僕は、浜甲子園団地に、幼稚園・小学校高学年の時代に住んでいました。「レオポン」を学校から、「レオポン」を写生しに行ったものです。
以下は、下記ホームページからの引用です。
「新しい猛獣を生み出そう」、世界各地の動物園がこんな競争をしていた時代があった。トラとライオンの混血児の「タイゴン」や「ライガー」が欧米で誕生。そんな中、日本の阪神パークが挑戦したのがヒョウとライオンの組み合わせによる「レオポン」を誕生させること。
父親はヒョウの甲子雄(かねお)、母親がライオンの園子(そのこ)。2頭とも1955年に阪神パークに生まれた。2頭はレオポン誕生計画のもと、幼い頃から同じ檻で育てられる事に。計画は順調に進んで1959年11月に世界初のレオポンとしてオスとメスの2頭が誕生した。体つきはライオンでひょうの柄の赤ちゃんたちはまたたくうちに日本中の注目の的に。世界中からの学者やマスコミが押し寄せ阪神パークは一躍世界の最先端の動物園となった。
生まれたばかりの時はレオポン1号・2号と呼ばれていたが、その後公募により兄が「レオ吉」妹が「ポン子」と名づけられた。成長するにしたがって雄にはたてがみも生えて、ライオンの風格、まさに珍獣と日本中が涌いた。
さらに1961年6月に3頭の兄弟が生まれレオポンは5頭に。3頭の名前は「ジョニー」「チェリー」「ディジー」。レオ吉、ポン子の兄弟にしては妙にハイカラな名前だが、その理由は単純で命名者が西ドイツのネコ学者レイハウゼン博士だったから。生殖能力の低い一代雑種レオポンには2世誕生はかなわなかった。
その後もレオポンとトラの交配なども試みられたが失敗。そんな時に現れたのがジャイアントパンダだった。人気は一気にパンダに奪われレオポンは次第に忘れられることに。
でも、レオポン一家は8歳で亡くなったディジー意外はそれなりの寿命まで生きた。もっとも長寿だったのがジョニーで1985年7月に24歳で死んだ。人間の年齢に換算すると何と100歳を超える超高齢だった。
レオポンは死んだ後みな剥製にされたが2003年の阪神パークの閉園でレオ吉とポン子が国立科学博物館に、チェリーとディジーが大阪市天王寺動物園に、長寿だったジョニーが西宮市に引き取られている。現在一般公開されているのはジョニーだけ。西宮市内の複合スパリゾート、リゾ鳴尾浜で会うことができる。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00031116942103.htmlから引用しました。詳しくはこのURLまで。
以下は、下記ホームページからの引用です。
「新しい猛獣を生み出そう」、世界各地の動物園がこんな競争をしていた時代があった。トラとライオンの混血児の「タイゴン」や「ライガー」が欧米で誕生。そんな中、日本の阪神パークが挑戦したのがヒョウとライオンの組み合わせによる「レオポン」を誕生させること。
父親はヒョウの甲子雄(かねお)、母親がライオンの園子(そのこ)。2頭とも1955年に阪神パークに生まれた。2頭はレオポン誕生計画のもと、幼い頃から同じ檻で育てられる事に。計画は順調に進んで1959年11月に世界初のレオポンとしてオスとメスの2頭が誕生した。体つきはライオンでひょうの柄の赤ちゃんたちはまたたくうちに日本中の注目の的に。世界中からの学者やマスコミが押し寄せ阪神パークは一躍世界の最先端の動物園となった。
生まれたばかりの時はレオポン1号・2号と呼ばれていたが、その後公募により兄が「レオ吉」妹が「ポン子」と名づけられた。成長するにしたがって雄にはたてがみも生えて、ライオンの風格、まさに珍獣と日本中が涌いた。
