goo blog サービス終了のお知らせ 

お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「上映終了後、立てない映画」

2005年11月17日 | 映画・DVD・ビデオ
ブレージング・サドル

ワーナー・ホーム・ビデオ

このアイテムの詳細を見る


映画館で、上映が終わって明るくなっても、興奮したり、感動して、しばらく脱力感に襲われ、立てなくなる映画が数本ある。こんな映画に始終めぐり合いたいのだが。

僕は、順不同で言うと、「砂の器」(号泣)、「ブレージングサドル」「007/私を愛したスパイ」「あなただけ今晩は」・・・最近では「スウィング・ガールズ」「パッチギ!」「Ray」等。

こんな映画を見た後は、幸せな気分になり、いつものバーで一人ウィスキーのグラスを傾ける。

それにしても、最近、映画館に行っていない。「ミリオンダラー・ベィビー」以来だ。
僕は「日本アカデミー賞」の会員に数年前なった。年会費は2万円。正直、高いと思う。「東宝」「東映」「松竹」「日活」のロードショー館が初日・日曜・祝日以外は、フリーで入れる。
一本1800円としても、年間12本見ないと、元が取れない。でも、これを持っていると、映画に行かなくては・・・というエネルギーが出てくる。一度行くと、結構立て続けに行くのだが、最近上映している映画には触手が動かなかった。上野樹里の「タイムマシンブルース(タイトルが違っているかもしれない)」には、行きたかったが、躊躇しているうちにロードショーが終わってしまった。

これからも、「上映が終わって、立てないような映画」を探し求めていくつもり。

「泣きネタ」

2005年11月17日 | エッセイ・日記・意見
「涙本」とか、「涙が出る映画」が求められているらしい。
韓国映画の「私の頭の中の消しゴム」のヒット、最後にはボロボロと泣いてしまう本がベストセラーになっている。

「涙」は以前、このブログでも書いた様に、「赤血球の抜けた血」である。何故かしら、その「血の涙」を出し、号泣すると、生きる元気が湧いて来る。
逆に言えば、それだけ、「泣きネタ」の需要が多いという事は、「元気が無い。元気を社会に吸い取られている」という現実があるのではないだろうか。

先日、旅した」「南アフリカの人は、「泣きネタ」も入らない位、ユーモラスで元気だった。あんな大自然と動物、美しい風景に囲まれていれば、そんなものは要らない。

日本人が「泣くという行為」を通して、「元来持っていた日本人の叙情性」を取り戻そうとしているかのようだ。
みんな、元気になろうぜぇ~思いっきり泣いて・・・。

昔の日本テレビの青春ドラマに「泣いてたまるか」というのがあった様な記憶がある。
あの頃の日本人に「心」は戻りたい。もう、「もの」も「情報」も要らない。ひとつの生き物、日本人として生きて行きたい。
http://www.keshigomu.jp/index2.html

海外の本で、とても参考になった「認知療法」の本です。

2005年11月16日 | 本・雑誌・漫画
自分を愛する10日間プログラム―認知療法ワークブック

ダイヤモンド社

このアイテムの詳細を見る


「認知療法」も「不安感」に対して納得のいく治療法だと思います。

2005年11月16日 | 本・雑誌・漫画
うつからの脱出―プチ認知療法で「自信回復作戦」

日本評論社

このアイテムの詳細を見る


「森田療法」・・・僕も「不安感」が強くいろいろ本を読みましたが・・・

2005年11月16日 | 病院・薬・病気
森田療法

講談社

このアイテムの詳細を見る


この治療法にはとっても説得感がありました。慈恵医大には、「森田療法科」という「科」があります。森田先生が慈恵医大の先生だったからです。

「不安」の解消の方法

2005年11月16日 | 病院・薬・病気
「行動」をすると「感情」が変わります。「気分が乗らない時」、ちょっとした行動をしてみましょう。それは、「会社で伝票を書く事」だったり、「何か新しいものを買う事」、「いつもは行かない店に入ってみる事」だったりします。

基本は、「小さな成果が得られる事」。上に挙げたのでは、「伝票を書く」等が適当かもしれません。

人間は不思議なもので、「小さな成果」があがれば、それなりに嬉しいものです。
ほら・・・「感情」が変わり始めたでしょ。

「不安」を抱えていてもいいのです。抱えたまま、ちょっとした「行動」を起こしてみましょう。そしたら、「行動」している間、「不安」を少しは忘れるし、やがて「感情」は変わります。

