日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 三原 Mihara Katana

2010-07-08 | 
刀 三原

刀 磨上無銘三原

 



 南北朝時代中期の備後国三原の作。元来は寸法が長くがっしりとしたもので、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて打刀として扱い易い寸法に切り縮められたもの。
 板目鍛えの地鉄は均質な地沸が付き、ここに地沸を分けるように地景を交えた杢目肌が強く現われている。地沸も地景も地鉄の本質と関わりがあるため、質が異なると微妙に出方が違ってくる。それ故に地沸を分けるように際立つ地景は自然味があって美しい。鍛え肌は刃境を越えて刃中にも現われている。刃縁は沸で盛んにほつれ、これが砂流し、細い沸筋、金線となり、時に渦巻くように働く。殊に帽子の先端には流れるような肌が現われ、掃き掛けと感応し合って爽やかながら激しい景観を呈している。このような、鍛え肌と沸の働き合う様子こそ大和伝の鍛法を伝える三原の魅力であり、その祖である大和物の魅力なのである。



太刀 尻懸 Shikake Tachi

2010-07-07 | 太刀
太刀 尻懸

太刀 銘 大和(尻懸)  

 

 鎌倉時代の大和国に栄えた流派の一つ、尻懸則長(しっかけのりなが)の作。磨り上げられているが、茎尻に特徴的な大和の文字が残されており、これによって則長と断定できる。
 板目に杢目の交じった地鉄は、地景が頗る顕著に現われて肌が強く立ち、一見して松皮のような激しい肌合い。だが、素質は鍛着部が密に詰んでおり、地沸が付いて躍動感と生命感に溢れた綺麗な地相となっている。この肌合いが尻懸の鑑賞の大きな要素。
 刃文は直刃に小互の目が交じる態で、刃縁は鍛え肌によって現われたほつれや喰い違いなどが顕著に働く。総体は匂主調ながら、所々に沸が厚く付いて同国の手掻派の作とは同趣ながら風合いを異にしている。匂の広がる刃中に砂流し沸筋が金線を伴って走り、物打辺りからそれが強まって帽子は激しい掃き掛けとなる。

 

太刀 千手院 Senjuin Tachi

2010-07-06 | 太刀
太刀 千手院

太刀 磨上無銘 千手院



 南北朝時代の千手院(せんじゅいん)の太刀。擦り上げられてはいるが、太刀の本来の姿格好を良く留めている。地鉄は板目肌が強い柾目状に流れて地沸が厚く付き、地景が肌に沿って入り肌が立つ。大肌の中の地底の様子は微塵に詰んだ小板目鍛えであり、これらの複合になる地鉄の様子に特徴が見出せる。一般的に千手院の地鉄はこのように肌が強く立って疵気が多いところにある。刃中に現われている肌には沸が強く絡んで沸筋が顕著に現われ、沸筋に伴い金線、砂流しも激しく入る。直刃基調の焼刃ながら、小足や小互の目が交じることもあり、これらを切って流れる沸筋や金筋の様子は迫力満点。この太刀では刃中の杢肌に地沸が付いて金線が現われ渦巻き状に見える部分もあり、沸は厚く刃先に抜けるほどに深く、殊に強みがある。帽子の働きも同じで、激しく沸筋が流れて掃き掛ける。地中にも湯走りから変化した沸筋が現われ、この刀では区上辺りには沸筋が強く流れて二重刃となる。□
 


刀 手掻 Tegai Katana

2010-07-05 | 
刀 手掻

刀 磨上無銘手掻



 直刃の魅力が充満した作。南北朝時代の大和国手掻(てがい)派の特徴が顕著に現われている。板目鍛えの地鉄が流れて柾がかり、肌目が地景で強く起ち、肌目は刃境を超えて刃中に至り、そのまま刃先にまで肌の様子が窺える。この肌目が刃中の、殊に刃縁の働きを生み出す要素となっている。刃文とは、焼刃の形を楽しむことではないことは度々申し上げている。直刃が単調であるとは、直刃の働き、焼刃の本質を知らない方の言葉。鍛え肌に沿って現われた地景が刃中では金線に変わる様子が良く分かるように、刃境を越えて黒く沈んだ光りを放つ稲妻が現われている。刃縁には稲妻だけでなく、縒り糸をほぐしたようなほつれ、喰い違い、淡く短い足状に広がる匂を切って流れる砂流し、地側にも打ちのけと呼ばれる同趣の働きがみられる。この繊細な線状の働きが織り成す様子こそ直刃の最大の魅力である。



脇差 三善長道 Nagamichi Wakizashi

2010-07-02 | 脇差
脇差 三善長道

脇差 銘 陸奥大掾三善長道   

 

 最上大業物作者の一人としても名高い三善長道(ながみち)の凄みのある脇差。板目鍛えの地鉄は緊密に詰みながらも杢目と板目が地景を伴って綺麗に起ち現われ、微細な地沸がついて肌目冴え、躍動感に満ちて活きいきとしている。この鍛え肌があるが故に、刃中では、殊に刃縁に和紙を引き裂いたかのようなほつれが現われ、刃縁に沿ってその繊細な筋が砂流しとなって流れている。虎徹を見るような互の目の焼刃は、小沸出来ながら刃中には匂が満ち溢れて清く流れ、名刀の多くがそうであるように沸と匂が複合して美しい景観を創出している。刃中の働きとは、単なる刃文の乱れの様子を指すものではないことを教えてくれる作品である。帽子も同じ調子で沸と匂が流れ、先わずかに掃き掛け状に流れて綺麗な小丸に返る。これも美しいだけではない、切れ味抜群の作例である。