さらに1961年6月に3頭の兄弟が生まれレオポンは5頭に。3頭の名前は「ジョニー」「チェリー」「ディジー」。レオ吉、ポン子の兄弟にしては妙にハイカラな名前だが、その理由は単純で命名者が西ドイツのネコ学者レイハウゼン博士だったから。生殖能力の低い一代雑種レオポンには2世誕生はかなわなかった。
その後もレオポンとトラの交配なども試みられたが失敗。そんな時に現れたのがジャイアントパンダだった。人気は一気にパンダに奪われレオポンは次第に忘れられることに。
でも、レオポン一家は8歳で亡くなったディジー意外はそれなりの寿命まで生きた。もっとも長寿だったのがジョニーで1985年7月に24歳で死んだ。人間の年齢に換算すると何と100歳を超える超高齢だった。
レオポンは死んだ後みな剥製にされたが2003年の阪神パークの閉園でレオ吉とポン子が国立科学博物館に、チェリーとディジーが大阪市天王寺動物園に、長寿だったジョニーが西宮市に引き取られている。現在一般公開されているのはジョニーだけ。西宮市内の複合スパリゾート、リゾ鳴尾浜で会うことができる。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00031116942103.htmlから引用しました。詳しくはこのURLまで。
昨日、日テレで、「世界一受けたい授業」を見た。うちは、土曜日はフジテレビの「IQ
サプリ」を見て、この番組を見るという習慣になっている。
昨夜の放送で面白かったのは、藤田紘一郎先生のお話。「人間は菌によって、健康を保っている」という内容だ。だから、人が座った洋式トイレにも先生はぬくもりがあるうちに座るのだそうだ。いい菌をもらう為に。また、出たての「オシッコ」は無菌状態。「菌」の一番多い体の部分は「口の中」だそうだ。
また、江戸時代、「ウンコ」は売買されていた。特に「大名屋敷」の「ウンコ」は高値がついたそうだ。食べるものがいいので、「いいウンコ」になるのだそうだ。
一番興味があったのは、日本人でアレルギー体質を持った人が出始めたのは、1970年代以降だそうだ。つまり、「抗菌」の時代になり、良い菌を含めて、無くそうとする事で、アレルギー体質が生まれた。ウンコが流れる様な川で水遊びをする「インドネシアの子供達」にアトピーの子は一人もいないそうだ。
薮本さんの「女子アナ失格」の「らい病」の取材のくだりを読んでいて思ったのだが、確かに日本は1970年くらいから、社会を表面上、きれいにし始めたと思う。
「らい病」の隔離はもっと前から行われていたが、僕らの子供の頃、近所には「あたまのおかしい人」も「障害を持った人」も「身寄りの無いお年寄り」も住んでいた。それが当たり前だった。その事で、子供なのに、勉強する事、教えられる事も多かった。
畑の縁には、馬糞が積んであった。肥えつぼもあった。みんな、人間の共同体の中で生きていた。
近代社会になり、「らい病」の患者の方々が隔離された様に、様々なものが「表面上、きれいに見える様」になった。
しかし、日本人の失ったものは大きいと思う。「便利」にはなったが、「人間の心」が失われた。「鬱病」や「自殺者」が増え、日本は良くない方向に進んでいる様に思える。昨今、起こる事故や事件でも、「人間の心」がちゃんとしていれば、起こらなかったものもあるのではないだろうか。
サプリ」を見て、この番組を見るという習慣になっている。
昨夜の放送で面白かったのは、藤田紘一郎先生のお話。「人間は菌によって、健康を保っている」という内容だ。だから、人が座った洋式トイレにも先生はぬくもりがあるうちに座るのだそうだ。いい菌をもらう為に。また、出たての「オシッコ」は無菌状態。「菌」の一番多い体の部分は「口の中」だそうだ。
また、江戸時代、「ウンコ」は売買されていた。特に「大名屋敷」の「ウンコ」は高値がついたそうだ。食べるものがいいので、「いいウンコ」になるのだそうだ。
