日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

伊賀守金道 初代

2024-06-17 | 
父兼道に伴い、美濃国より京都に移住したのが伊賀守金道。弟に丹波守吉道、和泉守金道、越中守正俊があり、これらを三品一門と呼んでいる。
 時代は戦国末期から江戸時代最初期。刀は南北朝時代の大太刀を磨り上げたようながっちりとした造り込みに、相州伝の沸主調の激しい焼刃が流行していた。相州正宗、貞宗、郷、志津などが好まれた背景があり、江戸初期の刀工は、それらの再現を目指した。三品鍛冶も、初期には美濃伝の刃文を専らとしていたが、世の嗜好に沿ったものであろうか、次第に沸の強い相州古作に倣った刃文に変わっていった。
 三品一門は美濃の出身であり、美濃伝を基礎においている。同様に、美濃伝が江戸時代の地鉄鍛えの基礎になった。つまり、美濃伝の地鉄鍛えは平地が小板目鍛え、鎬地が柾目鍛えである。江戸時代の一般的な鍛え方となったもので、これに相州伝の刃文を焼いたのだ。だから、江戸時代の相州伝を、相州特伝と呼び分ける人もいる。



1 刀 伊賀守金道
三品の筆頭鍛冶が伊賀守金道。板目肌が明瞭に起ち現れた地鉄に地沸が付き、肌目が一層際立つところが魅力。適度な寸法で身幅が広く、物打辺りは実戦を経たものであろう多少の研ぎ減りがあるも、総体の姿は崩れることなく覇気に富んでいる。刃文は沸の強い乱刃。刃形に整ったところがなく、総体に湾れと互の目の複合になり、焼頭は深く大きく乱れながらも鎬筋を越えることはない。沸が強い焼刃は帯状の沸筋が無数に走り、これに伴って砂流しや金線、肌目に沿った稲妻状の金筋が刃中を走る。この中に頭に丸みのある互の目が組み込まれている。湯走りや飛焼も見られる。帽子は掃き掛け風に沸付いて先端が棟側に流れて焼詰めとなる。この整うことのない刃文構成が江戸初期の相州伝に他ならない。





2 脇差 伊賀守金道 

 一尺三寸強の平造脇差。身幅が極端に広く重ねが厚くがっしりとしている。地鉄は小板目状に均質に詰んでいるが、流れるような板目を交えて地沸が厚く付く。刃文は不定形に乱れる互の目に湾れを組み合わせた、古風な相州物に特徴的な構成。互の目が尖り調子となる部分もあり、これも相州伝。特に焼頭がさまざまに乱れ、高弟変化に富み、一部に湯走りと飛焼が入る。焼刃は沸を主体として明るく、沸筋、金線、砂流しが顕著で、帽子は強く乱れて先が尖り調子に返る三品帽子。彫物も大きく施されて相州伝の特徴を良く再現している。
 このような沸の美感をより一生強調したかのような作風が江戸時代初期の相州伝だ。その代表が三品一門である。






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江戸時代の相州伝 丹波守吉道

2024-06-12 | 
江戸時代の創造的刃文

濤瀾乱刃とは

大互の目乱刃と湾刃を組み合わせ、大波が寄せ来るように、大小連なる互の目を焼き、処々に大波が崩れ落ちる様子を、玉刃を交えて表現した刃文が濤瀾乱刃で、江戸前期の大坂刀工津田越前守助廣の創造になると考えられている。おおいに好まれたのであろう、後に多くの刀工がこれを手本としている。大坂では越後守包貞、近江守助直、尾崎助隆、江戸では水心子正秀等々。この辺りは余りにも有名だから、改めて説明するまでもなさそうだ。そこで、大波を表現したのが濤瀾乱であれば、同様に大波を想わせる刃文、或いは大波を想定して焼いたと思われる刃文、即ち湾れ刃の変化形を眺めてみたい。
 そもそも、助廣が濤瀾乱を創案した背景には、助廣に先行する丹波守吉道に川の流れを想わせる刃文があり、これが盛んに焼かれていたことからヒントを得たのではなかろうかと筆者は想像している。吉道の刃文を手本としたというのではなく、創造的な刃文を生み出す意識が刺激されたのではないだろうかと考えている。ただし、この点は本人に聞いてみなければ本当のところは判らない。新たな刃文の創案であれば、行きつくところは濤瀾乱刃ではなく、さらにそれらの変化形とは言えまいか。助廣の真似に終わるのか、さらに面白い刃文を生み出せるのか…ということだ。
 その背景には江戸時代に隆盛した相州古作への回帰という意識がある。堀川國廣が、出羽大掾國路が、三品の金道、吉道、正俊が求めて焼いたのは古作相州刀である。そして助廣の濤瀾乱刃も、後の変化形湾刃も、相州伝の延長線の刃文に他ならない。
 初心者は刀の刃文と、研師が刃文を見えやすくする刃採りの様子を間違える可能性がある。そこで、これまでと同様に刃文押形のイラストと、写真があればそれを併せて提示する。時にはイラストを参照したほうが判りやすいと思う。



