日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

一文字に紛れるような石堂派の魅力

2024-04-13 | その他
石堂派の丁子乱刃・・・江戸時代の華やかな丁子乱刃

 江戸時代を通して、最も備前一文字や鎌倉時代の長船鍛冶に近い刃文を焼いたのが石堂鍛冶であろう。石堂派は戦国時代の近江に栄えたことから近江石堂の呼称があり、「新刀期の石堂派を名乗る刀工として、石堂是一、日置光平、対馬守常光等の江戸石堂、土佐将監為康等の紀州石堂、福岡是次、守次等の福岡石堂などがある」と『日本刀大百科事典』に記されているように、各地に移住して江戸時代に活躍している。
一文字、あるいは長舩というと、本国の備前刀工に目を向けなければならない。江戸時代の備前鍛冶、長舩祐定系の刀工の作風は、江戸時代に特徴的な、綺麗に詰んだ小板目鍛えや無地風の地鉄となり、刃文構成に美観を置いたのに対し、石堂派の地鉄は小板目鍛えながらも映りが顕著に現れる点でも古風と言い得る地刃に特徴がある。
 まず、備前刀の例として江戸時代中期の上野大掾祐定(③)、同じく江戸時代後期の長舩祐永(④)、これに対して江戸石堂派の東連守久(①)、対馬守常光(②)の刃文を、押形イラストで比較してみたい。もちろん写真で比較したほうがより正確なのだろうが、研磨の方法が異なる為に見かけが異なるため初心者には刃文の本質が判らず、押形イラストの方が理解し易いと思う(写真があるものは写真も参考にしよう)。
 石堂派の作風は、互の目丁子の出入り、ふっくらとした焼頭、その高低変化の様子、丁子の配合の様子、丁子が複式となっている点などにおいて、鎌倉時代の一文字などを手本としたことは紛れもない事実。
鎌倉時代の一文字の作風は、江戸時代の洗練された技術下での作とは異なって偶然性が背景にある。だから時に焼き崩れていたり、刃染み風の部分があったり、或いは焼が叢になっているところがあり、それらも景色として鑑賞者は許している(⑤)。
一方江戸時代の刀に対して、鑑賞者はかなり厳しい目で見ていると思われる。江戸時代の刀だから欠点は許しがたい、という意識があるようだ。それに応えるために刀工は破綻のない作品を生み出そうと研究し、努力を重ね、特に地鉄においては均質な鍛えとなることを最大の目的とし、刃文もまた今に遺されている石堂派に特徴的な互の目丁子出来に到達した。
 ①の守久(武州住石堂秦東連)は、小互の目に小丁子が交じり、丁子が押合い、重なり合っているようにも見える。丁子の頭は丸みを帯びて茶の花のようにも見えるところがあり、また頭が横に展開して袋丁子状となり、或いは蛙子状に地中に頭が突き入ったり、頭同士が連続して刃中に玉状の刃が現れたり、さらに地中には焼頭が離れて飛焼となっているところがある。このように出入りがとても複雑な焼刃構成である点が一つの見どころ。帽子もまた、一般に江戸時代の作は帽子が丸く返るのを常としているが、石堂派の作はこのように乱れ込んでいるものが多く、本作は先が尖って返っている。
 匂に小沸を交えた焼刃は、刃境に粒の揃った小沸が付いて冴え、匂が淡く広がる刃中には方向の定まらぬ小足や飛足が盛んに入る。
 この写真は複雑で細やかな働きが判りやすいと思う。







 ②の対馬守橘常光の作は、焼頭が蛙子状の丁子となって地中に深く突き入り、鎬筋を越えるところもあるほどに焼が深い。僅かに逆がかる小互の目丁子が押合って丁子の束となり、桜の花びらのように焼頭が丸みを帯びたり、茸のように左右に広がったり、時に尖り刃を交えたりと変化に富むところも古作一文字風の構成。この作でも焼頭が離れて飛焼が生じている。帽子は浅く湾れ込んで先端が突き上げて返る。匂主調の焼刃は、わずかに小沸が付き、匂の広がる刃中には小足が盛んに入る。この研磨の方法では細かな働きが全く判らない。イラストの方が理解し易い。この作品も焼刃が複雑で、しかも鮮やかである。