グラチャン「日本×ポーランド」戦

2005年11月16日 | 健康・スポーツ
ついに、「グラチャン」に行ってきた。テレビで見た方が、当然、選手の顔の表情とかは見えるのだが、東京体育館の雰囲気はビシビシと感じた。

アテネ五輪の一年くらい前から、応援し続けている「柳本ジャパン」。
「生」で見られたのだから、これ程、幸せな一日は無い。

そしてそして、あの「大山加奈」が戻ってきた。明るい時もあり、落ち込んでいる時もあるが、それをいつも克服しようとする「大山加奈」・・・「パワフルカナ」が大好きだ。
今日のカナは元気だったけれど、「高橋みゆき」が抜けたエネルギーを埋め切れていない感じがした。「大友愛」の左右へのブロード攻撃は、ポーランドに読まれており、センター、少し後ろからの、攻撃を加えて、アタックのポイントを立体化した方が良かったのでは無いだろうか。会場の大スクリーンに映る「大友愛」の表情に余裕が無かった。竹下のトスのスピードも落ちていたのか・・・或いは、アタッカーとのコンビネーションが悪かったのか。

レシーブも櫻井は、返すポイントが今ひとつ正確で無い。だから、竹下のトスが無理な体勢で上げる事になる。そうして、アタッカーにベストの位置にボールが上がらない。悪いスパイラルに入っていた今日の試合だった。

いちばんは、「Vリーグ」を優先するのか、「全日本チーム」を優先するのかだと思う。僕は「全日本」の練習期間を「Vリーグ」を犠牲にしても、伸ばした方がいいと思う。

日本のバレーは、基本的に「コンビネーション・バレー」だ。当然、ちゃんと、メンバーが揃って練習する期間が長くないと、成立しない。
身長の圧倒的に高い「ポーランド」に勝つには、「コンビ・バレー」のバリエーションとスピードをどれだけ進化するかにかかっていると僕は思う。

「生」で初めて見た選手達の表情に、「何かすっきりしないもの」を感じたのは僕だけだろうか。

明日の「韓国戦」。行けたら、行きたい。それよりも、本来の「全日本」のバレーを見たい。

いずれにしても、興奮した一日だった。

「医者」と「患者」の関係・・・

2005年11月14日 | 病院・薬・病気
うちの近所の皮膚科・・・午前10時から診察が始まる。その30分前には、看護士さん
達は来ているのだが、寒いこの時期でも午前10時までは外で待たされる。お年寄りも子供も。20人くらいが行列になっている。

「医者」にとって、「患者」は「お客様」では無いのか?
周りに他の皮膚科が無い事もあり、僕は30分くらい前に行って、一番に並ぶ。もちろん、イスなどありはしない。

それと全く逆の「内科・小児科」がある。こちらは午前9時診察開始。僕は車で行くので、二台しか置けない駐車場を押さえる為、8時半には、医院の表で待っている。
こちらも、看護士さん達の来るのは、30分くらい前。でも、絶対、患者を寒空の下で待たせたりしない。看護士さんが来られたら、すぐ暖房を入れ、掃除をしながらも、患者を中の暖かい待合室に入れてくれる。
先生も「せっかち」なのかしれないが、出勤してきて、診察室に入ったら、すぐ最初の患者が呼ばれる。

この違いは何だろう?
どちらも長年やっている・・・前者の医者には「患者に対する気遣い」が欠けている。実はもう患者が待っている時から、「医療の仕事」は始まっているのだ。どうして、長年、あの「皮膚科」はその事に気付かないのだろう。行く度に腹が立つ。

高峰秀子と黒澤明

2005年11月14日 | エッセイ・日記・意見
僕の大好きな女優さん、高峰秀子さん(81歳)が、梅原龍三郎画伯ほか、著名な画家に描いて貰った「自画像」を世田谷美術館に寄付するという記事を先日読んだ。時価2億円はするという。庶民はこんな事ばかり考えてしまう。

高峰さんは、子役時代から活躍し、ある年齢になったら、「女優」という職業を辞め、名エッセイリストになった。元々、感性が鋭い人なんだと思う。

今は、夫の松山善三監督と二人暮し。日々、周りの整理をしていっている。だから、「二億円する画」も必要無い。それより、たくさんの人に見て貰った方がよっぽどいい。
家を小さく立て替え、「無」から生まれたのだから、「無」に帰ろうとされているのかも。

