「麻雀に負けない方法」を素人ながら、お教えしましょう。簡単です。自分に「運」が来ているかどうかを認識する事。「運」が来ていれば、「降りる必要もない」・・・どんな高い手を相手がテンパイしてようが、どんどん攻める。「運」が自分に来てない時の方が難しい。下手に、良い手でテンパイしてしまったりするからだ。とにかく、上がらなければ、どんなに凄い手でも意味が無いのだから、「上がる可能性を残しつつ、上手く降りていくこと」がとっても大事である。これが勝負を左右する。「熱くなる人」はこの見極めを完全に忘れている。このことを仕事などに置き換えると、そこには当然「人間関係」が絡んでくる。その時の、自分の「運」を見極めて、「静かに不運が通り過ぎるのを待つ」か、「運に乗って攻めるか」を決める事である。僕は、自分で言うのもなんだが、「運」に乗るのは上手い・・・というより、「運」を呼び込む体質なのかもしれない。いろんな人と会って、いろんな仕事や遊びをした。でも、とっても邪悪な人には出会っていない。というよりも、その人の「良い面を見よう」とする。それが見つからないと、段々、負のエネルギーが溜まって来て、爆発する。それもまた、「運命」なのかもしれない。
「鬱」である。通り過ぎるのを待つしかない。この三連休で、良い方向には向かせたいと思っているが、昨日、今日とほとんど寝ていた。昨日、「皮膚科」で「火傷しに行った」のと「精神科」に薬を取りに行った以外は、寝ている。外出する気分になれないのだ。だから、昨日も午後9時前には寝てしまった。休みの日に、一日10本のブログを書く事を自分に課しているのだが、昨日は二本しかかけなかった。「何かを課すのがいけない」のかもしれない。「何もしない。無。したくなったらする」、これが休日の過ごし方かもしれない。「生きてるだけで儲けもの」と考えよう。大自然の中にいると、きっと、こんな「鬱」にはならないのだろう。去年、石垣島に行った時、そう感じた。「便利」=「幸せ」ではない。「ヤマトンチュウ」が言っていると言われそうだが、ゆらりゆらりと生きていこう。
女性向けの情報番組でも雑誌の広告などでも、「占い」と「ダイエット特集」がとても多い。「占い」は、「女性が自分の未来を自分で決めて失敗するのが怖いこと」の裏返しだろうと思う。もちろん、すべての女性に当てはまる訳では無いが、「彼氏」を作り、「結婚」する。この時点からの「人生」は多くの場合、夫の仕事の影響を受けるものだ。だから、女性は自分決めるより、「占い」を信じたりする。細木数子の番組が当るのも、そうした女性心理をついているのだろう。「ダイエット特集」については、言うまでも無い。いつまでも、自分を美しく見せたいからだ。「こんなにやせているのに、何故ダイエットしてるの?」と聞きたくなる女性もいる。ある調査によると8割を超える女性が「やせたい」と思っているそうだから、ちょっと、怖ろしい。ダイエットにかけるお金を「もっと自分の内面を磨く事」にかければ、それで「美しくなる」と僕は思う。
自分には「コレクション」という趣味は無い。しかし、良い映画を見るとその映画のパンフレットを買ってしまう。「僕の彼女を紹介します」は一冊700円だった。前々から、パンフレットは高いというイメージがあったが、それにしても高い。「吉本新喜劇」が東京で公演するという広告を見た。僕や妻はテレビで嫌というほど、見ているので今更なのだが、三人の子供達には一度見せたい、とその時思った。しかし、一人5500円なのである。あまりにも高すぎやしないか。音楽を生で聴けて、お酒を飲めるライブハウスのような劇場が南米には数多くある。南米の人々の夕食時間が遅いので、一回目が午後10時30分から、二回目が午前1時30分からという劇場が多いようだ。でも、それらはワンドリンク付いて、日本の映画を見る感覚だ。もう少し安いかもしれない。向こうの所得事情を考えれば1000円位だろう。ところがそうした音楽を日本で聴こうとすれば、「新国立劇場」のような改まった場所に行き、最低でも一万円近いお金を支払う事になる。ホテルのディナーショーだったら、三万円をゆうに超える歌手もいる。いくら、携帯電話がかっこよくなり、「文明」が栄えても、「文化」が軽んじられる国は、滅び行く道をたどるのみである。