一番興味があったのは、日本人でアレルギー体質を持った人が出始めたのは、1970年代以降だそうだ。つまり、「抗菌」の時代になり、良い菌を含めて、無くそうとする事で、アレルギー体質が生まれた。ウンコが流れる様な川で水遊びをする「インドネシアの子供達」にアトピーの子は一人もいないそうだ。
薮本さんの「女子アナ失格」の「らい病」の取材のくだりを読んでいて思ったのだが、確かに日本は1970年くらいから、社会を表面上、きれいにし始めたと思う。
「らい病」の隔離はもっと前から行われていたが、僕らの子供の頃、近所には「あたまのおかしい人」も「障害を持った人」も「身寄りの無いお年寄り」も住んでいた。それが当たり前だった。その事で、子供なのに、勉強する事、教えられる事も多かった。
畑の縁には、馬糞が積んであった。肥えつぼもあった。みんな、人間の共同体の中で生きていた。
近代社会になり、「らい病」の患者の方々が隔離された様に、様々なものが「表面上、きれいに見える様」になった。
しかし、日本人の失ったものは大きいと思う。「便利」にはなったが、「人間の心」が失われた。「鬱病」や「自殺者」が増え、日本は良くない方向に進んでいる様に思える。昨今、起こる事故や事件でも、「人間の心」がちゃんとしていれば、起こらなかったものもあるのではないだろうか。
昨日、ゴルフからの帰り、土砂降りで、道が大渋滞していた。森山良子のベストアルバムを聴きながら、精神的にも高揚していたので、「口笛」を吹いてしまった。
昔、僕は「口笛」は「息を吸う事」によってしか、音を出す事が出来なかった。父親はハーモニカが上手で、確か、「口笛」も上手に吹けたはずだ。
いつの頃からか、「息を出す事」でも「口笛」を吹ける様になった。
「口笛」を吹くのは、久しぶり。そういえば、「スキップ」も最近していないな・・・と脈絡の無い事を思いついてしまった。
今の子供達は、「口笛」や「スキップ」が出来るのだろうか?
昔、僕は「口笛」は「息を吸う事」によってしか、音を出す事が出来なかった。父親はハーモニカが上手で、確か、「口笛」も上手に吹けたはずだ。
いつの頃からか、「息を出す事」でも「口笛」を吹ける様になった。
「口笛」を吹くのは、久しぶり。そういえば、「スキップ」も最近していないな・・・と脈絡の無い事を思いついてしまった。
今の子供達は、「口笛」や「スキップ」が出来るのだろうか?
僕は生まれてから、3度手術を受けている。そのうち、2度は、幼稚園に入る前、「右目」と「左目」の「斜視の手術」・・・ほとんど記憶にない。
そして、3度目は、15年くらい前の「胆のうポリープ摘出手術」である。
健康診断のエコー検査で、胆のうに5ミリのポリープが出来ている事が分かり、三ヶ月経ったら、再検査しましょう、という事になった。再検査したら、ポリープは8ミリになっていた。医者曰く、1センチを越えたら、「癌」になる可能性があるという事で、病院に三週間入院、手術を受けたのである。
手術当日、「てい毛」と呼ばれる、「毛」を剃る作業がある。朝、看護士さん(女性)が病室に入ってきて、手術するお腹の辺りと、陰毛を剃ってしまうのである。彼女達は、「てい毛」に慣れているとみえ、僕のおちんちんをものの見事に左右に移動させながら、陰毛を刈っていく。その時のおちんちんは、まるで、「ケンタッキー・フライド・チキン」を小さくした様に、心細げに見えた。
それから手術着に着替えさせられ、ストレッチャーで、手術室に運び込まれる。そして、複数の人達の手が伸びてきて、僕の体は、ストレッチャーから手術台に載せ変えられた。目線の先には、無影灯。
麻酔がかけられる。酸素マスクみたいなものをされ、数字を10から1へ声を出して読む様に言われ、その通りしていると、次に聞こえた声は・・・
「○○さん、○○さん、手術、終わりましたよ。この声が聞こえますか?」というもので、僕には、これから、手術が始まるはずなのに、おかしいなぁと思えた。
