日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

武蔵大掾是一の丁子乱刃

2024-04-30 | 
 石堂派の丁子乱刃を俯瞰し、その魅力を再確認している。もちろん鎌倉時代の太刀は貴重だが、江戸時代の丁子出来も優れていることを理解してほしい。
 武蔵大掾是一は、近江國より江戸に出て活躍した、江戸石堂の中心をなす一人。


1 刀 武蔵大掾是一
 地鉄は柾気を交えた小板目鍛えで総体に良く詰み、微細な地沸が付き、焼刃に迫るように乱映りが鮮明に立つ極上の地相。刃文は互の目に丁子を交え、地に突き入るような互の目に小丁子が複合された袋丁子となり、総体にやや逆がかり、しかも出入りが高低変化に富んで華やか。小沸と匂の複合になる焼刃は明るく冴え、逆がかった小足の盛んに入る中に金線砂流しを伴う沸筋が流れ掛かる。帽子は湾れ込んで先が小丸にごくわずかに返る。
 是一の丁子刃には焼頭が揃い調子のものと、出入りが複雑なものとがあり、また小丁子主調のものや蛙子丁子、袋丁子とが複合されるものなど多様で、技量の高さが窺いとれよう。






2 脇差 是一
 総体に小模様の互の目丁子出来ながら、刀身下半に地に突き入るような袋丁子を焼いている作。小丁子は焼頭が揃い気味で、小足が盛んに入り、葉も交じって刃中は華やか。帽子は乱れ込んで沸付き、先掃き掛けて焼き詰め風にごく浅く返る。地鉄は柾気交じりの小板目鍛えで肌立ち、鎬地近くに刃文を映すような映りが鮮明に立つ。




3として袋丁子、蛙小丁子、小丁子などが押し合うように焼かれた作の押形イラストを紹介する。これも刃に迫るような映りが立ち、逆がかった長い足が盛んに射す。残念ながら写真のデジタルデータがない。






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秦守久の華やかな丁子乱刃

2024-04-24 | 
秦守久(東連)

石堂派の丁子乱刃を俯瞰している。武州石堂派の秦守久は美濃から江戸に移住し、東連の号を用いた江戸前期慶安から寛文頃の刀工。互の目丁子出来の刃文を得意とした。時に重花丁子を焼いて一文字に迫った。
先に紹介した他にも作例を紹介する。ただし、遺されている刀は極めて少ない。

1 刀 武州住石堂秦守久
 地鉄は、鎬地が肌起つ柾目鍛えで、平地は小板目肌が良く詰み、淡い乱映りが起つ。匂に小沸を交えた刃文は、焼頭が鎬地を超えるほどに高い大振りの互の目丁子と小互の目、小丁子で、これらが不定形に焼かれており、帽子は浅く乱れ込んで先小丸ながら焼詰め風に棟に抜ける。焼頭がオタマジャクシのように丸みを帯び、小丁子はその合間に連続し、処々に尖刃を交える。飛焼も焼頭がちぎれたようにみられる。刃中には小足が入り、細い砂流しが流れ掛かる。研磨の状態から、この写真では判り難いだろう。押形イラストを参考にしてもらいたい。






2 刀 武州住秦守久
 総体に小板目鍛えながら、鎬地も肌起つことなく、微塵に詰んで地沸が付き、鎬寄りに断続的な乱映りが起つ。刃文は細やかにしかも不定形に乱れる小互の目丁子。帽子もそのまま乱れ込んで、先は小丸風ながら乱れの調子が続き、わずかに返る。焼は鎬筋を越えることはないが、比較的深めの互の目で、焼頭は丸みを帯びたり尖刃を伴うなど、この工の特徴が顕著。刃中には逆がかった小足が盛んに入り、処々に砂流しが掛かる。これも研磨の関係上写真は余り参考にならない。イラストの方が、刃文の特質が理解できる。




 いずれも刃文だけをみれば一文字と間違えるだろうが、地鉄が、江戸時代の大きな特質でもある鎬地が柾目鍛え、平地が小板目鍛え主調となる。時代観は定まるだろう。だが、映りの様子や刃文の複雑さ、単調にならない点などは古作に紛れるみどころと言い得る、しかも、一文字に比較して、明らかに洗練味があるところが魅力の一つで、江戸時代の作品の良い点と考えていいだろう。