黒澤明監督が、晩年、「小津安二郎監督の映画」をしばしば見ていた。つまり、自分の体力・精神力の衰えに見合った「映画撮影の方法」を研究していたそうである。

潔い人はいい。でも、なかなか周りにはいないのが悲しい。組織の中で、「出世」ばかり望む奴・・・もちろん、才能があれば、誰も文句も言わないのだろうが。単に、社長や役員に取り入って、出世しようとするバカどもに、この高峰さんと黒澤監督の精神の「きれっぱし」でも味合わせてやりたい。

「才能があれば」、人は周りに集まってくるし、「一生懸命生きていれば」、必ず、人は見ていて、そこに「絆」ができる。その「絆」が大きくなれば、「大きな仕事」ができるのではないか。

組織の中の「人間関係」に嫌気がさしている人は多いだろう。
そこに必要なのは「感受性」と「想像力」だと思う。あとは「礼儀」。

人の心に「どかどか土足で入ってきているのさえ気付かない野郎ども」に、何を言っても通じない「諦観」を覚える今日この頃である。

そうそう、山本嘉一郎監督の「馬」という作品で、黒澤明はチーフ助監督をしていて、その時の主演が高峰秀子。何かの本を読んでいたら、二人の間には、「恋する心」があったと書いてあった。本当かどうかは、「羅生門」では無いが、今となっては「藪の中」。

確かに、この本を読むと「小泉政権」の奥深い狙いが見えてくるようです。

2005年11月13日 | Weblog
下流社会 新たな階層集団の出現

光文社

このアイテムの詳細を見る

南アフリカ旅行・7日目、8日目。

2005年11月13日 | 旅・外国
平成17年11月5日~6日。
朝、5時モーニングコール。5時40分に部屋の前にスーツケースを出す。6時ホテルを出発。

朝食は弁当。ハンバーガー状のサンドイッチ。ガイドのルースさんともお別れ。
ケープタウン空港で、個人チェックイン。スーツケースは「成田」まで、とお願いする。席は非常口座席の通路側と頼むが、ヨハネスブルグから先は、航空会社が変わるので、ヨハネスブルグで変更して欲しいとカウンターの係員に言われる。

ケープタウン発7:30、BA-6428便、2時間のフライトで、ヨハネスブルグへ。
エリカさんが出迎えてくれる。国内線から国際線へ移動。添乗員さんに頼んで、ここから香港までと香港から日本までのフライトの席の変更手続きをして貰う。非常口座席が取れたので、気分も楽になる。添乗員さん、謝々!!!!!

ヨハネスブルグ発13:10、CX-748便で一路香港へ12時間25分のフライト。ゲート4と、チケットに書いてあったが、空港内のモニターで確認すると、ゲート24に変わっていて、少し焦る。

この空港では、チェックイン前にスタンプを買い物の領収書に押して貰い、出国審査を終えた後、税関の窓口にそれを提出すると、14%の税金が戻ってくる。但し、この手続きをやってみて分かったのは、「ランド(南アフリカの通貨)」で払った領収書だけで、スーパーマーケットのレシートも通った。
ダイヤモンドは「米ドル」で買ったので、こちらについては、封筒を貰い、そこに必要事項を記入して、領収書とパスポートのコピーを日本から送ると、小切手が南アフリカから帰ってくる仕組み。
「ランド」の領収書は、合算され、税関の窓口で小切手を貰い、それを隣にある銀行へ持っていくと、現金に換金してくれる。
つまり、「南アフリカで何か買い物をしたら、すべて領収書を残しておく事」。
税関の窓口で、「これは何を買ったのですか?」と訊かれるので、一点くらいは「ランドで買った現物」を用意しておく事。僕の場合は、「Tシャツを買いました」と答えたら、「見せて下さい」と言われたので困ってしまい、「ダイヤモンド」を見せたら、係員が優しかったので、首を横に振りつつも「小切手」を発行してくれた。

この手続きをやっていて、お土産を買う時間が無くなり、何とか、南アフリカのお菓子を買って、機上の人となる。

機内食の昼食を食べ、睡眠薬を飲んで、うつらうつらしているうちに香港に到着。
平成17年11月6日、7:35。添乗員さん、ここでかなりのピンチ。ケープタウンでスーツケースとかを個人チェックインで預けた為、「成田まで行く荷物」と「香港で降ろされる荷物」がある事が判明。チケットも、香港-成田間のチェックインの手続きが終わっていない人がいて、そのすべてを整理しに、キャセイのカウンターに行く。

僕は、モンブランの免税店を覗いていたら、とても斬新なモデルの万年筆があったので、ついつい買ってしまう。衝動買いの典型だ。

添乗員さんのパワフルな行動で、すべてのトラブルの整理がつき、香港発9:10、CX-504便にて、3時間45分で成田へ。
成田の空港では荷物が出てきた順に自由解散になるので、香港の搭乗前に添乗員さんにツアーのみんなでお礼を言う。

