短刀 宮本包則
短刀 宮本包則 明治二十六年
宮本包則も帝室技芸員を拝命した名工の一人。伯耆国の出で、備前祐包から技術を学び、備前古伝の他、美濃風の作、相州伝なども手掛けているように作域が広い。この短刀は相州伝の影響を受けた則重を手本としたもの。近代的な面から洗練味がある一方で、激しい柾目交じりの板目鍛えが、まさに古作を見るようだ。水心子正秀の提唱で知られる復古意識は備前伝にとどまらない。相州伝もまた好まれて多くの刀工が試みている。地鉄を強く意識した製作方法は、一方で鍛え疵の発生につながるが、そこは高い技術でカバーしている。鮮明な地景が縦横に走る様子はこの短刀の生命になっている。刃文もまた沸が強く、互の目の形状が判然としない、相州古伝のままである。□
短刀 宮本包則 明治二十六年
宮本包則も帝室技芸員を拝命した名工の一人。伯耆国の出で、備前祐包から技術を学び、備前古伝の他、美濃風の作、相州伝なども手掛けているように作域が広い。この短刀は相州伝の影響を受けた則重を手本としたもの。近代的な面から洗練味がある一方で、激しい柾目交じりの板目鍛えが、まさに古作を見るようだ。水心子正秀の提唱で知られる復古意識は備前伝にとどまらない。相州伝もまた好まれて多くの刀工が試みている。地鉄を強く意識した製作方法は、一方で鍛え疵の発生につながるが、そこは高い技術でカバーしている。鮮明な地景が縦横に走る様子はこの短刀の生命になっている。刃文もまた沸が強く、互の目の形状が判然としない、相州古伝のままである。□