「赤川次郎」や「西村京太郎」の初期の作品を読みましょう。赤川さんでは「上役のいない月曜日」とか「サラリーマンよ悪意を抱け」・・・そして「夜」。もう絶版になっている本があるかもしれません。西村さんの方は、「脱出」とか、南アフリカのアパルトヘイトを描いた「ある朝、海に」なんかがお薦めです。鉄道ミステリーでも、初期の「夜行列車殺人事件」はとても良いと思います。どちらの作家も量産し過ぎて、最近は読んでいませんが。そして、僕の大好きな筒井康隆では、「エロチック街道」という短編集に入っている「遠い座敷」という小説が好きです。内容は書きません。でも、とっても面白いと思います。先年、亡くなられた「都筑道夫」の諸作品、阿佐田哲也の「麻雀放浪記」の第1巻も見つけたら、買うべしです。本当に、本が発売されて、絶版になるサイクルが早くなってきています。気になる本があったら、すぐ買う方が良いと思います。
「妹尾河童」という人物を御存知ですか。元々はフジテレビの美術デザイナー。「ミュージック・フェア」などの番組のセットのデザインをされていました。そして、蜷川幸雄の舞台のセットをデザインされ、僕がいちばん身近に感じるのは、「河童の覗いたインド」とかの一連の書籍です。ほとんど新潮文庫から出ていますから、興味があったら、お読み下さい。「少年H」の著者と言った方が一般的には知られているかもしれません。「河童の覗いた・・・シリーズ」には、イラスト入りの手書きの文章で、旅した国の事が書かれています。その視点が面白いのです。「インドの弁当箱」の話とか。河童さんは、「一年契約」で奥さんと「結婚」されているそうです。だから、毎年、お互いを評価し、契約を存続させているのです。とても「子供心」を持った方で、「好奇心旺盛」です。本を読むと、その好奇心がこちらにも伝わってきて、「旅」が面白くなります。興味のある方は是非。
映画館に入って、暗くなると寝てしまう。ドラマをやっていた時は、「本当に疲れていた」のでほとんど寝てしまっていた。去年はかなり見たが、「ポーラ・エクスプレス」の前半と「僕の彼女を紹介します」の前半を寝てしまった。後者は、そのまま、もう一度、前半を次の回で見たが。「陰陽師」は、起きたら、後半で、ストーリーが分からなかったので、そのまま映画館を出てしまったが。僕と一緒にドラマを作っていたプロデューサーは、「絶対、映画では寝ない」そうである。「映画」をこよなく愛しているのだろう。僕もそうありたいが、「眠気」には勝てそうもない。最近は、「ハッと」目が覚めて、自分がどこにいるか、分からない事がある。これは、通勤で電車に乗っていて、偶然席が空いたので座っていて、気付くと降りる駅だったという時も、「自分がこれから仕事をするのか」「仕事を終わって帰り道」なのかが一瞬分からなくなる事も多い。老化現象が起き始めているのだろうか。
「音楽」は好きだが、通勤列車の中で、「音楽」を聴こうとは思わないし、「コンサート」にも全く行かない。「森山良子のコンサート」なら、行きたいが。基本的に知っている曲を聴きたい。それも思いもかけない場所で。自分のやったドラマの主題歌が、偶然、「TSUTAYA」にDVDを借りに行っている時に店内でかかったら、立ち止まってしまう。その程度の「音楽好き」である。「舞台」も行かない。どうしても、ドラマの出演者が出ていて、行かなければならない時があるが、そんな時、「舞台が面白ければ」問題はないのであるが、「面白くない。褒める所が無い」時、終わって楽屋見舞いに行く時に困るのである。故・マルセ太郎さんは、その時の褒め方を教えてくれた。「いゃあ、マルセさんらしい良い舞台で感激しましたよ」と言うのである。出演者は、基本的に、「褒めて貰いたいモード」なので、いつも、マルセさんに教えてもらった手を使っている。「舞台」に行きたくないもう一つの理由は、「昔、小劇場を見に行った時、ギュウギュウ詰めに座らされ、足は痺れるは、トイレに行きたくても、動けないわ」という体験がトラウマになっている。映画館なら、自分で席を探し、好きな時にトイレも行けるという安心感があるから、ついつい映画には行ってしまうのだ。