江戸時代の相州伝を俯瞰している。まずは三品派の作から眺めてみよう。
吉道は、三品四兄弟の中でも創造性に富んだ作風を生み出したことで三品派の知名度を上げた刀工。
 筋状の刃文を複式層状に焼き、処々に段差を設けた刃文構成とした。これを「簾刃」と呼びだしたのは誰なんだろう。吉道が簾を刃文で表現しようとしたと考えたのだろうか。そんなことはあるまい。吉道に聞いてみたい。後の我々が吉道のような刃文を視覚的に捉えて表現するとしたら、川の流れだろう、助廣の大波の刃文を「濤瀾乱刃」と呼ぶように。吉道の刃文が「簾刃」なら、助廣の刃文は「玉転がし刃」とでも言い直そうか。
 助廣に先んずること、吉道が創案した刃文は相州伝の流れによることは理解できよう。江戸時代の相州伝は、刃文による絵画的芸術性の始まりでもある。芸術的な刃文とは言え、切れ味が頗る良いことは特筆すべきで、形だけを追求したものでないことは理解しておきたい。吉道の「簾刃」を不当に低く評価する傾向は昔の先生方にあり、その教えに現代の研究家も影響を受けているようだ。

1 刀 丹波守吉道 
 元先の身幅が広く、茎は舟底形。板目肌が流れ調子で地沸が付き、肌立つ風がある。刃文は湾れ調子に浅い互の目が配されており、処々二重刃状に沸が流れ掛かる。地中にも湯走りと飛焼が流れ掛かって複雑。写真では判り難いので、押形イラストを参照されたい。帽子は乱れ込んで先が地蔵風に小丸に返っているところに美濃の名残が感じられる。




2 脇差 丹波守吉道 
 一尺三分だから寸延び短刀とも言い得る寸法。江戸時代最初期にはこの位の小脇差が多い。地鉄は板目が流れて柾がかる傾向が強く、地沸が付いて湯走りや飛焼状に沸の凝るところがある。刃文は形状の定まらない互の目乱と湾れの複合。沸が強く、物打辺りは特に地中の肌目に沿って沸が強く現れ、渦巻き状の肌が窺える。帽子は沸が流れ掛かって先が尖り調子に返る、所謂三品帽子。




3 脇差 丹波守吉道
刃長が一尺六分強。②の脇差と同じような寸法の平造。地鉄は小板目状に詰み、時代が上がるような板目流れ肌の風合いが抑えめ。地沸が強く付いて激しい湯走りから飛焼状、或いは全面に焼が入っているのではないかと思えるほどの激しさ。強い沸の中に複数の沸筋が流れ掛かっており、まさに川の流れを想わせる刃文構成だ。この頃から、吉道の特質でもある創造的な刃文が顕著になるのだろう。帽子は浅く乱れて掃き掛けを伴い先が尖り調子に返る。この刃文をイラストで再現するのは大変であったろうと思う。複式に沸の流れがあり、細かなところは再現できていないのではなかろうか。




4 脇差 丹波守吉道
 筋状の刃文を複式に焼き、処々に段差を設けた刃文構成の始まりであろうか。地鉄は流れるような板目肌に小板目肌が交じり、地沸が付いており、強い湯走りや飛焼はない。刃文が複式に構成された帯状の流れ刃が焼かれており、あたかも川の小岩を超えて流れ下るような景色だ。この調子は区上から鋒、帽子の焼にまで連続している。焼刃について、これまでのような強い沸出来から匂主調になっている点は見逃せない。いずれにせよ、川の流れを表現した作品である。




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長船祐永の丁子乱刃

2024-05-28 | 
 江戸時代の丁子乱刃を俯瞰している。
 江戸時代後期の備前刀工祐永。江戸時代における洗練味を帯びた丁子乱刃の中では、河内守國助の拳丁子を先に紹介した。祐永は備前長舩鍛冶の流れながら、古作の丁子出来とは全く異なり、また國助とも異なる、創造性に富んだ綺麗な刃文を焼いて頗る人気が高まった。



 刀 横山加賀介藤原祐永
 腰反り深く先端が延びた、姿は鎌倉時代の太刀。地鉄は小板目肌が密に詰んで極めて鮮やか。焼刃は匂を主調としてこれも鮮やか。刃文の構成は焼頭が高低変化に富んだ小丁子が寄り合って拳状になるも、國助の拳とは異なって左右に張り出すように躍動的である。盛んに入る足が左右に開き調子となる点は國助に似ている。帽子は小丸返り。写真を見ても判るように、焼頭が動的に地中に突き入るようにも感じられる点が個性であろうか。