実は手術は10時間かけて終わっていたのである。当の本人は、全身麻酔で、時間が飛んでしまったのだろう。「時をかける患者」の心境である。
翌日からも葛藤が始まる。最初の数日間は、のどから、食事を入れる為の管が口か鼻から胃に通っていて、見た目も、手術を受けた重病の患者に見えたのだが、それがはずれると、元気になり、そうすると問題が出てくる。
会社の人達が「お見舞い」に来て下さると、ピンピン元気な姿を見せる事が出来ず、「しんどそうな顔をしたり」、「ゆっくりと喋って、喋るのも大変という演技をしたり」、していた。「お見舞い」に来て下さる方達の気持ちを考えると、「なんだ、元気じゃないか」と、思われては、がっかりされるのでは・・・と思ったからである。
A型肝炎で入院した時もそうである。肝炎は、手術をせず、一日二回の点滴で治していく。当然、手術をした後のような痛みも苦しみも無い。ただ、点滴を一回するのに、2時間位かかるので、一日4時間、「点滴姿」で、お見舞いの人を迎える事が出来、この時はあまり、演技しなくても済んだ。点滴していると、重病に見えそうだからである。
当時、バラエティー番組をやっていた僕に、東京から、ドラマの先輩がお花を贈ってくれた。
「また、一緒にドラマしようね」というコメント付で。とても感動した。先輩が羨ましかった。
その数年後、僕は東京で、先輩のドラマのアシスタント・プロデューサーをやっていた。
そして、3度目は、15年くらい前の「胆のうポリープ摘出手術」である。
健康診断のエコー検査で、胆のうに5ミリのポリープが出来ている事が分かり、三ヶ月経ったら、再検査しましょう、という事になった。再検査したら、ポリープは8ミリになっていた。医者曰く、1センチを越えたら、「癌」になる可能性があるという事で、病院に三週間入院、手術を受けたのである。
手術当日、「てい毛」と呼ばれる、「毛」を剃る作業がある。朝、看護士さん(女性)が病室に入ってきて、手術するお腹の辺りと、陰毛を剃ってしまうのである。彼女達は、「てい毛」に慣れているとみえ、僕のおちんちんをものの見事に左右に移動させながら、陰毛を刈っていく。その時のおちんちんは、まるで、「ケンタッキー・フライド・チキン」を小さくした様に、心細げに見えた。
それから手術着に着替えさせられ、ストレッチャーで、手術室に運び込まれる。そして、複数の人達の手が伸びてきて、僕の体は、ストレッチャーから手術台に載せ変えられた。目線の先には、無影灯。
麻酔がかけられる。酸素マスクみたいなものをされ、数字を10から1へ声を出して読む様に言われ、その通りしていると、次に聞こえた声は・・・
「○○さん、○○さん、手術、終わりましたよ。この声が聞こえますか?」というもので、僕には、これから、手術が始まるはずなのに、おかしいなぁと思えた。
実は手術は10時間かけて終わっていたのである。当の本人は、全身麻酔で、時間が飛んでしまったのだろう。「時をかける患者」の心境である。
翌日からも葛藤が始まる。最初の数日間は、のどから、食事を入れる為の管が口か鼻から胃に通っていて、見た目も、手術を受けた重病の患者に見えたのだが、それがはずれると、元気になり、そうすると問題が出てくる。
会社の人達が「お見舞い」に来て下さると、ピンピン元気な姿を見せる事が出来ず、「しんどそうな顔をしたり」、「ゆっくりと喋って、喋るのも大変という演技をしたり」、していた。「お見舞い」に来て下さる方達の気持ちを考えると、「なんだ、元気じゃないか」と、思われては、がっかりされるのでは・・・と思ったからである。
