜査を続けている。しかし、いずれも市販品で販売経路の特定が難しく、犯人像の絞り込みには至っていない。
事件は98年4月30日早朝、同町藤下の新幹線下り線で、始発前の巡回点検中にボルト25本が抜かれているのが見つかった。
現場近くの山中で、犯行に使ったとみられる油圧ジャッキとパイプレンチが見つかり、同県警では重要な手がかりとして流通経路を中心に捜査してきた。
その結果、ジャッキは東京都内で97年11月に製造された1100台の一つと判明。レンチも74年に奈良県で約6000本が製造されたものと分かった。ジャッキは、車載用にも使われていて約8割の所在を確認したが、残りの洗い出しはできないまま。レンチについては、県内や近隣の600以上の業者から事情を聞いたが、市販品という壁があり、販売経路の特定には至っていない。
同県警の幹部は「犯人像もつかめないままだが、時効成立まで全力を尽くす」と話している。
◆7年に4件、同一犯?「墨子」の名も 残るは5億円要求事件
この事件を含め、1993年から2000年にかけて、同一犯によるとみられる新幹線への列車妨害事件と、JR東海への恐喝未遂事件が4件発生した。
最初の事件は、ボルト抜き事件の現場から約500メートル離れた同じ関ヶ原町内で、93年6月、レールにワイヤロープが巻かれていた。同年8月には西へ約20キロ離れた滋賀県彦根市で、線路に鉄製チェーンが巻かれ、列車がはね飛ばしていた。
二つの現場では、中国古代の思想家「墨子(ぼくし)」の名で、政治家や金権政治を批判する犯行声明文が残されていた。いずれも時効になっている。
2000年4月には、JR名古屋駅に「墨子」名で5億円を要求する脅迫文が送りつけられた恐喝未遂事件があり、筆跡などから同一犯の犯行とみられ、愛知県警が捜査している。
JR東海では、ボルト抜き事件の後、沿線警備や、線路への立ち入り防止柵(さく)など設備面を強化してきた。間もなく時効を迎えることについて、JR東海広報部では「犯人が逮捕されることが最大の再発防止策。捜査はまだ続いており、コメントする立場にない」としたうえで、「警察との連携を強め、安全に万全を期していきたい」と話している。」
新幹線が狙われた事件がまもなく時効を迎えようとしている。
その時期に起きた事件と事故。
結びつける線が無いことを願う。
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