 刀 横山加賀介藤原祐永
 これも①とほとんど同じ出来。腰反り深く伸びやかな造り込み。地鉄も同様に細やかに詰んで鮮やか。刃文は一際丸みを帯びた互の目と小丁子の組み合わせで、地中にふっくらと、しかも左右に突き出すような拳状となり、その合間に小丁子が入り組んで、左右に開き調子の足が盛んに射す。これらの押し合う様子に特徴がある。中でも、丁子が二つ寄り合って桜花のように見えるところがあるのも独特の構成と言えようか。





 脇差 横山加賀介藤原祐永
 脇差ながら腰反りが深く、太刀を短くしたような姿。地鉄はもちろん細やかな小板目肌。刃文は小互の目丁子。小さな互の目から次第に大きくなるように連続する、その繰り返しとなる。刀身全体に写真を見てほしい。腰元に富士山を焼いている。とすれば、小丁子の連続は浜辺の松原か。このような刃文も焼けるテクニックも興味深いところ。このような絵画的刃文であっても、切れ味が鋭いのである。





 研磨の違いによって、同じ刀工の作品でも見え方が違うのが良く判る。
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河内守國助の丁子乱刃

2024-05-15 | 
 河内守國助二代は、丁子乱刃を得意とした江戸時代前期の刀工。父初代は堀川國廣の門人國儔に学んだ鍛冶で、この二代目が丁子乱刃の名手と謳われた。活躍の場は大坂。
 國助の丁子乱の刃文構成は、小互の目が寄り合って拳状になるのが大きな特徴で、後の刀工にかなり影響を及ぼしている。

1 刀 河内守國助
 寛文頃の作だが反りが四分五厘ほどで姿バランスは悪くない。本作のような微塵に詰んだ地鉄が大坂地鉄とも呼ばれるもので、すっきりとして涼やかな印象がある。刃文はわずかに高低変化のある互の目に小丁子が複合したもので、小互の目丁子が二つ三つと寄り合っている。これに足が盛んに入る。殊に足は先端が左右に開くようなところがある。帽子は小丸返り。






2 刀 河内守國助  
 寸法が長い刀を磨り上げたもの。地鉄と刃文構成は①の作とほとんど同じ。




3 刀 河内守國助
 地鉄の様子は同じく綺麗に詰んだ小板目肌だが、刃文の構成が少し異なる。基本定な小互の目丁子は同じだが、丸みの強い小丁子が複数連続する。また、焼頭が閉じて刃中に玉刃が生じており、数珠っ玉のようにも見える。一部刃中の足も玉状に丸みを帯びるのも興味深いところ。もちろん全体に足が盛んに入るのだが、足先辺りに沸匂の砂流しが掛かる。総体に一際華やかな出来となっている。








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福岡石堂鍛冶の丁子乱刃

2024-05-03 | 
江戸石堂派に次いで、福岡石堂を俯瞰してみたい。
是次は、一文字の末裔と伝え、江戸の是一に入門して備前一文字伝を学んだ。その従兄弟に当たるのが守次。この両者はいずれも技量が高く、丁子出来の刃文を焼いて名高い。
 是次は是一の弟子であって、近江国石堂からの移住者ではない。筑前国福岡に居住していたことから福岡石堂の呼称がある。石堂系の鍛冶ではあるが、作風にちょっとした違いが見出せるのが興味深いところだ。
 所々写真のデジタルデータがないので、押形イラストを参照していただきたい。

1 刀 筑州住福岡是次
 多くの作例を眺めてみると、確かに小丁子に互の目丁子を交えた一文字風の刃文構成を専らとしているのだが、総体に穏やかな観がある。例えばこの刃文は、袋状の互の目丁子に小丁子が交じり、わずかに尖刃が交じり、焼も極端に深くならず、やや逆がかった足が入る。本作では写真の方が、逆足の盛んに入っている様子が判りやすい。帽子は乱れ込まずに先小丸に返る。地鉄は小板目肌に柾目が組み合わされて肌起つ風があるも、総じて綺麗に詰み、映りはさほど顕著ではないが淡く立つ。






2 刀 筑前國福岡住是次 
 是次作中では比較的出入りが複雑で、しかも小丁子が押し合うような構成に袋丁子が配された、華やかな出来。焼頭も比較的高く、鎬筋を越える部分もある。袋状の焼頭が尖り調子となる(烏賊の頭の呼称がある)ところがあるのがこの工の特徴。丁子足は逆がかって盛んに入り、葉、飛足も働く。帽子はごく浅く湾れ込んで先が小丸に返る。地鉄は良く詰んだ柾目鍛えで、鎬地が肌起つ風はあるも、総じて綺麗で、鎬寄りに淡い映りが起つ。


