日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 藤島友重 Tomoshige Tanto

2017-08-31 | その他
短刀 藤島友重


短刀 藤島友重應永二年

 応永二年の短刀で、横手筋のない菖蒲造。この工も地方鍛冶と低く評価されがちだ。でも、優れた技量を持つので、以前にも紹介したかもしれないが、その魅力をほんの少しだが眺めてみる。初代は来國俊の門人であったという伝説があるも、どうだろうか。確かに、良く見る友重の作とは異なる微塵に詰んだ小板目鍛えの出来があることから、伝承が生まれた理由や背景が想像され、友重の高い技術を思い知らされることとなる。この短刀が良い例。微塵に詰んだ小板目鍛えの地鉄は山城古作にも通じるだろう。刃文は頭の高さが揃った互の目出来。小互の目に尖刃、矢筈刃、角がかった刃が交じり、かなり複雑な様相。刃境には小沸が付いてほつれ掛かり、刃中に足が入り、沸が流れ掛かる。菖蒲造の断面は菱型に鎬が立って頑丈な印象ながら、切先鋭く刺突の用途が明瞭。帽子が長く返っていることから、後の両刃造へとつながる造り込みとも考えられる。

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槍 孫六兼元 Magoroku-Kanemoto Yari

2017-08-30 | その他
槍 孫六兼元

  
槍 兼元

 孫六兼元の平三角直槍。兼元同銘は多くみられるも、確かな孫六銘は少ない。孫六と同時代に、門人あるいは協力工として複数の兼元が活躍していたことを想像させる。時代背景を考えれば当然のことで、一人の兼元だけでは注文に応じられないだろう。孫六兼元の銘とそっくりの銘が刻された作が多々あるも、よく観察すれば違いは判断できる。だが、時代がほぼ同じであれば地鉄や刃文はそっくり同じようなものができる。当然だ。
孫六に関しては今回の問題ではない。この孫六兼元の槍が、ちょっと面白いのである。穂身のなかほどから下には焼き入れが施されていないのである。穂先から三寸ほどの刃と鎬にのみ焼がある。下半は何らかの理由で焼が戻ったのかというと、そうではなく、左右綺麗に揃っており自然な焼出しとなっている。元来の生ぶの焼き入れとみて間違いない。なぜこのような焼が施されたのであろうか。この点が面白いと感じたのである。□100
 
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刀 延寿 Enju Katana

2017-08-29 | 
刀 延寿


刀 延寿

 南北朝時代の延寿と極められた刀。元来は二尺七寸以上の大太刀であったもの。山城古伝の小板目鍛えを基調に、小杢を交え細かな地景が交じって所々肌立つ。刃文は沸に匂を交えた端正な直刃調子の浅い湾れ刃で、刃境が細やかにほつれている。帽子は掃き掛けを伴い、わずかに二重刃に感じられるところもある。
筆写以外にも、地方鍛冶を低く評価することに疑問を持っておられる方も多いようだ。地方の特徴を理解することが目的であるにもかかわらず、本国に比較して一格落ちるだとか、品位が下がるなどとは、何の説明にもなっていないことが良く判るであろう。


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太刀 國資 Kunisuke Tachi

2017-08-26 | 太刀
太刀 國資


太刀 國資

 鎌倉後期の延寿國資在銘の太刀。國資は國村の子と伝えられている。姿は山城伝の鳥居反りで、とても綺麗だ。地鉄も頗る綺麗な小板目肌で、山城伝が強く現れている。銘を見なければ山城本国に間違えそうな風合い。刃文も互の目が穏やかに連続しているのだが、所々互の目のわずかに高く配されているところがるのと、所々に湯走り状に二重刃のような焼を伴っている。帽子は調子を同じくしてわずかに乱れ込んでいる。微塵に詰んだ小板目肌に繊細な地景によって現れた杢肌や板目肌も美しく、本国の國俊や國光に紛れそうな出来だ。