A型肝炎で入院した時もそうである。肝炎は、手術をせず、一日二回の点滴で治していく。当然、手術をした後のような痛みも苦しみも無い。ただ、点滴を一回するのに、2時間位かかるので、一日4時間、「点滴姿」で、お見舞いの人を迎える事が出来、この時はあまり、演技しなくても済んだ。点滴していると、重病に見えそうだからである。
当時、バラエティー番組をやっていた僕に、東京から、ドラマの先輩がお花を贈ってくれた。
「また、一緒にドラマしようね」というコメント付で。とても感動した。先輩が羨ましかった。
その数年後、僕は東京で、先輩のドラマのアシスタント・プロデューサーをやっていた。
「風呂に入らない人」がいる。有名な作家のNさんもほとんど入らないと御自身でおっしゃっていたし、知り合いの上司もなかなか入浴しないらしい。
僕の知り合いの女性も風呂が嫌いみたいで、体のニオイを消す為か、強い「香水」をつけている。
僕は元々、「香水」のニオイが嫌いなので、彼女と会った時は、少々閉口するのだが、これらの人々は、「何故、風呂に入りたがらない」のだろう。
僕は、30年以上も「アトピー」で、汗が皮膚に付いて、乾燥すると、「痒くなってしまう」ので、絶対、「入浴」か「シャワー」を浴びる様にしている。
中学・高校とバスケットボール部だったのだが、うちの体育館には、シャワーすらない。新しく建て変わって、OBとして、同窓会の試合に正月行っても、シャワーが無いのて、気持ち悪い。
今、思い出したのだが、高校時代のバスケ夏合宿では、夜の入浴後にも練習があった。これが嫌で嫌でたまらなかった。せっかく、風呂で「汗を流した」のに、また練習して、汗をかくのである。密かに、その練習が終わって、風呂場で水を浴びた事もあった様な気がする。
だから、泊りがけで、登山に行くのは、腰が引ける。山小屋では「水」は貴重品なので、シャワーなどあるはずも無く、アトピーが悪化するからだ。
風呂に入らず、痒いまま、悶絶して、寝て、寝ている間に体中を掻きむしり、朝起きたら、血だらけになっているという経験を何度もしている。これは、実際、アトピーにならないと分からないと思うし、この病気の苦しさは理解できないと思う。
それで、最初の話に戻るが、「入浴を何日もしない人」には、驚愕し、どこかで不快感を覚えてしまうのである。
「体臭」と「香水」のブレンドされたニオイは、ある種の「ニオイハラスメント」である。
僕の知り合いの女性も風呂が嫌いみたいで、体のニオイを消す為か、強い「香水」をつけている。
僕は元々、「香水」のニオイが嫌いなので、彼女と会った時は、少々閉口するのだが、これらの人々は、「何故、風呂に入りたがらない」のだろう。
僕は、30年以上も「アトピー」で、汗が皮膚に付いて、乾燥すると、「痒くなってしまう」ので、絶対、「入浴」か「シャワー」を浴びる様にしている。
中学・高校とバスケットボール部だったのだが、うちの体育館には、シャワーすらない。新しく建て変わって、OBとして、同窓会の試合に正月行っても、シャワーが無いのて、気持ち悪い。
今、思い出したのだが、高校時代のバスケ夏合宿では、夜の入浴後にも練習があった。これが嫌で嫌でたまらなかった。せっかく、風呂で「汗を流した」のに、また練習して、汗をかくのである。密かに、その練習が終わって、風呂場で水を浴びた事もあった様な気がする。
だから、泊りがけで、登山に行くのは、腰が引ける。山小屋では「水」は貴重品なので、シャワーなどあるはずも無く、アトピーが悪化するからだ。
風呂に入らず、痒いまま、悶絶して、寝て、寝ている間に体中を掻きむしり、朝起きたら、血だらけになっているという経験を何度もしている。これは、実際、アトピーにならないと分からないと思うし、この病気の苦しさは理解できないと思う。
それで、最初の話に戻るが、「入浴を何日もしない人」には、驚愕し、どこかで不快感を覚えてしまうのである。
「体臭」と「香水」のブレンドされたニオイは、ある種の「ニオイハラスメント」である。