日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 大和志津 Yamato-Shizu Katana

2016-03-31 | 
刀 大和志津


刀 大和志津

 南北朝時代初期の志津の大磨上無銘で、大和古作の特徴が窺えるところからの極め。大和志津とは、志津兼氏が、美濃に移住する前、大和にいた頃の作風を指す。まずは地鉄が柾状に流れた板目肌が強く現れているところが見どころ。物打辺りの刃中に沸筋が流れて二重刃状になっているところもポイント。刃文は沸を強くした湾れを基調に不定形な互の目が交じって刃文構成に、相州伝に間々見られる焼の深い互の目がないところも見どころ。所々穏やかな湾れが深まっており、次第にこれが強く意識されるようになったのだろう。帽子は沸強く掃き掛けているが、返ってもいる。


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刀 志津 Shizu Katana

2016-03-30 | 
刀 志津


刀 志津

 志津と極められた刀。南北朝時代の大太刀を磨り上げたもので、ゆったりとした湾れ刃に互の目を交えた刃文、密に詰みながらも覇気の感じられる地鉄に特徴が良く現れている。正廣と見比べ、正廣の求めていたものが何だったのか、時代背景を含めて考えてみると面白い。地鉄が詰むという表現が良く判る作である。江戸時代の刀工は、こうした古作を手本とし、さらに均質な地鉄造りを研究した。そう考えると、大坂刀工や肥前刀工が求めた世界観はとても分かり易い。そして成功している。もちろん古刀と新刀や新々刀を並べて比較すべきものでないのだが、改めて肥前刀工の凄さが理解できると思う。
 さて、志津派は初代兼氏が大和国から美濃國志津に移住したところから始まる。そもそも時代背景は相州伝が隆盛していたことから兼氏もまた相州伝を加味した作風であった。即ち、大和伝の地鉄鍛えに相州伝の沸が強い焼刃と考えると分り易い。美濃に移住して、次第に大和風が控えめになる。大和風が強い作を大和志津と呼び、穏やかな作風に移り変わったものを志津と呼び分けている。この刀が、後者であることは、地鉄鍛えからも理解できよう。それでも、板目が大きく流れて柾がかり、帽子も掃き掛けているところに大和風も窺える。そして、この作風が、後の、例えば美濃の兼定などに見られるのである。

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刀 左行秀 Yukihide Katana

2016-03-29 | その他
刀 左行秀


刀 左行秀 慶応二年

 混ぜ鉄のない地鉄造りを追求した刀工。緻密に詰んだ地鉄は江戸時代の特質とは言うも、江戸時代後期には古作を求めて古い鉄釘などを混ぜ込んだ作をみる。左行秀の場合、江戸時代後期の、即ち、今の鉄を用いて古作に迫る研究を重ねた結果がこの地刃の働きと言えるだろう。沸が美しい。行秀が求めたのはこの沸に他ならない。沸は匂を伴って冴えている。沸は決して沸だけで成り立っているものではない。匂との絶妙の調合。均質な沸の粒子の刃先に迫る深味。それが行秀の求めた相州伝だ。


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刀 左行秀 Yukihide Katana

2016-03-28 | 
刀 左行秀


刀 左行秀

 幕末の名工で相州伝を突き詰めた左行秀も忘れることができない。遠祖左文字に私淑し、その工銘を冠した気概も理解できよう。地鉄鍛えは清麿とは違った意味合いで独創を極めている。小板目鍛えが微塵に詰み、地沸が厚く働いているところに大きな特徴がある。ゆったりとした湾れ刃は沸の粒子が揃ってしかも深く、時には真改のように刃境が判然とせず、刃先近くまで沸が広がっている作もある。もちろん沸は匂を伴っていて明るく、この沸中に働きがある。金線や地景もそうだが、もっと本質的な沸に濃淡があり、霧の流れるような景色が窺えるところが魅力だ。そう、ごくごく自然な景色が展開されているのだ。沸は刃中だけでなく地中にも濃淡抑揚があり、棟近くの鎬地にも叢付いているのが判る。この時代、左行秀以外に誰もできなかったのがこの作風、綺麗に揃った沸の展開である。


