日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 銘 於東都加藤綱英 Tsunahide Katana

2012-01-31 | 
刀 銘 於東都加藤綱英

 
刀 銘 於東都加藤綱英造之

 

 綱英は國秀の子。やはり水心子正秀に学んでおり、大互の目や濤瀾乱刃を得意とした。濤瀾乱風に刃採りしているも、國秀のそれに比較して穏やか。焼の出入りも焼頭の丸みもなだらか。地鉄は密に詰んだ小板目肌で、処々に板目が交じり、これが刃中において金線と沸筋になって現われている。刃先に向かって広がる沸が処々渦巻くように見えるのがそれ。また、刃中の沸の粒が綺麗に揃って明るく冴えており、玉焼刃や互の目の頭が綺麗な円を成しているのも大きな魅力。

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脇差 加藤國秀 Kunihide Wakizashi

2012-01-19 | 脇差
脇差 加藤國秀

 
脇差 於東都加藤國秀造之



 寄せ来る波と返る波、それがぶつかり合って波間に乱れた谷をつくる。そんな刃文構成。大小に変化のある大互の目を連続させ、焼頭は円形に、地に水飛沫として玉刃を焼き施している。綺麗な刃文構成であり、この時代の江戸人の好みが良く理解できよう。この美しさでありながら良く斬れるのである。美しいからと言って本来の機能を失ってはいないのである。地鉄は均一に詰んだ小板目肌に微細な地沸が付き、刃中の沸も刃先に迫るほどに深く濃い。
 國秀は水心子正秀の門人。作品の多くが大互の目か濤瀾乱刃である。

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平造脇差 銘 畠山大和介源正光 Masamitsu  Wakizashi

2012-01-16 | 脇差
脇差 正光


平造脇差 銘 畠山大和介源正光 天保十三年秋


 備前国より播磨国に出、助隆門人の安儔に作刀を学ぶ。後に江戸に上り水心子正秀にも師事している。正秀もまた助廣伝濤瀾乱や大互の目を焼いていることから、この正光がもとめたところは助廣に違いなく、作品も丸い玉を焼いた大互の目や濤瀾乱を見ることが多い。この脇差は二尺二寸強の、南北朝時代の腰刀を手本としたもの。先反り付いて姿に緊張感が溢れている。地鉄は小板目肌が良く詰むも、細かな地景が入り、肌が立ちごころに、ここにも強みが感じられる。見どころは地中だけでなく刃中にも焼かれた大きめな玉。互の目の頭が丸みを帯びて玉となり、物打の飛焼も玉刃。沸の粒子が揃って明るく冴える。

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脇差 水心子正秀 Masahide Wakizashi

2012-01-13 | 脇差
脇差 水心子正秀

 
脇差 川辺儀八郎藤原正秀寛政元年

 水心子正秀の大互の目出来の脇差。焼が深く明るい沸が深く刃先まで広がっていることから、互の目の刃形は良くわからない。このような沸の深さは、正秀が手本とした大坂新刀期の助廣や真改に通じるところがある。地鉄は大坂新刀に比較してより詰んでおり、無地風になる点が特徴。この写真では地沸の様子が鮮明ではないが、地には全面に細かな地沸が付き、刃中には鍛え目に沿って細かな沸の流れる様子が、砂流しほどではないが観察される。地の細かに詰んでいる故であろう。正秀は江戸の刀工として助廣伝濤瀾乱刃やこのような大互の目を焼いているが、後年には鎌倉時代の備前物を手本とした互の目丁子出来を専らとするようになる。古作への復古意識である。

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脇差 尾崎長門守助隆 Suketaka Wakizashi

2012-01-12 | 脇差
脇差 尾崎助隆


脇差 銘 尾崎長門守藤原朝臣助隆


 播磨の出身と伝える助隆は、江戸中期、即ち新々刀期初頭の刀工。津田助廣伝の濤瀾乱を得意とし、時代背景から殊によく詰んだ小板目鍛えの地鉄に沸の揃った綺麗な刃文を焼き、大坂において繁盛した。
 この脇差の造込は、大坂の豪商のもとめであろうか、がっしりとして寸法長く、身幅広く先幅もひろく、鋒伸びごころ、反りを控えて骨太な感がある。地鉄は密で、時代的な特徴が顕著。元と先から互の目が寄せ来るような刃文構成の濤瀾乱で、ちょうど中ほどで波がぶつかり合っているのが良くわかる。沸匂明るく冴え冴えとし、その調合は見事。匂にくるまれた沸の粒が一段黒く沈んで冴え、これが鍛え目に沿って刃中を流れ、砂流しほどにはっきりとはしないが明らかに微細な沸の流れが感じられる。とにかく美しい。

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脇差 手柄山氏繁 Uzishige Wakizashi

2012-01-10 | 脇差
脇差 手柄山氏繁


脇差 銘 手柄山氏(以下切)氏繁於攝津作之



 江戸時代中期の氏繁は、姫路から摂津に移住し、手柄山の麓において鍛刀したことから、銘には「手柄山住」と添えるを常としている。後に正繁と改銘し、仕えた松平定信に従って江戸に居住し、神田に鍛刀場を持つ。この氏繁(正繁)もまた大互の目や濤瀾乱刃を焼いたことで人気が高く、大坂新刀独特の良く詰んだ小板目肌と地沸の妙味ある調合の地鉄造りを基礎としている。
 この脇差はまだ若き頃の作と推測されるも、草書銘に切っており、独創の感が強く、磨り上げながら総体に貫禄が漂っている。造り込みは肉厚く身幅広くどっしりとしており、詰んだ地鉄に地沸が厚く付き、大きくゆったりと乱れた焼刃からこぼれ落ちるような沸の粒が観察できる。この冴えた地沸が魅力である。
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脇差 摂津守源忠行 Tadayuki Wakizashi

2012-01-10 | 脇差
脇差 銘 摂津守源忠行




 初代摂津守忠行(ただゆき)は初代粟田口近江守忠綱の弟。この脇差は二代忠行で、初代忠綱の甥に当たり、大坂に栄えた忠綱の協力刀工として有力な片腕の立場であった。それが故に良業物に指定されてはいるものの、自身銘は比較的少ない。この脇差は、大坂に流行していた大互の目の刃文を手本としたもの。地鉄はこの時代の大坂物の特質でもある小板目鍛えが良く詰んでいるが、細かな地景が入って肌立つ感があり、鎬地に柾目が強く現われている。粒の揃った沸の深い焼刃は、互の目に小互の目を交えて刃中に淡い砂流しが流れる。


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