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日置光平と常光 江戸時代の華やかな丁子乱刃を俯瞰している

2024-04-19 | 
日置光平

石堂派の作風を紹介している。先に紹介した常光の兄とも近縁の工とも考えられているのが光平。光平には刀の遺例が少ない。一説には無銘にされて古作に紛れさせたとか。それほどに、古作に紛れるような丁子出来の刃文が優れていたということである。

1 脇差 出羽守源光平
 小沸を交えた匂出来の刃文は、焼頭が高低変化に富む小丁子の連続だが、焼頭が地に突き入るような尖り調子となる傾向が強い。焼頭がやや丸みを帯びて袋状となる刃を交え、刃中には鋭い足が盛んに射す。帽子は乱れ込んで先が小丸に返る。
地鉄は小板目肌が良く詰んだ中にうっすらと板目肌が浮かび上がる上質な肌合い。映り(写真には映らない)は穏やかに自然に起ち、この流派の特質が鮮明となっている。






2 脇差 秦信法橋源光平
 こちらも尖り調子の小丁子を主体とするが、地に深く突き入る丁子が丸みを帯びた袋丁子となり、袋の中には小丁子が複式に配され、焼きの高さは時に鎬筋を越えるところもある。また、焼頭が離れて飛焼となる。小丁子が寄り合って鋭い小足が盛んに入り、高低広狭の変化が特に強く感じられる。鎬地は柾目肌で肌立ち、平地は小板目鍛えにうっすらと板目肌が交じる程度の極上の肌合いで、丁子状の映りが鮮明に現れている。帽子はわずかに乱れ込んで先が焼詰め風となっているのは珍しい。写真のデジタルデータがないので写真を提示できない。押形イラストで細部の様子を確認してほしい。


ここに押形刃文イラストを紹介した以外の作品も、多くは押し合うように密な小丁子の連続になる刃文で、その高低変化のある中に突き入る丁子の頭も複式に小丁子が焼かれたり、尖り調子となるものが多い。鋭い足が盛んに入るのも特徴と言えよう。



対馬守常光

対馬守常光は江戸時代前期の慶安から元禄(最晩年)頃の江戸の刀工。
 いくつかの作例を紹介するが、先に紹介した一例のように、一文字を手本にしながらも、直刃調の穏やかな作風から丁子の出入りが複雑で華やかな出来まで多彩である点をまず心にとどめておきたい。
 今回は写真のデジタルデータが少ないのでこの点はご容赦願いたい。


 脇差 橘常光
 比較的穏やかな出来ながら、互の目の焼頭が丸みを帯びて地に突き入るようなところがあり、また焼頭に尖刃がわずかに交じる。刃中には小足が入り、焼刃は匂口が締まって明るい。帽子は浅い湾れ調子となり、先端は小丸に返る。地鉄は平地が小板目鍛え、鎬地が柾目鍛えで肌起つ風があり、イラストには描かれていないものの乱映りが起ってこの工らしい出来。受領前の作とみられている。古い資料のため写真のデジタルデータがない。押形イラストを参照願いたい。写真よりむしろ細部の働きが理解できるかと思う。



 刀 対馬守橘常光
 焼幅が比較的低いながらも小丁子の頭に多彩な形状が窺える作。地鉄は細やかに詰んだ小板目肌。地沸が微塵に付き、これもイラストには描かれていないものの刃文を映したような映りが鮮明に起つ。小互の目丁子の焼頭は丸みを帯びた刃、尖刃、矢筈状の刃、雁股状の刃となる。帽子は穏やかに乱れ込んで先わずかに掃き掛けて浅く返る。



脇差 対馬入道常光
 延宝八年、五十代中頃の作。まず地鉄は、鎬地が柾目鍛えで肌立ち、平地が良く詰んだ小板目肌。地沸が付いて鎬寄りに乱映りが鮮明に起つ。小丁子乱の刃文は、焼頭が高低躍動的に変化をしながらも、鎬筋までは達せず、丸みのある丁子に頭の尖った丁子が交じり、複式に焼かれた丁子に伴い、盛んに入る小足も長短変化に富む。焼刃は匂を主調にわずかに小沸がつく。帽子は焼刃の調子のまま小模様に乱れ込み、先端は小丸に返る。



