アトピー性皮膚炎が悪化した為、お酒を絶って二週間弱経つ。仕事の後、ギンギンに冷えたビールが飲みたい。まだ痒くなるだろうな~テレビが面白くない。特にドラマは軒並み観る気がしない。企画の枯渇?
薄曇りの東京。暑さは昨日よりマシ。昼ごはんに回転寿司。昼ビールが飲めたら、嬉しいのだが。飲んでも「顔」に出ない僕にとっては多少飲んでもバレない。入社した頃、制作部長と昼食に行き、堂々とビールを頼んでいたのだが。そんなにビールが飲みたいか!僕!
ミュンヘンのホフブロイハウスという有名なビアホールに行った時、一リットルジョッキがあった。リリーマルレーンを聴きながら、杯を空けたものだ。28年前の話。その位、今ビールを飲みたい。何でこんなに暑いのか、誰か教えてくれー
家飲みで、マッコリを一本空けて良い気分。家で飲んでいると、飲み終わってすぐ風呂に入って、寝られる利点がある。外で飲むと知らない人と友達になったりできるが。月曜日やもんな~
ビアガーデンに行きたい。特に高尾山山頂のビアガーデンに。都内の夜景を楽しみながら、山頂の涼しい夜風に吹かれて飲むビールは最高だろうな~。あと、横浜中華街の隠れ名店て、美味しい料理を食べながら、紹興酒をクイクイ飲みたい。小さな願い。
![]() | ウイスキー起源への旅 (新潮選書)三鍋 昌春新潮社このアイテムの詳細を見る |
内容(「BOOK」データベースより)
ウイスキーを知り尽くしたプロが、定かではなかったその起源を推理する。酒造りの知識、イギリス留学時に入手した膨大な資料や、数多くの聞き書きを通し、誕生の謎にいどむ。ビールとワイン、キリスト教の伝播、ケルト人、帝国の覇権、気候変動が、どう蒸溜酒に関わっているのか?ヨーロッパ史を背景とした蒸溜酒4000年の軌跡をたどった初の試み。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
三鍋 昌春
1953年生まれ。富山県出身。78年東京大学農学部農芸化学科卒。80年同大学院農学系研究科修士課程修了、サントリー入社。89年~93年、英国スコットランドにある国立ヘリオット・ワット大学国際醸造蒸溜研究所で博士号取得、モリソン・ボウモア社ボウモア蒸溜所、オーヘントッシャン蒸溜所実習、アライド・ディスティラーズ社研修。94年より、白州蒸溜所製造技師長、生産第1部(ウイスキー原酒生産開発)課長、ブレンダー室主席ブレンダーおよび生産第1部課長、原酒生産部長、ブレンダー室部長兼シニアブレンダー、洋酒事業部生産部部長などを経て、現在、サントリービジネスエキスパート株式会社、品質保証本部部長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
モルトウィスキー、バーボンウィスキーで僕の好きなのは・・・










![]() | 天国は水割りの味がする~東京スナック魅酒乱~都築 響一廣済堂出版このアイテムの詳細を見る |
内容紹介
六本木・銀座から私鉄沿線の小さな駅まで、自らの足で探しあてた東京のスナックを1年間かけて50軒取材! 50人のママさん・マスターのドラマチックすぎる物語を1万字超えのインタビューで綴る、都築響一、渾身の1冊が遂に完成。どのページを開いても、思わず涙があふれ勇気がもらえる、日本初のスナック読本です!
内容(「BOOK」データベースより)
50のお店に50のドラマ。カラオケスナック人生劇場。
お酒を飲む楽しみは、いろんな人と知り会える事。





![]() | 居酒屋ほろ酔い考現学橋本 健二毎日新聞社このアイテムの詳細を見る |
内容紹介
縄のれんの向こうに日本のいまが見える。
階級論でおなじみの社会学者が、杯を重ねながら東京の町を歩く。
酒好き必読、薀蓄満載の居酒屋学。著者厳選30店のデータ収録。
内容(「BOOK」データベースより)
階級論でおなじみの社会学者が、杯を重ねながら東京の町を歩く。酒好き必読、薀蓄満載の居酒屋学。著者厳選30店のデータ収録。
美味しくて安い居酒屋に出会うと嬉しくなる。