3 脇差 筑前國福岡住是次
 連続する互の目丁子が、穏やかに波が寄せ来るような、抑揚のある構成とされている。やはり逆がかっており、小足が盛んに入る。地鉄は小板目肌に柾目が交じり、良く詰んで淡い映りが起つ。帽子は浅く乱れ込んで先小丸に返る。総体に逆がかっているため、焼頭が三角に尖って見えるのが特徴的。




4 刀 筑前國福岡住守次 
 是次に良く似た刃文構成。本作も、確かに丁子を伴っているも、逆がかった互の目丁子が主体。焼はさほど高くなく、あまり派手にはならない構成。逆がかっているため、互の目丁子の頭が削がれて三角(烏賊の頭)になる。小板目鍛えの地鉄は良く詰んで潤い、鎬寄りに映りが起つ。帽子は浅く乱れ込んで先端が小丸に返る。刃中に砂流しが掛かる。




5 脇差 筑前國福岡住守次
 小丁子の連続する刃文構成。焼頭が尖り調子であるのは、是次と同様に逆がかっているため。所々にやや深まった袋状の互の目丁子があるも、鎬筋を越えることはない。帽子は浅く乱れ込んで先が尖り調子に小丸に返る。地鉄は小板目鍛えの所々に柾肌が交じり、淡い映りが起つ。




6 脇差 筑前國福岡住守次 
 守次としては比較激しい出来。高低変化のある丁子が押し合うように焼かれ、丁子が処々寄り合って菊花のように見えるところもある。総体に逆足が長く射しているも、所によっては刃先に向かう。帽子は乱れ込んで先が丸く返る。地鉄は柾気が強く肌起ち、鎬寄りに映りが起つ。


7 刀 筑前國福岡住守次
 特に激しい刃文構成。焼が深く鎬筋を大きく超えるところもあり、処々棟焼を施している。大房で逆がかった丁子の連続で、焼頭が袋状に広がり、或いは小さな尖刃を伴って地に深く突き入り、或いは烏賊の頭のように三角となり、これに伴う小丁子はというと複式に焼かれて目立たず、刃中には足が盛んに入り、これを長い金線が切り裂くように走り掛かる。帽子は特に焼が深く乱れ込んで先小丸に返る。地鉄は柾気を交えた小板目鍛えに波紋を映したような映りが起つ。守次の中でも特に華やかな作品となっている。


江戸石堂派の諸工の作風とは自ずと異なる印象を読み取ってほしい。



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武蔵大掾是一の丁子乱刃

2024-04-30 | 
 石堂派の丁子乱刃を俯瞰し、その魅力を再確認している。もちろん鎌倉時代の太刀は貴重だが、江戸時代の丁子出来も優れていることを理解してほしい。
 武蔵大掾是一は、近江國より江戸に出て活躍した、江戸石堂の中心をなす一人。


1 刀 武蔵大掾是一
 地鉄は柾気を交えた小板目鍛えで総体に良く詰み、微細な地沸が付き、焼刃に迫るように乱映りが鮮明に立つ極上の地相。刃文は互の目に丁子を交え、地に突き入るような互の目に小丁子が複合された袋丁子となり、総体にやや逆がかり、しかも出入りが高低変化に富んで華やか。小沸と匂の複合になる焼刃は明るく冴え、逆がかった小足の盛んに入る中に金線砂流しを伴う沸筋が流れ掛かる。帽子は湾れ込んで先が小丸にごくわずかに返る。
 是一の丁子刃には焼頭が揃い調子のものと、出入りが複雑なものとがあり、また小丁子主調のものや蛙子丁子、袋丁子とが複合されるものなど多様で、技量の高さが窺いとれよう。






2 脇差 是一
 総体に小模様の互の目丁子出来ながら、刀身下半に地に突き入るような袋丁子を焼いている作。小丁子は焼頭が揃い気味で、小足が盛んに入り、葉も交じって刃中は華やか。帽子は乱れ込んで沸付き、先掃き掛けて焼き詰め風にごく浅く返る。地鉄は柾気交じりの小板目鍛えで肌立ち、鎬地近くに刃文を映すような映りが鮮明に立つ。




3として袋丁子、蛙小丁子、小丁子などが押し合うように焼かれた作の押形イラストを紹介する。これも刃に迫るような映りが立ち、逆がかった長い足が盛んに射す。残念ながら写真のデジタルデータがない。






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秦守久の華やかな丁子乱刃

2024-04-24 | 
秦守久(東連)

石堂派の丁子乱刃を俯瞰している。武州石堂派の秦守久は美濃から江戸に移住し、東連の号を用いた江戸前期慶安から寛文頃の刀工。互の目丁子出来の刃文を得意とした。時に重花丁子を焼いて一文字に迫った。
先に紹介した他にも作例を紹介する。ただし、遺されている刀は極めて少ない。