脇差 対馬掾橘常光
 逆がかる小丁子乱の刃文構成。地鉄は小杢を交えた小板目鍛えで、古風に肌起ち、地沸が付いて刃文を映したような丁子映りが鮮明に起つ。互の目の頭が小模様ながら地に突き入る風はこの工の特徴。殊に、押し合うように焼かれた小模様の丁子の所々に焼の深い部分が交じっているところ、小丁子に尖刃が交じる点も大きな見どころ。総じて匂主調の鮮やかな焼刃で、長短の足も無数に射して刃中は華やか。帽子は一転して端正な焼刃となるも、先端は焼詰め風にごくわずかに返る程度。
 とある解説書に一文字と常光(常光個人ではなく石堂派という意味であろう)の見分けどころの一つとして、「・・・(一文字の作に比較して)帽子に品位が足りないことなどで・・・」と、意味不明な説明がある。近代の先生方は、複数の作品を比較説明するにあたって「品位が足りない、◯◯に劣る」などのような言葉を安易に使っている。ばかげた説明であることは容易に判るだろう。そもそも、刀の評価をランク付けしなければならなかった江戸時代の悪弊なんだ。そんな説明を鵜呑みにせず、本質に目を向けてほしい。


5として、参考に重花風の複雑な丁子出来の刃文押形イラストを示しておく。











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一文字に紛れるような石堂派の魅力

2024-04-13 | その他
石堂派の丁子乱刃・・・江戸時代の華やかな丁子乱刃

 江戸時代を通して、最も備前一文字や鎌倉時代の長船鍛冶に近い刃文を焼いたのが石堂鍛冶であろう。石堂派は戦国時代の近江に栄えたことから近江石堂の呼称があり、「新刀期の石堂派を名乗る刀工として、石堂是一、日置光平、対馬守常光等の江戸石堂、土佐将監為康等の紀州石堂、福岡是次、守次等の福岡石堂などがある」と『日本刀大百科事典』に記されているように、各地に移住して江戸時代に活躍している。
一文字、あるいは長舩というと、本国の備前刀工に目を向けなければならない。江戸時代の備前鍛冶、長舩祐定系の刀工の作風は、江戸時代に特徴的な、綺麗に詰んだ小板目鍛えや無地風の地鉄となり、刃文構成に美観を置いたのに対し、石堂派の地鉄は小板目鍛えながらも映りが顕著に現れる点でも古風と言い得る地刃に特徴がある。
 まず、備前刀の例として江戸時代中期の上野大掾祐定(③)、同じく江戸時代後期の長舩祐永(④)、これに対して江戸石堂派の東連守久(①)、対馬守常光(②)の刃文を、押形イラストで比較してみたい。もちろん写真で比較したほうがより正確なのだろうが、研磨の方法が異なる為に見かけが異なるため初心者には刃文の本質が判らず、押形イラストの方が理解し易いと思う(写真があるものは写真も参考にしよう)。
 石堂派の作風は、互の目丁子の出入り、ふっくらとした焼頭、その高低変化の様子、丁子の配合の様子、丁子が複式となっている点などにおいて、鎌倉時代の一文字などを手本としたことは紛れもない事実。
鎌倉時代の一文字の作風は、江戸時代の洗練された技術下での作とは異なって偶然性が背景にある。だから時に焼き崩れていたり、刃染み風の部分があったり、或いは焼が叢になっているところがあり、それらも景色として鑑賞者は許している(⑤)。
一方江戸時代の刀に対して、鑑賞者はかなり厳しい目で見ていると思われる。江戸時代の刀だから欠点は許しがたい、という意識があるようだ。それに応えるために刀工は破綻のない作品を生み出そうと研究し、努力を重ね、特に地鉄においては均質な鍛えとなることを最大の目的とし、刃文もまた今に遺されている石堂派に特徴的な互の目丁子出来に到達した。
 ①の守久(武州住石堂秦東連)は、小互の目に小丁子が交じり、丁子が押合い、重なり合っているようにも見える。丁子の頭は丸みを帯びて茶の花のようにも見えるところがあり、また頭が横に展開して袋丁子状となり、或いは蛙子状に地中に頭が突き入ったり、頭同士が連続して刃中に玉状の刃が現れたり、さらに地中には焼頭が離れて飛焼となっているところがある。このように出入りがとても複雑な焼刃構成である点が一つの見どころ。帽子もまた、一般に江戸時代の作は帽子が丸く返るのを常としているが、石堂派の作はこのように乱れ込んでいるものが多く、本作は先が尖って返っている。
 匂に小沸を交えた焼刃は、刃境に粒の揃った小沸が付いて冴え、匂が淡く広がる刃中には方向の定まらぬ小足や飛足が盛んに入る。
 この写真は複雑で細やかな働きが判りやすいと思う。