 両者は、いずれも一文字伝を焼かせては抜きん出た力量を示すことで知られている。地鉄について説明しなければならないが、刃文を映したような映りが鎬寄りに起ち現れ、細やかに詰んだ小板目鍛えの地肌と働き合って、古作本歌の一文字の作品以上の美観を呈しているとは言い過ぎだろうか。古作と新刀という点で好みの分かれるところだが、決して鎌倉期の作品に劣るものではないと断言する。
度々述べているが、江戸時代の鑑定家(日本刀が江戸時代の武家間での贈答に欠かせないことから、日本刀に優劣をつけなければならなかった背景があることを認識してほしい)や近代の先生方が、鎌倉期の山城物や備前物、ちょっと下って相州物を偏重する傾向が強く、現代に至っても鑑賞する方々の意識に、その影響がまだ広く残っている。製作された時代に応じた意識と感性を通して刀を鑑賞するべきであるのは当然のことだろう。
 一言添えておくが、備前祐定や祐永が劣るというのではない。作風の違いや、求めている視点の違いが作品となって現れているのである。
③の上野大掾祐定の作風を比較して観賞しよう。祐定は腰開き互の目に丁子を複合した刃文構成で知られている。この蟹の爪を想わせる刃文は、南北朝時代後期、室町時代初期辺りから焼かれるようになった構成の一つで、戦国時代の祐定が得意として焼いたことから祐定の特徴的な刃文と言われるようになった。江戸時代中期の上野大掾祐定も、その流れを受けて似たような刃文を焼いている。研磨の方法が異なることから石堂派の作品と印象は異なるが、むしろ刃文が判りやすい(研磨による刃採は無視してほしい)。総体に小丁子乱であることは明瞭。これに互の目、焼頭が鋭く尖って地に突き入るところもある。刃縁に小沸が付き、刃中には匂が広がり、これが砂流しとなる。帽子は端正な小丸返り。



 ④は長舩横山加賀介祐永の作。緻密に詰んだ地鉄に匂だけの鮮やかな刃文。映りはないものの、刃文の美しさは絶品。互の目丁子が拳状に、或いは茶の花状に丸みを帯びて高低変化があり、足も左右に開いて刃中に淡く消え入るように穏やかに広がる。帽子も端正な小丸返り。
並べて鑑賞すると、同じ江戸時代の備前刀でも違いは明瞭。長舩鍛冶の説明ではないので、この程度にして石堂派に戻る。もう少し石堂派の作品を眺める前に、鎌倉時代の一文字の作例を押形で観察してみよう。





 ⑤に示した数点は、いずれも鎌倉時代中期の一文字派の刃文。比較的華やかな作風を採り上げてみた。国宝や重要文化財などの作品は入手の機会も極めて少ないことでしょうから、参考になるだろうか、ということであまり触れないことにする。







 こうして並べてみると、一文字鍛冶の丁子出来の刃文構成が判ると思う。互の目丁子の焼が深く、焼頭が丸みを帯びて袋丁子、或いは蛙子丁子となり、小丁子がこれに複式に焼かれて重花丁子となり、時に小丁子が押し合って連なるところもある。焼頭は丸みを帯びているだけではなく、尖り調子の部分、雁股状に尖る刃も交じる。長短の足も盛んに入り、必ずしも刃先だけに足が入るのではなく、互の目の途中にも足が入り組む場合がある。
刃文構成は揃ったところがなく、自由奔放と言っていいのだろうか、江戸時代の祐永の美観とは全く異なる。
 もちろん、直刃や湾れ刃に近い作品もあるので、この互の目丁子の刃文を一文字のすべてであるとは言わない。江戸時代の石堂鍛冶の作風を鑑賞するための参考とした。