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刀 河内大掾正廣 Masahiro Katana

2016-03-26 | その他
刀 肥前国河内大掾正廣


刀 肥前国河内大掾正廣

 鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて相州鍛冶の作風を受け継いだ刀工は頗る多い。鎌倉で相州鍛冶に学んだと考えられている長谷部國信や國重のほか、左文字、志津、備前の兼光や長義なども影響を受けている。戦国時代末期から江戸時代初期には、そうした二次あるいは三次的に相州伝の影響を受けたと考えられる工も多い。この四代目正廣は志津の大きく湾れた刃文を手本としたようだ。志津と一口には言うも、初祖である大和から移住した志津兼氏はその大和風を強く残しており、その子や弟子、あるいは孫弟子辺りになると、後の美濃風の刃文構成が強く見られるようになる。もちろん本来の美濃伝は、板目が大きく流れるような地鉄や、それが良く詰んで小板目状になるものがある。この正廣の地鉄鍛えは、江戸時代初期に肥前鍛冶が追い求めた山城伝の小板目鍛えを基礎に置いていることから、この刀も緻密に詰んで地沸が付いた肥前肌、小糠肌とも呼ばれる美しい地鉄鍛えとなっている。刃文が志津伝で、刃縁に小沸が付いた湾れに乱刃が交じった構成。刃中には島刃とも大きめの葉とも言える働きが点在している。肥前刀では互の目の刃中に葉を伴う働きを虻の目とも言われているが、それに似た働きが湾れにも現れている。破綻なく、弛みなく、綺麗な地鉄に綺麗な刃文が焼かれた作である。


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短刀 正行 Masayuki Tanto

2016-03-24 | その他
短刀 正行


短刀 於長門國正行製

 正行銘清麿の長州打ちの短刀。好みはあろうが、地鉄が最高に美しいと評価の高い作である。正雄の作で見たように地景や刃中の金筋に個性を見出す方もおられるが、清麿の作品の美観は、何といってもこの地鉄の美しさにある。ことさら強調しているわけでもなく、自然なままの景色を展開している。刃中を流れる沸筋砂流しは、刃肌と呼ばれるような強調されたものではなく、ここでも古作のような自然な、穏やかな表情を呈している。この美観に他ならない。地中に広がる沸は湯走りとなり、地中の地景と働き合い、ここでも過ぎることのない景色となって鑑賞者の心をも穏やかにする。
古来日本刀は持つ者の心を研ぎ澄ます力を備えていた。切先鋭く刃先鋭く、武器としての機能性は世界一の斬れ味でも知られている通り。その武器が、刃物であるが故に緊張感を高め、鑑賞者の脳の奥底に鋭い刺激を与える。それが禅にも通じる精神性であろう。古来それが何なのかは判らなかったが、明らかに日本刀は心を落ち着かせる力を秘めているのである。決して武士の魂などと言うものではない。もっと自然で、生物としての本能的なものに通じる感覚。鑑賞者の脳の奥底に潜んでいるであろう感性に直結する何ものかを引き出してくれるのが名刀なのだと思う。決して観念的ではないことは、筆者自身が刀を見て涙してしまうこともあることで、このことに気付いたことを添えておく。


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平造脇差 源正雄 Masao Wakizashi

2016-03-23 | その他
平造脇差 源正雄

 
平造脇差 源正雄

 師清麿に紛う作。詰み澄んだ地鉄の美しさ、地刃を流れる地景や金線。特に濃密に立ち込める匂を切って走る刃中の金線の表情は圧巻。焼刃の美観は、相州伝とはいえ沸よりも匂の付き方に影響されると思う。以前に紹介した脇差でも判る通り、もちろん荒ぶる沸の魅力もあるが、本作のように沸を包むような匂が美と斬れ味を生み出していることは、虎徹でも説明した。そして、名を成した多くの刀工が、ここでしばらく続けていた相州伝を突き詰めた鍛冶のほとんどすべてが、匂と沸の競演を目指していたことは間違いない。
 
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刀 宮入小左衛門行平 Yukihira Katana

2016-03-22 | その他
刀 宮入小左衛門行平


刀 宮入小左衛門行平

 現代刀工でも、相州伝を突き詰めた工がいる。人間国宝に指定された宮入昭平刀匠。その子で、師の伝法にさらに磨きをかけた、宮入一門の現代の当主行平刀匠である。元先の身幅が広く鋒が伸びた造り込みは南北朝時代の相州物の特徴。一目見ただけで判る。地鉄は均質に詰んだ板目肌で、肌間を小板目に鍛えており、その緻密な地に小沸が付いてしっとりとした質感がある。細かな地景を伴っており、肌がなんとなく揺れているように見えるのが判る。この肌目は、焼刃によって明瞭になる。小沸出来の刃文は肌目に感応して沸の流れを生み出し、刃中は沸筋と砂流し、ほつれ、金線…荒ぶることなく沸の美観を鮮明にしている。相州伝の美しさを追求した作である。
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平造脇差 飛騨守氏房 Ujifusa Wakizashi