話題は戻るが、「音楽」にそれ程、興味が無いので、i-podにも興味が湧かない。何千曲も入るらしいが、そんなに聴かないので。
話題は戻るが、「音楽」にそれ程、興味が無いので、i-podにも興味が湧かない。何千曲も入るらしいが、そんなに聴かないので。
赤塚不二夫は「天才」である。「バカ」を自称している事もそうだし、「癌」にかかっても、退院したら、「酒」を飲んでいる。大体、ギャグ漫画家というのは、長続きしない。ギャグ漫画は、「アナーキー」だし、それを長年やっていると、「あたまがおかしくなってくる」か、人によっては「自死」を選んだりする。その中で、「天才バカボン」とかを描いた赤塚不二夫が「存在し続けている」のは奇跡としか言いようがない。世間や会社でも、「上からものを言う人」は多い。馬鹿である。部下は付いてこないし、「良い意見を吸い上げる機会」を自ら、無くしている。ところが「バカ」だったら、どうだろう。誰も警戒しない、何でも喋ってくれるし、教えてくれる。こんな簡単な事に気付かない人が周りに多すぎる。「人間はバカであるべきだ」・・・僕の持論である。「赤塚不二夫、バンザイ!!!」
「讀賣新聞」をとっている人には分かると思うが、漫画「コボちゃん」がカラー「」になった。四コマ漫画は、「白黒」であって欲しい。カラーだと何故だろうか、見づらい。やはり、線画だけの方が四コマで、クスッと笑うには向いているのかもしれない。でも、こうして毎日ブログを書いていると、新聞の連載小説にしろ、四コマ漫画にしろ、それを続けるだけで、凄いエネルギーが必要だと思う。ブログは書かなくても良いが、マスメディアに載って、お金を貰うという仕事になれば、そのプレッシャーは半端ではないと思う。毎日では無いが、漫画週刊誌とかに、連載をしていた巨匠
漫画家の多くは、亡くなっている。手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、などである。漫画は小説と違って、手間がかかる。だから、徹夜徹夜で、インスタント食品を食べながら、漫画を描くことになる。小説家の様に、最悪「口述筆記」も考えられないから、その仕事量は半端では無い。それこそ、「命」を削って、漫画を描いていたのだろう。
漫画家の多くは、亡くなっている。手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、などである。漫画は小説と違って、手間がかかる。だから、徹夜徹夜で、インスタント食品を食べながら、漫画を描くことになる。小説家の様に、最悪「口述筆記」も考えられないから、その仕事量は半端では無い。それこそ、「命」を削って、漫画を描いていたのだろう。
「寝るという行為」、特に「昼寝」が好きだ。就職に失敗した年、一年間、ゼミの単位だけ落としてもらい、「就職浪人」をした。つまり、一週間で二時間だけ、ゼミがあるだけで、あとは全く自由な時間なのである。最初は、バイトに行っていた時もあるが、ほとんど一年間、「寝ていた」。週に二回「家庭教師」のバイトに行く以外は、昼頃起き、昼ごはんを食べて、昼寝。夕方頃、起きてきて、本屋に行き、戻ってきて、夕食を食べ、テレビを見て、「寝る」という毎日を一年間続けた。もっとあの頃、いろんなバイトをして、世間を知っておいた方が良かったという事を今になって考えるが、「人に接するエネルギー」もほとんど無く、そんな思いを当時は考え付かなかったのかもしれない。いわゆる「引きこもり」である。携帯電話が無ければ、平日の代休とか、本当に「心地良く」寝れるのだが、文明の進化?というか、そういう事も許されない。原始人は、「暗くなったら眠りに入り、日の出と共に起き出す」という自然の摂理にかなった生活をしていた事を思うと、「現代人」とどちらが良いか、分かったものではない。