1 刀 武州住石堂秦守久
 地鉄は、鎬地が肌起つ柾目鍛えで、平地は小板目肌が良く詰み、淡い乱映りが起つ。匂に小沸を交えた刃文は、焼頭が鎬地を超えるほどに高い大振りの互の目丁子と小互の目、小丁子で、これらが不定形に焼かれており、帽子は浅く乱れ込んで先小丸ながら焼詰め風に棟に抜ける。焼頭がオタマジャクシのように丸みを帯び、小丁子はその合間に連続し、処々に尖刃を交える。飛焼も焼頭がちぎれたようにみられる。刃中には小足が入り、細い砂流しが流れ掛かる。研磨の状態から、この写真では判り難いだろう。押形イラストを参考にしてもらいたい。






2 刀 武州住秦守久
 総体に小板目鍛えながら、鎬地も肌起つことなく、微塵に詰んで地沸が付き、鎬寄りに断続的な乱映りが起つ。刃文は細やかにしかも不定形に乱れる小互の目丁子。帽子もそのまま乱れ込んで、先は小丸風ながら乱れの調子が続き、わずかに返る。焼は鎬筋を越えることはないが、比較的深めの互の目で、焼頭は丸みを帯びたり尖刃を伴うなど、この工の特徴が顕著。刃中には逆がかった小足が盛んに入り、処々に砂流しが掛かる。これも研磨の関係上写真は余り参考にならない。イラストの方が、刃文の特質が理解できる。




 いずれも刃文だけをみれば一文字と間違えるだろうが、地鉄が、江戸時代の大きな特質でもある鎬地が柾目鍛え、平地が小板目鍛え主調となる。時代観は定まるだろう。だが、映りの様子や刃文の複雑さ、単調にならない点などは古作に紛れるみどころと言い得る、しかも、一文字に比較して、明らかに洗練味があるところが魅力の一つで、江戸時代の作品の良い点と考えていいだろう。








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日置光平と常光 江戸時代の華やかな丁子乱刃を俯瞰している

2024-04-19 | 
日置光平

石堂派の作風を紹介している。先に紹介した常光の兄とも近縁の工とも考えられているのが光平。光平には刀の遺例が少ない。一説には無銘にされて古作に紛れさせたとか。それほどに、古作に紛れるような丁子出来の刃文が優れていたということである。

1 脇差 出羽守源光平
 小沸を交えた匂出来の刃文は、焼頭が高低変化に富む小丁子の連続だが、焼頭が地に突き入るような尖り調子となる傾向が強い。焼頭がやや丸みを帯びて袋状となる刃を交え、刃中には鋭い足が盛んに射す。帽子は乱れ込んで先が小丸に返る。
地鉄は小板目肌が良く詰んだ中にうっすらと板目肌が浮かび上がる上質な肌合い。映り(写真には映らない)は穏やかに自然に起ち、この流派の特質が鮮明となっている。






2 脇差 秦信法橋源光平
 こちらも尖り調子の小丁子を主体とするが、地に深く突き入る丁子が丸みを帯びた袋丁子となり、袋の中には小丁子が複式に配され、焼きの高さは時に鎬筋を越えるところもある。また、焼頭が離れて飛焼となる。小丁子が寄り合って鋭い小足が盛んに入り、高低広狭の変化が特に強く感じられる。鎬地は柾目肌で肌立ち、平地は小板目鍛えにうっすらと板目肌が交じる程度の極上の肌合いで、丁子状の映りが鮮明に現れている。帽子はわずかに乱れ込んで先が焼詰め風となっているのは珍しい。写真のデジタルデータがないので写真を提示できない。押形イラストで細部の様子を確認してほしい。


ここに押形刃文イラストを紹介した以外の作品も、多くは押し合うように密な小丁子の連続になる刃文で、その高低変化のある中に突き入る丁子の頭も複式に小丁子が焼かれたり、尖り調子となるものが多い。鋭い足が盛んに入るのも特徴と言えよう。



対馬守常光

対馬守常光は江戸時代前期の慶安から元禄(最晩年)頃の江戸の刀工。
 いくつかの作例を紹介するが、先に紹介した一例のように、一文字を手本にしながらも、直刃調の穏やかな作風から丁子の出入りが複雑で華やかな出来まで多彩である点をまず心にとどめておきたい。
 今回は写真のデジタルデータが少ないのでこの点はご容赦願いたい。


 脇差 橘常光
 比較的穏やかな出来ながら、互の目の焼頭が丸みを帯びて地に突き入るようなところがあり、また焼頭に尖刃がわずかに交じる。刃中には小足が入り、焼刃は匂口が締まって明るい。帽子は浅い湾れ調子となり、先端は小丸に返る。地鉄は平地が小板目鍛え、鎬地が柾目鍛えで肌起つ風があり、イラストには描かれていないものの乱映りが起ってこの工らしい出来。受領前の作とみられている。古い資料のため写真のデジタルデータがない。押形イラストを参照願いたい。写真よりむしろ細部の働きが理解できるかと思う。



