日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 相模守政常 Masatsune Tanto

2020-07-17 | 短刀
日本刀買取専門サイト 銀座長州屋


短刀 相模守政常


短刀 相模守政常

 江戸時代初期慶長頃の政常は、戦国時代に美濃で栄えた兼常の末流。技術力高く、尾張に移住して、やはり栄えている。地鉄は均質に詰んだ小板目肌。時代の上がる美濃物というと孫六兼元のように板目や柾流れの肌が強く、時に鍛え疵となって現れるものが多いのだが、和泉守兼定に例があるように、小板目鍛えが均質に詰んだ地鉄も製作されるようになっている。その影響は江戸時代に及んでいる。美濃刀が優れていると言われているのも、実はこのようなところにも理由がある。刃文は湾れ。わずかに逆がかる穏やかな互の目が連続して、次第に高まってゆくように感じられるところがある。この辺りは濤瀾乱の原型ではないかとさえ感じてしまう。




近頃再び刀剣関連の記事を特集する雑誌が増えています。
その協力依頼も増えており、このブログもしばらく、間遠くなりそうです。
ご容赦ください。


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短刀 貞晴 Sadaharu Tanto

2019-11-12 | 短刀
短刀 貞晴

 
短刀 貞晴

 明治初期の貞晴は月山貞一の一門。この短刀も、六寸半ほどの小振りに仕立てられている。奇麗な銀地揃金具クジラ巻の短刀拵に収められており、武家の装いに応じた洒落た雰囲気があるも、抜き易さと堅牢性を求めた極めて実用的な作であることが判る。小板目鍛えの地鉄は良く詰んでおり、刃寄りに柾目肌が現れて流れるような景色が、焼刃によって現れている。刃文は直刃に浅い小互の目を交えた構成で、刃中砂流しが現れ、帽子も掃き掛けを伴っている。


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短刀 保昌 Hosho Tanto

2019-11-06 | 短刀
短刀 保昌


短刀 保昌

 無銘、しかも室町初期まで時代の下がる保昌。だが、保昌の特徴は良く表れている。純粋な柾目鍛え。柾目の合間を埋める部分も細かな柾目で、下から上までわずかに揺れながら連続している。先端部が鋒に収束しているように感じられる。古作は棟側に流れるようになるところが異なる。


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短刀 正勝 Masakatsu Tanto

2019-11-05 | 短刀
短刀 正勝


短刀 正勝

 度々紹介している、幕末から明治初期の冠落造の短刀。江戸時代が終わってもいい刀が作られているぞ、という気分で作品を紹介している。刃長は七寸五分ほど。小振りに引き締まっていながらも頑強な印象がある。正勝の年紀作は明治三年頃までで、以降は年紀のないものがある。この短刀は大きく慶応頃とみている。正勝は徳勝の弟子で、師譲りの柾目鍛えを得意とした。柾目鍛えというと、同時代では清人が名品を遺しており、江戸初期には仙台國包があり、その祖先と伝える保昌が始まりとも云われている。この短刀は、緻密に詰んだ柾目。焼刃に沿って沸が働くために肌目が顕著になるが、地中では小板目風に良く詰んで肌目が判らない。再び棟焼きによって柾の肌目が際立つ。総体に密な柾目肌である。刃文は穏やかな湾れを伴う直刃。

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短刀 兼虎 Kanetora Tanto

2019-10-31 | 短刀
短刀 兼虎


短刀 兼虎 明治二年

 明治に入ってからの、近代の作品を紹介している。兼虎は、清麿の兄真雄の子。父及び清麿に作刀を学んでいる。この短刀の作風は、真雄や清麿のような肌目を際立たせたものではなく、むしろ微塵に詰んだ小板目肌に、沸の広がりを強く意識した、同時代では左行秀のような沸深い作風である。姿格好は、鎬を立てて棟を削いだ、菖蒲造に似た構造で、寸法は隠し持ち易さを追求したのであろう七寸と小振り。この時代感を良く示している。


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短刀 細川正守 Masamori Tanto

2019-10-30 | 短刀
短刀 細川正守


短刀 細川正守 明治三年

 正守は水心子正秀の高弟、細川正義の子。備前伝の刀工である。この短刀は寸法が八寸強。刀身中程から棟が削がれて鋒に抜ける冠落造は、武器としては頗る考えられた構造である。腰元の重ねを厚くして頑強さを落とすことなく、樋を掻いて重量を軽減して所持しやすさを突き詰めている。棟を削ぐのも重量の軽減があるのだが、同時に刺突の抵抗を減らす効果があり、斬った際の抵抗も少なくなる。小振りに仕立てられていることから、懐にも隠し持ちやすく、廃刀令以降にも流行しているのではないだろうか、間々見かける。小板目鍛えの地鉄は良く詰んでおり、刃文は匂に小沸を交えた小互の目丁子。