2016-03-19 | 脇差
平造脇差 飛騨守氏房


平造脇差 飛騨守氏房

刃長一尺二寸六分、反り二分。これも南北朝時代の相州物を手本とした作。飛騨守氏房の活躍は未だ戦国の世の冷めやらぬ頃で、日本刀の特徴が「慶長新刀」と言われる江戸時代最初期。飛騨守氏房は、織田信長に抱えられて安土城下にて活躍した若狭守氏房の子。織田信孝の小姓として出仕したが、信孝の自刃後は作刀技術を修めて飛騨守を受領、後に清州の福島正則の鍛冶として活躍、さらに後に名古屋城下に移住した。このような造り込みは、何度も言うが、江戸時代の登城用大小の脇差とは意味が違い、抜刀し易い実戦に即した武器。板目鍛えの地鉄は刃寄り流れて地沸で覆われ、乱れた映りと地沸の複合になる変化に富んだ景色が窺え、実用を突き詰めた武具ながら研ぎ減りが少なく、区も深く残されており、大切に伝えられたことが判る。刃文は焼頭が不定形に乱れた互の目に湾れを交えた構成で、帽子も同じ調子に乱れ込んで先丸く返る地蔵帽子。ここに美濃伝の名残りがある。相州物を手本とする沸を強く配した焼刃は、刃中に濃密な匂を漂わせるも、肌目に沿って粗い沸粒と金線を伴う沸筋が長く連なり、刃境には沸ほつれが掛かり、地側にも湯走りが生じるなど、古作に新趣を交えたもので、氏房の特徴が現れた激しい出来となっている。□
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平造脇差 水田国重 Kunishige Wakizashi

2016-03-18 | 脇差
平造脇差 水田国重


平造脇差 備中國水田住国重作

 一尺一寸強、反り二分半の、扱い易い実戦的な武器の一つ。戦国時代末期の古水田から江戸時代にかけての水田國重一門は南北朝時代の相州物をそのまま映したような沸の強い作を遺している。特に本作のように帽子の返りを長くして刀身中程まで棟焼を施し、物打辺りは皆焼状に仕立てるを特徴としている。脇差でも刀でも同様に焼きを強く深めている。身幅たっぷりとして先反りがついた姿は南北朝時代の相州物。違うのは重ねを厚く仕立てている点で、これは近世の多くの刀工も同様にがっちりとした造り込みとしていることで良く判る。地鉄は板目が現れているも、総体に小板目状に詰んでおり、地沸が厚く付き湯走りから飛焼まで、即ち焼入れによる景色が濃密に現れている。刃文は形状のはっきりとしない互の目乱刃に角状の尖刃が交じり、丁子がまじるなど、古式の相州物に倣っていることも判るが、江戸時代の刀の多くがそうであるように、刃境の景色は焼刃土による刃採りで比較的分り易い。とにかく激しい沸の妙趣。嵐の大海原のように大小の沸が飛沫として刀身上に舞い散る。□


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脇差 大慶直胤 Naotane Wakizashi

2016-03-14 | 脇差
脇差 大慶直胤


脇差 大慶直胤文化元年

 備前伝の名手として知られる大慶直胤は、また相州伝や大和伝をも巧みとしたように、各伝に通じた天才で、師である水心子正秀の復古刀論を実践した最右翼。この脇差は、相州伝とはいえ、江戸時代初期に山城や大坂で隆盛していた相州写しの作を、さらに直胤が写して沸の強みを活かしたもの。姿にも江戸初期の相州伝、國路風のところがある。地鉄にも刃中にも沸が意識されている。地鉄は江戸時代の多くの刀工が求めた小板目鍛えで良く詰み、厚くついた地沸の様子が良く判る。地走りとも表現された湯走りの様子が明瞭。もちろん刃文に大きな特徴がある。互の目が二つずつに連れたようになり、これが耳形となるのが相州古作に倣ったところ。とにかく沸が強く、もちろん匂を伴っていることから明るく冴え冴えとし、沸深い刃中に太い沸筋が走り掛かる。刃中に垂れ込むような足は太い。
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平造脇差 源正雄