 ②の対馬守橘常光の作は、焼頭が蛙子状の丁子となって地中に深く突き入り、鎬筋を越えるところもあるほどに焼が深い。僅かに逆がかる小互の目丁子が押合って丁子の束となり、桜の花びらのように焼頭が丸みを帯びたり、茸のように左右に広がったり、時に尖り刃を交えたりと変化に富むところも古作一文字風の構成。この作でも焼頭が離れて飛焼が生じている。帽子は浅く湾れ込んで先端が突き上げて返る。匂主調の焼刃は、わずかに小沸が付き、匂の広がる刃中には小足が盛んに入る。この研磨の方法では細かな働きが全く判らない。イラストの方が理解し易い。この作品も焼刃が複雑で、しかも鮮やかである。





 両者は、いずれも一文字伝を焼かせては抜きん出た力量を示すことで知られている。地鉄について説明しなければならないが、刃文を映したような映りが鎬寄りに起ち現れ、細やかに詰んだ小板目鍛えの地肌と働き合って、古作本歌の一文字の作品以上の美観を呈しているとは言い過ぎだろうか。古作と新刀という点で好みの分かれるところだが、決して鎌倉期の作品に劣るものではないと断言する。
度々述べているが、江戸時代の鑑定家(日本刀が江戸時代の武家間での贈答に欠かせないことから、日本刀に優劣をつけなければならなかった背景があることを認識してほしい)や近代の先生方が、鎌倉期の山城物や備前物、ちょっと下って相州物を偏重する傾向が強く、現代に至っても鑑賞する方々の意識に、その影響がまだ広く残っている。製作された時代に応じた意識と感性を通して刀を鑑賞するべきであるのは当然のことだろう。
 一言添えておくが、備前祐定や祐永が劣るというのではない。作風の違いや、求めている視点の違いが作品となって現れているのである。
③の上野大掾祐定の作風を比較して観賞しよう。祐定は腰開き互の目に丁子を複合した刃文構成で知られている。この蟹の爪を想わせる刃文は、南北朝時代後期、室町時代初期辺りから焼かれるようになった構成の一つで、戦国時代の祐定が得意として焼いたことから祐定の特徴的な刃文と言われるようになった。江戸時代中期の上野大掾祐定も、その流れを受けて似たような刃文を焼いている。研磨の方法が異なることから石堂派の作品と印象は異なるが、むしろ刃文が判りやすい(研磨による刃採は無視してほしい)。総体に小丁子乱であることは明瞭。これに互の目、焼頭が鋭く尖って地に突き入るところもある。刃縁に小沸が付き、刃中には匂が広がり、これが砂流しとなる。帽子は端正な小丸返り。



 ④は長舩横山加賀介祐永の作。緻密に詰んだ地鉄に匂だけの鮮やかな刃文。映りはないものの、刃文の美しさは絶品。互の目丁子が拳状に、或いは茶の花状に丸みを帯びて高低変化があり、足も左右に開いて刃中に淡く消え入るように穏やかに広がる。帽子も端正な小丸返り。
並べて鑑賞すると、同じ江戸時代の備前刀でも違いは明瞭。長舩鍛冶の説明ではないので、この程度にして石堂派に戻る。もう少し石堂派の作品を眺める前に、鎌倉時代の一文字の作例を押形で観察してみよう。





 ⑤に示した数点は、いずれも鎌倉時代中期の一文字派の刃文。比較的華やかな作風を採り上げてみた。国宝や重要文化財などの作品は入手の機会も極めて少ないことでしょうから、参考になるだろうか、ということであまり触れないことにする。