キャセイ航空は時間に正確。13:55、成田着。入国手続きを済ませ、荷物をピックアップして、ツアーの皆さんに挨拶し、帰宅の途につく。

ツアーで親しくなった狛江の御夫婦、大分の御夫婦、そして、宇都宮から一人で参加のおばあちゃん・・・添乗員Hさん、とても  いい旅になりました。ありがとうございます。Hさんは今頃、また次のツアーでどこか外国の地にいるのだろうなぁ。
ずっと、二十代から、ツアーではなく、一人旅をしてきた僕だけれど、ツアーの良さも感じられた今回の旅でした。

成田から京成で八幡へ。都営新宿線に乗り換え、本八幡から一本で、京王線の最寄駅に。
妻が車で迎えに来てくれる。

翌日から、出社したが、「時差ボケ」も無く、「優秀、優秀」と思っていたら、金曜日になって、突然「疲れ」が噴き出し、会社が終わって帰りの電車の中では、立ったまま眠ってしまうわ、新宿の乗り換えで降り損ねそうになるわ、歳を取ると、「時差ボケ」も遅れてやってくるのだという事を痛感した。

この土日、睡眠をしっかりとったら、元気復活。400枚以上撮った写真のプリントもプリンターと、格闘しつつ、仕上げた。

また、「旅」に出たい。今度は妻と一緒に・・・

南アフリカ旅行・6日目。

2005年11月13日 | 旅・外国
平成17年11月4日。
8:00ホテルを出発。ルースさんの案内を車内で添乗員さんの翻訳で聞きながら、喜望峰方面へ。
テーブルマウンテンに続く「12使徒山」「キャンプス・ベイ」を見つつ、ドイカー島のクルーズに参加。アザラシを見に行くミニツアー。岸辺に近い岩礁に、無数のアザラシがいる。晴れた日だったので、岩の上で日光浴。

これらのアザラシは、まだメスを見つけられないオスとの事。アザラシの「出会い系サイト」があったら、面白いなぁ~なんて、変な事を想像した。
船が港に戻ると、陽気な音楽隊が演奏をしている。腕の先の無い人もいる。事故か戦争で負傷したのだろうか。下船時にお金を帽子の中に入れる。

「ハウト湾」「センチネル山」「チャップズピークドライブ」を経て、「ボルダーズビーチ」でアフリカンペンギンを見る。
南米・チリで見た時と違い、数は圧倒的にこちらの方が多い。

話は脱線するが、ここは南半球。洗面所に水を溜めて、栓を抜くと「時計回りの渦」ができる。日本と反対だ。「南十字星」も見える場所ではあるが、この季節には見られないそうだ。

昼食は、「サイモンズタウン」の港沿いのレストランで「ロブスターのランチ」。美味しかった。日本人の少女が店員さんにいて、事情を訊いてみると、父親の仕事の関係で、この地に住んでいるとの事。アルバイトなのか・・・同じ日本人でも色々だ。でも、「今の日本の教育」を受けるより、自然の中で、生きている方が幸せな感じがした。彼女の表情も明るい。

そして、ついに「喜望峰(Cape of Good Hope)」に到着。アフリカ大陸最南端と言いたいところだが、実際の最南端は、「喜望峰」の南東150キロにある「アグラス岬」だそうだ。
でも、あのバルトロメウ・ディアスやヴァスコ・ダ・ガマも何百年か前に、この地に来たかと思うと興奮する。

ケーブルカーに乗って、灯台のある山頂へ。このケーブルカーの名前が「The Flying Dutchman(さまよえるオランダ人)」。この付近は強風が吹き、遭難する船も多く、「幽霊船の目撃談」も数多く残っている。「幽霊船」の事を「The Flying Dutchman(さまよえるオランダ人)」という。

当初、この岬は発見者のディアスによって、「Cape of Storms(嵐の岬)」と名付けられたが、15~16世紀のポルトガル国王マヌエル1世が、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念し、ポルトガルに希望を与えるという意味で「喜望峰」と命名した。(「地球の歩き方」より)

山頂の灯台は現在使われていないが、そこから見られる景色は本当に素晴らしい。喜望峰から世界各地までの距離を示すポールも立っている。何故か「東京」だけが折られて無くなっていたが、東京へは14000キロ。
「南極」への距離より、ブラジルの「リオ・デ・ジャネイロ」までの方が近い事に驚かされる。
それにしても、暖かく、快晴。今回の旅は天気に恵まれている。