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短刀 宮本包則 Kanenori Tanto

2019-10-23 | 短刀
短刀 宮本包則


短刀 宮本包則 明治二十六年

 宮本包則も帝室技芸員を拝命した名工の一人。伯耆国の出で、備前祐包から技術を学び、備前古伝の他、美濃風の作、相州伝なども手掛けているように作域が広い。この短刀は相州伝の影響を受けた則重を手本としたもの。近代的な面から洗練味がある一方で、激しい柾目交じりの板目鍛えが、まさに古作を見るようだ。水心子正秀の提唱で知られる復古意識は備前伝にとどまらない。相州伝もまた好まれて多くの刀工が試みている。地鉄を強く意識した製作方法は、一方で鍛え疵の発生につながるが、そこは高い技術でカバーしている。鮮明な地景が縦横に走る様子はこの短刀の生命になっている。刃文もまた沸が強く、互の目の形状が判然としない、相州古伝のままである。□




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短刀 逸見義隆 Yoshitaka Tanto

2019-10-18 | 短刀
短刀 逸見義隆


短刀 逸見義隆 明治四年

 月山貞一と並び彫刻の名手としても知られる逸見義隆は、備前刀工の掉尾を飾る一人。古作の再現というよりむしろ新趣を突き詰めたところがあり、美しい地鉄は祐永などと葉異なって肌目が奇麗に起つ小板目鍛え。六寸九分強のこの短刀も、流れ肌を交えた美しい小板目肌に微塵の地沸がついて明るく、刃文は互の目に浅い湾れを交えた構成で焼き深く沸深く、鮮やかに輝き、剣巻龍の彫刻は草の意匠ながら濃密でこれも美しい。意外に逸見義隆を知らない人が多い。超が二つ付くくらいに有名になった清麿などの陰に隠れるような存在だが、同時代には頗る高い人気があった名工である。□




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短刀 月山俊吉 Gassan Tanto

2019-10-17 | 短刀
短刀 月山俊吉


短刀 月山俊吉

 近代の月山の作風を確認するため、室町時代の月山の作を改めて眺めてみる。
 室町時代後期大永二年紀のある、資料的価値の高い月山俊吉の作。北寒河江谷池の地名迄刻されている。古い月山の肌目を鑑賞されたい。次の月山銘の短刀も室町後期の作。いずれも古調な綾杉鍛に細い直刃の、いかにも切れそうな武具といった印象。そもそも、舞草や寶壽などを含めた奥羽の刀は、質の異なる地鉄を組み合わせて強靭な地鉄を求めたようだ。それが故に肌起つ。しかも波打つような刃だが刃先に現れて切れ味を高める。西で発達した刀造りとは根本的に異なる。刃文もあまり深くならないように直刃仕立てが多いのも、折損を防止する工夫であろう。


短刀 月山
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短刀 月山貞一 Sadakazu Tanto

2019-10-10 | 短刀
 しばらく刀装具ばかり紹介していましたが、また少しずつ御刀も紹介してゆきます。

 廃刀令以降、多くの刀匠は鎚をおいた。金属加工という他の技術に応用していった職人がある。もちろん刀物造りの技術を他の刃物へ、中には手術用のメスなどの製作へと進化させた工もある。廃刀令と、諸外国からの先進技術の流入は、多くの人に刀を古臭い時代遅れの武器として認識させたに違いない。だが、廃刀令とはいえ、刀造りをやめれば技術はそこで途絶えてしまう。いまでこそ、伝統技術を守ろうという意識が強くあるも、廃刀令の当時はどうだったのだろうか。
 伊勢神宮には二十年に一度式年遷宮があり、様々な道具を、その時代に活躍している最高の技術者が製作して納める慣わしがある。明治以降では、明治二、同二十二、四十二、昭和四、二十八、四十八、平成五、二十五年に行われている。伊勢神宮以外にも、京都の上賀茂神社では二十一年ごとに、春日大社では二十年に一度の式年造替が、伊勢神宮の場合と同様に行われている。