 こうして並べてみると、一文字鍛冶の丁子出来の刃文構成が判ると思う。互の目丁子の焼が深く、焼頭が丸みを帯びて袋丁子、或いは蛙子丁子となり、小丁子がこれに複式に焼かれて重花丁子となり、時に小丁子が押し合って連なるところもある。焼頭は丸みを帯びているだけではなく、尖り調子の部分、雁股状に尖る刃も交じる。長短の足も盛んに入り、必ずしも刃先だけに足が入るのではなく、互の目の途中にも足が入り組む場合がある。
刃文構成は揃ったところがなく、自由奔放と言っていいのだろうか、江戸時代の祐永の美観とは全く異なる。
 もちろん、直刃や湾れ刃に近い作品もあるので、この互の目丁子の刃文を一文字のすべてであるとは言わない。江戸時代の石堂鍛冶の作風を鑑賞するための参考とした。









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一文字に紛れるような石堂派の魅力

2024-04-12 | 
石堂派の丁子乱刃・・・江戸時代の華やかな丁子乱刃

 江戸時代を通して、最も備前一文字や鎌倉時代の長船鍛冶に近い刃文を焼いたのが石堂鍛冶であろう。石堂派は戦国時代の近江に栄えたことから近江石堂の呼称があり、「新刀期の石堂派を名乗る刀工として、石堂是一、日置光平、対馬守常光等の江戸石堂、土佐将監為康等の紀州石堂、福岡是次、守次等の福岡石堂などがある」と『日本刀大百科事典』に記されているように、各地に移住して江戸時代に活躍している。
一文字、あるいは長舩というと、本国の備前刀工に目を向けなければならない。江戸時代の備前鍛冶、長舩祐定系の刀工の作風は、江戸時代に特徴的な、綺麗に詰んだ小板目鍛えや無地風の地鉄となり、刃文構成に美観を置いたのに対し、石堂派の地鉄は小板目鍛えながらも映りが顕著に現れる点でも古風と言い得る地刃に特徴がある。
 まず、備前刀の例として江戸時代中期の上野大掾祐定(③)、同じく江戸時代後期の長舩祐永(④)、これに対して江戸石堂派の東連守久(①)、対馬守常光(②)の刃文を、押形イラストで比較してみたい。もちろん写真で比較したほうがより正確なのだろうが、研磨の方法が異なる為に見かけが異なるため初心者には刃文の本質が判らず、押形イラストの方が理解し易いと思う(写真があるものは写真も参考にしよう)。
 石堂派の作風は、互の目丁子の出入り、ふっくらとした焼頭、その高低変化の様子、丁子の配合の様子、丁子が複式となっている点などにおいて、鎌倉時代の一文字などを手本としたことは紛れもない事実。
鎌倉時代の一文字の作風は、江戸時代の洗練された技術下での作とは異なって偶然性が背景にある。だから時に焼き崩れていたり、刃染み風の部分があったり、或いは焼が叢になっているところがあり、それらも景色として鑑賞者は許している(⑤)。
一方江戸時代の刀に対して、鑑賞者はかなり厳しい目で見ていると思われる。江戸時代の刀だから欠点は許しがたい、という意識があるようだ。それに応えるために刀工は破綻のない作品を生み出そうと研究し、努力を重ね、特に地鉄においては均質な鍛えとなることを最大の目的とし、刃文もまた今に遺されている石堂派に特徴的な互の目丁子出来に到達した。
 ①の守久(武州住石堂秦東連)は、小互の目に小丁子が交じり、丁子が押合い、重なり合っているようにも見える。丁子の頭は丸みを帯びて茶の花のようにも見えるところがあり、また頭が横に展開して袋丁子状となり、或いは蛙子状に地中に頭が突き入ったり、頭同士が連続して刃中に玉状の刃が現れたり、さらに地中には焼頭が離れて飛焼となっているところがある。このように出入りがとても複雑な焼刃構成である点が一つの見どころ。帽子もまた、一般に江戸時代の作は帽子が丸く返るのを常としているが、石堂派の作はこのように乱れ込んでいるものが多く、本作は先が尖って返っている。
 匂に小沸を交えた焼刃は、刃境に粒の揃った小沸が付いて冴え、匂が淡く広がる刃中には方向の定まらぬ小足や飛足が盛んに入る。
 この写真は複雑で細やかな働きが判りやすいと思う。