刀 越後守國儔

2022-07-09 | その他
刀 越後守國儔

堀川国廣人気の源は、「山姥切」にあるようだ。
堀川一門についてはあまり理解もされていない。
でも、江戸時代の刀を考える上では一門の存在を考えねばならない。
國廣の弟子で、國貞や國助を育てたのがこの國儔。
もちろんこの時代の特質でもあるがっちりとした造り込みが基本にある。
堀川肌とも言われるザングリと肌立つ様子も備えている。
ただし、美濃兼定にも影響を受けていると考えられている。
次第に小板目鍛えが詰んでゆくところに國儔の地鉄の特質が窺えよう。





筑前國福岡住是次 脇差 Koretsugu Wakizashi

2020-06-19 | その他
筑前國福岡住是次 脇差


筑前國福岡住是次 脇差

 この刀工は備前伝を得意としたはず。普通に見る作風は、烏賊の頭と呼ばれる尖りごころのある逆がかった互の目丁子で、時に地中に映りの起つ古風な焼刃と新鮮味のある地鉄が特徴のはず。だから、このような相州伝の作品があるとは知らなかった。湾れ刃の刃中の沸筋、砂流しが流れ掛かり、地にも沸がこぼれている。地鉄が特異。板目肌が小板目肌に交じって強く現れ、太い地沸が厚く付いて地景がうねるように入って迫力のある地相となっている。この刃文と地鉄の調和が面白い。



近江守助直 脇差

2020-06-13 | その他
 助廣の初期の作風は初代の互の目丁子出来を専らとし、万治頃から互の目主調となり、寛文頃から互の目に変化を持たせた様々な刃文を焼いている。試行錯誤し、独自の刃文を生み出そうとしていた時代であろう。寛文四、五年頃の互の目乱刃に玉刃の焼かれた作がある。これも研究の一つであろう。以降、互の目を崩した刃文、湾れ刃、湾れと互の目の複合、などがあり、寛文八年頃から湾れに大小異なる互の目を配した濤瀾乱風の刃文が焼かれるようになった。寛文十年の作に濤瀾乱刃の完成ではないかとされる作があるのだが、玉刃は多くない。この時期は、ごくごく浅く湾れた直刃や、ゆったりとした湾れ刃も美しい。寛文十二年ころから盛んに濤瀾乱刃を焼くようになる。以上助廣大鑑より。助廣亡き後に大坂で活躍した助直や、國輝、照包、さらに時代の下った助隆、正秀、その門下の綱俊などなど、濤瀾乱刃を焼いた刀工は多く、ここに表記した刀工の作品は多くが助廣に負けていない出来となっている。
 濤瀾乱刃は良く知られているのだが、海原の大波をデザイン化したのが濤瀾乱刃であれば、大波にもさまざまあるわけで、濤瀾乱崩し、湾れ崩し、湾れ刃に互の目を構成した刃文、互の目を意識的に崩した刃文なども濤瀾乱刃と同じ考えの下で生み出された刃文ではなかろうか。綺麗に整った刃文も良いが、古作が持つ自然味と、江戸時代の綺麗に構成された刃文との調和美も見どころではないだろうか。どのように名付けてよいか分からない、結構面白い刃文がある。隙のないほどに整った造形からなる焼き物も美しいが、どこかに釉薬の垂れた痕跡や罅や皺のある、あるいは手捻りのゆがんだ焼き物にも言い知れぬ魅力があるように。



越前守助廣 脇差
 大互の目の時代。互の目の処々に玉が焼かれている。



近江守助直 脇差
 刃先近くまで深々とした沸の広がりが魅力。沸の中に湾れがあり、互の目があり、玉があり、沸筋があり、金線がある。物打辺りは不定形の刃文構成だが、下半は互の目湾れが顕著になっている。下半の刃中には沸筋が層を成している。

