日高見製作所 業務日報

「鉄分」欠乏中。。

飛行機を上から見よう ~アメリカ海軍 C-130輸送機~

2006年11月07日 23時13分37秒 | 飛行機を上から見よう
アメリカ海軍のC-130輸送機を俯瞰する
この機体はアメリカ海軍のアクロバットチームであるブルーエンジェルスの支援機
通称ファット・アルバート
フロリダ州ペンサコーラ海軍航空基地に駐機中の様子

制服組の叛乱 ミグ25事件が暴いた自衛隊の闇

2006年11月07日 00時52分05秒 | 日記
 NNNドキュメント「制服組の叛乱 ミグ25事件が暴いた自衛隊の闇」という番組を見た。
  昭和51年9月6日に起きたミグ25函館空港強行着陸事件にまつわるエピソードを、当時の内閣官房副長官・海部俊樹氏や元第28普通科連隊長などのインタビューを交えて構成された「ドキュメンタリー」である。
 事件の概要に付いてはこちらで検索してください→ミグ25 函館
 さて、この番組での収穫はベレンコ中尉(当時)へのインタビュー。現在の氏の様子がわかる・・・程度か。

 わたしが注目したのは、番組の終わりに流れたナレーションである。
「『現場判断を重要視すべきだ』という思いは、自衛隊制服組に今も根強い。
だが、シビリアンコントロールを置き去りにした時、いったい何が起きるのか。
ミグ25事件は30年の時を越え、その真実を私たちに語りかけてくる」

 自衛隊の最高指揮監督権を有する内閣総理大臣からの命令が無いまま、防衛出動を「現場判断」で準備していたことを批判する向きがあることは承知している。
 しかし、ソビエト軍がミグ25戦闘機の奪還や破壊を目的とした軍事行動を行う可能性があった、あの時。なぜ「シビリアン」は自衛隊を、制服組を「コントロール」しなかったのか。

 番組中程のナレーションより。
「当時、官房副長官を務めていた海部元総理。ミグ事件について内閣をとりまとめる立場だったが、自衛隊の動きは一切知らなかったという」
 これすなわち、内閣による「シビリアンコントロールの放棄」ではないのか。
 シビリアンコントロールとは「知りませんでした」の一言で済まされるのか。函館で中隊長が「オレがまずソ連兵の前に出て撃たれる。そうすれば正当防衛で、部下達が反撃できる」と覚悟を決めている時に、「聞いていない。防衛出動なんて要請もしてきていなかった」のがシビリアンコントロールなのか。

 さらに番組中のナレーションより。
「ソビエトとの対立を望まない政府は、自衛隊への出動命令など考えてもいなかった」
 「ソビエトとの対立を望まない」がゆえに、自衛隊の動きに対して明確な意思表示をしなかったのであろう。
 当時の内閣は「シビリアンコントロール」を放棄して「現場判断」に任せたのだ。現場に、北部方面隊や第28普通科連隊に防衛出動の判断を任せたのだ。

 これは決して「制服組の叛乱」などではない。

 もう一度、冒頭であげたナレーションから抜粋。
「シビリアンコントロールを置き去りにした時、いったい何が起きるのか」
 シビリアンコントロール置き去りにされた時、「他国軍によって蹂躙される日本国民と、それを命令を待ちつつ傍観する自衛隊」という光景が起きるのだ。
 この時にシビリアンコントロールを置き去りにするのは自衛隊ではなくシビリアンの側であろう。