日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 米沢住義英 Yoshihide Katana

2016-02-20 | 
刀 米沢住義英


刀 羽州米沢住義英天保八年九月日

 義英の平造の刀である。この造り込みは南北朝時代に造られ、戦国期にわずかにあるも、以降はあまり製作されていない、とても珍しい作風。鎬筋がないことから刃の通り抜けが頗る良く、革の鎧などの切断に適したようだ。南北朝時代の兼光に同様の平造刀がある。兼光は備前長舩の正系であるが、時代の特徴として相州伝の作風を採り入れて成功した一人である。もちろん兼光が活躍した時代は全国的に相州伝が隆盛していた。中でも兼光は斬れ味最上大業物作者に指定されるほどに切れ味に優れ、戦国時代には多くの斬れ味伝説を遺している。そのなかの一つ、越後の上杉謙信、上杉景勝両武将が好んで蒐集した一口が、刀身に剣の彫物がある平造の刀。それが上杉家にずっと伝わった「水神切兼光」である。米沢藩に仕えていたこの義英は、おそらく兼光のその平造を見る機会があった。そしてそれを手本に同じ姿格好でほぼ同寸の平造刀を製作した。これがそうだ。刃文は異なる。本歌はもっと穏やかな湾れ互の目。この義英の刃文は相州古伝の皆焼刃である。
 刃長二尺二寸八分強、反り深く七分九厘、元幅広く一寸九厘。彫刻は簡素な腰樋のみ。板目鍛えの地鉄は焼が強いが故に肌立つ気配があり、これに地沸が厚く付いて鮮やか。この地沸が叢になり、強くなった部分が飛焼。虫食いのように部分的に抜けているようにも見えるが、焼が強まっているため黒く澄んで見える。研ぎよる見え方の違いだ。皆焼の魅力はここにある。相州鍛冶の創案であり、南北朝時代以降、多くの刀工がこれを採り入れた。相州鍛冶はもちろんだが、戦国時代の祐定や勝光もこの刃文を焼いている。相州伝の一つとして捉えておきたい。

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刀 加藤綱英 Tsunahide Katana

2016-02-17 | 
刀 加藤綱英


刀 於東都加藤綱英造之文化十二年二月吉日

 綱英は、先に紹介した國秀の子。父に学んだ濤瀾乱刃を得意とした。刃文構成は、注文主の要望により、時には玉刃を焼き加えたり、この刀のように刃中所々の焼頭のみ丸みを持たせて玉のように焼いた例もある。小さな互の目から次第に大きな互の目へと連続している様子だけでは純粋な濤瀾乱とは言えないが、大波の寄せる風を感じさせる大らかな構成だ。物打辺りの刃中の玉は波間に顔を出した朝日と捉えるべきであろう。相州古伝に玉刃の霊力を意識した例がある。やはり沸の美観を強く意識している。沸粒は綺麗に揃い、鍛え肌の流れによって刃中にほつれと砂流し、一部に金線が現れている。



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脇差 加藤國秀 Kunihide Wakizashi

2016-02-15 | 脇差
脇差 加藤國秀


脇差 於東都加藤國秀造之文化九年二月日

 江戸時代における相州伝は、鎌倉時代に創案された相州本国物とはだいぶ異なる方向を目指すこととなったようだ。沸の美しさを極め、沸の美しさを如何に表現するかという点で刃文構成に独創性が求められた。三品吉道は沸筋を進化させた。異なる方向で沸筋を強く意識したのが薩摩刀工群。互の目の形状をより創造的な文様美としたのが助廣であり、その濤瀾乱刃が発表されたことによる世の刀工群の驚きや感動は計り知れない。それ故にその後の多くの刀工が助廣を手本とした。水心子正秀もその一人であった。この加藤國秀も正秀に学んで大互の目乱や濤瀾乱を得意とした。
 刃長一尺六寸強のこの脇差は、元来が式正の大小揃いであった。身幅たっぷりとし、重ねはごくごく普通の仕立てで、大小を腰に帯びても重すぎない、扱い易さに重点が置かれている。地鉄は均質に詰んだ小板目肌に細かな地沸が付いてしっとりとした潤い感がある。良く潤い感があるなどと表現するが、決して湿っていたり濡れているわけではないのだが、なんとなく鉄ではないような質感があるところからの表現。刃文は濤瀾乱を想わせる大互の目で、波が押し合うような構成。波飛沫を想わせる玉刃が、刃文を離れて刃中に点在すると共に、焼頭の丸みも所々刃中の玉となり、図柄構成としてはそれらが連続しているようにも感じられる。この沸の粒子は綺麗に揃っており、白く冴え、地鉄の上に浮かび上がっているように見える。刃中に広がる沸の粒子は、絵筆で描いたようなくっきりとしたものではなく、刃先に近づくに従って刃中に溶け込んでいるかのように淡い。もちろん沸出来とは言え、匂を伴っていることから鮮やかさも際立っている。




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脇差 水心子正秀 Masahide Wakizashi

2016-02-13 | 脇差
脇差 水心子正秀

 
脇差 水心子正秀文化三年八月日

 江戸時代の相州伝を紹介している。水心子正秀が新々刀の初祖であるとの評価は、多くの著書を以て自らの研究を開示し、以降の多くの門人を育て、多くの刀工の指標となったからに他ならない。自らも、奥州國包に学び、下原鍛冶に学び、相州鍛冶に学ぶなど研究熱心であった。晩年は備前伝を追求したが、若い頃は相州刀に強く惹かれていたのであろう、江戸前期の大坂刀工越前守助廣を手本とした濤瀾乱や大互の目乱刃を焼き、前回紹介した相州古作写しもやっている。この脇差が大互の目出来。文化三年は正秀が五十七歳。文政八年に七十六歳で没している。この脇差は一尺五寸半ほどだから、元来は式正の大小揃いであったと思われる。バランスの良い造り込み。地鉄は密に詰んだ小板目肌が地沸で覆われ、焼刃から飛び散ったような沸が所々に広がって飛焼となっている。もちろん見どころは明るい沸による出入りの激し互の目乱刃。二つ三つ並んだ互の目の頭が左右に開いて耳形になるのも相州物にみられる特徴。刃境から地中に湯走り状に沸が広がり、あるいは飛焼となり、沸を強く意識した刃文構成とされている。濤瀾乱刃ではこれが丸い玉と呼ばれる刃文だが、ここでは自然味のある焼刃としている。沸の迫力が魅力の作である。



 
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