ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

INOKI KI (闘魂忌)に寄せて ②  ~夢追い伝説

2023-10-02 | プロレス

INOKI KI (闘魂忌)に寄せて ②  ~夢追い伝説

 

   猪木の闘いはリング上だけに留まらなかった。

   「事業なんかに手を出さず、レスラーだけに専念していれば良かったのに。」

 と多くの人がそう思うくらい失敗続き。

 事実、レスラーだけに専念していたら、実力世界一と云われた全盛期(上写真)をもう少し永く維持できたかもしれない。

 しかし、この男は夢を持つこと、夢を実現することに人生の目的、生きる意味を見出してしまった。

 その夢とは私利私欲の世界を越えて、世界平和や環境問題、食糧問題、エネルギー問題、ゴミ問題など地球人類規模の課題を解決することだった。

 だが、事業家というには、あまりに金銭には無頓着だったときく。

 それ故、猪木が動くと莫大なマネーも動くことを知っている輩が現れて、ビッグマネーをむしり取られたことも多かったようだ。

 或いは周囲の仲間たちにも大きな不利益を負わせてしまったことも多かった。

 そういう意味では遠くから応援するのはいいが、財布持ちには側にいて欲しくない人物なのかもしれない。

 それでも、「落ちたら、また這い上がってくればいいだけのこと」と、何度、落ちても失敗を恐れずにまた実行に移すのが、この男である。

 馬鹿になるのはいいが、本当にとことん、馬鹿になってしまった。

 まさに現代のドン・キホーテ。究極の夢追い人といえる。

   

 若いころの商売(タバスコ、マテ茶など)は別にして、地球規模の課題解決のため、奔走した事業が以下である。

 ①1980年代にブラジル政府を巻き込みバイオ燃料事業「アントン・ハイセル」を始める。

 1970年代のブラジル政府は、石油の代わりにサトウキビから精製したアルコールをエネルギー源として使用する研究を進めていた。

 しかし、その精製過程で出来る絞りかす(バカス)は中に含まれるリグニンという物質のせいで牛の餌にもならず、その上、公害となった。

 猪木グループはそのリグニンという物質を食べる細菌がいることに着目。

 もしも、リグニンを食べる細菌の力を実用化できれば、バカスによる公害はなくなるし、処理後のバカスを食べた牛の糞を有機肥料として使用すれば農業生産率のUPにもつながり、世界的な食糧問題の解決につながる。

 私は若き日にこの構想を知り、大いに賛同したものだが、実際にはブラジル国内の財政破綻などのため、頓挫した。

 ②外部からのエネルギーを一切使用せずに磁力を使い運動を続けるという発電機『永久電機』の開発によるエネルギー問題の解決。(2002)

 ③高温で廃棄物を蒸発させられる水プラズマの実用化により、ゴミ問題、環境問題の解決。(2020)

 水プラズマとは、水から発生する最大2万度の高熱により、あらゆるものを瞬時に蒸発させて水素に変える技術のことで、これを使えば二酸化炭素を発生させずにゴミ処理することが可能になるという。

 ①と②は失敗。③は公開実験に成功するが、コロナ禍に見舞われ、コスト削減の課題が解決されていないまま。

 またしても、夢追い人は負けてしまったか。

 

 ところが、今になって、ブラジルではガソリン以上にバイオ燃料の需要が高まってきたという。

 そこには、「アントンハイセル」の思想や原理が生かされているらしい。

 猪木はいつも、早すぎる。時代を先取りしすぎるのだろうか。

 「永久電機」や「水プラズマ」だって、あと何十年もすると「猪木・アリ戦」のように評価され、実用化されるのではないかと思えてくる。

 私は猪木の事業取り組みや政治活動も異種格闘技戦の延長であると考えている。

 こんなスケールの大きな男は二度と現れない。

   

 

 <引退試合終了後のメッセージ>

      人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いていくのだと思います。

      この道をゆけばどうなるものか。

      危ぶむなかれ。危ぶめば道なし。 

      踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。

      迷わず行けよ。行けばわかるさ。

 
 
 
 
 

INOKI KI (闘魂忌)に寄せて ① ~猪木・アリ戦

2023-10-01 | プロレス

INOKI KI (闘魂忌)に寄せて ① ~猪木・アリ戦

   

 

 

 その日、私は学校の帰りに地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅のホームのベンチで各社新聞の夕刊を貪るように読んでいた。

 1976年6月26日、どの新聞も昼間に開催された猪木・アリ戦の速報記事を載せていたが、殆どの新聞がこの試合を酷評していた。

 猪木・アリ戦という常識ではあり得ない闘いが実現するに至った過程、試合直前まで紛糾したルール問題などプロレス専門誌(紙)によって、かなりの情報をリアルタイムで知り得ていた我々の感覚とプロレスをあまり知らない、或いは、固定観念と偏見に凝り固まった一般紙の記者の感覚には天と地ほどの差があった。

 そのころ、一番信頼していたM新聞の見出しはこうだった。

 「ショーならショーらしく、やれ!」

 激しい怒りがこみ上げて来て、その場でM新聞を破り捨てた。

 周りの人はびっくりしたことだろう。

 あまり知らない世界のことを、さも自分が博識者であるかのごとく固定観念で論じる記者の傲慢さが許せなかった。

  (まだ、純粋?だったのかもしれないが、今でもM新聞を許せないでいる。)

 そのとき、わかった。

    我々(プロレス者)の敵は一般社会の固定観念と偏見なのだと。

 そして、猪木はその一般社会を相手に闘っているのだと。

 だからこそ、一般社会の強者の象徴・権威であったアリと闘ったのだと。

 世界中からも酷評された猪木アリ戦だったが、今になって手の平を返すように、この試合が評価されるようになってきた。

    ここに至るまで何十年もの時間を要したのは時代を先取りし過ぎていたからなのだろうか。

 当時、15ラウンド中、殆ど変化の少ない試合であるにも拘わらず、固唾を飲んで両者の一挙手一投足を凝視していたのはマイノリティな我々だけだった。

 「リアルファイトだったから、一般人には面白くなかった。」

 ただ、それだけのこと。

    今なら、この言葉の意味を多くの人が理解しているだろうに。

 もっとも、リアルファイトなんて、滅多にないプロレス界の体質にも起因していることは我々も重々承知している。

   

 

 私はこの日を境に物事を批評するには、それに対し、充分な情報・知識を知り得ていなければならないと思うようになった。

    この試合実現のために一説には10億という借金を背負いながら、おまけに世界中から普通なら再起不能になるほどのバッシングを受けた猪木が、それらをバネに更に強く立ち上がっていく姿に我々は大きな勇気をもらった。

 

 10月1日は「INOKIKI(猪木・忌)」。早いもので一周忌を迎える。