 刀 対馬守橘常光
 焼幅が比較的低いながらも小丁子の頭に多彩な形状が窺える作。地鉄は細やかに詰んだ小板目肌。地沸が微塵に付き、これもイラストには描かれていないものの刃文を映したような映りが鮮明に起つ。小互の目丁子の焼頭は丸みを帯びた刃、尖刃、矢筈状の刃、雁股状の刃となる。帽子は穏やかに乱れ込んで先わずかに掃き掛けて浅く返る。



脇差 対馬入道常光
 延宝八年、五十代中頃の作。まず地鉄は、鎬地が柾目鍛えで肌立ち、平地が良く詰んだ小板目肌。地沸が付いて鎬寄りに乱映りが鮮明に起つ。小丁子乱の刃文は、焼頭が高低躍動的に変化をしながらも、鎬筋までは達せず、丸みのある丁子に頭の尖った丁子が交じり、複式に焼かれた丁子に伴い、盛んに入る小足も長短変化に富む。焼刃は匂を主調にわずかに小沸がつく。帽子は焼刃の調子のまま小模様に乱れ込み、先端は小丸に返る。



脇差 対馬掾橘常光
 逆がかる小丁子乱の刃文構成。地鉄は小杢を交えた小板目鍛えで、古風に肌起ち、地沸が付いて刃文を映したような丁子映りが鮮明に起つ。互の目の頭が小模様ながら地に突き入る風はこの工の特徴。殊に、押し合うように焼かれた小模様の丁子の所々に焼の深い部分が交じっているところ、小丁子に尖刃が交じる点も大きな見どころ。総じて匂主調の鮮やかな焼刃で、長短の足も無数に射して刃中は華やか。帽子は一転して端正な焼刃となるも、先端は焼詰め風にごくわずかに返る程度。
 とある解説書に一文字と常光(常光個人ではなく石堂派という意味であろう)の見分けどころの一つとして、「・・・(一文字の作に比較して)帽子に品位が足りないことなどで・・・」と、意味不明な説明がある。近代の先生方は、複数の作品を比較説明するにあたって「品位が足りない、◯◯に劣る」などのような言葉を安易に使っている。ばかげた説明であることは容易に判るだろう。そもそも、刀の評価をランク付けしなければならなかった江戸時代の悪弊なんだ。そんな説明を鵜呑みにせず、本質に目を向けてほしい。


5として、参考に重花風の複雑な丁子出来の刃文押形イラストを示しておく。











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一文字に紛れるような石堂派の魅力

2024-04-12 | 
石堂派の丁子乱刃・・・江戸時代の華やかな丁子乱刃

 江戸時代を通して、最も備前一文字や鎌倉時代の長船鍛冶に近い刃文を焼いたのが石堂鍛冶であろう。石堂派は戦国時代の近江に栄えたことから近江石堂の呼称があり、「新刀期の石堂派を名乗る刀工として、石堂是一、日置光平、対馬守常光等の江戸石堂、土佐将監為康等の紀州石堂、福岡是次、守次等の福岡石堂などがある」と『日本刀大百科事典』に記されているように、各地に移住して江戸時代に活躍している。
一文字、あるいは長舩というと、本国の備前刀工に目を向けなければならない。江戸時代の備前鍛冶、長舩祐定系の刀工の作風は、江戸時代に特徴的な、綺麗に詰んだ小板目鍛えや無地風の地鉄となり、刃文構成に美観を置いたのに対し、石堂派の地鉄は小板目鍛えながらも映りが顕著に現れる点でも古風と言い得る地刃に特徴がある。
 まず、備前刀の例として江戸時代中期の上野大掾祐定(③)、同じく江戸時代後期の長舩祐永(④)、これに対して江戸石堂派の東連守久(①)、対馬守常光(②)の刃文を、押形イラストで比較してみたい。もちろん写真で比較したほうがより正確なのだろうが、研磨の方法が異なる為に見かけが異なるため初心者には刃文の本質が判らず、押形イラストの方が理解し易いと思う(写真があるものは写真も参考にしよう)。
 石堂派の作風は、互の目丁子の出入り、ふっくらとした焼頭、その高低変化の様子、丁子の配合の様子、丁子が複式となっている点などにおいて、鎌倉時代の一文字などを手本としたことは紛れもない事実。
鎌倉時代の一文字の作風は、江戸時代の洗練された技術下での作とは異なって偶然性が背景にある。だから時に焼き崩れていたり、刃染み風の部分があったり、或いは焼が叢になっているところがあり、それらも景色として鑑賞者は許している(⑤)。
一方江戸時代の刀に対して、鑑賞者はかなり厳しい目で見ていると思われる。江戸時代の刀だから欠点は許しがたい、という意識があるようだ。それに応えるために刀工は破綻のない作品を生み出そうと研究し、努力を重ね、特に地鉄においては均質な鍛えとなることを最大の目的とし、刃文もまた今に遺されている石堂派に特徴的な互の目丁子出来に到達した。
 ①の守久(武州住石堂秦東連)は、小互の目に小丁子が交じり、丁子が押合い、重なり合っているようにも見える。丁子の頭は丸みを帯びて茶の花のようにも見えるところがあり、また頭が横に展開して袋丁子状となり、或いは蛙子状に地中に頭が突き入ったり、頭同士が連続して刃中に玉状の刃が現れたり、さらに地中には焼頭が離れて飛焼となっているところがある。このように出入りがとても複雑な焼刃構成である点が一つの見どころ。帽子もまた、一般に江戸時代の作は帽子が丸く返るのを常としているが、石堂派の作はこのように乱れ込んでいるものが多く、本作は先が尖って返っている。
 匂に小沸を交えた焼刃は、刃境に粒の揃った小沸が付いて冴え、匂が淡く広がる刃中には方向の定まらぬ小足や飛足が盛んに入る。
 この写真は複雑で細やかな働きが判りやすいと思う。