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短刀 延寿 Enju Tanto

2017-08-25 | 短刀
短刀 延寿


短刀 延寿

 九州鍛冶というと、山城國来派の流れの延寿鍛冶を忘れることができない。延寿派は國村が初祖とされている。来風に良く詰んだ小板目肌に板目が交じって総体に白っぽい映りが立っており、これによって白けるなどと表現され、その動きのある景色と地相は変化に富んでいて面白いと思う。ところが、どこの先生が評価し始めたせいか、「なんだ延寿か」「なんだ九州物か」という発言を聞くことがある。明言して間違いない、延寿の地鉄は頗る美しい。しかも変化に富んでいる。この面白さを感じ取れず、先人の言うことを鵜呑みに低い評価を加えるなどもってのほか。もっと高い評価を与えてよいと思う。とにかく変化のある地鉄に心が奪われるのだ。この短刀は、無銘で鎌倉後期の延寿と極められた作。先の説明の通りに、しようと研磨によって肌立つところがあるも、綺麗な地鉄だ。刃文は細直刃。刃境が細やかにほつれている。
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薙刀直し刀 左弘安 Hiroyasu Katana

2017-08-22 | 
薙刀直し刀 左弘安

 
刀 左弘安

 二尺四寸以上の大薙刀を刀に仕立て直した作。左弘安と極められている。南北朝時代中期らしいたっぷりとした造り込み。適度な柄が備わっていたらと想像すると、戦場での迫力と凄みは尋常ではなかろうと思う。最強の武器であったろう。江戸時代には、先に紹介した大磨上の脇差と共に大小とされていた、などと想像すると面白い。地鉄は杢目まじりの板目肌で、縮緬状に大きく揺れて激しさが感じられる。刃文は互の目が顕著で、所々に尖刃が交じる。刃中はほつれ、砂流し沸筋が入り、相州伝の色合いを強く示している。帽子に左文字伝が窺える。


 
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脇差 左弘行 Hiroyuki Wakizashi

2017-08-21 | 脇差
脇差 左弘行


脇差 左弘行

左弘行の、大磨上無銘。先幅がたっぷりとしているところから、かなり大胆な磨り上げが為されたものとびっくりする。一尺六寸弱だから、江戸時代に大小にすべく仕立て直したものだろう。それが可能な地位にあった武士のしたこと。豪快で健全な太刀をこの姿にしてしまったのだ。地鉄は柾目調子が強く現れた板目肌で、地景が顕著に肌立つ風がある。地沸が付いて地景が一際目立つ。刃文は直刃。刃境は肌目が強く目立つほどにはほつれが掛からない。頗る温和な刃中の様子であり、姿から想像すると相州振りが強く示されているのではないかとの思い込みから、ここでもびっくりだ。
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脇差 左吉貞 Yoshisada Wakizashi

2017-08-17 | 脇差
脇差 左吉貞


脇差 左吉貞

 吉貞は左文字の子と伝える一人。この脇差は、一尺五厘。わずかに先反りが付いた平造。地鉄が綺麗だ。杢を交えた板目肌が良く詰んで地沸で覆われ、肌目には大胆な動きが感じられ、しかも清浄感に溢れている。刃文は湾れ調子で、沸深く刃境のほつれが茫々と働き、その中に金線などが窺える。帽子もほつれが交じり、先端は揺れて尖り返る。左文字風だ。極上の相州伝である。
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刀 左安吉 Yasuyoshi Katana

2017-08-08 | 
刀 左安吉


刀 左安吉

 南北朝中期の左文字一門の作。即ち末左と呼ばれる一群。その安吉と極められたもの。安吉は左文字の子と伝えられている。このように左文字の子や弟子、ちょっと時代が降って孫弟子の辺りまでの、左の特徴を伝えている作品を末左と呼んでいる。決して室町時代まで下った左の末流というわけではない。末左とは南北朝時代の作である。元先の身幅が広く、大鋒。揺れるような杢目を交えた板目鍛えの地鉄は、地景によって綺麗に肌立ち、地沸が絡んで冴え冴えとしている。刃文は互の目を交えた湾れ刃で、匂が主調に、小沸が付いて、ここも冴えている。左文字が相州振りを強くしたのに対し、その影響を受けながらも、互の目や小互の目、丁子などが顕著となっている。
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短刀 左 Sa Tanto