 ②の対馬守橘常光の作は、焼頭が蛙子状の丁子となって地中に深く突き入り、鎬筋を越えるところもあるほどに焼が深い。僅かに逆がかる小互の目丁子が押合って丁子の束となり、桜の花びらのように焼頭が丸みを帯びたり、茸のように左右に広がったり、時に尖り刃を交えたりと変化に富むところも古作一文字風の構成。この作でも焼頭が離れて飛焼が生じている。帽子は浅く湾れ込んで先端が突き上げて返る。匂主調の焼刃は、わずかに小沸が付き、匂の広がる刃中には小足が盛んに入る。この研磨の方法では細かな働きが全く判らない。イラストの方が理解し易い。この作品も焼刃が複雑で、しかも鮮やかである。





 両者は、いずれも一文字伝を焼かせては抜きん出た力量を示すことで知られている。地鉄について説明しなければならないが、刃文を映したような映りが鎬寄りに起ち現れ、細やかに詰んだ小板目鍛えの地肌と働き合って、古作本歌の一文字の作品以上の美観を呈しているとは言い過ぎだろうか。古作と新刀という点で好みの分かれるところだが、決して鎌倉期の作品に劣るものではないと断言する。
度々述べているが、江戸時代の鑑定家(日本刀が江戸時代の武家間での贈答に欠かせないことから、日本刀に優劣をつけなければならなかった背景があることを認識してほしい)や近代の先生方が、鎌倉期の山城物や備前物、ちょっと下って相州物を偏重する傾向が強く、現代に至っても鑑賞する方々の意識に、その影響がまだ広く残っている。製作された時代に応じた意識と感性を通して刀を鑑賞するべきであるのは当然のことだろう。
 一言添えておくが、備前祐定や祐永が劣るというのではない。作風の違いや、求めている視点の違いが作品となって現れているのである。
③の上野大掾祐定の作風を比較して観賞しよう。祐定は腰開き互の目に丁子を複合した刃文構成で知られている。この蟹の爪を想わせる刃文は、南北朝時代後期、室町時代初期辺りから焼かれるようになった構成の一つで、戦国時代の祐定が得意として焼いたことから祐定の特徴的な刃文と言われるようになった。江戸時代中期の上野大掾祐定も、その流れを受けて似たような刃文を焼いている。研磨の方法が異なることから石堂派の作品と印象は異なるが、むしろ刃文が判りやすい(研磨による刃採は無視してほしい)。総体に小丁子乱であることは明瞭。これに互の目、焼頭が鋭く尖って地に突き入るところもある。刃縁に小沸が付き、刃中には匂が広がり、これが砂流しとなる。帽子は端正な小丸返り。



 ④は長舩横山加賀介祐永の作。緻密に詰んだ地鉄に匂だけの鮮やかな刃文。映りはないものの、刃文の美しさは絶品。互の目丁子が拳状に、或いは茶の花状に丸みを帯びて高低変化があり、足も左右に開いて刃中に淡く消え入るように穏やかに広がる。帽子も端正な小丸返り。
並べて鑑賞すると、同じ江戸時代の備前刀でも違いは明瞭。長舩鍛冶の説明ではないので、この程度にして石堂派に戻る。もう少し石堂派の作品を眺める前に、鎌倉時代の一文字の作例を押形で観察してみよう。





 ⑤に示した数点は、いずれも鎌倉時代中期の一文字派の刃文。比較的華やかな作風を採り上げてみた。国宝や重要文化財などの作品は入手の機会も極めて少ないことでしょうから、参考になるだろうか、ということであまり触れないことにする。







 こうして並べてみると、一文字鍛冶の丁子出来の刃文構成が判ると思う。互の目丁子の焼が深く、焼頭が丸みを帯びて袋丁子、或いは蛙子丁子となり、小丁子がこれに複式に焼かれて重花丁子となり、時に小丁子が押し合って連なるところもある。焼頭は丸みを帯びているだけではなく、尖り調子の部分、雁股状に尖る刃も交じる。長短の足も盛んに入り、必ずしも刃先だけに足が入るのではなく、互の目の途中にも足が入り組む場合がある。
刃文構成は揃ったところがなく、自由奔放と言っていいのだろうか、江戸時代の祐永の美観とは全く異なる。
 もちろん、直刃や湾れ刃に近い作品もあるので、この互の目丁子の刃文を一文字のすべてであるとは言わない。江戸時代の石堂鍛冶の作風を鑑賞するための参考とした。


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