剣 家久 Iehisa Ken

2019-11-19 | その他
剣 家久


剣 家久

 室町時代後期天文頃の短剣。肌立つ板目に細直刃。これも、密教に通じた武士の持ち物であろう。剣は、武器というより法具ではなかったかと思うのだが、意外にも研磨が重ねられて身幅が狭まっている遺例が多い。特に戦国時代を遡る作では。江戸時代以降の剣を幾つか紹介してきたが、この戦国時代の剣と比較して見ると違いが良く判ると思う。戦場でも使われているのかもしれない。

剣 文珠 Monju Ken

2019-11-18 | その他
剣 文珠


剣 文珠

江戸時代初期の大和文珠鍛冶の短剣。密教に通じた武士、あるいは僧の持ち物として鍛えられたものであろう。江戸時代らしい奇麗に詰んだ小板目肌鍛えに沸深い湾れ出来の刃文。姿格好が研ぎ減りなくしっかりとして健全体躯を保っている。

剣 薩州住正良 Ken Masayoshi

2019-11-16 | その他
剣 薩州住正良


剣 薩州住正良

江戸後期の薩摩を代表する刀工。如何なる注文者があり、いかなる理由で製作されたものか不明だが、古典の意識下で鍛えられたのであろう。地鉄は、もちろん江戸後期の詰み澄んだ小板目肌鍛えに穏やかな板目が交じるもので、特に奇麗だ。刃文も、相州伝を基調とした薩摩ものに多くみられる沸の深い湾刃。だが、芋蔓と呼ばれる激しい沸筋がなく、物打辺りに沸筋金線が働き、総じて比較的穏やかな砂流しが働き、沸の美観が際立っている。



剣 祐則 Sukenori Ken

2019-11-13 | その他
剣 祐則


剣 祐則

 月山貞一の剣を紹介したことがある。剣などはすでに遠い昔のモノといった印象があるのだが、復古意識によって製作され続けているようだ。明治二十七年に二荒山神社の前で鍛えたというのがこの剣である。二荒山神社は、宇都宮にある下野国の一宮と、日光二荒山神社が知られている。いずれの社前で鍛えられたものか不明だが、祐則は深い思いを込めて製作したに違いない。因みに、戊辰戦争で火災に遭った宇都宮の二荒山神社が、明治中頃から再建されており、この剣の作刀はちょうどその頃に当たる。剣の長さは一尺八寸。刃文は互の目が複雑に乱れる古風な出来。

直刀 宮本包則 Kanenori

2019-10-26 | その他
直刀 宮本包則


直刀 宮本包則 明治四十四年

 包則は伊勢神宮の式年遷宮に際して宝剣を鍛えている。もちろんその奉納された剣が市井に流れ出てくることはないが、遷宮に応じて注文を受けた作がある。切刃造に直刃。小板目鍛えが詰んでおり、古作のような大肌がない。式年遷宮と葉、古作のままに製作するのではなく、形態は古作を写しながらも、現代の技術を持って応ずるという意識があるようだ。





短刀 則重 Norishige Tanto

2019-10-24 | その他
日本刀買取専門サイト 銀座長州屋

短刀 則重


短刀 則重

 包則はこのような地鉄を手本とした。地景によって強く激しく蠢くような板目の鍛え肌に地沸が絡む。研磨の加減で刃中の様子は分かりにくいが、鍛え肌は刃中に及んでいる。刃文は、巧みに刃採りをしているが、実際には形のない複雑な乱れである。帽子もそのまま連続して肌目が掃き掛けになる。則重の鎌倉時代後期、他に類例を見ない出来である。



 下の写真は則重の刀の部分。こちらは比較的地刃の様子が見やすい。このような地刃を、後の幾人かの刀工が再現に挑んで成功しているのである。包則などは皮相的な混で鉄に留まらない、古風で自然味のある作に迫っている数少ない刀工である。