バスで、喜望峰の海岸に移動。駐車してある車の天井に座っている「野性のヒヒ」を目撃。

再びケープ半島を北上。昨日上れなかった「テーブルマウンテン」へと向かう。
しかし・・・残念!!!強風の為、ロープウェイの運行が中止。再開の予定が立たないほど、風が強い。

予定を変更し、ケープタウンの中華料理店で夕食。紹興酒の様な強いお酒のハーフボトルを飲み、白ワインも飲む。久々の東洋の料理は美味しかった。

満腹になったところで、昨日、夕方上った「シグナル・ヒル」へ移動し、世界でも指折りの「夜景」を楽しむ。21時ホテル到着。
すべての観光は本日で終了。

添乗員さん、ツアーの皆さん、各地のガイドさんありがとうございました。

スーツケースのパックをして、旅の思い出を噛み締めながら、就寝。明日の朝が早いのだ。スーツケースは、例の「カバのブックスタンド」が入った事により、物凄く重くなった。しかし、ツアーの場合は「ツアー全員の荷物の総重量」で航空会社は計算してくれるので、重量オーバー分プラスアルファーの料金を払う必要は無い。いよいよ帰国の途に・・・。帰りたくないよー!!!!!





この人は天才。でも、分かりやすいのがとても良い。「優しい心」になれる本。

2005年11月13日 | 本・雑誌・漫画
プチ哲学

中央公論新社

このアイテムの詳細を見る

先生のいない学校とブタのPちゃん

2005年11月13日 | テレビ番組
フジテレビで、『たけしの日本教育白書』という番組をやっていて、全編を見た訳では無いのだけれども、取材部分で、とても面白い学校を紹介していた。

アメリカ・ボストンに38年前にできたその学校には、「先生」はいない。ただの一人も。スタッフという名の大人がいて、子供達が自主的にやりたい事を見つけたら、それをアシストするだけである。
校則は、「毎日、学校に5時間いる事」、それだけだ。

子供達の様子をかなり詳しく取材していたが、最初は戸惑う子供達もやがて、自分の興味のある事を「個人」や「グループ」で始める。4歳から18歳まで。
もちろん、この学校を卒業すれば、大学受験の資格を貰える。

卒業生のインタビューも撮っていた。あの学校に言って、「自分のやりたい事をじっくりと時間をかけて見つけられた」とコメントしていた。

同じ番組の別の取材では、13年前のある小学校6年生のクラスの事を紹介していた。そのクラスでは、一年間、「ブタのPちゃん」をみんなが世話をして飼育していた。
6年生だから、卒業が迫っている。「Pちゃん」の事に関しての選択肢は二つ。
一つは、「食肉センターに送って、食肉にして貰う事」、もう一つは「今、5年生の後輩にPちゃんの世話を引き継ぐ事」。

クラスはこの二つの選択肢で、16名対16名に分かれた。二つのグループは何度も話し合った。涙を流しながら、「食肉センター送り」を主張する女の子もいた。彼女の意見は、「自分達が始めた事だから、ちゃんと自分達で完結させたい。それが残酷な事だろうと」。
決定は担任の先生に委ねられ、先生も悩んだ末、「Pちゃんの食肉センター行き」が決まった。

その時から13年経って、カメラはその時の生徒達にインタビューしに行っている。
「命について、とても深く考えさせられました。あの時の事は、絶対忘れないし、自分にとってもとても大切で重要な事だと思います。それが今の自分の考え方の中にしっかりと根付いています」という様な答えをしていた。

今の世の中、「豚肉」もスーパー等で、パックになって、売られている。
「Pちゃん」という自分達が大きく関わったブタの「命の尊さ」を通して、「人の命の大切さ」・・・「他人への思いやり」があの時の
クラスにいた子供達には心に刻まれたのだろう。

とても、いろいろ考えさせられる番組だった。

「ルンバ」

2005年11月12日 | エッセイ・日記・意見
いつだったか、妻の誕生日プレゼントに「ルンバ」を贈った。
つまり、「お掃除ロボット」である。充電して、スイッチを入れると、部屋の中をクルクルと走り回り、外出している間に、床のお掃除をしてくれる。入って欲しくないエリアには、一緒についてくる「ここから先はダメ」という情報をルンバに送る機械を置いておけば、別の部屋などに行く事が無い。
新しもの好きの僕らしいプレゼントだったが、結構活躍してくれていた。

一回、何かを吸い込んで、故障し、修理に出したが、わが家では今でも健在である。

http://digimoba.com/products/roomba/roomba.html