 ②の対馬守橘常光の作は、焼頭が蛙子状の丁子となって地中に深く突き入り、鎬筋を越えるところもあるほどに焼が深い。僅かに逆がかる小互の目丁子が押合って丁子の束となり、桜の花びらのように焼頭が丸みを帯びたり、茸のように左右に広がったり、時に尖り刃を交えたりと変化に富むところも古作一文字風の構成。この作でも焼頭が離れて飛焼が生じている。帽子は浅く湾れ込んで先端が突き上げて返る。匂主調の焼刃は、わずかに小沸が付き、匂の広がる刃中には小足が盛んに入る。この研磨の方法では細かな働きが全く判らない。イラストの方が理解し易い。この作品も焼刃が複雑で、しかも鮮やかである。





 両者は、いずれも一文字伝を焼かせては抜きん出た力量を示すことで知られている。地鉄について説明しなければならないが、刃文を映したような映りが鎬寄りに起ち現れ、細やかに詰んだ小板目鍛えの地肌と働き合って、古作本歌の一文字の作品以上の美観を呈しているとは言い過ぎだろうか。古作と新刀という点で好みの分かれるところだが、決して鎌倉期の作品に劣るものではないと断言する。
度々述べているが、江戸時代の鑑定家(日本刀が江戸時代の武家間での贈答に欠かせないことから、日本刀に優劣をつけなければならなかった背景があることを認識してほしい)や近代の先生方が、鎌倉期の山城物や備前物、ちょっと下って相州物を偏重する傾向が強く、現代に至っても鑑賞する方々の意識に、その影響がまだ広く残っている。製作された時代に応じた意識と感性を通して刀を鑑賞するべきであるのは当然のことだろう。
 一言添えておくが、備前祐定や祐永が劣るというのではない。作風の違いや、求めている視点の違いが作品となって現れているのである。
③の上野大掾祐定の作風を比較して観賞しよう。祐定は腰開き互の目に丁子を複合した刃文構成で知られている。この蟹の爪を想わせる刃文は、南北朝時代後期、室町時代初期辺りから焼かれるようになった構成の一つで、戦国時代の祐定が得意として焼いたことから祐定の特徴的な刃文と言われるようになった。江戸時代中期の上野大掾祐定も、その流れを受けて似たような刃文を焼いている。研磨の方法が異なることから石堂派の作品と印象は異なるが、むしろ刃文が判りやすい(研磨による刃採は無視してほしい)。総体に小丁子乱であることは明瞭。これに互の目、焼頭が鋭く尖って地に突き入るところもある。刃縁に小沸が付き、刃中には匂が広がり、これが砂流しとなる。帽子は端正な小丸返り。



 ④は長舩横山加賀介祐永の作。緻密に詰んだ地鉄に匂だけの鮮やかな刃文。映りはないものの、刃文の美しさは絶品。互の目丁子が拳状に、或いは茶の花状に丸みを帯びて高低変化があり、足も左右に開いて刃中に淡く消え入るように穏やかに広がる。帽子も端正な小丸返り。
並べて鑑賞すると、同じ江戸時代の備前刀でも違いは明瞭。長舩鍛冶の説明ではないので、この程度にして石堂派に戻る。もう少し石堂派の作品を眺める前に、鎌倉時代の一文字の作例を押形で観察してみよう。