太刀 月山貞一 大正四年 Sadatoshi Tachi

2019-10-15 | その他
太刀 月山貞一 大正四年


太刀 月山貞一 大正四年 

大隈重信に贈られた太刀。相槌は子の貞勝であろう、貞一が最も得意とした備前伝。幕末、明治初期頃は比較的大ぶりの刀を製作していたが、明治も下ると古作を映したような太姿ながら、儀式の際に用いられるよう二尺二寸前後の扱い易い寸法にされた作が多い。この太刀が時代を映す典型。小板目鍛えの地鉄は良く詰んで微細な地沸で覆われている。刃文は逆がかった小互の目丁子。小丁子にさらに小さな丁子が交じって焼き頭が高低変化し、匂口明るく鮮やか。





剣 月山貞一 明治七年 Sadakazu Ken

2019-10-11 | その他
剣 月山貞一 明治七年


剣 月山貞一 明治七年

 如何なる理由があるのだろうか、あるいは何を手本としたのだろうか、廃刀令の発せられたころ、月山貞一は異形の剣を製作している。片面の中央に鎬が立ち、一方は平の造り。刃長が四寸八分で、元幅一寸強、とにかく身幅が広い。異風に尽きるが、地鉄は綾杉鍛が奇麗だ。詰み澄んで抑揚を成し、その肌目が刃中で繊細な働きを生み出している。月山古作も肌目に伴ってほつれや金線が生じているのだが、ここでは地鉄が特に奇麗であるがためそれが強調され、刃肌とまでになっている。素剣の彫物も整っていて美しい。この身幅であれば、平の面に素剣が活きてくる。幅広ながら良く計算された作である。時代背景から戦場で使うという意識はないだろう。精神面での守りと考えて良さそうだ。

短刀 弘幸 Yukihiro Tanto

2018-09-21 | その他
短刀 弘幸


短刀 弘幸

 九寸八分、反り九厘、元幅八分強、重ね一分四厘。南北朝時代の相州貞宗を手本とした作。重ねの薄いのは、本歌の時代のまま。元来が薄手にしたてられており、彫物も時代感があるも、実は南北朝時代からおよそ三百年の時の流れをも再現しているため。つまり時を経て研磨により彫りが浅くなったように仕立てている。巧みな表現だ。地鉄は小板目肌に板目交じり。刃文は浅い湾れに低い互の目交じり。小沸に匂が複合して明るく、刃境にはこにえの砂流しが微かに掛かる。






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短刀 弘幸

 一尺七分、反り僅少、元幅一寸強、重ね二分。がっちりとした寸伸び短刀か小脇差か、判断の難しいところ。即ち、いかようにも見使い勝手の良い武器。抜群に詰んで錬れ田小板目鍛えの地鉄に細かな地沸が付いて、刃文は湾れに穏やかな互の目が交じり、刃境は明るく冴え冴えとしている。先の短刀よりちょっと大振りにした感じ。これも南北朝時代の相州物の写し。




脇差 備中國住人助次作 Suketsugu Wakizashi

2018-08-04 | その他
脇差 備中國住人助次作


脇差 備中國住人助次作

 大磨上で一尺八寸強とされ、銘を惜しんで額銘に残されている作。極上質の地鉄と、それによる濃密な刃中の働きが魅力の大名刀。縮緬肌が微塵に詰み、しかも元から先まで均質で、微細な地沸が全面に付き、映りも濃淡変化に富んだ乱れ映りが自然な景色を生み出している。青江刀の評価が高いのは、このような出来があるからに他ならない。刃文は中直刃で、帽子は焼き詰め状。小沸と匂を交えた焼刃は匂口締まって明るく冴え、刃境はほつれが濃密で、刃中には小足が射し、ほつれから変じた金線や砂流しが小足を切って流れ掛かる。刃境には稲妻状の屈曲した金線も顕著。特に物打辺りは乱れが強まり、刃中には沸と匂の淡い帯が流れ掛かる。再度言う、極上の地鉄鍛えからなる大名刀である□