2016-03-12 | 脇差
平造脇差 源正雄

 
平造脇差 源正雄安政六年二月日 以知岸内砂鐵造

刃長一尺三分、反り二分、元幅一寸一分一厘、重ね二分三厘。南北朝時代の幅広の腰刀をさらに強調したような脇差。正雄は清麿の弟子として遍く知られ、地刃に師と全く同様の働きを見る作を遺している。この脇差は、寸法でも判る通り豪快な作。板目鍛えの地鉄は、肌間に小板目肌を交えて良く詰み、刃寄り棟寄りに柾目が現れ、太い地景が蠢いて刃境を越えて刃中にまで及んでいる。刃文は区下焼き込みから始まる焼頭が丸みを帯びた互の目丁子乱で、互の目は穏やかに高低抑揚があり、真砂のような沸が厚く付いて刃縁明るく、金線、砂流しは物打付近で一段と激しく渦巻状に横手筋を越えて流れ掛かり、帽子は激しく乱れ込んで火焔状に掃き掛けて浅く返る。□


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脇差 一貫斎義通 Yoshimichi Wakizashi

2016-03-11 | 脇差
脇差 一貫斎義通


脇差 一貫斎義通試鐵冑鹿角能割之

 銘にある通り、堅物を截断したことが判る作。一貫斎義通は先に紹介した義一の兄である義弘の弟子で、後にその養子となった刀工。この脇差は、一尺五寸半ほどであることから大小揃いの脇差であったことが推考される。この寸法で堅物斬りの試断をしていることから、屈強の武将の注文であろう。一般的に沸の強い相州伝の刀は硬いことから衝撃に弱いとの見方がされている。ところが本作のように決して弱い出来ではないことが証明されている。隣国信濃松代藩で行われた相州伝の鍛冶真雄の作を荒試ししたことは有名だ。本作のような沸の強い相州伝の刀の、鉄冑や粘り気のある鹿角を斬ったその高い性能を改めて考え直す必要がある。激しい板目鍛えに深い沸出来の互の目乱刃。特に肌目に沿って流れる沸は圧巻。


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刀 中山義一 Yoshitazu Katana

2016-03-10 | 
刀 中山義一


刀 中山義一作之天保二辛卯年八月吉日

 義一は相州古作、中でも郷義弘や則重を目指した中山義弘の弟。自らも兄に紛れる作を遺している。異なる質の地鉄を交えて鍛え肌を強く意識した作が多く、一門の特色とされている。この刀は、二尺一寸三分ほどで頗る扱い易い寸法と反り格好。実戦の場での使用を想定した作に間違いない。太刀銘に切られていることから、古作への憧れをも内包している。大きく流れるような地鉄鍛えに地沸が作用して肌目がより強く見え、焼刃の沸とも感応して激しい景観を呈す。刃文構成も、穏やかな湾れから始まって刀身中程で急に激しい互の目乱となり、物打辺りは鎬を超えるほどの高い焼刃構成。沸深い刃中には沸筋、金線、砂流しが層を成して走り、そのまま帽子へと連続し、先端は火炎状に激しく流れ掛かる。□



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平造脇差 水心子正次 Masatsugu Wakizashi

2016-03-09 | 脇差
平造脇差 水心子正次


平造脇差 水心子正次安政二年二月吉日

 南北朝時代の平造の腰刀を手本に、近代的な彫刻を加えて独創的な作としたもの。刃長一尺二寸強、反り一分五厘、元幅一尺一分。太刀の添え差しと捉えると、抜刀に適した寸法であり、これが南北朝時代の作であれば戦場で重宝されたことであろう。地鉄は鍛着部が良く詰んだ大板目で、刃寄り柾状に流れ、全面に地沸が厚く付いており、この中を地景が切るように走り、刃境を越えて刃中の金筋となる。棟焼も入れられており、彫刻に美観が求められてはいるものの、実用を充分に意識していることが判る。正次は、父没後は祖父の弟子であった大慶直胤に学んでいる。正秀も手掛け、直胤もまた表現した、渦巻くような地鉄、この動きのある地鉄が見どころ。刃文は沸を強く意識した乱刃で、焼頭は刃採りほどには丸みを帯びていない。写真で見える丸みを帯びたラインは刃文ではない。研ぎ師が、刃文を見やすいように仕上げた刃採りであり、本当の刃文は不定形に乱れている。沸の粒は荒ぶらずに揃っており、肌目に沿って流れ、ほつれ掛かり、沸筋、金筋、砂流しを生み出している。帽子は穏やかに掃き掛けて先小丸に返る。拡大写真をご覧いただきたい。微妙に質の異なる鋼を鍛え合わせた結果は、焼き入れを施すことによって、質のちがいが鮮明になる。沸の付き方が異なり、映りも出たり出なかったり。これらが複合されると、意図を超えた景色となって浮かび上がってくる。

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