 ⑤に示した数点は、いずれも鎌倉時代中期の一文字派の刃文。比較的華やかな作風を採り上げてみた。国宝や重要文化財などの作品は入手の機会も極めて少ないことでしょうから、参考になるだろうか、ということであまり触れないことにする。







 こうして並べてみると、一文字鍛冶の丁子出来の刃文構成が判ると思う。互の目丁子の焼が深く、焼頭が丸みを帯びて袋丁子、或いは蛙子丁子となり、小丁子がこれに複式に焼かれて重花丁子となり、時に小丁子が押し合って連なるところもある。焼頭は丸みを帯びているだけではなく、尖り調子の部分、雁股状に尖る刃も交じる。長短の足も盛んに入り、必ずしも刃先だけに足が入るのではなく、互の目の途中にも足が入り組む場合がある。
刃文構成は揃ったところがなく、自由奔放と言っていいのだろうか、江戸時代の祐永の美観とは全く異なる。
 もちろん、直刃や湾れ刃に近い作品もあるので、この互の目丁子の刃文を一文字のすべてであるとは言わない。江戸時代の石堂鍛冶の作風を鑑賞するための参考とした。


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刀 堀川国廣

2022-07-05 | 
刀 日洲古屋之住国廣作 

天正六年の、いわゆる古屋打ち。
慶長頃の羂に比較していかにも古風。地鉄は特徴的なザングリとした肌合いだが、相州伝ではなくにも風に互の目が尖って地に深く突き入るような刃文構成。
刃長二尺九寸、反り一寸強の堂々たる姿格好。




 
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繁慶 刀 Hankei Katana

2020-07-13 | 
日本刀買取専門サイト 銀座長州屋


繁慶 刀


繁慶 刀

 繁慶の刃文構成は、刃文の形状が分からないほどに沸が強く深く、刃中の働きが濃密である場合が多い。この刀についても、研師が刃文を分かりやすくするために刃採りをしているが、こんなに単純な湾れ互の目ではない。砂流し、沸筋が鍛え目と複雑に絡んで縦方向の働きを生み出している。元来、繁慶は鉄砲鍛冶であり、鉄砲の技術を刀に採り入れた職人である。折れにくい刀、即ち粘り強い鋼を研究した結果がこの地鉄であり、刃文構成はあまり眼中になかったのではなかろうか。




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播磨守國隆 刀 Kunitaka Katana

2020-07-10 | 
播磨守國隆 刀


播磨守國隆 刀

 國隆は和泉守國貞の門人。師國貞及びその子である真改の協力鍛冶として知られている。そのため、あまり作品はないのだが、名工の一人である。この刀も、変化のある湾れにやはり変化のある互の目を交えた刃文構成。一つとして互の目が揃ったところがなく、刃中の足の様、砂流し、沸筋も作意なく自然に入っているように感じられる。先に紹介した久道も同様だが、実はこの時代、既に刃文構成は焼刃土の置き方でいかようにも自由にできる時代である。にもかかわらず、自然な乱れを求めて焼いているのである。




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丹後守兼道 刀 Kanemichi Katana

2020-07-08 | 
丹後守兼道 刀


丹後守兼道 刀

 兼道も三品派の名工。二尺八寸を越える長寸刀。この寸法を、元から先まで緩みなく均質に鍛え、焼刃を施している。見事な出来である。地鉄はわずかに流れ肌を交えた小板目鍛えで、古調なところと江戸期の清らかなところが調和している。刃文は美しい湾れ刃。刃境には土置きによる構成を否定するかのように様々な小乱が交じり、刃境に鍛え目に伴う沸筋と砂流しが流れるように掛かり、地中にも湯走りが層状に流れ込んで景色を成し、それはそれは美しい。写真で地刃の複雑な景色を伝えられないのが悔しい。□


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近江守久道 刀 Hisamichi Katana

2020-07-08 | 
近江守久道 刀


近江守久道 刀

 久道は三品鍛冶の一人。高い技術を備え、湾れ互の目を得意とした。三品系の焼刃構成は、志津を想わせるように古作に倣った刃文構成でパターン化しないところに面白みがある。沸が強く深く、互の目も湾れも抑揚変化に富み、刃中には沸の流れの働きが濃淡変化をしながら焼刃全面を装う。


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河内大掾正廣 刀 Masahiro Katana

2020-07-06 | 
河内大掾正廣 刀


河内大掾正廣 刀

 江戸時代前期の肥前正廣の湾れ刃。正廣家は忠吉家と並んで肥前に栄えた鍛冶集団。この正廣は四代目。正廣は相州伝を得意としており、互の目乱などを焼いている。地鉄は緻密に詰んだ肥前肌。この湾れ刃は、ゆったりとした構成であり、焼の深いところに小足や葉が入っている。互の目に葉が入って虻の目状となるのが肥前の互の目の特徴であるのだが、湾れ刃でも同様の働きがある。三所物の一つと言えよう。
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