小学校の頃、浜甲子園にすんでいて、阪神甲子園球場の前にあった「阪神パーク」という動物園に両親とも小学校からもいった想い出があります。そこには、「レオポン」というお父さんが「ヒョウ」、お母さんがライオンのハーフの動物がいました。結局最終的には7匹位生まれ、「レオポン」自体は生殖能力が無いので、それで「阪神パーク」は、別の掛け合わせ「タイポン」(トラとヒョウのハーフ」とか「ライガー(ライオンとトラのハーフ)を作っているところを公開していました。いずれも失敗に終わったようです。

今なら、動物を擁護する団体からクレームがきそうな事ですね。「阪神パーク」では、「人がピンを元通り並べるボーリング」というのもやっていました。それから、これは阪神パークとは関係ないのですが、住んでいた団地の近くに「スタントカー」という「車のサーカス」が来たのを、母の知り合いの家のベランダから見た記憶があります。片輪走行は当たり前、大砲から車が打ち出されたり、たくさんの車の上を車が飛び越えたり、厚い氷の壁を車がぶち破ったり、8の字でたくさんの車が競争したり(これは、交差するところで、必然的に車と車がぶち当たるので、一種のサバイバルレースです)、

興行の要素の多い見世物でした。今は、どこに行ってしまったんだろう。三宮の駅にいた「傷痍軍人(太平洋戦争でケガをした軍人がアコーディオンみたいな風琴を弾いてお金をもらっていました)」もいつの間にか、消えていました。ところが先日、つまり2003年に新宿駅前で、「傷痍軍人」を見ました。出で立ちは、昔と一緒。疑問に思った

のは、彼がどの戦争で、ケガをしたかという事。不思議な事もあるものです。甲子園の話しにもどりますが、

当時、甲子園球場は、外野席が高校野球の時はただで、僕はそこであの、三沢高校と松山商業の18回まで行って日没再試合、をリアルタイムで見ました。あの近鉄にいた太田幸司が三沢高校のピッチャーで、二日間、連投。結局、松山商業が勝ったという試合でした。

僕は母に「紅茶」を水筒に入れてもらい、甲子園球場で、名物の「かち割り」(単純に氷を割ったものが入ったもの)にその紅茶を入れ、アイスティーにして、試合を見ていました。

懐かしい、昭和の想い出です。