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「一人の人間の耐えられる悲しみ」の限界

2005年04月26日 | インターネット
現代は、テレビやインターネット、新聞、週刊誌で、大きな事故や事件を「同時」に全国の人が知る時代になっている。昭和の初期?にラジオの放送が始まって、この「ニュースの即時性」という要素が出てきた。江戸時代とかは、江戸で大きな災害や事件が起こっても、上方(大阪)に伝わるのには、日にちがかかった。しかも、「伝聞」という形式である。
生物としての「人間」が「ショック」や「悲しみ」に耐えられる分量は決まっているのではないかと僕は思う。江戸時代の様に、そうしたニュースがあまり飛び交っていない時代には、「人間」は平穏な心持ちで暮らせたのである。それが、これだけ、「即時性」のある伝達媒体が多いと、「一人の人間が耐えられる悲しみの限度」を超しているように思えて仕方がない。「鬱病」も増える訳だ。
多分、江戸時代の人の受ける、もっとも大きな悲しみは、身近に住んでいる肉親の死だったと思う。その死を目の当たりにする事で、「生きる」という事の大切さを学習していたのだろう。今の時代、「悲しみ」はたくさん、個々人に入ってくるが、「感情を揺さぶられるニュース」が多すぎて、「生きる」ことの大切さに気付かされる余裕も無く、日々暮らしているというのが、僕の素直な実感だ。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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すごく... (AP)
2005-04-28 20:46:47
考えさせられる言葉でした。「一人の人間の耐えられる悲しみ」の限界。その分量は人それぞれだろうけど、分量がいっぱいいっぱいになると、生体防御作用が働いて、その悲しみの記憶が薄れたりするのかなあ...と想像します。約36年の人生の中で、深い深い悲しみが2度ありました。1つに対しては敢えて傷を深めるなどして、引きずっています。忘れてはいけないことと決めているから。残りの1つに対しては、う~ん...敢えて逃げているかのなあ...。
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逃げれる時は・・・ (テレビ)
2005-04-28 22:49:08
自分の自然な気持ちの変化に任せて、逃げた方がいいと思います。テレビ業界も、似たようなところがあり、矛盾をはらんだ厳しさ、理不尽な厳しさがありますから。
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