短刀 貞一 明治三年

 月山家は明治以降を生き抜き、貞吉‐貞一(雲龍子)‐貞勝‐貞一(太阿)‐貞利と、現代まで確たる存在感を示している名流である。雲龍子貞一は先代貞吉の実子ではなく、出羽月山鍛冶の末流で大阪に出た貞吉に技量が認められて養子に迎えられた工。月山古伝の綾杉鍛をより美しいものとして完成させ、さらに彫刻にも優れて月山家の知名度と人気を高めた。後に帝室技芸員に任命される。
 この短刀の柾流れの地鉄鍛えは綾杉鍛えによるものであることは明瞭。微妙に質の異なる鋼によって美しく綾状に流れる様子、刃中の働きも肌目に沿って生じていることが良く判る。月山貞一の魅力はここに極まると言って良いだろう。






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短刀 肥後大掾貞國 Sadakuni Tanto

2018-09-27 | 短刀
短刀 肥後大掾貞國


短刀 肥後大掾貞國

 慶長頃の越前刀工。刃長九寸五分、無反り、元幅九分三厘、重ね二分三厘、幅の広い樋を掻いている。がっちりとした造り込みの短刀。鎬の位置が樋の脇にあるため、かなり焼刃に迫っている、即ち切刃造に似ている。地鉄は小板目肌に細かな板目肌が交じり、越前刀工らしくザングリと肌立ち、いかにも切れそうで凄みがある。刃文は浅い湾れが小模様に乱れる感じ。肌目に沿って細かなほつれが掛かり、大仰な刃文ではないものの迫力がある。


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短刀 平安城住國路 Kunimichi Tanto

2018-09-25 | 短刀
短刀 平安城住國路


短刀 平安城住國路

 出羽大掾國路の初期、慶長十六年の作。一尺三分、反りは僅少、元幅九分六厘。脇差としては短めの造り込みで、反りが抑えられている点から寸伸び短刀というべきであろう。即ち短刀も長めに仕立てられている時代の典型。國路は國廣の門人だが、積極的に三品派と交流したと思われる点が、作風に現れている。それが、地鉄鍛えと焼刃構成である。この短刀では、地鉄は板目肌に流れ肌を交えて精良に詰んでいる様子が判る。刃文は湾れに互の目を交えた相州古作写し。帽子が特徴的で、美濃風に湾れ込んで掃き掛けを伴って返る。江戸初期の特徴的作の一つ。


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短刀 備中國守次 Moritsugu Tanto

2018-08-06 | 短刀
短刀 備中國守次


短刀 備中國守次 延文二年

 この短刀も極上質の地鉄が魅力の作。九寸一分強、重ねは薄め、菖蒲造とされている点が珍しく、特別の注文作であることが判る。縮緬肌とされた地鉄は、板目に杢目が複合され躍動感に溢れているもので、細やかな地沸と変幻に乱れた映りが働き掛かり、鋼がなぜにここまで美しくなれるのか、深く考えさせられる出来。高位の武家の注文により、良い鋼を選別し、丁寧に鍛えた結果がこの短刀である。もちろん刃文は穏やかな直刃。青江には、さらにいうなら守次には穏やかな直刃と、その真反対と言い得る火炎状の逆丁子出来の二手がある。頗る高い技術を保持した守次の傑作のひとつであると思う。□


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短刀 備中貞次 元弘三年 Sadatsugu Tanto

2018-08-03 | 短刀
短刀 備中貞次 元弘三年


短刀 備中貞次 元弘三年

 極上質の地鉄鍛えとされた青江貞次の短刀。比較的身幅が広く、重ねは薄めで、南北朝時代の特質が良く現れている。表裏違えた樋を掻き流しているのもこの時代にままみられる特徴。揺れるような板目肌は縮緬肌とも呼ばれ、なめらかな綾織物のようにも感じられる。微細な地沸が付いていると共に、淡く乱れて映りが加わり、刃先に向かって乱れ掛かり、刃寄りに溶け込んでゆくような自然な景色が魅力。刃文は細直刃。刃境がほつれ、小足状の穏やかな働きが窺える。


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短刀 備中國右衛門尉平吉次 Yoshitsugu Tanto

2018-07-26 | 短刀
短刀 備中國右衛門尉平吉次


短刀 備中國右衛門尉平吉次作 嘉暦三年

 刃長七寸九分、内反り、振袖茎に仕立てられた、鎌倉後期の一典型的姿格好の短刀。青江吉次の作。揺れるような板目肌と、微塵に詰んだ小板目肌が交じり合い、地沸が付き、板目が肌立つ風がある美しい肌合いとなっている。この種類の短刀は、武具というより武家が最後の守りとして備えていた品位の高い精神性に通じていたもの。刃文は細直刃。腰刃を深く焼いている点が見どころ。強くは乱れずに鼠足が入り、帽子はわずかに掃き掛けを伴い、先小丸に返る。




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