![]() | 奇跡の居酒屋ノート ~全国1200高校の卒業生と女将が紡ぐ物語松永 洋子(新橋・有薫酒蔵女将)編著洋泉社このアイテムの詳細を見る |
内容紹介
母校・故郷への想い、仕事の悩み、親の介護、定年後の選択・・・
サラリーマンの街・新橋の居酒屋で8000人を超える人々の「本音」が記録された
「高校ノート」の書き込み・秘話・23年間の知られざる歩みを初公開!
内容(「BOOK」データベースより)
サラリーマンの街・新橋の居酒屋で8000人を超える人々の「本音」が記録された「高校ノート」の書き込み・秘話・23年間の知られざる歩みを初公開。
会社から近い新橋にある。一度、行ってみたい。





ホッピー (Hoppy) とは、コクカ飲料株式会社(現・ホッピービバレッジ株式会社)が1948年に発売した、麦酒様清涼飲料水(炭酸飲料でビールテイスト飲料の一種)である。また、焼酎をこれで割った飲み物も、ホッピーと呼ぶ。
ホッピービバレッジ株式会社は、飲料関連を主体とした『ホッピー』の登録商標(日本第1534522号ほか)を各種取得している。
概要
発売当時ビールが高嶺の花で有ったことから、ビールの代用品の「焼酎割飲料」として爆発的に売れ、合計3度のブームが発生している。消費の主要エリアは東京・神奈川・埼玉の一都二県で8割を占め、2000年代後半以降も急速な販路規模拡大の意向は無く関東圏を主体に地盤強化を築く展開を行うとしている。業務用と家庭用の比率は6対4と業務用が多くなっており、現在でも東京、特に京成沿線を中心とした下町およびその近辺の大衆居酒屋では、定番の飲み物である。その背景から「東京の味」「懐かしの味」「昭和の味」などといった情緒的な味覚表現が用いられることもあり、発泡系飲料のビール・発泡酒や焼酎割飲料のサワーにはない、ホッピー独特の味を作り出すための原材料と独自ノウハウを用いて製造されている。
黒ビールに相当するホッピーブラックも存在する。
ミニコミ誌『酒とつまみ』の編集者・大竹聡によれば、中央線の東京~高尾間では全32駅すべての周辺にホッピーを扱う飲食店があるという。
ビールに含まれるプリン体が無いことや、ビタミン類・必須アミノ酸などの各種成分が含まれていることから、健康志向の焼酎の割り材とされている。他のリキュール類と相性が良く、様々な飲料スタイルに対応可能。また、前述の飲料スタイルや健康志向も含め、業務用瓶のレトロなデザインがオシャレ、苦味が少なく飲みやすい、好みのアルコール濃度に調整できる等の理由により2000年代において女性の支持も広まりつつある。
名前の由来・ロゴ
由来
創業者の石渡秀が「本物のホップを使った本物のノンビア」との意味をこめてホッビーと名付けようとしたが、発音しづらい為、ホッピーとなった。
ロゴ・ボトル
現在も使用されている特徴的な「ホッピー」のロゴは1967年(昭和42年)頃に社内公募で生まれた。女性社員の夫(デザイナー)が晩酌をしながらデザインを書き、その女性社員によって応募したものが採用された。その後、1972年(昭和47年)にロゴが印刷されたオリジナルボトルが登場した。
ボトルのデザインはアメリカのビール瓶と形が似ており、理由として昭和20年代にホッピーが売れ過ぎて当時貴重なガラス瓶が不足した際、赤坂の駐留軍兵士が常飲していたアメリカのビール瓶に注目、入手してホッピーのボトルに使用したことが由来となっている。
日本の酒税法上の扱い
ホッピーは、日本の旧酒税法時代にその製法を免許されているため、現行酒税法では認められていない製法(例えば、工程中に製品アルコール濃度が1%を超過する)での製造が唯一可能である。また、製品にもアルコール分が含まれているが1%未満のため、清涼飲料水の扱いとなっている。
ホッピー・・・懐かしい響きだ。