2017-08-07 | 短刀
短刀 左

 
短刀 左

 鎌倉時代後期の筑前鍛冶で、父祖より受け継いだ九州古伝に相州伝を加味して新たな作風へと飛躍したのが左文字である。太刀で在銘作は国宝一口のみ。多くは小ぶりな短刀に銘が遺されているのみ。この短刀は、九州古伝の風合いがいまだに強く遺されている作で、相州伝を受け入れる前、あるいは相州振りを強めてゆく過程にある頃の作と考えられている。刃長九寸は左文字としてはかなり長め。地鉄が備えている働きは一様ではない。とにかくすごい。思わず涙してしまいそうな感動を覚える作だ。綺麗な杢を交えた板目鍛えの地鉄は、全面に細やかな地沸が付き、刃に沿って深く澄んだ暗帯部を伴う映りが立ち、下半は穏やかにグラデーションが付き、中ほどから乱れ映りとなり、刃寄りには強く輝く映りの端部があって、これが二重刃のように冴えて見える。地中には映りと重なるように地斑というべきか言い尽くせない働きもあり、これらが複式に重なり合って複雑な景色を生み出しているのである。左文字というと、相州伝鍛冶の代表格とされているが、このような古風な作品を遺している点から、左文字の相州伝のみを求めるのではなく、幅広く左文字の作風を捉え、その魅力を楽しみたい。刃文は細い直刃調の湾れで、刃中には無駄な景色を求めず、刃境にほつれなどの繊細な働きを示している。拡大写真がちょっとぴんぼけ。ご容赦願いたい。

  
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短刀

2017-08-05 | 短刀
短刀

この短刀は誰の作か判るだろうか。茎の形でわかるかもしれない。刃長は九寸。


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短刀 長州住顕国 Akikuni Tanto

2017-08-04 | 短刀
短刀 長州住顕国


短刀 長州住顕国

 永享頃の顕国。応永と永享の間には正長が一年挟まれているだけだから、応永と永享は連続していると考えてよい。ほぼ同じ文化が背景にある。この短刀は、寸法が九寸八分。現代の分類だから短刀にしているが、造り込みは身幅が広く先反りがついており、先に紹介した一尺三寸強の脇差とは同じ目的で使用されていたものと思われる。寸法のみで分類していると、本来の意味が分からなくなるのではないだろうか。脇差というと江戸時代の大小の小刀をまず思い浮かべる。その印象そのままに戦国時代から室町時代、南北朝時代へと遡ることはできない。このような平造の小脇差は、江戸時代の大小の脇指とは全く異なるのだ。また、度々説明しているように一尺九寸前後の脇差も違う。一尺から二尺の間には、単に「脇差」という単一の言葉では説明しきれない様々な造り込みや使用の違いがある。呼称を工夫しても良いのではなかろうか。さてこの短刀は、大きく揺れるような板目が地景で際立ち、良く詰んで潤い感があり、刃文は浅い直刃調子の湾れ刃。刃中はほつれ、金線、砂流しが働き、二重刃風のところも顕著。
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脇差 長州住顕国 Akikuni Wakizashi

2017-08-02 | 脇差
脇差 長州住顕国


脇差 長州住顕国

 一尺三寸半の平造脇差。顕国は左文字の流れの刀工で、南北朝末期から応永頃が活躍期。造り込みは、応永頃に多くみられる平造。板目鍛えの地鉄は地景を交えて強く肌立ち、杢と刃寄りに柾肌を交え、これが刃中の働きの要素となる。刃文は細直刃調でごく浅く湾れる。刃中には地鉄に応じてほつれ、金線、砂流し、喰い違い、沸筋が働く。左文字の流れとは言うも、造り込みも刃文も左文字風ではない。大和風のところが感じられよう。帽子にのみ揺れて返る左風が窺いとれるかな。

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太刀 國分寺助國 Sukekuni Tachi

2017-08-01 | その他
太刀 國分寺助國


太刀 國分寺助國

 ちょっと面白い存在が、備後国の古鍛冶助國である。大和鍛冶との関連が強く考えられる三原派に先行して備後国で活躍した鍛冶である。時代は鎌倉中期から後期。この太刀は、磨り上げられて「備州」と「正中」のみ遺されている状態だが、「備州國分寺住人助國作元徳元年十一月日」の銘が刻された作と銘振りや造り込みなど作風が全く同じであることから、同工の作と鑑て間違いない。寸法は二尺三寸、反り五分半。板目鍛えと微塵に詰んだ小板目肌が交じり合って濃淡変化に富んだ映りが顕著に現れた地鉄には、古く備前刀工と言われていた国分寺助國が、備前鍛冶とは異なる性格を備えていることが良く判る。刃文は直刃に浅い湾れ交じり。刃縁に細やかなほつれが掛かり、逆足を切る様に刃中には金線沸筋が流れる。焼刃から映りに向かって足のような働きが生じており、これも見どころ。□




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