ホッピービバレッジ株式会社は、飲料関連を主体とした『ホッピー』の登録商標(日本第1534522号ほか)を各種取得している。
概要
発売当時ビールが高嶺の花で有ったことから、ビールの代用品の「焼酎割飲料」として爆発的に売れ、合計3度のブームが発生している。消費の主要エリアは東京・神奈川・埼玉の一都二県で8割を占め、2000年代後半以降も急速な販路規模拡大の意向は無く関東圏を主体に地盤強化を築く展開を行うとしている。業務用と家庭用の比率は6対4と業務用が多くなっており、現在でも東京、特に京成沿線を中心とした下町およびその近辺の大衆居酒屋では、定番の飲み物である。その背景から「東京の味」「懐かしの味」「昭和の味」などといった情緒的な味覚表現が用いられることもあり、発泡系飲料のビール・発泡酒や焼酎割飲料のサワーにはない、ホッピー独特の味を作り出すための原材料と独自ノウハウを用いて製造されている。
黒ビールに相当するホッピーブラックも存在する。
ミニコミ誌『酒とつまみ』の編集者・大竹聡によれば、中央線の東京~高尾間では全32駅すべての周辺にホッピーを扱う飲食店があるという。
ビールに含まれるプリン体が無いことや、ビタミン類・必須アミノ酸などの各種成分が含まれていることから、健康志向の焼酎の割り材とされている。他のリキュール類と相性が良く、様々な飲料スタイルに対応可能。また、前述の飲料スタイルや健康志向も含め、業務用瓶のレトロなデザインがオシャレ、苦味が少なく飲みやすい、好みのアルコール濃度に調整できる等の理由により2000年代において女性の支持も広まりつつある。
名前の由来・ロゴ
由来
創業者の石渡秀が「本物のホップを使った本物のノンビア」との意味をこめてホッビーと名付けようとしたが、発音しづらい為、ホッピーとなった。
ロゴ・ボトル
現在も使用されている特徴的な「ホッピー」のロゴは1967年(昭和42年)頃に社内公募で生まれた。女性社員の夫(デザイナー)が晩酌をしながらデザインを書き、その女性社員によって応募したものが採用された。その後、1972年(昭和47年)にロゴが印刷されたオリジナルボトルが登場した。
ボトルのデザインはアメリカのビール瓶と形が似ており、理由として昭和20年代にホッピーが売れ過ぎて当時貴重なガラス瓶が不足した際、赤坂の駐留軍兵士が常飲していたアメリカのビール瓶に注目、入手してホッピーのボトルに使用したことが由来となっている。
日本の酒税法上の扱い
ホッピーは、日本の旧酒税法時代にその製法を免許されているため、現行酒税法では認められていない製法(例えば、工程中に製品アルコール濃度が1%を超過する)での製造が唯一可能である。また、製品にもアルコール分が含まれているが1%未満のため、清涼飲料水の扱いとなっている。
ホッピー・・・懐かしい響きだ。









台風11号が接近していたので、「台風割」という飲み物を急遽考えたのだろう。雨の交差点で写真を撮っていたら、通行人に奇異な目で観られた。
打ち上げは大盛り上がり。飲み過ぎてしまい、目が覚めたら自宅の玄関で寝ていた、朝の5時半まで。それからシャワーを浴び、2時間程寝て、朝食を抜き、会社へ。さすがに夕方になって来ると眠たくなった。





打ち上げは大盛り上がり。飲み過ぎてしまい、目が覚めたら自宅の玄関で寝ていた、朝の5時半まで。それからシャワーを浴び、2時間程寝て、朝食を抜き、会社へ。さすがに夕方になって来ると眠たくなった。







![]() | 中央線で行く東京横断ホッピーマラソン (ちくま文庫)大竹 聡筑摩書房このアイテムの詳細を見る |
内容(「BOOK」データベースより)
東京駅から中央線にのって高尾まで32駅、帰りは京王線で新宿まで38駅。各駅でホッピーの飲める店を探し出し、ひたすら飲むという驚異のマラソン。ある時は常連客の会話に混ぜてもらい、お薦めのツマミの教示を受け、そして時々記憶をなくす。『酒とつまみ』編集長の名物連載。文庫化にあたって、各店データを収録するとともに、未踏区間の12駅で飲み書き下ろした。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大竹 聡
1963年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社、広告会社、編集プロダクション勤務を経てフリーに。2002年10月、雑誌『酒とつまみ』創刊(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
こういう「飲み」もいいなぁ。





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内容紹介
酒場詩人・吉田類が、都内600軒の立ち飲み店の中からオススメを紹介! 見て、歩いて、立って、飲んで、書き下ろした72の短編ドラマ。“元祖・立ち飲みブームの火付け役”が、軽妙洒脱な紹介文で旨い店・人気の店・穴場の店を案内します。
内容(「BOOK」データベースより)
今宵はここで…!“元祖・立ち飲みブームの火付け役”が、クィとやりたい旨い店、人気の店、穴場の店をグッド・チョイス。
本当に「立ち飲み」が増えた、東京は。






